昨日の記事で紹介した「#2170. gravity model」 ([2015-04-06-1]) は言語変化の地理的な伝播を説明する優れた仮説だが,限界もある.このモデルでは,伝播の様式は2地点間の距離と各々の人口規模によって定まると仮定されるが,実際にはこの2つのパラメータのほかにもいくつかの要因を考慮する必要がある.例えば,言語に限らず一般的な伝播の研究を行っている Rogers は,(1) the phenomenon itself,(2) communication networks, (3) distance, (4) time, (5) social structure の5変数を主要因として掲げているが,gravity model が扱っているのは (3) と,大雑把な意味においての (2) のみである.
では,Wolfram and Schilling-Estes (726--33) を参照しながら,他の要因を考えていこう.まず,地理境界がある場合の "barrier effect" が考慮されなければならないだろう.例えば,イングランドとスコットランドの境界は,そのまま重要な英語の方言境界ともなっている.スコットランドの境界内で生じた言語変化がスコットランド内部で波状に,あるいは都市伝いに伝播することがあっても,境界を越えてイングランドの境界内へ伝播するかどうかはわからないし,逆の場合も然りである.津軽藩と南部藩の境界を挟んだ両側の村で,方言が予想される以上に異なっていたという状況も,過去に起こった数々の言語変化が互いに境界を越えて伝播しなかったことを示唆する.
次に,gravity model はもともと物理学の理論の人文社会科学への応用であり,後者とて一般論で語ることはできない.例えば,文物の伝播の様式と言語の伝播の様式に関与する要因は異なるだろう (cf. 「#2064. 言語と文化の借用尺度 (1)」 ([2014-12-21-1]),「#2065. 言語と文化の借用尺度 (2)」 ([2014-12-22-1])).例えば,言語の伝播を論じる際には,言語体系への埋め込み (embedding) の側面も考慮する必要があるが,gravity model はそのようなパラメータを念頭に置いていない.言語体系に関するパラメータについては,「#1779. 言語接触の程度と種類を予測する指標」 ([2014-03-11-1]),「#1781. 言語接触の類型論」 ([2014-03-13-1]),「#2011. Moravcsik による借用の制約」 ([2014-10-29-1]),「#2067. Weinreich による言語干渉の決定要因」 ([2014-12-24-1]) を参照.ただし,言語体系間の類似性が,言語項の伝播や借用においてどの程度の効果をもつかについては否定的な議論も少なくないことを付け加えておきたい.
さらに,gravity model は地理的な伝播についての仮説であり,社会的な伝播を度外視しているという問題がある.1つの地域方言の内部には複数の社会的な方言が区別されるのが普通である.言語変化がある地域方言へ伝播するというとき,その地域方言内のすべての社会方言に同時に伝播するとは限らず,特定の社会方言にのみ伝播するということもありうる.gravity model は地理的な横の軸に沿った伝播しか考慮していないが,言語変化の伝播を考察する上では社会的な縦の軸も同じくらいに重要なのではないか.
social_network の理論によれば,弱い絆 (weakly_tied) をもつ個人や集団が,言語変化を伝播する張本人となるとされる.gravity model は人口規模の大きいところから小さいところへというマクロのネットワークこそ意識しているが,特定の個人や集団の関与するミクロのネットワークは考慮に入れていないという欠点がある.この欠点を補う視点として,「#882. Belfast の女性店員」 ([2011-09-26-1]),「#1179. 古ノルド語との接触と「弱い絆」」 ([2012-07-19-1]),「#1352. コミュニケーション密度と通時態」 ([2013-01-08-1]) を参考にされたい.
最後に,人口規模の小さい地域から大きい地域へと「逆流」する "contra-hierarchical diffusion" の事例も報告されている.昨日の記事でも触れたように Oklahoma では,/ɔ/ -- /a/ の吸収が gravity model の予想するとおりに都市から田舎へと hierarchical に伝播しているが,同じ Oklahoma で準法助動詞 fixin' to (= going to) はむしろ田舎から都市へと contra-hierarchical に伝播していることが確認されている.Tennessee の鼻音の前の /ɪ/ と /ɛ/ の吸収も同様に contra-hierarchical に伝播しているという.日本語でも,「#2074. 世界英語変種の雨傘モデル」 ([2014-12-31-1]) で少し話題にしたように,方言形の東京への流入という現象は意外と多くみられ,contra-hierarchical な伝播が決して稀な事例ではないことを示唆している.
・ Wolfram, Walt and Natalie Schilling-Estes. "Dialectology and Linguistic Diffusion." The Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Malden, MA: Blackwell, 2003. 713--35.
・ Rogers, Everett M. Diffusion of Innovations. 5th ed. New York: Free Press, 1995.
言語変化の地理的な伝播の様式について,波状理論 (wave_theory) やその結果としての方言周圏論 (cf. 「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1]))がよく知られている.池に投げ込まれた石の落ちた地点から同心円状に波紋が拡がるように,言語革新も発信地から同心円状に周囲へ伝播していくという考え方である.
しかし,言語変化は必ずしも同心円状に地続きに拡がるとは限らない.むしろ,飛び石伝いに点々と拡がっていくケースがあることも知られている.「#2034. 波状理論ならぬ飛び石理論」 ([2014-11-21-1]),「#2037. 言語革新の伝播と交通網」 ([2014-11-24-1]),「#2040. 北前船と飛び石理論」 ([2014-11-27-1]) などの記事で論じたように,飛び石理論のほうが説明として有効であるような言語変化の事例も散見される.この飛び石理論とほぼ同じ発想といってよいものに,社会言語学や方言学の文献で gravity model あるいは hierarchical model と呼ばれている言語変化の伝播に関するモデルがある.これは Trudgill が提起した仮説で,Wolfram and Schilling-Estes (724) が次のような説明を与えている.
According to this model, which is borrowed from the physical sciences, the diffusion of innovations is a function not only of the distance from one point to another, as with the wave model, but of the population density of areas which stand to be affected by a nearby change. Changes are most likely to begin in large, heavily populated cities which have historically been cultural centers. From there, they radiate outward, but not in a simple wave pattern. Rather, innovations first reach moderately sized cities, which fall under the area of influence of some large, focal city, leaving nearby sparsely populated areas unaffected. Gradually, innovations filter down from more populous areas to those of lesser population, affecting rural areas last, even if such areas are quite close to the original focal area of the change. The spread of change thus can be likened not so much to the effects of dropping a stone into a pond, as with the wave model, but, as . . . to skipping a stone across a pond.
gravity model の要点は,言語革新の伝播は,波状理論のように地点間の距離に依存するだけではなく,各地点の人口規模にも依存するということである.これは,2つの天体の引き合う力が距離と密度の関数であることに比較される.距離と人口規模の2つの変数のもとで伝播の様式が定まるという gravity model は,従来の波状理論をも取り込むことができる点で優れている.というのは,距離のみを有効な変数とし,人口規模の変数を無効とすれば,すなわち波状理論となるからである.
gravity model に沿った言語変化の事例報告は少なくない.Wolfram and Schilling-Estes (725) に挙げられている例のうち英語に関するものについていえば,London で開始された語頭の h-dropping が,中間の地域を飛び越えて直接 East Anglia の Norwich へと飛び火したという事例が報告されている.Chicago で生じた [æ] の二重母音化や [ɑ] の前舌化も,同様のパターンで Illinois 南部の諸都市へ伝播した.Oklahoma での /ɔ/ -- /a/ の吸収の伝播も然りである.
ただし,仮説の常として,gravity model も万能ではない.実際の伝播の事例を観察すると,距離と人口規模以外にもいくつかの変数を想定せざるを得ないからである.gravity model の限界については,明日の記事で取り上げる.
・ Wolfram, Walt and Natalie Schilling-Estes. "Dialectology and Linguistic Diffusion." The Handbook of Historical Linguistics. Ed. Brian D. Joseph and Richard D. Janda. Malden, MA: Blackwell, 2003. 713--35.
「#2034. 波状理論ならぬ飛び石理論」 ([2014-11-21-1]) 及び「#2037. 言語革新の伝播と交通網」 ([2014-11-24-1]) で話題にしたように,言語革新は,その他の文化的革新と同様に,交通網に沿って伝播することが多かった.現代はテレビやインターネットなど各種のメディアが発達し,物理的な障害をいともたやすく飛び越えていく時代だが,近代までは物理的な交通こそが,あらゆる文化的伝播の基礎にあった.
ある一地方で始まった言語革新や,ある一地方に限定されていた方言形が,交通網に沿って伝播する例は,近世の日本にもみられる.明治期までの日本の物流の幹線は,内陸の街道ではなく,沿海の航路である.江戸初期の寛永年間 (1624--44) に河村瑞賢 (1618--99) により本州を巡る廻船航路が開かれると,廻米船が本州の沿岸を頻繁に巡るようになった.大阪,瀬戸内海,日本海岸,酒田を巡る西廻り航路と,江戸,太平洋岸,日本海岸,酒田を巡る東廻り航路と,大阪,太平洋岸,江戸を巡る南海路があった.特に日本海岸を往来した西廻り航路の北前船の活躍がよく知られている.廻船は佐渡,酒田,松前,宮古,銚子などに寄港し,これらの港町に上方の物品,文化,そして方言を伝えた.いわば途中の中小の港町や内陸部を飛び越えて,遠く離れた大きな港町へ飛び石風に上方方言を伝えることとなったのである. *
具体例を挙げれば,西廻り航路の要衝だった佐渡には京都風の敬称「?はん」(共通語の「?さん」に相当)が行われているほか,「行かない」の意の近畿方言形「いきゃせん」,「いとおしむ」の意の東北方言形「かなじゅむ」,「だけど」の意の九州方言形「ばってん」などが聞かれる(井上,p. 44).また,宮古など岩手県の沿岸部や千葉県の銚子では「ありがとう」の意味での「おおきに」が聞かれる.ほかに銚子方言では「煮る」ことを「たく」と表現するが,これも上方の方言に倣ったものである.周囲にそのような方言形が行われている地域がなく,孤立した分布を示しているため,これらは当時の廻船航路という交通網に沿っての飛び石現象と解釈するよりほかない.また,八丈島の「おじゃる」は古い京都の方言で,黒潮に乗って流れ着いたと言われており,広い意味で交通網に沿った方言形の伝播の例といってよい(井上,pp. 8--9).
北前船の活躍は幕末から明治初期が最盛期だったが,その後に汽船や内陸鉄道網の発達で衰退していった.それとともに方言伝播のルートも変わっていったものと思われる.
・ 井上 史雄(監修) 『方言と地図』 フレーベル館,2009年.
「#2034. 波状理論ならぬ飛び石理論」 ([2014-11-21-1]) で,都市から都市への言語革新の伝播に触れた.交通が未発達の社会では,人々の行動半径は大きくなく,移動は近隣の地域に限られる.その場合には,言語革新の伝播の様式は,波状理論 (wave_theory) で予想されるとおりの波紋状になるだろう.しかし,交通が発達した社会では,言語革新は例えば道路網や鉄道網に沿うなどして,互いに遠く離れた都市から都市へと飛び石のように伝播するだろう.このように波状理論と飛び石理論は互いに矛盾するものではなく,むしろその社会の交通の発達度を変数とする,より一般的な理論へと止揚できるように思われる.
刷新形の伝播と交通網とがいかに連動しているかを知るには,イングランド南部で「かいばおけ」を表わす標準形 manger が伝統方言形 trough を置換していく過程と分布を眺めるのがよい.Survey of English Dialects のための調査が進められていた20世紀半ばには,この地域では伝統方言形 trough が行われていたが,北から標準形 manger が着実に浸透しつつあった.その侵入の経路を詳しくみてみると,ロンドンから南西,南,南東へ延びる幹線道路と鉄道網にぴったりと沿いながら浸透していることがわかったのである.結果として,交通網に沿った地域では新形 manger が早く根付いたが,交通網から外れた地域では古形 trough が持続しているという状況が示された.以下,Trudgill (130--31) より,方言地図と交通地図を示す(両地図がいかに重なるかを見るには,こちらのGIFアニメーションをどうぞ.)
It can be seen that each of the three southward-encroaching prongs of the manger area, two of which actually reach the coast, coincide with the main London to Dover road and rail route, the main London to Brighton route, and the main route from London to Portsmouth. The spread of the incoming form is clearly accelerated in areas with good communications links, and is retarded in more isolated areas. (Trudgill 132)
言語革新に限らず,モノにせよウィルスにせよ情報にせよ,あらゆるものが交通網に沿って,より一般的にはコミュニケーション・ネットワークに沿って移動し伝播する.考えてみれば当然のことだが,南イングランドにおける「かいばおけ」の例のように地図で示されると,そのことが具体的に理解でき,納得できる.方言地理学がいかにダイナミックであるかを味わわせてくれる好例だろう.「#1543. 言語の地理学」 ([2013-07-18-1]) の分野からの研究例としても評価できる.
・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.
言語革新がある地点から波状に伝播していくという波状理論 wave_theory について,その具体例を「#1000. 古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]),「#1045. 柳田国男の方言周圏論」 ([2012-03-07-1]),「#1055. uvular r の言語境界を越える拡大」 ([2012-03-17-1]),「#1505. オランダ語方言における "mouse"-line と "house"-line」 ([2013-06-10-1]),「#1506. The Rhenish fan」 ([2013-06-11-1]) などでみてきた.波状理論の最も純粋な解釈によれば,言語革新はある地点から文字通り同心円の波紋を描きながら拡がっていくとされる.これを現実的な地理空間の用語で言い換えると,言語革新は中心地となる町や村から,東西南北あらゆる方向へ,隣り合う町や村に順次伝播していくということになる.
しかし,この純粋な波状理論には当てはまらない伝播の事例も数多く例証される.言語革新のみならず文化的流行にせよ疫病にせよ,必ずしも隣り合う町伝い,村伝いに伝播するとは限らず,遠く離れた地点へ飛び火するということがありうる.とりわけ交通網の発達した社会では,周辺の村邑を素通りして,大都市間で革新が共有されるタイミングのほうが早いことが多い.例えば,東京発信の革新は,関東外縁へ波状に広まるよりも,東海道新幹線に沿って飛び飛びに横浜,名古屋,京都,大阪へ伝わるほうが早いかもしれない.この場合,波状理論というよりは飛び石理論を想定したくなる.しかし,両理論は排他的な関係ではない.飛び石の各着地点(上の例では横浜,名古屋,京都,大阪)からは,着地の刺激によりそこを中心にやはり新しい波紋が広がりだす.したがって,波状理論のほうがより基本的なモデルであるらしいことがわかる.
飛び石理論は Chambers and Trudgill による提案だが,拙著で関連する以下の文章を書いたことがあるので引用しておきたい.
As for dialect-to-dialect change, the wave model was first proposed to describe the geographical diffusion of linguistic innovation. Then some geographically aware linguists developed an extended theory on linguistic diffusion over space. Chambers and Trudgill, for example, advanced the gravity model against the wave model to account for the path along which innovation diffuses in space (166). In this model, a linguistic innovation is likened to a stone skipping across a pond because it spreads not necessarily from a speaker or place to the immediate next but jumps from a speaker or place to another which may be geographically apart but socially connected. For example, linguistic innovation can spread from a big city to another, skipping through small towns in between. (Hotta 173)
言語革新の伝播に関する飛び石理論の具体例としては,イングランド伝統方言における「橋」を表わす bridge (標準語形)と brig の方言分布が挙げられる(以下,地図は Upton and Widdowson 154 より).前者は古英語の本来的な形態 (brycg) を継承する語形であり,後者は古ノルド語の同根語の形態 (bryggja) より影響を受けたとされる語形である.基本的な方言形の分布としては,イングランド南部の大半で bridge が,北部では brig が行われているが,北部の東岸に2箇所,それぞれ離れたエリアに,bridge が用いられている小区画がある.1つは最北の Newcastle, Sunderland, Durham を含むエリア,もう1つはより南の Humber 河口の Grimsby を含むエリアである.周囲がすべて brig である地域に,2つの小区画がポツポツと小島のように浮かんでいる印象だ.これは,南から勢力を拡げる標準語形 bridge が,波状でじわじわと北部に詰め寄っているというよりは,北部東海岸の都市から都市へと飛び石風に分布を拡げているという伝播の仕方を示唆する.そして,その北部東海岸の各都市から近郊へと,今度はおよそ波状に分布を拡げていったという具合だ.
Trudgill (129, 132) はイングランドの都市化の潮流と関連づけて,この方言形の分布を読み解いている.
The geographical patterning of the occurrence of the two words suggests that the southern and Standard English word is beginning to spread north, and in a rather interesting way. In its spread northwards, bridge has first invaded the coastal city areas of Sunderland and Grimsby, and then spread outwards again from these centres. This is just one example of the importance of urban centres in the spreading of new forms in language . . ., and of the way in which the increasing urbanization of England has contributed in this century to the loss of Traditional Dialects.
・ Hotta, Ryuichi. "The Development of the Nominal Plural Forms in Early Middle English." PhD thesis, University of Glasgow. Glasgow, November 2005.
・ Chambers, J. K. and Peter Trudgill. Dialectology. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1998.
・ Upton, Clive and J. D. A. Widdowson. An Atlas of English Dialects. 2nd ed. Abingdon: Routledge, 2006. *
・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.
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