2022年のクリスマス・イヴです.この時期の英語での「時候の挨拶」は,いわずとしれた Merry Christmas! ですね.オリジナルの形は (I wish you a) merry Christmas! ほどで,挨拶 (greetings) のために先行する部分が省略された事例です.イギリス英語ではしばしば Happy Christmas! ともいわれ,宗教色を控えてHappy Holidays! なども用いられます.関連して「#4284. 決り文句はほとんど無冠詞」 ([2021-01-18-1]),「#4259. クリスマスの小ネタ5本」 ([2020-12-24-1]) もご一読ください.
Merry Christmas について OED を調べてみると,この挨拶の初出は初期近代英語期の1534年のことです.1534年といえば,ヘンリー8世がローマ教会と決別して英国国教会 (Church of England) を成立させた年ですね.16世紀からの最初期の3例文を挙げましょう.
1534 J. Fisher Let. 22 Dec. in T. Fuller Church Hist. Eng. (1837) v. iii. 47 And thus our Lord send yow a mery Christenmas, and a comfortable, to yowr heart desyer.
1565 J. Scudamore Let. 17 Dec. in Hereford Munic. MSS (transcript) (O.E.D. Archive) I. ii. 209 And thus I comytt you to god, who send you a mery Christmas & many.
1600 W. Shakespeare Henry IV, Pt. 2 v. iii. 36 Welcome mery shrouetide.
最初期は,共起する動詞は wish よりも send が普通だったのでしょうか.Lord 「主」から贈られる言葉だったようですね.
中英語期までは,代わりにアングロノルマン語由来の Nowell が「クリスマス」の意味および挨拶のために用いられていました (cf. フランス語 (Je souhaite un) joyeux No&etrema;l!) .OED の Nowell, int. and n. の第1語義と初例を覗いてみましょう.初例はジェフリー・チョーサー (Geoffrey Chaucer) の『カンタベリ物語』 (The Canterbury Tales) からです.
A. int.
A word shouted or sung: expressing joy, originally to commemorate the birth of Christ. Now only as retained in Christmas carols (cf. NOEL n.).
c1395 G. Chaucer Franklin's Tale 1255 Biforn hym stant brawen of tosked swyn, And Nowel crieth euery lusty man.
ちなみに,Nowell は「クリスマスの饗宴」の語義もあり,これは『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) の冒頭に近いアーサー王の宮廷の場面での使用が初例となっています.
c1400 (?c1390) Sir Gawain & Green Knight (1940) 65 (MED) Loude crye watz þer kest of clerkez & o綻er, Nowel nayted o-newe, neuened ful ofte.
クリスマス関連の語彙については,OED ブログより A Christmassy Lexicon の記事をお勧めします.
ということで,今日は中世風に Nowell!
映画『グリーン・ナイト』が公開中です.その原作『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) は14世紀末の中英語ロマンスですが,ほぼ同時代に書かれたジェフリー・チョーサー (Geoffrey Chaucer) の『カンタベリ物語』 (The Canterbury Tales) とは,あらゆる面で異なっています.前者はコテコテのイングランド北西部の英語方言で頭韻 (alliteration) によって書かれており,後者は後に標準英語へと発展していくロンドン英語で脚韻 (rhyme) によって書かれています.
チョーサーはもっぱら大陸由来の脚韻で詩作し,ゲルマン語としての英語に伝統的に受け継がれてきた頭韻には関心がなかったようです.現代の日本の歌謡界になぞらえていえば「私はポップス歌手だけれど民謡や演歌はやりませんよ」といった雰囲気です.このことは,チョーサー自身が本気では頭韻を利用していないこと,また『カンタベリ物語』の「教区主任司祭の話の序」 (ll. 42--47) にて,次のように述べていることからも間接的に知られます (The Riverside Chaucer より).
But trusteth wel, I am a Southren man;
I kan nat geeste 'rum, ram, ruf,' by lettre,
Ne, God woot, rym holde I but litel bettre;
And therfore, if yow list --- I wol nat glose ---
I wol yow telle a myrie tale in prose
To knytte up al this feeste and make an ende.
これを日本語に訳すと次のようになります.
ですが,ぜひともご理解いただきたいのですが,私は南の出身です.ですから "rum","ram","ruf" という具合に言葉の頭で韻を踏むことなどできません.また,神もご存知ですが,私は脚韻も踏むこともまずできません.ですから,よろしければ --- 注釈する気はさらさらないのですが --- 皆様に散文で楽しい話をいたしましょう.それでこのお楽しみの会で編まれるべきものをすべて編み上げて締めくくりましょう
チョーサーは,教区主任司祭という登場人物にやや軽んじた口調で 'rum, ram, ruff' と発言させています.文字通りには頭韻も脚韻もやりませんと読めますが,頭韻を脚韻より劣るものと見なしていると読むことも可能かもしれません.いかがでしょうか.ここでは,池上 (144) の読みを紹介しておきたいと思います.引用で「彼」とは詩人チョーサーのことです.
彼はどうもアーサー王物語の頭韻詩があまり好きでないらしい.時どき頭韻調を使ってみたり,『教区司祭の話 前口上』では,「私は南部の人間なので,ルム・ラム・ルフ (rum, ram, ruf) なんて頭韻を踏む吟唱などは出来ません」(X 四二ー四三)という有名な台詞がある.当時から見ても古くさい,異質の,田舎くさい,違ったジャンルの詩物語と見ているらしいのである.
このような時代と状況下で,なぜガウェイン詩人は主に頭韻を用いて詩作したのか.この辺りがおもしろい問題です.
・ Benson, Larry D., ed. The Riverside Chaucer. 3rd ed. Oxford: OUP, 1987.
・ ジェフリー・チョーサー(著),池上 忠弘(監訳) 『カンタベリ物語 共同新訳版』 悠書館,2021年.
・ 池上 忠弘(訳) 『「ガウェイン」詩人 サー・ガウェインと緑の騎士』 専修大学出版局,2009年.
映画『グリーン・ナイト』が公開中なので,連日この映画およびその原作『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) についての話題をお届けしています.一昨日,映画の字幕監修を務められた岡本広毅先生(立命館大学)と,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の生放送にて対談を行ないました.まだお聴きでない方はアーカイヴより「#544. 岡本広毅先生と『グリーン・ナイト』とその原作の言語をめぐって対談しました」を聴取ください.映画鑑賞のよい予習になると思います.
今回は「#4890. 中英語作品『ガウェイン卿と緑の騎士』より緑の騎士が登場するシーン」 ([2022-09-16-1]) と「#4931. 中英語作品『ガウェイン卿と緑の騎士』より冒頭の2スタンザ」 ([2022-10-27-1]) に引き続き,原作 Sir Gawain and the Green Knight より名シーンを読み上げつつ紹介します.緑の騎士が首切りゲームをふっかけるシーンです.
映画の紹介として「A24が贈るダーク・ファンタジー『グリーン・ナイト』,大塚明夫がナレーションを務めた解説動画解禁」として YouTube 動画(3分15秒)が公開されています.動画の0分50秒辺りから,映画のこのシーンと中英語テキストが導入されます.今回はこの中英語テキストを含む1スタンザ (ll. 279--300) を取り上げます.
今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」では「#545. 『ガウェイン卿と緑の騎士』より緑の騎士が首切りゲームをふっかけるシーンを中英語原文で読み上げます」として原文を音読していますので,ぜひお聴きください.
以下に中英語原文(Andrew and Waldron 版)と日本語訳(池上)を掲げます.
'Nay, frayst I no fyȝt, in fayth I þe telle;
Hit arn aboute on þis bench bot berdlez chylder.
If I were hasped in armes on a heȝe stede,
Here is no mon me to mach, for myȝtez so wayke.
Forþy I craue in þis court a Crystemas gomen,
For hit is Ȝol and Nwe Ȝer, and here are ȝep mony.
If any so hardy in þis hous holdez hymseluen,
Be so bolde in his blod, brayn in hys hede,
Þat dar stifly strike a strok for anoþer,
I schal gif hym of my gyft þys giserne ryche,
Þis ax, þat is heué innogh, to hondele as hym lykes,
And I schal bide þe fyrst bur as bare as I sitte.
If any freke be so felle to fonde þat I telle,
Lepe lyȝtly me to and lach þis weppen---
I quit-clayme hit for euer, kepe hit as his auen---
And I schal stonde hym a strok, stif on þis flet,
Ellez þou wyl diȝt me þe dom to dele hym anoþer
Barlay,
And ȝet gif hym respite
A twelmonyth and a day.
Now hyȝe, and let se tite
Dar any herinne oȝt say.'
「いや,正直に申して,戦いを望んでいるのではないのだ.この辺りの席には,ひげの生えていない子供(がき)しかおらぬようだな.わしが甲冑を身にまとい,大きな馬に打ち跨がるならば,力不足でわしに立ち向かえる相手は一人もおるまい.そういう具合だから,わしがこの宮廷で望むのはクリスマスの遊びごと,いまちょうどクリスマスと新年の時期で,ここには元気のよい面々が沢山おるからな.この館で我こそは胆力ありと思う者がいるなら,気性激しく心猛り,臆せず大胆不敵にも打撃を打ちかわす者がいるならば,褒美の品としてこの見事な戦斧をくれてやるぞ.この斧はずしりと重いやつで,思うように扱うのが難しいが,わしがここに坐って甲冑もつけず,最初の一撃を受けることにしよう.わしの言ったことを試してみようという肝のすわった奴がいるならば,すぐさま飛びだしてきてこの武器を手に取るならば,この斧を永久に譲渡し,そいつの物にしてやろう.この床に坐って怯まず,そいつの一撃を受けよう.ただし,わしがそいつに返しの一撃を加える権利をもつということで,
わしの番には,
だが猶予期間を与えよう,
一年と一日の.
さあ,急いだり,さあすぐに,
名乗り出る奴はここにはおらんのか.」
・ Andrew, Malcolm and Ronald Waldron, eds. The Poems of the Pearl Manuscript. 3rd ed. Exeter: U of Exeter P, 2002.
・ 池上 忠弘(訳) 『「ガウェイン」詩人 サー・ガウェインと緑の騎士』 専修大学出版局,2009年.
昨日,本ブログの音声版である Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて,目下全国で上映中の映画『グリーン・ナイト』とその原作である『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) の言語をめぐって,岡本広毅先生(立命館大学)と生放送の対談を行ないました.
おしゃべりを楽しみながらもたいへん勉強になった1時間でした.今朝の heldio でアーカイヴとして配信しましたので,そちらよりお聴きください.タイトルは,この hellog 記事と同じ「#544. 岡本広毅先生と『グリーン・ナイト』とその原作の言語をめぐって対談しました」です.1時間の長丁場ですので,お時間のあるときにどうぞ.
映画鑑賞の予習にもなると思います.これをお聴きいただいた後,映画館へ走っていただければと.
岡本先生より映画『グリーン・ナイト』の関連情報を教えていただきましたので,以下にリンクを張っておきます.
・ 映画公式サイト
・ 本映画の映像制作・配給会社 Transformer
・ 本映画の特設ツイッター
・ 「A24が贈るダーク・ファンタジー『グリーン・ナイト』,大塚明夫がナレーションを務めた解説動画解禁」
・ 「山田南平が映画「グリーン・ナイト」のイラスト描き下ろし,奈須きのこらコメントも」
遅ればせながら岡本広毅先生をご紹介します.岡本先生は中世英語英文学,アーサー王物語,中英語ロマンス,中世主義,英語の歴史を専門とされており,近年は『いかアサ』(以下を参照)の出版を含めアーサー王の物語に注目して精力的に研究をされています.岡本先生が関わられた直近の書籍を2点ご紹介します.
・ 岡本 広毅・小宮 真樹子(編) 『いかにしてアーサー王は日本で受容されサブカルチャー界に君臨したか』 みずき書林,2019年.
・ 菊池 清明・岡本 広毅 (編) 『中世英語英文学研究の多様性とその展望 --- 吉野利弘先生 山内一芳先生 喜寿記念論文集』 春風社,2020年.
岡本先生とは heldio でも何度か対談させていただいています.昨日の対談とも関連が深いので,以下も合わせてお聴きください.
・ heldio 「#173. 立命館大学,岡本広毅先生との対談:国際英語とは何か?」 (2021/11/20)
・ heldio 「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」 (2022/06/21)
・ heldio 「#478. 英語ヴァナキュラー談義(岡本広毅&堀田隆一)」 (2022/09/21)
岡本先生はヴァナキュラー文化研究会(立命館大学国際言語文化研究所)でも研究活動を行なわれています.今回の対談でも vernacular が話題となりました.この話題について関連する hellog の関連記事へのリンクも張っておきます.
・ 「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1])
・ 「#4809. OED で vernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1])
・ 「#4812. vernacular が初出した1601年前後の時代背景」 ([2022-06-30-1])
・ 「#4814. vernacular をキーワードとして英語史を眺めなおすとおもしろそう!」 ([2022-07-02-1])
岡本先生には khelf(慶應英語史フォーラム)の活動にも関わっていただいています.いつもありがとうございます!
今後も hellog や heldio でガウェイン関連の話題を取り上げていく予定ですので,皆さん,よろしくお付き合いください.
昨日映画『グリーン・ナイト』が全国ロードショーとなりました.原作は中英語アーサー王ロマンスの傑作とされる『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight,略して SGGK) です.この映画公開を念頭に,ここ数ヶ月の間,この hellog でも,Voicy の heldio でも,そして大学(院)の授業でも(!),この中英語テキスト (sggk) に注目してきました.
この SGGK の盛り上がり(私の勝手な盛り上げ?)のタイミングで,本日午前10:00--11:00に映画『グリーン・ナイト』の字幕監修を務められた立命館大学の岡本広毅先生と Voicy 生放送での対談をお届けします(すでに「#4957. heldio 生放送(岡本&堀田の対談)のお知らせ! 11月26日(土)午前10:00--11:00「ヴァナキュラーな『グリーン・ナイト』」」 ([2022-11-22-1]) でお知らせした通りです).
生放送中に岡本先生への質問も受け付けたいと思いますので,Voicy アプリよりお寄せください.ただし,生放送でお聴きできない方も心配無用です.収録の様子は,明朝の heldio にて配信する予定です.いずれにせよ映画鑑賞に出かける前の「予習」としてお聴きください(ただし少々のネタバレはあるかもしれませんので要注意).
さて,映画の予習となるはずの本日の対談生放送それ自体の予習として,14世紀後半に SGGK が「英語で」書かれた歴史的背景について,今朝レギュラー回の heldio で配信しました.「#544. 1/3ミレニアムにおよぶ英語の屈辱の時代」です,まずはこちらをお聴きください.
今でこそ英語は世界語とみなされる存在ですが,中英語期 (1100--1500年)には英語はイングランドの国語としてすら半ば認められていない弱小言語にすぎませんでした.では,なぜ14世紀後半にそのような言語で SGGK が書かれたのでしょうか.それは,この時期までにようやく英語が「復権」を遂げつつあったからです.1066年のノルマン征服によりフランス語による支配というくびきの下に入った英語は,時間をかけてゆっくりと威信を回復していき,14世紀後半に再び頭をもたげてきたのです.英語の屈辱の時期は,333年ほど,つまり1千年紀の1/3という長きにわたりました.
つまり,14世紀後半は英語にとって再び日の目を見ることになった瑞々しい時期なのです.無名の詩人によって今回注目している SGGK が著わされ,そして中英語文学の最高傑作であるジェフリー・チョーサーによる『カンタベリ物語』も著わされました.スゴい時代です.
ぜひ,以上の英語史的な背景を踏まえた上で映画『グリーン・ナイト』をご鑑賞いただければと思います.
今週末11月26日(土)の午前10:00--11:00に,Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で標記の生放送を配信します.立命館大学の岡本広毅先生との対談という形式でお届けします.
内容は,生放送の前日11月25日(金)に全国で封切りとなる映画『グリーン・ナイト』と,その原作である中英語ロマンス『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) について,その語りの媒体となっているヴァナキュラー,すなわち中英語イングランド北西方言に焦点を当てつつディープに雑談する予定です.映画公開直後ということですので,気を遣いつつも少々のネタバレはOK!?というノリで行きたいと思います(私もまだ観ていないままの対談なのです).緩く次のようなトピックで対談をお届けできればと思っています.
・ ヴァナキュラーな『グリーン・ナイト』について
・ 中英語原典『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) とその時代背景
・ 言語的特色(英語とローカリティ,方言)
・ 原典の紹介,読みどころ
・ 映画『グリーン・ナイト』に関して(ネタバレ注意)
26日(土)の生放送に向けて,事前に岡本先生に対するご質問やコメントなどがあれば,ぜひ上記の Voicy 配信案内を通じてお寄せください.また,生放送時の投げ込み質問にもなるべく対応したいと思っています.生放送に参加できない場合にも,翌朝の heldio レギュラー回で収録の様子をアーカイヴとして一般配信もしますので,そちらで聴取いただければ幸いです.
岡本先生より教えていただいた映画『グリーン・ナイト』の関連情報を,以下に貼り付けておきます.
・ 映画公式サイト
・ 本映画の映像制作・配給会社 Transformer
・ 本映画の特設ツイッター
・ 「A24が贈るダーク・ファンタジー『グリーン・ナイト』,大塚明夫がナレーションを務めた解説動画解禁」
・ 「山田南平が映画「グリーン・ナイト」のイラスト描き下ろし,奈須きのこらコメントも」
heldio では,これまでも岡本先生と3度ほど対談しています.今度の生放送に向けて,以下を聴取し復習・予習していただけると,理解度が倍増すると思います.実際,話す内容は過去回からの延長線上となる予定です.
・ heldio 「#173. 立命館大学,岡本広毅先生との対談:国際英語とは何か?」 (2021/11/20)
・ heldio 「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」 (2022/06/21)
・ heldio 「#478. 英語ヴァナキュラー談義(岡本広毅&堀田隆一)」 (2022/09/21)
さらに,今回の対談でも中心的な話題となるはずの vernacular についても,予習していただけると絶対におもしろくなると思います.以下に hellog の関連記事へのリンクを張っておきます.
・ 「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1])
・ 「#4809. OED で vernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1])
・ 「#4812. vernacular が初出した1601年前後の時代背景」 ([2022-06-30-1])
・ 「#4814. vernacular をキーワードとして英語史を眺めなおすとおもしろそう!」 ([2022-07-02-1])
・ 「#4885. 「英語ヴァナキュラー談義(岡本広毅&堀田隆一)」のお知らせ(9月20日(火)14:50--15:50 に Voicy 生放送)」 ([2022-09-11-1])
ぜひ肩の力を抜いて11月26日(土)の生放送をお聴きください!
中英語ロマンスの傑作『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) の翻案作品となる映画『グリーン・ナイト』が11月25日より公開されます.この機会を逃さず,大学(院)の授業などで SGGK の原文を読んでいます.
先日 hellog でも「#4890. 中英語作品『ガウェイン卿と緑の騎士』より緑の騎士が登場するシーン」 ([2022-09-16-1]) を紹介しつつ Voicy と連携して読み上げてみました(こちらから聴いてみてください).今回は,同じ趣向ですが,作品冒頭の2スタンザ (ll. 1--36) を中英語原文(Andrew and Waldron 版)に基づいて Voicy 「#514. 『ガウェイン卿と緑の騎士』より冒頭の2スタンザを中英語原文で読み上げます」で読み上げました.以下の原文とともにお聴きください.
Siþen þe sege and þe assaut watz sesed at Troye,
Þe borȝ brittened and brent to brondez and askez,
Þe tulk þat þe trammes of tresoun þer wroȝt
Watz tried for his tricherie, þe trewest on erthe.
Hit watz Ennias þe athel and his highe kynde,
Þat siþen depreced prouinces, and patrounes bicome
Welneȝe of al þe wele in þe west iles.
Fro riche Romulus to Rome ricchis hym swyþe,
With gret bobbaunce þat burȝe he biges vpon fyrst
And neuenes hit his aune nome, as hit now hat;
Ticius to Tuskan and teldes bigynnes,
Langoberde in Lumbardie lyftes vp homes,
And fer ouer þe French flod, Felix Brutus
On mony bonkkes ful brode Bretayn he settez
Wyth wynne,
Where werre and wrake and wonder
Bi syþez hatz wont þerinne
And oft boþe blysse and blunder
Ful skete hatz skyfted synne.
Ande quen þis Bretayn watz bigged bi þis burn rych
Bolde bredden þerinne, baret þat lofden,
In mony turned tyme tene þat wroȝten.
Mo ferlyes on þis folde han fallen here oft
Þen in any oþer þat I wot, syn þat ilk tyme.
Bot of alle þat here bult of Bretaygne kynges
Ay watz Arthur þe hendest, as I haf herde telle.
Forþi an aunter in erde I attle to schawe,
Þat a selly in siȝt summe men hit holden
And an outrage awenture of Arthurez wonderez.
If ȝe wyl lysten þis laye bot on littel quile,
I schal telle hit astit, as I in toun herde,
Wyth tongue.
As hit is stad and stoken
In stori stif and stronge,
With lel lettres loken,
In londe so hatz ben longe.
意味を確認するために Bantock の現代韻文訳および池上による日本語訳も挙げておきます.
When the assault on Troy and the siege had come to an end,
The ramparts smashed to a heap of smouldering ruins,
And that treacherous man Antenor brought to trial
For treason worse than has ever been known on earth,
Then noble Aeneas, with his clan of kindred knights,
Subdued the lands and at length became the lords
Of well nigh all of the wealth in the Western Isles.
Then swiftly, courageous Romulus swept into Rome,
His first concern to found, with fast-growing pride,
The noble city that now upholds his name.
Then Ticius with tents built interim towns in Tuscany,
And Langeberde laid out new homes in Lombardy.
Then the Channel was challenged from France by Felix Brutus,
Who boldly established Britain on her broad green slopes ---
In gladness long ago!
Though hatred, war and hell
Brought turmoil, tears and woe,
Their fortunes rose or fell
In endless ebb and flow.
The famous warrior founded Britain thus,
And bred a race of battle-loving men,
Who caused great torment in those troubled times.
More heart-enthralling things have happened there
Than anywhere else on earth since the ancient days.
But of the rulers reigning there, I have heard,
The noblest of all in honour was Arthur the king.
So now one great adventure will I make known,
Which many men will think a miracle ---
The most astounding tale of Arthur's time.
And if you'll listen to this legend a little while,
I'll tell it as I heard it told in town
In spoken song;
Inspired, I will expound
A story bold and strong,
With letters linked by sound,
As minstrels have made for long.
トロイの包囲攻撃が終わりをつげ,城都が崩壊し灰燼に帰してから,反逆を企てた騎士が裏切りの罪を問われて裁判にかけられたが,これは本当の話である.それは王子アエネーアスとその高貴な一族で,彼らはその後もろもろの大国を征服し,西方の諸島の財宝をほとんど手中にした支配者となった.偉大なロムルスはローマに逸速く侵入すると,まず手はじめに壮大にあの都市を建設し,自らの名前をとって命名したが,今でもその名で呼ばれている.ティシウスはトスカーナ地方に赴き住居を建て,ランゴバルドはロンバルディア地方に家屋をつくり,フェーリークス(幸福な)・ブルートゥスははるかフランス海峡を越えて多くの広大な丘陵にブリテンを創った,
喜び勇んで.
戦闘,災難,不思議なことが
おりおりそこで起り,
喜びと悲しみとがその後,たえず交互におとずれている.
この高貴な武将がブリテンを建国すると,剛胆な者どもが現われ,いくさを好み,幾度も紛争を引き起こした.この国ではその昔より,私が知っているどの国よりも世に驚くべきことがしばしば起っている.それはともかく,この国に居をかまえたすべてのブリテン王のうちで,アーサーこそ最も気高い王であったと聞いている.そこで奇妙な光景だと思うひともいるような世にも珍しい出来事,アーサーに関する話のうちでも途方もなく変った冒険談を語るつもりだ.みなさんがしばしの間,この物語詩に耳を傾けてくださるならば,いますぐに貴族の館で聞いたとおりに語りたいと思う,
言葉を使い.
それは勇壮な力強い物語に
書き留められて定着し,
正しい文字で結ばれて,
この国に長い間伝えられたもの.
・ Andrew, Malcolm and Ronald Waldron, eds. The Poems of the Pearl Manuscript. 3rd ed. Exeter: U of Exeter P, 2002.
・ Bantock, Gavin, trans. Sir Gawain & the Green Knight . Pearl: Two Middle-English Poems. Brimstone P, 2018.
・ 池上 忠弘(訳) 『「ガウェイン」詩人 サー・ガウェインと緑の騎士』 専修大学出版局,2009年.
来たる11月25日に公開予定の映画『グリーン・ナイト』は,中英語テキスト Sir Gawain and the Green Knight (『ガウェイン卿と緑の騎士』;sggk)の本格的な翻案作品です.その字幕監修を,岡本広毅先生(立命館大学)が担当されています.その岡本先生と来週 Voicy 生放送で対談することになっていますので,ぜひお聴きください.詳しくは「#4885. 「英語ヴァナキュラー談義(岡本広毅&堀田隆一)」のお知らせ(9月20日(火)14:50--15:50 に Voicy 生放送)」 ([2022-09-11-1]) をご参照ください.
今回は生放送に先立って,SGGK の中英語原文を少し紹介しておきたいと思います.この作品は,Chaucer などと同時代の14世紀後半のものとされる写本 British Library MS Cotton Nero A.x にのみ現存する 2530行,101スタンザからなる作者不明の韻文テキストです.いわゆるアーサー王物というジャンルの作品です.同写本には,他に Pearl, Cleanness, Patience という作品が収められています.中英語の中西部方言で書かれています.各スタンザは,頭韻を踏む12--37の長詩行の後に,5行の "bob and wheel" と呼ばれる ababa 型の短い脚韻行が続くという形式になっています.
今回は,冒頭に近い ll. 130--50 より,緑の騎士が登場する印象的なシーンを覗いてみることにしましょう.Andrew and Waldron 版からの引用です.
Now wyl I of hor seruise say yow no more,
For vch wyȝe may wel wit no wont þat þer were.
Anoþer noyse ful newe neȝed biliue,
Þat þe lude myȝt haf leue liflode to cach;
For vneþe watz þe noyce not a whyle sesed,
And þe fyrst cource in þe court kyndely serued,
Þer hales in at þe halle dor an aghlich mayster,
On þe most on þe molde on mesure hyghe;
Fro þe swyre to þe swange so sware and so þik,
And his lyndes and hys lymes so longe and so grete,
Half-etayn in erde I hope þat he were,
Bot mon most I algate mynn hym to bene,
And þat þe myriest in his muckel þat myȝt ride;
For of bak and of brest al were his bodi sturne,
Both his wombe and his wast were worthily smale,
And alle his fetures folȝande in forme, þat he hade,
Ful clene.
For wonder of his hwe men hade,
Set in his semblaunt sene;
He ferde, as freke were fade,
And oueral enker grene.
Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の本日の放送「#473. 『ガウェイン卿と緑の騎士』より緑の騎士が登場するシーンを中英語原文で読み上げます」で,この中英語原文を読み上げていますので,合わせてお聴きください.
意味を確認するために Bantock の現代韻文訳より,同じ ll. 130--50 の箇所を引用します.
I've told you enough about the tables there
For you to guess how gorgeous that feast was.
But now another new uproar quickly approached,
That stirred Aurthur's spirit so strongly he started to eat.
For, just as the joyful music was fading away
And the first of the festive dishes was duly being served,
The doors crashed open wide with a terrible din
And a hideous giant charged boldly into the hall!
His body was strong and so broad from neck to waist,
And his legs and arms and thighs so long and thick,
He might have been half a giant and half a man,
But if a man, the biggest of all on this earth
That ever rode on horse; and most handsome too;
For though his breast and back were broad and stout,
His waist was slender and his belly lithe and slim,
And all of his features followed this twofold form ---
Both lust and lean!
By his colouring the court was amazed,
The most staggering sight they had seen,
For the body of that bold knight blazed
Head to foot with flaming bright green!
日本語訳としては,池上より (p. 9) 引用します.
さて食事のもてなしの様子をこれ以上語るのはもうやめておこう,何ひとつ欠けるものがなかったことは誰でもよく分ることだから.突然,また別の新たな音楽が聞こえてきたので,これでどうやら王も食事がとれるのではないかと思われた.そのトランペットの音が途絶え,最初の料理が宮廷内にきちんと出し終えたとたん,そこへ大広間の入り口から恐ろしい形相の騎士が勢いよく乗り込んできた.背丈がこの世で最も高い男であった.首から腰までひどく角張りずんぐりとし,腰部と手足は非常に長くてがっしりしており,この男は現世の半巨人ではないかと思ったが,しかしとにかく一番大柄な人間であり,馬に乗れる者の姿かっこうとしては最も端麗な人物だと言っておこう.彼の身体では背中と胸がものすごく逞しく,腹と腰はともに程よくほっそりして,身体の他の部分もすべて同じように姿かたちの均整がよくとれ,
格好がよかった.
彼の容貌にはっきり見えた
彼の色にみなびっくり仰天した.彼は大胆な(恐ろしい妖精の)戦士のように振舞い,
全身色あざやかな緑であった.
・ Andrew, Malcolm and Ronald Waldron, eds. The Poems of the Pearl Manuscript. 3rd ed. Exeter: U of Exeter P, 2002.
・ Bantock, Gavin, trans. Sir Gawain & the Green Knight . Pearl: Two Middle-English Poems. Brimstone P, 2018.
・ 池上 忠弘(訳) 『「ガウェイン」詩人 サー・ガウェインと緑の騎士』 専修大学出版局,2009年.
標記の通り,9月20日(火)14:50--15:50 に,岡本広毅先生(立命館大学)と堀田隆一による Voicy 生放送「英語ヴァナキュラー談義」が予定されています.ご都合が合いましたら,奮って生聴取のほどよろしくお願いいたします.
・ 生放送へのリンクはこちらです
・ 事前に対談へのご質問や取り上げて欲しいトピックなどがありましたらこちらのフォームから自由にお寄せください
・ 生放送時の投げ込み質問にもなるべく対応できればと思っています
・ 生放送の収録は後日アーカイヴとして一般公開もする予定です
本ブログの音声版・姉妹版である Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」 では,これまでも様々な対談を行なってきました.今回は khelf(慶應英語史フォーラム)主催の khelf-conference-2022 という小集会(←有り体にいえば夏の「ゼミ合宿」です)の一環として,立命館大学の岡本広毅先生をお招きしてのライヴ対談となります.
岡本先生とはすでに heldio で2度ほど対談しています.今度の「英語ヴァナキュラー談義」は,過去2回の対談(とりわけ2回目の対談)の延長線上にある議論ですので,ぜひ過去回を改めてお聴きいただければと思います.
・ 「#173. 立命館大学,岡本広毅先生との対談:国際英語とは何か?」 (2021/11/20)
・ 「#386. 岡本広毅先生との雑談:サイモン・ホロビンの英語史本について語る」 (2022/06/21)
そもそも「ヴァナキュラー」とは何かというところから始め,それが英語史上どのような意義をもつのか,なぜ今それを考える必要があるのか,など縦横無尽に雑談を繰り広げたいと思っています.関連して,以下の hellog 記事もご参照ください.
・ 「#4804. vernacular とは何か?」 ([2022-06-22-1])
・ 「#4809. OED で vernacular の語義を確かめる」 ([2022-06-27-1])
・ 「#4812. vernacular が初出した1601年前後の時代背景」 ([2022-06-30-1])
・ 「#4814. vernacular をキーワードとして英語史を眺めなおすとおもしろそう!」 ([2022-07-02-1])
岡本広毅先生は,11月25日より公開される映画『グリーン・ナイト』の字幕監修も担当されています.『ガウェイン卿と緑の騎士』 (Sir Gawain and the Green Knight) の翻案作品ですが,この作品のヴァナキュラー性や字幕監修裏話なども含めてぜひお話しを伺いたいと思います.私も対談を楽しみにしています.本作品の映像制作・配給会社 Transformer および,特設ツイッターもご訪問ください.
khelf-conference-2022 では,上記対談の翌日9月21日(水)にも別の Voicy 生放送企画が予定されています.両日の生放送企画について詳しくはこちらの特設ページをご覧ください.また,両企画は以下でもご案内していますので是非お聴きください.
khelf-conference-2022 に関係する各種セッションについては,khelf 公式ツイッターアカウント @khelf_keio でも広報していますので,そちらもご覧ください.
中世英文学の規範テキストといえば,言わずとしれた Geoffrey Chaucer (1340--1400) の諸作品,なかんずく The Canterbury Tales である.英文学史の本流をなすこのテキストの評価は,今なお高い.一方,中世英文学の珠玉の名作と言われる Sir Gawain and the Green Knight をものした無名の詩人の諸テキストも文学的な評価は高いが,英文学史上の位置づけは Chaucer と比して周辺的である.これは,SGGK に類似したテキストが後に現われなかったことや,詩人の用いた言語が,英語の本流から外れた非標準的な匂いのするイングランド北西方言のものだったことが関わっているだろう.このように,英語や英文学に何らかの規範性を無意識のうちに認めている現代の校訂者や読者のもつ Chaucer と Gawain 詩人に対する見解には,多分に先入観が含まれている可能性がある.
Horobin (106) は,この先入観を,現代の校訂者が各々のテキストにおける綴字をどのように校訂したかという観点から明らかにしようとした.Horobin は,The Canterbury Tales の "The General Prologue" の有名な冒頭部分について,現代の標準的な校訂版である Riverside Chaucer のものと,最も権威ある写本の1つ Hengwrt 写本のものとを対比して,いかに校訂者が写本にあった綴字を現代風に改変しているかを示した.例えば,写本に現われる <þ> は校訂本では <th> に置き換えられており,種々の省略記号も暗黙のうちに展開されており,句読点も現代の読者に自然に見えるように付加されている.
一方,SGGK では,校訂者は写本テキストにそれほど改変を加えていない.<þ> や <ȝ> はそのまま保たれており,校訂本でも写本の見栄えを,完璧とはいわずともなるべく損なわないようにとの配慮が感じられるという.
Horobin (106) は,両作品の綴字の校訂方法の違いは現代校訂者の両作品に対する文学史上の評価を反映したものであると考えている.
The tendency for editors to remove the letter thorn in modern editions of Chaucer is quite different from the way other Middle English texts are treated. The poem Sir Gawain and the Green Knight, for instance, written by a contemporary of Chaucer's, is edited with its letters thorn and yogh left intact. This difference in editorial policy is perhaps a reflection of different attitudes to the two authors. Because Chaucer is seen as central to the English literary canon, there is a tendency to present his works as more 'modern', thereby accentuating the myth of an unbroken, linear tradition. The anonymous poet who wrote Sir Gawain and the Green Knight, using a western dialect and the old-fashioned alliterative metrical form, is further cut off from the literary canon by presenting his text in authentic Middle English spelling.
このような現代校訂者には,特に悪意はないかもしれないが,少なくとも何らかの英文学史上の評価に関わる作為はあるということだろうか.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
中英語期の英語で書かれた文学について,主として Baugh and Cable の110節 "Middle English Literature" (149--51) に依拠し,英語史に関連する範囲内で大雑把に概括したい.
中英語が社会言語的にたどった運命と,中英語文学は密接にリンクしている.ノルマン征服により,フランス語を話す上流階級の文学的嗜好は,当然ながらフランス語で書かれた書物へ向かっており,英語で書かれたものにパトロンが付く可能性は皆無だった.しかし,英語で物する者がいたことは確かであり,彼らは別の目的で書くという行為を行なっていたのである.それは,英語しか解さない一般庶民にキリスト教を布教しようという情熱に駆られた宗教者たちだった.したがって,1150--1250年に相当する初期中英語期に英語で書かれたものは,ほぼすべてが宗教的・説諭的な文学である.Ancrene Riwle や Ormulum (c. 1200) のような聖書の福音書の解釈本や,古英語に由来する聖者伝や説教集の焼き直しが,この時代の英語文学だった.例外的に Layamon's Brut (c. 1200) や The Owl and the Nightingale (c. 1195) のような非宗教的な文学も出たが,例外と言ってよい.この時代は,原則として "Period of Religious Record" と呼べるだろう.
次の100年間は,フランス語に対して英語が徐々に復権の兆しを示し初め,英語がより広く文学として表わされるようになってきた.フランス語で書かれた文学が翻訳されるなどして,14世紀にかけて英語の文学は勢いを増してきた.具体的には,非宗教的なロマンス (romance) というジャンルが英語という媒体に乗せられるようになった.1250--1350年の英語文学の時代は,"Period of Religious and Secular Literature" と呼ぶことができるだろう.
14世紀の後半までには,イングランドにおいて英語はほぼ完全な復活 (reestablishment_of_english) を果たし,この時期は中世英語文学史における華を体現することになる.Canterbury Tales や Troilus and Criseyde といった大著を残した Geoffrey Chaucer (1340--1400) を初めとして,社会的寓話 Piers Plowman (1362--87) を著わした William Langland,聖書翻訳で物議をかもした John Wycliffe (d. 1384),Sir Gawain and the Green Knight ほか3つの寓意的・宗教的な珠玉の詩を残した詩人が現われ,まさに "Period of Great Individual Writers" と言ってよいだろう.
15世紀は,Chaucer などの偉大な先人の影響下で,英語文学史上,影が薄い時期となっており,"Imitative Period",あるいは初期近代の Shakespeare までのつなぎの時期という意味で "Transition Period" などと呼ばれている.文学史的には相対的に過小評価されてきたきらいがあるが,Lydgate, Hoccleve, Skelton, Hawes などの傑物が現われている.スコットランドでも,Henryson, Dunbar, Gawin Douglas, Lindsay などが著しい活躍をなした.世紀末には Malory や Caxton が現われるが,この15世紀の語学や文学はもっと真剣に扱われてしかるべきである.この最後の時代の語学・文学的事情については,「#292. aureate diction」 ([2010-02-13-1]) および「#1719. Scotland における英語の歴史」 ([2014-01-10-1]) も要参照.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
今,中世英文学 Pearl を Andrew and Waldron 版で読んでいる.Cleanness, patience, Sir Gawain and the Green Knight とともに無名の詩人によって14世紀後半の北西イングランド方言で書かれた作品である.いずれも British Library MS Cotton Nero A.x にのみ現存する名品だ.
校訂本や注釈書など関連書誌は多く挙げることができるが,以下では主としてウェブ上のリソースへリンクを張っておきたい.
[ 電子テキスト ]
・ Corpus of Middle English Prose and Verse より,1953年版 (Pearl. Ed. E. V. Gordon. Oxford: Clarendon Press, 1953) に基づいた Digitised Text of Pearl が閲覧可能.
・ TEAMS: Middle English Texts 提供のテキスト Pearl by Robbins Library Digital Projects では,本文とともに語注・脚注が付されている.Pearl: Introduction のページでは,イントロと関連書誌も得られる.
・ Pearl by Bill Stanton では,イントロのほか,原文と現代英語訳の電子テキストが閲覧できる.
[ 写本画像 ]
・ The Cotton Nero A.x Project のサイトの Browse the Manuscript Images より,Pearl Manuscript の画像をフルで閲覧することができる.
[ 関連情報・書誌 ]
・ Entry for "Pearl" in Middle English Compendium HyperBibliography
・ 上にも挙げた Cotton Nero A.x. Project より,Web Resources for Pearl-poet Study: A Vetted Selection がリンク集として有用.
・ Pearl (poem) by Wikipedia では,書誌が役立つ.
最後に,オンラインの MED を利用して,Pearl からの引用を含む全エントリーへのリンクを整理した.行番号順に並べてあるので,テキストを読みながら一種の語注として使える.A Pearl Glossary Derived from MED Entries よりアクセスを.
・ Andrew, Malcolm and Ronald Waldron, eds. The Poems of the Pearl Manuscript. 3rd ed. Exeter: U of Exeter P, 2002.
中世の英語ロマンスの傑作 Sir Gawain and the Green Knight で,緑の騎士が登場する場面 (ll. 135--56) で,標記の「one the + 最上級」の表現が現れる(引用は Andrew and Waldron 版より).
Þer hales in at þe halle dor an aghlich mayster,
On þe most on þe molde on mesure hyghe;
ここで On þe most は,"the very biggest (one)" ほどの強調された意味をもち,"one of the very biggest (ones)" とは区別されることに注意されたい.最上級を強める働きをする one の用法である.中英語では非常に頻繁に現れる用法で,MED でも ōn (pron.) の語義 7b のもとに,多くの例が挙げられている.OED では,one, adj., n., and pron. の見出し語とのもとで C. pron. †3a に当該の用法の記述がある.
Mustanoja (297) によると,「the + 最上級」の代わりに「the + 原級」が使われる例が Trin. Hom. 185 に1つあるという.
þat is þat bihotene lond, þar is on þe wunsume bureh and on þe hevenliche wunienge þar alle englen inne wunien
しかし,「the + 最上級」のほうが普通であり,この用法は11世紀より文証される.ane þa mæstan synne, on þe fairest toun, oon the grettest remedye, oon the unworthieste, oon the beste knyght, on þe sellokest swyn など枚挙にいとまがない.この用法は16世紀にはまれとなり,Spenser や Shakespeare がほぼ最後の使用者となる.まさに,中英語に華々しく咲いて散った強意の表現だったといえる.
Middle High German, Early Modern High German, Middle Low German, Middle Dutch, Old Norse,Swedish など他のゲルマン諸語にも対応表現が文証され,ギリシア語 μóνος やラテン語 unus の強調用法にも通じるところがあり,またフランス語の une dame la plus belle にも比較されるので,英語の one the most の型にはこれらの関与があるのではないかと疑う向きもあるが,Mustanoja (298--99) は英語独自の発達と見ている.
There is every reason to look upon the types one the good man and one the best man as natural outgrowths of the organic structural pattern of native linguistic usage. They offer striking parallels to the common OE type min se leofa (leofesta) freond. The characteristic feature in constructions of this kind is the isolation of an attribute or other defining word from the noun or noun-group by means of an intervening element (called a Gelenkspartikel and particule d'articulation by German and French Romance scholars). This isolation has the effect of bringing out into relief the idea expressed by the attribute, i.e., of making this word and the whole group more emphatic.
one と the + 最上級とを隔離することによって統語的及び意味的に際立たせるという点に関して,Mustanoja (299) は次のような表現との関連も指摘している.
This peculiar rhythmic arrangement, which probably has counterparts in most languages of the world, is responsible for such common types as all the world, both the(se) boys, half a bottle, too long a story, what a night, etc.
half a bottle のような表現の語順については,「#788. half an hour」 ([2011-06-24-1]) で韻律的な要因を議論したが,Mustanoja のいうように意味的,機能的な要因も考慮する必要があろう.
one the most の型が中英語に咲いて散った表現ということであれば,その前後の時代を含めた通時的な調査も必要となる.
・ Andrew, Malcolm and Ronald Waldron, eds. The Poems of the Pearl Manuscript. 3rd ed. Exeter: U of Exeter P, 2002.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
中英語ロマンスを読んでいると,ヒロインが grey eyes をもつ美女として描写されることが多い.美女の描写であるから,grey eyes が具体的にどのような瞳を表わしているのか,ぜひ知りたいと思うのだが,これが案外と難しい問題である.中世と現代とで美的感覚が異なることはおおいにあり得るとしても,「灰色の瞳」とは本当に美しいものなのだろうか.あるいは,中英語の grey の表わす意味が,現代英語の grey とは異なっていたという可能性はないだろうか.
例えば,Sir Gawain and the Green Knight の ll. 81--84 の "wheel" 部では,アーサー王妃 Guenevere が grey eyes をもつ美女として描かれている(Andrew and Waldron 版より引用).
Þe comlokest to discrye
Þer glent with yȝen gray;
A semloker þat euer he syȝe
Soth moȝt no mon say.
この gray の解釈は,編者によっても異なっている.Andrew and Waldron はグロッサリーで "(of eyes) blue-grey" としており,「青みがかった灰色」と解釈している.Gollancz, Barron, Tolkien and Gordon は,現代英語の grey と同一であるとしており,「青み」を積極的に排除しているわけではないが,基本的には「灰色」とみなしていることになる.grey eyes は灰色の瞳を指すという素直な解釈は,OED でも語義3において "Having a grey iris" として採用されている.
しかし,MED では grei (adj. & n.) では,異なる解釈が示されている.語義 2 (b) で,"of eyes: bright, gleaming (of indeterminate color)" とあり,色合いではなく光り輝く様を記述する形容詞とされている.同じ解釈は Silverstein によっても示されており,"With lively, sparkling eyes" として注が与えられている.中英語には,greye as glas (The General Prologue, l. 152 の Prioress や,The Reeve's Tale, l. 3974 の粉屋の娘の形容)や grey as crystalle stone などの表現もみつかるし,「星のような目」という描写も広く見られることから,瞳の色合いそのものよりはその輝きに注目して美しさを表現するという伝統があったのかもしれない.
西洋中世における美女描写の伝統については Brewer が詳しいが,12世紀より前には,文学上,さして重要な伝統とはされていなかったという.しかし,以降は,典型的な描写の伝統が中世の終わりまで続いた.その伝統の上に,時に革新的な表現が現われた.例えば,"whiter than the swan" のような美女の形容は中英語における創案とされる (Brewer 262) .一方,grey eyes はフランス語で創案された des yeux vaires の翻訳だろうといわれている.ただし,この vaires なる形容詞の解釈も,色合いと輝きのいずれを表わしたのか不明であり,grey eyes の解釈に必ずしもヒントを与えてくれない.
・ Andrew, Malcolm and Ronald Waldron, eds. The Poems of the Pearl Manuscript. 3rd ed. Exeter: U of Exeter P, 2002.
・ Gollancz, Israel, ed. Sir Gawain and the Green Knight. EETS os 250. 1950.
・ Tolkien, J. R. R. and E. V. Gordon, eds. Sir Gawain and the Green Knight. 2nd ed. Rev. Norman Davis. Oxford: Clarendon, 1967.
・ Barron, W. R. J., ed. Sir Gawain and the Green Knight. Manchester: Manchester UP, 1974.
・ Silverstein, Theodore, ed. Sir Gawain and the Green Knight. Chicago: U of Chicago P, 1983.
・ Brewer, D. S. "The Ideal of Feminine Beauty in Medieval Literature, Especially 'Harley Lyrics', Chaucer, and Some Elizabethans." The Modern Language Review 50 (1955): 257--69.
現代英語の基本動詞の1つ choose は,語源辞典などを引くと非常に複雑な形態の歴史をもっていると知られるが,中英語での語義の展開のおもしろさについて言及されることは,あまりない.Sir Gawain and the Green Knight をグロッサリーを引き引き読んでいたら,choose が立て続けに予想外の語義で使われている箇所に出くわした(Andrew and Waldron 版より).
778: And he ful chauncely hatz chosen to þe chef gate,
. . . .
798: Chalk-whyt chymnées þer ches he innoȝe,
MED "chesen (v)" の語義でいうと 8 と 9 に相当する意味である.
8. To choose or take one's way; ~ wei (gate); proceed or go (to or from a place); refl. betake oneself; ~ fast, to hurry.
9. (a) To perceive (sth., sb.); also, recognize; (b) to distinguish (one thing from another).
前者は「(自らの道を)選ぶ,行く」,後者は「選別(判別,識別,弁別)する」ということになろうか.前者については,古高地ドイツ語やフランス語の対応語にも類似した語義があるという.後者については,現代英語に There is nothing to chose between A and B. (AとBの間に優劣はまったくない)という言い回しがあり,この表現での choose が 9. (b) の "distinguish (between A and B)" に近く,9. (a) の "perceive; recognize" にも通じることがわかる.ついでに,日本語を考えてみると,「子供のすることと選ぶ所がない」のように先の英語表現と近い表現がある.なお,OED では,B. 8, B. 7 の語義が上の2つの語義にそれぞれ対応しているが,いずれも近代までには廃用となっている.
さて,choose をゲルマン祖語や印欧祖語へと遡ると,どうやら "test by tasting" (味わう,味見する)の原義にたどりつく.「味」を表わす gusto, gust などとも語源的に遠く関連している.「味の違いがわかる」=「選ぶ」と考えると,選ぶということは,生存のために必須の能力であるとともに,文化の香りすらする高尚な行為であると解釈できる.付け加えれば,elegant (上品な,優雅な)も,英語 elect (選ぶ)の源であるラテン語 ēligere (選ぶ)の現在分詞に由来し,「選択眼のある」が原義である.もっとも,選択や好みがうるさすぎると choosy となり,語感は一気に落ちる.
現在では choose の上の2つの語義は廃れてしまったとはいえ,基本動詞の意味展開には興味深いものがある.
・ Andrew, Malcolm and Ronald Waldron, eds. The Poems of the Pearl Manuscript. 3rd ed. Exeter: U of Exeter P, 2002.
[2011-08-20-1]の記事で「#845. 現代英語の語彙の起源と割合」を総括したが,中英語の語彙の内訳はどうだったのだろうか.これについても様々な研究があるが,従来の統計では,古英語由来の語彙が60--70%,古仏語由来の語彙が22--30%,古ノルド語由来の語彙が8--10%,それ以外が1%未満という数値が出されている (Duggan 238) .
ところが,Norman Hinton が1980年代後半から発表している中英語語彙の大規模な調査の報告によれば,従来の統計とは相当に異なる数値が示されている.Hinton の論文は未入手なので,以下は Hinton の報告そのものではなく,Duggan (238--39) で言及されているその概要に基づくものだが,参考までに要約する.
MED からランダムに取り出した数千語の見出し語とその語源情報に基づいて語種を分類した結果,Germanic 35.06%, Romance 64.54%, Other 0.35% という数値がはじき出された.従来の統計と比べると Germanic と Romance の数値が逆転しているかのようであり,統計の前提や手法によって,これほどまでに結果が左右されるものかと恐ろしくなる.いずれの統計も,眉に唾を付けて解釈しなければならないことは認めつつ,先を続けよう.
Hinton は,Chaucer や Cotton Nero A.x の言語についても語彙分類を行なっており,中英語の特定の時期における語彙の平均的な内訳と比較することによって,各言語の「年代測定」を試みている.Chaucer の語彙内訳は Germanic 38.5%, Romance 61.2%, Other 0.09% という比率であり,これは1460年の平均的な比率に相当するという.また,Cotton Nero A.x については Germanic 58.7, Romance 41%, Other 0.15% という比率で,1390年の平均的な比率を指すという.これはもちろん理論値であり,絶対年代を指すわけではない.むしろ,Chaucer と Cotton Nero A.x の70年という相対的な差が,それぞれの語彙の使い分けの差,そしておそらくは文体的な差に対応しているかもしれないという可能性がおもしろい.
・ Duggan, H. N. "Meter, Stanza, Vocabulary, Dialect". Chapter 8 of A Companion to the Gawain-Poet. Ed. Derek Brewer and Jonathan Gibson. Cambridge: Brewer, 1997. 221--42.
・ Hinton, Norman "The Language of the Gawain-Poems." Arthurian Interpretations 2 (1987): 83--94.
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