標題については,すでに直接・間接に関係する記事を書いてきた.
・ 「#3225. ランカスター朝の英語国語化のもくろみと Chancery Standard」 ([2018-02-24-1])
・ 「#3241. 1422年,ロンドン醸造組合の英語化」 ([2018-03-12-1])
・ 「#3242. ランカスター朝の英語国語化のもくろみと Chancery Standard (2)」 ([2018-03-13-1])
今回は Fisher et al. (xv--xvi) より,もう1つの関連する議論を紹介したい.
The earliest group of official documents in English in uniform style and language are the English Signet letters of Henry V. Until his second invasion of France in August 1417, Henry's correspondence had been in French, but from August 1417 until his death in August 1422 nearly all of it is in English. The reasons for the change can only be inferred. No document has come to light expressing his views or prescribing the use of English, but there is evidence of his sensitivity to linguistic nationalism. One of the first acts of his reign was an assent, in English, to a petition by the Commons that statutes be made without altering the words of the petitions on which they were based. In treating with the French and Burgundians, his ambassadors insisted on using Latin rather than French. At the Council of Constance, Henry's ambassadors demanded to know "whether nation be understood as a people marked off from others by blood relationships and habit of unity or by peculiarities of language (the most sure and positive sign and essence of a nation in divine and human law)." Hence, it may be inferred that upon his invasion of France in 1417, he found it expedient to adopt English to secure popular support for his military expedition.
たとえ政治的な含みがあったにせよ,Henry V が,国家あるいは民族とは血縁によってではなく言語によって結びついた集団であるという考えを押し出そうとしていたことは注目に値する.イングランドにおける近代的な国家観や民族観の走りというべきだろう.
・ Fisher, John H., Malcolm Richardson, and Jane L. Fisher, comps. An Anthology of Chancery English. Knoxville: U of Tennessee P, 1984. 392.
「#5036. 語用論の3つの柱 --- 『語用論の基礎を理解する 改訂版』より」 ([2023-02-09-1]) で紹介した Gunter Senft (著),石崎 雅人・野呂 幾久子(訳)『語用論の基礎を理解する 改訂版』(開拓社,2022年)の序章では,語用論 (pragmatics) が学際的な分野であることが強調されている (4--5) .
このことは,語用論が「社会言語学や何々言語学」だけでなく,言語学のその他の伝統的な下位分野にとって,ヤン=オラ・オーストマン (Jan-Ola Östman) (1988: 28) が言うところの,「包括的な」機能を果たしていることを暗に意味する.Mey (1994: 3268) が述べているように,「語用論の研究課題はもっぱら意味論,統語論,音韻論の分野に限定されるというわけではない.語用論は…厳密に境界が区切られている研究領域というよりは,互いに関係する問題の集まりを定義する」.語用論は,彼らの状況,行動,文化,社会,政治の文脈に埋め込まれた言語使用者の視点から,特定の研究課題や関心に応じて様々な種類の方法論や学際的なアプローチを使い,言語とその有意味な使用について研究する学問である.
学際性の問題により我々は,1970年代が言語学において「語用論的転回」がなされた10年間であったという主張に戻ることになる.〔中略〕この学問分野の核となる諸領域を考えてみると,言語語用論は哲学,心理学,動物行動学,エスノグラフィー,社会学,政治学などの他の学問分野と関連を持つとともにそれらの学問分野にその先駆的形態があることに気づく.
本書では,語用論が言語学の中における本質的に学際的な分野であるだけでなく,社会的行動への基本的な関心を共有する人文科学の中にあるかなり広範囲の様々な分野を結びつけ,それらと相互に影響し合う「分野横断的な学問」であることが示されるであろう.この関心が「語用論の根幹は社会的行動としての言語の記述である」 (Clift et al. 2009: 509) という確信を基礎とした本書のライトモチーフの1つを構成する.
6つの隣接分野の名前が繰り返し挙げられているが,実際のところ各分野が本書の章立てに反映されている.
・ 第1章 語用論と哲学 --- われわれは言語を使用するとき,何を行い,実際に何を意味するのか(言語行為論と会話の含みの理論) ---
・ 第2章 語用論と心理学 --- 直示指示とジェスチャー ---
・ 第3章 語用論と人間行動学 --- コミュニケーション行動の生物学的基盤 ---
・ 第4章 語用論とエスノグラフィー --- 言語,文化,認知のインターフェース ---
・ 第5章 語用論と社会学 --- 日常における社会的相互行為 ---
・ 第6章 語用論と政治 --- 言語,社会階級,人種と教育,言語イデオロギー ---
言語学的語用論をもっと狭く捉える学派もあるが,著者 Senft が目指すその射程は目が回ってしまうほどに広い.
・ Senft, Gunter (著),石崎 雅人・野呂 幾久子(訳) 『語用論の基礎を理解する 改訂版』 開拓社,2022年.
[2018-02-24-1]の記事に引き続いての話題.昨日の記事「#3241. 1422年,ロンドン醸造組合の英語化」 ([2018-03-12-1]) で引用した Fisher は,ランカスター朝が15世紀初めに政策として英語の国語化と Chancery Standard の確立・普及に関与した可能性について,積極的な議論を展開している.確かにランカスター朝の王がそれを政策として明言した証拠はなく,Hoccleve や Lydgate にもその旨の直接的な言及はない.しかし,十分な説得力をもつ情況証拠はあると Fisher は論じる.その情況証拠とは,およそ Chancery Standard が成長してきたタイミングに関するものである.
Hoccleve, no more than Lydgate, ever articulated for the Lancastrian rulers a policy of encouraging the development of English as a national language or of citing Chaucer as the exemplar for such a policy. But we have the documentary and literary evidence of what happened. The linkage of praise for Prince Henry as a model ruler concerned about the use of English and for master Chaucer as the "firste fyndere of our faire langage"; the sudden appearance of manuscripts of The Canterbury Tales, Troylus and Criseyde, and other English writings composed earlier but never before published; the conversion to English of the Signet clerks of Henry V, the Chancery clerks, and eventually the guild clerks; and the burgeoning of composition in English and the patronage of literature in English by the Lancastrian court circle are all concurrent historical events. The only question is whether their concurrence was coincidental or deliberate. (34)
特に Chaucer の諸作品の写本が現われてくるのが14世紀中ではなく,15世紀に入ってからという点が興味深い.Chaucer は1400年に没したが,その後にようやく写本が現われてきたというのは偶然なのだろうか.あるいは,「初めて英語で偉大な作品を書いた作家」を持ち上げることによって,対外的にイングランドを誇示しようとした政治的なもくろみの結果としての出版ではなかったか.(関連して,Hoccleve による Chaucer の評価 ("firste fyndere of our faire langage") について「#298. Chaucer が英語史上に果たした役割とは? (2)」 ([2010-02-19-1]) を参照.)
Fisher は,このような言語政策は古今東西ありふれていることを述べつつ自説を補強している.
All linguistic changes of this sort for which we have documentation---in Norway, India, Canada, Finland, Israel, or elsewhere---have been the result of planning and official policy. There is no reason to suppose that the situation was different in England.
・ Fisher, John H. "A Language Policy for Lancastrian England." Chapter 2 of The Emergence of Standard English. John H. Fisher. Lexington: UP of Kentucky, 1996. 16--35.
「#131. 英語の復権」 ([2009-09-05-1]),「#2562. Mugglestone (編)の英語史年表」 ([2016-05-02-1]),「#3214. 1410年代から30年代にかけての Chancery English の萌芽」 ([2018-02-13-1]) で触れた通り,1422年にロンドン醸造組合 (Brewers' Guild of London) が,議事録と経理文書における言語をラテン語から英語へと切り替えた.この決定自体はラテン語で記録されているが,趣旨は以下のようなものだった.Fisher (22--23) からの孫引きだが,Chambers and Daunt の英訳を引用する.
Whereas our mother-tongue, to wit the English tongue, hath in modern days begun to be honorably enlarged and adorned, for that our most excellent lord, King Henry V, hath in his letters missive and divers affairs touching his own person, more willingly chosen to declare the secrets of his will, for the better understanding of his people, hath with a diligent mind procured the common idiom (setting aside others) to be commended by the exercise of writing; and there are many of our craft of Brewers who have the knowledge of writing and reading in the said english idiom, but in others, to wit, the Latin and French, before these times used, they do not in any wise understand. For which causes with many others, it being considered how that the greater part of the Lords and trusty Commons have begun to make their matters to be noted down in our mother tongue, so we also in our craft, following in some manner their steps, have decreed to commit to memory the needful things which concern us [in English]. (Chambers and Daunt 139)
Henry V に言及していることからも推測される通り,この頃すでに,トップダウンで書き言葉の英語化路線がスタートしていたらしい.折しも国王のお膝元の Chancery において,後に "Chancery Standard" と名付けられることになる標準英語の書き言葉の萌芽のようなものも出現していたと思われる.書き言葉の英語化を巡って,王権による政治と庶民の生活とがどのような関係にあったのかは興味深い問題だが,いずれにせよ1422年は,15世紀前半の英語史上の転換期において象徴的な意味をもつ年といえるだろう.関連して,「#3225. ランカスター朝の英語国語化のもくろみと Chancery Standard」 ([2018-02-24-1]) も参照.
・ Fisher, John H. "A Language Policy for Lancastrian England." Chapter 2 of The Emergence of Standard English. John H. Fisher. Lexington: UP of Kentucky, 1996. 16--35.
・ Chambers, R. W. and Marjorie Daunt, eds. A Book of London English. Oxford: Clarendon-Oxford UP, 1931.
現代に連なる英語の書き言葉における標準化の動きは,1400年頃に始まると考えてよい.すでに14世紀からその前段階というべき動きが見られたが,15世紀に入った辺りから,おそらく政治的な動機づけも加わって顕在化してきた.政治的な動機づけとは,英仏百年戦争 (hundred_years_war) の最中にあって,ランカスター朝が「英語=イングランドの国語」の等式を意識しだしたことである.国語ともなれば,当然ながら変異を極めていたスペリングの標準化が目指されるべきだろう.そこで,前代から種の蒔かれていた標準化の動きに,体制側からの一押しが加えられることになった.ランカスター朝の開祖 Henry IV から王位を受け継いだ Henry V は,1415年,アジャンクールの戦いにおける勝利でおおいに国威を発揚し,その機会を捉えて英語の権威をも高めようと運動したのである.Chancery Standard は,このような経緯で生まれたものと考えられる
この一連の流れについて,Blake (11) は次のようにみている.
Some scholars believe that the Lancastrians actively promoted the cause of English in order to increase their appeal to merchants and commoners against the aristocrats who were the leaders of the rebellions against them. Even if this is true, it is not likely that the kings would actively promote a standard as such. At best they would encourage the use of English as the national language, but this in turn would enhance the prospects of a standardised variety of London English being adopted as the variety to be used nationally. In order to follow this policy, the kings would have to rely on the forms of language most accessible to them, and that meant using one of the standardised forms of English used in the Chancery or some other government agency. From 1400 onwards the idea that there should be a single form of 'English' based upon the language of London and its environs became predominant.
ここで展開されている議論は,ランカスター朝は,英語を標準化しようと努めたというよりは,あくまで国威発揚という政治的目的のために英語を国語としようと努めたにすぎないということだ.おそらく,その後に英語が標準化されていったのは,体制側の目的ではなく,むしろ結果とみるべきだろう.
関連して,「#3214. 1410年代から30年代にかけての Chancery English の萌芽」 ([2018-02-13-1]),「#1207. 英語の書き言葉の復権」 ([2012-08-16-1]) も参照.
・Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Macmillan, 1996.
社会言語学では,言語が社会的な存在であり,しばしば政治的な存在でもあることが前提とされている.特に,世界語としての英語が議論されるとき,議論のなかに政治的な要素がまったく入り込まないということはあり得ないのではないかとすら思われる.例えば,[2009-11-30-1], [2009-12-05-1]でみた英語話者の同心円モデルでいえば,Inner Circle に属するものが「規範」 ( norma ) の中心におり,外側の Circles に属する人々の用いる英語に影響を与えるという見方は,それ自体が政治的 ( political ) 含みをもっている.
社会言語学でおなじみの「言語」と「方言」の区別に関する議論も,言語が政治的な存在であることを示している.日本で関西地方が政治的に独立して独立国家を形成すれば,その新国民は自分たちの言語を「日本語の関西方言」ではなく「関西語」と称するかもしれない.独立以前と以後で言語的には何ら変化していないにもかかわらずである.
また,インドなどの多言語社会においては,他の言語に比べて政治的に中立の立場にあるからという理由で,英語が国内コミュニケーションの目的で用いられている.この場合,英語は政治的に中立と見なされているのだから,非政治的 ( unpolitical ) な役割を果たしているとも言えそうであるが,そもそも複雑な言語事情の政治的解決策として英語が持ち出されてきたわけであり,この事態が政治と関係がないとは言えない."political" 「政治的」にせよ "unpolitical" 「非政治的」にせよ,いずれも politics 「政治」の含みがあることを前提とした形容詞である.
このように,社会言語学では,言語が本質的に政治から自由ではないことを示す事例が多く挙げられる.私だけではないと思うが,社会言語学を学習した者は「言語=政治的」というテーゼをたたき込まれるわけである.ところが,Kachru の次の文章に出くわして驚いた.世界語としての英語に関する議論,すなわち社会言語学の通念からは政治的でないはずのない議論のさなかに,"apolitical" という形容詞が出てくるのだ.そして,その主語は「英語」なのである.やや長いが,引用する.
As an aside, one might add here that all the countries where English is a primary language are functional democracies. The outer circle and the expanding circle do not show any such political preferences. The present diffusion of English seems to tolerate any political system, and the language itself has become rather apolitical. In South Asia, for example, it is used as a tool for propaganda by politically diverse groups: the Marxist Communists, the China-oriented Communists, and what are labelled as the Muslim fundamentalists and the Hindu rightists as well as various factions of the Congress party. Such varied groups seem to oppose the Western systems of education and Western values. In the present world, the use of English certainly has fewer political, cultural, and religious connotations than does the use of any other language of wider communication. (14)
"unpolitical" 「非政治的」ではなく "apolitical" 「無政治的,政治とは無関係の」であるところがポイントとなる."unpolitical" はマイナス方向に "political" 「政治的」であるという意味で,結局のところ "political" と同じ土俵の上にある用語である.政治を意識しているからこそ,"political" か "unpolitical" かという区別が重要なのである.ところが,"apolitical" は,そもそも政治という土俵の外にあり,政治に対して無関係・無関心であることを表す用語である.なるほど,英語が世界へ拡大してゆく過程においては,各国・地域の政体がどうであるかとかアメリカとの国際関係がどうであるかなどということは,ゼロとは言わないまでもそれほど関与的ではない.
「言語=政治的」という社会言語学の洗脳を受けた頭には,世界語としての英語が "apolitical" でありうるという発想は新鮮だった.
・ Kachru, B. B. "Standards, Codification and Sociolinguistic Realism: The English Language in the Outer Circle." English in the World. Ed. R. Quirk and H. G. Widdowson. Cambridge: CUP, 1985. 11--30.
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