01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2022 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2021 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2020 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2018 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2014 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
社会階級によって言語使用に差があることは,社会言語学の得意とする話題である.本ブログでも折に触れて取り上げてきた話題だが,いくつかの記事へのリンクを「#1504. 日本語の階層差」 ([2013-06-09-1]) の冒頭に張ったので,参照されたい.
現代イギリス英語における社会階級の差に関する議論で,とりわけ論争の的になったのは,イギリスの言語学者 Ross による U(pper) vs non-U(pper) という区別である.最もよく知られているのは,食卓用ナプキンを指示する table-napkin と serviette の例だろう.上流階級は前者を用い,非上流階級は後者を用いると言われる.語彙の選択が,生まれ育ちによる品や,洗練と粗野の問題に関わってくるというのだから,人々の関心の対象となるのも無理からぬことだった.
Ross (3) は,次のように述べ,議論を巻き起こした.
Today, in 1956, the English class-system is essentially tripartite---there exist an upper, a middle, and a lower class. It is solely by its language that the upper class is clearly marked off from the others. In times past (e.g. in the Victorian and Edwardian periods) this was not the case. But, today, a member of the upper class is, for instance, not necessarily better educated, cleaner, or richer than someone not of this class. Nor, in general, is he likely to play a greater part in public affairs, be supported by other trades or professions, or engage in other pursuits or pastimes than his fellow of another class.
つまり,現在のイギリスでは,階級差は,事実上,言語使用によってのみ標示されるという.社会言語学では社会的な区分と言語的な差異の対応を調査し,両者の入り組んだ相互関係を考察しようと腐心しているのだが,Ross は後者が前者を決定しているのだと平然と断じたわけである.そう簡単な問題ではないはずだが,人々の興味を引きつけるには十分だった.
Ross は書き言葉と話し言葉における U vs non-U を区別し,後者では発音と語彙(表現)の U vs non-U をさらに区別しているが,以下では語彙(表現)における U と non-U の対立を示す例を列挙しよう (20--24) .なお,いずれかの変種に対応表現がない場合も多々ある.
U | non-U |
---|---|
jerry, pot | article |
have one's bath | take a bath |
civil | |
bus | coach |
stays | corsets |
counterpane | coverlet |
salt-cellars, pepper-pots | cruet |
crust, crumb | |
civilized | cultivated, cultured |
Have some more tea? | How is your cup? |
bike, bicycle | cycle |
dinner | evening meal |
dinner jacket, short coat, etc. | dress-suit |
excuse my glove | |
greatcoat, topcoat | |
vegetables | greens |
They've a very nice house | They've a lovely home |
riding | horse-riding |
I was very sick on the boat | I was very ill on the boat |
knave | jack |
la-di-da | |
hall, dining-room | lounge |
mad | mental |
a matter of business | |
If you don't mind my mentioning it | |
looking-glass | mirror |
writing-paper | note-paper |
What?, Sorry! | Pardon! |
pass a (nasty) remark | |
Pleased to meet you. | |
posh | |
jam | preserve |
wireless | radio |
rude | |
table-napkin | serviette |
work for an exam | study for an exam |
master, mistress | teacher |
lavatory-paper | toilet-paper |
rich | wealthy |
昨日の記事「#1554. against の -st 語尾」 ([2013-07-29-1]) に引き続き,非語源的 -st 語の話題.標題の形式張った表現がある.主として文頭などに置かれ,文修飾として「?に知られないで」の意味で用いられる.BrE では unbeknown to が多く用いられるが,AmE では古めかしく見える unbeknownst to がより一般的である.unbeknow(e)ns のように -t が落ちた非標準的な形態も見られる.例文を挙げよう.
・ Unbeknownst to his parents, he and his girlfriend had gotten married.
・ Unbeknownst to her father, she began taking dancing lessons.
・ Unbeknownst to the students, the teacher had entered the room.
・ A person may overhear others unbeknownst to them.
中英語にあった動詞 beknown (recognise, acknowledge) の否定過去分詞形 unbeknown がもとになっている(MED の biknouen (v) を参照).OED によると,否定の接頭辞 un- のついた unbeknown は1636年に初出しているが,さらに語尾に -st を付加した unbeknownst の初出は1854年である.後者はもともと口語的,方言的な響きがあったようだが,20世紀にかけて広く使われるようになった.実際に,COCA (Corpus of Contemporary American English) や Google Books Ngram Viewer で調べてみると,英米変種ともに20世紀後半からの伸び率が著しい.
さて,unbeknownst の -st の語尾音添加 (paragoge) が説明を要する問題である.OED では不明とされており,各種の語源辞典では against, amongst などの -st 語尾からの類推だろうかと自信なさげに述べられている程度である.これらの語と unbeknownst to との類似点は, 前置詞的に機能しているということと,-st の直前の音が鼻音であることぐらいだろうか.-st(t)- という子音連続の観点からは,next to, thanks to などの表現とも関連してくるかもしれない.また,ほかの非語源的な -st 語 (against, amidst, amongst, betwixt, whilst) を並べてみると,およそ「間,中,最中」という共通の意味がくくり出されるように思われるが,unbeknownst も「知られない間に」と解釈することはできる.
非語源的 -st 語に関する記事へのリンクを昨日の記事[2013-07-29-1]の末尾にまとめておいたので,要参照.
(後記 2014/02/24(Mon):Merriam-Webster の辞書の記述を参照.)
語源的には against は again から派生した形態だが,いったいこの -st 語尾は何なのだろうか.
古英語で,again は ongēan などの形態で副詞,前置詞(与格あるいは対格を支配する),接頭辞として広く機能していた.平行して,副詞を示す属格語尾語尾を伴った ongēanes などの形態も行なわれていた([2009-07-18-1]の記事「#81. once や twice の -ce とは何か」を参照).中英語になると,前置詞としての again は,異形 agains および後続の against とともに競合し始め,近代英語の標準語確立の過程で副詞としての機能に限定されてゆくこととなった.近代英語で前置詞としての標準的な地位を確立したのは,最も後発の against だった.
さて,again の直後の -(e)s の添加は,上述の通り,副詞化する属格語尾とされているが,さらなる t の添加はどのように説明されるだろうか.OED の against, prep., conj., adv., and n. の語源欄によると次のようにある.
The development of excrescent final -t . . . was probably reinforced by the fact that the word was frequently followed by te, variant of THE adj., and perhaps also by association with superlatives in -st; compare similarly AMONGST prep. 1a, AMIDST adv., BETWIXT prep.
『英語語源辞典』の記述も,OED に沿っているが,補足説明がある.
-t はおそらく最上級の -st と混同されたための添え字 (cf. AMIDST, AMONGST, BETWIXT), または agains þe → agains te → against(e) þe (cf. hwīls þat → whilst þat) となる異分析によるものか.この -st に終わる語形の最初の例は Layamon Brut の Otho 写本 (c1300) に aȝenest として見いだされる(Caligula 写本 (?a1200) では toȝines). Trevisa や1400年以降 London の英語では広く使用され,16C半には文語として確立した.again, against とも ModE -g- の綴りと発音は ON の影響を受けた北部方言による.
Brut からの初例は,MED ayēn(e)s (prep.) 1(b) より,"c1300 Lay. Brut (Otho C.13) 22476: He dude ase a wisman and wende a3enest [Clg: to3eines] him anon." である.
上記より,against の -st 添加については,(1) 最上級語尾 -st との類推,(2) 直後の定冠詞の語頭子音に関わる異分析,という説明が提案されてきたということである.同じ語尾添加の例として amidst, amongst, betwixt, whilst などがあるが,これらの初出時期,互いの機能的類似性,-st の有無による意味の相違,語末3子音連続の音韻論的意義などを考察して,総合的に迫るべき問題だろう.関連して,古英語 ongēan の類義語 tōgēan(es) に基づいて,-t の添加された形態が15世紀に toȝenes として初出していることも付け加えておく.
ほかに against における語尾音添加 (paragoge) については,「#739. glide, prosthesis, epenthesis, paragoge」 ([2011-05-06-1]) を参照.また,whilst については「#508. Dracula に現れる whilst」 ([2010-09-17-1]),「#509. Dracula に現れる whilst (2)」 ([2010-09-18-1]),「#510. アメリカ英語における whilst の消失」 ([2010-09-19-1]) を,betwixt については「#1389. between の語源」 ([2013-02-14-1]),「#1393. between の歴史的異形態の豊富さ」([2013-02-18-1]),「#1394. between の異形態の分布の通時的変化」 ([2013-02-19-1]),「#1399. 初期中英語における between の異形態の分布」 ([2013-02-24-1]) を参照.
・ 寺澤 芳雄 (編集主幹) 『英語語源辞典』 研究社,1997年.
韻律音韻論 (metrical phonology) によると,英語には Consonant Extrametricality (CE) という韻律規則がある.端的にいえば,語末の子音は,語の韻律を考慮するうえで勘定に入れないとする規則である."[+cons] ──→ [+ex] / ─── ] word" と公式化される.
語末子音を勘定に入れずに,最終音節の rhyme 以下が2モーラ以上となる(つまり分岐する)場合には,原則としてそこに強勢が置かれる.Hogg and McCully (109--10) より例を引こう.
(a) | (b) | (c) |
obey /obée/ | torment /tɔrmén | astonish /astɔ'nɪ |
polite /polái | perhaps /perháp | decrepit /dikrépi |
humane /hjuuméy | august /ɔɔgús | normal /nɔ'rma |
petite /petíi | divert /daivér | consider /kɔnsíde |
. . . with regard to the disyllabic noun stress rule, only the nucleus of the second syllable is projected. The noun stress rule only 'sees' the syllable nucleus: if the nucleus branches (i.e. contains a long vowel or diphthong), stress is on the final syllable. Otherwise, stress is on the initial syllable.
これは,名詞の場合には最終音節の最終子音1つだけでなく最終子音群のすべてを韻律外とみなせ,という規則だ.そして,その子音群を除外した上でもまだ rhyme 以下が分岐する(つまり長母音や2重母音を含む)場合にのみ,その最終音節に強勢が落ちるとする.この条件に合わなければ,強勢は先行音節へと移動してゆく.これにより,名詞 torment と名詞 August は,それぞれ /tɔ'rment/, /ɔ'ɔgust/ と正しく分析されることになる.
この韻律音韻論の分析に従えば,いわゆる名前動後 (diatone) を構成する多くの語の強勢パターンは,Consonant Extrametricality と品詞(非名詞か名詞か)の2点を参照して記述できることになる ([2011-07-10-1]) .しかし,名前動後には強勢位置の変異や変化を示す語はあるし (ex. control (n.), retard (n.); [2012-04-23-1]) ,予想に当てはまらない語も少なくない (ex. discount, exploit, increase) .この分析が完全な説明能力をもたないことを示すのは簡単だが,共時的のみならず通時的な傾向を示唆するものと理解するのであれば,名前動後の語彙拡散を記述する上で,ある程度有効な分析となるかもしれない.
・ Hogg, Richard and C. B. McCully. Metrical Phonology: A Coursebook. Cambridge: CUP, 1987.
・ Katamba, Francis. An Introduction to Phonology. New York: Longman, 1989.
「#1126. ヨーロッパの主要言語における T/V distinction の起源」 ([2012-05-27-1]) で,T/V distinction の起源に関する Brown and Gilman の古典的な学説を紹介した.Brown and Gilman 以来,ヨーロッパの主要言語以外でも2人称単数に対する呼称の T/V distinction が広く観察されることが知られるようになり,理論においても politeness や face という概念が育ってきたことで,新しい観点からこの問題に迫ることができるようになってきている.
先の記事[2012-05-27-1]でも既に示唆したが,敬称 (V) のもつ本来的な複数性が丁寧と結びつけられるのは,複数性が相手に権力を認めることになるからだとされる.一方で,同じ複数性は,実際には1人である相手への指示の度合いをぼかしたり弱めたりするということにもなる.矛盾する2つの力が働いているのだとすれば,互いに打ち消し合って敬称を用いる効果が減じてしまうように思われるが,これはどう説明されるのか.
一見矛盾する2つの力は,ポライトネス理論の face という観点から無理なく融合させることができる.複数性のもつ,相手に権威を付すという機能は相手の positive face を守る役割としてとらえることができ,指示対象をぼかし,「敬して遠ざく」ことにより敬意と遠慮と示すという複数性の機能は相手の negative face を守る役割としてとらえることができる.両者は方向こそ異なっているが,ともに相手の顔を立てようとしている点で一致している.これを,Hudson (124) は次のように要約している.
Their [Penelope Brown and Stephen Levinson's] explanation is based on the theory of face . . . . By using a plural pronoun for 'you', the speaker protects the other person's power-face in two ways. First, the plural pronoun picks out the other person less directly than the singular form does, because of its ambiguity. The intended reference could, in principle, be some group of people rather than the individual actually targeted. This kind of indirectness is a common strategy for giving the other person an 'out', an alternative interpretation which protects them against any threats to their face which may be in the message. The second effect of using a plural pronoun is to pretend that the person addressed is the representative of a larger group ('you and your group'), which obviously puts them in a position of greater power.
複数性を利用した意味のぼかしが権威付与と敬意に通じるという洞察は,広い言語現象に応用できるように思われる.日本語に多いぼかし表現の例である「?など」や「?みたいな」は,「?」だけではないことを柔らかく示しながらも,「?」に代表としての特別な地位を与えているともいえるのである.
・ Brown, R. W. and A. Gilman. "The Pronouns of Power and Solidarity." Style in Language. Ed. Thomas A. Sebeok. Cambridge, Mass.: MIT P, 1960. 253--76.
・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.
昨日の記事「#1550. 波状理論,語彙拡散,含意尺度 (3)」 ([2013-07-25-1]) を始め,lexical_diffusion に関するいくつかの記事で,語彙拡散の進行パターンがS字曲線を描くことについて言及してきた.語彙拡散とS字曲線は私の近年の大きな研究テーマとなっているのだが,様々な言語変化の進行パターンを具体的に調査してみると,理想的なS字曲線を描く事例に当たることは少ない.理論と現実は食い違うことも多いのである.
個別の言語変化の事例研究が蓄積するにつれ,語彙拡散やS字曲線に対する批判が聞かれるようになってきた.Wardhaugh からの孫引きとなるが,何人かからの批判の声を聞こう.まずは,Denison, D. ("Log(ist)ic and Simplistic S-curves." Motives for Language Change. Ed. R. Hickey. Cambridge: CUP.) より.
. . . after reviewing S-curve type diffusion as an attempt to account for different changes that have occurred in English, Denison (2003) cautions that: 'The S-curve is neither as simple nor as uniform a phenomenon as it is sometimes assumed. Given too the simplistic picture of variation it sometimes reflects (and requires), the S-curve should not be seized on too readily as the general shape of language change' (p. 68). (222)
Nevalainen, T. and H. Raumolin-Brunberg (Historical Sociolinguistics. Harlow: Longman, 2003.) は,c.1410--1681 の書簡テキストを所収した The Corpus of Early Correspondence による種々の形態統語変化の研究の結論として,次のように述べている.
They conclude: 'Although the S-shaped curves serve as an ideal pattern of the diffusion of language change, several of the fourteen morphosyntactic changes . . . do not replicate the model in an unequivocal way' (p. 79). They also found that the actual rate of change varied a great deal from item to item. (223)
Labov, W. (Principles of Linguistic Change, I: Internal Factors. Oxford: Blackwell, 1994.) もまた,語彙拡散の理論に疑念を抱いている.
Labov's view of lexical diffusion is that it has only a very limited role to play in change. He says (1994, p. 501), 'There is no evidence . . . that lexical diffusion is the fundamental mechanism of sound change.' It happens but is only a complement --- and a small one at that --- to regular sound change. (225)
語彙拡散とS字曲線にとって,課題は山積している.
・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
[2013-07-07-1], [2013-07-08-1]の記事に引き続き,wave_theory と lexical_diffusion の関係について.言語変化が中心地から波状に周辺地域へ伝播してゆくことをモデル化した波状理論と,言語変化が語彙の間を縫うようにして段階的に進んでゆくことを提案した語彙拡散との親和性は高い.背後にはS字曲線という数学モデルも想定されており,理論の名に値しそうな雰囲気が漂っている.
両者ともに何らかの意味で伝播 (diffusion) を扱っているのだが,具体的な違いは,波状理論が地理的空間を話題としているのに対して,語彙拡散は言語的空間を話題にしていることである.Wardhaugh (222--23) がこの点を指摘しているので,該当箇所を引用しよう.
The theory of lexical diffusion has resemblances to the wave theory of language change: a wave is also a diffusion process. . . .
The wave theory of change and the theory of lexical diffusion are very much alike. Each attempts to explain how a linguistic change spreads through a language; the wave theory makes claims about how people are affected by change, whereas lexical diffusion makes claims concerning how a particular change spreads through the set of words in which the feature undergoing change actually occurs: diffusion through linguistic space. That the two theories deal with much the same phenomenon is apparent when we look at how individuals deal with such sets of words. What we find is that in individual usage the change is introduced progressively through the set, and once it is made in a particular word it is not 'unmade', i.e., there is no reversion to previous use. What is remarkable is that, with a particular change in a particular set of words, speakers tend to follow the same order of progression through the set; that is, all speakers seem to start with the same sub-set of words, have the same intermediate sub-set, and extend the change to the same final sub-set. For example, in Belfast the change from [ʊ] to [ʌ] in the vowel in words like pull, put, and should shows a 74 percent incidence in the first word, a 39 percent incidence in the second, and only an 8 percent incidence in the third . . . . In East Anglia and the East Midlands of England, a sound change is well established in must and come but the same change is found hardly at all in uncle and hundred . . . . This diffusion is through social space.
ここでは語彙拡散が "linguistic space" に対応し,波状理論が "social space" に対応している.後者は "geographical space" をも包括する広い概念としてとらえたい.言語変化に進行順序や不可逆性があることにも触れられているが,これは共時的には含意尺度 (implicational scale) があることに対応する.
social space や geographical space における伝播とは,より具体的には共同体から共同体への伝播のことであり,さらにミクロには話者から話者への伝播のことである.これを S-diffusion と呼び,それに対して語から語への伝播を W-diffusion と呼んで,両者の性質の異同を論じたのは,Ogura and Wang である.拙著 (Hotta 120) で導入したことがあるので,以下に引用する.
Ogura and Wang call these two different levels of diffusion W-diffusion and S-diffusion. W-diffusion proceeds from word to word of a single speaker or at a single site, while S-diffusion proceeds from speaker to speaker, or from site to site of a single word. Students of language change have sometimes spoken of this "double diffusion," which may be compared to diffusion of infectious diseases:
These diffusion processes are comparable to epidemics of infectious diseases, and the standard model of an epidemic produces an S-curve (called logistic) describing the increase of frequency of the trait. There are potentially two epidemics, or more exactly two dimensions in which the epidemic can proceed. One dimension is represented by W-diffusion and the other dimension by S-diffusion. (Ogura and Wang, "Evolution Theory" 322)
言語変化が2重の意味で伝播してゆくという "double diffusion" の考え方に,大きな可能性を見いだすことができそうである.Hudson (183) であれば,"cumulative diffusion" という表現を使うかもしれない.
How does the theory of lexical diffusion relate to the wave theory . . . . According to the latter, changes spread gradually through the population, just as, according to the former, they diffuse through the lexicon, so we might expect a connection between them. A reasonable hypothesis is that changes spread cumulatively through the lexicon at the same time as they spread through the population, so that the words which were affected first by the change will be the first to be adopted in the new pronunciation by other speakers.
・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
・ Hotta, Ryuichi. The Development of the Nominal Plural Forms in Early Middle English. Hituzi Linguistics in English 10. Tokyo: Hituzi Syobo, 2009.
・ Ogura, Mieko and William S-Y. Wang. "Evolution Theory and Lexical Diffusion." Advances in English Historical Linguistics. Ed. Jacek Fisiak and Marcin Krygier. Berlin: Mouton de Gruyter, 1998. 315--43.
・ Hudson, R. A. Sociolinguistics. 2nd ed. Cambridge: CUP, 1996.
「なぜ言語は変化するのか」と「なぜ話者は言語を変化させるのか」とは,おおいに異なる問いである.発問に先立つ前提が異なっている.
Why does language change? という問いでは,言語が主語(主体)となってあたかも生物のように自らが発展してゆくといった言語有機体説 (organicism) や言語発達説 (ontogenesis) の前提が示唆されている.言語の変化が必然で不可避 (necessity) であることをも前提としている.一方,Why do speakers change their language? という問いでは,話者が主語(主体)であり,話者が自由意志 (free will) によって言語を変化させるのだという機械主義 (mechanism) や技巧 (artisanship) の前提が示唆される.
どちらが正しい発問かといえば,Keller (8--9) に語らせれば,どちらも言語変化を正しく問うていない.というのは,言語変化は集合的な現象 (collective phenomena) だからである.この集団的な現象を統御しているのは目的論 (teleology) ではなく,「見えざる手」 (invisible_hand) の原理である,と Keller は主張する.
見えざる手については「#10. 言語は人工か自然か?」 ([2009-05-09-1]) で話題にしたが,この理論の源泉は Bernard de Mandeville (1670--1733) による The Fable of the Bees: Private Vices, Public Benefits (1714) に求めることができる.要点として,Keller から3点を引用しよう.
・ the insight that there are social phenomena which result from individuals' actions without being intended by them (35)
・ An invisible-hand explanation is a conjectural story of a phenomenon which is the result of human actions, but not the execution of any human design (38)
・ a language is the unintentional collective result of intentional actions by individuals (53)
これを言語変化に当てはめると,個々の話者の言語活動における選択は意図的だが,その結果として起こる言語変化は最初から意図されていたものではないということになる.入力は意図的だが出力は非意図的となると,その間にどのようなブラックボックスがはさまっているのかが問題となるが,このブラックボックスのことを見えざる手と呼んでいるのである.個々の話者の意図的な言語行動が無数に集まって,見えざる手というブラックボックスに入ってゆくと,当初個々の話者には思いもよらなかった結果が出てくる.この結果が,言語変化ということになる.ここから,Keller (89) は言語変化の長期的な機能主義性を指摘している.
As an invisible-hand explanation of a linguistic phenomenon always starts with the motives of the speakers and 'projects' the phenomenon itself as the macro-structural effect of the choices made, it is necessarily functionalistic, although in a 'refracted' way.
言語変化に至る過程のスタート地点では話者が主体となっているが,途中で見えざる手のトンネルをくぐり抜けると,いつのまにか主体が言語に切り替わっている.このような言語変化観をもつ者からみれば,Why does language change? も Why do speakers change their language? も適切な質問でないことは明らかだろう.どちらも違っているともいえるし,どちらも当たっているともいえる.見えざる手の前提が欠落している,ということになろう.
・ Keller, Rudi. On Language Change: The Invisible Hand in Language. Trans. Brigitte Nerlich. London and New York: Routledge, 1994.
「#496. ウラル語族」 ([2010-09-05-1]) と合わせてウラル・アルタイ大語族の仮説を構成するアルタイ語族 (Altaic) について,バーナード・コムリー他 (46--47) より紹介する.アルタイ語族は,実証されてはいないものの朝鮮語や日本語が所属するとも提案されてきた重要な語族である.コムリーの与えているアルタイ語系統図を見てみよう.
この語族の故地はアルタイ山脈付近(下図参照)にあるとされ,西のチュルク語派 (Turkic),中央のモンゴル語派 (Mongolian),東のツングース語派 (Tungus) が区分される.その後,担い手である遊牧民によって拡散し,現在ではトルコからシベリア北東部にいたる大草原地帯に広く分布する.
アルタイ諸語のあいだの系統関係は,語彙よりも文法上の類似に基づくものが多く,研究者間で必ずしも意見の一致を見ているわけではない.共通する特徴として指摘されるのは,語順が SOV であること,膠着語であること,母音調和をもっていることが挙げられるが,後者2点についてはウラル語族の特徴とも一致する.日本語の所属が提案されているのも,これらの特徴ゆえである.主流派の見解によれば,日本語はアルタイ語族とオーストロネシア語族の混成語とも言われるが,証明は難しい.
満州語は,中国最後の皇帝の言語であり,清王朝 (1644--1911) のもとで優遇されたが,現在では大多数の話者が中国語へ言語交替したため,消滅の危機に瀕している.
アルタイ語族の各言語の詳細については,Ethnologue report for Altaic を参照.
・ バーナード・コムリー,スティーヴン・マシューズ,マリア・ポリンスキー 編,片田 房 訳 『新訂世界言語文化図鑑』 東洋書林,2005年.
すべての言語は言語的にはほぼ平等といってよいが,社会的には優劣があるのが現実である.では,社会的な優劣は何によって決まるのか.例えば,ある言語の標準化された変種と,いわゆる方言と呼ばれる非標準的な変種とを比べれば,前者のほうが価値が高いとみなされるので,標準化されている程度が重要らしいとわかるが,同じ程度に標準化されている英語とウェールズ語とを比べた場合に英語のほうが社会的な立場がはるかに高いのは何によるのか.母語話者がいないにもかかわらず,根強くラテン語に価値が置かれているのはなぜかという問題も,標準化の程度という基準だけでは測ることができない.
言語の社会的な価値に関わる7つの属性が提案されている.1976年に Bell が提案したもので,Wardhaugh (31--39) が解説しているので,それを要約しよう.7つの属性とは,standardization, vitality, historicity, autonomy, reduction, mixture, de facto norms である.
(1) standardization: 言語が標準化,規範化されている程度.標準語は,通常,文法書・辞書・文学を伴っており,社会的,文化的,政治的な統合の象徴として機能する.通常,教育において用いられる言語でもある.英語については,「#1396. "Standard English" とは何か」 ([2013-02-21-1]) を参照.
(2) vitality: 活発な言語共同体が存在しているか否か.英国において Manx や Cornish のようなケルト系言語はすでに死語となっており,自然な話者共同体は存在しないので,vitality がないということになる.古典ギリシア語やラテン語も母語話者が事実上いないので vitality はないといえるが,これらの古典語は現代にも文化的な影響力をもっているために,Manx や Cornish の場合とは区別すべきだろう.
(3) historicity: その言語共同体が長い歴史を共有していると感じている程度.アラビア語や中国語の諸変種の話者は,長い歴史を有する各々の言語に権威を認めるだろう.言語は,輝かしい伝統と結びつけられることによって社会的な価値を帯びる.
(4) autonomy: 他の変種から独立しており,自らの資格で言語とみなされる程度.ある変種が独立しているか依存しているかは必ずしも客観的なものではなく,主観的な感じ方の問題であることも多い.この基準については,「#1522. autonomy と heteronomy ([2013-06-27-1]) および「#1523. Abstand language と Ausbau language」 ([2013-06-28-1]) の記事を参照.
(5) reduction: 使用や機能が縮小している程度.(4) に対立する概念である heteronomy にも近い.例えば,ピジン語などは果たしうる言語機能の種類が標準語に比べて少ない.
(6) mixture: 言語が混合しており非純粋である程度.純粋主義的な言語観をもつ人々にとって,他言語からの借用語彙が多い変種は,価値の低い堕落した変種に見える.典型的には,ピジン語は価値が低く見られがちである.
(7) de facto norms: 話者が言語の規範に従おうとする程度.言語には正しい話し方と誤った話し方があると考える規範主義の強さ.
これらは,話者が言語に対して抱く評価の基準と言い換えてもよいだろう.
「言語」と呼ばれる社会的価値の高い変種であれば常に7つの属性について合格点をもっている,というわけではない.変種ごとに各属性の値は異なるのが普通だろうし,合格点以上の値をもつ属性の数と種類もまちまちだろう.属性と値の組み合わせの総合点が相対的に高い変種が,社会的に価値ある変種とみなされやすく,「言語」と呼ばれやすいということだと考えられる.なお,この7属性は,「#1519. 社会言語学的類型論への道」 ([2013-06-24-1]) に掲げた表のなかで列挙した言語の社会言語学的な属性と,部分的に比較できる.
・ Wardhaugh, Ronald. An Introduction to Sociolinguistics. 6th ed. Malden: Blackwell, 2010.
言語と宗教の関係の深さについては,多くの説明を要さないだろう.古今東西,人間集団はしばしば言語と宗教とをひとまとめにして暮らしてきた.宗教がもたらす言語的影響が甚大であることは,英語史と日本語史からの1例だけをとっても,「#296. 外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響」 ([2010-02-17-1]) で述べた如く明らかである.英語については,語彙という目につきやすいレベルにおいて,「#32. 古英語期に借用されたラテン語」 ([2009-05-30-1]) や「#1439. 聖書に由来する表現集」 ([2013-04-05-1]) で示した通り,キリスト教の影響は濃厚である.
言語の体系から言語の分布へと視点を移しても,宗教の関与は大きい.宗教を隔てる線がそのまま言語を隔てる線になっている例は少なくない.昨日の記事「#1545. "lexical cleansing"」 ([2013-07-20-1]) の最後で触れたように,Serbo-Croatian という方言連続体をなす言語が Serbian と Croatian の2言語へ分裂したのは,前者のギリシャ正教と後者のカトリック教との宗教的対立が言語的対立へと投影された結果として理解できる(さらに,事実上同じ言語でありながら,イスラム教徒による Bosnian も3つ目の「言語」として認知されつつある).インド北部とパキスタンでは,互いに理解可能な Hindustani 口語方言が,ヒンズー教とイスラム教の対立に基づき,Hindi と Urdu という異なる2言語へと分けられている.キプロス島では,ギリシア語話者集団とトルコ語話者集団が,それぞれギリシャ正教徒とイスラム教徒に対応している.
地理的に離散して分布しているにもかかわらず,宗教を同じくするがゆえにそれと結びつけられる言語が保たれたり,あらたに採用されたりするケースもある.例えば,インドで最南端にまで存在するイスラム教徒の諸集団が,元来,非印欧語族系のタミール語などの環境におかれていたにもかかわらず,自発的かつ組織的に印欧語である Urdu へと言語を交替させた例がある(ブルトン,pp. 75--76).2000年ものあいだ離散していたユダヤの民が,イスラエル建国とともに,口語としては死語となっていたヘブライ語を蘇らせたが,その大きな原動力はユダヤ教の求心力だった.
宗教の拡大とともにその担い手となる言語も拡大するということは,ヨーロッパにおけるキリスト教とラテン語,イスラム世界におけるアラビア語,東アジアにおける仏教と中国語など,多くの例がある.しかし,縮小した言語が宗教的な求心力により延命され,保持されるような例もある.分割以降のポーランドでカトリック教会がポーランド語を使用し続けたことは,ポーランド語の存在感を保つことに貢献したし,フランドル地方におけるオランダ語のフランス語に対する地位向上も,聖職者の活動によって可能となった.
しかし,上記のように関連の深さを理解する一方で,言語と宗教とが必然的な関係ではないことも強調しておく必要がある.移住民の多い社会にあっては,祖先の宗教は保っているものの,祖先の言語は失い,移住先の優勢な言語へ乗り換えているケースが少なくない.例えば,米国のユダヤ教徒やイスラム教徒を思い浮かべればよい.
言語と宗教は関連は深いが,その関連は必然的ではない.両者がどのように依存し,どのように独立しているのかという問題は,「#1543. 言語の地理学」 ([2013-07-18-1]) の取り組むべき課題の1つだろう. *
・ ロラン・ブルトン 著,田辺 裕・中俣 均 訳 『言語の地理学』 白水社〈文庫クセジュ〉,1988年.
標題は "ethnic cleansing" を想起させる不穏な用語である.ある言語から借用語を一掃しようとする純粋主義の運動であり,ときに政治性を帯び,言語政策として過激に遂行されることがある.日本語でも横文字の過剰な使用をいぶかる向きはあるし,英語でもかつてルネサンス期にインク壺語 (inkhorn_term や "oversea language" ([2013-03-08-1]の記事「#1411. 初期近代英語に入った "oversea language"」を参照)に対抗して本来語へ回帰しようとする純粋主義が現われた([2013-03-07-1]の記事「#1410. インク壺語批判と本来語回帰」を参照).しかし,日本語でも英語でも,体系的に借用語を一掃し,本来語へ置き換えるような社会運動へと発展したことはなかった.
ところが,トルコでは lexical cleansing が起こった.そして,現在も進行中である.カルヴェ (96--100) に,トルコにおける「言語革命」が紹介されている.第1次世界大戦後のトルコの祖国解放運動の指導者にしてトルコ共和国の初代大統領となった Mustafa Kemal Atatürk (1881--1938) は,共和国の創設 (1923) に伴い,トルコ文語の改革を断行した.まず,Kemal は,オスマン帝国の痕跡を排除すべくアラビア文字からローマ字への切り替えを断行した.続けて,当時のトルコ文語がアラビア語やペルシア語の語彙要素を多分に含む学者語となっていたことから,語彙の体系的なトルコ語化を画策した.
アラビア語やペルシア語の語彙要素を浄化すべくトルコ新体制が最初に行なったことは,トルコ語研究学会に,広い意味でのトルコ語の語彙集を作成させるということだった.広い意味でのトルコ語とは,チュルク諸語族に属する新旧のあらゆる言語を念頭においており,オルホン銘碑の言語,トルキスタン,コーカサス,ヴォルガ,シベリアで話される現代語,ウイグル語やチャガタイ語,アナトリア語やバルカン語諸方言を含んでいた.古語を掘り起こし,本来語要素を複合し,目的のためには時に語源を強引に解釈したりもした.おもしろいことに,ヨーロッパ語からの借用は,アラビア・ペルシア要素の排除という大義のもとに正当化されることがあった.トルコ新体制は,強い意志と強権の発動により,lexical cleansing を行ない,純正トルコ語を作り出そうとしたのである.
トルコのほかに,類例として Serbo-Croatian における語彙浄化が挙げられる.1990年代前半の旧ユーゴ解体に伴い,それまで Serbo-Croatian と呼ばれていた言語が,民族・文化・宗教という分裂線により Serbian と Croatian という異なる言語へ分かれた.以降,互いの言語を想起させる語彙を公的な場から排除するという lexical cleansing の政策がとられている.なお,北朝鮮でも,中国語の語彙と文字を排除する純血運動が主導されている.
・ ルイ=ジャン・カルヴェ(著),西山 教行(訳) 『言語政策とは何か』 白水社,2000年.
「#41. 言語と文字の歴史は浅い」 ([2009-06-08-1]),「#751. 地球46億年のあゆみのなかでの人類と言語」 ([2011-05-18-1]) の記事で言語の起源と進化の年表を示したが,コムリー他編の『新訂世界言語文化図鑑 世界の言語の起源と伝播』 (17) より,もう1つの言語年表を示す.
50,000 BC | アフリカからの人類の出現(最新の推定年代) | |
45,000 BC | ||
オーストラリアへの移動 | ||
40,000 BC | ホモ・サピエンス:言語形態の存在を示唆する複雑な行動様式(物的証拠の存在) | |
35,000 BC | ||
30,000 BC | ネアンデルタール人の死滅:最も原始的な言語形態 | |
25,000 BC | ||
20,000 BC | ||
15,000 BC | 言語の多様性のピーク(推定):10,000?15,000言語 | |
最終氷河期の終わり;ユーラシア語族の拡大 | ||
新世界への移動第一波:アメリンド語族 | ||
10,000 BC | ||
新世界への移動第二波:ナ・デネ語族 | ||
5,000 BC | オーストロネシア語族の拡大;台湾への移動 | |
インド・ヨーロッパ祖語 | ||
インド・ヨーロッパ語族の最古の記録:ヒッタイト語,サンスクリット語 | ||
0 | 古典言語:古代ギリシャ語,ラテン語 | |
500 | ロマンス語派,ゲルマン語派の発生;古英語 | |
1000 | ||
1500 | 植民地時代;ピジンとクレオールの発生;標準言語の拡がり;言語消滅の加速化 | |
2000 |
50,000 BC | アフリカからの人類の出現(最新の推定年代) | |
45,000 BC | ||
オーストラリアへの移動 | ||
40,000 BC | ホモ・サピエンス:言語形態の存在を示唆する複雑な行動様式(物的証拠の存在) | |
35,000 BC | ||
30,000 BC | ネアンデルタール人の死滅:最も原始的な言語形態 | |
25,000 BC | ||
20,000 BC | ||
15,000 BC | 言語の多様性のピーク(推定):10,000?15,000言語 | |
最終氷河期の終わり;ユーラシア語族の拡大 | ||
新世界への移動第一波:アメリンド語族 | ||
10,000 BC | ||
新世界への移動第二波:ナ・デネ語族 | ||
5,000 BC | オーストロネシア語族の拡大;台湾への移動 | |
インド・ヨーロッパ祖語 | ||
インド・ヨーロッパ語族の最古の記録:ヒッタイト語,サンスクリット語 | ||
0 | 古典言語:古代ギリシャ語,ラテン語 | |
500 | ロマンス語派,ゲルマン語派の発生;古英語 | |
1000 | ||
1500 | 植民地時代;ピジンとクレオールの発生;標準言語の拡がり;言語消滅の加速化 | |
2000 |
ブルトンの『言語の地理学』を読み,地理学の観点から言語を考察するという新たなアプローチに気づかされた.言語における地理的側面は,方言調査,言語変化の伝播の理論,言語圏 (linguistic area; see [2012-12-01-1]) の研究などで前提とはされてきたが,あまりに当然のものとみなされ,表面的な関心しか払われてこなかったといえるかもしれない.このことは,「#1053. 波状説の波及効果」 ([2012-03-15-1]) の記事でも触れた.
言語の地理学,言語地理学,地理言語学などと呼び方はいろいろあるだろうが,これはちょうど言語の社会学か社会言語学かという区分の問題に比較される.Trudgill (56) の用語集で geolinguistics を引いてみると,案の定,この呼称には2つの側面が区別されている.
(1) A relatively recent label used by some linguists to refer to work in sociolinguistics which represents a synthesis of Labovian secular linguistics and spatial dialectology. The quantitative study of the geographical diffusion of words or pronunciations from one area to another is an example of work in this field. (2) A term used by human geographers to describe modern quantitative research on geographical aspects of language maintenance and language shift, and other aspects of the spatial relationships to be found between languages and dialects. An example of such work is the study of geographical patterning in the use of English and Welsh in Wales. Given the model of the distinction between sociolinguistics and the sociology of language, it might be better to refer to this sort of work as the geography of language.
伝統的な方言研究や言語変化の伝播の研究では,言語項目の地理的な分布を明らかにするという作業が主であるから,それは「地理言語学」と呼ぶべき (1) の領域だろう.一方,ブルトンが話題にしているのは,「言語の地理学」と呼ぶべき (2) の領域である.後者は,民族や宗教や国家や経済などではなく言語という現象に焦点を当てる地理学である,といえる.
言語の地理学で扱われる話題は多岐にわたるが,その代表の1つに,「#1540. 中英語期における言語交替」 ([2013-07-15-1]) で具体的にその方法論を適用したような言語交替 (language shift) がある.また,失われてゆく言語の保存を目指す言語政策の話題,言語の死の話題も,話者人口の推移といった問題も言語の地理学の重要な関心事だろう.世界の諸言語の地理的な分布という観点からは,先述の言語圏という概念も関与する.諸文字の地理的分布も同様である.
ブルトンが打ち立てようとしている言語の地理学がどのような性格と輪郭をもつものなのか,直接ブルトンに語ってもらおう.
結局,地理学者は,社会史学的・経済学的な次元の人文現象と言語とのあいだの空間的相関関係の確立に習熟しているのである.そして中でも,自然環境や生物地理的環境との相関関係はお手のものである.言語が,自然環境に直接働きかけるものでない以上,言語については本来の生態学を語ることはできない.しかしすべての言語は,住民の中に独自の分布を示しており,住民は言語の環境でもある.したがってまた共通の言語を備えた人間集団の生態学が存在するのである.そしてある文化的特徴――言語――がある一つの環境――またはいくつかの環境――の中で,他の文化的・社会的・経済的特質と同様の,あるいは異なったしかたで,どのように拡大しどのように維持されどのように定着できたかを明らかにするには,地理学者はまさに資格十分である.(29--30)
実際にはブルトンは,言語の地理学を,さらに大きな文化地理学へと結びつけようとしている.
自然現象と文化現象の2つの領域を厳密に分けることによってのみ,人種や人類学的圏域のような概念を理解し利用することが可能となり,これら人種圏の範囲と文化的な集合体の範囲とを比較することができる.この文化的集合体の中でも,言語的,宗教的,政治的属性といった異なる次元のあいだの相違は,長いあいだ,より明確に認識されてきた.そこからエスニー(民族言語的共同体)や信仰社会集団や国家といったような,それぞれの区別に対応する共同体や構造についての認識が派生してきたのである./文化の諸特徴の地理学から,われわれはいまや文化それ自体の地理学へと近づくことができる.すなわち,社会の言語的・宗教的・歴史政治的な遺産を結びつけ,そして思考と仲間意識との個性的な諸体系を生みだすような文化の集合体に関する地理学へ,である.この文化地理学はそれゆえに,大きなあるいは社会全体の人間集団を見極めることを目的とする.これらの集団は,場合に応じて部族,エスニー,国家,大文明の一大単位などと同列視されるのである.地理学者はこれらの集団の生態学を,その内部運動,偶発的な相互依存,さらにそれらの機能的な階層性,依存度または支配度,文化の受容と放棄といった個別的または集団的な現象による浸透力などの側面から研究する.経済活動の優先性が一般に認められている世界では,文化地理学は社会の中で経済人の反対の側に生きいきと存在しているものを見分けるという使命を帯びているのである.(32--33)
要するに,ブルトンの姿勢は,社会における言語という大局観のもとで言語の地理的側面に焦点を当てるということである.以下は,その大局観と焦点の関係を図示したものである(ブルトン,p. 47,「エスニーの一般的特徴」).言語の社会学や社会言語学のための見取り図としても解釈できる.
なお,上の引用文で用いられているエスニーという概念と用語については,「#1539. ethnie」 ([2013-07-14-1]) を参照.
・ Trudgill, Peter. A Glossary of Sociolinguistics. Oxford: Oxford University Press, 2003.
・ ロラン・ブルトン 著,田辺 裕・中俣 均 訳 『言語の地理学』 白水社〈文庫クセジュ〉,1988年.
接続詞として用いられる for の用法がある.古風・文語的ではあるが,主節の内容に対する主観的な根拠を補足的に述べるときに用いられる.書き言葉では for の前にコンマ,セミコロン,ダッシュなどの句読点が置かれ,軽い休止を伴う.例文をいくつか挙げよう.
・ It was just twelve o'clock, for the church bell was ringing.
・ We listened eagerly, for he brought news of our families.
・ I believed her --- for surely she would not lie to me.
・ He found it increasingly difficult to read, for his eyesight was beginning to fail.
・ She remained silent, for her heart was heavy and her spirits low.
・ The man was different from the others, with just a hint of sternness. For he was a coroner.
この for は,根拠や理由を述べる典型的な従属接続詞である because, since, as などと用法が部分的に重なる.実際に方言などでは "I did it for they asked me to do it." などと直接に理由を述べる because に近い用例もある.しかし,いくつかの点で,because などの従属接続詞とは統語的な性質が異なり,それゆえ,むしろ等位接続詞として分類されることもある.
例えば,for の導く節を前に持ってくることはできない (ex. * For he was unhappy, he asked to be transferred.) .また,it is . . . that の強調構文の強調の位置に for 節をもってくることはできない.because A and because C などと and により並置できるが,for A and for B などとはできない.直前に just, only, simply, chiefly などの副詞を置くことができない,等々.
だが,for は等位接続詞らしからぬ振る舞いを示すことも確かである.例えば,典型的な等位接続詞 or では,I may see you tomorrow or may phone later in the day. などと主語が同じ場合,第2の節における主語は省略できるが,for では省略できない (ex. * He did not want it, for was obstinate) .
Quirk et al. (927--28) は,従属接続詞と等位接続詞を分ける絶対的な基準はないとしながらも,総合的には for は前者に分類するのが適切だと考えている.if や because のような prototypical な従属接続詞ではないものの,prototypical な等位接続詞である and や or からの隔たりのほうが大きいと判断している.Quirk et al. (927) による統語的基準6点と,等位から従属への連続性を示す表を以下に挙げよう.(表中の「±」は条件によっては該当項目を満たしたり満たさなかったりすることを,「×」は (and) yet ように and などの前置が任意であることを示す.)
(a) It is immobile in front of its clause.
(b) A clause beginning with it is sequentially fixed in relation to the previous clause, and hence cannot be moved to a position in front of that clause.
(c) It does not allow a conjunction to precede it.
(d) It links not only clauses, but predicates and other clause constituents.
(e) It can link subordinate clauses.
(f) It can link more than two clauses, and when it does so all but the final instance of the linking item can be omitted.
Table 13.18 Coordination--conjunct--subordination gradients
なお,OED や MED によると,歴史的には接続詞としての for は,古英語から中英語への過渡期に初出している.
・ 1123 Peterb.Chron. (LdMisc 636) an.1123: Ac hit naht ne beheld, for se biscop of Særes byrig wæs strang.
・ c1150 Serm. in Kluge Ags. Lesebuch 71 Hwu sceal þiss gewurðen, for ic necann naht of weres gemane.
・ 1154 Anglo-Saxon Chron. anno 1135, On þis kinges time wes al unfrið..for agenes him risen sone þa rice men.
単体で接続詞として用いられる for の前身として,古英語では ðe を伴って接続詞化した forþam, forþan, forði が見られたし,13世紀には for that などの compound connective も現われた.接続詞としては周辺的ではあるものの,案外と古い歴史をもっていることがわかる.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
現代英語では,2人称に対する命令文では,通常,主語の you は省略される.ただし,相手に対するいらだちを表わしたり,特定の人を指して命令する場合には,会話において you が現われることも少なくない.その場合には "Come on! You open up and tell me everything." のように,you が動詞の前位置に置かれ,強勢を伴う.
しかし,初期近代英語までは,主語の you や thou が省略されずに表出する場合には,動詞の後位置に現われた.荒木・宇賀治 (406) および細江 (149) に引用されている,Shakespeare や聖書からの例を挙げよう.
・ Bring thou the master to the citadel (Oth II. i. 211)
・ So in the Lethe of thy angry soul Thou drown the sad remembrance of those wrongs Which thou supposest I have done to thee. (R 3 IV. iv. 250--2)
・ So speak ye, and do so. --- James, ii. 12.
・ Go, and do thou likewise. --- Luke, x. 37.
18世紀以降は,主語が動詞に前置される語順が次第に優勢となったが,否定命令文では,いまだに "Don't you be so sure of yourself." のように,you は don't の後位置に置かれる(強勢は don't のほうに落ちる).これは,古い英語の名残である.同様の名残に,現代英語の mind you, mark you, look you なども挙げられる.これらの you は動詞の目的語ではなく,あくまで命令文において明示された主語である.いずれも,「いいかい,よく聞け,忘れるな,言っておくが」ほどの意味で,略式の発話において内緒話を導入するときや聞き手の注意を引くときに用いる.you に強勢が置かれる.
・ Mind you, this is just between you and me.
・ Cellphones are becoming more and more popular. Mind you, I don't like cellphones.
・ I've heard they're getting divorced. Mind you, I'm not surprised --- they were always arguing.
・ She hasn't had much success yet. Mark you, she tries hard.
・ Her uncle's just given her a car --- given, mark you, not lent.
OED によると,mind you の初例は1768年(語義12b),mark you は Shakespeare (語義27b),look you も Shakespeare (語義4a)であり,近代英語期からの語法ということになる.なお,Look ye. 「見よ」については,「#781. How d'ye do?」 ([2011-06-17-1]) の記事も参照.
・ 荒木 一雄,宇賀治 正朋 『英語史IIIA』 英語学大系第10巻,大修館書店,1984年.
・ 細江 逸記 『英文法汎論』3版 泰文堂,1926年.
昨日の記事「#1539. ethnie」 ([2013-07-14-1]) で「エスニー」という言語地理学の概念と用語を導入したが,これは言語交替 (language shift) の問題を取り扱う上でとりわけ重要である.個人やその集団を,一方では母語が何であるかに焦点を当てるエスニーという観点から,他方では民族という観点から分類し,その組み合わせやその変化を動的にとらえると,言語交替を有効に記述することが可能になる.
ブルトン (54) は,ウクライナ人,ロシア人,ウクライナ語,ロシア語の間に生じている言語交替を例にとって図式化を試みているが,ここでは応用編として中英語期にイングランド人,フランス(ノルマン)人,英語,フランス語の間で生じていた言語交替を図示しよう.
大文字 E, F はそれぞれの民族を表わす記号,小文字 e, f はそれぞれの言語を表わす記号である.この組み合わせの種類と変化により,言語交替の段階が記述される.左上の Ee は,英語のみを話していたイングランド人を表わす.中英語期の大多数の庶民が,ここに属する.しかし,上位のフランス語と接する機会の多い中流階級などに属するイングランド人は,フランス語を第2言語として習得し,Eef のバイリンガルとなっていった.理論的には,さらに段階が進めば,英語とフランス語の習得の順序が逆転し,フランス語が第1言語として,英語が第2言語として習得されるという状況,すなわちイングランド人による英語文化の放棄という方向へ進んでいたかもしれないが,実際にはそこまでには至らなかった.
では,ノルマン征服後,イングランドへやってきたフランス(ノルマン)人の言語交替はどのように進んだか.まずは,彼らは第1言語としてのフランス語しか操らない右下の Ff として分類される.だが,12世紀以降,徐々に英語がイングランド社会で復権してゆくにつれ,彼らのなかには英語を第2言語として習得するものも現われるようになった(Ffe の段階).さらに英語化が進んでゆくと,英語を第1言語,フランス語を第2言語として習得するものが現われ(Fef の段階),最後に英語のモノリンガルになっていった(Fe の段階).これが,中英語期に実際に起こったフランス人の英語文化受容の流れである.中世イングランドでは,以上のように,英語とフランス語のあいだでイングランド人とフランス人による言語交替が進行していたのである.
言語交替の方向と拡散力は,1言語使用者と2言語使用者の数の比で決まる.ブルトン (70) によれば,拡散指数とは,第2言語としての話者数を第1言語としての話者数で割った値である.中世イングランドで考えると,征服後しばらくの間はフランス語を第2言語として習得するイングランド人(分子)が増加したために,全体としてフランス語の拡散指数も大きくなった.つまり,それなりにフランス語の拡散力があったということである.しかし,後に英語の復権が進むにつれ,英語を第2言語として習得するフランス人(分子)の数が上回るようになり,むしろ英語の拡散指数のほうが大きくなった.
上の図式には通時的な次元が直接には表わされていないが,先に英語からフランス語への言語交替という弱い潮流があり(上段の左から右への2本の矢印),次にフランス語から英語への言語交替という強い潮流(下段の右から左への3本の矢印)が生じたということを念頭に解釈すると,わかりやすいだろう.あわせて,以下の図も参照.
・ ロラン・ブルトン 著,田辺 裕・中俣 均 訳 『言語の地理学』 白水社〈文庫クセジュ〉,1988年.
人種,部族,民族,国家,言語などの相互関係は複雑である.この複雑な蜘蛛の糸を解きほぐしたり,どのように絡まっているのかを考察するのが社会言語学の仕事だが,そのためにはそれぞれの概念に対応する人間集団を表わす表現が必要である.ある人種の成員,部族の成員,民族の成員,国家の成員というのは理解しやすいが,言語の成員という言い方はない.言語の話者集団の成員とか言語共同体の成員と呼ぶことはできるが,もっと端的な表現が欲しい.そこで,エスニー (ethnie) という術語が生み出された.ブルトン (51) によれば,エスニーという呼称は,以下の集団に対して与えられるべきである.
言語学的単位であることをその特徴とし,発生の起源や人類学的等質性による集団(人種)とは異なるもの,次に親族関係による結びつき(氏族,部族)でもなく,また文化的特徴の複合体(民族)でも政治的特徴の複合体(国民)でもないような集団に対してである.厳密な意味でエスニーは,言語学者や民族学者の言う《共通母語集団 (G.L.M.)》,もう少し曖昧ないい方では《民族言語集団》もしくは《言語共同体》と同じものである.したがってエスニーとは,その人類学的起源や地理的状況や政治的属性がどうであれ,同じ母語をもつ個々人の集合体ということになる.
了解さえしていれば共通母語集団 (G.L.M. = "groupe de langue maternelle") や言語共同体という呼称でもよいが,「エスニー」という表現で概念をカプセル化してしまえば確かに便利である.これにより,従来,「英語母語話者集団」と訳されてきた "native (or L1) speakers of English" は「英語エスニー」と端的に訳すことができる.
厳密な定義ではエスニーはある言語を母語として話す集団を指すが,第2言語としての話者集団をも含めた緩い定義で用いることもできるかもしれない.ただし,その場合にも母語話者なのか非母語話者なのかを分けるのが適切なことがあるだろう.ブルトン (52) は,前者を ethnophone (母民族語話者),後者を allophone (非母民族語話者)と呼んでいる.この用語によれば,"native (or L1) speakers of English" は「英語エスノフォンヌ」,"L2 speakers of English" は「英語アロフォンヌ」と呼ぶことができる.そして,両者合わせた "speakers of English" は,緩い意味での「英語エスニー」として呼ぶことができる.
異なるエスニー間の言語活動や社会言語学的状況について異同を調べるといった,言語地理学の課題に対するアプローチから生まれた概念であり用語である.便利に利用できそうだ.
・ ロラン・ブルトン 著,田辺 裕・中俣 均 訳 『言語の地理学』 白水社〈文庫クセジュ〉,1988年.
「#1484. Sapir-Whorf hypothesis」 ([2013-05-20-1]) について,近年,心理学や神経言語学 (neurolinguistics) からのアプローチが目立つようになってきている.従来の同仮説の研究は,人類言語学的な観点から諸言語,諸文化を比較するという方法が主だったが,新しい見方が現われてきている.
神経言語学の立場からみると,「#1515. 言語は信号の信号である」 ([2013-06-20-1]) で話題にしたように,「言語には,それに固有の生理学はない」.言語は,人間以外の動物にも備わっている共通の神経機能の土台のうえに築き上げられた高度な学習能力の反映である.
『ことばと思考』の著者である今井は,この事実を強調しながら,この点にこそ Sapir-Whorf hypothesis の神髄がある,同仮説の意義は,動物(および人間の赤ちゃん)と人間とのあいだに横たわる大きな溝を説明することにあると力説する.
動物と人間の知性の違いは甚だしく大きいが,それは単純に遺伝子の違い,脳の構造の違いにすべて起因するものではない.人間の認識の基礎になるほとんどの要素は,人間以外の動物にも共有されている.ことばを話す以前の人間の赤ちゃんの認識は,人間の大人よりも,動物のそれに近いといってよいかもしれない.人間以外の動物と人間の子どもの間で大きく異なるのは,持っている知識を使って,さらに学習していく学習能力なのだ.言語は,私たち人間に,伝達によってすでに存在する知識を次世代に伝えることを可能にした.しかし,それ以上に,教えられた知識を使うだけでなく,自分で知識を創り,それを足がかりにさらに知識を発展させていく道具を人間に与えたのだ./ことばと認識の関係というと,違う言語の話者の認識が違うか否か,という点に興味が集まりがちだ.異なる言語が話者にどのような認識の違いをもたらすかを知ることは,確かにとても大事なことだ.しかし,相対的にいって,言語を獲得した後の,異なる言語の話者の間の認識の違いより,言語を学習することによっておこる,子どもから大人への,革命といってよいほどの大きな認識と思考の変容こそが,ウォーフ仮説の神髄であると考えてもよいのではないだろうか.(182--83)
言語と思考の関係を考える場合に,もはや,単純に,異なる言語の話者の間の認識が違うか,同じかという問題意識は,不十分で,科学的な観点からは,時代遅れだといってよい.いま私たちがしなければならないことは,私たちの日常的な認識と思考---見ること,聞くこと,理解し解釈すること,記憶すること,記憶を思い出すこと,予測すること,推論すること,そして学習すること---に言語がどのように関わっているのか,その仕組みを詳しく明らかにすることである./その上で,異なる言語がそれぞれの認識と思考にどのように関わるのか,その関わり方が言語の文法による構造的な特徴や語彙の特徴によってどのように異なるのか,という問題に取り組んでいくことになるだろう.(214--15)
Sapir-Whorf hypothesis は,言語どうしの比較対照という横軸ではなく,言語未習得状態から言語習得過程を通じて言語既習得状態へと至る縦軸に沿って再解釈すべきだという提案として理解できる.
さらに,今井は,思考や認識における外国語学習の効用について,次のように的確な意見を述べている(原文の圏点は,ここでは太字にしてある).
一つの言語(つまり母語)しか知らないと,母語での世界の切り分け方が,世界中どこでも標準の普遍的なものだと思い込み,他の言語では,まったく別の切り分けをするのだ,ということに気付かない場合が多い.外国語を勉強し,習熟すると,自分たちが当たり前だと思っていた世界の切り分けが,実は当たり前ではなく,まったく別の分け方もできるのだ,ということがわかってくる.この「気づき」は,それ自体が思考の変容といってよい./言い換えれば,外国語を勉強し,習熟することで,その外国語のネイティヴと全く同じ「思考」を得るわけではないにしても,母語のフィルターを通してしか見ていなかった世界を,別の視点から見ることができるようになるのである.つまり,バイリンガルになることにより,得ることができるのは,その外国語の母語話者と同じ認識そのものではなく,母語を通した認識だけが唯一の標準の認識ではなく,同じモノ,同じ事象を複数の認識の枠組みから捉えることが可能であるという認識なのである.自分の言語・文化,あるいは特定の言語・文化が世界の中心にあるのではなく,様々な言語のフィルターを通した様々な認識の枠組みが存在することを意識すること---それが多言語に習熟することによりもたらされる,もっとも大きな思考の変容なのだと筆者は考える.(222--23)
かねてからの外国語学習に関する持論が,心理学や神経言語学という観点からも支持されたと感じる.
・ 今井 むつみ 『ことばと思考』 岩波書店〈岩波新書〉,2010年.
「母語」は言語学の専門用語というわけではないが,一般にも言語学にも広く使われている.英語で "mother tongue", フランス語で "langue maternelle", ドイツ語で "Muttersprache" であり,「母の言語」という言い方は同じである.典型的に母親から習得する,話者にとっての第1言語のことであり,自明な呼称のように思われるかもしれない.だが,「母語」という用語にはいくつかの問題が含まれている.すでに定着している用語であり,使うのを控えるというのも難しいが,問題点を指摘しておくことは重要だろう.
1つ目は,用語にまつわる表面的な問題である.母から伝承される言語というイメージは情緒的ではあるが,現実には母以外から言語を聞き知る例はいくらでもある.母とはあくまで養育者の代名詞であるという議論は受け入れるとしても,「#1495. 驚くべき北西アマゾン文化圏の multilingualism」 ([2013-05-31-1]) で示したように,社会制度として父の言語が第1言語となるような文化も存在する.この場合には,むしろ「父語」の呼称がふさわしい.
2つ目は,母語の定義についてである.上でも第1言語という代替表現を用いたが,これが含意するのは,母語とは話者が最初に習得した言語を指すということである.ほとんどの場合,この定義でうまくいくだろうが,習得順序によって定まる母語と心理的実在としての母語とが一致しないケースがまれにあるかもしれない.ブルトン (34--35) による以下の文章を参照.
国家が国勢調査を実施するために与えている多様な〔母語の〕定義は,時間的先行性と心理的内在性という2つの規準のあいだを行きつ戻りつするためらいを反映している.前者の定義はつまり,母語は最初の言語であるということであり,後者は,人が話し続け,なかんずくその中で思考する言語が,母語であるというわけである.幼年期,とくに第一幼年期において習得されるということが,客観的諸条件の中では一般に最も重要とされている(インド,メキシコ,フィリピン,カナダ,モーリシャスなど).しかし多言語使用の根強い伝統をもつスイスのような国は,母語とは自分が一番よくわかっていると信じかつそれで思考する言語だということを,正確に示している.いかなる定義を採用しようとも,母語を母語たらしめている本質的に重要な価値と,母語が個人の社会文化的帰属に関して重要な指標であることについては,一般に見解の一致を見ている.
3つ目に,本質的に話者個人の属性としての母語が,用語として社会的な文脈に現われるとき,ほとんど気付かれることなく,その意味内容が社会化され,ゆがめられてしまうという問題がある.例えば,UNESCO 1953 は,次のように述べて,母語での教育の機会を擁護している.
On educational grounds we recommend that the use of the mother tongue be extended to as late a stage in education as possible. In particular, pupils should begin their schooling through the medium of the mother tongue, because they understand it best and because to begin their school life in the mother tongue will make the break between home and school as small as possible.
意図として良心的であり,趣旨には賛成である.しかし,"the mother tongue" という用語が教育という社会的な文脈で用いられることにより,本来的に話者個人と結びつけられていたはずの問題が,社会問題へとすり替えられえいるように思われる.
話者個人にとって母語というものが紛れもない心理的実在だとしても,その言語が社会的に独立した言語として認知されているかどうかは別問題である.例えば,その言語が威信ある言語の1方言として位置づけられているにすぎず,独立した言語として名前が与えられていない可能性がある.その場合には,その話者は母語での教育の機会を与えられることはないだろう.また,話者本人が自らの言語を申告する際に,母語を申告しない可能性もある.Romain (37) によれば,イギリスにおいて,家庭で普段 Panjabi を話すパキスタン系の人々は,自らは Panjabi の話者ではなく,パキスタンの国語である Urdu の話者であると申告するという.ここには故国の政治的,宗教的な要因が絡んでいる.
母語を究極的に個人の属性として,すなわち個人語 (idiolect) として解釈するのであれば,母語での教育とは話者の数だけ種類があることになる.しかし,そのように教育を施すことは非現実的だろう.一方で,ある程度抽象化した言語変種 (variety) として捉えるのであれば,その変種は言語なのか方言なのかという,例の頭の痛い社会言語学的な問題に逆戻りしてしまう.社会的な文脈で用いられた母語という用語は,すでに社会化された意味内容をもってしまっているのである.
・ ロラン・ブルトン 著,田辺 裕・中俣 均 訳 『言語の地理学』 白水社〈文庫クセジュ〉,1988年.
・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.
Vanuatu 共和国は南西太平洋,メラネシアに浮かぶ島国である.国内には100以上のメラネシア系言語が話されているが,英語ベースで幾分のフランス語彙を含むピジン語 Bislama (or Beach-la-Mar) が国語として広く用いられている.また,公用語として英語とフランス語が行なわれている.
Vanuatu は1774年にイギリスの Captain Cook が探査して,the New Hebrides と命名された.19世紀後半の英仏植民競争の激化を経て,1906年には世界でも珍しい英仏共同統治下に置かれ,英仏両言語が公用語とされた.1980年に共和国として独立し,現在に至っている.
かつて南西太平洋を旅したときに Vanuatu にも訪れたことがあるが,海と島と太陽が忘れられない.現地で Bislama のポケット会話集のようなものを買ったようにも思うが,旅人としては英語で用を足すことができたので,Bislama を聴く機会はほとんどなかった.言語としては近隣のパプアニューギニアの Tok Pisin やソロモン諸島の Pijin と近く,部分的に相互に通じ合う.
さて,Bislama が国語であることは,1980年の独立時に起案された憲法の 3. (1) でも以下のように明記されている.
3. (1) The national language of the Republic of Vanuatu is Bislama. The official languages are Bislama, English and French. The principal languages of education are English and French.
この国の言語状況について奇妙なことがある.憲法にも明記されている正当な国語たる Bislama が,教育の媒介言語として公には許容されていないのである.教育の言語はあくまで英語とフランス語である.Romain (194) は,この状況を指して,Vanuatu は国語の使用を禁止している世界で唯一の国かもしれないと述べている.
Although Bislama is recognized by the constitution of Vanuatu as the national language of the country, paradoxically it is forbidden in the schools. Thus, Vanuatu may be the only country in the world which forbids the use of its national language! English and French, the languages of the former colonial powers, are still the official languages of education.
実際には,学校における Bislama の使用が完全に禁止されているということではなく,小中学校ではくだけた文脈で補助言語として用いられることはあるようだ.また,2011年には "Proposed vernacular education" も提案されているというから,英仏語に対する土着の言語の社会言語学的な立場も徐々に上昇してきているのだろう.
・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.
英語の変種における non-prevocalic /r/ の話題については,「#406. Labov の New York City /r/」 ([2010-06-07-1]) を始めとして rhotic の各記事で扱ってきた.non-prevocalic /r/ の有無は,英語における社会言語学的パターン (sociolinguistic pattern) を示す最も典型的な変異の1つといってよい.社会階級によって /r/ の発音の比率が異なるという発見は,そのまま社会言語学の華々しいデビューとなった.
non-prevocalic /r/ は社会階級との関係や英米差という議論のなかで語れることが多いが,これらの議論の最大のポイントは,/r/ に対する価値判断は,その音価によって内在的に定まるのではなく,社会的な要因によって相対的に定まるにすぎないということだ.英語の /r/ には様々な音声的実現があるが,いずれの異音をとっても,人間の耳にとって内在的に美しい音であるとか醜い音であるとか,そのような評価を示す客観的な事実はほとんどない.仮にもしそのようなことがあったとしても,社会的な評価によっていとも簡単にかき消されてしまうだろう./r/ の評価は,ひとえに社会言語学的に付された価値に依存する.したがって,アメリカとイギリスのように社会が異なれば /r/ の評価は異なるし,同じ社会でも時代が変われば /r/ の評価も変わりうる.
Romain (68) に挙げられている,アメリカの New York City とイギリスの Reading の2つの町における階級別の non-prevocalic /r/ 比率を対照的に眺めれば,いかにその評価が相対的か一目瞭然である.
New York City | Reading | Social class |
---|---|---|
32 | 0 | upper middle class |
20 | 28 | lower middle class |
12 | 44 | upper working class |
0 | 49 | lower working class |
古英語を含め印欧語族の諸言語には文法性 (grammatical gender) が存在する.その他の世界の諸言語にも文法性という文法範疇をもつものが少なくない.なぜ言語に文法性が存在するのかという一般的な問題は興味深いが,個別言語の文法性の体系を合理的に説明することは難しい.「#1135. 印欧祖語の文法性の起源」 ([2012-06-05-1]) の記事でその発生に関する「世界観」説を概略したが,共時的にみればおよそ脈絡のないのが文法性である.同じ印欧語族に属するものの,太陽を表わす名詞は,古英語で女性 (sunne) ,フランス語で男性 (soleil) ,ロシア語で中性 (coлhцe) である.
性の数も言語によって異なる.「#487. 主な印欧諸語の文法性」 ([2010-08-27-1]) で見たように,印欧諸語で3性あるいは2性の区別が多いが,英語のように文法性が消失したものもある.印欧語族から外に目を移すと,さらに多くの性を区別する言語もある.そのような言語では男性,女性,中性のほかに弁別的なラベルを考えるだけでも一苦労であり,いっそのことI類,II類,III類などと名付けたほうがよい.
文法性はしばしば話者集団の世界観や宗教観を反映するといわれるが,この点について社会言語学のテキストなどでよく言及される言語に,オーストラリア北西部の原住民によって話される Dyirbal 語がある(Ethnologue より Dyirbal およびオーストラリア北部の言語地図の右端を参照).この言語では,名詞が4つのクラスに分類されている.各クラスに属する名詞の典型例は以下の通りである(今井,p. 32 より).
第一クラス…「バイ」 (Bayi) --- 人間の男,カンガルー,オポッサム(有袋類の小動物),コウモリ,ヘビの大部分,魚の大部分,鳥の一部分,昆虫の大部分,月,嵐,虹,ブーメラン,一部の槍
第二クラス…「バラン」 (Balan) --- 人間の女,バンディクート(中型有袋類),イヌ,カモノハシ,一部のヘビ,一部の魚,ほとんどの鳥,蛍,サソリ,コオロギ,星,一部の槍,一部の木,水,火をはじめとした危険なもの
第三クラス…「バラム」 (Balam) --- 食べられる実とその実がとれる植物,芋類,シダ,ハチミツ,タバコ,ワイン,ケーキ
第四クラス…「バラ」 (Bala) --- 体の部位,肉,蜜蜂,風,一部の槍,木の大部分,草,泥,石,言語
大雑把にいえば,第一クラスは人間の男性と動物,第二クラスは人間の女性,水,火,危険なもの,第三クラスは植物性の食べ物,第四クラスはそれ以外という分類だが,個々の名詞については例外と見えるものが多く,分類基準に一貫性がないように思われる.
しかし,Dyirbal の世界観や神話を参照すると,理解できる項目が増えてくる.Dyirbal では魚は動物と考えられており,原則として第一クラスに所属している.また,関連して「釣糸」や「槍」も同じ第一クラスに所属することになる.ところが,オニオコゼやサヨリは危険な魚として第二クラスに入れられる.鳥が第二クラスに入っているのは,Dyirbal の神話では鳥が死んだ女性の精とみなされているからだ.また,月と太陽が夫婦であるというのも神話の一部である (Romain 27--28) .
このような Dyirbal の文法性の区分法は,「#1484. Sapir-Whorf hypothesis」 ([2013-05-20-1]) を支持する論者にとっては貴重な証拠だろう.
・ 今井 むつみ 『ことばと思考』 岩波書店〈岩波新書〉,2010年.
・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.
昨日の記事[2013-07-07-1]に引き続き,言語変化にまつわる3つの概念の関係について.昨日は,Second Germanic Consonant Shift ([2010-06-06-1]) がいかに地理的に波状に拡大し,どのような順序で語彙を縫って進行したかという話題を取り上げた.今日は,英語の諸変種にみられる -t/-d deletion という現象に注目する.
-t/-d deletion とは,missed, grabbed, mist, hand などの語末の歯閉鎖音が消失する音韻過程である.非標準的で略式の発話ではよくみられる現象だが,その生起頻度は形態音韻環境によって異なると考えられている.関与的な形態音韻環境とは,問題の語が (1) mist のように1形態素 (monomorphemic) からなるか miss-ed のように2形態素 (bimorphemic) からなるか,(2) 後続する音が子音か (ex. missed train) 母音か (ex. missed Alice) の2点である.(1) 1形態素 > 2形態素, (2) 子音後続 > 母音後続という関係が成り立ち,1形態素で子音後続の -t/-d が最も消失しやすく,2形態素で母音後続の -t/-d が最も消失しにくいということが予想される.この予想を mist と missed に関して表の形に整理すると,以下のようになる(Romain, p. 142 の "Temporal development of varieties for the rule of -t/-d deletion" より).
これは,昨日の SGCS の効き具合を示す表と類似している.ここでは,変種(方言),時点,形態音韻環境に応じて,-t deletion の効き具合が階段状の分布をなしている.隣接変種への拡がりとみれば波状理論を表わすものとして,時系列でみれば語彙拡散を表わすものとして,通時的な順序の共時的な現われとみれば含意尺度を表わすものとして,この表を解釈することができる.
2種類の形態音韻環境については,-t/-d deletion の効き具合に関する制約 (constraint) ととらえることもできる.(1) は有意味な接尾辞形態素 -ed は消失しにくいという制約,(2) は煩瑣な子音連続を構成しない -t/-d は消失しにくいという制約として再解釈できる.この観点からすると,2つの制約の効き具合の優先順位によって,異なった -t/-d deletion の分布表が描かれることになるだろう.ここにおいて,波状理論,語彙拡散,含意尺度といった概念と,Optimality Theory (最適性理論)との接点も見えてくるのではないか.
・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.
「#1506. The Rhenish fan」 ([2013-06-11-1]) の記事で,高地ドイツ語と低地ドイツ語を分ける等語線が,語によって互いに一致しない事実を確認した.この事実を説明するには,青年文法学派 (Neogrammarians) による音韻法則の一律の適用を前提とするのではなく,むしろ波状理論 (wave_theory) を前提として,語ごとに拡大してゆく地理領域が異なるものとみなす必要がある.
いま The Rhenish fan を北から南へと直線上に縦断する一連の異なる方言地域を順に1--7と名付けよう.この方言群を縦軸に取り,その変異を考慮したい子音を含む6語 (ich, machen, dorf, das, apfel, pfund) を横軸に取る.すると,Second Germanic Consonant Shift ([2010-06-06-1]) の効果について,以下のような階段状の分布を得ることができる(Romain, p. 138 の "Isoglosses between Low and High German consonant shift: /p t k/ → /(p)f s x/" より).
方言1では SGCS の効果はゼロだが,方言2では ich に関してのみ効果が現われている.方言3では machen に効果が及び,方言4では dorf にも及ぶ.順に続いてゆき,最後の方言7にいたって,6語すべてが子音変化を経たことになる.1--7が地理的に直線上に連続する方言であることを思い出せば,この表は,言語変化が波状に拡大してゆく様子,すなわち波状理論を表わすものであることは明らかだろう.
さて,次に1--7を直線上に隣接する方言を表わすものではなく,ある1地点における時系列を表わすものとして解釈しよう.その地点において,時点1においては SGCS の効果はいまだ現われていないが,時点2においては ich に関して効果が現われている.時点3,時点4において machen, dorf がそれぞれ変化を経て,順次,時点7の pfund まで続き,その時点にいたってようやくすべての語において SGCS が完了する.この解釈をとれば,上の表は,時間とともに SGCS が語彙を縫うようにして進行する語彙拡散 (lexical diffusion) を表わすものであることは明らかだろう.
縦軸の1--7というラベルは,地理的に直線上に並ぶ方言を示すものととらえることもできれば,時間を示すものととらえることもできる.前者は波状理論を,後者は語彙拡散を表わし,言語変化論における両理論の関係がよく理解されるのではないか.
さらに,この表は言語変化に伴う含意尺度 (implicational scale) を示唆している点でも有意義である.6語のうちある語が SGCS をすでに経ているとわかっているのであれば,その方言あるいはその時点において,その語より左側にあるすべての語も SGCS を経ているはずである.このことは右側の語は左側の語を含意すると表現できる.言語変化の順序という通時的な次元と,どの語が SGCS の効果を示すかが予測可能であるという共時的な次元とが,みごとに融和している.
音韻変化と implicational scale については,「#841. yod-dropping」 ([2011-08-16-1]) も参照.
・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.
数え方にもよるが,世界中で100以上のピジン語やクレオール語が日常的に用いられているといわれる.なかには200万人を超える話者を擁する Tok Pisin のような活発な言語もある.実際,Tok Pisin は南太平洋における最大の言語である.英語を lexifier とする「#463. 英語ベースのピジン語とクレオール語の一覧」 ([2010-08-03-1]) についてはすでに本ブログで言及したが,かつての大英帝国の影響力から予想される通り,英語ベースのものが最も多い.
Romain (170--73) の地図を参照して lexifier 言語別にピジン語とクレオール語の個数を数え上げると,英語が35,フランス語が14,ポルトガル語が9,スペイン語が3,オランダ語が3,その他の言語が26となる. * *
世界に散在する種々のピジン語とクレオール語を分類するのに,上記のように語彙を提供している言語,すなわち superstratum の言語を基準とする方法があるが,ほかに地域を基準とする分類もある.地理的な分布の観点からピジン語やクレオール語を大きく2分すると,大西洋系列と太平洋系列とに分かれる.Romain (174--75) を引用しよう.
Creolists recognize two major groups of languages, the Atlantic and the Pacific, according to historical, geographic, and linguistic factors. The Atlantic group was established primarily during the seventeenth and eighteenth centuries in the Caribbean and West Africa, while the Pacific group originated primarily in the nineteenth. The Atlantic creoles were largely products of the slave trade in West Africa which dispersed large numbers of West Africans to the Caribbean. Varieties of Caribbean creoles have also been transplanted to the United Kingdom by West Indian immigrants, as well as to the USA and Canada. The languages of the Atlantic share a West African common substrate and display many common features . . . . / In the Pacific different languages formed the substratum and socio-cultural conditions were somewhat different from those in the Atlantic. Although the plantation setting was crucial for the emergence of pidgins in both areas, in the Pacific laborers were recruited and indentured rather than slaves. Apart from Hawai'i, a history of more gradual creolization has distinguished the Pacific from the Atlantic (particularly Caribbean) creoles, whose transition has been more abrupt.
このように地理的な分布による2分法は明快だが,両系列のあいだに複雑な関係があることを見えにくくしているきらいがあることには注意しておきたい.例えば,両系列に共有されている語彙 (savvy "to know" や picanniny "child, baby") の存在は,2つの海をまたいで活躍した船乗りの役割を考慮せずにうまく説明することはできないだろう.
・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.
これはイングランドの50ポンド札の写しである.上方から左中程にかけて,"I PROMISE TO PAY THE BEARER ON DEMAND THE SUM OF FIFTY POUNDS For the Gov:r and Comp:a of the BANK of ENGLAND" という文が読める."Gov:r" は governor,"Comp:a" は company の略だが,このような略記は一般にはお目にかからない.特に company は co と省略されるのが普通であり,compa は珍しいだろう.実際に,OED (compa | Compa, n.) を参照すると,現在では紙幣における表記としての使用がほぼ唯一の使用例であるという.
1940 G. Crowther Outl. Money i. 25 Every Bank of England note..bears the legend, 'I Promise to pay the Bearer on Demand the sum of One Pound' ..signed, 'For the Govr'. and Compa. of the Bank of England' by the Chief Cashier.
これを Company (< ME compaignie < AF compainie = OF compa(i)gnie) の略記であると解釈することに異論はないが,歴史的にはイングランドに銀行業をもたらしたイタリアとの関連で,イタリア語の同根語 compagnia の影響を認めてもよいかもしれない.Praz (35) は,次のように述べている.
Banking, as is well known, was first introduced into England by Italians; first by Sienese, then, after the middle of the thirteenth century, by Florentine merchants; Venice appeared on the scene at the beginning of the fourteenth century. Italian merchants were protected by Wolsey and Thomas Cromwell; they began to lose ground only during the age of Elizabeth. . . . The abbreviation Comp:a on the Bank of England notes is nothing else but a faint echo of the vanished glory of many an Italian Compagnia or firm.
「#1411. 初期近代英語に入った "oversea language"」 ([2013-03-08-1]) の最後に触れた通り,ロマンス諸語からの借用の多くは,フランス語を経由するなどしてフランス語化した形態で英語に入ってくることが多かった.語の借用過程は主として形態を参照しながら探るのが歴史言語学の定石だが,語源学や語誌研究においては形態以外の項目にも注意を払うと,新たな洞察が得られて実り豊かである.
・ Praz, Mario. "The Italian Element in English." Essays and Studies 15 (1929): 20--66.
「#1363. なぜ言語には男女差があるのか --- 女性=保守主義説」 ([2013-01-19-1]),「#1364. なぜ女性は言語的に保守的なのか」 ([2013-01-20-1]),「#1496. なぜ女性は言語的に保守的なのか (2)」 ([2013-06-01-1]) に引き続き,女性のほうが男性よりも標準形を好む傾向 (The Sex/Prestige Pattern) を示す原因について.
過去の記事で言及した原因のほかに,Romain (87) は家庭における子供の存在が効いているのではないかと述べている.
Another factor seldom considered is the effect of children, with respect both to employment patterns as well as to language use in families. The Dutch study found that when a couple had children, both parents used more standard language. One of the reasons why women may adopt a more prestigious variety of language is to increase their children's social and educational prospects.
つまり,育児世代の親は,子供に規範的な言葉遣いを教えようとするために,自らも標準的な語法を多用するようになる,という仮説である.これは母親に限らないことだが,多くの社会で伝統的に父親よりも母親のほうが育児に関わる機会が圧倒的に多いことは事実であり,この差が母親(成人女性)の標準化志向と関連しているのではないかという.
父親と母親の間の育児機会や子供への期待の差についてはおいておくとして,育児世代の親の年齢層,つまり成人層が若年層よりも標準的な言葉遣いを示すことは広く観察されている.逆の言い方をすれば,若者は社会的に低い変種を好むということだ.これは,大人が標準的な変種に overt prestige (顕在的権威)を認める傾向があるのに対して,思春期やそれ以前の若者は非標準的な変種に covert prestige (潜在的権威)を認める傾向があるとして一般化できる.話者個人の成長という観点からみると,年齢が上がるにしたがって,より標準的な言葉遣いへとシフトしてゆく (age grading) ということだ.
英語からの例としては,大人になると俗語 (slang) の使用が減る,多重否定 (multiple negation) の使用が減るなどの調査結果が報告されている.例えば,以下はおよそ同じ内容の発言の若者版と大人版である.ともに俗語的表現は含まれているが,その程度の差に注目されたい(東,pp. 94--95).
(1)
An adolescent: Dude, yesterday I went to this store and, man, I couldn't find the shift I wanted anywhere, man, it sucked.
An adult: Yesterday, I went to the store. I couldn't find what I wanted. Gosh! I was frustrated.
(2)
An adolescent: What the fuck is up with you, dumb ass! I told you to take that shift out 3 times. Get your ass out there.
An adult: I told you to take the trash out 3 times now. What the hell are you doing? Get your ass in gear and get out there and empty the dumb thing.
Romaine による Detroit における多重否定の調査では,その割合が12歳以下で73%,10代で63%に対して,大人では61%へ落ちたという(東,p. 92).
一般に大人には子供に規範を示す必要という社会的な圧力がかかっており,それにより非標準的な変種の使用を控えるようになるという仮説は,実感にも合っており,説得力がある.
・ Romain, Suzanne. Language in Society: An Introduction to Sociolinguistics. 2nd ed. Oxford: OUP, 2000.
・ 東 照二 『社会言語学入門 改訂版』,研究社,2009年.
「#329. 印欧語の右と左」 ([2010-03-22-1]) の記事で,印欧語における右優位の思想について取り上げた.英語にも同じ伝統が脈々と受け継がれているが,13世紀に著わされた修道女の手引き書 Ancrene Wisse (AW) を読んでいて,左右の差が道徳的な意味づけをされている箇所に出会った.その箇所は,写本でいえば Cambridge, Corpus Christi College 402 の fol. 57r19 -- r24 に相当する箇所,AW, Part 4 の「誘惑」についての文章に現われる.Kubouchi and Ikegami のパラレルエディションより引用する(現代英語の拙訳を付した).
. . . ȝef ei seið wel oðer deð wel ; ne mahen ha nanes/weis
lokin þider wið riht ehe of god heorte . ah winkið o þ+
half & bihaldeð o luft ȝef þer is eawt to edwiten . oðer lad/liche
þiderward schuleð mið eiðer . Hwen ha ihereð þ+ god ;
skleatteð þe earen adun . ah þe luft aȝein þ+ uuel ; is eauer
wid open . . . .
. . . if anyone says well or does well, they cannot ever look thither with the right eye of good heart, but wink in that eye and see in the left if there is anything to criticise, or squint evilly thither with either. When they here anything good, they flop the ears down, but the left ear is ever wide open towards the evil.
ある人が褒められているのを聞くと,右目ではそれを認めるが,左目では逆にあら探しをしようとする悪者がいる.そのような者は,両耳をふさぎながら,実は左耳では悪に耳を傾けているのだ,という.
ここでは,riht ehe (right eye) に「正しい目」と「右目」の両義が掛けてあり,対する (þe) luft (the left (eye/ear)) は「邪心」に喩えられている.
文化人類学では,右と左の対立は,聖と俗,浄と穢などの宗教的二元論と深く関係しているとされる.古今東西,右を優位と考える文化は多いが,印欧語族文化はその典型の1つである.ローマの鳥占いでは,左側から鳥が飛べば凶とされたし,キリスト磔刑図では左側に悪しき盗人,右側に善き盗人が描かれる.上の引用もキリスト教に基づく道徳の文章だが,根源的な宗教的二元論とレトリックとしての左右対立が巧みに組み合わされている例といえるだろう.
・ Kubouchi, Tadao and Keiko Ikegami, eds. The Ancrene Wisse : A Four-Manuscript Parallel Text, Preface and Parts 1--4. Studies in English Medieval Language and Literature 7. Frankfurt am Main: Peter Lang, 2003.
「#526. Chaucer の用いた英語本来語 --- 接頭辞 for- をもつ動詞」 ([2010-10-05-1]) でも取り上げた接頭辞の話題.現代英語では生産的ではないが,かつてはおおいに栄えた接頭辞として for- がある.この接頭辞が担当する意味を列挙すると,禁止,拒絶,非難,排除,否定,無視,不正,偽り,離反,差し控え,省略,失敗,悪影響,そしてそれらの強調である.一言で,ネガティヴな接頭辞といってよいだろう.
現代英語から語例を挙げてみると,forbear (control oneself), forbearance (patience), forbid (prohibit), forbruise (bruise sorely), fordo (do away with), forget (be unable to remember), forgive (pardon), forgo (do without), forlorn (lonely), forpined (pined away), forsake (leave), forsay (prohibit), forspent (worn out), forswear (give up), forweary (weary extremely), forworn (worn out) などが挙がる.Web3 によると,接頭辞 for- は次のように説明されている.
for- prefix [ME, fr. OE; akin to OHG fir-, far-, fur- for-, OS for-, Goth fra-, fair-, for-, faur- for-, fore-, OE for] 1 : so as to involve prohibition, exclusion, omission, failure, or refusal --- almost exclusively in words coined before 1600 <forsay> <forheed> 2 : destructively or detrimentally --- almost exclusively in words coined before 1600 <forhang> <forstorm> 3 : completely : excessively : to exhaustion : to pieces --- almost exclusively in words coined before 1600 <forbruise> <forweary> <forspent>
ドイツ語 ver- を含めゲルマン諸語に広く見られる古い接頭辞であり,古英語でも例は少なくない.Bosworth-Toller Dictionary によると,こちらのページ にこの接頭辞のエントリーがある.その語例を書き出すと,forbeodan (to forbid), fordeman (to condemn), forcuþ (perverse, corrupt), fordon (to destroy, to do for), for-eaðe (very easily), for-oft (very often), forseon (to overlook, despise) などが挙がる.
だが,この接頭辞が活躍したのはとりわけ中英語においてである.MED の for- (pref.(1)) には,多くの語例が挙げられている.アルファベット順に再現すると,forbannen (banish), forberen (bear, endure, refrain, avoid), forbien (redeem, bribe), forbinden (tie up), forbleden (bleed hard or to death), forbod (prohibition), forbreiden (corrupt, pervert), forbreken (break up, shatter), forcold (very cold), forcouth (infamous, wicked, vile, miserable), fordemen (condemn, convict), forderked (dimmed, obscured), fordon (ruin, destroy, condemn, frustrate, prevent, abrogate, violate), fordreden (fear greatly), fordrenchen (intoxicate, drown), fordrien (dry up, wither), fordronken (given to drunkenness), fordulle(d) (very dull), forfaren (go astray, perish, ruin), forfered (terrified), forhelen (conceal), forhiden (conceal), forhongred (ravenous, starving), forhouen (despise, scorn), forleden (mislead), forleten (forsake, give up, neglect, lose), forlien (fornicate, ravish, commit adultery), forlived (decrepit), forwandred (exhausted from wandering), forwepen (weep hard or long), forwered (worn out), forweri(ed) (very weary), forwerpen (cast out, banish, reject, renounce), forwird (perdition, destruction), forwondred (amazed), forworthen (degenerate, spoil, perish), forwounden (wound, injure), foryeten (forget, neglect, omit), foryeven (forgive, give up, bestow, grant) となる.
これらの多くが現代英語に残っていたら,卑罵語の for- などとして知られていたかもしれない.
以下に,英語と日本語の語彙史,語形成の歴史を比較対照できるような表を作成した.それぞれの時代における語彙や語形成の特徴を箇条書きにしたものである.「#1524. 英語史の時代区分」 ([2013-06-29-1]) と「#1525. 日本語史の時代区分」 ([2013-06-30-1]) でそれぞれの言語の時代区分を示したが,両者がきれいに重なるわけではないので,表ではおよその区分で横並びにした.英語の側では特定の典拠を参照したわけではないが,その多くは本ブログ内でも様々な形で触れてきたので,キーワード検索やカテゴリー検索を利用して関連する記事にたどりつくことができるはずである.とりわけ現代英語の語形成については,「#883. Algeo の新語ソースの分類 (1)」 ([2011-09-27-1]) を中心として記事で細かく扱っているので,要参照.日本語の側は,『シリーズ日本語史2 語彙史』 (p. 7) の語彙史年表に拠った.
Old English | * Germanic vocabulary | 上代 | ○和語(やまとことば)が大部分を占めた. |
* monosyllabic bases | ○2音節語が基本. | ||
* derivation and compounding | ○中国との交流の中で漢語が借用された.例:茶 胡麻 銭 (なお,仏教とともに伝えられたことばの中には「卒塔婆」「曼荼羅」のような梵語(古代インド語=サンスクリット語)も含まれている.) | ||
* Christianity-related vocabulary from Latin (some via Celtic) | 中古 | ○漢語が普及した.例:案内(あない) 消息(せうそこ) 念ず 切(せち)に 頓(とみ)に | |
* few Celtic words | ○和文語と漢文訓読語との文体上の対立が見られる.例:カタミニ〈互に〉←→タガヒニ(訓読語) ク〈来〉←→キタル(訓読語) | ||
Middle English | * Old Norse loanwords including basic words | ○派生・複合によって,形容詞が大幅に造成された. | |
* a great influx of French words | 中世 | ○漢語が一般化した. | |
* an influx of Latin technical words | ○古語・歌語・方言・女房詞など,位相差についての認識が広く存在した. | ||
Modern English | * a great influx of Latin loanwords | ○禅宗の留学僧たちが,唐宋音で読むことばを伝えた.例:行燈(あんどん) 椅子(いす) 蒲団(ふとん) 饅頭(まんぢゅう) | |
* Greek loanwords directly | ○キリスト教の宣教師の伝来,また通商関係などにより,ポルトガル語が借用された.例:パン カルタ ボタン カッパ〈合羽〉 | ||
* loanwords from various languages | 近世 | ○漢語がより一般化し,日常生活に深く浸透した. | |
* Shakespeare's vocabulary | ○階層の分化に応じて語彙の位相差が深まった. | ||
* scientific vocabulary | ○蘭学との関係でオランダ語が借用された.例:アルコール メス コップ ゴム | ||
Present-Day English | * shortening | 近代 | ○西欧語の訳語として,新造漢語が急激に増加する.例:哲学 会社 鉄道 市民 |
* many Japanese loanwords | ○英米語を筆頭として,フランス語,ドイツ語,イタリア語などからの外来語が増加する. | ||
* compounding revived | ○長い複合語を省略した略語が多用される. | ||
* loanwords decreased |
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最終更新時間: 2024-10-26 09:48
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