10月に昭和堂から出版された『World Englishes 入門』について,本ブログでも多く取り上げてきています.先日,本書の第12章「韓国の英語」を執筆された小林めぐみ先生(成蹊大学)と Voicy heldio にて対談しました.韓国は身近な国ですし,韓国が過酷な学歴社会であることや,関連する教育事情についての情報も入ってくることはあります.しかし,とりわけ英語教育事情については,知っているようでほとんど知らなかったことに,本書を読んで気づきました.今回の対談では執筆者の先生に直接お話しを伺い,たいへん勉強になりましたし,何よりもおしゃべりを楽しむことができました.小林先生,ご出演ありがとうございました.そして,今後ともどうぞよろしくお願いいたします.
本編で30分ほどの音声コンテンツとなっています.「#925. 著者と語る『World Englishes 入門』(昭和堂,2023年) --- 小林めぐみ先生との韓国の英語をめぐる対談」です.ぜひお聴き下さい.
今回話題となった本書の第10章「韓国の英語」 (pp. 163--75) は,以下の構成となっています.章末には「研究テーマ」コーナーと参考文献も付されています.
・ 大石 晴美(編) 『World Englishes 入門』 昭和堂,2023年.
昨日の記事「#5140. shibboleth 「試し言葉」」 ([2023-05-24-1]) で,民族や言語集団を区別する手段としての言語という,言語の負の側面をみた.このような事例は古今東西にみられる.
本ブログでこれまで何度か参照してきた山本冴里(編)『複数の言語で生きて死ぬ』(くろしお出版,2022年)の第4章 (pp. 61--76) では,この話題が取り上げられている.「ペレヒルと言ってみろ --- 「隔てる」ものとしてのことば」と題する第4章の扉には,次の文が掲げられている.
「われわれの一員」と「排除と虐殺の対象」とを
外見からは判断できないとき,
歴史上幾度も利用されてきたのは,
何らかの言葉を発音させることだった.
1つ目の例として取り上げられているのは,ドミニカ共和国(公用語はスペイン語)においてハイチ人(ハイチクレール語を母語とする)をあぶり出すために,パセリを意味するスペイン語「ペレヒル」の発音が試し言葉として利用された例である.史実をもとにしたフィクション(舞台は1937年のドミニカとハイチ)のなかで,[r] と [l] の難しい発音の組み合わせを含む「ペレヒル」が踏み絵として用いられる事例が示されている.両音の区別が苦手な日本語母語話者としても背筋が凍る.
もう1つの例は,むしろ日本語母語話者が朝鮮人を区別するために利用した恐るべき試し言葉である.「十五円五十銭」は,1923年の関東大震災の混乱のなかで朝鮮人が井戸に毒を入れたとの流言蜚語が乱れ飛んだ際に,朝鮮人を識別する踏み絵として利用された.山本 (68--69) は次のように解説する.
なぜ,このとき,「十五円五十銭」を言わせたのか.ほかの記録には,「十円五十銭」「十五円五十五銭」なども残っている.「ご」「じゅう」は濁音で始まるが,朝鮮語では,語頭は濁らない.さらに,「じゅう」の「じ」は,ザ行だ.ザ行にもっとも近く対応する朝鮮語は,「ㅈ」であり,これはザ行よりもやや口の奥に下を当て,より弾くように発音する音である.結果的には,「じゅう」は,ひらがなで書くならば「ちゅう」のような音で聞こえる.
関東大震災時の流言蜚語,朝鮮人虐殺と,この「十五円五十銭」については,安田 (2015) が詳細な分析を行い,「語頭に濁音がこないという単なる現象が『発音できない』という否定的言辞と化すのは,区別・識別して『かれら』を析出する必要性が潜在的に存在していたからだろう.そしてこの識別法は朝鮮人虐殺の記憶へとつながっていく」と記す.
ウチとソトを分ける手段としての言語.優越と劣等を生み出す装置としての言語.言語のもつネガティヴな側面について,改めて考えたい.
・ 山本 冴里(編) 『複数の言語で生きて死ぬ』 くろしお出版,2022年.
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