[2017-01-16-1]の記事に引き続き,my pleasure という表現について.OED によると,Thank you. への応答としての (it is) my pleasure の初出は1950年とあり,新しい語法であることが分かる.しかし,原型となる用法は以前からあった.pleasure が my などの所有格とともに用いられると「?の意志・望み」 ("that which is agreeable to or in conformity with the wish or will of the person specified; will, desire, choice.") の意となり,15世紀より次のような例が見られる.
・ 1485 Caxton tr. Lyf St. Wenefryde 2 Whiche..aroos & humbly demaunded hym what was his playsir.
・ a1500 (c1370) Chaucer Complaint to his Lady 120 With right buxom herte hooly I preye, As your moste plesure, so doth by me.
MED でいえば,plēsīr(e (n.) の 1(d) の語義が,これに相当する.この語義は現代でも I'd go out and dance the hootchie-kootchie buck naked if that was her pleasure and mine. のような例文に見られ,現役である.この語義を基盤として,標題の会話における語用的表現が現代英語期に発達したのだろう.この語義と関連する句としては,at one's pleasure, to one's pleasure なども中英語期から使われていた.
一方,標題の「どういたしまして」の用法ほど新しくはないが,申し出に対する応答としての「喜んで」を意味する With pleasure. も初出はかなり遅い.OED では初出が1836年の Dickens となっている.
1836 Dickens Pickwick Papers (1837) ii. 12 'Glass of wine, Sir?' 'With pleasure,' said Mr. Pickwick---and the stranger took wine; first with him..and then with the whole party together.
My pleasure. にせよ With pleasure. にせよ,pleasure という語を含む句が,比較的最近になって,ある種のポライトネス (politeness) を含意しつつ語用化したということになる.動詞形 please に由来するポライトネスを標示する同形の間投詞が,初期近代英語以降に発達した事実と合わせて,pleasure 周辺はここ数世紀の間「語用づいている」と言えるだろう.please の発達については,「#2644. I pray you/thee から please へ」 ([2016-07-23-1]) を参照.
Thank you. に対しては,You are welcome., Don't mention it., Not at all., No problem., など様々な応対の仕方がある(adjacency_pair を参照).変種,格式・略式の別,状況によってどれがふさわしいかは異なるが,日本語の「どういたしまして」に相当する.実際には,日本語では「ありがとう」に対して「どういたしまして」と返す機会は多くなく,無言だったり,せいぜい「いえいえ」で済ましたりすることも多い.
英語でのもう1つのよくある言い方として It's a pleasure. や My pleasure. や The pleasure is mine. という表現がある.用例を見てみよう.
・ Thanks for doing that. --- It's a pleasure.
・ Thanks for coming. --- My pleasure.
・ It was so kind of you to give us a lift. --- Don't mention it - it was a pleasure.
よくよく考えると,my pleasure という表現は,なかなか味わい深い.No problem. や「どういたしまして」ほど控えめではなく,You are welcome. ほど積極的でもなく,自分に引きつけて「我が喜び」と表現するあたり,すがすがしく感じが良い.これまで,私も英語を話すときには You are welcome. や No problem. くらいしかヴァリエーションがなかったが,もっと積極的に My pleasure. を使っていこうと思った次第である.
そんなことを思ったのは,柳家小三治『ま・く・ら』に所収の「「マイ・プレジャー」のすすめ」を読んで爆笑したからである.小三治が,聞き知った件のフレーズを,ある機会に使ってみようと思い立ったが,なぜか口から出てしまったのは「ユア・ピース」だったという落ちである(ネタバレ,すみません).いや,温かい.さすが人間国宝.
なお,pleasure /pˈlɛʒə/ という発音の発達は複雑なようだ.14世紀後半にフランス語から plesir(e) /pleˈziːr;/ として借用されたが,世紀の変わり目までに散文では強勢が第1音節へ移り /ˈpleziːr/ となった.次に,1500年頃に語尾が measure などにつられて -ure となり,さらにその後に第1音節母音が短化して,現在の発音の原型が成立したという.
関連して,pleasure に対応する動詞は please だが,please のポライトネス (politeness) について「#2644. I pray you/thee から please へ」 ([2016-07-23-1]) を参照されたい.
・ 柳家 小三治 『ま・く・ら』 講談社,1998年.
2人の話者の会話において,互いにペアをなす発話が交わされる場合がある.質問に対して回答,申し出に対して受諾あるいは拒否,挨拶に対して挨拶,依頼に対して応諾,呼びかけに対して返事といった習慣的なペアである.通常,両発話の間に無関係の内容の発話がはさまることはなく,隣り合うものなので,これを adjacency pair と呼ぶ.英語からの例を示そう.
adjacency pair (A and B) | A | B |
---|---|---|
question-answer | What time is it? | Seven o'clock. |
offer-acceptance | Would you like a baked potato? | Yes, please. |
greeting-greeting | Good morning. | Morning Mattie. |
request-compliance | Can I have a jam sandwich then please dad? | Yes sunshine. |
summons-acknowledgement | Mum, mum, mum, mum, mum? | Yes? |
Q1 S: What color do you think you want?
Q2 C: Do they just come in one solid color?
A2 S: No. They're black, blue, red, orange, light blue, dark blue, gray, green, tan[pause], black.
A1 C: Well, gimme a dark blue one, I guess.
Bの発話が欠ける場合がある理由については「#1134. 協調の原理が破られるとき」 ([2012-06-04-1]) で見たような理由が挙げられるかもしれないが,それ以前に,言語文化によっては当該の adjacency pair が原理や規則として存在しないこともあるのではないか.つまり,上記のような adjacency pair は一見するとどの言語文化にも普遍的に存在しているものと思われがちだが,実際には各言語文化に依存する社会的に慣習化された規範 (norm or "normative requirement") にすぎないのではないか.
「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1]) でも見たとおり,発話に関する慣習のなかには文化に依存するものがある.ある adjacency pair がその文化において有意味かどうかは個別に調べなければならないし,たとえ有意味であったとしても特にBの返答について文化ごとに好まれるパターンが異なるということがあり得るのではないか.例えば,前の記事で,日本語や中国語では申し出に対して一度はそれを断るという反応が好まれることがあるし,質問に対して答えをはぐらかす傾向を示す Madagascar の言語共同体の例もみた.adjacency pair のあり方が文化間で変異し得るという指摘は,「協調の原理」が示唆する語用論的普遍性に対する1つの挑戦となるだろう.記述的な ethnography of speaking の研究のもつ役割は,普遍性と傾向,言語的規則と社会的規範といった問題に対して具体的な事例を与えるということにあるのではないか.
・ Pearce, Michael. The Routledge Dictionary of English Language Studies. Abingdon: Routledge, 2007.
・ Bussmann, Hadumod. Routledge Dictionary of Language and Linguistics. Trans. and ed. Gregory Trauth and Kerstin Kazzizi. London: Routledge, 1996.
「#1632. communicative competence」 ([2013-10-15-1]),「#1633. おしゃべりと沈黙の民族誌学」 ([2013-10-16-1]),「#1644. おしゃべりと沈黙の民族誌学 (2)」 ([2013-10-27-1]) の記事で,ethnography of speaking の分野がカバーする領域を垣間見た.今回は,発話の比較文化という観点から,もう1つの話題を取り上げる.発話行為 (speech act) の異文化比較である.
発話行為の類型は,Austin の古典的なものやそこから発展させた Searle のものが知られている(Huang, pp. 106--08 を参照).そのような類型への関心は,種々の発話行為があらゆる言語とその話者に共有されていることを示唆しているようにも聞こえるが,実際には多くの発話行為は文化に依存する.結婚などの儀礼的,慣習的な場面での発話行為が文化によって異なることは容易に理解されるだろうが,それほど慣習化されていない場面における発話行為にも文化間の相違は見られる.以下,Huang (119--25) に従って,4種類を取り上げよう.
(1) ある文化に存在する発話行為が,別の文化に存在しない場合.例えば,約束という発話行為は,日本語にも英語にもあるし,他の多く言語にも存在する.しかし,フィリピンのイロンゴト族 (Ilongot) にはそれがない.イロンゴト族の社会では誠実さや真実よりも社会的な関係のほうが重視され,結果として約束という発話行為がそもそも存在しないのだと考えられている.もう1つ例を挙げれば,オーストラリアのアボリジニー,ヨロンゴ族 (Yolngu) では,感謝という発話行為がないといわれる.
また,他にみられない特殊な発話行為をもつ文化もある.オーストラリアのアボリジニー,Walmajarri において,「親戚関係に基づく権利あるいは義務として要求する」という特異な発話行為があり,遂行動詞 (performative verb) japirlyung によって表わされる.この遂行動詞は,"I ask/request you to do X for me, and I expect you to do it simply because of how you are related to me" ほどの意味を表わす.これらの例は,主として西洋文化の視点から組み立てられた発話行為の類型論の有効性に異を唱えるものとなる.
(2) 同じ状況に対して,文化によって異なる発話行為がなされる場合.例えば,人の足を踏んでしまったとき,西洋でも東アジアでも,通常は謝罪という発話行為がおこなわれる.ところが,西アフリカのアカン族 (Akan) では,謝罪ではなく同情の発話行為がなされる.また,食事会に招待されて,最後においとまするとき,英語では食事への感謝と賛辞を述べるのが通常だが,日本語では「お邪魔いたしました」と侵入行為を認める発言をする.同様に,日本語では,贈り物をもらったときなどには,感謝よりも「すみません」の謝罪のほうを好む.
(3) 同じ発話行為に対して,文化によって異なる反応が示される場合.褒め言葉を述べられると,英語では感謝しながら受け入れるのが普通だが,中国語,日本語,ポーランド語などでは受け入れを拒否する(例:「まあ,すてきなお庭をおもちですね」「いえいえ,まったく手入れをしていないもので」).ちなみに,依頼に対してノーといえない日本語話者が,自分に向けられた褒め言葉にはノーということを好むというのがおもしろい.
また,申し出に対して1度は儀礼的な拒否がなされることが多いのも中国語や日本語の伝統的にして典型的な反応である.「申し出→儀礼的な拒否→申し出→儀礼的な拒否→受諾」という流れ (adjacency pair) そのものが,文化的に埋め込まれていると考えられる(cf. 三顧の礼).
(4) 同じ発話行為であっても,直接的になされるか間接的になされるか,その度合いが文化によって異なる場合.依頼,謝罪,不平などの face-threatening act (FTA) について異なる言語間の比較研究が,1980年代以降,とりわけ Cross-Cultural Speech Act Realization Project (CCSARP) の名の下で推し進められてきた.依頼についていえば,8つの言語変種 (German, Hebrew, Danish, Canadian French, Argentinian Spanish, British English, American English, Australian English) を比較したところ,Argentinian Spanish が最も直接的で,Australian English が最も間接的だった.
日本語の「善処します」は,文字通りには「じょうずに処理する」という意味を表わすが,政治家が用いれば間接的な拒否の発話行為となる.これは,相手の依頼に対して直接ノーと言いにくい日本語にとって,間接的,語用論的な方略なのである.実際に,これが日米の外交問題に発展した事例がある.1974年,ニクソン大統領が佐藤首相に対して日本の繊維市場の自由化を求めた.佐藤首相は否定的な意味合いで「善処します」と答え,それは I do my best. と通訳された.その後,何も動かない日本に対してアメリカがいらだちを募らせ,抗議をするに至った.当時までに,発話行為の ethnography of speaking がよく研究され,その成果が日米異文化理解に役立つ知恵として両首脳の耳に達していれば,このような誤解は生じなかったろう.
・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow