中英語で yogh /joʊk, jɔux/ と呼ばれる <ȝ> の文字が用いられていたことについては,「#1914. <g> の仲間たち」 ([2014-07-24-1]) で取り上げた.現代英語の <g> の文字の周辺に関わる事情は歴史的には複雑だが,今回は yogh の文字に的を絞って考えてみたい.
まず重要なことは,<ȝ> は基本的には中英語において用いられた文字素 (grapheme) に対する呼称であるということだ.古英語でも,字形としてはさして変わらない文字が用いられていたのだが,それを指して yogh と称することはない.古英語のそれは,あくまで <g> (精確にいえば flat-headed g)と呼ぶべきである.
この事情をもう少し説明しよう.現代英語の <g> に相当する古英語の文字は,half-uncial 書体からアイルランド書体を経由して伝わった <<Ӡ>> の字形 (flat-headed g) をもっており,対応する音素は [g, j, ɣ] であった.ノルマン征服を経て中英語期に入ると,Anglo-French の綴字習慣の影響のもとで,<g> がさらに /ʤ/ の音価にも対応するようになり,文字素 <g> の機能負荷は高まった.一方,現代英語につらなる round-headed g は,ローマ草書体に由来し,それを受けたカロリンガ書体がノルマン征服後に輸入されることにより,英語の書記においても定着していた.そこで,<g> の機能過多を解消するという動機づけもあったのだろう,本来異なる書体に属する新参の round-headed g (<<g>>) と古参の flat-headed g (<<Ӡ>>) が,機能分化することになったのである.前者はフランス語にならって [g, ʤ] の音価に対応し,後者は古英語由来の摩擦音 [j, x, ɣ] を表わすようになった.ところで,後者は前述のように元来は flat-headed であったが,これも頭が丸い字形へ進化し,中英語までには「3」に似た <<ȝ>> になっていた.起源としては古英語に遡る,この頭の丸まった中英語の文字を指して yogh と呼ぶのである.このようにして,<g> と <ȝ> とは,中英語期の間,役割の異なる2つの文字素として,それぞれの務めを果たした.
しかし,やがて <ȝ> は,それが表わしていた音化 [j], [x], [ɣ] が各々 <y>, <gh>, <w> で綴られるようになるに及び,衰退していった.現代英語の文字素 <g> の周辺をまとめれば,古英語で1種類だったものが,中英語で2種類に分化したが,その後再び1種類に戻って,今に至るということである.
以上,田中 (128--30) を参照して執筆した.この話題に関連して「#447. Dalziel, MacKenzie, Menzies の <z>」 ([2010-07-18-1]),「#1651. j と g」 ([2013-11-03-1]),「#1824. <C> と <G> の分化」 ([2014-04-25-1]) も参照.
・ 田中 美輝夫 『英語アルファベット発達史 ―文字と音価―』 開文社,1970年.
英語の綴字と発音の関係には1対1ならぬ多対多の対応例が無数にあるが,<o> の綴字で [u] の母音を表わす例はないのかという質問が院生より出された.その場ですぐに思いつく例はなかったが,これは思いつきを待つというよりは,考えるべき,調べるべき問題である.考えるべきというのは,絞り込みをかける方法がいくつかありそうだからだ.まず,現代英語で奥舌高母音 /ʊ/ は最も頻度が低い短母音である([2012-02-13-1]の記事を参照).これで,例となる単語の絶対数は少なそうだという予測が立つ.
次に,この母音をもつ単語を思い浮かべてみる.すぐに挙がってくるのは push, put, pull などの <u> をもつグループと,book, foot, look などの <oo> をもつグループである.前者は古英語 /ʊ/ = <u> の関係が現代英語まで連綿と継承されてきた例である.この母音は一般的には1600年くらいまでに中舌化を経て,現代英語へ続く /ʌ/ を出力したが,主に唇音と /l/ や /ʃ/ に挟まれた環境では,上の例のように中舌化を経なかった.「唇音に後続する環境」をヒントに,標題の質問に対応するような例外がないだろうかと考えてみると,1つ思いつくことができた.古英語 wulf に由来する wolf の母音(字)である.前者は,綴字で縦棒 (minim) の連続する環境を避けるために <u> を <o> へ書き換えたという中英語の一般的な綴字習慣でうまく説明される例である.w を <uu> と綴る書記習慣では,wolf は <uuulf> として実現されてしまい,ひどく読みにくい.そこで,せめて <uuolf> として紛らわしさを減じた,ということである (Upward and Davidson 59) .この <u> を <o> で代用する習慣については,[2009-12-06-1]の記事「#223. woman の発音と綴字」や[2009-07-27-1]の記事「#91. なぜ一人称単数代名詞 I は大文字で書くか」でも取り上げた.とここまで書いて,woman の第1母音(字)も標題の質問に対するもう1つの答えであることに気づいた.
続いて,<oo> をもつグループを考えてみよう.このグループが示唆する音韻史は,/oː/ → (大母音推移) → /uː/ → (短化) → /ʊ/ という変化である.この音韻変化をたどりながらも綴字のほうは典型的な <oo> に落ち着かず,<o> を取っているような例を探せばよいことになるが,古英語 bōsm に由来する bosom の第1母音(字)がこれに相当する(中尾,p. 111).第2音節の母音は挿入によるものだが,第1音節の母音の変化は <oo> のグループと歴史をともにしている.
他には,to の弱化した発音の1つとして /tʊ/ がある.
・ Upward, Christopher and George Davidson. The History of English Spelling. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2011.
・ 中尾 俊夫 『音韻史』 英語学大系第11巻,大修館書店,1985年.
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