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distinctiones - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-11-12 07:24

2023-07-30 Sun

#5207. 朝カルのシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第2回「古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ」を終えました [asacul][writing][grammatology][alphabet][notice][spelling][oe][literature][beowulf][runic][christianity][latin][alliteration][distinctiones][punctuation][standardisation][voicy][heldio]

 先日「#5194. 7月29日(土),朝カルのシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第2回「古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ」」 ([2023-07-17-1]) でご案内した通り,昨日,朝日カルチャーセンター新宿教室にてシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第2回となる「古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ」を開講しました.多くの方々に対面あるいはオンラインで参加いただきまして感謝申し上げます.ありがとうございました.
 古英語期中に,いかにして英語話者たちがゲルマン民族に伝わっていたルーン文字を捨て,ローマ字を受容したのか.そして,いかにしてローマ字で英語を表記する方法について時間をかけて模索していったのかを議論しました.ローマ字導入の前史,ローマ字の手なずけ,ラテン借用語の綴字,後期古英語期の綴字の標準化 (standardisation) ,古英詩 Beowulf にみられる文字と綴字について,3時間お話ししました.
 昨日の回をもって全4回シリーズの前半2回が終了したことになります.次回の第3回は少し先のことになりますが,10月7日(土)の 15:00~18:45 に「中英語の綴字 --- 標準なき繁栄」として開講する予定です.中英語期には,古英語期中に発達してきた綴字習慣が,1066年のノルマン征服によって崩壊するするという劇的な変化が生じました.この大打撃により,その後の英語の綴字はカオス化の道をたどることになります.
 講座「文字と綴字の英語史」はシリーズとはいえ,各回は関連しつつも独立した内容となっています.次回以降の回も引き続きよろしくお願いいたします.日時の都合が付かない場合でも,参加申込いただけますと後日アーカイブ動画(1週間限定配信)にアクセスできるようになりますので,そちらの利用もご検討ください.
 本シリーズと関連して,以下の hellog 記事をお読みください.

 ・ hellog 「#5088. 朝カル講座の新シリーズ「文字と綴字の英語史」が4月29日より始まります」 ([2023-04-02-1])
 ・ hellog 「#5194. 7月29日(土),朝カルのシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第2回「古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ」」 ([2023-07-17-1])

 同様に,シリーズと関連づけた Voicy heldio 配信回もお聴きいただければと.

 ・ heldio 「#668. 朝カル講座の新シリーズ「文字と綴字の英語史」が4月29日より始まります」(2023年3月30日)
 ・ heldio 「#778. 古英語の文字 --- 7月29日(土)の朝カルのシリーズ講座第2回に向けて」(2023年7月18日)


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2021-12-22 Wed

#4622. 書き言葉における語境界の表わし方 [writing][distinctiones][word][syntax][grammatology][alphabet][kanji][hiragana][katakana][punctuation]

 単語を分かち書き (distinctiones) するか続け書き (scriptura continua) するかは,文字文化ごとに異なっているし,同じ文字文化でも時代や用途によって変わることがあった.英語では分かち書きするのが当然と思われているが,古英語や中英語では単語間にスペースがほとんど見られない文章がザラにあった(cf 「#3798. 古英語の緩い分かち書き」 ([2019-09-20-1])).逆に日本語では続け書きするのが当然と思われているが,幼児や初級学習者用に書かれた平仮名のみの文章では,読みやすくするために意図的に分かち書きされることもある(cf. 「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1])).
 一般的にいえば,漢字のような表語文字や仮名のような音節(モーラ)文字は続け書きされることが多いのに対し,単音文字(アルファベット)は分かち書きされることが多い.しかし,これはあくまで類型論上の傾向にすぎない.書き言葉において大事なことは,何らかの方法で語と語の境界が示されることである.単語間にスペースをおくというやり方は,それを実現する数々の方法の1つにすぎない.
 語境界を明示するためであれば,何もスペースにこだわる必要はない.世界の文字文化を見渡すと,例えば北セム諸語の碑文においては中点や縦線などで語を区切るという方法が実践されていたし,エジプト象形文字で人名を枠で囲むカルトゥーシュ (cartouche) のような方法もあった(中点については「#3044. 古英語の中点による分かち書き」 ([2017-08-27-1]) も参照).
 また,語末が常に(あるいはしばしば)特定の文字や字形で終わるという規則があれば,その文字や字形が語境界を示すことになり,分かち書きなどの他の方法は特に必要とならない.実際,ギリシア語では語末に少数の特定の文字しか現われないため,分かち書きは必須ではなかった.ヘブライ語やアラビア語などでは,同一文字素であっても語末に用いられるか,それ以外に用いられるかにより異なる字形をもつ文字体系もある.
 日本語の漢字かな交じり文では,漢字で書かれることの多い自立語と平仮名で書かれることの多い付属語が交互に繰り返されるという特徴をもつ.そのために典型的には平仮名から漢字に切り替わるところが語境界と一致する.部分的にではあれ,語境界の見分け方が確かにあるということだ.
 最後に「#1114. 草仮名の連綿と墨継ぎ」 ([2012-05-15-1]) で見たように,書き手が特定の言語単位(例えば語)を書き終えたところでいったん筆を上げるなどの慣習を発達させることがある.すると,その途切れの跡がそのまま語境界を示すことにもなる.
 このように古今東西の文字文化を眺めてみると,語境界を表わす方法は多種多様である.英語で見慣れている分かち書きが唯一絶対の方法ではないことを銘記しておきたい.そもそも英語や西洋言語の書記における分かち書きの習慣自体が,歴史的には後の発展なのだから(cf . 「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1])).

 ・ Daniels, Peter T. "The History of Writing as a History of Linguistics." Chapter 2 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 53--69.

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2020-02-01 Sat

#3932. 分かち書きがなかったら検索も不便だし,辞書の見出しという発想も出てこない [distinctiones][lexicography][word][dictionary][alphabet]

 私たちは,非表音文字を含む日本語の書記において続け書き (scriptura continua) がなされるのに慣れており,特に問題を感じていない.しかし,最たる表音文字であるアルファベットを用いる言語圏で,もし続け書きがなされていたらと想像すると,頭が痛くなる.実際には,連日の記事で取り上げてきたように,それが古典ギリシア語や古典ラテン語では常態だったのではあるが (cf. 「#3929. なぜギリシアとローマは続け書きを採用したか? (1)」 ([2020-01-29-1]),「#3930. なぜギリシアとローマは続け書きを採用したか? (2)」 ([2020-01-30-1]),「#3931. 語順の固定化と分かち書き」 ([2020-01-31-1])) .
 現代人の感覚からすると,アルファベットの分かち書き (distinctiones) という発明は当たり前すぎて,疑ったこともない.分かち書きがなかったらどうなるのだろうかと想像することすらしない.しかし,よくよく考えてみると,分かち書きにより語の区切りが明確に分かるというのは実にありがたいことである.続け書きでは,読み手がいちいち語の区切りを判断しなければならない.字面が連綿と続くページのなかで,ある語を検索しようとするとき,分かち書きと続け書きでは,検索スピードが天と地ほど異なるだろう.分かち書きは,語の検索という作業に革命的な能率をもたらすのだ.
 さらに,語の検索を主たるサービスとして提供する辞書 (dictionary) や語彙集 (glossary) や各種の索引を考えてみよう.現代の辞書では,語彙項目がアルファベット順などの決められた順序で,行頭に見出しとして立てられているからこそ検索しやすいのであって,もし延々と連なる続け書きされた文字列のなかから目的の語彙項目の見出しを探さなければならないとしたら,そもそも検索サービスの用を足していないとみなされるだろう.辞書や索引は分かち書きが前提とされているのである.このことは当たり前すぎて気づきすらしなかったことだ.
 このような点に注意を向けさせてくれたのは,Saenger (90) の指摘である.古代的な続け書きが解消され,中世的な分かち書きが発達してきて初めて,用が足りる辞書的なものが現われたのだという.同様に,アルファベット順に並べるという実践も,本質的には中世以降に出現した発想といっていいだろう.

It is difficult to imagine an alphabetical dictionary functioning as a reference tool when written in scriptura continua, even after the codex had supplanted the scroll. For the Greeks and Romans, alphabetical order was chiefly an aid to grammarians in assembling collections of grammatical definitions, such as that of Pompeius Festus, and as a mnemonic tool for relatively short lists of names. The alphabetical principle was never used to facilitate rapid consultation, as in modern indexes.


 分かち書き,アルファベット順,辞書編纂というのは,すべて関わりがあるということだ.関連して,「#603. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (1)」 ([2010-12-21-1]),「#604. 最初の英英辞書 A Table Alphabeticall (2)」 ([2010-12-22-1]),「#1451. 英語史上初のコンコーダンスと完全アルファベット主義」 ([2013-04-17-1]),「#2930. 以呂波引きの元祖『色葉字類抄』」 ([2017-05-05-1]),「#3365. 以呂波引きの元祖『色葉字類抄』 (2)」 ([2018-07-14-1]) も参照.

 ・ Saenger, P. Space Between Words: The Origins of Silent Reading. Stanford, CA: Stanford UP, 1997.

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2020-01-31 Fri

#3931. 語順の固定化と分かち書き [word_order][syntax][distinctiones][silent_reading][inflection][word]

 連日引用している Space Between Words: The Origins of Silent Reading の著者 Saenger は,中世後期に分かち書き (distinctiones) の慣習が改めて発達してきた背景には,ラテン語から派生したロマンス系諸言語の語順の固定化も一枚噛んでいたのではないかと論じている.
 比較的緩やかだったラテン語の語順が,フランス語などに発展する過程でSVO等の基本語順へ固定化していったことにより,読者の語(句)境界に対する意識が強くなってきたのではないかという.また語順の固定化と並行して屈折の衰退という言語変化が進行しており,後者も読者の語(句)の認識の仕方に影響を与えていただろうと考えられる.そして,もう一方の分かち書きの発達も,当然ながら語(句)境界の認識の問題と密接に関わる.これらの現象はいずれも語(句)境界の同定を重視するという方向性を共有しており,互いに補完し合う関係にあったのではないか.さらには,このような複合的な要因が相俟って黙読や速読の習慣も発達してきたにちがいない,というのが Saenger 流の議論展開だ.
 興味深い論点の1つは,文章を読解するにあたっての短期記憶に関するものである.語順が比較的自由で,かつ続け書きをする古典ラテン語においては,読者は1文を構成する長い文字列をじっくり解読していかければならない.文字を最後まで追いかけた上で,逆走し,全体の意味を確認する必要がある.この読み方では読者の短期記憶にも重い負担がかかることになるだろう.そこで,朗々と読み上げることによってその負担をいくらか軽減しようとしていると考えることもできる.
 一方,中世ラテン語やロマンス諸語などのように,ある程度語順が定まっており,かつ分かち書きがなされていれば,文中で次にどのような要素がくるか予想しやすくなると同時に,単語を逐一自力で切り分ける面倒からも解放されるために,短期記憶にかかる負担が大幅に減じる.わざわざ朗々と読み上げなくとも,速やかに読解できるのだ.語順の自由さと続け書きは平行的であり,語順の固定化と分かち書きも,向きは180度異なるものの,やはり平行的ということである.
 もう1つのおもしろい議論は,ちょうど屈折の衰退(と語順の固定化)が広く文法の堕落だと考えられてきたのと同様に,続け書きから分かち書きへのシフトも言語生活上の堕落だと考えられてきた節があるということだ.統語論の問題と書記法の問題は,このようにペアでとらえられてきたようだ.
 Saenger (17) のまとめの文は次の通り.

The evolution of rigorous conventions, both of word order and of word separation, had the similar and complementary physiological effect of enhancing the medieval reader's ability to comprehend written text rapidly and silently by facilitating lexical access.


 ・ Saenger, P. Space Between Words: The Origins of Silent Reading. Stanford, CA: Stanford UP, 1997.

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2020-01-30 Thu

#3930. なぜギリシアとローマは続け書きを採用したか? (2) [alphabet][distinctiones][punctuation][reading][writing][latin][greek][literacy][word]

 昨日の記事 ([2020-01-29-1]) に引き続き,なぜギリシアとローマが,それ以前の地中海世界で普通に行なわれていた分かち書き (distinctiones) を捨て,代わりに続け書き (scriptura continua) を作用したかという問題について.
 Saenger によれば,この問題に迫るには,読むという行為に対する現代的な発想を脇に置き,古代の読書習慣とその社会的文脈を理解する必要があるという.端的にいえば,現代人はみな黙読や速読に慣れており,何よりも「読みやすさ」を重視するが,古代ギリシアやローマの限られた人口の読み手にとって,読む行為とは口頭の音読のことであり,現代的な「読みやすさ」を追求する姿勢はなかったのだという.以下,Saenger の解説を聞いてみよう (11--12) .

. . . the ancient world did not possess the desire, characteristic of the modern age, to make reading easier and swifter because the advantages that modern readers perceive as accruing from ease of reading were seldom viewed as advantages by the ancients. These include the effective retrieval of information in reference consultation, the ability to read with minimum difficulty a great many technical logical, and scientific texts, and the greater diffusion of literacy throughout all social strata of the population. We know that the reading habits of the ancient world, which were profoundly oral and rhetorical by physiological necessity as well as by taste, were focused on a limited and intensely scrutinized canon of literature. Because those who read relished the mellifluous metrical and accentual patterns of pronounced text and were not interested in the swift intrusive consultation of books, the absence of interword space in Greek and Latin was not perceived to be an impediment to effective reading, as it would be to the modern reader, who strives to read swiftly. Moreover, oralization, which the ancients savored aesthetically, provided mnemonic compensation (through enhanced short-term aural recall) for the difficulty in gaining access to the meaning of unseparated text. Long-term memory of texts frequently read aloud also compensated for the inherent graphic and grammatical ambiguities of the languages of late antiquity.
   Finally, the notion that the greater portion of the population should be autonomous and self-motivated readers was entirely foreign to the elitist literate mentality of the ancient world. For the literate, the reaction to the difficulties of lexical access arising from scriptura continua did not spark the desire to make script easier to decipher, but resulted instead in the delegation of much of the labor of reading and writing to skilled slaves, who acted as professional readers and scribes. It is in the context of a society with an abundant supply of cheap, intellectually skilled labor that ancient attitudes toward reading must be comprehended and the ready and pervasive acceptance of the suppression of word separation throughout the Roman Empire understood.


 引用の最後に示唆されているように,古代人は続け書きにシフトすることで,読みにくさをあえて高めようとした,という言い方さえできるのかもしれない.この観点は,中世後期に再び分かち書きへと回帰していく過程を理解する上でも示唆的である.関連して「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1]) も参照.

 ・ Saenger, P. Space Between Words: The Origins of Silent Reading. Stanford, CA: Stanford UP, 1997.

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2020-01-29 Wed

#3929. なぜギリシアとローマは続け書きを採用したか? (1) [alphabet][distinctiones][punctuation][reading][writing][latin][greek][indo-european][word]

 アルファベットの分かち書き (distinctiones) と続け書き (scriptura continua) の問題については,最近では「#3926. 分かち書き,表語性,黙読習慣」 ([2020-01-26-1]) で,それ以前にも distinctiones の各記事で取り上げてきた.
 Saenger (9) によると,アルファベットに母音表記の慣習が持ち込まれる以前の地中海世界では,スペースによるか点によるかの違いこそあれ,分かち書きが普通に行なわれていた.ところが,ギリシア語において母音表記が可能となるに及び,続け書きが生まれたという.これを時系列で整理すると次のようになる.
 まず,アルファベット使用の初期から分かち書きは普通にあった.ところが,ギリシア・ローマ時代にそれが廃用となり,代わって続け書きが一般化した.ローマ帝国が崩壊し,中世後期の8世紀頃になると分かち書きが改めて導入され,その後徐々に一般化して現代に至る.
 分かち書きは現在では当然視されているが,母音表記を享受し始めた古典時代の間に,その慣習が一度廃れた経緯があるということだ.では,なぜ母音表記の導入により,私たちにとって明らかに便利に思われる分かち書きが廃用となり,むしろ読みにくいと思われる続け書きが発達したのだろうか.Saenger (9--10) によれば,母音表記と続け書きの間には密接な関係があるという.

The uninterrupted writing of ancient scriptura continua was possible only in the context of a writing system that had a complete set of signs for the unambiguous transcription of pronounced speech. This occurred for the first time in Indo-European languages when the Greeks adapted the Phoenician alphabet by adding symbols for vowels. The Greco-Latin alphabetical scripts, which employed vowels with varying degrees of modification, were used for the transcription of the old forms of the Romance, Germanic, Slavic, and Hindu tongues, all members of the Indo-European language group, in which words were polysyllabic and inflected. For an oral reading of these Indo-European languages, the reader's immediate identification of words was not essential, but a reasonably swift identification and parsing of syllables was fundamental. Vowels as necessary and sufficient codes for sounds permitted the reader to identify syllables swiftly within rows of uninterrupted letters. Before the introduction of vowels to the Phoenician alphabet, all the ancient languages of the Mediterranean world---syllabic or alphabetical, Semitic or Indo-European---were written with word separation by either space, points, or both in conjunction. After the introduction of vowels, word separation was no longer necessary to eliminate an unacceptable level of ambiguity.
     Throughout the antique Mediterranean world, the adoption of vowels and of scriptura continua went hand in hand. The ancient writings of Mesopotamia, Phoenicia, and Israel did not employ vowels, so separation between words was retained. Had the space between words been deleted and the signs been written in scriptura continua, the resulting visual presentation of the text would have been analogous to a modern lexogrammatic puzzle. Such written languages might have been decipherable, given their clearly defined conventions for word order and contextual clues, but only after protracted cognitive activity that would have made fluent reading as we know it impractical. While the very earliest Greek inscriptions were written with separation by interpuncts, points placed at midlevel between words, Greece soon thereafter became the first ancient civilization to employ scriptura continua. The Romans, who borrowed their letter forms and vowels from the Greeks, maintained the earlier Mediterranean tradition of separating words by points far longer than the Greeks, but they, too, after a scantily documented period of six centuries, discarded word separation as superfluous and substituted scriptura continua for interpunct-separated script in the second century A.D.


 ここで展開されている議論について,私はよく理解できていない.母音表記の導入の結果,音節が同定しやすくなったという理屈がよくわからない.また,仮にそれが本当だったとして,文字の読み手が従来の分かち書きではなく続け書きにシフトしたとしても何とか解読できる,という点までは理解できるが,なぜ続け書きに積極的にシフトしたのかは不明である.上の議論は,消極的な説明づけにすぎないように思われる.
 母音文字を発明してアルファベットを便利にしたギリシア人が,読みにくい続け書きにシフトしたというのは,何か矛盾しているように感じられる.実際,この問題は多くの論者を悩ませ続けてきたようだ (Saenger 10)
 ギリシア人による母音文字の導入という文字史上の画期的な出来事については,「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]) や「#2092. アルファベットは母音を直接表わすのが苦手」 ([2015-01-18-1]) を参照.

 ・ Saenger, P. Space Between Words: The Origins of Silent Reading. Stanford, CA: Stanford UP, 1997.

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2020-01-26 Sun

#3926. 分かち書き,表語性,黙読習慣 [silent_reading][distinctiones][punctuation][grammatology][reading][writing]

 西洋中世の読み書きに関する標記の3つのキーワードは,互いに関連している.語と語の間に空白を入れる分かち書き (distinctiones) の発達により,読者はアルファベットのつながりを表音的 (phonographic) に読み解くのではなく,より表語的 (logographic) に読み解く習慣を育むことができるようになった.結果として,声に出して理解する音読ではなく,頭のなかで語の意味を取る黙読および速読の文化が芽生え,私的に思考したり,大量の情報を処理することが可能になったのである.「#3881. 文字読解の「2経路モデル」」 ([2019-12-12-1]),「#3884. 文字解読の「2経路」の対比」 ([2019-12-15-1]) で挙げた用語に従えば,読解に用いられる神経回路の比重が「音韻ルート」から「語ルート」へとシフトしてきたといってもよいだろう.
 西洋における黙読習慣の発達の時期については,権威あるラテン語に対して土着語 (vernacular) への気付きがきっかけとなったタイミングとして,8世紀頃を指摘する見解がある.この見解に基づいて,Cook (152--53) が上述の解説を次のようにうまくまとめている.

Punctuation marks started as an aid for reading Latin aloud, in the form of various dots and other marks. These were necessary because Latin was written without word spaces, making texts difficult to read aloud on sight. Around the eighth century AD, it became usual to put a space between words. According to Saenger (1997), this transformed reading from reading aloud to reading in silence. Without spaces, the reader had to test out loud what the text meant; with spaces, the reader could interpret the text without saying it aloud and they could read and write with greater privacy since their activity was not audible to other people; indeed Galileo saw the advantages of 'communicating one's most secret thoughts to any other person' (cited in Chomsky 2002: 45). Hence, once the lexical route became possible for reading European languages, authors became more daring individuals; and the speed of reading could be increased beyond the speed of articulation. As Harris (1986) put it, 'One is tempted to compare the introduction of the space as a word boundary to the invention of the zero in mathematics . . .'.


 それにしても「分かち書きの発見は数学におけるゼロの発見に比較できる」というのは並一通りではない評価だ.
 本記事と関連して,ぜひ以下の記事にも目を通していただきたい.

 ・ 「#2058. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (1)」 ([2014-12-15-1])
 ・ 「#2059. 語源的綴字,表語文字,黙読習慣 (2)」 ([2014-12-16-1])
 ・ 「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1])
 ・ 「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1])

 ・ Cook, Vivian. The English Writing System. London: Hodder Education, 2004.
 ・ Saenger, P. Space Between Words: The Origins of Silent Reading. Stanford, CA: Stanford UP.
 ・ Chomsky, N. On Nature and Language. Cambridge: CUP, 2002.
 ・ Harris, R. The Origin of Writing. London: Duckworth, 1986.

Referrer (Inside): [2020-01-29-1]

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2019-09-20 Fri

#3798. 古英語の緩い分かち書き [punctuation][writing][scribe][manuscript][distinctiones][anglo-saxon][orthography][hyphen]

 英語表記において単語と単語の間に空白を入れる分かち書きの習慣については,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1]) を始めとする distinctiones の各記事で取り上げてきた.この習慣は確かに古英語期にも見られたが,現代のそれに比べれば未発達であり,あくまで過渡期の段階にあった.実のところ,続く中英語期でも規範として完成はしなかったので,古英語の分かち書きの緩さを概観しておけば,中世英語全体の緩さが知れるというものである.
 Baker は,古英語入門書において単語の分かち書き,および単語の途中での行跨ぎに関して "Word- and line-division" (159--60) と題する一節を設けている.以下,分かち書きについての解説.

Word-division is far less consistent in Old English than in Modern English; it is, in fact, less consistent in Old English manuscripts than in Latin written by Anglo-Saxon scribes. You may expect to see the following peculiarities.

・ spaces between the elements of compounds, e.g. aldor mon;
・ spaces between words and their prefixes and suffixes, e.g. be æftan, gewit nesse;
・ spaces at syllable divisions, e.g. len gest;
・ prepositions, adverbs and pronouns attached to the following words, e.g. uuiþbret walū, hehæfde;
・ many words, especially short ones, run together, e.g. þær þeherice hæfde.

The width of the spaces between words and word-elements is quite variable in most Old English manuscripts, and it is often difficult to decide whether a scribe intended a space. 'Diplomatic' editions, which sometimes attempt to reproduce the word-division of manuscripts, cannot represent in print the variability of the spacing on a hand-written page.


 続けて,単語の途中での行跨ぎの扱いについて.

Most scribes broke words freely at the ends of lines. Usually the break takes place at a syllabic boundary, e.g. ofsle-gen (= ofslægen), sū-ne (= sumne), heo-fonum. Occasionally, however, a scribe broke a word elsewhere, e.g. forhæf-dnesse. Some scribes marked word-breaks with a hyphen, but many did not mark them in any way.


 古英語期にもハイフンを使っていた写字生がいたということだが,この句読記号が一般化するのは「#2698. hyphen」 ([2016-09-15-1]) で述べたように16世紀後半のことである.
 以上より,古英語の分かち書きの緩さ,ひいては正書法の緩さが分かるだろう.

 ・ Baker, Peter S. Introduction to Old English. 2nd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2007.

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2017-08-27 Sun

#3044. 古英語の中点による分かち書き [punctuation][writing][manuscript][oe][distinctiones]

 英語の分かち書きについて,以下の記事で話題にしてきた.「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]),「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1]),「#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活」 ([2017-06-14-1]),「#2971. 分かち書きは句読法全体の発達を促したか?」 ([2017-06-15-1]) .
 現代的な語と語の分かち書きは,古英語ではまだ完全には発達していなかったが,語の分割する方法は確かに模索されていた.しかし,ある方法をとるにしても,その使い方はたいてい一貫しておらず,いかにも発展途上という段階にみえるのである.1例として,空白とともに中点 <・> を用いている Bede の Historia Ecclesiastica, III, Bodleian Library, Tanner MS 10, 54r. より冒頭の4行を再現しよう(Crystal 19).

Bede,

ÞA・ǷÆS・GE・WORDENYMB

syx hund ƿyntra・7feower7syxtig æft(er) drihtnes
menniscnesse・eclipsis solis・þæt is sunnan・aspru
ngennis・

then was happened about
six hundred winters・and sixty-four after the lord's
incarnation・(in Latin) eclipse of the sun・that is sun eclipse


 まず,空白と中点の2種類の分かち書きが,一見するところ機能の差を示すことなく併用されているという点が目を引く.また,現代の感覚としては,分割すべきところに分割がなく(7 [= "and"] の周辺),逆に分割すべきでないところに分割がある(題名の GE・WORDENYMB にみられる接頭辞と語幹の間)という点も興味深い.
 空白で分かち書きする場合,手書きの場合には語と語の間にどのくらいの空白を挿入するかという問題があり,狭すぎると分割機能が脅かされる可能性があるが,中点は(前後の文字のストロークと融合しない限り)狭い隙間でも打てるといえば打てるので,有用性はあるように思われる.
 中点は,英語に限らず古代の書記にしばしば見られたし,自然な句読法の1つといってよいだろう.現代日本語でも,中点は特殊な用法をもって活躍している.

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

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2017-06-15 Thu

#2971. 分かち書きは句読法全体の発達を促したか? [punctuation][writing][distinctiones]

 昨日の記事「#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活」 ([2017-06-14-1]) に引き続いて,分かち書き (distinctiones) の話題.Crystal (17) は,分かち書きの発生こそが,他の句読法の体系的な発達を促したと考えている.

It's difficult to see how punctuation could have developed in a graphic world where scriptura continua was the norm. If there are no word-spaces, there's no room to insert marks. Writers or readers might be able to insert the occasional dot or simple stroke, to show where the sense change, but it would be impossible to develop a sophisticated system that would keep pace with the complex narratives and reflections being expressed in such domains as poetry, chronicles, and sermons. However, once word-spaces became the norm, new punctuational possibilities were available.


 確かに,この因果関係はある程度の説得力をもつように聞こえるかもしれない.しかし,おそらく部分的にはその通りであると思われるものの,さほど自明な議論ではない.というのは,日本語を考えてみれば分かるとおり,分かち書きが定着していない書記においても,他の句読法は十分に体系的に発達しているからだ.そこでは,むしろ他の句読法が分かち書きの果たすはずの役割を部分的に果たしている.したがって,書記上の機能や発生順序の自然さという観点から,分かち書きと他の句読法という二分法を設けるべき根拠は強くないように思われる.空白があれば,その分,他の記号が書き込まれる契機が増し,したがって句読法も発達しやすい,という Crystal の論理は,完全に無効とは決めつけられないものの,どこまで有効なのかを積極的に示すことは難しいのではないか.
 それでも,分かち書きは,言語使用者にとって最も直観的で基本的な単位である語を区切るものであるという点で,他の句読法よりも本質的な地位を占めると主張することもまた可能のように思われる.日本語のような稀な例も考慮に入れながら,より説得力をもって主張できそうなことは,分かち書きという方法にかぎらず,語と語の区分を示す何らかの手段が確立しさえすれば,次にその他の句読法も発達していきやすい,ということではないか.

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

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2017-06-14 Wed

#2970. 分かち書きの発生と続け書きの復活 [punctuation][writing][scribe][manuscript][inscription][distinctiones]

 書記における分かち書き (distinctiones) については,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]),「#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり」 ([2016-09-13-1]) などで話題としてきた.今回も,分かち書きが歴史の過程で生み出されてきた発明品であり,初めから自然で自明の慣習であったわけではないことを,再度確認しておきたい.
 西洋の書記の歴史では,分かち書き以前に,長い続け書き (scriptura continua) の時代があった.Crystal (3) の説明を引こう.

Word-spaces are the norm today; but it wasn't always so. It's not difficult to see why. We don't actually need them to understand language. We don't use them when we speak, and fluent readers don't put pauses between words as they read aloud. Read this paragraph out loud, and you'll probably pause at the commas and full stops, but you won't pause between the words. They run together. So, if we think of writing purely as a way of putting speech down on paper, there's no reason to think of separating the words by spaces. And that seems to be how early writers thought, for unspaced text (often called, in Latin, scriptura continua) came to be a major feature of early Western writing, in both Greek and Latin. From the first century AD we find most texts throughout the Roman Empire without words being separated at all. It was thus only natural for missionaries to introduce unspaced writing when they arrived in England.


 しかし,英語の書記の歴史に関する限り,古英語期までには語と語を分割する何らかの視覚的な方法が模索されるようになっていた.Crystal (8--9) によれば,様々な方法が実験されたという(以下の引用中にある "Undley bracteate" については,「#572. 現存する最古の英文」 ([2010-11-20-1]) を参照).

People experimented with word division. Some inscriptions have the words separated by a circle (as with the Undley bracteate) or a raised dot. Some use small crosses. Gradually we see spaces coming in but often in a very irregular way, with some words spaced and others not --- what is sometimes called an 'aerated' script. Even in the eleventh century, less than half the inscriptions in England had all the words separated.


 考えてみれば,昨今のデジタル時代でも,分かち書きの手段は複数ある.URLやファイル名の文字列など,処理上の理由で空白が避けられる傾向がある場合には,例えば "this is an example of separation" と表記したいときに,次のようなヴァリエーションが考えられるだろう (Crystal 8--9 の議論も参照).

 ・ thisisanexampleofwordseparation
 ・ this.is.an.example.of.word.separation
 ・ this+is+an+example+of+word+separation
 ・ this_is_an_example_of_word_separation
 ・ this-is-an-example-of-word-separation
 ・ thiSiSaNexamplEoFworDseparatioN
 ・ ThisIsAnExampleOfWordSeparation


 現代は,ある意味で scriptura continua が蘇りつつある時代とも言えるのかもしれない.続け書きを当然視する日本語書記の出番か!?

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

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2016-10-23 Sun

#2736. 点字の普及の歴史 [writing][braille][sign_language][hiragana][direction_of_writing][medium][history][japanese][distinctiones]

 「#2717. 暗号から始まった点字」 ([2016-10-04-1]) の記事で見たように,ブライユ点字は,シャルル・バルビエの考案した「夜間文字」の応用である12点点字を,ブライユが6点点字に改良したことに端を発する.19世紀始めには,目の不自由な人々にとっての読み書きは,紙に文字を浮き出させた「凸文字」によるものだった.しかし,指で触って理解するには難しく,広く習得されることはなかった.そのような時代に,ブライユが読みやすく理解しやすい点字を考案したことは,画期的な出来事だった.音楽の得意だったブライユは,さらに点字音符表を作成し,点字による楽譜表記をも可能にした.
 その後,19世紀後半から20世紀にかけて,ブライユ点字は諸言語に応用され,世界に広がっていく.1854年にフランス政府から公式に認められた後,イギリスでは英国王立盲人協会を設立したトーマス・アーミテージがブライユ点字を採用し,改良しつつ広めた.アメリカでは,ニューヨーク盲学校のウィリアム・ウエイトらがやはりブライユ点字に基づく点字を採用した.1915年に標準米国点字が合意されると,1932年には英米の合議により英語共通の点字も定まった(この点では,アメリカとイギリスで異なる体系を用いている手話の置かれている状況とは一線を画する;see 「#1662. 手話は言語である (1)」 ([2013-11-14-1])).
 我が国でも,1887年に東京の盲学校に勤めていた小西信八がブライユ点字を持ち込み,日本語への応用の道を探った.そして,1890年(明治23年)11月1日に石川倉次(=日本点字の父)の案が採用されるに至った.この日は,日本点字制定記念日とされている.
 点字を書くための道具に,板,定規,点筆がセットになった「点字盤」がある.板の上に紙をのせた状態で,穴の空いた定規を用いて点筆で右から左へを点を打っていくものである.通常の文字と異なり,点字は紙の裏側から打っていく必要があり,したがって,発信者の書きと受信者の読みの方向が逆となる.これは点字の読み書きに関する顕著な特徴といってよいだろう.また,日本語点字はかな書きで書かれるため,分かち書きをする必要がある点でも,通常の日本語書記と異なる (see 「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1])) .現代では,伝統的な点字盤のほか,点字タイプライターやコンピュータにより,簡便に点字を書くことができるようになっている.
 日本でも身近なところで点字に出会う機会は増えてきている.電化製品,缶飲料,食品の瓶や容器など,多くの場所で点字が見られるようになった.

 ・ 高橋 昌巳 『調べる学習百科 ルイ・ブライユと点字をつくった人びと』 岩崎書店,2016年.

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2016-09-26 Mon

#2709. tomorrow, today [etymology][punctuation][conversion][spelling][word_formation][distinctiones]

 昨日の記事「morn, morning, morrow, tomorrow」 ([2016-09-25-1]) で tomorrow の語源に触れたが,今回はこの語と,もう1つ語形成上関連する today について探ってみよう.
 tomorrow の語形成としては,前置詞 to に「(翌)朝」を表わす名詞 morrow の与格形が付加したものと考えられ,すでに古英語でも tō morgenne という句として用いられていた.その意味は,昨日の記事で解説したとおり,すでに「明日に」を発展させていた.中英語では,morrow のたどった様々な形態的発達にしたがって to morwento morn が生じたが,現在にかけて,前者が標準的な tomorrow に,後者が北部方言などに残る tomorn に連なった.本来,前置詞句であるから,まず副詞「明日に」として発達したが,15世紀からは品詞転換により,名詞としても用いられるようになった.
 「#2698. hyphen」 ([2016-09-15-1]) で簡単に触れたように,元来は to morrow と分かち書きされたが,近代英語期に入ると to-morrow とハイフンで結合され,1語として綴られるようになった(それでも近代英語の最初期には『欽定訳聖書』や Shakespeare の First Folio などで,まだ分かち書きのほうが普通だった).ハイフンでつなぐ綴字は20世紀初頭まで続いたが,その後,ハイフンが脱落し現在の標準的な綴字 tomorrow が確立した.
 today についても,おそらく同様の事情があったと思われる.古英語の前置詞句 tō dæġ (on the day; today) が起源であり,16世紀までは分かち書きされたが,その後は20世紀初頭まで to-day とハイフン付きで綴られた.名詞としての用法は,tomorrow と同様に16世紀からである.
 tomorrowtoday は発展の経緯が似ている点が多く,互いに関連づけ,ペアで考える必要があるだろう.

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2016-09-13 Tue

#2696. 分かち書き,黙読習慣,キリスト教のテキスト解釈へのこだわり [punctuation][medium][writing][scribe][distinctiones]

 昨日の記事「#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量」 ([2016-09-12-1]) に引き続き,分かち書きに関連する話題.
 「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1]) でみたように,分かち書きの慣習の発生には,ラテン語を非母語とするアイルランドの修道僧の語学学習テクニックが関与していた.しかし,分かち書きが定着に貢献した要因は,そればかりではない.Crystal (10--13) によれば,7世紀までに発達していた黙読習慣や,St Augustine によるキリスト教教義の正しい伝授法という文化的・社会的な要因も関与していた.
 黙読習慣が発達するということは,書き言葉が話し言葉とは区別される媒体として機能するようになったということであり,読み手に優しい書き方が模索される契機が生じたということである.別の観点からいえば,続け書きが本来もつ「読みにくさ」への寛容さが失われてきた.このことは,語間空白のみならず句読法 (punctuation) 一般の発達にも関係するだろう.

By the seventh century in England, word-spacing had become standard practice, reflecting a radical change that had taken place in reading habits. Silent reading was now the norm. Written texts were being seen not as aids to reading aloud, but as self-contained entities, to be used as a separate source of information and reflection from whatever could be gained from listening and speaking. It is the beginning of a view of language, widely recognized today, in which writing and speech are seen as distinct mediums of expression, with different communicative aims and using different processes of composition. And this view is apparent in the efforts scribes made to make the task of reading easier, with the role of spacing and other methods of punctuation becoming increasingly appreciated. (Crystal 10)


 次に,キリスト教との関係でいえば,St Augustine などの初期キリスト教の教父が神学的解釈をめぐってテキストの微妙な差異にこだわりを示したことが,後の分かち書きを含む句読法を重視する傾向を生み出したという.

The origins of the change are not simply to do with the development of new habits of reading. They are bound up with the emergence of Christianity in the West, and the influential views of writers such as St Augustine. Book 3 of his (Latin) work On Christian Doctrine, published in the end of the fourth century AD, is entitled: 'On interpretation required by the ambiguity of signs', and in its second chapter we are given a 'rule for removing ambiguity by attending to punctuation'. Augustine gives a series of Latin examples where the placing of a punctuation mark in an unpunctuated text makes all the difference between two meanings. The examples are of the kind used today when people want to draw attention to the importance of punctuation, as in the now infamous example of the panda who eats, shoots and leaves vs eats shoots and leaves. But for Augustine, this is no joke, as the location of a mark can distinguish important points of theological interpretation, and in the worst case can make all the difference between orthodoxy and heresy. (Crystal 12--13)


 また,上記2点とも間接的に関わるが,語間空白なしではとても読むに堪えないジャンルのテキストが現われるようになったことも,分かち書きの慣習を促進することになったろう.例えば,いわゆる文章ではなく,単語集というべき glossary の類いである.この種の単語一覧はそもそも備忘録用,参照用であり,声を出して読み上げるというよりは,見て確認する用途で使われることが多く,語と語の境界を明示することが特に要求されるテキストといってよい (Crystal 10--11) .
 このように互いに関連するいくつかの文化的・社会的水脈が前期古英語の7世紀までに合流し,分かち書きの慣習が,いまだ現代風の完璧さは認められないものの,およそ一般化する契機を獲得したと考えられる,

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

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2016-09-12 Mon

#2695. 中世英語における分かち書きの空白の量 [punctuation][manuscript][writing][scribe][word][prosody][oe][inscription][distinctiones]

 現代の英語の書記では当然視されている分かち書き (distinctiones) が,古い時代には当然ではなく,むしろ続け書き (scriptio continua) が普通だったことについて,「#1903. 分かち書きの歴史」 ([2014-07-13-1]) で述べた.実際,古英語の碑文などでは語の区切りが明示されないものが多いし,古英語や中英語の写本においても現代風の一貫した分かち書きはいまだ達成されていない.
 だが,分かち書きという現象そのものがなかったわけではない.「#572. 現存する最古の英文」 ([2010-11-20-1]) でみた最初期のルーン文字碑文ですら,語と語の間に空白ではなくとも小丸が置かれており,一種の分かち書きが行なわれていたことがわかるし,7世紀くらいまでには写本に記された英語にしても,語間の空白挿入は広く行なわれていた.ポイントは,「広く行なわれていた」ことと「現代風に一貫して行なわれていた」こととは異なるということだ.分かち書きへの移行は,古い続け書きの伝統の上に新しい分かち書きの方法が徐々にかぶさってきた過程であり,両方の書き方が共存・混在した期間は長かったのである.英語の句読法 (punctuation) の歴史について一般に言えるように,語間空白の規範は中世期中に定められることはなく,あくまで書き手個人の意志で自由にコントロールしてよい代物だった.
 書き手には空白を置く置かないの自由が与えられていただけではなく,空白を置く場合に,どれだけの長さのスペースを取るかという自由も与えられていた.ちょうど現代英語の複合語において,2要素間を離さないで綴るか (flowerpot),ハイフンを挿入するか (flower-pot),離して綴るか (flower pot) が,書き手の判断に委ねられているのと似たような状況である.いや,現代の場合にはこの3つの選択肢しかないが,中世の場合には空白の微妙な量による調整というアナログ的な自由すら与えられていたのである.例えば,語より大きな統語的単位や意味的単位をまとめあげるために長めの空白が置かれたり,形態素レベルの小単位の境を表わすのに僅かな空白が置かれるなど,書き手の言語感覚が写本上に精妙に反映された.
 Crystal (11-12) はこの状況を,Ælfric の説教からの例を挙げて説明している.

Very often, some spaces are larger than others, probably reflecting a scribe's sense of the way words relate in meaning to each other. A major sense-break might have a larger space. Words that belong closely together might have a small one. It's difficult to show this in modern print, where word-spaces tend to be the same width, but scribes often seemed to think like this:

     we bought   a cup of tea   in the cafe

The 'little' words, such as prepositions, pronouns, and the definite article, are felt to 'belong' to the following content words. Indeed, so close is this sense of binding that many scribes echo earlier practice and show them with no separation at all. Here's a transcription of two lines from one of Ælfric's sermons, dated around 990.

     þærwæronðagesewene twegenenglas onhwitumgẏrelū;
     þær wæron ða gesewene twegen englas on hwitum gẏrelū;
     
     'there were then seen two angels in white garments'
     
     
     Eacswilc onhisacennednẏsse wæronenglasgesewene'.
     Eacswilc on his acennednẏsse wæron englas gesewene'.
     
     'similarly at his birth were angels seen'

The word-strings, separated by spaces, reflect the grammatical structure and units of sense within the sentence.


 話し言葉では,休止 (pause) や抑揚 (intonation) の調整などを含む各種の韻律的な手段でこれと似たような機能を果たすことが可能だが,書き言葉でその方法が与えられていたというのは,むしろ現代には見られない中世の特徴というべきである.関連して「#1910. 休止」 ([2014-07-20-1]) も参照.

 ・ Crystal, David. Making a Point: The Pernickety Story of English Punctuation. London: Profile Books, 2015.

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2014-07-13 Sun

#1903. 分かち書きの歴史 [punctuation][manuscript][writing][grammatology][syntagma_marking][alphabet][distinctiones]

 単語と単語の間にスペースを挿入する書記慣習を分かち書きと呼んでいる.本ブログでは,「#1112. 分かち書き (1)」 ([2012-05-13-1]),「#1113. 分かち書き (2)」 ([2012-05-14-1]),「#1114. 草仮名の連綿と墨継ぎ」 ([2012-05-15-1]) の記事で取り上げてきた.分かち書きは,現代英語を含めローマ字を用いる書記体系では当然視されているが,古代ローマのラテン語表記において,分かち書きが習慣的に行われていたわけではない.英語史としてみれば,分かち書きは,古英語期にキリスト教ともにアイルランドの修道僧によってもたらされた慣習であり,その歴史は意外と新しい.Horobin (72) 曰く,

. . . we need to remember that word division and the use of blank spaces between words was a relatively new phenomenon when the Beowulf manuscript was written. In Antiquity manuscripts were written using scriptio continua, a continuous script without any breaks between words at all. The practice of dividing words in the way we do today was introduced by the Irish monks who brought Christianity to the Northumbrians.


 古代ローマの伝統的な続け書き (scriptio continua) に代わり,革新的な分かち書き (distinctiones) が最初にラテン語を解さないアイルランド人,そして後にアングロサクソン人によって採用されることになったことは,偶然ではない.日本語母語話者は,分かち書きも句読点もない,ひらがなだけの文章を非常に読みにくく感じるだろうが,日本語を知っている以上,なんとかなる.しかし,日本語を母語としない学習者にとっては,さらに読みにくく感じられるだろう.同様に,ラテン語を母語とするものは scriptio continua で書かれたラテン語の文章を読むのに耐えられたかもしれないが,非母語としてのラテン語の学習者であった古英語期のアイルランド人やイングランド人は苦労を強いられたろう.そこで彼らは,読みやすさと解釈のしやすさを求めて,句読法に一大革新をもたらすことになったのである.この辺りの事情について,Clemens and Graham より2箇所引用する.

In late antiquity, scribes wrote literary texts in scriptura continua (also sometimes called scriptio continua), that is, without any separation between the words. Moreover, often they did not enter any marks of punctuation on the page. In many cases, punctuation was added by the reader, in particular by the reader who had to recite the text aloud. Such punctuation was often only sporadic, inserted at those points where it was necessary to counteract possible ambiguity (for example, when it was not immediately clear where one word ended and another began). (83)

Irish and Anglo-Saxon scribes made notable contributions to the use and development of the distinctiones system. Following their conversion to Christianity in the fifth and sixth through seventh centuries, respectively, the Irish and the Anglo-Saxons copied Latin texts avidly. Because their native languages were not directly related to Latin, these scribes required more visual cues to understand Latin than did Italian, Spanish, or French scribes. It was Irish scribes who were primarily responsible for the introduction of the practice of word separation, a major contribution to what has been called the "grammar of legibility." Once word separation became common, later scribes sometimes "updated earlier manuscripts by placing a punctus between words in texts originally written in scriptura continua. (83--84)


 イギリス諸島の修道僧たちは,ラテン語の scriptio continua の読みにくさを疎んじ,自らが書くときには語と語の間にスペースを入れる慣習を確立した.すでに scriptio continua で書かれてしまっている文章については,語と語の間に句読点を挿入することで,読みやすさを確保しようとした.したがって,統語的な区切り ("grammar of legibility") を明確にするために,彼らは分かち書き以外にもいくつかの手段を編み出したのだが,その中でもとりわけ有効な慣習として確立したのが,分かち書きだった.
 現在私たちが英語の書き言葉において当然視している分かち書きという慣習は,外国語学習者がその言語の読み書きを容易にするために編み出した語学学習のテクニックに由来するのである.この点では,語句注釈や漢文の訓点とも通じるところがある.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
 ・ Clemens, Raymond and Timothy Graham. Introduction to Manuscript Studies. Ithaca & London: Cornel UP, 2007.

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2012-05-15 Tue

#1114. 草仮名の連綿と墨継ぎ [punctuation][grammatology][japanese][hiragana][katakana][writing][manuscript][syntagma_marking][distinctiones]

 [2012-05-13-1], [2012-05-14-1]の記事で,分かち書きについて考えた.英語など,アルファベットのみを利用する言語だけでなく,日本語でも仮名やローマ字のみで表記する場合には,句読法 (punctuation) の一種として分かち書きするのが普通である.これは,表音文字による表記の特徴から必然的に生じる要求だろう.おもしろいことに,日本語において漢字をもとに仮名が発達していた時代にも,分かち書きに緩やかに相当するものがあった.
 例えば,天平宝字6年(762年)ごろの正倉院仮名文書の甲文書では,先駆的な真仮名の使用例が見られる(佐藤,pp. 54--55).そこでは,墨継ぎ,改行,箇条書き形式,字間の区切りなど,仮名文を読みやすくする工夫が多く含まれているという.一方,真仮名(漢字)を草書化した草仮名の最初期の例は9世紀後半より見られるようになる.当初は字間の区切りの傾向が見られたが,時代と共に語句のまとまりを意識した「連綿」と呼ばれる続け書きへと移行していった.これは,統語的な単位を意識した書き方であり,syntagma marking を標示する手段だったと考えてよい.また,仮名文とはいっても,平仮名のみで書かれたものはほとんどなく,少数の漢字を交ぜて書くのが現実であり,現在と同じように読みにくさを回避する策が練られていたことにも注意したい.
 連綿と関連して発達したもう1つの syntagma marker に「墨継ぎ」がある.佐藤 (59) を参照しよう.

墨継ぎでは,筆のつけはじめは墨が濃く、次第に枯れて細く薄くなり,また墨をつけて書くと濃いところと薄いところが生じる.その濃淡の配置は大体において文節あるいは文に対応しているのである.連綿もあるまとまりをつけるものであるが,やはり,語あるいは文節に対応していることが多い.これらはある種の分かち書きの機能を果たしていると考えられる.


 ところで,字と字をつなげて書く習慣や連綿は,もっぱら平仮名書きに見られることに注目したい.一方で,片仮名と続け書きとは,現在でも相性が悪い.これは,片仮名が基本的には漢字とともに用いられる環境から発達してきたからである.片仮名は,発生当初から,現在のような漢字仮名交じり文として用いられており,昨日の記事[2012-05-14-1]で説明したように,字種の配列パターンにより文節区切りが容易に推知できた.したがって,syntagma marking のために連綿という手段に訴える必要が特になかったものと考えられる(佐藤, pp. 60--61).

 ・ 佐藤 武義 編著 『概説 日本語の歴史』 朝倉書店,1995年.

Referrer (Inside): [2021-12-22-1] [2014-07-13-1]

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2012-05-14 Mon

#1113. 分かち書き (2) [punctuation][grammatology][japanese][kanji][hiragana][writing][syntagma_marking][distinctiones]

 昨日の記事[2012-05-13-1]に引き続き,分かち書きの話し.日本語の通常の書き表わし方である漢字仮名交じり文では,普通,分かち書きは行なわない.昨日,べた書きは世界の文字をもつ言語のなかでは非常に稀だと述べたが,これは,漢字仮名交じり文について,分かち書きしない積極的な理由があるというよりは,分かち書きする必要がないという消極的な理由があるからである.
 1つは,漢字仮名交じり文を構成する要素の1つである漢字は,本質的に表音文字ではなく表語文字である.仮名から視覚的に明確に区別される漢字1字あるいは連続した漢字列は,概ね語という統語単位を表わす.昨日述べた通り,語単位での区別は,書き言葉において是非とも確保したい syntagma marking であるが,漢字(列)は,その字形が仮名と明確に異なるという事実によって,すでに語単位での区別を可能にしている.あえて分かち書きという手段に訴える必要がないのである.漢字の表語効果は,表音文字である仮名と交じって書かれることによって一層ひきたてられているといえる.
 もう1つは,日本語の統語的特徴として「自立語+付属語」が文節という単位を形成しているということがある(橋本文法に基づく文節という統語単位は,理論的な問題を含んでいるとはいえ,学校文法に取り入れられて広く知られており,日本語母語話者の直感に合うものである).そして,次の点が重要なのだが,自立語は概ね漢字(列)で表記され,付属語は概ね仮名で表記されるのが普通である.通常,文は複数の文節からなっているので,日本語の文を表記すれば,たいてい「漢字列+仮名列+漢字列+仮名列+漢字列+仮名列+漢字列+仮名列…….」となる.漢字仮名交じり文においては,仮名と漢字の字形が明確に異なっているという特徴を利用して,文節という統語的な区切りが瞬時に判別できるようになっているのだ.漢字仮名交じり文のこの特徴は,より親切に読み手に統語的区切りを示すために分かち書きする可能性を拒むものではないが,スペースを無駄遣いしてまで分かち書きすることを強制しない.
 日本語の漢字仮名交じり文とべた書きとの間に,密接な関係のあることがわかるだろう.このことは,漢字使用の慣習が変化すれば,べた書きか分かち書きかという選択の問題が生じうることを含意する.戦後,漢字仮名交じり文において漢字使用が減り,仮名で書き表わされる割合が増えてきている.特に自立語に漢字が用いられる割合が少なくなれば,上述のような文節の区切りが自明でなくなり,べた書きのままでは syntagma marking 機能が確保されない状態に陥るかもしれない.そうなれば,分かち書き化の議論が生じる可能性も否定できない.例えば,29年ぶりに見直された2010年11月30日告示の改訂常用漢字表にしたがえば,「文書が改竄され捏造された」ではなく「文書が改ざんされねつ造された」と表記することが推奨される.しかし,後者は実に読みにくい.読点を入れ「文書が改ざんされ,ねつ造された」としたり,傍点を振るなどすれば読みやすくなるが,別の方法として「文書が 改ざんされ ねつ造された」と分かち書きする案もありうる.いずれにせよ,日本語の書き言葉は,syntagma marking を句読点に頼らざるを得ない状況へと徐々に移行しているようである.分かち書きは,純粋に文字論や表記体系の問題であるばかりではなく,読み書き能力や教育の問題とも関与しているのである.
 なお,日本語表記に分かち書きが体系的に導入されたのは室町時代末のキリシタンのローマ字文献においてだが,後代には伝わらなかった.仮名の分かち書きの議論が盛んになったのは,明治期からである.現代では,かな文字文,ローマ字文において,それぞれ文節単位,語単位での分かち書きが提案されているが,正書法としては確立しているとはいえない.日本語の表記体系は,今なお,揺れ動いている.

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2012-05-13 Sun

#1112. 分かち書き (1) [punctuation][grammatology][alphabet][japanese][kanji][hiragana][writing][syntagma_marking][distinctiones]

 分かち書きとは,読みやすさを考慮して,その言語の特定の統語形態的な単位(典型的には語や文節)で区切り,空白を置きながら書くことである.「分け書き」「分別書き」「付け離し」とも呼ばれ,世界のほとんどすべての言語の正書法に採用されている.対する「べた書き」は日本語や韓国語に見られ,日本語母語話者には当然のように思われているが,世界ではきわめて稀である.
 では,日本語ではなぜ分かち書きをしないのだろうか.そして,例えば,英語ではなぜ分かち書きをするのだろうか.それは,表記に用いる文字の種類および性質の違いによる([2010-06-23-1]の記事「#422. 文字の種類」を参照).日本語では,表音文字(音節文字)である仮名と表語文字である漢字とを混在させた漢字仮名交じり文が普通に用いられるのに対して,英語は原則としてアルファベットという表音文字(音素文字)のみで表記される.この違いが決定的である.
 説明を続ける前に,書き言葉の性質を確認しておこう.書き言葉の本質的な役割は話し言葉を写し取ることだが,写し取る過程で,話し言葉においては強勢,抑揚,休止などによって標示されていたような多くの言語機能が捨象される.話し言葉におけるこのような言語機能は,メッセージの受け手にとって,理解を助けてくれる大きなキューである.聞こえている音声の羅列に,形態的,統語的,意味的な秩序をもたらしてくれるキューである.別の言い方をすれば,話し言葉には,文の構造の理解にヒントを与えてくれる,様々な syntagma marker ([2011-12-29-1], [2011-12-30-1]) が含まれている.書き言葉は,話し言葉とは異なるメディアであり,寸分違わず写し取ることは不可能なので,話し言葉のもっている機能の多くを捨象せざるを得ない.どこまで再現し,どこから捨象するのかという程度は文字体系によって異なるが,最低限,特定の統語的単位の区切りは示すのが望ましい.それは,多くの場合,語という単位であり,ときには文節のような単位であることもあるが,いずれにせよ文字をもつほとんどの言語で,ある統語的単位の区切りが syntagma marking されている.
 さて,表音文字のみで表記される英語を考えてみよう.語の区切りがなく,アルファベットがひたすら続いていたら,さぞかし読みにくいだろう.書き手は頭の中にある統語構造を連続的に書き取っていけばよいだけなので楽だろうが,読み手は連続した文字列を自力で統語的単位に分解してゆく必要があるだろう.読み手を考慮すれば,特定の統語的単位(典型的には語)ごとに区切りをつけながら書いてゆくのが理に適っている.その方法はいくつか考えられる.各語を枠でくくるという方法もあるだろうし,(中世の英語写本にも実際に見られるように)語と語の間に縦線を入れるという方法もあるだろう.しかし,なんといっても簡便なのは,空白で区切ることである.これは話し言葉の休止にも相似し,直感的でもある.したがって,表音文字のみで表記される書き言葉では,分かち書きは syntagma marking を確保する最も普通のやり方なのである.
 同じことは,日本語の仮名書きについても言える.漢字を用いず,平仮名か片仮名のいずれかだけで書かれる文章を考えてみよう.小学校一年生の入学当初,国語の教科書の文章は平仮名書きである.ちょうど娘がその時期なので光村図書の教科書「こくご 一上」の最初のページを開いてみると次のようにある.

はる

はるの はな
さいた
あさの ひかり
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?????壔?????
?????壔?????
みんな ともだち
いちねんせい


 一種の詩だからということもあるが,空白と改行を組み合わせた,文節区切りの分かち書きが実践されている(初期の国定教科書では語単位の分かち書きだったが,以後,現在の検定教科書に至るまで文節主義が採用されている).これがなければ「はるのはなさいたあさのひかりきらきらおはようおはようみんなともだちいちねんせい」となり,ひどく読みにくい.そういえば,娘が初めて覚え立ての平仮名で文を書いたときに,分かち書きも句読点もなしに(すなわち読み手への考慮なしに),ひたすら頭の中にある話し言葉を平仮名に連続的に書き取っていたことを思い出す.ピリオド,カンマ,句点,読点などの句読法 (punctuation) の役割も,分かち書きと同じように,syntagma marking を確保することであることがわかる.
 日本語を音素文字であるローマ字で書く場合も,仮名の場合と同様である.海外から日本に電子メールを送るとき,PCが日本語対応でない場合にローマ字書きせざるを得ない状況は今でもある.その際には,語単位あるいは文節単位で日本語を区切りながら書かないと,読み手にとって相当に負担がかかる.いずれの単位で区切るかは方針の問題であり,日本語の正書法としては確立していない.
 それでは,日本語を書き表わす通常のやり方である漢字仮名交じり文では,どのように状況が異なるのか.明日の記事で.

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