昨日の記事でイラン語派に属する「#3183. ソグド語」 ([2018-01-13-1]) について紹介した.この語派については「#1452. イラン語派(印欧語族)」 ([2013-04-18-1]) で扱ったが,系統図を示していなかったので,American Heritage Dictionary の裏表紙にある印欧語族の系統図に従って,ここに示しておきたい.(「#1146. インドヨーロッパ語族の系統図(Fortson版)」 ([2012-06-16-1]) でもイラン語派の樹形図を示したが,系統関係を表わすというよりは,時代別の区分を表わすものだった.)
語族の分類は考え方によって様々にあり得るため,別のソースでは上記と異なる場合がある.Ethnologue の仕分けによれば,現在 Iranian には86の言語が確認され,上のように3区分ではなく,Eastern と Western へ2区分する方法を採っている.
いずれにせよ現在でもイランから中央アジアにかけて存在感を示している語派である.
21世紀入ってから,謎とされていた民族,ソグド人の研究が賑やかになってきている.1999年に山西省太原で随の虞弘墓の発掘があり,墓室から発見されたソグドの壁画に,美術史家や考古学者が関心を示したのがきっかけである.ソグド人の話していたソグド語(Sogdian; この言語名の英語での初出は1909年)や,表記されたソグド文字についても,少しずつ研究が進んできているらしい.
ソグド語は現在では死語となっているが,歴史的には紀元前300年頃から紀元900年頃にかけて中央アジアのソグディアナ (Sogdiana) で行なわれていたとされる.歴史的なソグディアナはアラル海へと注ぐ中央アジアの2大河,アム河 (Amu Dar'ya) とシル河 (Syr Darya) に挟まれた地域を指し,首邑はサマルカンドである.現在の,ウズベキスタンとタジキスタン辺りに相当する.
ソグド語は中央イラン語群に属し,南西イラン語群に属する歴史的に強大なペルシア語とは言語的に隔たりがある.イラン語派については「#1452. イラン語派(印欧語族)」 ([2013-04-18-1]) の記事や「#1146. インドヨーロッパ語族の系統図(Fortson版)」 ([2012-06-16-1]) の樹形図を参照されたい.
ソグド語はソグディアナにおいて優勢な言語ではあったが,ソグド人は統一国家をなさなかったので標準語というべきものは成立しなかった.ソグド語はイスラーム化とともに失われ,サマルカンドでも10世紀までにペルシア語に取って代わられた.
ソグド語の現存する文献として,20世紀の初めにドイツのトルファン探検隊により発見された文書がある.コインの銘文などを除けば,313年頃に書かれた「古代書簡」が現存する最古の文献とされていたが,近年さらに古い紀元2世紀のものとされる碑文がみつかった.
ソグド語が表記されているソグド文字は,アラム文字の系統を引き,それと同じ22文字からなっていた.その書字方向について「#2449. 書字方向 (2)」 ([2016-01-10-1]) では右横書きの言語として触れたが,実際には時代によって変化したようだ.紀元2世紀の古い文書では実際に右横書きだったと考えられているが,6世紀以降の碑文では左縦書きが普通となっている.
ソグド文字に関して興味深いのは,アラム語の単語をアラム語通りに綴って,それをソグド語で「訓読」する例があったことだ.「送りがな」が添えられているものもある.ただし,そのように訓読される語彙は20語ほどと限定されていた.
ザラフシャン河の上流ヤグノブ渓谷でヤグノブ語 (Yagnobi) という言語が現在でも1万2千人ほどの話者により行なわれているが,この言語は歴史的なソグド語と近縁である.当時,ソグド語は地域の共通語的な地位にあったが,その方言の1つとしてヤグノブ語の祖先があったという関係である.
ソグドは,日本との関連でいえば正倉院宝物として知られる「酔胡王」の伎楽面や「漆胡瓶」に文化の痕跡を残している.これらは唐より伝わったものだが,当時の唐では「胡」の名前のつくもの(胡人,胡姫,胡複,胡食,胡旋舞)が大流行していた.この「胡」とは,従来はペルシア(人)を指すものと理解されていたが,近年の研究によるとほぼソグド(人)を指していると考えてよいという.シルクロードの大動脈のど真ん中で交易に従事していたのが,このソグド人だったのである.
以上,主として吉田を参照して執筆した.
・ 吉田 豊 「ソグド人の言語」『ソグド人の美術と言語』 (曽布川 寛・吉田 豊(編)) 臨川書店,2011年.80--118頁.
「#1447. インド語派(印欧語族)」 ([2013-04-13-1]) に引き続き,今回はインド語派 (Indian) と親近の関係にあるイラン語派 (Iranian) を取り上げる.Baugh and Cable (24--25) より.
イラン語派は,インド北西部からイラン高原にかけて分布する重要な語派である.インド語派と分かれてからは,遠く南ロシアや中国中部まで分布を広げた.この地域は早くからセム系諸語の影響を受けており,初期の文献の多くはセム系の文字で書かれている.現存する最も古いイラン語派のテキストに表わされている言語は,東の Avestan と西の Old Persian である.東のアベスタ語は,ゾロアスター教の聖典 the Avesta (アベスタ教典)の言語である.この言語は古くは Zend と呼ばれることもあったが,正確には Zend は後に著わされたアベスタ教典の注解書の言語を指すため,現在ではあまり用いられない.アベスタ教典は,the Gathas (ガーサー)と呼ばれる聖歌の部分と,聖歌,伝説,祈祷,法規を含む the Avesta 本体に分かれ,前者の言語のほうが数百年古く,紀元前1000年ほどに遡るとされる.この時間的な差により,アベスタ教典を構成する両部分の言語的な差も大きい.アヴェスタ語の印欧語比較言語学上の重要性は,「百」を表わす satem という語に関係する.この話題に関しては,##100,101,109,1150 の各記事,とりわけ「#1150. centum と satem」 ([2012-06-20-1]) を参照.
一方,西の Old Persian はすべて楔形文字の碑文として残っており,多くが Darius (522--486 B.C.) やXerxes (486--66 B.C.) の武勲をたたえるものである.最も長大なテキストは,Persian, Assyrian, Elamite の3言語で楔形文字により彫られた記録で,Kirmanshah 近くの山腹で見つかっている.
Old Persian の後継が Middle Iranian あるいは Pahlavi と呼ばれる言語で,ササン朝 (226--652) の公用語として機能した.これが,後に Persian あるいは Farsi と呼ばれる言語へ発展し,9世紀以降文化と文学の言語として影響力を誇ることになる.ペルシャ叙事詩の傑作 Shahnamah もこの言語で書かれている.ペルシャ語はアラビア語の影響を強く受けており,語彙などは半ばアラビア語である.
現在では,ペルシャ語と平行して,およそ似通った幾多の言語が広大な地域で行なわれている.東はアフガニスタンやパキスタンの Pashto (Afghan), Baluchi が,西はクルジスタンの Kurdish などが知られる.他にも多数の言語,方言がパミール高原,カスピ海沿岸,カフカスの谷に分布している.以下の地図の大半の地域を覆っていると考えられる.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 5th ed. London: Routledge, 2002.
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