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先日,「#4809. OED で vernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1]) の記事で,英単語としての vernacular の初出が OED によれば1601年だったことを述べた.「(ラテン語ではなく)英語で書く(人)」ほどを意味する形容詞として使われている.
その後については,OED の用例の収集方法に関わる事情があるのかもしれないが,17世紀中からの用例は意外と少ない.しかし,18世紀以降,とりわけ19世紀以降には,様々な語義や名詞としての用法が現われ,例文も増えてくる.詳しい分布については,近代英語期のコーパスなどで調べる必要がありそうだ.
なお,OED によると,1607年には vernaculous という類義の形容詞も初出しており,17世紀中には廃語となってしまったようだが,言語を形容する語義でも用例が確認される.
さて,vernacular が初出したのが17世紀の最初の年だったという事実は非常に興味深い.世紀の変わり目に当たるこの時代は,イングランドに土着の英語が,ヨーロッパの威信の言語であるラテン語に追いつこうともがきながら,着実に自信を獲得しつつあった時代だったからだ.英語が,イングランドの公的な書き言葉の世界において,ラテン語に代わる言語として存在感を増し,市民権を主張し始めた時期である.より詳しくは,以下の記事を参照.
・ 「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1])
・ 「#2580. 初期近代英語の国語意識の段階」 ([2016-05-20-1])
・ 「#2611. 17世紀中に書き言葉で英語が躍進し,ラテン語が衰退していった理由」 ([2016-06-20-1])
英語が書き言葉において市民権を獲得しようともがいていた,この時期の潮流を指して,私は「英語史における『言文一致運動』」と呼んでいる(cf. 「#3314. 英語史における「言文一致運動」」 ([2018-05-24-1])).かの明治期日本の「言文一致運動」に範を得た呼び名ではあるが,イングランドのみならずヨーロッパの他国でも近代初期に同じような潮流がみられたということも考え合わせると,まさに「対照言語史」 (contrastive_language_history) としてふさわしい話題となるだろう.この視点については,近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』のために私が執筆した「第6章 英語史における『標準化サイクル』」のなかでも触れている.これについては,「#4776. 初の対照言語史の本が出版されました 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』」 ([2022-05-25-1]),「#4784. 『言語の標準化を考える』は執筆者間の多方向ツッコミが見所です」 ([2022-06-02-1]) を参照されたい.
このように17世紀前半は,英語がラテン語に対抗して自信を獲得していく時期として位置づけられ,一種の反骨精神をもって vernacular という単語を用い始めたのではないかと推測してみることができる.ただし,この単語自体がラテン語からの借用語であるという点も見逃してはならない.英語は,あくまでラテン語の威光にすがりながらゆっくりと自信をつけていたのである.「#2611. 17世紀中に書き言葉で英語が躍進し,ラテン語が衰退していった理由」 ([2016-06-20-1]) の記事の最後で述べたとおり
威信ある世界語としてのラテン語の衰退は一朝一夕にはいかず,それなりの時間を要した.同じように,土着語たる英語の威信獲得にも,ある程度の期間が必要だったのである.
「英語に関する不平不満の伝統」 (complaint_tradition) は,英語のお家芸ともいえる.hellog でも「#3239. 英語に関する不平不満の伝統」 ([2018-03-10-1]),「#4596. 「英語に関する不平不満の伝統」の歴史的変化」 ([2021-11-26-1]) などでこの伝統について考えてきた.英米では語法の正用・誤用への関心が一般に高く,「#301. 誤用とされる英語の語法 Top 10」 ([2010-02-22-1]) のような議論がよく受ける.間違えたところでコミュニケーション上の障害にはならない,取るに足りない語法がほとんどなのだが,このような小さな点にこだわる「文化」が育まれてきたといってよい.
Horobin は著書の最終章 "Why Do We Care?" にて,この「文化」の背景を探っている.論点はいくつかあるが,大きく3点あるように読める.
(1) 英語話者は,自身が英語の不条理と長年付き合ってきた結果,英語を使いこなせるに至ったという経験をもつため,いまさら語法の正用・誤用について中立的な視点をもつことができない.Horobin (153) の言葉を引けば,次の通り.
. . . as users of English, it is impossible for us to take an external stance from which to observe current usage. As we have all had to acquire the English language, negotiating its grammatical niceties, its fiendishly tricky spellings, and its unusual pronunciations, it is impossible for us to adopt a neutral position from which to observe debates concerning correct usage.
単純化していってしまえば「私はこんなにヘンテコな語法ばかりの英語を頑張って習得してきた.だから,他の皆にも同じ苦労を味わってもらわなければ不公平だ」という気持ちに近い.
(2) 語法に関する本,「良い文法」に関する本は市場価値があり,よく売れる.現代はあらゆるものの変化が早く,言葉に関して頼りになる不変の支柱があれば,人々は安心するものである.Horobin (155) 曰く,
Much of the success of style guides may be credited to society's tacit acceptance that there are rights and wrongs in all aspects of usage, and a desire to be saved from embarrassment. Rather than question the grounds for the prescription, we turn to usage pundits as we once turned to our schoolteachers, in search of guidance and certitude. In a fast-changing and uncertain world, there is something reassuring about knowing that the values of our schooldays continue to be upheld, and that the correct placement of an apostrophe still matters.
(3) ラテン語文法への信奉.ラテン語は屈折の豊富な「立派な」言語であり,文法も綴字も約2千年のあいだ不変だった.それに対して,英語は屈折を失った「堕落した」言語であり,文法も綴字もカオスである.英語もラテン語のような不変で盤石の言語的基盤をもつべきである,という言語観.Horobin (162--63) の解説を引こう.
Since Latin had not been a living language (one with native speakers) for centuries, it existed in a fixed form; by contrast, English was unstable and in decline. This view of Latin as a unified and fixed entity perseveres today, encouraged by the way modern textbooks present a single variety (usually that of Cicero), suppressing the wide variation attested in original Latin writings. Since the eighteenth century, efforts to outlaw variation and to introduce greater fixity in English have been driven by a desire to emulate the model of this prestigious classical forebear.
3点目については,言語変化を「堕落」と捉える見方と関連する.これについては「#432. 言語変化に対する三つの考え方」 ([2010-07-03-1]),「#2543. 言語変化に対する三つの考え方 (2)」 ([2016-04-13-1]),「#2544. 言語変化に対する三つの考え方 (3)」 ([2016-04-14-1]) を参照.「英語に関する不平不満の伝統」を支える言語観は,18世紀の規範主義の時代から,ほとんど変わっていないようだ.
・ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.
YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」を始めて4ヶ月が経ちました.一昨日,その第35弾が公開されました.「英語の不規則活用動詞のひきこもごも --- ヴァイキングも登場!」です.
標準的にはABC型の sing -- sang -- sung と教わりますが,実はABB型の sing -- sung -- sung も非標準的ながらも現役で用いられています.これは「誤用」ではなく,古英語から続く伝統です.古英語では不規則動詞(歴史的な「強変化動詞」)の過去形には主語の人称に応じて2つあり,それぞれ第1過去形,第2過去形と呼ばれていました.この2区分は,現代標準英語では超高頻度語である be 動詞のみに残っており,それぞれ was と were となります.古英語では,was -- were のような2区分が,他の不規則動詞にもおしなべて存在したというわけです.
sing の場合には第1過去が sang,第2過去が sungon でした.その後の歴史で,過去形は1つに集約されることになりましたが,個々の動詞に応じて,どちらの形態に集約させるかは異なっていました.ある動詞は第1過去形が一般化しましたが,別の動詞では第2過去形が一般化しました.しかし,両者の揺れは実に初期近代英語期(1500--1700年頃)まで続き,第1過去形と第2過去形の揺れは日常的でした.
後期近代英語期(1700--1900年頃)にようやく規範化が進み,いずれかが「正しい」と定められたのですが,その判断基準はアドホックで,必ずしも理由は明らかではありません.sing の場合には,古英語の第1過去形に基づく形態 sang がたまたま標準として定められましたが,方言や個人用法としては,その語も第2過去形に基づく sung も併用され続けたため,現在の英語母語話者にも sung を常用する人がいるのです.
これは,過去分詞 sung を過去形にも適用したという意味での共時的な「誤用」や類推 (analogy) とみることもできるかもしれませんが,歴史の継続性を重視するならば,古英語の第2過去形の残存とみるべき現象なのです.
この問題については,以下の hellog 記事でも取り上げてきましたのでご参照ください.
・ 「#492. 近代英語期の強変化動詞過去形の揺れ」 ([2010-09-01-1])
・ 「#860. 現代英語の変化と変異の一覧」 ([2011-09-04-1])
・ 「#2084. drink--drank--drunk と win--won--won」 ([2015-01-10-1])
・ 「#3343. drink--drank--drank の成立」 ([2018-06-22-1])
・ 「#3812. was と were の関係」 ([2019-10-04-1])
Voicy の heldio でも取り上げたことがありました.「#35. sing の過去形は sang か sung か?」を,ぜひお聴きください.
「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1]) で vernacular の意味について考えた.初期近代英語期に初めてラテン語から導入されたこの単語は,21世紀の世界英語 (world_englishes) 現象を考える上でキーワードとなりうる.権力をもった言語(英語史の観点からは典型的にラテン語)に対する土着の言語(イングランドで日常的に用いられた英語)としての英語を指す言葉だが,今や英語こそがかつてのラテン語のような社会的に威信をもつ言語となってしまっているので,見方によっては英語を vernacular と呼ぶことは皮肉な響きを伴う.
この観点からすると,英単語として英語を指す vernacular は手垢のついた用語といえなくもない.だが,その点でいえば類義語である folk や indigenous も似たようなものだろう.「手垢」に対処するには,この単語の歴史的な用法をひもといてみる必要がある.OED の vernacular, adj. and n. の項をじっくり読んでみた. *
この語の語源であるラテン語 vernāculus は,英語には1601年に「英語で書く(作家)」ほどを意味する形容詞として次の例文にて文証される.
1601 Bp. W. Barlow Def. Protestants Relig. 2 A vernaculer pen-man..hauing translated them into English.
私たちにとって最も重要な語義は,言語を形容する用法で OED の定義2aとして次のように初出する.
2.
a. Of a language or dialect: That is naturally spoken by the people of a particular country or district; native, indigenous.
Usually applied to the native speech of a populace, in contrast to another or others acquired for commercial, social, or educative purposes; now frequently employed with reference to that of the working classes or the peasantry.
1647 J. Howell New Vol. of Lett. 149 This [sc. Welsh] is one of the fourteen vernacular and independent tongues of Europe.
その後,遅れて17世紀後半,そして18世紀以降になって,文学や芸術などにも適用されていく.しかし,もとのラテン語 vernāculus が言語の形容に限らず一般的に土着性を表わすのに用いられたのに対して,英語では借用の初期にはとりわけ言語(周辺)の話題に限定して用いられていたというのが特徴的である.現在でも,辞書の記載としては言語以外の対象を形容するのに用いられ得るものの,基本的には言語との関連が深い形容詞といってよい.
ちなみに「土着の言語」を意味する名詞用法としては,18世紀初めの次の例が初出である.
a1706 J. Evelyn Hist. Relig. (1850) I. vii. 427 It is written in the Chaldæo-Syriac, which was..the vernacular of our Lord.
このように英単語としての vernacular の用法は,言語への執着が強い.それは,やはり威信あるラテン語に対する威信なき英語という構図が前提にあったからだろう.それが,いまや威信ある(標準)英語と威信なき(非標準)○○語の構図を想起させる文脈で用いられることが増えてきたというのは,意味深長である.
タブー (taboo) という語を一般に広めた功績は,18世紀イングランドの大航海者 James Cook (1728--79),通称 Captain Cook に帰せられる(cf. 「#4162. taboo --- 南太平洋発,人類史上最強のパスワード」 ([2020-09-18-1]),「#4802. 絶対的タブーは存在しない」 ([2022-06-20-1])).例えば Cook は1768--71年のタヒチへの航海日誌にて,タヒチの女性は男性と一緒に食事をしないという風習に触れ,これを "Tabu" として言及している.
この例をはじめとして,女性に「対して」課される種類のタブーは古今東西で非常に広くみられるようだ.同じように,女性に「関する」タブーやその周辺の話題にも事欠かない.例えば「#1908. 女性を表わす語の意味の悪化 (1)」 ([2014-07-18-1]) や「#1909. 女性を表わす語の意味の悪化 (2)」 ([2014-07-19-1]),「#908. bra, panties, nightie」 ([2011-10-22-1]),「#1483. taboo が言語学的な話題となる理由」 ([2013-05-19-1]),「#1507. taboo が言語学的な話題となる理由 (4)」 ([2013-06-12-1]) などからも,その匂いを感じ取ることができるだろう.
一般に性 (gender) に関するタブーは普遍的であり,そのなかでもとりわけ女性に焦点が当てられることが多いということかと思われるが,なぜ男性ではなく女性なのだろうか.1つの見方によれば,多くの社会において女性へのタブーがみられることは,女性が男性よりも劣っているという一種の性的カースト制度・思想の反映と解釈できるのではないかという.Allan and Burridge (4) は,上記のタヒチのタブーの事例を念頭に,次のように述べている.
. . . we can look at this taboo in another way, as the function of a kind of caste system, in which women are a lower caste than men; this system is not dissimilar to the caste difference based on race that operated in the south of the United States of America until the later 1960s, where it was acceptable for an African American to prepare food for whites, but not to share it at table with them. This is the same caste system which permitted men to take blacks for mistresses but not marry them; a system found in colonial Africa and under the British Raj in India.
上記のタヒチからの例は習慣・風習にまつわるタブーだが,世界の言語における言葉上のタブーについても「性的カースト」の観点から分析してみる価値がありそうだ.
・ Allan, Keith and Kate Burridge. Forbidden Words: Taboo and the Censoring of Language. Cambridge: CUP, 2006.
3日前の6月22日(水)に,YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」 の第34弾が公開されました.「昔の英語は不規則動詞だらけ!」です.
-ed をつければ過去形になる,というのは単純で分かりやすいですね.大多数の動詞に適用される規則なので,このような動詞を「規則動詞」と呼んでいます.一方,日常的で高頻度の一握りの動詞はこの規則に沿わず,「不規則動詞」と呼ばれています.sing -- sang -- sung や come -- came -- come のような,暗記しなければならないアレですね.語幹母音を変化させるのが特徴です.
上記の YouTube で話したことは,歴史的には不規則動詞のほうが先に存在しており,規則動詞は歴史のかなり遅い段階に初めて現われた新参者である,ということです.規則動詞は新参者として現われた当初は,例外的なものとして白眼視されていた可能性が高いのです.しかし,その合理性が受け入れられたのでしょうか,瞬く間に多くの動詞を飲み込んでいき,古英語期が始まるまでにはすっかり「規則的」たる地位を確立していました.逆に,オリジナルの語幹母音を変化させるタイプは,当時すでに「不規則的」な雰囲気を醸すに至っていたというわけです.
このような動詞を巡る大変化は,ゲルマン語派に特有のものでした.つまり,この変化は英語,ドイツ語,アイスランド語などには生じましたが,フランス語,ロシア語,ギリシア語などには生じていないのです.すなわち,ゲルマン語派にのみ生じた印欧語形態論の大革命というべき事件でした.
YouTube により関心をもった方は,専門的な話しにはなりますが,この重大事件について,ぜひ次の記事を通じて深く学んでみてください.英語史のおもしろさにハマること間違いなしです.
・ 「#3345. 弱変化動詞の導入は類型論上の革命である」 ([2018-06-24-1])
・ 「#182. ゲルマン語派の特徴」 ([2009-10-26-1])
・ 「#3135. -ed の起源」 ([2017-11-26-1])
・ 「#3339. 現代英語の基本的な不規則動詞一覧」 ([2018-06-18-1])
・ 「#764. 現代英語動詞活用の3つの分類法」 ([2011-05-31-1])
・ 「#178. 動詞の規則活用化の略歴」 ([2009-10-22-1])
・ 「#3385. 中英語に弱強移行した動詞」 ([2018-08-03-1])
・ 「#3670.『英語教育』の連載第3回「なぜ不規則な動詞活用があるのか」」 ([2019-05-15-1]) と,そこに示されている記事群
今朝,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で「#389. 2022年上半期の英語史活動( hel活)」と題する放送をオンエアーしました.
この放送のなかで,この半年で最もよく聴かれた放送(リスナー数ベース)のトップ10を紹介しましたが,hellog 記事としてはトップ50までを一覧しておきたいと思います.まだお聴きになっていない方は,この週末などに関心のある話題をピックアップして,ぜひ聴いてみてください.英語に関する素朴な疑問の謎解きの回も多く,スカッとすると思います.
1. 「#233. this,that,theなどのthは何を意味するの?」(2022/01/19放送)
2. 「#299. 曜日名の語源」(2022/03/26放送)
3. 「#321. 古英語をちょっとだけ音読 マタイ伝「岩の上に家を建てる」寓話より」(2022/04/17放送)
4. 「#271. ウクライナ(語)について」(2022/02/26放送)
5. 「#343. 前置詞とは何?なぜこんなにいろいろあるの?」(2022/05/09放送)
6. 「#222. キリスト教伝来は英語にとっても重大事件だった!」(2022/01/08放送)
7. 「#327. 新年度にフランス語を学び始めている皆さんへ,英語史を合わせて学ぶと絶対に学びがおもしろくなると約束します!」(2022/04/23放送)
8. 「#300. なぜ Wednesday には読まない d があるの?」(2022/03/27放送)
9. 「#358. 英語のスペリングを研究しているのにスペリングが下手になってきまして」(2022/05/24放送)
10. 「#326. どうして古英語の発音がわかるのですか?」(2022/04/22放送)
11. 「#288. three にまつわる語源あれこれ ― グリムの法則!」(2022/03/15放送)
12. 「#360. 英語に関する素朴な疑問 千本ノック --- Part 5」(2022/05/26放送)
13. 「#357. 英語の単語間にスペースを置くことを当たり前だと思っていませんか?」(2022/05/23放送)
14. 「#344. the virtual world of a virile werewolf 「男らしい狼男のヴァーチャルな世界」 --- 同根語4連発」(2022/05/10放送)
15. 「#281. 大母音推移(前編)」(2022/03/08放送)
16. 「#253. なぜ who はこの綴字で「フー」と読むのか?」(2022/02/08放送)
17. 「#359. 総合的な古英語から分析的な現代英語へ --- 英文法の一大変化」(2022/05/25放送)
18. 「#218. shall とwill の使い分け規則はいつからあるの?」(2022/01/04放送)
19. 「#301. was と were の関係について整理しておきましょう」(2022/03/28放送)
20. 「#318. can't, cannot, can not ー どれを使えばよいの?」(2022/04/14放送)
21. 「#250. ノルマン征服がなかったら英語はどうなっていたでしょうか?」(2022/02/05放送)
22. 「#374. ラテン語から借用された前置詞 per, plus, via」(2022/06/09放送)
23. 「#325. なぜ世界の人々は英語を学んでいるの?」(2022/04/21放送)
24. 「#364. YouTube での「go/went 合い言葉説」への反応を受けまして」(2022/05/30放送)
25. 「#346. 母語と母国語は違います!」(2022/05/12放送)
26. 「#355. sharp と flat は反対語でもあり類義語でもある」(2022/05/21放送)
27. 「#372. 環境にいいこと "eco-friendly" ― 家庭から始めましょうかね」(2022/06/07放送)
28. 「#312. 古田直肇先生との対談 標準英語幻想について語る」(2022/04/08放送)
29. 「#217. 再帰代名詞を用いた動詞表現の衰退」(2022/01/03放送)
30. 「#245. learn は「学ぶ」ではなく「教える」?」(2022/01/31放送)
31. 「#341. 英語に関する素朴な疑問 千本ノック」(2022/05/07放送)
32. 「#282. 大母音推移(後編)」(2022/03/09放送)
33. 「#292. 一般に「人々」を意味する you の起源」(2022/03/19放送)
34. 「#352. Sir William Jones --- 語学の天才にして近代言語学・比較言語学の祖」(2022/05/18放送)
35. 「#330. 中英語をちょっとだけ音読 チョーサーの『カンタベリ物語』の冒頭より」(2022/04/26放送)
36. 「#232. なぜ thumb には発音されない b があるの?」(2022/01/18放送)
37. 「#248. なぜ by and large が「概して」を意味するの?」(2022/02/03放送)
38. 「#375. 接尾辞 -ing には3種類あるって知っていましたか?」(2022/06/10放送)
39. 「#361. 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』の読みどころ」(2022/05/27放送)
40. 「#351. 英語に関する素朴な疑問 千本ノック --- Part 4」(2022/05/17放送)
41. 「#261. 「剥奪の of」の歴史ミステリー」(2022/02/16放送)
42. 「#263. "you guys" の guy の語源」(2022/02/18放送)
43. 「#319. employee の ee って何?」(2022/04/15放送)
44. 「#373. みんなのお金の話≒みんなの言葉の話!?」(2022/06/08放送)
45. 「#366. 才能を引き出すための "education" 「教育」の本来の意味は?」(2022/06/01放送)
46. 「#345. Good morning! そういえば挨拶のような決まり文句は無冠詞が多いですね」(2022/05/11放送)
47. 「#226. 英語の理屈ぽい文法事項は18世紀の産物」(2022/01/12放送)
48. 「#294. 古英語には「謝罪」がなかった!」(2022/03/21放送)
49. 「#329. フランス語を学び始めるならば,ぜひ英語史概説も合わせて!」(2022/04/25放送)
50. 「#314. 唐澤一友先生との対談 今なぜ世界英語への関心が高まっているのか?」(2022/04/09放送)
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現代世界の英語事情を巡る論文集 English in the World を読み進めているが,関連する様々な議論への入り口となる論考の結論において Seidlhofer (48) が "World Englishes" と "ELF" の相互関係について,対立ではなく共存であるべきだと主張している.
Conclusion: Live and let live
This volume is intended as a contribution to an exchange of views and a constructive debate between proponents of World Englishes, or nativized varieties of English, and proponents of EIL, or ELF. It seems to me that each group (although the 'groups' themselves are of course abstractions and constructions) can benefit from learning more about what is happening in the field of 'English in the World' as a whole, and again, I am hopeful that this collection will make this possible. There are certainly important differences between World Englishes and EIL --- simply by virtue of the very different sociohistorical and sociocultural settings in which these Englishes have arisen and are being used. But acknowledging and understanding these differences does not have to entail the setting up of what are actually false dichotomies, such as WE vs EIL, pluricentric vs monolithic, tolerance of diversity vs prescribed rules. It is perfectly clear that the functions of language are manifold in all societies, and that any language serves the purposes of identification and communication. Identification with a primary culture on the one hand and communication across cultures on the other are equally worthwhile endeavours, and there is no reason why they should not happily coexist and enrich each other.
1つは英語を諸英語へと分裂させていく遠心力としての "identification" 作用.もう1つは英語をまとめあげていく求心力としての "communication" 作用.ここで Seidlhofer は,英語という言語に認められる2つの相反する作用を指摘し,そのバランスを取ることの重要性を主張している.これは私自身が抱いている英語観や言語観とも一致する.関連して以下の記事を参照.
・ 「#1360. 21世紀,多様性の許容は英語をバラバラにするか?」 ([2013-01-16-1])
・ 「#1521. 媒介言語と群生言語」 ([2013-06-26-1])
・ 「#2073. 現代の言語変種に作用する求心力と遠心力」 ([2014-12-30-1])
・ 「#2922. 他の社会的差別のすりかえとしての言語差別」 ([2017-04-27-1])
・ 「#2989. 英語が一枚岩ではないのは過去も現在も同じ」 ([2017-07-03-1])
・ 「#3671. オーストラリア50ドル札に responsibility のスペリングミス (1)」 ([2019-05-16-1])
・ 「#4794. 英語の標準化 vs 英語の世界諸変種化」 ([2022-06-12-1])
・ Seidlhofer, Barbara. "English as a Lingua Franca in the Expanding Circle: What It Isn't." English in the World: Global Rules, Global Roles. Ed. Rani Rubdy and Mario Saraceni. London: Continuum, 2006. 40--50.
昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で,立命館大学の岡本広毅先生と対談ならぬ雑談をしました.「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」です.
昨秋にも「#173. 立命館大学,岡本広毅先生との対談:国際英語とは何か?」と題して対談していますので,よろしければそちらもお聴きください.
さて,今回の雑談は,Simon Horobin 著 The English Language: A Very Short Introduction を巡ってお話ししようというつもりで始めたのですが,雑談ですので流れに流れて vernacular の話しにたどり着きました.とはいえ,実は一度きちんと議論してみたかった話題ですので,おしゃべりが止まらなくなってしまいました.
ただ,偶然にこの話題にたどり着いたわけでもありません.岡本先生は立命館大学国際言語文化研究所のプロジェクト「ヴァナキュラー文化研究会」に所属されているのです! Twitter による発信もしているということで,こちらからどうぞ.
vernacular は英語史や中世英語英文学を論じる際には重要なキーワードです.さらに21世紀の世界英語を論じるに当たっても有効な概念・用語となるかもしれません.hellog でも真正面から取り上げたことはなかったので,今回の岡本先生との雑談を機に,これから少しずつ考えていきたいと思います.
英語史の文脈で出てくる vernacular は,中世から初期近代にかけて公式で威信の高い国際語としてのラテン語に対して,イングランドの人々が母語として日常的に用いていた言語としての英語を指すのに用いられます.要するに vernacular とは「英語」のことを指すわけですが,常にラテン語との対比が意識されているものとしての「英語」を指すというのがポイントです.diglossia の用語でいえば,H(igh variety) のラテン語に対する L(ow variety) の英語という構図を念頭に置いた L のことを vernacular と呼んでいるわけです.
いくつか辞書を引いて定義を見てみましょう.
noun
1 (usually the vernacular) [singular] the language spoken in a particular area or by a particular group, especially one that is not the official or written language
2 [uncountable] (technical) a style of architecture concerned with ordinary houses rather than large public buildings (OALD8)
noun [C usually singular]
1. the form of a language that a regional or other group of speakers use naturally, especially in informal situations
- The French I learned at school is very different from the local vernacular of the village where I'm now living.
- Many Roman Catholics regret the replacing of the Latin mass by the vernacular.
2. specialized in architecture, a local style in which ordinary houses are built
3. specialized dance, music, art, etc. that is in a style liked or performed by ordinary people (CALD3)
noun [countable] [usually singular]
the language spoken by a particular group or in a particular area, when it is different from the formal written language (MED2)
n 土地ことば,現地語,《外国語に対して》自国語;日常語;《ある職業・集団に特有の》専門[職業]語,仲間ことば;《動物・植物に対する》土地の呼び名,(通)俗名(=~ name);土地[時代,集団]に特有な建築様式;《建築・工芸などの》民衆趣味,民芸風.(『リーダーズ英和辞典第3版』)
その他『新英和大辞典第6版』で vernacular の見出しのもとに挙げられている例文が,英語史の文脈での典型的な使い方となります."Latin gave place to the vernacular." や "In Europe, the rise of the vernaculars meant the decline of Latin." のように.また,『新編英和活用大辞典』からは "English has given place to the vernacular in that part of Asia." という意味深長な例文が見つかりました.
上記「ヴァナキュラー文化研究会」の Twitter の見出しからも引用しておきましょう.
《ヴァナキュラー》とは権威に保護されていないもの,日常生活と共に動く俗なもの.非主流・周縁・土着.本研究は,変容し生き続ける文化の活力に迫る.
vernacular とは何か,今後も考え続けていきたいと思います.
・ Horobin, Simon. The English Language: A Very Short Introduction. Oxford: OUP, 2018.
・ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.
世界英語の問題と関連して,Rubdy and Saraceni が Tom McArthur にインタビューした記事を読んだ.2006年の議論なので,今となっては古いといえば古いと思われるかもしれないが,McArthur の問題意識は予言的な鋭さをもっており,現代の英語論においても十分に参考になる.
ポイントは,英語という言語の対象を (1) 「英語」 (the English language),(2) 「英語複合体」 ('the English language complex'),(3) 「諸英語」 ('the Englishes', 'the English languages') の3つの層で考えるのがよいのではないかという提案だ.Rubdy and Saraceni (29) から,インタビューの問答を聞いてみよう.
Q9 In some countries of Asia and Africa, English has become 'nativized' and begun to be considered an Asian or African language, and not one that is owned exclusively by any one speech community. For this reason some sociolinguists are of the view that it may be more realistic to recognize a plurality of standards. Given this view, if 'the English language' needs to be pluralized into 'the English languages', what does ELT stand for?
A9 I'm glad you raised this one. It fits my own observations over many years, as summed up in The English Languages (Cambridge, 1998). English is such an immense language that for me it has been essential to have at least three models. First there is English as a 'conventional' language ('the English language'), useful on a day-to-day basis but for me only the starting point for the second model ('the English language complex'), which has many varyingly distinct subentities, and finally to the third model of English as a continuum of recognizably distinct languages ('the Englishes', 'the English languages'), dominated by the educated standards of various countries that provide basis (particularly through the norms of the US and UK) of a 'World Standard English'. Most learners have no interest in all of this. If, as I hope, they are lucky, they will learn an English appropriate to their needs and situation, and expand (perhaps creatively) as and when they feel the need.
私たちが英語という言語について論じるときに,この3層のいずれの層の英語を問題にしているのかが重要である.議論の参加者の間で前提としている層がズレていると,英語を巡る議論も不毛になるからだ.それくらい英語論は精妙になってきているとも言えるのである.
私は,大学の通常の英語の授業で教えるときには (1) を念頭に置いている.しかし,英語史・英語学の授業ではもう少し英語変種の細分化の意識が高くなり,その全体を (2) としてとらえていることが多いと思う.一方,意識的に「世界英語」を論じる専門的な文脈では,当然ながら (3) の捉え方を前提とすることになる.
これらは分析の粒度こそ互いに大きく異なるにもかかわらず,いずれもラフに「英語」や English として言及されがちなのもまた常なのである.だから英語を論じるのは難しいのだ.
McArthur の英語観については,hellog でも「#427. 英語話者の泡ぶくモデル」 ([2010-06-28-1]),「#4501. 世界の英語変種の整理法 --- McArthur の "Hub-and-Spokes" モデル」 ([2021-08-23-1]) で取り上げてきた.そちらも要参照.
・ Rubdy, Rani, and Mario Saraceni. "An Interview with Tom McArthur." English in the World: Global Rules, Global Roles. Ed. Rani Rubdy and Mario Saraceni. London: Continuum, 2006. 21--31.
・ McArthur, Tom. "The English Languages?" English Today 11 (1987): 9--11.
・ McArthur, Tom. "English in Tiers." English Today 23 (1990): 15--20.
・ McArthur, Tom. "Models of English." English Today 32 (1991): 12--21.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
・ McArthur, Tom. The English Languages. Cambridge: CUP, 1998. 94.
昨日の記事「#4801. タブーの源泉」 ([2022-06-19-1]) で引用した Allan and Burridge は,序章で「絶対的タブーは存在しない」と言い切っている (9--11) .
There is no such thing as an absolute taboo
Nothing is taboo for all people, under all circumstances, for all time. There is an endless list of behaviours 'tabooed' yet nonetheless practised at some time in (pre)history by people for whom they are presumably not taboo. This raises a philosophical question: if Ed recognizes the existence of a taboo against patricide and then deliberately flouts it by murdering his father, is patricide not a taboo for Ed? Any answer to this is controversial; our position is that at the time the so-called taboo is flouted it does not function as a taboo for the perpetrator. This does not affect the status of patricide as a taboo in the community of which Ed is a member, nor the status of patricide as a taboo for Ed at other times in his life. Our view is that, although a taboo can be accidentally breached without the violator putting aside the taboo, when the violation is deliberate, the taboo is not merely ineffectual but inoperative.
Sometimes one community recognized a taboo (e.g. late eighteenth-century Tahitian women not eating with men) which another (Captain Cook's men) does not. In seventeenth-century Europe, women from all social classes, among them King Charles I's wife Henrietta Maria, commonly exposed one or both breasts in public as a display of youth and beauty. No European queen would do that today. Australian news services speak and write about the recently deceased and also show picture, a practice which is taboo in many Australian Aboriginal communities . . . .
. . . .
We are forced to conclude that every taboo must be specified for a particular community of people, for a specified context, at a given place and time. There is no such thing as an absolute taboo (one that holds for all worlds, times and contexts).
絶対的タブー,すなわちすべての人々,時間,状況において有効なタブーというものは存在しない.しごく当たり前のことではあるが,特定の文化の特定の時代に身を置いている私たちにとって,そこで有効なタブーが他のどこでも,いつでも通用するものだろうと信じ込んでしまう恐れは常にある.古今東西のタブーを知っておくことは,自らの属する社会のタブーを相対化するのに役立つだろう.
・ Allan, Keith and Kate Burridge. Forbidden Words: Taboo and the Censoring of Language. Cambridge: CUP, 2006.
言語的タブーの現象には多大な関心を寄せている.hellog でも taboo とタグ付けした多くの記事で取り上げてきた(とりわけ「#4041. 「言語におけるタブー」の記事セット」 ([2020-05-20-1]) を参照).タブーとは何か,なぜ人間社会にはタブーが生じるのか,謎が多く興味が尽きない.Allan and Burridge (1) が,言語的タブーに関する著書の冒頭で,タブーの範疇や源泉について次のように概説している.
Taboo is a proscription of behaviour that affects everyday life. Taboos that we consider in the course of the book include
・ bodies and their effluvia (sweat, snot, faeces, menstrual fluid, etc.);
・ the organs and acts of sex, micturition, and defecation;
・ diseases, death and killing (including hunting and fishing);
・ naming, addressing, touching and viewing persons and sacred beings, objects and places;
・ food gathering, preparation and consumption
Taboos arise out of social constraints on the individual's behaviour where it can cause discomfort, harm or injury. People are at metaphysical risk when dealing with sacred persons, objects and places; they are at physical risk from powerful earthly persons, dangerous creatures and disease. A person's soul or bodily effluvia may put him/her at metaphysical, moral or physical risk, and may contaminate others; a social act may breach constraints on polite behaviour. Infractions of taboos can lead to illness or death, as well as to the lesser penalties of corporal punishment, incarceration, social ostracism or mere disapproval. Even an unintended contravention of taboo risks condemnation and censure; generally, people can and do avoid tabooed behaviour unless they intend to violate a taboo.
これによると,タブーの源泉は,不快感,危害,損害を引き起こし得るような個人の行動に社会的制限を課そうとするところに存するのだという.社会秩序を平穏に維持すべく,越えてはいけない一線を社会のなかで共有するための知恵,あるいは仕掛け,と言い換えてもよいかもしれない.その目標を達成するために,人々が日常的に用いざるをえない言語というものを利用するというのは,何とも巧妙なやり方ではないか.
・ Allan, Keith and Kate Burridge. Forbidden Words: Taboo and the Censoring of Language. Cambridge: CUP, 2006.
昨日の記事「#4799. Jenkins による "The Lingua Franca Core"」 ([2022-06-17-1]) で Lingua Franca Core (LFC) を導入した.LFC が提示された背景には,世界英語 (world_englishes) の時代にあって,世界の英語学習者,とりわけ EFL の学習者は,伝統的な英米標準変種やその他の世界各地で標準的とみなされている変種を習得するのではなく,ELF (= English as a Lingua Franca) や EIL (= English as an International Language) と称される変種を学習のターゲットとするのがよいのではないかという英語教育観が見え隠れする.世界の英語話者人口のおそらく半分以上は EFL 話者であり,その点では LFC を尊重する姿勢は EFL 学習者にとって「民主的」に見えるかもしれない.
しかし,LFC に対して批判的な意見もある.LFC も,伝統的な英米標準変種と同様に,単なる標準であるにとどまらず,規範となっていく恐れはないかと.規範の首を古いものから新しいものへとすげ替えるだけ,ということにならないだろうか.本当に民主的であろうとするならば,そもそも言語学者や教育者が人為的に「コア」として提示するということは矛盾をはらんだ営みではないか,等々.
Tomlinson (146) は,LFC のようなものを制定し「世界標準英語」の方向づけを行なおうとする行為は "arrogant" であると警鐘を鳴らしている.
But, are we not being rather arrogant in assuming that it is we as applied linguists, language planners, curriculum designers, teachers and materials developers who will determine the characteristics of a World Standard English? Is it not the users of English as a global language who will determine these characteristics as a result of negotiating interaction with each other? We can facilitate the process by making sure that our curricula, our methodology and our examinations do not impose unnecessary and unrealistic standards of correctness on our international learners, and by providing input and guiding output relevant to their needs and wants. But ultimately it is they and not us who will decide. To think otherwise is to be guilty of neo-colonist conceit and to ignore all that we know about how languages develop over time.
標準か規範かを巡るややこしい問題である.関連して「#1246. 英語の標準化と規範主義の関係」 ([2012-09-24-1]) を参照.
・ Tomlinson, Brian. "A Multi-dimensional Approach to Teaching English for the World" English in the World: Global Rules, Global Roles. Ed. Rani Rubdy and Mario Saraceni. London: Continuum, 2006. 130--50.
昨日の記事「#4798. ENL での言語変化は「革新」で,ESL/EFL では「間違い」?」 ([2022-06-16-1]) で引用した Jenkins (37) は,ELF (= English as a Lingua Franca) の核となる言語特徴(発音)を一覧している.これは,調査の結果,様々な英語母語変種に認められた特徴であり,相互理解のための ELF 使用においてきわめて重要な項目ということになる.
The Lingua Franca Core (LFC)
1. Consonant sounds except for substitutions of 'th' and of dark /l/
2. Aspiration after world-initial /p/, /t/ and /k/
3. Avoidance of consonant deletion (as opposed to epenthesis) in consonant clusters.
4. Vowel length distinctions
5. Nuclear (Tonic) stress production and placement within word groups (tone units)
一方,次の特徴は EFL において核とはならないものである (Jenkins 37) .
Non-core features:
1. Certain consonants (see Lingua Franca Core no. 1)
2. Vowel quality
3. Weak forms
4. Features of connected speech such as elision and assimilation
5. Word stress
6. Pitch movement on the nuclear syllable (tone)
7. Stress-timed rhythm
日本語母語話者に典型的にみられる英語発音の例を上記の「コア」に当てはめてみると,read と lead はともに「リード」と発音してしまいがちだが,語頭の /r/ と /l/ の区別は Core no. 1 に含まれるので,コア特徴としてぜひとも発音し分ける必要がある,ということになる.一方,語末に母音が挿入 (epenthesis) されて /ri:d/ ではなく /ri:do/ と発音されたとしても,コア特徴には含まれないため,許容され得る (cf. Core no. 3) .
・ Jenkins, Jennifer. "Global Intelligibility and Local Diversity: Possibility or Paradox?" English in the World: Global Rules, Global Roles. Ed. Rani Rubdy and Mario Saraceni. London: Continuum, 2006. 32--39.
世界英語では,言語変化を通じて数々の非標準的な表現が数々生み出されてきている.不変の付加疑問 isn't it,several staffs のような名詞複数形,discuss about のような動詞語法などが例に挙げられる.
3つのサークル (the Inner, Outer, and Expanding Circles) を念頭に世界英語を論じている Jenkins は,このような言語変化の事例が「革新」 (innovation) なのか,あるいは単なる「間違い」 (error) なのかという解釈の問題に言及している.母語話者 (NS) によるものであれば「革新」であり,非母語話者 (NNS) によるものであれば「間違い」である,という短絡的な発想に陥っていないだろうかと.母語話者による言語変化と非母語話者による言語変化は何が同じで何が異なるのだろうか.Jenkins (32--33) の議論を聞いてみよう.
In fact it is not implausible that the only difference between English language change across the three circles is the time factor, with NNSs in both Outer and Expanding Circles speeding up the natural processes of regularization . . . that occur more slowly in the Inner Circle --- where currently it is perfectly acceptable to talk of 'teas' and 'coffees' instead of 'cups of tea' and 'cups of coffee' but not (yet) of 'advices' or 'furnitures'.
Another difference, though, is attitude towards such change. Linguists surveying language change in NS English tend to regard it as a sign of creativity and innovation. . . . On the other hand, linguists' tendency with NNS-led change, particularly in the Expanding Circle, is to label it wholesale as error regardless of how widespread its use or the degree to which it is mutually intelligible among speakers of English as a Lingua Franca (ELF).
1点目の,母語話者による言語変化と非母語話者による言語変化は速度が異なるだけであるという見方は,慎重に検討する必要はあるものの,言語変化の記述という観点からは,興味深い仮説である.
一方,2点目の,言語変化への態度の違いがあるのではないかという指摘は,社会言語学的な観点から,おもしろい(そして心がざわつく).同じ言語変化でも,どこの誰によって引き起こされたかによって,ポジティヴな「革新」かネガティヴな「間違い」かが決まってしまうということになるからだ.世界英語が広く論じられるようになった時代にあって,このような判断基準はどこまで妥当なのだろうか.
・ Jenkins, Jennifer. "Global Intelligibility and Local Diversity: Possibility or Paradox?" English in the World: Global Rules, Global Roles. Ed. Rani Rubdy and Mario Saraceni. London: Continuum, 2006. 32--39.
『中高生の基礎英語 in English』の7月号が発売となりました.連載「歴史で謎解き 英語のソボクな疑問」が続いています.今回の第16回は,英語学習者より頻繁に寄せられる質問「なぜ仮定法では if I were a bird となるの?」を取り上げます.
この素朴な疑問は,英語史関連の本などでも頻繁に取り上げられてきましたし,私自身も hellog やその他の媒体で繰り返し注目してきました.拙著『英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史』(研究社,2016年)でも4.2節にて「なぜ If I were a bird となるのか?――仮定法の衰退と残存」として解説を加えています.
しかし,これまで明示的に「中高生」の読者層をターゲットに据えた解説にトライしたことはなかったので,何をどこまで述べるべきか,○○には触れないほうがよいのかなど,なかなか腐心しました.そんななか,今回は少し挑戦的に踏み込み,そもそも「仮定法」とは何ぞや,という本質に迫ってみました.はたしてうまくいっているでしょうか.皆様にご判断していただくよりほかありません.
以下は,これまで公表してきた if I were a bird 問題に関する hellog や音声・動画メディアでのコンテンツです.様々なレベルや視点で書いていますので,今回の連載記事と合わせてご覧ください(そろそろこの話題については出し尽くした感がありますね).
・ 「#2601. なぜ If I WERE a bird なのか?」 ([2016-06-10-1])
・ 「#3812. was と were の関係」 ([2019-10-04-1])
・ 「#3983. 言語学でいう法 (mood) とは何ですか? (1)」 ([2020-03-23-1])
・ 「#3984. 言語学でいう法 (mood) とは何ですか? (2)」 ([2020-03-24-1])
・ 「#3985. 言語学でいう法 (mood) とは何ですか? (3)」 ([2020-03-25-1])
・ 「#3989. 古英語でも反事実的条件には仮定法過去が用いられた」 ([2020-03-29-1])
・ 「#3990. なぜ仮定法には人称変化がないのですか? (1)」 ([2020-03-30-1])
・ 「#3991. なぜ仮定法には人称変化がないのですか? (2)」 ([2020-03-31-1])
・ 「#4178. なぜ仮定法では If I WERE a bird のように WERE を使うのですか? --- hellog ラジオ版」 ([2020-10-04-1])
・ 「#4718. 仮定法と直説法の were についてまとめ」 ([2022-03-28-1])
・ 「#30. なぜ仮定法では If I WERE a bird のように WERE を使うのですか?」(hellog-radio: 2020年10月4日放送)
・ 「#36. was と were --- 過去形を2つもつ唯一の動詞」(heldio: 2021年7月7日放送)
・ 「#301. was と were の関係について整理しておきましょう」(heldio: 2022年3月28日放送)
・ 「#102. なぜ as it were が「いわば」の意味になるの?」(heldio: 2021年9月11日放送)
・ 「I wish I were a bird. の were はあの were とは別もの!?--わーー笑【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル #9 】(YouTube: 2022年3月27日公開)
6月12日(日)に,YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」 の第31弾が公開されました.「Do you know … の do って どぅーゆーものか do you know?」です.タイトルのセンスは井上氏によります(笑).
英語史では「do 迂言法」 (do-periphrasis) と呼ばれている統語構造で,初期近代英語期に発達し定着した構文であることが知られています.英語歴史統語論においては「花形」といってよい,伝統的に注目度の高い話題です.do 迂言法の発達については謎が多く,現在も熱い議論が続いています.
そのようなわけで hellog でも様々に取り上げてきました.ここに関連する記事を列挙しておきます.基本的な解説から高度な仮説まで様々なレベルの記事が混じっていますが,それほどまでに注目されるトピックなのだと理解してもらえればと思います.
[ do にまつわる歴史的事実と理論的仮説 ]
・ 「#486. 迂言的 do の発達」 ([2010-08-26-1])
・ 「#491. Stuart 朝に衰退した肯定平叙文における迂言的 do」 ([2010-08-31-1])
・ 「#1596. 分極の仮説」 ([2013-09-09-1])
・ 「#1872. Constant Rate Hypothesis」 ([2014-06-12-1])
[ ケルト語からの影響により do 迂言法が発達したという近年の説 ]
・ 「#1254. 中英語の話し言葉の言語変化は書き言葉の伝統に掻き消されているか?」 ([2012-10-02-1])
・ 「#3754. ケルト語からの構造的借用,いわゆる「ケルト語仮説」について」 ([2019-08-07-1])
・ 「#3755. 「ケルト語仮説」の問題点と解決案」 ([2019-08-08-1])
[ 雑誌記事として比較的読みやすく書いたものが2つあります ]
・ 「#3765.『英語教育』の連載第6回「なぜ一般動詞の疑問文・否定文には do が現われるのか」」 ([2019-08-18-1])
・ 「#4432. 『中高生の基礎英語 in English』の連載第4回「なぜ疑問文に do が現われるの?」」 ([2021-06-15-1])
どうして do 迂言法のような「面倒くさい」文法が生じてしまったのか,議論は尽きませんね.
昨日の記事「#4794. 英語の標準化 vs 英語の世界諸変種化」 ([2022-06-12-1]) で取り上げたように Standard English か World Englishes かという対立の根は深い.とりわけ英語教育においては教育・学習のターゲットを何にするかという問題に直結するため,避けては通れない議論である.Rubdy and Saraceni は,この2つの対立に EIL/EFL という第3の要素を投入した三すくみモデルを考え,序章にて次のように指摘している (6) .
Towards simplifications: the teaching and learning of English
While an exhaustive description of the use of English is a futile pursuit, with regard to the teaching and learning of English in the classroom such complexities have necessarily to be reduced to manageable models. The language of the classroom tends to be rather static and disregardful of variation in style and register and, more conspicuously, of regional variation. One of the main issues in the pedagogy of English is indeed the choice of an appropriate model for the teaching of English as a foreign or second language. Here 'model' refers to regional variation, which is the main focus in the whole volume. In this sense, the choice is seen as lying between three principal 'rival' systems: Standard English (usually Standard British or Standard American English), World Englishes, and EIL/ELF (English as an International Language/English as a Lingua Franca).
ここでライバルとなるモデルとして言及されている Standard English, World Englishes, ELF は,それぞれ緩く ENL, ESL, EFL 志向の英語観に対応していると考えられる(cf. 「#173. ENL, ESL, EFL の話者人口」 ([2009-10-17-1])).
Standard English を中心に据える英語教育は,ENL 話者(とりわけ英米英語の話者)にとって概ね有利だろう.歴史的に威信が付されてきた変種でもあり「ブランド力」は抜群である,しかし,英語話者全体のなかで,これを母語・母方言とする話者は少数派であることに注意したい.
World Englishes は,主に世界各地の非英語母語話者,とりわけ ESL 話者が日常的に用いている変種を含めた英語変種の総体である.ESL 話者は英語話者人口に占める割合が大きく,今後の世界における英語使用のあり方にも重要な影響を及ぼすだろうと予想されている.昨今「World Englishes 現象」が注目されている理由も,ここにある.
ELF は,非英語母語話者,とりわけ EFL 話者の立場に配慮した英語観である.英語は国際コミュニケーションのための道具であるという,実用的,機能的な側面を重視した英語の捉え方だ.ビジネス等の領域で,非英語母語話者どうしが英語を用いてコミュニケーションを取る状況を念頭に置いている.理想的には,世界のどの地域とも直接的に結びついておらず,既存の個々の変種がもつ独自の言語項目からも免れているという中立的な変種である.EFL 話者は英語話者全体のなかに占める割合が最も大きく,この層に訴えかける変種として ELF が注目されているというわけだ.しかし,ELF は理念先行というきらいがあり,その実態は何なのか,人為的に策定すべきものなのかどうか等の問題がある.
日本の英語教育は,伝統的には明らかに Standard English 偏重だった.近年,様々な英語を許容するという World Englishes 的な見方も現われてきたとはいえ,目立っているとは言いがたい.一方,英語教育の目的としては ELF に肩入れするようになってきているとは言えるだろう.
今回の「三すくみ」モデルは,3つの英語観のいずれを採用するのかという三者択一の問題ではないように思われる.むしろ,3種類を各々どれくらいの割合でブレンドするかという問題なのではないか.
・ Rubdy, Rani and Mario Saraceni, eds. English in the World: Global Rules, Global Roles. London: Continuum, 2006.
現在,英語の世界的拡大に伴って生じている議論の最たるものは,標題の通り,英語は国際コミュニケーションのために標準化していく(べきな)のか,あるいは各地の独自性を示す英語諸変種がますます発達していく(べきな)のか,という問題だ.2つの対立する観点は,言語のもつ2つの機能,"mutual intelligibility" と "identity marking" にそれぞれ対応する(cf. 「#1360. 21世紀,多様性の許容は英語をバラバラにするか?」 ([2013-01-16-1]),「#1521. 媒介言語と群生言語」 ([2013-06-26-1])).
日本語を母語とする英語学習者のほとんどは,日本語という盤石な言語的アイデンティティを有しているために,使うべき英語変種を選択するという面倒なプロセスをもってアイデンティティを表明しようなどとは考えないだろう.したがって,英語を学ぶ理由は第一に国際コミュニケーションのため,世界の人々と互いに通じ合うため,ということになる.英語が標準化してくれることこそが重要なのであって,世界中でバラバラの変種が生じてしまう状況は好ましくない,と考える.日本に限らず EFL 地域の英語学習者は,おおよそ同じような見方だろう.
しかし,世界の ENL, ESL 地域においては,自らの用いる英語変種(しばしば非標準変種)を意識的に選択することでアイデンティティを示したいという欲求は決して小さくない.そのような人々は,英語の標準化がもつ国際コミュニケーション上の意義は理解しているにせよ,世界各地で独自の変種が発達していくことにも消極的あるいは積極的な理解を示している.
はたして,グローバルな英語の議論において標題の対立が立ち現われてくることになる.この話題に関するエッセイ集を編んだ Rubdy and Saraceni は,序章で次のように述べている (5) .
The global spread of English, its causes and consequences, have long been a focus of critical discussion. One of the main concerns has been that of standardization. This is also because, unlike other international languages such as Spanish and French, English lacks any official body setting and prescribing the norms of the language. This apparent linguistic anarchy has generated a tension between those who seek stability of the code through some form of convergence and the forces of linguistic diversity that are inevitably set in motion when new demands are made on a language that has assumed a global role of such immense proportions.
言語の標準化 (standardisation) とは何か? 標準英語 (Standard English) とは何か? なぜ英語を統制する公的機関は存在しないのか? 数々の疑問が生じてくる.このような疑問に立ち向かうには,英語の歴史の知識が武器になる.というのは,英語は,1600年近くにわたる歴史を通じて,標準化と脱標準化(変種の多様化)の波を繰り返し経験してきたからである.21世紀に生じている標準化と脱標準化の対立が,過去の対立と必ずしも直接的に比較可能なわけではないが,議論の参考にはなるはずだ.また,英語を統制する公的機関が不在であることも,英語史上で長らく論じられてきたトピックである.
言語の標準化を巡っては,近刊書(高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著)『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年)を参照されたい.同書の紹介は「#4784. 『言語の標準化を考える』は執筆者間の多方向ツッコミが見所です」 ([2022-06-02-1]) の記事とそのリンク先にまとまっている.
・ Rubdy, Rani and Mario Saraceni, eds. English in the World: Global Rules, Global Roles. London: Continuum, 2006.
6月8日(水)に,YouTube 「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」 の第30弾が公開されました.「英語の語順は大昔は SOV だったのになぜ SVO に変わったかいろいろ考えてみた.祝!!30回!」です.過去数回と比べて多くの方に視聴していただいているようです.関心をもった方が多いと思われますので,今回はこの話題について情報を補足したいと思います.
基本語順で考えると,ゲルマン祖語では SOV,古英語では SOV + SVO,中英語以降は SVO というのが大雑把な流れです.基本語順の通時的変化の問題については,これまでも hellog その他で様々に扱ってきましたので,以下にリンクなどを張っておきます.上記 YouTube 動画と合わせてご参照ください.
[ 英語史における語順の変化・変異とその原因 ]
・ 「#3127. 印欧祖語から現代英語への基本語順の推移」 ([2017-11-18-1])
・ 「#132. 古英語から中英語への語順の発達過程」 ([2009-09-06-1])
・ 「#4597. 古英語の6つの異なる語順:SVO, SOV, OSV, OVS, VSO, VOS」 ([2021-11-27-1])
・ 「#4385. 英語が昔から SV の語順だったと思っていませんか?」 ([2021-04-29-1])
・ 「#2975. 屈折の衰退と語順の固定化の協力関係」 ([2017-06-19-1])
[ 基本語順の類型論 ]
・ 「#137. 世界の言語の基本語順」 ([2009-09-11-1])
・ 「#3124. 基本語順の類型論 (1)」 ([2017-11-15-1])
・ 「#3125. 基本語順の類型論 (2)」 ([2017-11-16-1])
・ 「#3128. 基本語順の類型論 (3)」 ([2017-11-19-1])
・ 「#3129. 基本語順の類型論 (4)」 ([2017-11-20-1])
・ 「#4316. 日本語型 SOV 言語は形態的格標示をもち,英語型 SVO 言語はもたない」 ([2021-02-19-1])
・ 「#3734. 島嶼ケルト語の VSO 語順の起源」 ([2019-07-18-1])
[ 過去の連載記事などの紹介 ]
・ 英語史連載企画(研究社)「現代英語を英語史の視点から考える」の第11回と第12回
- 「#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」」 ([2017-11-22-1]) (連載記事への直接ジャンプはこちら)
- 「#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」」 ([2017-12-21-1]) (連載記事への直接ジャンプはこちら)
・ 知識共有サービス「Mond」での回答:「日本語ならSOV型,英語ならSVO型,アラビア語ならVSO型,など言語によって語順が異なりますが,これはどのような原因から生じる違いなのでしょうか?」
・ 「#3733.『英語教育』の連載第5回「なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」」 ([2019-07-17-1])
・ 「#4583. 『中高生の基礎英語 in English』の連載第9回「なぜ英語の語順は SVO なの?」」 ([2021-11-13-1])
・ 「#4527. 英語の語順の歴史が概観できる論考を紹介」 ([2021-09-18-1])
「#4698. 池上俊一(著)『ヨーロッパ史入門 原形から近代への胎動』より「ゲルマンの習俗」について」 ([2022-03-08-1]) でも紹介した,岩波ジュニア新書からの池上著より.池上 (vii--viii) は「まえがき」においてヨーロッパの特質を,次のように指摘している.
ヨーロッパは地理的に画定された地域ではありませんし,ヨーロッパ人種やヨーロッパ語があるわけでもありません.ヨーロッパとは,ひとつの国家でもなければ,EU(欧州連合)のような政治的形成体でもなく,各時代において,それ以前の時代から遺贈された諸要素を使って,そのつど創られていく現在進行中の構成体であり統一体です.主導しているのは「文化」だと言えますが,その「文化」は,もちろん政治,経済,社会,宗教などと切り離せないものです.
本書では,ヨーロッパ諸国の共通性に力点がおかれます.しかしその共通性の背後にひかえる多様性が生み出す力学にも着目し,中小諸国や辺境の動向,非ヨーロッパ世界との関係にも注目するつもりです.なぜならヨーロッパの共通性は,多様性があってはじめて生きる体のもの,ヨーロッパ文化の豊かさ,普遍性は,それを時代ごとに交替で旗手として先頭に立って担う複数の文化,国民性にあるのであり,それらが対立しつつ連帯することによってこそ活力が生まれるからです.のっぺりと平準化されたヨーロッパには,魂がないと言ってよいと思うのです.歴史の進行を見れば明らかですが,ヨーロッパは中世における誕生から二〇世紀半ばまで,分裂と対立のくり返される衝突のなか以外には存在しなかったのです.
ヨーロッパの大きな鳥瞰図として,核心を突いており,とても分かりやすい構図である.歴史では,このようなマクロな鷲づかみこそがますます必要になってきていると感じる.
英語史も然り.詳細を知ったるその道の専門家が,歴史を大づかみして提示していくことの意義を考えさせてくれる.
・ 池上 俊一 『ヨーロッパ史入門 原形から近代への胎動』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉,2021年.
新年度の2ヶ月余りにわたり khelf(慶應英語史フォーラム)で繰り広げられてきた企画「英語史コンテンツ50」が,昨日をもって無事に終了しました.学部生・大学院生を中心に卒業生なども含めた khelf メンバーの各々が,日替わりで英語史に関するコンテンツを khelf HP 上に公開してきました.「英語史コンテンツ50」と銘打って始めた企画でしたが,メンバーの献身により最終的には59件のコンテンツが集まりました.日々のコンテンツについて,多くの方に追いかけていただきました.お付き合いいただいた皆さんには感謝いたします.ありがとうございました.
この企画については hellog でもおよそ半月ごとにまとめて紹介・レビューしてきました(cf. 「#4722. 新年度の「英語史スタートアップ」企画を開始!」 ([2022-04-01-1]),「#4739. khelf イベント「英語史コンテンツ50」が3週目に入っています」 ([2022-04-18-1]),「#4757. khelf イベント「英語史コンテンツ50」が折り返し地点を過ぎました」 ([2022-05-06-1])).「#4773. khelf イベント「英語史コンテンツ50」がそろそろ終盤戦です」 ([2022-05-22-1])).最後の紹介となりますが,直近の15件のコンテンツを一覧します.
・ 「#45. 英語のなまえ,日本語のなまえ」(5月23日(月),院生によるコンテンツ)
・ 「#46. 性差を区別しない主格は結局どれが相応しいの?」(5月24日(火),学部生によるコンテンツ)
・ 「#47. どっちそっち『チラ見』?」(5月25日(水),院生によるコンテンツ)
・ 「#48. if it were not for A の it って何者?」(5月26日(木),学部生によるコンテンツ)
・ 「#49. 黄金は『赤い』」(5月27日(金),院生によるコンテンツ)
・ 「#50. 婚約お金」(5月28日(土),学部生によるコンテンツ)
・ 「#51. 生徒の素朴な質問にハッとした」(5月30日(月),院生によるコンテンツ)
・ 「#52. 海を渡った『カツカレー』」(5月31日(火),学部生によるコンテンツ)
・ 「#53. 古英詩の紹介 (4):The Battle of Brunanburh」(6月1日(水),院生によるコンテンツ)
・ 「#54. まぬけなグーフィーとアメリカ南部方言」(6月2日(木),学部生によるコンテンツ)
・ 「#55. orange cat はオレンジ色をしているか?」(6月3日(金),院生によるコンテンツ)
・ 「#56. なんでそんな意味になる!? ―タブー英語表現―」(6月4日(土),学部生によるコンテンツ)
・ 「#57. human, humble, humility」(6月6日(月),院生によるコンテンツ)
・ 「#58. English words that finish with -ish」(6月7日(火),学部生によるコンテンツ)
・ 「#59. 英語史は役に立たない,か」(6月8日(水),博士課程OBによるコンテンツ)
新年度企画ということで,一般の皆さんの英語史の学び始め・学び続けを応援するという趣旨で始めました.khelf メンバーもこの趣旨をよく汲み取ってコンテンツの題材を選んでくれたと思います.結果として導入的で読みやすいコンテンツが多く公開されることになり,英語史のおもしろさが広く伝わる機会となったのではないでしょうか.
59件のコンテンツはアーカイヴとして HP 上に残しておく予定ですので,今後もゆっくりとご参照ください.合わせて,昨年度の同企画「英語史導入企画2021」の49件のコンテンツもアーカイヴ化されていますので,そちらもどうぞ.
中英語を読んでいると,it の用法が現代英語よりも広くて戸惑うことがある.例えば there is 構文のような存在文 (existential_sentence) における there の代わりに it が用いられることがある(cf. フランス語 il y a, ドイツ語 es gibt).Mustanoja (132) から解説と例文を示そう.動詞が it ではなく意味上の主語に一致していることに注意.
In many instances it occurs in a pleonastic function carried out by there in Pres. E: --- of hise mouth it stod a stem, Als it were a sunnebem (Havelok 591); --- of þe erth it groues tres and gress (Cursor 545, Cotton MS); --- it es na land þat man kan neven ... þat he ne sal do þam to be soght (Cursor 22169, Cotton MS); --- bot it were a fre wymmon þat muche of love had fonde (Harley Lyr. xxxii 3); --- hit arn aboute on þis bench bot berdles chylder (Gaw. & GK 280); --- bot hit ar ladyes innoȝe (Gaw. & GK 1251).
関連して「#1565. existential there の起源 (1)」 ([2013-08-09-1]),「#1566. existential there の起源 (2)」 ([2013-08-10-1]),「#4473. 存在文における形式上の主語と意味上の主語」 ([2021-07-26-1]) を参照.
もう1つは,事実上 they に相当するような it の用法だ.こちらも Mustanoja (132--33) より解説と例を示そう.
Another aspect in the ME use of the formal it is seen in the following cases where it is virtually equivalent to 'they:' --- holi men hit were beiene (Lawman B 14811; cf. hali men heo weoren bæien, A); --- it ben aires of hevene alle þat ben crounede (PPl. C vi 59); --- thoo atte last aspyed y That pursevantes and heraudes ... Hyt weren alle (Ch. HF 1323). --- to þe gentyl Lomb hit arn anioynt (Pearl 895); --- hit arn fettled in on forme, þe forme and þe laste ... And als ... hit arn of on kynde (Patience 38--40); --- þei ... cownseld hyr to folwyn hyr mevynggys and hyr steringgys and trustly belevyn it weren of þe Holy Gost and of noon evyl spyryt (MKempe 3). This use goes back to OE. Cf. also German es sind ... and French ce sont ...
いずれもフランス語やドイツ語に類似した構文が見られるなど興味深い.中英語の構文は,フランス語からの言語接触という可能性はあり得るが,むしろ統語論的な要請に基づくものではないかと睨んでいる.どうだろうか.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
本ブログの姉妹版である「声のブログ」というべき Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」も,気がついてみたら始めてから1年が経っています.本ブログを読んでくださっている皆さんも含め,日々多くの方々に聴いていただいています.ありがとうございます.すでに2年目に入っていますが,今後も毎朝6時に英語の語源や英語史に関する放送を幅広くお届けしていきます.よろしくお願いいたします.
今年度に入ってから heldio のチャンネルを知り,聴き始めたという方も少なくないようですので,この1年間の放送を振り返り,とりわけよく聴かれたトップ50回をランキングで示したいと思います(再生回数ではなく再生リスナー数という指標に基づくランキングです).ぜひ過去の放送もたくさん聴いてみてください.なお,全放送の一覧はこちらからご覧いただけます.
これを機にチャンネルをフォローしていただければ幸いです.放送へのコメントや質問もお待ちしています!
1. 「#233. this,that,theなどのthは何を意味するの?」(2022/01/19(水) 放送)
2. 「#299. 曜日名の語源」(2022/03/26(土) 放送)
3. 「#321. 古英語をちょっとだけ音読 マタイ伝「岩の上に家を建てる」寓話より」(2022/04/17(日) 放送)
4. 「#271. ウクライナ(語)について」(2022/02/26(土) 放送)
5. 「#343. 前置詞とは何?なぜこんなにいろいろあるの?」(2022/05/09(月) 放送)
6. 「#222. キリスト教伝来は英語にとっても重大事件だった!」(2022/01/08(土) 放送)
7. 「#327. 新年度にフランス語を学び始めている皆さんへ,英語史を合わせて学ぶと絶対に学びがおもしろくなると約束します!」(2022/04/23(土) 放送)
8. 「#326. どうして古英語の発音がわかるのですか?」(2022/04/22(金) 放送)
9. 「#358. 英語のスペリングを研究しているのにスペリングが下手になってきまして」(2022/05/24(火) 放送)
10. 「#300. なぜ Wednesday には読まない d があるの?」(2022/03/27(日) 放送)
11. 「#288. three にまつわる語源あれこれ ― グリムの法則!」(2022/03/15(火) 放送)
12. 「#199. read - read - read のナゾ」(2021/12/16(木) 放送)
13. 「#344. the virtual world of a virile werewolf 「男らしい狼男のヴァーチャルな世界」 --- 同根語4連発」(2022/05/10(火) 放送)
14. 「#281. 大母音推移(前編)」(2022/03/08(火) 放送)
15. 「#360. 英語に関する素朴な疑問 千本ノック --- Part 5」(2022/05/26(木) 放送)
16. 「#357. 英語の単語間にスペースを置くことを当たり前だと思っていませんか?」(2022/05/23(月) 放送)
17. 「#253. なぜ who はこの綴字で「フー」と読むのか?」(2022/02/08(火) 放送)
18. 「#218. shall と will の使い分け規則はいつからあるの?」(2022/01/04(火) 放送)
19. 「#318. can't, cannot, can not ー どれを使えばよいの?」(2022/04/14(木) 放送)
20. 「#250. ノルマン征服がなかったら英語はどうなっていたでしょうか?」(2022/02/05(土) 放送)
21. 「#359. 総合的な古英語から分析的な現代英語へ --- 英文法の一大変化」(2022/05/25(水) 放送)
22. 「#325. なぜ世界の人々は英語を学んでいるの?」(2022/04/21(木) 放送)
23. 「#301. was と were の関係について整理しておきましょう」(2022/03/28(月) 放送)
24. 「#312. 古田直肇先生との対談 標準英語幻想について語る」(2022/04/08(金) 放送)
25. 「#346. 母語と母国語は違います!」(2022/05/12(木) 放送)
26. 「#245. learn は「学ぶ」ではなく「教える」?」(2022/01/31(月) 放送)
27. 「#232. なぜ thumb には発音されない b があるの?」(2022/01/18(火) 放送)
28. 「#292. 一般に「人々」を意味する you の起源」(2022/03/19(土) 放送)
29. 「#355. sharp と flat は反対語でもあり類義語でもある」(2022/05/21(土) 放送)
30. 「#248. なぜ by and large が「概して」を意味するの?」(2022/02/03(木) 放送)
31. 「#352. Sir William Jones --- 語学の天才にして近代言語学・比較言語学の祖」(2022/05/18(水) 放送)
32. 「#330. 中英語をちょっとだけ音読 チョーサーの『カンタベリ物語』の冒頭より」(2022/04/26(火) 放送)
33. 「#263. "you guys" の guy の語源」(2022/02/18(金) 放送)
34. 「#282. 大母音推移(後編)」(2022/03/09(水) 放送)
35. 「#319. employee の ee って何?」(2022/04/15(金) 放送)
36. 「#351. 英語に関する素朴な疑問 千本ノック --- Part 4」(2022/05/17(火) 放送)
37. 「#261. 「剥奪の of」の歴史ミステリー」(2022/02/16(水) 放送)
38. 「#341. 英語に関する素朴な疑問 千本ノック」(2022/05/07(土) 放送)
39. 「#289. three にまつわる語源あれこれ ― contest も?」(2022/03/16(水) 放送)
40. 「#226. 英語の理屈ぽい文法事項は18世紀の産物」(2022/01/12(水) 放送)
41. 「#290. 古英語は無礼な言語だった?」(2022/03/17(木) 放送)
42. 「#345. Good morning! そういえば挨拶のような決まり文句は無冠詞が多いですね」(2022/05/11(水) 放送)
43. 「#294. 古英語には「謝罪」がなかった!」(2022/03/21(月) 放送)
44. 「#329. フランス語を学び始めるならば,ぜひ英語史概説も合わせて!」(2022/04/25(月) 放送)
45. 「#283. please 「どうか」の語源」(2022/03/10(木) 放送)
46. 「#314. 唐澤一友先生との対談 今なぜ世界英語への関心が高まっているのか?」(2022/04/09(土) 放送)
47. 「#246. インドヨーロッパ祖語の故郷はどこ?」(2022/02/01(火) 放送)
48. 「#293. 「性交」を表わす語を上から下まで」(2022/03/20(日) 放送)
49. 「#296. 英語のアルファベットは常に26文字だったと思っていませんか?」(2022/03/23(水) 放送)
50. 「#335. cow と beef と butter が同語根って冗談ですか?」(2022/05/01(日) 放送)
Voicy 放送は以下からダウンロードできるアプリ(無料)を使うとより快適に聴取できますので,ぜひご利用ください.
本日は直近の YouTube と Voicy で取り上げた話題をそれぞれ紹介します.
(1) 昨日,YouTube の「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の第29弾が公開されました.「英語と日本語とでは同音異義語ができるカラクリがちがう!」です.
英語にも日本語にも同音異義語 (homonymy) は多いですが,同音異義語が歴史的に生じてしまう経緯はおおよそ3パターンに分類される,という話題です.1つは,異なっていた語が音変化により発音上合一してしまったというパターン.もう1つは,同一語が意味変化により異なる語とみなされるようになったというパターン.さらにもう1つは,他言語から入ってきた借用語が既存の語と同形だったというパターンです.
英語の同音異義語の例をもっと知りたいという方は「#2945. 間違えやすい同音異綴語のペア」 ([2017-05-20-1]),「#4533. OALD10 が注意を促している同音異綴語の一覧」 ([2021-09-24-1]) の記事がお薦めです.第2パターンの例として挙げた flower と flour については Voicy 「#2. flower (花)と flour (小麦粉)は同語源!」をお聴きください.
また,対談内でも出てきた,故鈴木孝夫先生による「テレビ型言語」か「ラジオ型言語」かという著名な区別については「#1655. 耳で読むのか目で読むのか」 ([2013-11-07-1]),「#2919. 日本語の同音語の問題」 ([2017-04-24-1]),「#3023. ニホンかニッポンか」 ([2017-08-06-1]) でも触れています.
今回の話題に関心をもたれた方は,本チャンネルへのチャンネル登録もよろしくお願いします.
(2) 今朝,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」 にて,リスナーさんからいただいた付加疑問 (tag_question) に関する質問に回答してみました.「#371. なぜ付加疑問では肯定・否定がひっくり返るのですか? --- リスナーさんからの質問」です.なかなかの難問で,当面の不完全な回答しかできていませんが,ぜひお聴きください.
どうやら主文の表わす命題の肯定・否定を巡る単純な論理の問題ではなく,話し手の命題に関する前提と,話し手が予想する聞き手の反応との組み合わせからなる複雑な語用論の問題となっているようです.あくまで前者がベースとなっていると考えられますが,歴史的にはそこから後者が派生してきたのではないかとみています.未解決ですので,今後も考え続けていきたいと思います.なお,放送で述べていませんでしたが,今回参考にしたのは主に Quirk et al. です.
上記の Voicy 放送はウェブ上でも聴取できますが,以下からダウンロードできるアプリ(無料)を使うとより快適に聴取できます.Voicy チャンネル「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」のフォローも合わせてよろしくお願いいたします! また,放送へのコメントや質問もお寄せください.
新しい一週間の始まりです.今週も楽しい英語史ライフを!
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
一昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」 にて「#368. 英語とフランス語で似ている単語がある場合の5つのパターン」という題でお話ししました.この放送に寄せられた質問に答える形で,本日「#370. 英語語彙のなかのフランス借用語の割合は? --- リスナーさんからの質問」を公開しましたので,ぜひお聴きください.
英語とフランス語の両方を学んでいる方も多いと思います.Voicy でも何度か述べていますが,私としては両言語を一緒に学ぶことをお勧めします.さらに,両言語の知識をつなぐものとして「英語史」がおおいに有用であるということも,お伝えしたいと思います.英語史を学べば学ぶほど,フランス語にも関心が湧きますし,その点を押さえつつフランス語を学ぶと,英語もよりよく理解できるようになります.そして,それによってフランス語がわかってくると,両言語間の関係を常に意識するようになり,もはや別々に考えることが不可能な境地(?)に至ります.英語学習もフランス語学習も,ともに楽しくなること請け合いです.
実際,語彙に関する限り,英語語彙の1/3ほどがフランス語「系」の単語によって占められます.フランス語「系」というのは,フランス語と,その生みの親であるラテン語を合わせた,緩い括りです.ここにフランス語の姉妹言語であるポルトガル語,スペイン語,イタリア語などからの借用語も加えるならば,全体のなかでのフランス語「系」の割合はもう少し高まります.
さて,その1/3のなかでの両言語の内訳ですが,ラテン語がフランス語を上回っており 2:1 あるいは 3:2 ほどいでしょうか.ただし,両言語は同系統なので語形がほとんど同一という単語も多く,英語がいずれの言語から借用したのかが判然としないケースもしばしば見られます.そこで実際上は,フランス語「系」(あるいはラテン語「系」)の語彙として緩く括っておくのが便利だというわけです.
このような英仏語の語彙の話題に関心のある方は,ぜひ関連する heldio の過去放送,および hellog 記事を通じて関心を深めていただければと思います.以下に主要な放送・記事へのリンクを張っておきます.実りある両言語および英語史の学びを!
[ heldio の過去放送 ]
・ 「#26. 英語語彙の1/3はフランス語!」
・ 「#329. フランス語を学び始めるならば,ぜひ英語史概説も合わせて!」
・ 「#327. 新年度にフランス語を学び始めている皆さんへ,英語史を合わせて学ぶと絶対に学びがおもしろくなると約束します!」
・ 「#368. 英語とフランス語で似ている単語がある場合の5つのパターン」
[ hellog の過去記事(一括アクセスはこちらから) ]
・ 「#202. 現代英語の基本語彙600語の起源と割合」 ([2009-11-15-1])
・ 「#429. 現代英語の最頻語彙10000語の起源と割合」 ([2010-06-30-1])
・ 「#845. 現代英語の語彙の起源と割合」 ([2011-08-20-1])
・ 「#1202. 現代英語の語彙の起源と割合 (2)」 ([2012-08-11-1])
・ 「#874. 現代英語の新語におけるソース言語の分布」 ([2011-09-18-1])
・ 「#2162. OED によるフランス語・ラテン語からの借用語の推移」 ([2015-03-29-1])
・ 「#2357. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計」 ([2015-10-10-1])
・ 「#2385. OED による,古典語およびロマンス諸語からの借用語彙の統計 (2)」 ([2015-11-07-1])
・ 「#117. フランス借用語の年代別分布」 ([2009-08-22-1])
・ 「#4138. フランス借用語のうち中英語期に借りられたものは4割強で,かつ重要語」 ([2020-08-25-1])
・ 「#660. 中英語のフランス借用語の形容詞比率」 ([2011-02-16-1])
・ 「#1209. 1250年を境とするフランス借用語の区分」 ([2012-08-18-1])
・ 「#594. 近代英語以降のフランス借用語の特徴」 ([2010-12-12-1])
・ 「#1225. フランス借用語の分布の特異性」 ([2012-09-03-1])
・ 「#1226. 近代英語期における語彙増加の年代別分布」 ([2012-09-04-1])
・ 「#1205. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか」 ([2012-08-14-1])
・ 「#2349. 英語の復権期にフランス借用語が爆発したのはなぜか (2)」 ([2015-10-02-1])
・ 「#4451. フランス借用語のピークは本当に14世紀か?」 ([2021-07-04-1])
・ 「#1638. フランス語とラテン語からの大量語彙借用のタイミングの共通点」 ([2013-10-21-1])
・ 「#1295. フランス語とラテン語の2重語」 ([2012-11-12-1])
・ 「#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」 ([2011-02-09-1])
・ 「#848. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別 (2)」 ([2011-08-23-1])
・ 「#3581. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (1)」 ([2019-02-15-1])
・ 「#3582. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (2)」 ([2019-02-16-1])
・ 「#4453. フランス語から借用した単語なのかフランス語の単語なのか?」 ([2021-07-06-1])
・ 「#3180. 徐々に高頻度語の仲間入りを果たしてきたフランス・ラテン借用語」 ([2018-01-10-1])
英語史を含む歴史言語学研究において「証拠」 (evidence) を巡る議論は,方法論上の問題としてきわめて重要である.歴史に関わる研究の宿命として,常に「証拠不足」あるいは "bad data problem" と呼ばれる症状がついて回るからだ.
20世紀以降の録音資料を別とすれば,歴史言語研究のソースは事実上文字資料に限られる.現存する文字資料はかつて存在した文字資料全体の一部にすぎないし,質的にも劣化したものが多い.これは避けて通れない現実である.
このメタな証拠の問題に関して大学院の授業で話しをする機会があった.講義用のメモとしてマインドマップを作成したので公開しておきたい(まだ整理の途中で Ver. 0.7 くらいのもの).
授業では「証拠」の問題を具体的に掘り下げていくに当たって,関連する hellog 記事群を参照しながら話しをした.こちらの記事セットを参照.
学校文法で「強調構文」と呼ばれる統語構造は,英語学では「分裂文」 (cleft_sentence) と称されることが多い.分裂文の起源と発達については「#2442. 強調構文の発達 --- 統語的現象から語用的機能へ」 ([2016-01-03-1]),「#3754. ケルト語からの構造的借用,いわゆる「ケルト語仮説」について」 ([2019-08-07-1]),「#4595. 強調構文に関する「ケルト語仮説」」 ([2021-11-25-1]) などで取り上げてきた.
歴史的事実としては,使用例は古英語からみられる.ただし,古英語では,it はほとんど用いられず,省略されるか,あるいは þæt が用いられた.Visser (§63) より,いくつか例を示そう.
63---g. The type 'It is father who did it.'
This periphrastic construction is used to bring a part of a syntactical unit into prominence; it is especially employed when contrast has to be expressed: 'It is father (not mother) who did it'. In Old English hit is omitted (e.g. O. E. Gosp., John VI, 63, 'Gast is se þe geliffæst'; O. E. Homl. ii, 234, 'min fæder is þe me wuldrað') or its place is taken by þæt (e.g. Ælfred, Boeth. 34, II, 'is þæt for mycel gcynd þæt urum lichoman cymð eall his mægen of þam mete þe we þicgaþ'; Wulfstan, Polity (Jost) p. 127 則183, þæt is laðlic lif, þæt hi swa maciað; O. E. Chron. an. 1052, 'þæt wæs on þone monandæg ... þæt Godwine mid his scipum to suðgeweorce becom'). This pronoun þæt is still so used in: Orm 8465, 'þætt wass þe lond off Galileo þætt himm wass bedenn sekenn'.
中英語以降は it がよく使用されるようになったようだ.
名詞(句)ではなく時間や場所を表わす副詞(句)が強調される例も,上記にある通りすでに古英語からみられるが,それに対する Visser (§63) の解釈が注目に値する.そのような場合の is は意味的に happens に近いという.
When it was, it is has an adverbial adjunct of time or place as a complement, (as e.g. in 'It was on the first of May that I saw him first'), to be is not a copula, but the notional to be with the sense 'to happen', 'to take place' that also occurs in constructions of a different pattern, such as are found in e.g. C1350 Will. Palerne 1930, 'Manly on þe morwe þat mariage schuld bene; 1947 H. Eustis, The Horizontal Man (Penguin) 41, 'Keep your trap shut when you don't know what you're talking about, which is usually'; Pres. D. Eng.: 'The flower-show was last week' (OED).
分裂文の起源と発達は,英語統語史上の重要な課題である.
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
昨日「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」の第28弾が公開されました.「堀田隆一の新刊で語る,ことばの「標準化」【井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル # 28 】」です.
私も編著者の一人として関わった近刊書『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』について YouTube 上で紹介させていただきました.hellog,および Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」でも,この数日間で紹介していますので,そちらへのリンクも張っておきます.
・ hellog 「#4776. 初の対照言語史の本が出版されました 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』」 ([2022-05-25-1])
・ heldio 「#361. 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』の読みどころ」
・ heldio 「#363. 『言語の標準化を考える』より英語標準化の2本の論考を紹介します」
本書の最大の特徴は,共同執筆者の各々が,それぞれの論考に対して脚注を利用してコメントを書き合っていることです.各執筆者が自らの論考を発表して終わりではなく,自らが専門とする言語の歴史の観点から,異なる言語の歴史に対して一言,二言を加えていくという趣旨です.カジュアルにいえば「執筆者間の多方向ツッコミ」ということです.この実験的な試みは,本書で提案している「対照言語史」 (contrastive_language_history) のアプローチを体現する企画といえます.上記 YouTube では「(脚注)でツッコミを入れるスタイル」としてテロップで紹介しています(笑).
具体的にはどのようなツッコミが行なわれているのか,本書から一部引用してみます.まず,田中牧郎氏による日本語標準化に関する論考「第5章 書きことばの変遷と言文一致」より,言文一致の定義ととらえられる「書きことばの文体が,文語体から口語体に交替する出来事」という箇所に対して,私が英語史の立場から次のようなツッコミを入れています (p. 82) .
【英語史・堀田】 17世紀後半のイングランドの事情と比較される.当時,真面目な文章の書かれる媒介が,ラテン語(日本語の文脈での文語体に比せられる)から英語(同じく口語体に比せられる)へと切り替わりつつあった.たとえば,アイザック・ニュートン (1647--1727) は,1687年に Philosophiae Naturalis Principia Mathematica 『プリンキピア』をラテン語で書いたが,1704年には Optiks 『光学』を英語で著した.この状況は当時の知識人に等しく当てはまり,日英語で比較可能な点である.もっとも日本の場合には同一言語の2変種の問題であるのに対して,イングランドの場合にはラテン語と英語という2言語の問題であり,直接比較することはできないように思われるかもしれないが,二つの言語変種が果たす社会的機能という観点からは十分に比較しうる.
一方,私自身の英語標準化に関する論考「第6章 英語史における『標準化サイクル』」における3つの標準化の波という概念に対して,ドイツ語史を専門とする高田博行氏が,次の非常に示唆的なツッコミを入れていてます (p 107) .
【ドイツ語史・高田】 ドイツ語史の場合も,同種の三つの標準化の波を想定することが可能ではある.第1は,騎士・宮廷文学(1170~1250年)を書き表した中高ドイツ語で,これにはある程度の超地域性があった.しかし,この詩人語がその後に受け継がれはせず,14世紀以降に都市生活において公的文書がドイツ語で書き留められ,さらにルターを経て18世紀後半にドイツ語文章語の標準化が完結する.これが第2波といえる.第3波といえる口語での標準化は,Siebs による『ドイツ舞台発音』 (1898) 以降,ラジオとテレビの発達とともに進行していった.
従来,○○語史研究者が△△語について論じている△△語史研究者の発言にもの申すということは,学術の世界では一般的ではありませんでしたし,今でもまだ稀です.しかし,あえてそのような垣根を越えて積極的に発言し,謹んで介入していこうというのが,今回の「対照言語史」の狙いです.いずれのツッコミも,謙虚でありながら専門的かつ啓発的なものです.本書を通じて,新しい形式の「学術的ツッコミ」を提案しています.ぜひこのノリをお楽しみください!
・ 高田 博行・田中 牧郎・堀田 隆一(編著) 『言語の標準化を考える --- 日中英独仏「対照言語史」の試み』 大修館,2022年.
「#4754. 懸垂分詞」 ([2022-05-03-1]),「#4764. 慣用的な懸垂分詞の起源と種類」 ([2022-05-13-1]),「#4765. 慣習化して前置詞に近づいた懸垂分詞」 ([2022-05-14-1]) の記事にて,judging from/by ... の事例を念頭に懸垂分詞 (dangling_participle) の話題を取り上げた.主節の主語の共有を前提とする分詞構文から独立し,慣習化し,前置詞に近づいたものと解釈することができる.
似たような例は不定詞にもみられる.独立不定詞と呼ばれる用法だ.定型句としてよくみられるが,この場合は避難の意味を込めて「懸垂不定詞」などと呼ばれることはないようだ(なぜだろうか?).
・ to be frank
・ to be honest with you
・ to be sure
・ to begin with
・ to do someone justice
・ to make a long story short
・ to make matters worse
・ to say the least of it
・ to tell the truth
・ so to speak
先の2つめの記事 ([2022-05-13-1]) で,懸垂分詞の先駆的表現は古英語に認められるということだったが,懸垂不定詞の例についてはどうだろうか.Visser (§987) によると,中英語と近代英語では "extremely frequent" だが,古英語からは Wulfstan's Homilies より hrædest to secganne ("for that matter" ほどの意か)という例しか確認できないという.その例文を挙げておこう.
Wulfstan, Hom. (Napier) 27, 1, ðyder sculon wiccan and wigleras, hrædest to secganne ealle ða manfullan, ðe ær yfel worhton and noldan geswican ne wið god ðingian. | Idem 36, 7, ðonne wyrð ðæt wæter mid ðam halgan gaste ðurhgoten, and, hrædest to secganne eal, ðæt se sacerd deð ðurh ða halgan ðenunge gesawenlice, eal hit fulfremeð se halga gast gerynelice. | Idem 115, 3, ðider sculan ðeofas ... and, hrædest to secganne ealle ða manfullan.
その後の歴史をみてみると,分詞と不定詞の間で揺れがみられたようである.例えば,現代では分詞を用いる speaking of ... が普通だが,中英語や近代英語では to speak of ... のように不定詞を用いる言い方があった.また,judging from/by ... についても,後期近代英語などからは不定詞を用いた to judge from/by ... の用例も一定数あがってくる.この辺りはコーパスで通時的に調べてみるとおもしろそうだ.
・ Visser, F. Th. An Historical Syntax of the English Language. 3 vols. Leiden: Brill, 1963--1973.
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最終更新時間: 2024-10-26 09:48
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