連日,山本冴里(編)『複数の言語で生きて死ぬ』(くろしお出版,2022年)を参照している ([2023-04-17-1], [2023-04-19-1]) .言語の抑圧や死といった重たい話題を扱っているのだが,エッセイ風に読みやすく書かれているため,お薦めしやすい.各章末に付された引用文献も有用である.
冒頭の第1章「夢を話せない --- 言語の数が減るということ」(山本冴里)のテーマは,標題に挙げたように,言語の抑圧,放棄,縮小,乗り換え,そして死である.支配言語が被支配言語に圧迫を加えるという状況は古今東西でみられるが,その過程はさほど単純ではない.山本 (12--14) を引用する.
使用言語の転換は,抑圧の結果である場合もあれば,言語を放棄することについての自発的な決定を反映しているものもあるが,多くの場合には,この二つの状況が混ざり合ったものだ.植民者らは,一般には,現地言語を根絶やしにすべく仕掛けるわけではなく,現地言語の役割をより少ない領域と機能へとシステマティックに限定していき,また,支配的な(外の)言語に関する肯定的な言説を採用する.そのことによって,現地言語の存在が見えなくなっていくのだ (Migge & Léglise 2007, p. 302) .
こうした話をすると,「過去のこと」だ,と言う人もいる.「今はもう,植民地主義なんて存在しない,言語を奪うとかやめさせるとか,そんな犯罪は行われない」と.しかし,中国の教育省が,過程では標準中国語が用いられることの少ない少数民族居住地域や農村においても,幼稚園では標準中語を用いさせる「童語同音」計画を発表したのは二〇二一年七月のことだ.標準中国語を使うことで,「生涯にわたる発展の基礎をつくること」や「個々人の成長」,「農村の振興」,「中華民族共同体意識の形成」がなされるのだという(中華人民共和国教育部2021).
「現地言語の役割」が「より少ない領域と機能へとシステマティックに限定」されると同時に,「支配的な(外の)言語に関する肯定的な言説」が広く流布されるという事態は,右の例ほど露骨ではなくとも,今も大規模に,かつ世界中で発生している.言い換えれば,自らの生まれた環境で習得した言語の価値が低下し,ほかの言語(仮にX語とする)の威信をより強く感じるという事態である.たとえばマスコミで,教育で,市役所など公の場で,より頻繁にX語が使われるようになってきたら.職場では現地の言語ではなくX語を使うようにと,取締役が決めたら.X語のできる人だけが,魅力的な仕事に就けるようになったなら.
言語が「より少ない領域と機能へとシステマティックに限定」していく過程は domain_loss と呼ばれる(cf. 「#4537. 英語からの圧力による北欧諸語の "domain loss"」 ([2021-09-28-1])).毒を盛られ,死に向かってジワジワと弱っていくイメージである.
「言語の死」 (language_death) というテーマは,他の関連する話題と切り離せない.例えば言語交替 (language_shift),言語帝国主義 (linguistic_imperialism),言語権 (linguistic_right),言語活性化 (revitalisation_of_language),エコ言語学 (ecolinguistics) などとも密接に関わる.改めて社会言語学の大きな論題である.
・ 山本 冴里(編) 『複数の言語で生きて死ぬ』 くろしお出版,2022年.
昨日までに,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」や YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」を通じて,複数回にわたり五所万実さん(目白大学)と商標言語学 (trademark linguistics) について対談してきました.
[ Voicy ]
・ 「#667. 五所万実さんとの対談 --- 商標言語学とは何か?」(3月29日公開)
・ 「#671. 五所万実さんとの対談 --- 商標の記号論的考察」(4月2日公開)
・ 「#674. 五所万実さんとの対談 --- 商標の比喩的用法」(4月5日公開)
[ YouTube ]
・ 「#112. 商標の言語学 --- 五所万実さん登場」(3月22日公開)
・ 「#114. マスクしていること・していないこと・してきたことは何を意味するか --- マスクの社会的意味 --- 五所万実さんの授業」(3月29日公開)
・ 「#116. 一筋縄ではいかない商標の問題を五所万実さんが言語学の切り口でアプローチ」(4月5日公開)
・ 次回 #118 (4月12日公開予定)に続く・・・(後記 2023/04/12(Wed):「#118. 五所万実さんが深掘りする法言語学・商標言語学 --- コーパス法言語学へ」)
商標の言語学というのは私にとっても馴染みが薄かったのですが,実は日常的な話題を扱っていることもあり,関連分野も多く,隣接領域が広そうだということがよく分かりました.私自身の関心は英語史・歴史言語学ですが,その観点から考えても接点は多々あります.思いついたものを箇条書きで挙げてみます.
・ 語の意味変化とそのメカニズム.特に , metonymy, synecdoche など.すると rhetoric とも相性が良い?
・ 固有名詞学 (onomastics) 全般.人名 (personal_name),地名,eponym など.これらがいかにして一般名称化するのかという問題.
・ 言語の意味作用・進化論・獲得に関する仮説としての "Onymic Reference Default Principle" (ORDP) .これについては「#1184. 固有名詞化 (1)」 ([2012-07-24-1]) を参照.
・ 記号論 (semiotics) 一般の諸問題.
・ 音象徴 (sound_symbolism) と音感覚性 (phonaesthesia)
・ 書き言葉における大文字化/小文字化,ローマン体/イタリック体の問題 (cf. capitalisation)
・ 言語は誰がコントロールするのかという言語と支配と権利の社会言語学的諸問題.言語権 (linguistic_right) や言語計画 (language_planning) のテーマ.
細かく挙げていくとキリがなさそうですが,これを機に商標の言語学の存在を念頭に置いていきたいと思います.
過剰な英語教育により母語である日本語の教育(国語教育)ががないがしろにされているのは,ゆゆしきことである.このような議論を耳にしたことがあるだろう.実際,英語のせいで日本語がダメになってしまうという議論は今に始まったわけではない.比較的最近の議論を挙げれば,例えば「#3010. 「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」」 ([2017-07-24-1]) や「#3011. 自国語ですべてを賄える国は稀である」 ([2017-07-25-1]) などを参照されたい.
しかし,一般的にいえば日本ではこのような懸念はさほど強くない.幸か不幸か英語が浸透しておらず,切実な問題とならないからだ.むしろ,英語使用が社会の中に広がっており,英語が得意とされる国・地域でこそ,この問題は切実である,自言語が英語に侵されてしまう可能性が現実味を帯びるからだ.例えば,北欧諸国は伝統的には EFL 地域と分類されるが,社会での英語使用の実際に照らせば ESL 地域に近い位置づけにあり,もろに英語の圧力を受けている (「#56. 英語の位置づけが変わりつつある国」 ([2009-06-23-1]) を参照).このような地域ではビジネス,娯楽,学術の分野で英語が深く浸透しており,自言語の用いられる領域がだんだん狭くなってきているという.つまり,"domain loss" が生じているようなのだ.Phillipson and Skutnabb-Kangas (325) より引用する.
One might think that European countries with strong national languages are unaffected by greater use of English, that its use and learning represent merely the addition of a foreign language. However, the international prestige and instrumental value of English can lead to linguistic territory being occupied at the expense of local languages and the broad democratic role that national languages play. An increasing use of English in the business, entertainment and academic worlds in Scandinavia has led to a perception of threat that tends to be articulates as a risk of "domain loss." This term tends to be used loosely, and minor empirical studies suggest that there has been an expansion rather than a contraction of linguistic resources hitherto.
実際,北欧諸国は "domain loss" の脅威を受けて,2006年に「北欧語政策宣言」を承認している.その文書は北欧諸国のすべての住民の言語権 (linguistic_right) を謳いあげている,その背景には特定の言語に一辺倒になることを避けようとする複言語主義 (plurilingualism) の思想がある.
北欧諸国ですら/だからこそ,上記のような状況がある.日本の状況を論じるに当たっても他国との比較が重要だろう.
・ Phillipson, Robert and Tove Skutnabb-Kangas. "English, Language Dominance, and Ecolinguistic Diversity Maintenance." Chapter 16 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 313--32.
社会言語学の授業等で「言語の死」 (language_death) の話題に触れると,関心をもつ学生が多い.目下,世界中で12日に1言語というハイペースで言語が失われているという事実を知ると,当然ながらショックを受けるのだろう.今のところ安泰な立場にある日本語という大言語を常用しており,さらに世界第一の通用度を誇る超大言語である英語を義務教育のなかで学習してきた者にとって,絶滅危機に瀕した言語が世界にそれほど多く存在するということは,容易に想像もできないにちがいない.平均的日本人にとって「言語の死」とはある意味で遠い国の話しだろう.
しかし,日本国内にも危機に瀕する言語は複数ある.また,言語を方言と言い換えれば,方言の死,少なくとも方言の衰退という話題は聞いたことがあるだろう.
英語を筆頭とする世界的な影響力をもつ超強大な言語は,多くの弱小言語の死を招いているのか否か,という問題もある.もしそうだとすれば,英語のような言語は殺人的な言語であり,悪者とみなすべきなのか.もし弱小言語を救うというのであれば,誰がどのように救うのか.そもそも救う必要があるのか,ないのか.一方,自らが用いる言語を選ぶ「権利」(言語権)を個人に認めるとするならば,その個人に課せられる「義務」は何になるだろうか.
このように「言語の死」を考え始めると,議論すべき点が続々と挙がってくる.社会言語学の論点として第一級のテーマである.議論に資する参考記事として「言語の死」の記事セットをどうぞ.
「#407. 南アフリカ共和国と Afrikaans」 ([2010-06-08-1]) で触れたように,南アには11の公用語が存在する.ヨーロッパ人植民者の伝統を引く English, Afrikaans のほか Sepedi, Sesotho, Setswana, siSwati, Tshivenda, Xitsonga, isiNdebele, isiXhosa, isiZulu といったアフリカ土着系諸言語が含まれる.これは1994年にマンデラ政権により制定された新憲法の第6条で規定されている.通常,憲法で公用語を定める場合には,1つか2つに限られることが多いが,11の言語名が列挙されるというのは尋常ではない.諸言語,諸民族の尊重という大義として理解することもできるが,実際にはいずれかに定められない南ア社会の現実を反映した苦しい選択ととらえるべきだろう.
南ア社会の厳しい現実の背景には,2つの要素がある.1つは,歴史的に影響力を保ってきた保守的な勢力としての Afrikaans の地位が,諸民族の橋渡し役としての英語に押され,追い越されてきたという勢力図の変化である.旧憲法では英語と Afrikaans の平等使用原則が謳われていたが,これが撤廃されたことにより,2言語間である種の自由競争が生まれ,結果として英語が抜きんでてきた.つまり,国内の言語として伝統的に優勢だった Afrikaans が「使用保障を失った」(山本,p. 233)ことによる,社会言語学的序列の再編成の帰結である.結果として誕生したヒエラルキーは,英語がトップに立ち,その下に Afrikaans が続き,その下に他の9言語が立ち並ぶという構図である.新憲法による公用語制定では11言語がフラットに列挙されており,ヒエラルキーが感じられないが,逆にいえば,まさにその点に南アの言語事情をめぐる苦悩がある.
もう1つの要素は,新憲法で11言語をフラットに並べていることからも示唆される通り,強制的な言語政策が放棄されたことである.結果,国民一人一人の自主的な言語選択が尊重されるようになってきた.山本 (235) 曰く,
政府による言語政策の強制がなくなったために,政府は基本方針を示すだけで,地域や学校,そして父母に教育言語に関する判断がゆだねられている.そのため,初等教育で家庭語 (home language) を使用するかどうか,使うなら何年間使用するか,家庭語から英語(もしくはアフリカーンス語)への切り替え時期は何年目にするか,などについて,極端に言えば,学校毎にやり方が異なっており,「南アの学校は?」というふうにひとくくりで論じることができない.また,伝統的アフリカーンス語系の学校にも黒人が入学するようになり,英語による教育を求めて,文化的伝統にこだわるアフリカーナーとトラブルになることもある.これも多言語・多文化社会の一つの姿である.
「11の公用語」は国民の言語権を守るものでもあるが,一方で南ア社会の複雑さを象徴するものでもある.その是非を論じるためには,歴史的な背景も含めて,状況をよく理解しておく必要がある.
南アフリカ共和国の英語事情については,「#343. 南アフリカ共和国の英語使用」 ([2010-04-05-1]) と「#1703. 南アフリカの植民史と国旗」 ([2013-12-25-1]) も参照.
・ 山本 忠行 「第10章 アフリカーンス語と英語のせめぎ合い」 河原俊昭(編著)『世界の言語政策 多言語社会と日本』 くろしお出版,2002年.225--45頁.
ロシアではプーチン大統領の4期目が決まり,引き続き強権政治が展開されることが見込まれている.2月28日の読売新聞朝刊の8面に「多民族ロシアのくびき」という見出しの記事が掲載されていた.プーチンは100以上の民族を抱える大国を運営するにあたり「国家の安定」と「社会の団結」を強調しているが,その主張を言語的に反映させる政策として,国家,民族の共通の言語としてのロシア語を推進する方針を打ち出している.裏返していえば,少数民族の言語を軽視する政策である.
新聞記事で取り上げられていたのは,モスクワの東方約800キロほど,ウラル山脈の西のボルガ川中流域に位置するタタルスタン共和国におけるタタール語 (TaTar, Tartar) を巡る問題である.タタール語は,アルタイ語族の西チュルク語派に属する言語で,中世以来,この地域に根付いてきた(「#1548. アルタイ語族」 ([2013-07-23-1]) を参照).歴史的には,モンゴル帝国の流れを汲むキプチャク・ハン国の後裔となったカザン・ハン国が15--16世紀に栄え,首都のカザニを中心にイスラム文化が花咲いた.ロシア人の立場から見れば,1237--1480年まで「タタールのくびき」のもとで苛烈な支配を受け,その後1552年にイワン雷帝が現われてこの地を征服したということになる.ソ連時代にはタタール自治共和国として存在し,現在はロシア連邦に属する民族共和国の1つとして存在する.タタルスタン共和国の現在の人口は約388万人で,そのうちタタール語を話すタタール人が53%,ロシア人が40%を占める(ロシア全体としてもタタール人はロシア人に次いで多い民族である).共和国ではロシア語とタタール語が公用語となっている.
義務教育学校では,タタール語も必修科目とされているが,近年は当局が脱必修化の圧力をかけてきているという.これに反発する保護者や住民も多く,当局のタタール語軽視はタタール人の尊厳を傷つけていると非難している.言語教育問題が社会問題となっている事例である.
タタール語については,Ethnologue よりこちらの説明やこちらの地図も参照.
最近の「#2562. Mugglestone (編)の英語史年表」 ([2016-05-02-1]) に引き続き,英語史年表シリーズ.Momma and Matto の英語史コンパニオンの pp. xxix--xxxiii に掲げられている年表を再現する.後期近代英語期について,言語教育,言語権 (linguistic_right),言語計画 (linguistic_planning) などの応用社会言語学的な項目が多く立てられている点に,この年表の特徴がある.
1000 BCE Indo-European languages spread throughout Europe and southern Asia, some already attested in writing for hundreds of years. ca. 1000--1 BCE Gradual sound shifts (Grimm's Law) take place in Germanic languages. 55--54 BCE Julius Caesar invades Britain. 43 CE Romans under Claudius conquer Britain; the "Roman Britain" period begins. ca. 50--100 Scandinavian Runic inscriptions are produced, which remain the oldest attestations of a Germanic language. ca. 98 Roman historian Cornelius Tacitus writes ''Germania''. ca. 350 Bishop Wulfila translates the Bible into Gothic, an East Germanic language. 410 roman troops withdraw from Britain as Visigoths sack Rome; the "Roman Britain" period ends. 449 According to tradition,Anglo-Saxons (Angles, Saxons, Jutes) begin invasion and settlement of Britain, bringing their West Germanic dialects to the islands. 597 Pope Gregory sends Augustine to Kent where he converts King Æthelberht and 10,000 other Anglo-Saxons to Christianity. 793--ca. 900 Vikings (Danes, Norwegians, Swedes) raid England periodically and establish settlements. 878 King Alfred's victory over Guthrum's Danish army at Edington paves the way for the creation of the Kingdom of the Anglo-Saxons. 886 King Alfred and Guthrum sign a treaty establishing the "Dane law" north and east of London, heavily settled by the Norse-speaking vikings. 890s King Alfred translates Pope Gregory's ''Regula pastoralis'' into English. ca. 900 Bede's ''Ecclesiastical History'' is translated from Latin into Old English. ca. 975--1025 The four great manuscripts containing Old English poetry (Exeter Book, Junius Manuscript, Vercelli Book, and ''Beowulf'' Manuscript) are compiled, though many of the texts they contain were likely composed over the previous 300 years. 993--5 Aelfric composes his Latin-Old English ''Glossary''. 1066 William the Conqueror leads the Norman conquest of England, solidifying French as the language of the nobility. 1171 Henry II leads the Cambro-Norman invasion of Ireland, bringing French and English speakers to the island. 1204 King John of England loses Normandy to France. ca. 1245 Walter of Bibbesworth compiles his ''Tretiz de Langage'' to improve the French of English-speaking Landowners. 1282 Wales is conquered by King Edward I of England. 1348--50 The Black Plague kills about one-third of the English population. 1362 Statute of Pleading requires English be spoken in law courts. 1366 Statutes of Kilkenny outlaw (among other Irish customs) speaking Irish by Englishmen in Ireland. 1370--1400 Chaucer writes his major works. 1380s John Wycliffe and his followers illegally translate the Latin Vulgate Bible into English. 1380--1450 Chancery standard written English is developed. ca. 1450 Johannes Gutenberg establishes the printing press in Germany. 1476 William Caxton sets up the first printing press in England. 1492 Christopher Columbus explores the Caribbean and Central America. 1497 Italian navigator John Cabot explores Newfoundland. 1500--1650 Great Vowel Shift takes place. 1525 William Tyndale prints an English translation of the New Testament. 1534 The first complete English translation of the Bible from the original Greek and Hebrew is produced. 1536 and 1543 Acts of Union (Laws in Wales Acts) annex Wales to England. 1542 Crown of Ireland Act makes the English king also the Irish king. 1558--1603 Queen Elizabeth I reigns. ca. 1575--1600 English becomes an important trade language in West Africa. 1580s--1612 Shakespeare composes his plays. 1583--1607 British attempt unsuccessfully to establish colonies in America. 1588 The Bible is translated into Welsh. 1589 George Puttenham publishes his ''Art of English Poesy''. 1600 British East India Company receives its charter, facilitating economic expansion into India. 1600s Atlantic slave trade begins, bringing Africans to America. 1603 Union of the Crowns: James VI of Scotland becomes James I of England and Scotland, accelerating the Anglicization of Scots-English. 1604 Robert Cawdrey compiles ''A Table Alphabeticall'', the first monolingual English dictionary. 1607 The Virginia Company of London successfully establishes a colony in America at Jamestown, Virginia. 1610 British establish fishing outposts in Newfoundland. 1611 The King James Bible is published. 1620 Pilgrims establish a colony at Plymouth Rock. 1623--ca. 1660 British establish colonies throughout Caribbean. 1642--51 English Civil Wars are ongoing. 1660 The Restoration: Charles II returns to the throne. 1663 The Royal Society is founded. 1689 British establish the three administrative districts of Bengal, Bombay (now Mumbai), Madras (now Chennai) on the Indian subcontinent. 1694 French publish a national dictionary. 1695 The Licensing Act expires, giving anyone the freedom to publish without government permission. 1707 Acts of Union unite governments of England and Scotland, creating the Kingdom of Great Britain. 1712 Jonathan Swift writes his "Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue.". 1755 Samuel Johnson's ''Dictionary of the English Language'' is published. French-speaking Acadians are expelled from Canada by British, settle in Louisiana and are called Cajuns. 1773 British establish a Governor Generalship in India. 1776 Thomas Jefferson drafts American Declaration of Independence. 1780s British begin to settle in Australia. 1783 Treaty of Paris recognizes an independent United States of America; Noah Webster's "blue-back" spelling book is published. 1786 William Jones suggests a common root for Sanskrit, Greek, and Latin, promoting comparative linguistics and Indo-European studies. 1787 English speakers of African origin are repatriated to Africa in Freetown, Sierra Leone. 1789--99 The French Revolution takes place. 1795 Lindley Murray's ''English Grammar'' is published. 1800 Act of Union unites governments of Ireland and Great Britain, creating the Kingdom of Great Britain and Ireland and requiring that Irish politicians speak English in British government. 1803 The Louisiana Purchase allows US to expand westward. 1811--18 Jane Austen's novels and published. 1819 The British government passes the Six Acts, aimed to suppress the publication of radical newspapers. 1820 Freed English-speaking slaves repatriated from America to the newly created West African nation of Liberia. 1828 Noah Webster's ''Dictionary of American English'' is published. 1831 A system of Primary School Education is introduced in Ireland, with English as the medium of instruction. 1835 Lord Macaulay's Minute initiates the introduction of English language education into South Asia. 1836 The phrase "standard English" first appears in a philological sketch on the history of the language in the ''Quarterly Review''. 1837--1901 Queen Victoria reigns. 1840s British begin to settle in New Zealand. 1845--9 Many monoglot Irish speakers die as a result of the Great Famine in Ireland. 1852 ''Roget's Thesaurus'' is first published. 1858 Act for the Better Government of India results in the British governing India directly. 1859 ''Proposal for the Publication of a New English Dictionary'' initiates work on what will be the ''Oxford English Dictionary''. 1873 Harvard University introduces the first American college program in English composition for native speakers. 1898 Americans take over control of the Philippines from Spain, beginning America's colonial period. 1914--39 James Joyce's major works are published. 1922 Ratification of the Anglo-Irish Treaty recognizes an independent Irish Free State, which will become the Republic of Ireland. 1925 The Phelps-Stokes Commission recommends teaching both English and native languages in Africa. 1926--62 William Faulkner's major works are published. 1928 ''Oxford English Dictionary'' is completed. 1946 The Philippines achieve independence from the United States. 1947 India achieves independence from Britain; Pakistan splits from India. 1953 English made a compulsory subject in national examinations in elementary schools throughout Anglophone Africa. 1957--68 Most of Britain's African colonies achieve independence. 1967 The Official languages Act makes English and Hindi India's two official languages. Tanzania launches a "Swahilization" program. 1970- Toni Morrison's major works are published. 1875-- Salman Rushdie's major works are published. 1979 Lawsuit (''Martin Luther King Jr Elementary School Children vs. Ann Arbor School District Board'') sets precedent for requiring teachers to study AAVE. Urdu replaces English as the language of instruction in schools in Pakistan. 1991 Helsinki corpus of English words from the Old English period through 1720 is completed. 1993 Welsh Language Act makes Welsh an official language in Wales alongside English. 1996--7 The "Ebonics" debates begin in Oakland, California. 1998 The Good Friday Agreement grants "parity of esteem" to the Irish language and to Ulster Scots (Ullans) in Northern Ireland.
・ Momma, Haruko and Michael Matto, eds. A Companion to the History of the English Language. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008.
昨日の記事で「#1785. 言語権」 ([2014-03-17-1]) を扱い,関連する話題として言語の死については language_death の各記事で取り上げてきた.近年,welfare linguistics や ecolinguistics というような考え方が現れてきたことから,このような問題について人々の意識が高まってきていることが確認できるが,意外と気づかれていないのが,対応する方言権と方言の死の問題である.
「#1636. Serbian, Croatian, Bosnian」 ([2013-10-19-1]) その他の記事で,言語学的には言語と方言を厳密に区別することは不可能であることについて触れてきた.そうである以上,言語権と方言権,言語の死と方言の死は,本質的に同じ問題,一つの連続体の上にある問題と解釈しなければならない.しかし,一般には,よりグローバルな観点から言語権や言語の死には関心がある人々でも,ローカルな観点から方言権や方言の死に対して同程度の関心を示すことは少ない.本当は後者のほうが身近な話題であり,必要と思えばそのための活動にも携わりやすいはずであるにもかかわらずだ.Trudgill (195) は,この事実を鋭く指摘している.
Just as in the case of language death, so irrational, unfavourable attitudes towards vernacular, nonstandard varieties can lead to dialect death. This disturbing phenomenon is as much a part of the linguistic homogenization of the world --- especially perhaps in Europe --- as language death is. In many parts of the world, we are seeing less regional variation in language --- less and less dialect variation. / There are specific reasons, particularly in the context of Europe, to feel anxious about the effects of dialect death. This is especially so since there are many people who care a lot about language death but who couldn't care less about dialect death: in certain countries, the intelligentsia seem to be actively in favour of dialect death.
言語の死や方言の死については,致し方のない側面があることは否定できない.社会的に弱い立場に立たされている言語や方言が徐々に消失してゆき,言語的・方言的多様性が失われてゆくという現代世界の潮流そのものを,覆したり押しとどめたりすることは現実的には難しいだろう.淘汰の現実は歴然として存在する.しかし,存続している限りは,弱い立場の言語や方言,そしてその話者(集団)が差別されるようなことがあってはならず,言語選択は尊重されなければならない.逆に,強い立場の言語や方言に関しては,それを学ぶ機会こそ万人に開かれているべきだが,使用が強制されるようなことがあってはならない.上記の引用の後の議論で,Trudgill はここまでのことを主張しているのではないか.
・ Trudgill, Peter. Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society. 4th ed. London: Penguin, 2000.
今回は,昨日の記事「#1784. 沖縄の方言札」 ([2014-03-16-1]) に関連して言及した言語権 (linguistic_right) について考えてみる.
強大なA言語に取り囲まれて,存続の危ぶまれる弱小なB言語が分布していると想定する.B言語の母語話者たちは,教育,就職,社会保障,経済活動など生活上の必要から,少なくともある程度はA言語を習得し,バイリンガル化せざるを得ない.現世代は,子供たちの世代の苦労を少しでも減らそうと,子育てにあたって,A言語を推進する.なかには共同体の母語であるB言語を封印し,A言語のみで子育てをおこなう親たちもいるかもしれない.このようにB言語の社会的機能の低さを感じながら育った子供たちは,公の場ではもとより,私的な機会にすらB言語ではなくA言語を用いる傾向が強まる.このように数世代が続くと,B言語を流ちょうに話せる世代はなくなるだろう.B言語をかろうじて記憶している最後の世代が亡くなるとき,この言語もついに滅びてゆく・・・.
上の一節は想像上のシミュレーションだが,実際にこれと同じことが現代世界でごく普通に起きている.世界中の言語の死を憂える立場の者からは,なぜB言語共同体は踏ん張ってB言語を保持しようとしなかったのだろう,という疑問が生じるかもしれない.B言語は共同体のアイデンティティであり,その文化と歴史の生き証人ではないのか,と.もしそのような主義をもち,B言語の保持・復興に尽力する人々が共同体内に現れれば,上記のシミュレーション通りにならなかった可能性もある.しかし,現実の保持・復興には時間と経費がかかるのが常であり,大概の運動は象徴的なものにとどまるのが現実である.A言語共同体などの広域に影響力のある社会からの公的な援助がない限り,このような計画の実現は部分的ですら難しいだろう.
言語の死は確かに憂うべきことではあるが,だからといって件の共同体の人々にB言語を話し続けるべきだと外部から(そして内部からでさえ)強制することはできない.それはアイデンティティの押し売りであると解釈されかねない.話者は,自らのアイデンティティのためにB言語の使用を選ぶかもしれないし,社会的・経済的な必要から戦略的にA言語の使用を選ぶかもしれないし,両者を適宜使い分けるという方略を採るかもしれない.すべては話者個人の選択にかかっており,この選択の自由こそが尊重されなければならないのではないか.これが,言語権の考え方である.加藤 (31--32) は,言語権の考え方をわかりやすく次のように説明している.
「すべての人間は,みずからの意志で使用する言語を選択することができ,かつ,それは尊重されねばならず,また,特定の言語の使用によって不利益を被ってはいけない」と考えるのですが,これは「言語の自由」と「言語による幸福」に分けることができます.自由とは言っても,人は生まれる場所や親を選ぶことはできないので,母語を赤ん坊が決めることはできません.しかし,ある程度の年齢になれば,公共の福祉に反しない限り,自らの意志で使用言語が選べるようにすることは可能です.使用の自由を妨げないと言っても,ことばは伝達できなければ役にたちませんから,誰も知らない言語を使って伝達に失敗すれば損をするのは当人ということになります.自由には責任が伴うのです.
「言語による幸福」は,特定の言語(方言も含む)を使うことで不利益を被らない社会であるべきだという考えによります.日本の社会言語学の基礎を気づいた徳川宗賢は,ウェルフェア・リングイスティクスという概念を提唱しましたが,これは,人間がことばを用いて生活をする以上,それが円滑に営まれるように,実情を調べ,さまざまな方策を考える必要があるとする立場の言語研究を指しています.ことばといっても,実際には多種多様な形態があり,例えば,言語障害,バイリンガル,弱小言語問題,方言や言語によるアイデンティティ,手話や点字といった言語,差別語,老人語,女性語,言語教育,外国語教育といったさまざまなテーマが関わってきます.すべての人間は,みずからの出自やアイデンティティと深く関わる母語を話すことで,不利益をこうむったり,差別されたりするべきではないのです.
言語権の考え方は,言語(方言)差別や言語帝国主義に抗する概念であり手段となりうるとして期待されている.
・ 加藤 重広 『学びのエクササイズ ことばの科学』 ひつじ書房,2007年.
「#1741. 言語政策としての罰札制度 (1)」 ([2014-02-01-1]) の記事で沖縄の方言札を取り上げた後で,井谷著『沖縄の方言札』を読んだ.前の記事で田中による方言札舶来説の疑いに触れたが,これはかなり特異な説のようで,井谷にも一切触れられていない.国内の一部の文化人類学者や沖縄の人々の間では,根拠のはっきりしない「沖縄師範学校発生説」 (170) も取りざたされてきたようだが,井谷はこれを無根拠として切り捨て,むしろ沖縄における自然発生説を強く主張している.
井谷の用意している論拠は多方面にわたるが,重要な点の1つとして,「少なくとも表面的には一度として「方言札を使え」などというような条例が制定されたり,件の通達が出たりしたことはなかった」 (8) という事実がある.沖縄の方言札は20世紀初頭から戦後の60年代まで沖縄県・奄美諸島で用いられた制度だが,「制度」とはいっても,言語計画や言語政策といった用語が当てはまるほど公的に組織化されたものでは決してなく,あくまで村レベル,学校レベルで行われた習俗に近いという.
もう1つ重要な点は,「「方言札」の母体である間切村内法(「間切」は沖縄独自の行政区分の名称)における「罰札制度」が,極めて古い歴史的基盤の上に成り立つ制度である」 (8) ことだ.井谷は,この2点を主たる論拠に据えて,沖縄の方言札の自然発生説を繰り返し説いてゆく.本書のなかで,著者の主旨が最もよく現れていると考える一節を挙げよう.
先述したように,私は「方言札」を強権的国家主義教育の主張や,植民地主義的同化教育,ましてや「言語帝国主義」の象徴として把握することには批判的な立場に立つものである.ごく単純に言って,それは国家からの一方的な強制でできた札ではないし,それを使用した教育に関しては,確かに強権的な使われ方をして生徒を脅迫したことはその通りであるが,同時に遊び半分に使われる時代・場所もありえた.即ち強権的であることは札の属性とは言い切れないし,権力関係のなかだけで札を捉えることは,その札のもつ歴史的性格と,何故そこまで根強く沖縄社会に根を張りえたのかという土着性をみえなくする.それよりも,私は「方言札」を「他律的 identity の象徴」として捉えるべきだと考える.即ち,自文化を否定し,自分たちの存在を他文化・他言語へ仮託するという近代沖縄社会の在り方の象徴として捉えたい.それは,伊波が指摘したように,昨日今日にできあがったものではなく,大国に挟まれた孤立した小さな島国という地政学的条件に基盤をおくものであり,近代以前の沖縄にとってはある意味では不可避的に強いられた性格であった. (85--86)
井谷は,1940年代に本土の知識人が方言札を「発見」し,大きな論争を巻き起こして以来,方言札は「沖縄言語教育史や戦中の軍国主義教育を論じる際のひとつのアイテムに近い」 (30) ものとして,即ち一種の言説生産装置として機能するようになってしまったことを嘆いている.実際には,日本本土語の教育熱と学習熱の高まりとともに沖縄で自然発生したものにすぎないにもかかわらず,と.
門外漢の私には沖縄の方言札の発生について結論を下すことはできないが,少なくとも井谷の議論は,地政学的に強力な言語に囲まれた弱小な言語やその話者がどのような道をたどり得るのかという一般的な問題について再考する機会を与えてくれる.そこからは,言語の死 (language_death) や言語の自殺 (language suicide),方言の死 (dialect death), 言語交替 (language_shift),言語帝国主義 (linguistic_imperialism),言語権 (linguistic_right) といったキーワードが喚起されてくる.方言札の問題は,それがいかなる仕方で発生したものであれ,自らの用いる言語を選択する権利の問題と直結することは確かだろう.
言語権については,本ブログでは「#278. ニュージーランドにおけるマオリ語の活性化」 ([2010-01-30-1]),「#280. 危機に瀕した言語に関連するサイト」 ([2010-02-01-1]),「#1537. 「母語」にまつわる3つの問題」 ([2013-07-12-1]),「#1657. アメリカの英語公用語化運動」 ([2013-11-09-1]) などで部分的に扱ってきたにすぎない.明日の記事はこの話題に注目してみたい.
・ 井谷 泰彦 『沖縄の方言札 さまよえる沖縄の言葉をめぐる論考』 ボーダーインク,2006年.
・ 田中 克彦 『ことばと国家』 岩波書店,1981年.
アメリカにもイギリスにも法律で定めた公用語というものはない.英語が事実上の公用語であることは明らかだが,まさに事実上そうであるという理由で,特に法律で明記する必要がないのである.いや,正確には,これまでは必要がなかったと言うべきだろう.1980年代以降,アメリカでは英語公用語化運動が繰り広げられてきた.
背景には,英語を話さないアメリカ人の増加という事情がある.U.S. Census Bureau の統計によると,5歳以上のアメリカ人で,英語がまったく話せない,あるいはうまく話せない人の数が,1980年では全人口の2%だったが,1990年では2.9%と増加し,最新の2011年のデータ (PDF)では4.65%に達している.ある試算によると2050年には6%に達するのではないかとも言われる.(Language Use - U.S. Census Bureau の各種統計を参照.)
アメリカでは1968年の2言語教育法の制定により,非英語話者が教育上不利にならないような配慮がなされてきた.非英語話者の子供には英語を学ぶ機会が必ず与えられるし,政府刊行物,公共の案内,運転免許の筆記試験などで英語以外の言語を選ぶこともできる.しかし,この言語政策には莫大な予算がかかる.さらに,国家統合の問題にもかかわる.増加する国民の英語離れは,アメリカが国家としての重要な求心力を失い始めている徴候ではないかと考える人々がいてもおかしくない.こうして,英語公用語論争が始まった.
連邦政府レベルで英語公用語運動が始まったのは,1981年である.カナダ生まれの日系人で言語学者であり連邦上院議員の S. I. Hayakawa が,英語を公用語とする修正条項を憲法に付加することを提案した.この提案は退けられたが,州レベルでは運動は続けられることになった.Nebraska, Illinois, Virginia, Indiana, Kentucky, Tennessee の6州で英語を公用語とする法律が成立したのに続き,1986年に California で英語公用語化法案 Proposition 63 が住民投票の結果,通された.メディアなどの前評判を覆して,賛成票73%での法案成立だった.それまでの他州での法案が実質的というよりは象徴的な意味合いをもつにすぎなかったのに対して,California Proposition 63 (or the English Is the Official Language of California Amendment) はより踏み込んだ法案となっていた.以下,抜粋しよう.
English is the common language of the people of the United States of America and of the State of California. . . . The legislature and officials of the State of California shall take all steps necessary to insure that the role of English as the common language of the State of California is preserved and enhanced. . . . Any person who is a resident of, or does business in the State of California shall have standing to sue the State of California to enforce this section . . .
この法案は,州政府に英語公用語化に向けてあらゆる措置を取らせる権限を与え,州民に英語公用語化に抵触する事態に面したときに起訴権を与えるというものである.さらにこの法案に特異なのは,US English という団体を中心とした一般州民の要望による住民投票で可決したという点である.
その後も,Arizona, Colorado, Florida などでも運動は成功したが,特に Arizona Proposition 106 はさらに突っ込んだ内容となっている."As the official language of this State, the English language is the language of the ballot, the public schools and all government functions and actions."
US English のような団体に反対する団体も現れている.English Plus Information Clearinghouse (EPIC) では,English Only ではなく English Plus の思想を打ち出し,言語権の擁護を訴えている.
以上,東 (197--205) を参照して執筆した.関連して,「#256. 米国の Hispanification」 ([2010-01-08-1]) を参照.
・ 東 照二 『社会言語学入門 改訂版』,研究社,2009年.
「母語」は言語学の専門用語というわけではないが,一般にも言語学にも広く使われている.英語で "mother tongue", フランス語で "langue maternelle", ドイツ語で "Muttersprache" であり,「母の言語」という言い方は同じである.典型的に母親から習得する,話者にとっての第1言語のことであり,自明な呼称のように思われるかもしれない.だが,「母語」という用語にはいくつかの問題が含まれている.すでに定着している用語であり,使うのを控えるというのも難しいが,問題点を指摘しておくことは重要だろう.
1つ目は,用語にまつわる表面的な問題である.母から伝承される言語というイメージは情緒的ではあるが,現実には母以外から言語を聞き知る例はいくらでもある.母とはあくまで養育者の代名詞であるという議論は受け入れるとしても,「#1495. 驚くべき北西アマゾン文化圏の multilingualism」 ([2013-05-31-1]) で示したように,社会制度として父の言語が第1言語となるような文化も存在する.この場合には,むしろ「父語」の呼称がふさわしい.
2つ目は,母語の定義についてである.上でも第1言語という代替表現を用いたが,これが含意するのは,母語とは話者が最初に習得した言語を指すということである.ほとんどの場合,この定義でうまくいくだろうが,習得順序によって定まる母語と心理的実在としての母語とが一致しないケースがまれにあるかもしれない.ブルトン (34--35) による以下の文章を参照.
国家が国勢調査を実施するために与えている多様な〔母語の〕定義は,時間的先行性と心理的内在性という2つの規準のあいだを行きつ戻りつするためらいを反映している.前者の定義はつまり,母語は最初の言語であるということであり,後者は,人が話し続け,なかんずくその中で思考する言語が,母語であるというわけである.幼年期,とくに第一幼年期において習得されるということが,客観的諸条件の中では一般に最も重要とされている(インド,メキシコ,フィリピン,カナダ,モーリシャスなど).しかし多言語使用の根強い伝統をもつスイスのような国は,母語とは自分が一番よくわかっていると信じかつそれで思考する言語だということを,正確に示している.いかなる定義を採用しようとも,母語を母語たらしめている本質的に重要な価値と,母語が個人の社会文化的帰属に関して重要な指標であることについては,一般に見解の一致を見ている.
3つ目に,本質的に話者個人の属性としての母語が,用語として社会的な文脈に現われるとき,ほとんど気付かれることなく,その意味内容が社会化され,ゆがめられてしまうという問題がある.例えば,UNESCO 1953 は,次のように述べて,母語での教育の機会を擁護している.
On educational grounds we recommend that the use of the mother tongue be extended to as late a stage in education as possible. In particular, pupils should begin their schooling through the medium of the mother tongue, because they understand it best and because to begin their school life in the mother tongue will make the break between home and school as small as possible.
意図として良心的であり,趣旨には賛成である.しかし,"the mother tongue" という用語が教育という社会的な文脈で用いられることにより,本来的に話者個人と結びつけられていたはずの問題が,社会問題へとすり替えられえいるように思われる.
話者個人にとって母語というものが紛れもない心理的実在だとしても,その言語が社会的に独立した言語として認知されているかどうかは別問題である.例えば,その言語が威信ある言語の1方言として位置づけられているにすぎず,独立した言語として名前が与えられていない可能性がある.その場合には,その話者は母語での教育の機会を与えられることはないだろう.また,話者本人が自らの言語を申告する際に,母語を申告しない可能性もある.Romain (37) によれば,イギリスにおいて,家庭で普段 Panjabi を話すパキスタン系の人々は,自らは Panjabi の話者ではなく,パキスタンの国語である Urdu の話者であると申告するという.ここには故国の政治的,宗教的な要因が絡んでいる.
母語を究極的に個人の属性として,すなわち個人語 (idiolect) として解釈するのであれば,母語での教育とは話者の数だけ種類があることになる.しかし,そのように教育を施すことは非現実的だろう.一方で,ある程度抽象化した言語変種 (variety) として捉えるのであれば,その変種は言語なのか方言なのかという,例の頭の痛い社会言語学的な問題に逆戻りしてしまう.社会的な文脈で用いられた母語という用語は,すでに社会化された意味内容をもってしまっているのである.
・ ロラン・ブルトン 著,田辺 裕・中俣 均 訳 『言語の地理学』 白水社〈文庫クセジュ〉,1988年.
・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.
ここ数日の記事で取り上げてきた "endangered languages" の話題に関連して,Web上では複数の機関が情報を提供している.以下は,主だったサイトへのリンク集.
・ Committee on Endangered Languages and Their Preservation (CELP)
・ Endangered Language Fund
・ Ethnologue
・ European Bureau for Lesser-Used Languages (EBLUL)
・ Foundation For Endangered Languages
・ Gesellschaft für bedrohte Sprachen (GBS)
・ The Society for the Study of the Indigenous Languages of the Americas
・ Terralingua: Unity in Biocultural Diversity
・ The International Clearing House for Endangered Languages (←東京大学内の機関.日本語版はこちら)(2010/09/10(Fri)現在,両ページともリンク切れ)
・ UNESCO Culture Sector - Intangible Heritage - 2003 Convention: Safeguarding endangered languages
・ Universal Declaration of linguistic rights
危機に瀕した言語を復興させるための知識と知恵を蓄積するこの分野はいまだ定着した名称は与えられていないが,この20年足らずのあいだに世界中で少しずつ関心が高まってきたことは事実のようである.ちなみに,Crystal は "preventive linguistics",Matisoff は "perilinguistics" と呼んでいる (Crystal 93).
上記,東京大学の The International Clearing House for Endangered Languages は,世界のなかでも比較的早い1995年に立ち上がった危機言語に関連する機関である.(2010/09/10(Fri)現在,リンク切れ)
・ Crystal, David. Language Death. Cambridge: CUP, 2000.
ENL 国の一つ New Zealand で,ここ40年ほど,先住民マオリの言語 Maori が活性化してきている.
近年の言語多様性の意識の高まりとともに,地域の少数派言語が復興運動を通じて活性化する例は世界にあるが,Welsh と並んで著名な例が Maori である.一般論として言語復興運動の成功の鍵がどこにあるのか,そしてこれから言語復興運動を始めようとする場合にどのような戦略を立てるべきかは未開拓の研究分野だが,成功している例を参考にすべきことはいうまでもない.
In the case of the Maori of New Zealand, a different cluster of factors seems to have been operative, involving a strong ethnic community involvement since the 1970s, a long-established (over 150 years) literacy presence among the Maori, a government educational policy which has brought Maori courses into schools and other centres, such as the kohanga reo ('language nests'), and a steadily growing sympathy from the English-speaking majority. Also to be noted is the fact that Maori is the only indigenous language of the country, so that it has been able to claim the exclusive attention of those concerned with language rights. (Crystal 128--29)
Maori の場合には,(1) マオリの確固たる共同体意識,(2) マオリの識字水準の高さ,(3) 政府の好意的な教育政策,(4) 周囲の多数派である英語母語話者の理解,(5) 他の少数派言語が存在しないこと,という社会的条件がすばらしく整っていることが成功につながっているようだ.
[2010-01-26-1]の記事で触れたように,今後100年で約3000の言語が消滅するおそれがあることを考えるとき,その大多数についてこのような好条件の整う可能性は絶望的だろう.だが,(1) や (4) の意識改革の部分には一縷の希望があるのではないか.自分自身,言語研究に携わる者として,この点に少しでも貢献できればと考える.
今回の話題は直接に英語に関する話題ではないが,今後の英語のあり方を考える上で,共生する言語との関係を斟酌しておくことは linguistic ecology の観点からも重要だろう.Crystal (32, 94, 98) によれば,最近は ecology of language や ecolinguistics という概念が提唱されてきており,言語にも「エコ」の時代が到来しつつあるようだ.
・Crystal, David. Language Death. Cambridge: CUP, 2000.
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