ここ数日,小笠原諸島返還50年の話題がメディアで取り上げられている.去る6月28日が返還日だった.朝日新聞デジタルより,いくつかの記事へのリンクを張ろう.1830年に初めて小笠原へやってきたアメリカ人セーボレーの子孫の方々の写真もみられる.
・ 「絶海の島,戦禍越え文化溶け合う 小笠原返還50年」
・ 「まるで大河ドラマ 世界遺産・小笠原,その数奇な運命」
・ 「戦争が島の絆を引き裂いた 「小笠原返還の歌」誕生秘話」
・ 「亡き兄の夢を羅針盤に,たどり着いた小笠原 新島民は今」
小笠原諸島の言語史・事情は非常に特殊であり,「#2559. 小笠原群島の英語」 ([2016-04-29-1]) と「#2596. 「小笠原ことば」の変遷」 ([2016-06-05-1]) で話題にしてきた.まだ分かっていないことも多いのだが,言語混交が濃密かつ高速に生じてきた歴史をもつとされ「言語の圧力鍋」と呼ばれている(ロング,p. 155).
以下,7月1日の朝日新聞朝刊に掲載されていた「小笠原年表」を引用しておきたい.小笠原の歴史,現在,未来に想いを馳せましょう・・・.
1830年 | 父島に欧米や太平洋諸島の二十数人移住 |
76年 | 明治政府が領有宣言 |
82年 | 欧米系島民らが帰化 |
95年 | 諸島の人口約4千人に(最大は1944年の7711人) |
1941年 | 太平洋戦争勃発 |
45年 | 2月,米海兵隊が硫黄島上陸.死者は米国側6821人,日本側2万1千人超;8月,終戦 |
46年 | 欧米系島民129人が帰島 |
52年 | サンフランシスコ講和条約発効.小笠原諸島・沖縄・奄美が米国施政権下に |
65年 | 日本人旧島民が初めて墓参 |
68年 | 6月26日,小笠原諸島返還.日本人の帰島始まる |
72年 | 4月,東京・父島間の定期船就航 |
76年 | 5月,父島・母島間の定期船就航 |
79年 | 4月,諸島全域が小笠原村 |
83年 | 6月,小笠原・本土間の電話,ダイヤル即時通話が可能に |
88年 | 鈴木都知事が兄島飛行場建設案を公表 |
96年 | 飛行場予定地で希少植物が見つかり,後に飛行場案は撤回 |
2005年 | 超高速船計画が頓挫 |
2011年 | 6月,世界自然遺産登録;7月,海底光ケーブル敷設で地上デジタル放送視聴や高速データ通信が可能に |
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow