昨日の記事「#3460. 紅茶ブランド Earl Grey」 ([2018-10-17-1]) で,イギリス首相に由来する(といわれる)紅茶の名前について触れた.同じくイギリス首相に由来する,もう1つの表現を紹介しよう.イギリスで警官のことを俗語で bobby と呼ぶが,これは首都警察の編成に尽力した首相・内務大臣を歴任した Sir Robert Peel (1788--1850) の愛称,Bobby に由来するといわれる.
Peel は,19世紀前半,四半世紀にわたってイギリス政治を牽引した政界の重鎮である.初期の業績としては,Metropolitan Police Act を1828年に通過させ,翌1829年,首都警察を設置したことが挙げられる.その後,bobby が警官の意の俗語となっていった.いつ頃からの用法かは正確にはわからないが,OED の初例は1844年のものである.
1844 Sessions' Paper June 341 I heard her say..'a bobby'..it was a signal to let them know a policeman was coming.
首都警察の設置と同じ1829年には「カトリック教徒解放法案」も成立させており,著しい敏腕振りを発揮している.Peel は党利党略ではなく国家の利益を第一に考えた(この点では,昨日取り上げた Earl Grey も同じだった).Peel はもともと地主貴族階級の砦であった「穀物法」を切り崩すことを目論んでいたが,1845年のアイルランドのジャガイモ飢饉を機に,穀物法廃止に踏み切る決断を下した.そして,翌年に廃止を実現した.19世紀の大改革を次々と成し遂げた首相だった.
なお,同じく俗語の「警官」として実に peeler という単語もあるので付け加えておきたい.
一般には Earl Grey といえば,紅茶の高級ブランドが想起されるかもしれない.Twinings にも同名の製品があるが,もともとは Jackson's 社製である.柑橘類の一種ベルガモット (bergamot) で香りづけをした癖のある風味で知られる.名前の由来は,しばしば 2nd Earl Grey こと Charles Grey (1764--1845) が,中国から帰任したときに持ち帰った中国茶のブレンド法にあるとされるが,この説の真偽のほどは定かではない.何しろ Earl Grey's mixture として現われる初例は,Grey が亡くなってから数十年も経った1884年のことなのだ.OED によるレポート Early Grey: The results of the OED Appeal on Earl Grey tea では,問題の紅茶ブランドの名前の由来について突っ込んだ記述があるので必読.
Earl Grey は,1830--34年に首相を務めたホイッグの政治家である.Eton と Cambridge で教育を受けた典型的な貴族で,22歳のときに国会議員となり,若いときから浮き名を流していた.しかし,Grey は George IV が王妃キャロラインを離縁させようと画策した際に王妃をかばい続けたことから,その後も王に嫌われ続け,おりしも自由トーリ主義の潮流にあって,政治的には長らく干されることになった.しかし,George IV が1830年に亡くなると,Grey に復活の機会が訪れた.新しく即位した William IV は Grey の古くからの親友だったからだ.ホイッグが政権を取り戻し,首相となった Grey (任期1830--34年)は,悲願だった選挙法改正を実現すべく邁進した.1831年,Grey の提示した改正法案は貴族院で否決されてしまったが,それを受けて民衆暴動が勃発.翌1832年,再び法案が議会にかけられ,紆余曲折を経ながらも結果として通過した.世にいう the First Reform Bill である.これによって年価値10ポンド以上の家屋・店舗・事務所などを所有する者や借家人にも選挙権が与えられることになり,有権者の数はイギリス全体で50万人から81万人にまで増えた.特にスコットランドでは4500人から5万5000人へと急増したという.
19世紀の大衆民主政治の立役者と香り豊かなミルクティーとの間に,実際のところどのような関係があるのか,真実を知りたいところである.
George I について,「#2648. 17世紀後半からの言語的権威のブルジョワ化」 ([2016-07-27-1]),「#2649. 歴代イギリス総理大臣と任期の一覧」 ([2016-07-28-1]) で触れた.今回は,George I の振る舞いとその背景,そして歴史的なインパクトについて述べたい.
Stuart 家の最後の君主となった Anne が1714年に他界すると,王位はドイツの Hanover 家 (House of Hanover) の George I (1660--1727) に移ることになった.イギリスにドイツ人の国王を迎えるというのは驚くべきことのように思われるが,血縁的にみれば特異なことではなかった.Hanover 朝の最初の国王となった George I の祖母は James II の長女であったし,その娘で,Hanover 選帝侯の妃であった Sophia は George I の母である.本来であれば,Anne の後は,Stuart 王家の血を引く唯一のプロテスタントであった Sophia が王位に就く予定だったが,Anne よりも早くに亡くなったため,長男の George I が王位を継ぐことになったのである.
George I は王位継承が決まっても,すぐにはロンドンへへ行きたがらなかった.歓迎される王ではないことを自覚していたし,ジャコバイトによる暗殺計画も取りざたされていたからだ.それでも少し遅れて無事にロンドン入りすると,内閣改造を行ない,ホイッグより Charles Townshend (1674--1738), James Stanhope (1673--1721), Sir Robert Walpole (1676--1745) を登用した.とりわけ Walpole には全幅の信頼を寄せ,1717--21年の期間を除いて,政務を任せきりにした.「#2649. 歴代イギリス総理大臣と任期の一覧」 ([2016-07-28-1]) の記事で触れたとおり,これが Prime Minister 職の始まりである.
George I がこのように政治的に無関心だったことは,イギリス国民が彼に対して反感を抱いていたことと関係するだろう.Stuart 家のもっていた知的な魅力とは対照的に,George I は詩的でなく,人付き合いも悪く,野戦向きというイメージを持たれていた.ドイツに生まれ育って,英語をまったく理解しなかったということも,やむを得ないことではあったが,イギリスでは不評だった.
しかし,George I の政治的無関心に関する評価はおいておくとしても,イギリス人の反感に正面切って対抗することなく,むしろ自身はしばしば Hanover に引き下がって,イギリスの政務を有能な Walpole に任せきったことは,後のイギリスの内政と外交にとっては幸運な結果をもたらした.責任内閣制はいっそう強固となり,国王の「君臨すれども統治せず」の方針が顕著となっていったからだ.
結果としてみれば,英語を話せなかった George I は,18世紀前半にイギリスの国力を増強させることになる一流の人事を仕切ったのである.後の大英帝国の発展と英語の世界的な普及との関係を考慮すると,George I が英語を話せなかった事実も,新たな角度から評価することができるように思われる.以上,森 (478--90) を参照して執筆した.
・ 森 護 『英国王室史話』16版 大修館,2000年.
昨日の記事「#2648. 17世紀後半からの言語的権威のブルジョワ化」 ([2016-07-27-1]) で触れたように,イギリスの総理大臣 (Prime Minister) は,英語を話すことのできない国王 George I (在位1714--27年)が国内政治に無関心で,大臣の会議に出席するのを辞めてしまったために,行政の最高責任職として置かれたポストである.初代総理大臣は Sir Robert Walpole であるとされる.
先日,新たなイギリスの総理大臣として Theresa May が就任したこともあるので,ここで歴代イギリス総理大臣を一覧しておきたい.関連HPとして,Past Prime Ministers - GOV.UK や List of Prime Ministers of Great Britain and the United Kingdom も参照.歴代君主一覧については,「#2547. 歴代イングランド君主と統治年代の一覧」 ([2016-04-17-1]) をどうぞ.
名前(生年--歿年) | 所属党名 | 任期 |
---|---|---|
Sir Robert Walpole (1676--1745) | Whig | 1721--42 |
Earl of Wilmington (1673?--1743) | 1742--43 | |
Henry Pelham (1696--1754) | 1743--54 | |
Duke of Newcastle (1693--1768) | 1754--56 (第1次) | |
Duke of Devonshire (1720--64) | 1756--57 | |
Duke of Newcastle (1693--1768) | 1757--62 (第2次) | |
Earl of Bute (1713--92) | 1762--63 | |
George Grenville (1712--70) | 1763--65 | |
Marquess of Rockingham (1730--82) | 1765--66 (第1次) | |
Earl of Chatham (1708--1778) | 1766--68 | |
Duke of Grafton (1735--1811) | 1768--70 | |
Lord North (1732--92) | Tory | 1770--82 |
Marquess of Rockingham (1730--82) | Whig | 1782 (第2次) |
Earl of Shelburne (1737--1805) | Whig | 1782--83 |
Duke of Portland (1738--1809) | Coalition | 1783 (第1次) |
William Pitt (1759--1806) | Tory | 1783--1801 (第1次) |
Henry Addington (1757--1844) | Tory | 1801--04 |
William Pitt (1759--1806) | Tory | 1804--06 (第2次) |
Lord William Grenville (1759--1834) | Whig | 1806--07 |
Duke of Portland (1738--1809) | Tory | 1807--09 (第2次) |
Spencer Perceval (1762--1812) | Tory | 1809--12 |
Earl of Liverpool (1770--1828) | Tory | 1812--27 |
George Canning (1770--1827) | Tory | 1827 |
Viscount Goderich (1782--1859) | Tory | 1827--28 |
Duke of Wellington (1769--1852) | Tory | 1828--30 (第1次) |
Earl Grey (1764--1845) | Whig | 1830--34 |
Viscount Melbourne (1779--1848) | Whig | 1834 (第1次) |
Duke of Wellington (1769--1852) | 1834 (第2次) | |
Sir Robert Peel (1788--1850) | Tory | 1834--35 (第1次) |
Viscount Melbourne (1779--1848) | Whig | 1835--41 (第2次) |
Sir Robert Peel (1788--1850) | Tory | 1841--46 (第2次) |
Lord John Russell (1792--1878) | Whig | 1846--52 (第1次) |
Earl of Derby (1799--1869) | Tory | 1852 (第1次) |
Earl of Aberdeen (1784--1860) | Coalition | 1852--55 |
Viscount Palmerston (1784--1865) | Liberal | 1855--58 (第1次) |
Earl of Derby (1799--1869) | Conservative | 1858--59 (第2次) |
Viscount Palmerston (1784--1865) | Liberal | 1859--65 (第2次) |
Earl Russell (1792--1878) | Liberal | 1865--66 (第2次) |
Earl of Derby (1799--1869) | Conservative | 1866--68 (第3次) |
Benjamin Disraeli (1804--81) | Conservative | 1868 (第1次) |
William Ewart Gladstone (1809--98) | Liberal | 1868--74 (第1次) |
Benjamin Disraeli, Earl of Beaconsfield (1804--81) | Conservative | 1874--80 (第2次) |
William Ewart Gladstone (1809--98) | Liberal | 1880--85 (第2次) |
Marquess of Salisbury (1830--1903) | Conservative | 1885--86 (第1次) |
William Ewart Gladstone (1809--98) | Liberal | 1886 (第3次) |
Marquess of Salisbury (1830--1903) | Conservative | 1886--92 (第2次) |
William Ewart Gladstone (1809--98) | Liberal | 1892--94 (第4次) |
Earl of Rosebery (1847--1929) | Liberal | 1894--95 |
Marquess of Salisbury (1830--1903) | Conservative | 1895--1902 (第3次) |
Arthur James Balfour (1848--1930) | 1902--05 | |
Sir Henry Campbell-Bannerman (1836--1908) | Liberal | 1905--08 |
Herbert Henry Asquith (1852--1928) | Liberal+Coalition | 1908--16 |
David Lloyd George (1863--1945) | Coalition | 1916--22 |
Andrew Bonar Law (1858--1923) | Conservative | 1922--23 |
Stanley Baldwin (1867--1947) | Conservative | 1923--24 (第1次) |
James Ramsay MacDonald (1866--1937) | Labour | 1924 (第1次) |
Stanley Baldwin (1867--1947) | Conservative | 1924--29 (第2次) |
James Ramsay MacDonald (1866--1937) | Labour+Coalition | 1929--35 (第2次) |
Stanley Baldwin (1867--1947) | Coalition | 1935--37 (第3次) |
Neville Chamberlain (1869--1940) | Coalition | 1937--40 |
Winston Spencer Churchill (1874--1965) | Coalition | 1940--45 (第1次) |
Clement Richard Attlee (1883--1967) | Labour | 1945--51 |
Sir Winston Spencer Churchill (1874--1965) | Conservative | 1951--55 (第2次) |
Sir Anthony Eden (1897--1977) | Conservative | 1955--57 |
Harold Macmillan (1894--1986) | Conservative | 1957--63 |
Sir Alec Frederick Douglas-Home (1903--95) | Conservative | 1963--64 |
Harold Wilson (1916--95) | Labour | 1964--70 (第1次) |
Edward Heath (1916--2005) | Conservative | 1970--74 |
Harold Wilson (1916--95) | Labour | 1974--76 (第2次) |
James Callaghan (1912--2005) | Labour | 1976--79 |
Margaret Thatcher (1925--2013) | Conservative | 1979--90 |
John Major (1943--) | Conservative | 1990--97 |
Tony Blair (1953--) | Labour | 1997--2007 |
Gordon Brown (1951--) | Labour | 2007--10 |
David Cameron (1966--) | Conservative | 2010--16 |
Theresa May (1956--) | Conservative | 2016--19 |
Boris Johnson (1964--) | Conservative | 2019-- |
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