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dialect - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-11-12 07:24

2024-08-02 Fri

#5576. 標準語の変遷と方言差を考える --- 日本語史と英語史の共通点 [historiography][japanese][hel][dialect][variety][diachrony][standardisation][oe][review]


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 今年4月に出版された日本語史の新著です.Voicy heldio の先日の配信回「#1158. 今野 真二 『日本語と漢字 --- 正書法がない言葉の歴史』 岩波書店〈岩波新書〉,2024年.」で簡単に紹介しました.
 序章から重要な議論が様々に展開しているのですが,ここでは pp. 9--10 より1段落を引用します.

これまでは,奈良時代の日本語について「音声・音韻」「語彙」「統語(文法)」「文字・表記」のように,分野を分けて記述し,平安時代,鎌倉時代も同様に記述していくというやりかたがとられてきた.奈良時代,平安時代はたしかにある時間幅をもっているので,それぞれを別の「共時態」とみることはできる.しかしそれをつなげてとらえていいかどうかはわからないともいえる.なぜならば,奈良と京都では,空間が異なるからだ.つまり奈良時代の日本語と思っている日本語はいわば「奈良方言」であり,平安時代の日本語と思っている日本語はいわば「京都方言」であり,異なる方言なのだから違うのは当たり前という可能性が完全には排除されていないからだ.こうした語り方が不都合とまではいえないかもしれないが,そうしたことにも目を配る必要がある.しかし,あまりそうした配慮はなされてきていないと思われる.


 この指摘は日本語史のみならず英語史にもそのまま当てはまる点で,注目に値します.英語史でも,古英語期の「標準語」はイングランド南西部のウェストサクソン方言でしたが,後期中英語期以降のそれは,イングランド南東部を基盤としつつ他の方言特徴も取り込んだロンドン方言となりました.
 古英語と後期中英語の言語的差異を説明する際に,通時的な変化を思い浮かべるのが普通だと思います.しかし,比べているのが古英語のウェストサクソン方言と後期中英語のロンドン方言だということに注意する必要があります.問題の差異は,通時的変化ではなく方言差を反映している可能性があるのです.もちろん通時的変化と方言差の両方が関わっているケースも多いでしょう.ポイントは,時間軸だけではなく空間軸をも考慮しなければならないということです.これは○○語史を読む際に常に注意したい点です.

 ・ 今野 真二 『日本語と漢字 --- 正書法がないことばの歴史』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉,2024年.

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2024-05-23 Thu

#5505. 古代ギリシアの方言観 [greek][dialect][dialectology][hellenic][koine][lingua_franca]

 よく知られているように,古代ギリシア人はギリシア語以外の言語・民族については「バルバロイ」と蔑視する姿勢を示したが,ギリシア語諸方言についてはどのように見ていたのだろうか.Robins (15) に,古代ギリシアの他言語に対する態度やギリシア語内部の諸方言への眼差しを解説している箇所がある.特に後者を扱っている箇所を引用しよう.

. . . . the Greek designation of alien speakers as bárbaroi (βάρβαροι, whence our word barbarian), i.e. people who speak a language other than Greek, is probably indicative of their attitude.
   Quite different was the Greek awareness of their own dialectal divisions. The Greek language in Antiquity was more markedly divided into fairly sharply differentiated dialects than many other languages were. This was due both to the settlement of the Greek-speaking areas by successive waves of invaders, and to the separation into relatively small and independent communities that the mountainous configuration of much of the Greek mainland and the scattered islands of the adjoining seas forced on them. But that these dialects were dialects of a single language and that the possession of this language united the Greeks as a whole people, despite the almost incessant wars waged between the different 'city states' of the Greek world, is attested by at least one historian: Herodotus, in his account of the major achievement of a temporarily united Greece against the invading Persians at the beginning of the fifth century B.C., puts into the mouths of the Greek delegates a statement that among the bonds of unity among the Greeks in resisting the barbarians was 'the whole Greek community, being of one blood and one tongue'.


 引用最後のヘロドトス (8.114.2) への言及が興味深い.おそらく古代ギリシア人たちは明確に分かれていたギリシア語諸方言の存在を互いに認識していた.そして,それらを異なる方言とこそ捉えてはいたが,異なる言語とは捉えていなかった.諸方言からなるギリシア語は,ギリシア民族を(ペルシアに対抗して)まとめ上げる役割を果たしていたということだ.
 考えてみれば,ギリシア語は dialect という単語を生み出した母体であり,諸方言間を平準化した共通語 (koine) を誇った言語でもあった.関連して,以下の記事も参照されたい.

 ・ 「#1454. ギリシャ語派(印欧語族)」 ([2013-04-20-1])
 ・ 「#2752. dialect という用語について」 ([2016-11-08-1])
 ・ 「#1671. dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koineization」 ([2013-11-23-1])
 ・ 「#1391. lingua franca (4)」 ([2013-02-16-1])

 ・ Robins, R. H. A Short History of Linguistics. 4th ed. Longman: London and New York, 1997.

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2023-08-03 Thu

#5211. Innsbruck EDD Online 4.0 [dialect][web_service][corpus][lmode][lexicography][edd][dictionary][notice]

 Joseph Wright による English Dialect Dictionary のオンライン版である EDD Online について,Manfred Markus が率いる Innsbruck 大学のチームがオンライン化プロジェクトの最終段階の成果として Version 4.0 を公表した,との情報を得ました.Innsbruck EDD Online 4.0 Based on Joseph Wright's English Dialect Dictionary (1898--1905) です.


Innsbruck EDD Online 4.0 Based on Joseph Wright's English Dialect Dictionary (1898--1905)



 私はまだ EDD Online の豊富な機能を使いこなせていないのですが,辞書の画像イメージを確認できたり,地図上に示してくれたり等,視覚化の機能が充実している印象です.
 Markus 教授による使い方のイントロ動画(5分)もありますので視聴をお勧めします(辞書とは関係ありませんが,動画の最後のインスブルックの景色に心奪われて今すぐオーストリアに行きたい,などと妄想).
 EDD については,hellog では以下の記事で取り上げてきましたので,そちらもご参照下さい.

 ・ 「#869. Wright's English Dialect Dictionary」 ([2011-09-13-1])
 ・ 「#868. EDD Online」 ([2011-09-12-1])
 ・ 「#2694. EDD Online (2)」 ([2016-09-11-1]) を参照.

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2023-06-28 Wed

#5175. 言語の標準化と方言の死の関係 [standardisation][dialect][dialectology][prestige][language_death]

 言語の標準化 (standardisation) は,1つの変種(方言)が社会的に威信のある変種とみなされて,その言語社会に広く受け入れられていく過程である.すると,他のすべての変種は,相対的に社会的価値が低くなり,使用範囲が狭まっていくことになりがちだ.結果として,それらの非標準変種は死に至ることもあるだろう.
 ただし,上記の言語の標準化と方言の死の関係は必然的なものではない.標準化が進行しても方言が生き残り続けることはあり得るし,実際に英語史や日本語史からも分かる通り,方言は生き残っている.また,言語の標準化とは独立して,方言が死んでいくというケースもあるかもしれない.
 とはいえ,言語の標準化と方言の死の間に何らかの因果関係があるケースも多いに違いない.Jones and Singh (100) が,両者の精妙な関係について次のように議論している.

It should be pointed out, of course, that the standardisation of a language does not automatically entail the loss of its associated dialects: English dialects are still spoken today, many centuries after the emergence of standard English. However, we will see that the rise of a standard is mainly the result of sociopolitical and cultural factors and that its purpose is to unite the speech community, through knowledge of a codified, uniform variety. The rise of a standard is therefore likely to have a hand in dialect death for although the elevation on one variety to the standard leaves the other dialects intact, the fact that the standard language is the only one deemed appropriate for 'official' functions such as the media, education and government and is ultimately regarded as a symbol of loyalty for the whole community means that its associated dialects are often felt to be 'inferior' by their speakers and come to be reserved for non-official functions, such as for use with family and friends. As upward mobility comes to be attached to the standard language, dialects cease to be transmitted to the next generation and eventually stop being spoken.


 関連して次の記事も参照されたい.

 ・ 「#1786. 言語権と言語の死,方言権と方言の死」 ([2014-03-18-1])
 ・ 「#3457. 日本の消滅危機言語・方言」 ([2018-10-14-1])
 ・ 「#3666. 方言を捨てて標準語を採用するのは美容整形するのと同じか?」 ([2019-05-11-1])
 ・ 「#4256. 「言語の死」の記事セット」 ([2020-12-21-1])

 ・ Jones, Mari C. and Ishtla Singh. Exploring Language Change. Abingdon: Routledge, 2005.

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2023-06-14 Wed

#5161. ハリポタの社会言語学 --- 「英語史」の人気コンテンツより [hel_contents_50_2023][khelf][harry_potter][sociolinguistics][dialect]

 4月半ばより khelf(慶應英語史フォーラム)の年度始め企画として展開してきた「英語史コンテンツ50」が,ついに完走しました.伴走いただいた hellog 講読者の皆様には,御礼申し上げます.完了してホッとしたような,寂しいような気持ちです.
 振り返りの時期ということで,昨日の「#5160. 4体液説 --- 「英語史コンテンツ50」の人気コンテンツより」 ([2023-06-13-1]) に引き続き,終盤戦にとりわけ閲覧されている人気コンテンツを紹介します.通信教育部の学生による6月6日のコンテンツ「#44. ハリー・ポッターと英語の方言」です.


「#44. ハリー・ポッターと英語の方言」



 階級社会イギリスの縮図としてのハリポタ世界に,現実の方言事情(地域・社会)が反映している,という趣旨の力作コンテンツです.構成もとてもよく練られており,歴史→社会(階級)→方言の順にイギリスの方言事情が紹介されています.現実と魔法界の比較対照が見事で,ハリポタ同様に引き込まれます.形式的にも地図あり画像あり,さらに注やウェブリソースへのリンクも充実しています.1つの学術コンテンツとして充実しており,長く読み継がれることになるのではないでしょうか.皆さん,ぜひご一読を.

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2023-06-10 Sat

#5157. なぜ dialect という語が16世紀になって現われたのか [terminology][dialect][standardisation][stigma][prestige][vernacular][voicy][heldio]

 dialect という用語について,今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で取り上げた.「#740. dialect 「方言」の語源」をお聴きください.



 この用語をめぐっては hellog でも「#2752. dialect という用語について」 ([2016-11-08-1]) や「#2753. dialect に対する language という用語について」 ([2016-11-09-1]) で考えてきた.
 英語史の観点からおもしろいのは,1つの言語の様々な現われである諸「方言」の概念そのものは中世から当たり前のように知られていたものの,それに対応する dialect という用語は,初期近代の16世紀半ばになってようやく現われ,しかもそれが(究極的にはギリシア語に遡るが)フランス語・ラテン語からの借用語であるという点だ.既存のものと思われる中世的な概念に対して,近代的かつ外来の皮を被った専門用語ぽい dialect が当てられたというのが興味深い.
 16世紀半ばといえば,英国ルネサンス期のまっただなかである.言葉についても,ラテン語やギリシア語などの古典語を規範として仰ぎ見ていた時代である.一方,同世紀後半にかけて,国語意識が高まり,ヴァナキュラーである英語を古典語の高みへ少しでも近づけたいという思いが昂じてきた.英語の標準化 (standardisation) の模索である.
 威信 (prestige) のある英語の標準語を生み出そうとする過程においては,対比的に数々の威信のない非標準的な英語に対して傷痕 (stigma) のレッテルが付されることになる.こうしてやがて「偉い標準語」と「卑しい諸方言」という対立的な構図が生じてくる.
 実はこの構図自体は,中世より馴染み深かった.「偉いラテン語・ギリシア語」対「卑しいヴァナキュラーたち」である.ところが,英語やフランス語などの各ヴァナキュラーが国語として持ち上げられ,その標準語が整備されていくに及び,対立構図は「偉い標準語」対「卑しい諸方言」へとスライドしたのである.ここで,対立構図の原理はそのままであることに注意したい.そして,新しい対立の後者「卑しい諸方言」に当てられた用語が dialect(s) だった,ということではないか.新しい対立に新しい用語をあてがいたかったのかもしれない.
 諸「方言」は中世からあった.しかし,それに dialect という新しい名前を与えようという動機づけが生じたのは,あくまでヴァナキュラーの国語意識の高まった初期近代になってから,ということではないかと考えている.
 関連して「#2580. 初期近代英語の国語意識の段階」 ([2016-05-20-1]) および vernacular の各記事を参照.

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2023-06-08 Thu

#5155. イギリスの方言蔑視は後期中英語期に萌芽がみられ後期近代英語期に本格化した [dialect][history]

 標題に関連する話題は「#2030. イギリスの方言差別と方言コンプレックスの歴史」 ([2014-11-17-1]) で取り上げたが,方言蔑視が生じ,昂じたタイミングについて補足したい.
 Horobin (105--06) は,方言蔑視が生じたのは15--16世紀,それが昂じたのは18世紀とみている.

It is in the fifteenth and sixteenth centuries that we witness the beginnings of dialect prejudice; an early instance can be tranced in the writings of a chronicler named John Trevisa, who complained that the Northumbrian dialect was so 'scharp, slitting [biting] and frottynge [grating] and unshape [unshapely]' that sotherners like himself were unable to understand it. In the early seventeenth century, Alexander Gill, writing in Latin, labelled 'Occidentalium' (or Western dialect) the 'greatest barbarity' and claimed that the English spoken by a Somerset farmer could easily be mistaken for a foreign language.
   Despite such remarks, the social stigmatization of dialect was not fully articulated before the eighteenth century, when a provincial accent became a badge of social and intellectual inferiority. In his Tour Thro' the Whole Island of Great Britain (1724--27), Daniel Defoe reported his encounter with the 'boorish country speech' of Devon---known to the locals as jouring---which was barely comprehensible to ousiders. Having heard a schoolboy read the following lesson from Scripture: 'Chav a doffed me cooat, how shall I don't, chav a wash'd my veet, how shall I moil'em?' (Song of Solomon 5:3), Defoe records his astonishment at finding that the 'dexterous dunce' was reading from a copy of the standard text: 'I have put off my coat, how shall I put it on, I have wash'd my feet, how shall I defile them?' In this brief anecdote we witness many of the same assumptions and prejudices that are associated with dialect speech in English today.


 引用で触れられている John Trevisa は1326--1402年に生きた聖職者・翻訳家なので,厳密にいえば方言蔑視の淵源は14世紀末ということができそうだ.意外と早いという印象である.ただし,これは方言蔑視がイングランド社会において一般的な慣行だったということは必ずしも意味しない.あくまで後世の慣行につながる淵源とみられる例が,この早い時期に観察されるということだろう.
 以降,17世紀前半の Alexander Gill を含め,方言蔑視を示す証拠はあがってくるが,蔑視の風潮が明らかに色濃くなってくるのは18世紀のことだという.現代に直接つながるイギリスの方言蔑視の慣習は,18世紀におおよそ定着したといってよい.

 ・ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.

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2022-07-30 Sat

#4842. 英語は歴史の始まりからすでに混種言語だった? [variety][dialect][germanic][oe][jute][history][oe_dialect][anglo-saxon][dialect_contact][dialect_mixture]

 1860年代に出版された Marsh による英語史講義録をパラパラめくっている.Marsh によれば,アングロサクソン語,すなわち古英語は,大陸からブリテン島に持ち込まれた諸方言の混合体であり,その意味においてブリテン島に "aboriginal" な言語とは言えないものの "indigenous" な言語ではあると述べている.言語としては混合体ならではの "diversity" を示し,"obscure", "confused", "imperfect", "anomalous", "irregular" であるという.以下,関連する箇所を引用する.

§15. It has been already shown that the Anglo-Saxon conquerors consisted of several tribes. The border land of the Scandinavian and Teutonic races, whence the Anglo-Saxon invaders emigrated, has always been remarkable for the number of its local dialects. The Friesian, which bears a closer resemblance than any other linguistic group to the English, differs so much in different localities, that the dialects of Friesian parishes, separated only by a narrow arm of the sea, are often quite unintelligible to the inhabitants of each other. Moreover, the Anglo-Saxon language itself supplies internal evidence that there was a great commingling of nations in the invaders of our island. This language, in its obscure etymology, its confused and imperfect inflexions, and its anomalous and irregular syntax, appears to me to furnish abundant proof of a diversity, not of a unity, of origin. It has not what is considered the distinctive character of a modern, so much as of a mixed and ill-assimilated speech, and its relations to the various ingredients of which it is composed are just those of the present English to its own heterogeneous sources. It borrowed roots, and dropped endings, appropriated syntactical combinations without the inflexions which made them logical, and had not yet acquired a consistent and harmonious structure when the Norman conquest arrested its development, and imposed upon it, or, perhaps we should say, gave a new stimulus to, the tendencies which have resulted in the formation of modern English. There is no proof that Anglo-Saxon was ever spoken anywhere but on the soil of Great Britain; for the 'Heliand,' and other remains of old Saxon, are not Anglo-Saxon, and I think it must be regarded, not as a language which the colonists, or any of them, brought with them from the Continent, but as a new speech resulting from the fusion of many separate elements. It is, therefore, indigenous, if not aboriginal, and as exclusively local and national in its character as English itself.


 古英語の生成に関する Marsh のこの洞察は優れていると思う.しかし,評価するにあたり,この講義録がイギリス帝国の絶頂期に出版されたという時代背景は念頭に置いておくべきだろう.引用の最後にある "exclusively local and national in its character as English itself" も,その文脈で解釈する必要があるように思われる.
 古英語の生成については「#389. Angles, Saxons, and Jutes の故地と移住先」 ([2010-05-21-1]),「#2868. いかにして古英語諸方言が生まれたか」 ([2017-03-04-1]),「#4439. 古英語は混合方言として始まった?」 ([2021-06-22-1]) の記事も参照.

 ・ Marsh, George Perkins. Lectures on the English Language: Edited with Additional Lectures and Notes. Ed. William Smith. 4th ed. London: John Murray, 1866. Rpt. HardPress, 2012.

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2022-03-03 Thu

#4693. YouTube 第2弾,複数形→3単現→英方言→米方言→Ebonics [youtube][notice][plural][3sp][aave][sociolinguistics][dialect][ame_bre][link][hellog_entry_set]

 2月27日に開設した「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の第2弾が公開されました.「標準英語」がイギリスの○○方言だったら,日本人,楽だったのにー!!・英語学への入り口(堀田編)です.



 堀田が英語学・英語史に関心を持ったきっかけが「英語の複数形とは何ぞや?」であったことから始まり,同じ -s つながりで動詞の3単現の話しに移り,3単現でも -s のつかないイギリス方言があるぞという話題に及びました.さらに,今度はアメリカ方言にまで飛び火し,最後には黒人英語の話題,とりわけ Ebonics 論争に到達しました.10分間の英語学のお散歩を楽しんでいただければ.
 今回の話題と関連する本ブログからの記事を以下に紹介しておきます.一括して読みたい方はこちらからどうぞ.

 ・ 「#946. 名詞複数形の歴史の概要」 ([2011-11-29-1])
 ・ 「#2112. なぜ3単現の -s がつくのか?」 ([2015-02-07-1])
 ・ 「#2310. 3単現のゼロ」 ([2015-08-24-1])
 ・ 「#2566. 「3単現の -s の問題とは何か」」 ([2016-05-06-1])
 ・ 「#4255. なぜ名詞の複数形も動詞の3単現も同じ s なのですか?」 ([2020-12-20-1])
 ・ 「#591. アメリカ英語が一様である理由」 ([2010-12-09-1])
 ・ 「#3653. Ebonics 論争」 ([2019-04-28-1])
 ・ 「#2672. イギリス英語は発音に,アメリカ英語は文法に社会言語学的な価値を置く?」 ([2016-08-20-1])

Referrer (Inside): [2022-08-09-1]

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2021-09-08 Wed

#4517. World Englishes の研究は方言学の一種か? [world_englishes][dialectology][dialect][variety]

 連日 World Englishes (英語諸変種)の記事を書いているが,世界で用いられている様々な英語の諸変種とは一般の用語でいえば英語の諸方言にほかならない.「方言」 (dialect) のことを「変種」 (variety) と呼び替えているのは,多少なりとも神経質で臆病な社会言語学の慣習というべきもので,学術的な言い分があることは理解しつつ私も常用しているが,たいていの場合は「方言」のほうが分かりやすいと本当は思っている.
 では,World Englishes の研究は英語の「方言学」 (dialectology) とみてよいのかというと,理屈上は Yes だが,慣習上は No というところだろう.学術用語の常で "dialectology" という用語も,歴史を背負って手垢がついている."English dialectology" という場合には,イギリスやアメリカの内部の諸方言の研究を指すのが典型的であり,たとえばインド英語やジャマイカ英語の研究を指して "English dialectology" とは言わない.学術の伝統もあってやむを得ないところもあるのだが,英米中心主義の用語といってよい.
 一方,そのような手垢を取り除いて「地域によって変異する様々な英語」のことを "dialect(s)" とみなす純粋な立場を取れば,インド英語やジャマイカ英語も各々1つの "dialect" に違いなく,それを研究することは "English dialectology" に貢献することになろう.しかし,現在,どうやらそのような見解は希薄である.インド英語やジャマイカ英語の研究は "World Englishes" の研究として言及されるのである.このような呼び替えに,英語学の伝統の「闇」が垣間見える,といってもよいかもしれない.ただし,ENL 変種と ESL 変種は様々な点で異なるのだということも,やはり一面の真実を含んでいるようにも思われるので,この問題についてこれ以上の議論は控えておく.
 上記を踏まえつつも私は,伝統的な "English dialectology" と,昨今とみに注目度を増している "World Englishes" の研究は,もっと接近すべきだと考えている.現代のイギリスやアメリカの内部で細分化されている諸方言や,イギリスにおいて古英語から現代英語まで多様に存在してきた歴史的な諸方言にみられる豊富な変異が,World Englishes 間にみられる豊富な変異と比べて,質においても量においても劣っているとは思わないからである.空間的な規模でいえば,世界の一角にすぎないイギリスやアメリカの英語と世界の隅々に分布する英語とを比べることは「格違い」のように思われるかもしれないが,否,英語が世界化する以前から,例えばブリテン諸島内部だけを念頭においても,言語的変異は思いのほか豊かだったのである.
 上記の私の考え方とおよそ同趣旨の Anderwald (265) の見解を引用する.

Perhaps most importantly, the recent dialectological and sociolinguistic study of non-standard varieties has shown the enormous breadth of variation that English in Britain and the United States already demonstrates. Whenever we find patterns in World Englishes that diverge from standard British or American English, it is of the utmost importance to take this internal variability into consideration. Bearing in mind Chambers's idea of vernacular universals, comparing constructions in Englishes worldwide with just the codified standard(s) is comparing apples with oranges, or, worse, with just one orange. We might find that what looks like an exotic feature of a variety of English in the southern, eastern or other hemisphere, is perhaps mirrored in an isolated dialect area in the Scottish Highlands, in a village in Ireland, or in an undocumented variety of the English Midlands. The call thus is for researchers of World Englishes to take note of the extensive dialectological work that is currently underway on varieties in non-standard 'homeland' varieties, to avoid this kind of mismatch, and ultimately misanalysis.


 私の英語史研究における中心的なテーマは中英語方言学にあるのだが,一見するとかけ離れているようにみえる現代の World Englishes に関心を寄せているのは,このような理由からである.

 ・ Anderwald, Lieselotte. "World Englishes and Dialectology." Chapter 13 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 252--71.

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2021-06-22 Tue

#4439. 古英語は混合方言として始まった? [dialectology][dialect][oe_dialect][anglo-saxon][dialect_contact][dialect_mixture][numeral][superlative][be][suppletion]

 一般的な英語史記述によると,古英語は,5世紀半ばにアングル人,サクソン人,ジュート人など西ゲルマンの近親諸民族が,互いに少々異なった方言を携えてブリテン島に渡ってきたところから始まる.当初の「英語」は,これらの民族ごとの諸方言をひっくるめて総称したものと理解してよい.その後,古英語期中に各方言はそれぞれの土地に根付きつつ発展し,ある意味では現代にまで続くイングランド諸方言の土台を築いた.
 上記の見方は,諸方言が5世紀半ば以来,互いに(まったくとはいわずとも)それほど交わってこなかったことを前提としている.しかし,「#2868. いかにして古英語諸方言が生まれたか」 ([2017-03-04-1]) で紹介したように,古英語はそもそも方言接触 (dialect_contact) と方言混合 (dialect_mixture) の産物ではないかという議論もある.8世紀頃の古英語にはまだかなりの言語的多様性が観察されるが,これは古い諸方言が相互接触を通じて新しい諸方言へと生まれ変わる際に典型的にみられる現象といえるのではないか.
 Trudgill (2045--46) は Nielsen を参照しつつ,方言混合に起因するとみられる古英語の言語的多様性の具体例を3点挙げている.

1) Old English had a remarkable number of different, alternative forms corresponding to Modern English 'first', and, crucially, more than any other continental Germanic language. This variability, moreover, would appear to be linked, although in some way that is not entirely clear, to variability and differentiation on the European mainland: ærest (cf. Old High German eristo); forma (cf. Old Frisian forma); formest (cf. Gothic frumists); and fyrst (cf. Old Norse fyrst).
2) Similarly, OE had two different paradigms for the present tense of the verb to be, one derived from Indo-European *-es- and apparently related to Old Norse and Gothic; and the other deriving from Indo-European *bheu and relating to Old Saxon and Old High German. The relevant singular forms in Table 130.1

Table 130.1: Singular forms of the present tense of the verb to be (Nielsen 1998: 80)
 GothicOld NorseOld English IOld English IIOld SaxonOld High German
1SGimemeombeombiumbim
2SGiseseartbistbistbist
3SGistesisbiðis(t)ist


3) Old English also exhibited variability, in all regions, in the form of the interrogative pronoun meaning 'which of two'. This alternated between hwæðer which relates to Gothic hvaóar and W. Norse hvaðarr, on the other hand, and hweder which corresponds to O. Saxon hweðar, on the other.


 上記 1) の "first" に相当する序数詞の形態的多様性については,中英語の話題ではあるが「#1307. mostmest」 ([2012-11-24-1]) も関係する.2) の be 動詞が示す共時的な補充法 (suppletion) については,その起源が方言混合にあるかもしれないという洞察は鋭い.一般に補充法の事例を考察する際のヒントになるだろう.
 古英語における言語上の問題は,文献的にそれ以上遡れないという理由で積極的に話題にするのが難しく,所与のものとして受け入れてしまうことが多い.しかし,文献に先立つ時代に,思いのほか多くの方言接触や方言混合があった可能性を想定してみると,新たな視野が開けてくるように思われる.
 方言接触や方言混合の一般的な解説は「#1671. dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koineization」 ([2013-11-23-1]) をどうぞ.

 ・ Trudgill, Peter. "Varieties of English: Dialect Contact." Chapter 130 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 2044--59.
 ・ Nielsen, Hans Frede. The Continental Backgrounds of English and its Insular Development until 1154. Odense: Odense UP, 1998.

Referrer (Inside): [2022-07-30-1]

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2020-12-25 Fri

#4260. 言葉使いの正しさとは? --- ことばの正誤について [purism][register][dialect][language_change][prescriptivism]

 言葉使いに関して「正しい」「正しくない」と評価することは日常茶飯である.ら抜き言葉は正しくない.雰囲気の発音は「ふいんき」ではなく「ふんいき」が正しい.こんにち「わ」ではなく,こんにち「は」の書き方が正しい,等々.一般に言葉使いには規範的に正しい答えがあると信じられており,それに照らして正誤を判断するわけだ.
 しかし,言語学的にいえば --- 記述主義的にいえば --- 言葉使いに「正誤」の問題は存在しない.「正しくない」とおぼしきケースがあったとしても,それは「正しくない」というよりは,むしろ「通じない」や「ふさわしくない」に近いことが多い.
 Hughes et al. (16) は言葉使いの "correctness" について,3種類を区別している.

   The first type is elements which are new to the language. Resistance to these by many speakers seems inevitable, but almost as inevitable, as long as these elements prove useful, is their eventual acceptance into the language. The learner needs to recognize these and understand them. It is interesting to note that resistance seems weakest to change in pronunciation. There are linguistic reasons for this but, in the case of the RP accent, the fact that innovation is introduced by the social elite must play a part.
   The second type is features of informal speech. This, we have argued, is a matter of style, not correctness. It is like wearing clothes. Most people reading this book will see nothing wrong in wearing a bikini, but such an outfit would seem a little out of place in an office (no more out of place, however, than a business suit would be for lying on the beach). In the same way, there are words one would not normally use when making a speech at a conference which would be perfectly acceptable in bed, and vice versa.
   The third type is features of regional speech. We have said little about correctness in relation to these, because we think that once they are recognized for what they are, and not thought debased or deviant forms of the prestige dialect or accent, the irrelevance of the notion of correctness will be obvious.


 第1のものは,言語変化によってもたらされた新表現の類いである.純粋主義者を含めた言語について保守的な陣営から,しばしば「正しくない」とレッテルを貼られる語法などである.多くは時間とともに言語共同体のなかで広く受け入れられ,「正しい」語法へと格上げされていく.
 第2のものは,語法そのものの正誤の問題というよりは,用いる場面を間違えてしまうという,register の観点からの「ふさわしさ」の問題といえば分かりやすいだろうか.ビキニを着ることそれ自体は問題ないが,会社で着るのは問題だ,という比喩がとても分かりやすい.
 第3のものは,地域方言に関する誤解である.標準語使用が予期される文脈で地域方言の語法が用いられるとき誤解が生じることがあるが,後に単に地域方言の語法だったと分かり,誤解が解けさえすれば,言葉使いの正誤の問題とはみなさなくなるだろう.
 日常生活である言葉使いが「正しくない」と思ったとき,それが記述主義的な立場からどのように解釈できるか,冷静に考えてみるとおもしろい.

 ・ Hughes, Arthur, Peter Trudgill, and Dominic Watt. English Accents and Dialects: An Introduction to Social and Regional Varieties of English in the British Isles. 4th ed. London: Hodder Education, 2005.

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2020-12-21 Mon

#4256. 「言語の死」の記事セット [hellog_entry_set][language_death][statistics][world_languages][linguistic_right][language_shift][dialect][linguistic_imperialism][ecolinguistics][sociolinguistics]

 社会言語学の授業等で「言語の死」 (language_death) の話題に触れると,関心をもつ学生が多い.目下,世界中で12日に1言語というハイペースで言語が失われているという事実を知ると,当然ながらショックを受けるのだろう.今のところ安泰な立場にある日本語という大言語を常用しており,さらに世界第一の通用度を誇る超大言語である英語を義務教育のなかで学習してきた者にとって,絶滅危機に瀕した言語が世界にそれほど多く存在するということは,容易に想像もできないにちがいない.平均的日本人にとって「言語の死」とはある意味で遠い国の話しだろう.
 しかし,日本国内にも危機に瀕する言語は複数ある.また,言語を方言と言い換えれば,方言の死,少なくとも方言の衰退という話題は聞いたことがあるだろう.
 英語を筆頭とする世界的な影響力をもつ超強大な言語は,多くの弱小言語の死を招いているのか否か,という問題もある.もしそうだとすれば,英語のような言語は殺人的な言語であり,悪者とみなすべきなのか.もし弱小言語を救うというのであれば,誰がどのように救うのか.そもそも救う必要があるのか,ないのか.一方,自らが用いる言語を選ぶ「権利」(言語権)を個人に認めるとするならば,その個人に課せられる「義務」は何になるだろうか.
 このように「言語の死」を考え始めると,議論すべき点が続々と挙がってくる.社会言語学の論点として第一級のテーマである.議論に資する参考記事として「言語の死」の記事セットをどうぞ.

Referrer (Inside): [2023-06-28-1]

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2020-08-10 Mon

#4123. 等語線と方言領域は方言学上の主観的な構築物である [dialectology][dialect][isogloss]

 標題は方言学上の重要な洞察である.現代の方言学では,方言領域 (dialect area) を区分するのに等語線 (isogloss) を地図上に描くことが多いが,この等語線も,それによって区分された方言領域も,学術上のフィクションにすぎない.
 この問題とその周辺については「#1317. 重要な等語線の選び方」 ([2012-12-04-1]),「#4114. 方言(特に中英語の方言)をどうとらえるか」 ([2020-08-01-1]),「#4119. isogloss ならぬ heterogloss」 ([2020-08-06-1]),「#4120. isoglossheterogloss の関係」 ([2020-08-07-1]) などの記事でも示唆してきた.
 今回は,関連してアメリカ英語の方言について考察した Kretzschmer の論文を読んでみた.その趣旨は実に明快である.等語線や方言領域の描き方は,結局のところ方言学者の主観的な判断に基づいているにすぎないということだ.

. . . through most of the twentieth century maps also commonly employed the interpretive device of the "isogloss," which added a theoretical dimension to the models underlying them which actually (in my view) undercut the validity of the maps. As I have written elsewhere . . . , an isogloss is supposed to be the "limit of occurrence" for a given linguistic feature, but there are problems in deciding what that means. Most often, isogloss users have drawn lines where they thought they ought to go, often when there were "isolated occurrences" of the feature on the wrong side of the line, or even when there was just a change in frequency of occurrence across the line, or when the line was generalized or smoothed in other ways.


 Kretzschmer によれば,等語線や方言領域は実体として存在するものではなく,あくまで方言学上の構築物だということになる.しかし,Kretzschmer も等語線や方言領域の価値を完全に否定しているわけではない.そのような概念を利用している方言学者が現実を客観的に "describe" しているのではなく主観的に "interpret" しているのだと理解しておきさえすれば,特に問題はないという.
 今回取り上げた洞察は地域方言についての謂いだが,その他の言語変種についても一般的に当てはまるだろう.すべての言語変種はフィクションなのである.これについては「#415. All linguistic varieties are fictions」 ([2010-06-16-1]),「#1373. variety とは何か」 ([2013-01-29-1]) を参照.

 ・ Kretzschmer, William A., Jr. "Mapping Southern English," American Speech 2 (2003): 130--49.

Referrer (Inside): [2020-09-24-1]

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2020-08-07 Fri

#4120. isoglossheterogloss の関係 [isogloss][dialectology][dialect][variety][terminology]

 昨日の記事「#4119. isogloss ならぬ heterogloss」 ([2020-08-06-1]) で,isogloss に対する heterogloss という方言学上の概念・用語を導入した.この対となるキーワードについては,理論的に考えておくべき点がいろいろとありそうだ.
 Chambers and Trudgill (104--05) によると,両者は互いに翻訳可能であり,方言区分に関する観点こそ異なれど,いずれがより優れた見方かという問題ではないと議論している.その趣旨を解説すると,次のようになる.
 注目している言語項に2つの異形があり,一方を△として,他方を○として地図上にプロットすることを考える.現実の分布を目の前にして,方言学者は方言区分のために境界線を引こうとするが,その際に2通りの引き方が可能である.1つは,下の左図のように異形を示す2領域の間の空間(「中途空間」と呼んでおく)に1本線を引くやり方.もう1つは,各々の異形の領域の下限と上限の観察点を結んでいき,計2本の線を引くやり方である.前者が isogloss,後者が heterogloss の考え方ということになる.

        △ △ △ △ △     |      △ △ △ △ △
                                      |
         △ △ △ △      |       △ △ △ △ 
                                      |
        △ △ △ △ △     |    ──△─△─△─△─△── ←heterogloss
isogloss→ ─────────────      |
        ○ ○ ○ ○ ○     |    ──○─○─○─○─○── ←heterogloss
                                      |
         ○ ○ ○ ○      |       ○ ○ ○ ○ 
                                      |
        ○ ○ ○ ○ ○     |      ○ ○ ○ ○ ○


 Chambers and Trudgill (105) は,中途空間に新たな○か△かの観察点が加えられたり,あるいは右上隅などに新たな○の観察点が発見されたりすれば,いずれの方法にせよ,線を引き直さなければならないのは同じであるとして,両方法の優劣には差がないという立場だ.つまり,両者の違いにこだわりすぎてはいけないと説く.
 確かに,上記のような架空の分布を例に取れば,そのように考えることはできるだろう.しかし,実際によくある分布は,○が優勢な下方の領域に△も多少食い込んでいたり,その逆もあるような分布である.つまり,○と△の混在エリアが存在する.そのような場合には,○と△の各々の限界線を heterogloss として引くことは意味があるだろう.これは,混在エリアを太い isogloss で引くということと同じことではない.

 ・ Chambers, J. K. and Peter Trudgill. Dialectology. 1st ed. Cambridge: CUP, 1980.

Referrer (Inside): [2020-08-10-1]

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2020-08-06 Thu

#4119. isogloss ならぬ heterogloss [isogloss][dialectology][dialect][me_dialect][variety][terminology][dialect_continuum]

 方言学 (dialectology) では,ある言語項の異形 (variants) の分布を地図上にプロットしてみせる視覚的表現がしばしば利用される.異形がぶつかり合うところは,いわば方言境界をなし,地図上には境界線らしきものが描き出される.この線は,等高線,等圧線,等温線になぞらえて等語線 (isogloss) と呼ばれる.
 例えば,言語史上有名の等語線の1つとして「#1506. The Rhenish fan」 ([2013-06-11-1]) で示したドイツ語の makenmaxen に関するものを挙げよう.その方言地図を一目見れば分かる通り,第2次子音推移 (sgcs) を経た南部と経ていない北部がきれいに分割されるような等語線が,東西に一本引かれている.
 しかし,「等語線」は一見すると分かりやすい概念・用語だが,実はかなりのくせ者である.1つには,どの単語に注目するかにより等語線の引き方が異なってくるからだ.「#1532. 波状理論,語彙拡散,含意尺度 (1)」 ([2013-07-07-1]) の表で示したとおり,上記の第2次子音推移に関する等語線は,maken/maxen を例にとれば先の地図上の線となるが,ik/ich を例にとればまた別の場所に線が引かれることになる.「#1505. オランダ語方言における "mouse"-line と "house"-line」 ([2013-06-10-1]) の例も同様である.どの単語の等語線を重視すべきかという問題については,「#1317. 重要な等語線の選び方」 ([2012-12-04-1]) で論じたように,ある程度の指標はあるとはいえ,最終的には方言学者の恣意的な判断に任されることになる.
 もう1つは,特定の単語に注目した場合ですら,やはりきれいな1本線を地図上に引けるとは限らないことである.例えば,maken は先の等語線の南部ではまったく観察されないかといえば,そうではない.等語線のわずかに南側では用いられているだろう.同じように maxen も等語線のわずかに北側では用いられているはずである.地図上では幅のない1本線で描かれているとしても,その境界は現実の地理においては幅をもった帯として存在しているはずである.つまり,境界線というよりは境界領域といったほうがよい.幅がどれだけ広いか狭いかは別として,その境界領域では両異形が用いられている.
 makenmaxen の使用分布を区分する1つの等語線という見方は,ある種の理想化された方言境界を示すものにすぎない.現実には make の南限を示す線と maxen の北限を示す線の,合わせて2本の線があり,両者に挟まれた帯の存在を念頭におかなければならない.換言すれば,この帯をいくぶん太く塗りつぶして1本の線のように見せたのが等語線ということだ.方言学者は,各異形の南限や北限を示す各々の線のことを,"isogloss" と対比させる意味で "heterogloss" と呼んでいる.これについて,中英語方言学の権威 Williamson (489) の説明に耳を傾けてみよう.

An isogloss is a cartographic construct, intended to show the geographical boundary between the distributions of two linguistic features. But the isogloss is problematic: it often distorts what typically happens when the bounds of two distributions meet, by sanitizing or idealizing the co-occurrence of the bounds. There is rarely a clear-cut line between the distributions of features. Rather, they may often overlap, so that there are areas when both forms are used to a greater or lesser extent in neighboring communities or used by the members of one community and understood by those of another. Where the boundaries of features meet, we find zones of transition. It is these zones of transition, shifting across space, which define the dialect continuum.
    . . . . An isogloss makes assumptions about what is or is not there. . . . I have resorted to a variant of the isogloss --- the "heterogloss". A heterogloss is a line which attempts to demarcate the bounds of the distribution of a single feature. Where the bounds of the distributions of two features meet, there will be two boundary lines --- one for each feature. Heteroglosses allow us to see where there are overlaps between the distributions.


 引用にもある通り,方言連続体 (dialect_continuum) の現実を理解する上でも,"heterogloss" という概念・用語の導入は重要である.関連して「#4114. 方言(特に中英語の方言)をどうとらえるか」 ([2020-08-01-1]) も参照されたい.

 ・ Williamson, Keith. "Middle English: Dialects." Chapter 31 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 480--505.

Referrer (Inside): [2020-08-10-1] [2020-08-07-1]

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2020-08-01 Sat

#4114. 方言(特に中英語の方言)をどうとらえるか [me_dialect][dialectology][dialect][variety][geography][isogloss][sociolinguistics][dialect_continuum]

 方言 (dialect) をどうみるかという問題は,(社会)言語学の古典的なテーマである.この問題には,言語と方言の区別という側面もあれば,方言どうしの区分という側面もある(cf. 「#4031. 「言語か方言か」の記事セット」 ([2020-05-10-1]),「#1501. 方言連続体か方言地域か」 ([2013-06-06-1])).そもそも方言とは言語学的にいかに定義できるのか,という本質的な問いもある.
 英語史研究では中英語方言 (me_dialect) が広く深く調査されてきたが,現在この分野の権威の1人といってよい Williamson (481) が,(中英語)方言とは何かという核心的な問題に言及している.議論の出発点となりそうな洞察に富む指摘が多いので,いくつか引用しておこう.

The most significant and paradoxical finding of dialect geography has been the non-existence of dialects, the objects which it purports to study. A "dialect" is a construct: a reification of some assemblage of linguistic features, defined according to criteria established by the dialectologist. These criteria may be linguistic, extra-linguistic, or some combination of these two kinds.


A (Middle English) dialect can be considered to be some assemblage of diatopically coherent linguistic features which co-occur over all or part of their geographical distributions and so delineate an area within the dialect continuum. Adding or taking away a feature from the assemblage is likely to alter the shape of this area: addition might reduce the area's size, subtraction, increase it. Any text which contains that assemblage of features can be considered as having its provenance within that area.


Linguistic variation across space exists because languages undergo change as a natural consequence of use and transmission from generation to generation of speakers. A linguistic change takes place in a community and subsequently becomes disseminated through time and across space as the next generation of speakers and neighboring communities adopt the change. A "dialect continuum" emerges from the language contacts of speakers in neighboring communities as they share some features, but not others. A continuum is thus made up of a set of overlapping distributions of linguistic features with varied geographical extents --- some extensive, some local. A continuum is not static and is constantly shifting more or less rapidly through time.


 特に2つめと3つめの引用は,方言連続体 (dialect_continuum) の精確な定義となっている.この方言観は「#1502. 波状理論ならぬ種子拡散理論」 ([2013-06-07-1]) とも通じるだろう.

 ・ Williamson, Keith. "Middle English: Dialects." Chapter 31 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 480--505.

Referrer (Inside): [2020-08-10-1] [2020-08-06-1]

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2020-04-24 Fri

#4015. いかにして中英語の発音を推定するか [methodology][phonetics][phonology][comparative_linguistics][reconstruction][cognate][me][dialect][spelling][sobokunagimon]

 録音記録など直接の音声証拠が残っていない古い時代の言語音をいかにして推定するかという問いは,素朴な疑問でありながら,歴史言語学にとって本質的な課題である.英語史におけるこの課題については,これまでも一般的な観点から「#437. いかにして古音を推定するか」 ([2010-07-08-1]),「#758. いかにして古音を推定するか (2)」 ([2011-05-25-1]) などで取り上げてきた.
 しかし,推定の対象となる時代によっても,推定のために利用できる手段には違いがある.今回は Smith (40) を参照して,とりわけ中英語の発音を推定する方法に注目してみたい.5点ほど挙げられている.

a) "reconstruction", both comparative (dealing with cognate languages) and internal (dealing with paradigmatic variation);
b) analysis of "residualisms" surviving in modern accents of English;
c) analysis of the writings of spelling-reformers and phoneticians from the Early Modern English period, supplying information about usages closer to the Middle English period than now;
d) analysis of contemporary verse-practices, based on the analysis of rhyme, alliteration and meter; and
e) analysis of spellings.


 逆順にコメントを加えていきたい.e) のスペリングの分析というのは拍子抜けするくらい当たり前のことに思われるかもしれない.中英語は表音文字を標榜するローマン・アルファベットを用いて書かれている以上,単語のスペリングを参考にするのは当然である.しかし,現代英語の発音とスペリングの関係を考えてみれば分かるように,スペリングは素直に発音を表わしているわけではない.したがって,中英語においても完全に素直に発音を表わしていたわけではいだろうという懐疑的な前提がどうしても必要となる.それでも素直ではないとはいえ少なくとも間接的な形で発音を表わそうとしていることは認めてよさそうであり,どのように素直でないのか,どのくらい間接的なのかについては,当時の文字体系やスペリング体系の詳細な分析を通じてかなりの程度明らかにすることができる.
 d) は韻文の利用である.中英語の韻文は,とりわけ後期にかけて大陸から新しくもたらされた脚韻 (rhyme) が栄えた.脚韻の証拠は,とりわけ母音の質量や強勢位置に関して多くの情報を与えてくれる.一方,古英語で隆盛をきわめた頭韻 (alliteration) は中英語期には陰りをみせたものの,北西方言を中心に根強く生き残り,中英語の子音や強勢位置に関するヒントを与え続けてくれる.また,韻文からは,上記の脚韻や頭韻とも密接に関わるかたちで韻律 (meter) の種々の要素が,やはり当時の発音に示唆を与えてくれる.
 c) は,後続する近代英語期に史上初めて本格的に現われてくる音声学者たちによる,当時の発音についてのメタ・コメントに依拠する方法である.彼らのコメントはあくまで近代英語期の(主として規範的な)発音についてだが,それが正確に推定できれば,前代の発音についても大きなヒントとなろう.一般的な音変化の特徴を理解していれば,出力(近代英語期の発音)から逆算して入力(中英語期の発音)を得られる可能性が高まる.
 b) 近現代の周辺的な方言には,非常に古い形式が残存していることがある.時間軸をさかのぼるのに空間軸をもってする,という手法だ.関連して「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]),「#2019. 地理言語学における6つの原則」 ([2014-11-06-1]) などを参照されたい.
 最後に a) は,関連する諸言語との比較 (comparative_linguistics) に基づく再建 (reconstruction) や内的再建による理論的な推定法である.再建というと,文献のない時代の言語を復元する手法と思われるかもしれないが,文献が確認される古英語,中英語,近代英語においても証拠の穴を埋めるのに十分に利用され得る.
 中英語の発音の研究は,上記のような数々の手法で進められてきており,今では相当詳しいことが明らかにされている.

 ・ Smith, Jeremy J. "Periods: Middle English." Chapter 3 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 32--48.

Referrer (Inside): [2023-11-14-1] [2021-08-21-1]

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2019-09-04 Wed

#3782. 広島慶友会の講演「英語史から見る現代英語」を終えて [keiyukai][hel_education][slide][link][sobokunagimon][dialect][fetishism][slide]

 「#3774. 広島慶友会での講演「英語史から見る現代英語」のお知らせ」 ([2019-08-27-1]) でお知らせしたとおり,先週末の土日にわたって広島慶友会にて同演題でお話ししました.5月の準備の段階から広島慶友会会長・副会長さんにはお世話になっていましたが,当日は会員の皆さんも含めて,活発な反応をいただき,英語・日本語の話題について広く話し会う機会をもつことができました.
 初日の土曜日には,「英語史で解く英語の素朴な疑問」という演題でお話しし,その終わりのほうでは,参加者の皆さんから具体的な「素朴な疑問」を募り,それについて英語史の観点から,あるいはその他の観点から議論できました.特に言語ごとに観察される「クセ」とか「フェチ」の話題に関しては,その後の懇親会や翌日の会にまで持ち越して,楽しくお話しできました(言語の「フェチ」については,fetishism の各記事を参照).
 2日目の日曜日には,「英語の方言」と題して,方言とは何かという根本的な問題から始め,日本語や英語における標準語と諸方言の話題について話しました.こちらでも活発な意見をいただき,私も新たな視点を得ることができました.
 全体として,土日の公式セッションおよび懇親会も含めまして,参加された皆さんと一緒に英語というよりは,言語について,あるいは日本語について,おおいに語ることができたと思います.非常に有意義な会でした.改めて感謝いたします.
 せっかくですので,講演で用いたスライド資料をアップロードしておきます.

 ・ 講演会 (1): 英語史で解く英語の素朴な疑問
 ・ 講演会 (2): 英語の方言

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2019-08-27 Tue

#3774. 広島慶友会での講演「英語史から見る現代英語」のお知らせ [notice][keiyukai][hel_education][sobokunagimon][dialect]

 今週末8月31日(土)の14時?17時,および翌日9月1日(日)の10時?12時に,広島慶友会にて「英語史から見る現代英語」と題する2回の講演を行ないます.場所は,広島YMCA国際文化センター3号館3階です.公式の案内はこちらです.
 大雑把な演題ではありますが,初日の土曜日は,英語に関する様々な素朴な疑問を具体的に取り上げ,英語史の観点から解決していくという趣旨で話しを進める予定です.講演の後半には,参加している皆さんからの疑問を受け付け,一緒に議論していくということも考えています.関連して,同趣旨の本ブログ記事「#3677. 英語に関する「素朴な疑問」を集めてみました」 ([2019-05-22-1]),あるいは sobokunagimon の各記事もご覧ください.
 2日目の日曜日のセッションは,英語の方言について考えます.そもそも方言とは何か,言語と方言とはどう異なるのかという話しから始め,日本語の諸方言を参照しつつ,イングランドで話されている現代英語の地域方言をのぞいてみます.言語・方言の死,方言差別,世界の様々な英語,世界語としての英語のもつ求心力と遠心力などの話題に触れながら,英語の枠内にとどまらず,広く言語・方言の多様性について考えていきたいと思います.この議論を通じて,私たちが日々学び,用いている標準英語が,現代世界においてどのような立ち位置にあるか,よく分かるようになると思います.今後の英語との付き合い方を考える上で参考になるはずです.こちらの話題に関しては,dialectworld_englishes などの記事を参照ください.

Referrer (Inside): [2019-09-04-1]

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