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demonstrative - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-11-12 07:24

2024-07-01 Mon

#5544. 古英語の具格の機能,3種 [oe][noun][pronoun][adjective][article][demonstrative][determiner][case][inflection][instrumental][dative][comparative_linguistics]

 古英語には名詞,代名詞,形容詞などの実詞 (substantive) の格 (case) として具格 (instrumental) がかろうじて残っていた.中英語までにほぼ完全に消失してしまうが,古英語ではまだ使用が散見される.
 具格の基本的な機能は3つある.(1) 手段や方法を表わす用法,(2) その他,副詞としての用法,(3) 時間を表わす用法,である.Sweet's Anglo-Saxon Primer (47) より,簡易説明を引用しよう.

          Instrumental
   88. The instrumental denotes means or manner: Gāius se cāsere, ōþre naman Iūlius 'the emperor Gaius, (called) Julius by another name'. It is used to form adverbs, as micle 'much, by far', þȳ 'therefore'.
   It often expresses time when: ǣlċe ȝēare 'every year'; þȳ ilcan dæȝe 'on the same day'.


 具格はすでに古英語期までに衰退してきていたために,古英語でも出現頻度は高くない.形式的には与格 (dative) の屈折形に置き換えられることが多く,残っている例も副詞としてなかば語彙化したものが少なくないように思われる.比較言語学的な観点からの具格の振る舞いについては「#3994. 古英語の与格形の起源」 ([2020-04-03-1]) を参照されたい.ほかに具格の話題としては「#811. the + 比較級 + for/because」 ([2011-07-17-1]) と「#812. The sooner the better」 ([2011-07-18-1]) も参照.

 ・ Davis, Norman. Sweet's Anglo-Saxon Primer. 9th ed. Oxford: Clarendon, 1953.

Referrer (Inside): [2024-07-02-1]

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2024-03-10 Sun

#5431. 指示詞 that は定冠詞 the から独立して生まれた [exaptation][language_change][article][demonstrative][determiner][oe][pronoun][voicy][heldio][reanalysis]

 英語史では,指示詞 that が定冠詞 the から分岐して独立した語であることが知られている.古英語の定冠詞(起源的には指示詞であり,まだ現代の定冠詞としての用法が強固に確立してはいなかったが,便宜上このように呼んでおく)の se は性・数・格に応じて屈折し,様々な形態を取った.そのなかで中性,単数,主格・対格の形態が þæt だった.これが現代英語の指示詞 that の形態上の祖先である.この古英語の事情に鑑みると,thatthe の1形態にすぎないということになる.
 では,なぜその後 thatthe の仲間グループから抜け出し,独立した指示詞として発達したのだろうか.古英語から中英語にかけて,定冠詞の様々な屈折形態は the という同一形態へと水平化していいった.この流れが続けば,the の1屈折形にすぎない that もやがて消えゆく運命ではあった.ところが,that は指示詞という別の機能を獲得し,消えゆく運命から脱することができたのである.正確にいえば,もとの the 自身にも指示詞の機能はあったところに,その指示詞の機能を the から奪うようにして that が独立した,ということだ.つまり,指示詞 that の機能上の祖先は the に内在していたことになる.その後,既存の「近称」の指示詞 this との棲み分けが順調に進み,that は「遠称」の指示詞として確立するに至った.
 Fertig (37--38) は,この一連の言語変化を外適応 (exaptation) の事例として紹介している.

A simple example can be seen in the modern survival of two singular forms from the Old English demonstrative paradigm: the and that. The contrast between these two forms originally reflected a gender distinction; that (OE þæt) was an exclusively neuter form, while the predecessors of the were non-neuter. One would expect one of these forms to have been lost with the collapse of grammatical gender. They survived by being redeployed for the distinction between definite article (the) and demonstrative (that).


 指示詞 that の発達と関連して,以下の heldio と hellog のコンテンツを参照.
 
 ・ heldio 「#493. 指示詞 this, that, these, those の語源」


 ・ hellog 「#154. 古英語の決定詞 se の屈折」 ([2009-09-28-1])
 ・ hellog 「#156. 古英語の se の品詞は何か」 ([2009-09-30-1])

 ・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.

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2022-09-23 Fri

#4897. this apple の驚くべき多義性 [polysemy][semantics][pragmatics][demonstrative][deixis]

 ある人が,果物屋でリンゴを1つ取り上げながら,I like this apple. という英文を発話している場面を想像してください.私たちはこの英文を「私はこのリンゴが好きです」と容易に和訳できますし,その意味を完全に理解できていると思い込んでいますが,本当にそうでしょうか? この文がきわめて多義的となり得ることに気づいたことがあるでしょうか? とりわけ this apple の部分が意外と難しいのです.
 まず,this apple が unit の読みか type の読みかという多義性があります.「隣のリンゴではなく,今取り上げているこのリンゴ」というつもりであれば unit の読みとなりますが,「隣の箱の別品種のリンゴではなく,今取り上げているものが代表している品種のリンゴ(例えば「ふじ」)」であれば type の読みとなります.
 しかし,本当は type の読みにも様々な可能性があります.上記ではたまたま「品種」という観点から type 分けをしたのですが,type 分けには他の観点もあり得ます.国内産か否かという観点からの区分もあり得ますし,収穫された農園ごとの区分もあり得ます.大きさ,色,成熟度,値段という観点もあり得ます.実際の文脈では,いずれの観点からの type か,聞き手が高い確率で推測できるケースがほとんどだろうとは思いますが,this apple という表現に少なくとも潜在的な多義性があることは分かってきたのではないでしょうか.
 指示詞 this のもつ直示性に由来する意味論的・語用論的多義性,および名詞 apple の指示対象である「りんご」の意味論的・語用論的多義性が合わさって,一見すると何も難しいところのなさそうな this apple という表現の意味内容が,驚くほど複雑かつ多様であり得ることが分かったかと思います.
 以上,Cruse (50) の議論を参照して執筆しました.

 ・ Cruse, D. A. Lexical Semantics. Cambridge: CUP, 1986.

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2017-11-16 Thu

#3125. 基本語順の類型論 (2) [word_order][syntax][typology][adjective][demonstrative][numeral][world_languages]

 昨日の記事 ([2017-11-15-1]) で,基本語順の類型論について Greenberg の古典的研究に触れた.Greenberg は30の言語を対象に,数種類の語順を比較した.その結果,「(日本語のように)SOV型の言語であれば後置詞をもつ可能性が高い」などの類型論上の含意 (typological implication) が多数認められることを明らかにした.Greenberg (107--08) のまとめた比較表を以下に挙げる.

LanguageVSOPrNANDN Num
BasqueIII-xx-
BerberIxxx-
BurmeseIII-x1--2
BurushaskiIII----
ChibchaIII-x-x
FinnishII----
FulaniIIxxxx
GreekIIx---
GuaraniI-x-0
HebrewIxxx-
HindiIII----
ItalianIIxx3--
KannadaIII----
JapaneseIII----2
LoritjaIII-xxx
MalayIIxxx-2
MaoriIxx--
MasaiIxx-x
MayaIIx---2
NorwegianIIx---
NubianIII-x-x
QuechuaIII----
SerbianIIx---
SonghaiII-xxx
SwahiliIIxxxx
ThaiIIxxx-2
TurkishIII----
WelshIxx3x-
YorubaIIxxxx
ZapotecIxxx-


 1列目は S, V, O の3要素に関する語順であり,I は VSO, II は SVO, III は SOV を表わす.
 2列目は前置詞 (Pr) をもつか,あるいは後置詞 (-) をもつかを表わす.
 3列目は「名詞+形容詞」の語順 (NA) か,「形容詞+名詞」の語順 (-) かを表わす.
 4列目は「名詞+指示詞」の語順 (ND) か,「指示詞+名詞」の語順 (-) かを表わす.
 5列目は「名詞+数詞」の語順 (N Num) か,「数詞+名詞」の語順 (-) かを表わす.

 右肩に番号の付された注については,正確さのために原文より引用しよう (108) .

1. Participle of adjective-verb, however, precedes and is probably as common as adjective following.
2. Numeral classifiers following numerals in each case. The construction numeral + classifier precedes in Burmese and Maya, follows in Japanese and Thai, and either precedes or follows in Malay.
3. In Welsh and Italian a small number of adjectives usually precede.


 全体として,5種類の語順のあいだに弱からぬ相関関係があることを見て取ることができる.対象となった言語は30個にすぎないとはいえ,異なる系統や地域からの言語が選択されており,それなりに信頼することのできる調査結果として受け入れられている.
 関連して,「#2786. 世界言語構造地図 --- WALS Online」 ([2016-12-12-1]) で紹介した The World Atlas of Language Structures (WALS Online) も参照.

 ・ Greenberg, Joseph P. "Some Universals of Grammar with Particular Reference to the Order of Meaningful Elements." Chapter 5 of Universals of Language. Ed. Joseph P. Greenberg. 2nd ed. Cambridge, Mass.: M.I.T. P, 1966. 73--113.

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2017-02-20 Mon

#2856. 世界の諸言語における冠詞の分布 (2) [article][typology][indo-european][linguistic_area][world_languages][grammaticalisation][information_structure][demonstrative][contact][geolinguistics][definiteness]

 昨日の記事で,冠詞をもつ言語はそれほど多くないことを見た.だが,興味深いのは,地理的な分布がある程度偏りを示すことである.ヨーロッパ,アフリカ,南西太平洋に冠詞をもつ言語が多い.今回の記事では,山本の論文を参照しつつ,冠詞言語の地理的な偏在に焦点を当てたい.
 英語における冠詞の発達は,「#2144. 冠詞の発達と機能範疇の創発」 ([2015-03-11-1]) で取り上げたように,指示詞や数詞からの言語内的な文法化 (grammaticalisation) の結果と論じられている.冠詞をもつ他の言語でも同様の内的な発達としてとらることは可能である.しかし,上述のように地理的なまとまりが見られることから,山本 (139) は「地理的に言語連合を成して発達しやすいという側面の方が強いように思われる」と述べている.つまり,長期にわたる言語接触により形成される言語圏 (linguistic_area) の考え方が背景にある.
 ある言語圏内で共有される言語項の可能性は,発音様式から統語構造に至るまで様々だが,基本語順もその可能性の1つである.昨日の記事でも触れたように,冠詞は動詞初頭語順をもつ言語にしばしば見受けられるが,この語順は世界の諸言語のなかでは1割ほどしかみられず,しかも分布がやはり偏っているのである.例えば,島嶼ケルト語派,ヘブル語,アラビア語,オーストロネシア諸語などが動詞初頭語順をもち,かつ冠詞をもつ言語群である.
 では,この2つの言語的特徴に何らかの接点はあるのだろうか.山本 (139) は次のように論じている.

スラブ諸語や中国語等に典型的に見られるように,一般に,文頭というのは,しばしば題目ないし定の情報が占め,情報の提示において最も基本的な位置と考えられる.しかし,動詞初頭言語の場合は,この位置を名詞的要素でなく動詞が占めて,名詞の定・不定を表現するのに文頭位置を利用し難いために,名詞的要素に冠詞を付して定・不定の区別等を示す必要性が,比較的高くなっていると考えられる.


 これと関連して,動詞初頭語順をもつ言語ならずとも,語順が厳しく定まっている言語では一般的に名詞的要素の置き場所を利用して定・不定を標示するのが難しいために,冠詞という手段が採用されやすいという事情があるかもしれない.
 さらに,「象は鼻が長い」のような「題目――評言」型の「題目卓越型言語」と,「象の鼻が長い」のような「主語――述部」型の「主語卓越型言語」との類型的な区別を考えるならば,前者では定の情報は題目において表わされるので,冠詞のような,それ以外に特別な定標示の手段は不要であるが,後者では冠詞のような明示的な手段が要求されやすい,という事情もありそうだ.こうした観点から評価すると,英語は確かに (1) 主語卓越型であり,(2) 厳しい語順の制約をもつ言語であるから,冠詞という言語形式とは相性がよいことになる.
 上で述べてきたことは,冠詞をもつ言語内的な動機づけでもあり,かつ言語圏という考え方に基づいた言語外的な動機づけでもある.冠詞の分布は,おそらくこれらの言語内外の要因が互いに絡み合って,ある程度の偏りを示すのだろう.

 ・ 山本 秀樹 「言語にとって冠詞とは何か」 『『言語』セレクション』第1巻,月刊『言語』編集部(編),大修館書店,2012年.136--41頁.(2003年10月号より再録.)

Referrer (Inside): [2019-10-23-1]

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2016-08-28 Sun

#2680. deixis [pragmatics][deixis][demonstrative][personal_pronoun][tense][adverb]

 語用論の基本的な話題の1つに deixis (ダイクシス,直示性)がある.この用語は,ギリシア語で「示す,指し示す」を意味する deikunúnai に由来する.Huang (132) の定義によれば,deixis とは "the phenomenon whereby features of context of utterance or speech event are encoded by lexical and/or grammatical means in a language" である.直示表現 (deictic (expression)) には,指示詞 (demonstrative),1・2人称代名詞 (1st and 2nd personal_pronoun),時制標識 (tense marker),時や場所の副詞 (adverb of time and place),移動動詞 (motion verb) が含まれる.
 何らかの deixis をもたない言語は存在しない.それは,deixis を標示する手段がないと,人間の通常のコミュニケーション上の要求を満たすことができないからだ.確かに「私」「ここ」「今」のような直示的概念なしでは,いかなる言語も役に立たないだろう.海辺で拾った瓶のメモに "Meet me here a month from now with a magic wand about this long." と書かれていても,誰に,どこで,いつ,どのくらいの長さの杖をもって会えばよいのか不明である.これは読み手が書き手の意図した deixis を解決できないために生じるコミュニケーション障害である.
 英語の直示表現の典型例として you を挙げよう.通常,話し相手を指して you が用いられ,時と場合によって you の指示対象は変わるものであるから,これは典型的な直示表現といえる.しかし,If you travel on a train without a valid ticket, you will be liable to pay a penalty fare. のように一般人称として用いられる you では,本来の直示的な性質はなりをひそめており,2人称代名詞 you の非直示的用法の例というべきだろう.
 直示表現のもう1つの典型例として,this を挙げよう.指さしや視線などの物理的なジェスチャーを伴って this table と言うとき,この this はすぐれて直示的な用法といえるが,物理的な行動を伴わずに this town と言うときには,この this は直示的ではあるがより象徴的な用法といえる.後者は前者からの発展的,派生的用法と考えられ,実際,ジェスチャー用法 (gestural) でしか用いられず,象徴的 (symbolic) な用法を欠いているフランス語の voici, voilà のような直示表現もある.言い換えれば,象徴的用法のみをもつ直示表現というのはありそうにない.
 以上より,直示表現の用法は以下のように分類される (Huang 135 の図を改変).

                                                    ┌─── Gestural
                                                    │
                         ┌─── Deictic use ───┤
                         │                         │
Deictic expression ───┤                         └─── Symbolic
                         │
                         └─── Non-deictic use

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

Referrer (Inside): [2016-11-24-1] [2016-08-30-1]

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2015-05-20 Wed

#2214. this, that が単独で人を指しにくい歴史的理由 [gender][deixis][gender][demonstrative][personal_pronoun][semantics]

 現代英語では,指示代名詞である this, that, these, those は各々単独で,人を指示することができる.しかし,単数系列にはある特徴がある.単数の this, that が単独で人を指す場合には,原則として軽蔑的な含意がこめられるというのだ(本記事では,This is John. のような人を紹介する文脈での用法は除くものとする).この用法に関心を示した Poussa (401) は,that のこの用法の初例として OED から1905年の例文を引いている.

'Would you like to marry Malcolm?' I asked. 'Fancy being owned by that! Fancy seeing it every day!' (Eleanor Glynn, Vicissitudes of Evangeline: 127).


 Poussa は,このような that(や this)の用法を,英語史上,比較的最近になって現われたものとし,社会的直示性を示す "comic-dishonourific" な用法と呼んだ.20世紀初頭ではこの用法はまだほとんど気づかれていなかったようで,例えば Jespersen (406) は,thisthat がそもそも単独で人を表わす用法はないと述べている.

While in the adjunctal function the plural forms these and those correspond exactly to the singulars this and that, the same cannot be said with regard to the same forms used as principals, for here this and that can no longer be used in speaking of persons, while these and those can. The sg of those who is not that who (which is not used), but he who (she who); similarly there is no sg that present corresponding to the pl those present


 元来 this, that が単独で人を指示することができなかったことと,新しい用法として人を指せるようにはなったものの,そこに否定的な社会的直示性が含意されていることとは,無関係ではないだろう.this, that が単独で人を指すのには,いまだ何らかの抵抗感があるものと思われる.
 しかし,さらに古く歴史を遡ると,古英語でも中英語でも,this, that は,確かに頻繁ではないものの,複数形の these, those とともに単独で人を指すことができたのである (Jespersen 409--10) .ここで,単独で人を指す this, that のかつての用法が,なぜ現代英語の直前期までに一旦消えることになったのかという,別の問題が持ち上がることになる.
 Poussa は,gender という意外な観点を持ち出して,この問題に迫った.3人称代名詞が単数系列では he, she と男女を区別し,複数系列では区別せずに共通して they を用いる事実と,指示代名詞の分布を関係づけたのである.

Choices in the PE 3rd Person Pronoun System (Poussa)

 上の図 (Poussa 405) に示したように,もとより性を区別しない複数系列では,人称代名詞の they はもちろん,指示代名詞 these, those も単独で人を指すことができるが,単数系列では性を区別できる人称代名詞 he, she のみが可能で,性を区別できない指示代名詞 this, that を用いることはできない.単数系列では,this, that は性を区別することができないがゆえに,その生起がブロックされるというわけだ.このことは,文法性として男性と女性を区別していた古英語の分布図 (Poussa 407) と比較すると,より明らかになる.

Choices in the OE 3rd Person Pronoun System (Poussa)

 古英語では,単数系列で指示代名詞が男性と女性を区別しえたために,単独で人を指すことも問題なく許容されたと解釈できる.後世の観点からすると,いまだ [-HUMAN] の意味特性を獲得していないということができる.
 Poussa は,近現代英語につらなる "HUMAN" という意味特性の発生は,古英語から中英語にかけての文法性の体系の崩壊と関連して生じたものであり,指示体系の新たな原理の創出の反映であるとみている.初期近代英語における his に代わる its の発展や,関係代名詞 whichwho の先行詞選択の発達も,同じ新しい原理に依拠しているといえるだろう (cf. 「#198. its の起源」 ([2009-11-11-1]),「#1418. 17世紀中の its の受容」 ([2013-03-15-1])) .
 Poussa の議論を受け入れるとすれば,後期古英語からの音声変化によって文法性の体系が崩れ,中英語期に形態論と統語論を劇的に変化させることとなったが,さらに近代英語期以降に,その余波が意味論や語用論にも及んできたということになる.英語史の壮大なドラマを感じざるを得ない.

 ・ Poussa, Patricia. "Pragmatics of this and that." History of Englishes: New Methods and Interpretations in Historical Linguistics. Ed. Matti Rissanen, Ossi Ihalainen, Terttu Nevalainen, and Irma Taavitsainen. Berlin: Mouton de Gruyter, 1992. 401--17.
 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 2. Vol. 1. 2nd ed. Heidelberg: C. Winter's Universitätsbuchhandlung, 1922.

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2015-02-17 Tue

#2122. コンテクストの種類 [context][pragmatics][terminology][deixis][cooperative_principle][discourse_marker][demonstrative]

 言語使用の現場において,聞き手は話し手の発した発話に伴う意味論的な意味の上に,コンテクスト (context) などを参照して得られる語用論的な意味を付加して,全体としての意味を把握すると考えられている.コンテクスト参照のほかにも協調の原則,前提,含意など種々の語用論的演算に依拠して意味全体をとらえているものと想定されるが,ここではコンテクストに的を絞って,その種類を分類しておこう.
 東森 (13--15) によれば,発話に伴うコンテクスト (context) あるいは状況 (situation) には4つが区別されるという.

 (1) 発話状況 (utterance situation) あるいは物理的状況 (physical environment) .発話が行われている時間,場所.話者の動作や目配せなどのノンバーバル・コミュニケーション.例えば,発話しているのが朝か晩かにより Good morning.Good evening. かで挨拶を代える必要があるだろうし,発話している場所に応じて herethere の指示対象も変異する.また,ある飲み物を注ぎながら I'll pour. と言うとき,物理的状況から明らかなので,動詞の目的語を省略することが可能である.
 (2) 談話状況 (discourse situation) .談話は前後する発話の連続体であり,その流れのなかで理解されるべき事項がある.前の発話を参照して代名詞の内容を復元したり,省略された語句を補うようなこと.また,談話標識 (discourse marker) は前後の談話を何らかの関係で結ぶ働きをする点で,談話状況に敏感である.
 (3) 認知状況 (cognitive environment) .「世界についての話し手,聞き手の情報,そしてその情報のどれだけの部分がお互いの間で共有されているかといったことに関する認知状況」(東森,p. 14).皮肉や推論などの高度な語用論的言語使用では,しばしば聞き手には百科事典的な知識が豊富に求められる.例えば,談話のなかで一見指示対象のなさそうな she が突然用いられた場合,それは世間で今話題をさらっている女性を指している可能性がある.
 (4) 社会的状況 (social environment) .呼称語 (address term) や敬語を含むポライトネス (politeness) 表現は,話し手と聞き手の社会的な関係がわかっていなければ,正しく理解することができない.

 発話はそれだけで意味論的に理解されて終わっているわけではなく,多様で豊富なコンテクストからの入力を参照して語用論的にも解析されている.上にも示唆したが,この語用論的解析がとりわけ直接に関与するのが直示性 (deixis) の表現だ.人称詞や指示詞が典型だが,例えば this という指示詞の内容は,発話状況,談話状況,認知状況のいずれかを参照しなければ理解できないだろうし,後期中英語の thou は,発話状況や社会的状況を考慮せずには正しく理解できないだろう.

 ・ 東森 勲 「意味のコンテキスト依存性」 『語用論』(中島信夫(編)) 朝倉書店,2012年,13--32頁.

Referrer (Inside): [2016-12-20-1] [2016-12-19-1]

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2014-05-14 Wed

#1843. conservative radicalism [language_change][personal_pronoun][contact][homonymic_clash][homonymy][conjunction][demonstrative][me_dialect][wave_theory][systemic_regulation][causation][functionalism][she]

 「#941. 中英語の言語変化はなぜ北から南へ伝播したのか」 ([2011-11-24-1]) は,いまだ説得力をもって解き明かされていない英語史の謎である.常識的には,社会的影響力のある London を中心とするイングランド南部方言が言語変化の発信地となり,そこから北部など周辺へ伝播していくはずだが,中英語ではむしろ逆に北部方言の言語項が南部方言へ降りていくという例が多い.
 この問題に対して,Millar は Samuels 流の機能主義的な立場から,"conservative radicalism" という解答を与えている.例として取り上げている言語変化は,3人称複数代名詞 they による古英語形 hīe の置換と,そこから玉突きに生じたと仮定されている,接続詞 though による þeah の置換,および指示詞 those による tho の置換だ.

   The issue with ambiguity between the third person singular and plural forms was also sorted through the borrowing of Northern usage, although on this occasion through what had been an actual Norse borrowing (although it would be very unlikely that southern speakers would have been aware of the new form's provenance --- if they cared): they. Interestingly, the subject form came south earlier than the oblique them and possessive their. Chaucer, for instance, uses the first but not the other two, where he retains native <h> forms. This type of usage represents what I have termed conservative radicalism (Millar 2000; in particular pp. 63--4). Northern forms are employed to sort out issues in more prestigious dialects, but only in 'small homeopathic doses'. The problem (if that is the right word) is that the injection of linguistically radical material into a more conservative framework tends to encourage more radical importations. Thus them and their(s) entered written London dialect (and therefore Standard English) in the generation after Chaucer's death, possibly because hem was too close to him and hare to her. If the 'northern' forms had not been available, everyone would probably have 'soldiered on', however.
   Moreover, the borrowing of they meant that the descendant of Old English þeah 'although' was often its homophone. Since both of these are function words, native speakers must have felt uncomfortable with using both, meaning that the northern (in origin Norse) conjunction though was brought into southern systems. This borrowing led to a further ambiguity, since the plural of that in southern England was tho, which was now often homophonous with though. A new plural --- those --- was therefore created. Samuels (1989a) demonstrates these problems can be traced back to northern England and were spread by 'capillary motion' to more southern areas. These changes are part of a much larger set, all of which suggest that northern influence, particularly at a subconscious or covert level, was always present on the edges of more southerly dialects and may have assumed a role as a 'fix' to sort out ambiguity created by change.


 ここで Millar が Conservative radicalism の名のもとで解説している北部形が南部の体系に取り込まれていくメカニズムは,きわめて機能主義的といえるが,そのメカニズムが作用する前提として,方言接触 (dialect contact) と諸変異形 (variants) の共存があったという点が重要である.接触 (contact) の結果として形態の変異 (variation) の機会が生まれ,体系的調整 (systemic regulation) により,ある形態が採用されたのである.ここには「#1466. Smith による言語変化の3段階と3機構」 ([2013-05-02-1]) で紹介した言語変化の3機構 contact, variation, systemic regulation が出そろっている.Millar の conservative radicalism という考え方は,一見すると不可思議な北部から南部への言語変化の伝播という問題に,一貫した理論的な説明を与えているように思える.
 theythough の変化に関する個別の話題としては,「#975. 3人称代名詞の斜格形ではあまり作用しなかった異化」 ([2011-12-28-1]) と「#713. "though" と "they" の同音異義衝突」 ([2011-04-10-1]) を参照.
 なお,Millar (119--20) は,3人称女性単数代名詞 she による古英語 hēo の置換の問題にも conservative radicalism を同じように適用できると考えているようだ.she の問題については,「#792. she --- 最も頻度の高い語源不詳の語」 ([2011-06-28-1]), 「#793. she --- 現代イングランド方言における異形の分布」 ([2011-06-29-1]),「#827. she の語源説」 ([2011-08-02-1]),「#974. 3人称代名詞の主格形に作用した異化」([2011-12-27-1]) を参照.

 ・ Millar, Robert McColl. English Historical Sociolinguistics. Edinburgh: Edinburgh UP, 2012.

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2012-01-26 Thu

#1004. this Sunday は前の日曜日か今度の日曜日か [demonstrative][deixis][determiner][japanese]

 [2012-01-24-1]の記事「#1002. this の不定指示形容詞としての用法」で取り上げた this の用法に関する質問とは別に,this について,もう一つ違う観点から質問が寄せられていた.this は非過去指向という理解でよいか,という質問である.
 this の中心的な語義として「目の前にある」が想定できそうだが,そうすると確かに時間的には現在か未来を指示すると考えるのが自然だ.that time に対する this time など,thatthis の対比表現によっても,「that = 過去」「this = 非過去」という等式の想定が容易になっている.
 しかし,this が過去を指示することは皆無ではない.標題の this Sunday は,単独では「来たる日曜日」と未来を指すものと解釈する向きが強いが,月曜日に直前の週末の出来事を語っているという文脈では,普通に用いられる.this weekend, this summer なども同様である.要するに,話者がより近いと感じている方の端点に this の矢印が向くのであり,その限りでは this が過去を指示することもある.同じ未来の一点を指す場合でも,this Sunday のほうが next Sunday より近接感があるとされるから,this の選択は時間軸上の向きにもまして,心理的な距離の近さが効いていることがわかる.上記の点では,日本語の「この日曜日」「この週末」「この夏」もまったく同じ使い方である.
 さて,日英の 近称指示代名詞「この」と this は,いずれの言語の deixis 体系においても,歴史的に比較的用法が安定している.一方,近称 this に対応する遠称 that は,[2009-09-30-1]の記事「#156. 古英語の se の品詞は何か」で触れたように,古英語決定詞 se からの分化であり,形態と機能の歴史はやや複雑だ.同様に,古代日本語でも,近称コ系列に対して中称ソ系列や遠称ア系列(あるいはカ系列)の位置づけは安定していない.奈良時代にはカ系列がほとんど例証されないことから,コとソの2系列だったとする説もあるし,ソ系列に現場指示(指さし)用法が発達したのは中古,本格的には中世だったことから,古代にソ系列を想定しない説もある(高山・青木,pp. 151--52).付け加えれば,フランス語の指示代名詞の deixis 体系 (遠近で区別のない ce のみ)も,ラテン語要素から歴史的に発展してきたものである.各言語の deixis の歴史的発展を対照的に研究するのもおもしろそうだ.

 ・ 高山 善行,青木 博史 編 『ガイドブック日本語文法史』 ひつじ書房,2010年.

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2012-01-25 Wed

#1003. Chaucer の特殊な this の用法,2種 [demonstrative][pragmatics][chaucer][deixis]

 昨日の記事「#1002. this の不定指示形容詞としての用法」 ([2012-01-24-1]) に関連して,this の読みひとつをとっても奥が深いことを実感した.日本語の「こそあど」もそうだが,deixis の関与する語句の語用論は実に複雑だ.
 指示形容詞としての this には,現代英語でも様々な用法がある.中英語ともなれば,語用論的な含意は,ますます直感的にはとらえにくくなるし,そもそも含意があることに気付くことすら難しい.今回は,Horobin (94--96) より,Chaucer に見られる語用論的に興味深い this の用法,2種をのぞいてみたい.
 一つ目は,人物名詞や名前に先行して this が用いられる場合で,「例の,くだんの」ほどの意を表わし,機能としては定冠詞に近い.Mustanoja (174) によれば,定冠詞に近い this の用法は古英語から見られるもので,"mainly a feature of vivid, colloquial, and often chatty style" として Chaucer や Gower でよく見られるとしている(口語的であるという点が,昨日の this の特殊用法と比べられる).確かに,口語色の強い The Miller's Tale で,"This Absolon", "This parissh clerk, this amorous Absolon", "this joly lovere Absolon" など,登場人物の名前に添えて使われる例が目立つ.ほかには,The Knight's Tale で,2人の騎士 Palamon と Arcite の描写が節ごとに交互に繰り返される部分では,各節の冒頭に "This Palamon", "This Arcite" などと this を添えることで,当該の節がどちらの騎士についての描写なのかを明示する談話上の役割が確認される.いずれの場合にも,this は単に定 (definiteness) を表わすだけの機能にとどまらず,追加的に談話上の役割を担っている.
 二つ目として,話者の "a contemptuous or patronizing attitude" (Horobin 96) を含意するという this の用法がある.以下は,語り手である Franklin が,主人公 Dorigen が夫の留守を嘆き悲しむ激しさを評して,「女というものは・・・」と,軽蔑交じりに述べている箇所である.

For his absence wepeth she and siketh,
As doon this noble wyves whan hem liketh. (F817--18)


 類例として,同じく The Franklin's Tale より.

'Go we thanne soupe,' quod he, 'as for the beste.
Thise amorous folk somtyme moote han hir reste.' (F1217--18)


 あたかも,いったん対象との心理的距離を縮め,身近に引きつけておいてから,突き放す(軽蔑する)という感じだろうか.両方の例で,this が共通して総称的に使われているのが気になるところだ.
 Chaucer の上記の2用法と,昨日取り上げた現代英語の this の用法との関連は不明だが,口語性,話者の心理的な引きつけという点では漠然とつながりそうだ.広い意味で,this の deictic な働きは,中英語より連綿と受け継がれているといえるだろう.

 ・ Horobin, Simon. Chaucer's Language. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2007. (esp. pp. 105--07.)
 ・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.

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2012-01-24 Tue

#1002. this の不定指示形容詞としての用法 [demonstrative][pragmatics][deixis]

 this の用法についての質問が寄せられた.NHKラジオ講座で,Tetsu と Joyce の次の会話が現われたという(赤字は引用者).

T: You're grinning from ear to ear, Joyce.
J: Tetsu, things are looking up!
T: Really? What's going on?
J: Remember that guy I was telling you about?
T: The new guy who works in your office?
J: Yes! He asked me out to dinner!
T: Excellent! Where's he taking you?
J: We're going to this unique hamburger joint.
T: But aren't you a pescetarian?
J: Not anymore!


 8行目の Joyce の発話にある this がここでの問題である.ここでの文脈を考えても,ハンバーガー店は近辺にないようだ.また,かつてこの2人が行ったことがある店であるという様子でもない.また,このスキットは1回読み切りで,前後の回との関連もない.
 結論からいえば,この this は,Joyce が念頭にある特定の「すごいハンバーガー屋さん」を内面化し,心理的距離が近いものとしてとらえているために発せられた this だろう.聞き手の Tetsu にとっては,具体的にどの店を指しているのかはわからないはずである.不定冠詞 a や,もっといえば a certain に近い用法だが,話者の内面化の事実が強調されている点で,勢いが感じられる.(この趣旨の読みで間違いないことは,英語母語話者の同僚に確認を取った.)
 この用法は,通常,辞書にも記載されており,珍しくはないが,日本語母語話者には感覚がつかみにくい.各学習者英英辞書の記載を,用例とともに比べてみよう.

OALD8:
6 (informal) used when you are telling a story or telling sb about sth
 ・ There was this strange man sitting next to me on the plane.
 ・ I've been getting these pains in my chest.

LDOCE5:
(SPOKEN PHRASES)
6. used in stories, jokes etc when you mention a person or thing for the first time:
 ・ I met this really weird guy last night.
 ・ Suddenly, there was this tremendous bang.

LAAD2:
4. spoken used in conversation to mean a particular person or thing, especially when you do not know their name:
 ・ Then this girl came up and kissed him on the lips.
 ・ When am I going to meet this boyfriend of yours?

Macmillan English Dictionary for Advanced Learners, 2nd ed.:
9 used for referring to a particular person or thing SPOKEN used in a story or a joke when you mention a person or thing without giving a name
 There was this big guy standing in the doorway.

MWALED:
5 --- used to introduce someone or something that has not been mentioned yet
<We both had this sudden urge to go shopping.>
笳?This sense of this is often used to produce excitement when telling a story.
<I was walking down the street when this dog starts chasing me. [=when a dog started chasing me]>
<Then these two guys come/came in and start asking her questions.>


 最後の MWALED の記述がほかよりも丁寧だろうか.全体的に言えることは,口語のくだけた文脈で,いきいきした表現を生み出すために,この this が使われているようだ.「物語風の描写」「具体的な名前は挙げずに」「興奮して」という要素を取り出すことができるが,これは,話し手のよく知っている(内面化している)ことを,聞き手には半ば謎めいたままに提示するという結果を生み出している.以上より,当面,この用法を「話し手の一方的な内面化」用法と呼んでおきたい.一般の英英辞書の記述も参考までに挙げておこう.

Web3:
1. f : being one not previously mentioned <I was waiting for the bus and this old man came along and asked me for a dime> <gave me a light from this big lighter off the table---J. D. Salinger>

American Heritage, 4th ed.
4. Informal Used as an emphatic substitute for the indefinite article: looking for this book of recipes.

SOED:
B. 1. d (In narrative) designating a person or thing not previously mentioned or implied, a certain. colloq. E20.


 最後の SOED の記述によると,20世紀前期からの口語用法ということになり,かなり新しい.もう少し歴史を調べようと,OED を引いてみると,II. Demonstrative Adjective. の 1. d. の語義が SOED のものに近そうだが,厳密に対応しているわけではない.したがって,歴史的な詳細は不明のままだ.中英語まで遡りうるかどうかと思い,MED"this" (adj.) を参照したが,対応する例はなさそうだ.

Referrer (Inside): [2012-01-26-1] [2012-01-25-1]

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2011-08-02 Tue

#827. she の語源説 [personal_pronoun][she][etymology][demonstrative][blend][sandhi][old_norse]

 [2011-06-28-1]の記事「she --- 最も頻度の高い語源不詳の語」で触れた通り,現代英語の標準的な3人称女性単数代名詞形の起源は謎に包まれている.[2011-06-29-1]の記事「she --- 現代イングランド方言における異形の分布」で見たように,現代でもイングランド方言では様々な形態が用いられているが,she はそのような異形の1つにすぎなかった.しかし,そもそも she (あるいは初例形でいえば scæ )が異形として現われた経緯が不詳なのである.
 she の起源には数々の説が提案されている.主要なものをまとめよう.

 (1) 古英語の指示代名詞 se[2009-09-28-1]の記事にあるパラダイムを参照)の女性単数主格形 sēo あるいは sīo と,人称代名詞([2009-09-29-1]の記事にあるパラダイムを参照)の女性単数主格形 hēo混成語 (blend) とする説.
 (2) 上述の sēo が強勢の移動により siō を経て,shō へ発展した.
 (3) wæs hēo など -s で終わる動詞屈折形が前置されたときに,連声 (sandhi) が生じて,sēo となったとする説 ("sandhi-theory") .あるいは,hēo には,強勢が移動し,かつ語頭の h が脱落した yo という異形が確認されることから, wæs yo から直接 sjo ,さらには sho が生じたとする考え方もある.
 (4) hēo の強勢が移動して [hjoː] > [çoː] > [ʃoː] と音変化したとする説 ("Shetland-theory") .この変化は方言に確認される.
 (5) 古ノルド語の指示代名詞の女性形 , sjá が借用され,人称代名詞として用いられたとする説.(これとは別に,上述 (2) の強勢の移動に古ノルド語の影響があったのではないかという説もある.)

 (2), (3), (4) は出力された母音が ē ではなく ō であることに注意したい.ここから she に近い形態に至るには,母音の問題が残っていることになる.母音の問題には,2つの解決案が出されている.1つは,男性代名詞 や2人称複数代名詞 ȝē に基づく類推により,後舌母音が ē によって置換されたとするものである (cf. [2009-12-25-1], [2011-07-06-1]) .もう1つは,古英語の女性単数主格形 hēo ではなく女性単数対格形 hīe に基づいて後の標準形が発達したとする説である.
 母音の音価のみならず,子音の音価が [ʃ] へ発展した経緯ももう一つの大きな問題である.(2), (4) のように,自然の音声変化として発達したとする説,(3) のように sandhi を説明原理とする説,あるいは [ç] までは音声変化とした発展したが /ç/ の音素としての地位が周辺的であるために最も近い /ʃ/ で置換されたとする説などが提起されている.
 母音と子音の両方で必ずしも自明ではない説明が必要とされるところに,she 問題の難しさがある.おそらくは,絶対的な1つの答えはないのだろう.各種の方言形が音声変化,置換,類推,混成などにより生まれ,そのなかから偶然に she のもととなる形態が最終的に選択されたということではないだろうか.
 以上の記述には,OED, 『英語語源辞典』,Bennett and Smithers (xxxvi--xxxviii), Clark (lxvi--lxvii) を参照した.

 ・ 寺澤 芳雄 (編集主幹) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
 ・ Bennett, J. A. W. and G. V. Smithers, eds. Early Middle English Verse and Prose. 2nd ed. Oxford: OUP, 1968.
 ・ Clark, Cecily, ed. The Peterborough Chronicle 1070-1154. London: OUP, 1958.

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2011-03-15 Tue

#687. ゲルマン語派の形容詞の強変化と弱変化 [adjective][inflection][germanic][indo-european][oe][demonstrative][ilame]

 [2009-10-26-1]の記事の (1) で触れたように,ゲルマン語派の特徴の1つに,形容詞が強変化 ( strong or indefinite declension ) と弱変化 ( weak or definite declension ) の2種類の屈折を示すというものがある.この区別は現代英語では失われているが,古英語や現代ドイツ語では明確に認められる.両屈折の使い分けは原則として統語的に決められ,形容詞が指示詞 ( demonstrative ) の後で用いられる場合には弱変化屈折を,それ以外の場合には強変化屈折を示す.(古英語の例で強変化屈折弱変化屈折のパラダイムを参照.また,中英語の形容詞屈折との関連で[2010-10-11-1]を参照.)
 ゲルマン語派の特徴ということから分かるように,印欧祖語ではこの区別はなかった.印欧祖語では,形容詞は特有の屈折をもたず,名詞に準じる形で性・数・格によって屈折していた.形容詞は名詞の仲間と考えられていたのである.ところが,ゲルマン祖語の段階で形容詞は形態的に名詞から離れ,独立した屈折体系を保持していた指示詞と親和を示すようになる.これが,古英語などに見られる強変化屈折の起源である.実際に古英語で屈折表を見比べると,形容詞の強変化屈折þes に代表される指示詞の屈折は語尾がよく似ている.
 しかし,指示詞と形容詞が同じような屈折を示すということは,「指示詞+形容詞+名詞」のように両者が続けて現われる場合には同じ屈折語尾が連続することになり,少々うるさい.例えば,"to this good man" に対応する古英語表現は *þissum gōdum men として現われることになったかもしれない(実際の古英語の文法に則した形は þissum gōdan men ).Meillet (183) によれば,ゲルマン語はこの「重苦しさ」 ( "lourd" or "choquant" ) を嫌い,指示詞に後続する形容詞のために,あまり重苦しくない屈折として,よく発達していた名詞の弱変化屈折を借りてきた.こうして,統語的条件によって区別される2種類の形容詞屈折が,ゲルマン語派に固有の特徴として発達したのである.( Meillet の「重苦しさ」回避説の他にも複数の要因があっただろうと考えられるが,未調査.)
 古英語の主要な品詞の簡易屈折表については,[2010-01-02-1]でリンクを張った OE Inflection Magic Sheet も参照.

 ・ Meillet, A. Caracteres generaux des langues germaniques. 2nd ed. Paris: Hachette, 1922.

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2011-02-21 Mon

#665. Chaucer にみられる3人称代名詞の疑似指示詞的用法 [chaucer][personal_pronoun][demonstrative][french]

 中英語では3人称代名詞を人名に先行させて,その代名詞に一種の指示的機能をもたせる特殊な用法がある.Chaucer の "The Knight's Tale", ll. 1209--10 からの例が Burnley (22--25) で論じられているので引用しよう(以下,引用は The Riverside Chaucer より).

This was the forward, pleynly for t'endite,
Bitwixen Theseus and hym Arcite:


 幽閉されていた Arcite を条件つきで解放する契約に言及している箇所で,その契約が Theseushym Arcite の間で交わされた契約であることが示されている.ここで用いられている hym が,問題の疑似指示詞的な用法の3人称代名詞である.hymArcite という名前に先行しているのは,1つには韻律上の都合ということが考えられるが,ここでは「くだんのアルシータ,前述のアルシータ」ほどの意味で,hym は指示対象を限定し,明示していると解釈することができる.Horobin (95) では,指示詞 that ほどに置きかえられる hym だとしている.
 人称代名詞には主として前方照応 ( anaphora ) の機能がある.前方照応の聞き手に及ぼす効果としては,(1) 前方照応の対象の存在を認知させ,(2) それが何・誰であるかを突き止めさせる,という2つの段階が考えられる.上記の hym Arcite で,hym は (1) の役割のみを担っており,照応対象として Arcite が直後に明示されているために,(2) までを担う必要がない.人称代名詞でありながらその本来の機能を半分しか果たしていない点が,疑似指示的と呼ばれる所以だろう.
 しかし,韻律の都合は別として,文脈としては hym は不要なように思えるかもしれない.確かに Arcite だけでも解釈の上で何ら問題はないし,Arcite として示されている明確な指示対象を hym でさらに限定し,明示するというのも妙なものである.だが,ここでは「契約」が絡んでいるという点が重要である.
 「契約」の関わる法律的な文言においては,問題になっているのが誰なのか,何なのかをことさらに明示する必要がある.そのために,法律文書では固有名詞にも指示詞的な要素が余剰的に先行することが多いのである.Burnley (24) が挙げている法律文書からの例としては,Petition of the Folk of Mercerye (1386) に he Nichol, hym Nichol, the forsaid Nichol (PDE (the) aforesaid), the same Nichol などが繰り返し現われるという.まさに「くだんのニコル,前述のニコル」である.
 中世イングランドの法律語法は非常に多くをフランス語に負っており ( see [2010-03-29-1], [2010-07-04-1] ), 今回の問題の語法もフランス語の影響を多分に受けていると想定される.3人称代名詞を疑似指示詞として用いる hym Arcite のような「人称代名詞+固有名詞」という型に完全に対応する例はフランス語にはないが,機能的にほぼ対応する dit, le ditz, avaunt ditz, lequel などが影響を及ぼしたと考えられる.ラテン語の法律文書でも,フランス語法に対応する dictus, supradictus, ipse, idem などが見られる.

 ・ Burnley, David. The Language of Chaucer. Basingstoke: Macmillan Education, 1983.
 ・ Horobin, Simon. Chaucer's Language. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2007.

Referrer (Inside): [2013-04-10-1]

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2009-10-18 Sun

#174. 古英語のもう一つの指示代名詞の屈折 [determiner][article][oe][inflection][demonstrative][paradigm]

 [2009-09-30-1]の記事で触れた se とは別の系列の指示代名詞 þēs "this" の屈折表を掲げる.

Paradigm of OE Demonstrative

 現代英語の this は,表中の単数中性主格の形態が生き残ったものである.また,表中の複数主格の þās は,現代英語の those の形態に影響を与えた.では,現代英語の these の起源は? 現代英語の that の起源は? この辺の話題は,実に深くて複雑な歴史が絡んでくるので,日を改めて.

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2009-09-30 Wed

#156. 古英語の se の品詞は何か [determiner][article][oe][demonstrative]

 [2009-09-28-1]で,現代英語の定冠詞 the に対応するものとして古英語の se の屈折表を掲げた.そのときの書き込みで,se はなぜ definite article定冠詞」ではなく determiner決定詞」(「限定詞」とも)呼ばれるのかという質問があった.記事内では,古英語の se は現代英語の the と機能や用法が異なるからと述べたが,自分の頭のなかでも整理されていなかったので,あらためて調べてみた.
 現代英語でいう 限定詞とは,名詞を前から修飾する語類のうち,定冠詞 ( definite article ),不定冠詞 ( indefinite article ),所有代名詞 ( possessive pronoun ),指示代名詞 ( demonstrative pronoun ) ,一部の数量詞 ( quantifier ) を指す.具体的には,the, a, my, this, all などを含む.したがって,現代英文法では,the は「限定詞」という語類の下位区分である「冠詞」のさらに下位区分である「定冠詞」であるという位置づけになる.その意味では,the も広い意味では名詞を限定する「限定詞」の一種であることは間違いない.
 一方,古英語では,名詞の定性を標示する「定冠詞」の機能は現代英語ほど明確には確立していなかった.ただ,後に定冠詞として確立することになる se という語は存在しており,これは本来,現代英語でいう "that" に近い「指示代名詞」として機能していた.「指示代名詞」としての用法の他に,この段階では確立していなかったとはいうものの「定冠詞」に相当する用法の萌芽も確かに見られるので,まとめると,se には「指示代名詞+定冠詞」の機能,つまり「"that"+"the"」の機能があったことになる.ここで注意すべきは,古英語には se "that" とは別系統の指示代名詞 þēs "this" も並列的に存在したことである.
 さて,ここで se を何と呼ぶべきかという問題が生じる.「定冠詞」と呼ばないのは,その機能が確立していないことに加え,本来の「指示代名詞」としての用法が無視されてしまうからである.一方,本来の機能を重視し「指示代名詞」とする案は妥当だろうが,se の系列のほかに þēs の系列もあるので区別を意識するする必要がある.したがって,「þēs-type の指示代名詞」と区別して「se-type の指示代名詞」と呼ぶのがもっとも正確なのかもしれない.
 前回の記事で,se を「決定詞」(=限定詞)と呼んだのは,何というラベルをつければよいのか判然としなかったために,包括的なラベルを使ってしまったということになる.犬を指して具体的に「犬だ」と言うべきところを,抽象的に「動物だ」と言ったようなものだ.間違いではないが,もっと適切な用語を用いるべきだった.
 現代英語の the が「限定詞」であるならば,古英語の se も「限定詞」である.だが,より適切には,the は「限定詞」のなかでも特に「定冠詞」であると言うべきであり,se は「限定詞」のなかでも特に「se-type の指示代名詞」であると言うべきだった.上記の事情に無自覚だったゆえの,誤解を招く表現だった.反省.
 一つの語でも複数の機能をもっていたりすると,ネーミングは難しい.This is a beautiful lifethis は「指示代名詞」とラベルづけされるが,This life is beautiful の場合には「指示限定詞」とでも呼ぶべき機能を果たす.文法家によってもこれらの機能の呼び方はまちまちだし,文法用語のネーミング問題は一筋縄ではいかない.

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