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ame - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-11-12 07:24

2024-07-24 Wed

#5567. ノア・ウェブスター入門の YouTube 動画 [webster][youtube][inohota][notice][lexicography][spelling_reform][ame][biography]

お知らせ 「いのほた言語学チャンネル」より2種類の再生リストを作りました.井上回堀田回です.どうぞご利用ください.



 同僚の井上逸兵さんと運営している YouTube 「いのほた言語学チャンネル」の最新回は,日曜日に公開された「#251. 辞書編纂者で知られるウェブスターのイギリス綴り colour からアメリカ color への綴り字改革の背後にあるものは?」です.アメリカ英語の辞書編纂者として知られる Noah Webster (1758--1843) に,英語史の観点から迫った入門動画です.
 この動画では,辞書編纂者としてのみならず,ウェブスターのもう1つの側面,綴字改革者としてのウェブスターを紹介しています.彼は colour の綴字を color に, centrecenter に改める運動を先導し,アメリカ英語のイギリス英語からの独立を主張しました.
 ウェブスターはもともと教育者として活動しており,英語の教科書を自作するなどして教育に貢献していました.彼の初期の著作であり,後に Blue-Backed Speller として知られるようになった綴字教本は飛ぶように売れ,その後の100年間で8000万部も売れる大ベストセラーとなりました.
 また,ウェブスターは愛国心の強い人物で,アメリカ独立戦争にも参戦しています.実際,その綴字改革論にも,反イギリスの反骨精神が宿っていました.彼の改革のすべてが成功したわけではありませんが,上記のように一部の改革提案は受け入れられ,アメリカ英語の綴字として定着しました.ウェブスターの名声と成功は,彼の教育に対する情熱とアメリカ独立の精神に支えられていたといえます.
 ウェブスターについては hellog でも webster の各記事で書いてきました.とりわけ以下をご参照ください.

 ・ 「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1])
 ・ 「#2905. Benjamin Franklin に影響を受けた Noah Webster」 ([2017-04-10-1])
 ・ 「#3087. Noah Webster」 ([2017-10-09-1])
 ・ 「#3247. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第5回「color か colour か? --- アメリカのスペリング」」 ([2018-03-18-1])
 ・ 「#4152. アメリカ英語の -our から -or へのシフト --- Webster の影響は限定的?」 ([2020-09-08-1])
 ・ 「#4735. なぜ Webster は綴字改革をなし得たか?」 ([2022-04-14-1])

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2023-11-02 Thu

#5302. 「アメリカとカナダの英語」 --- 大石晴美(編)『World Englishes 入門』(昭和堂,2023年)の第2章 [voicy][heldio][review][notice][world_englishes][ame][canadian_english][hel_education][we_nyumon][variety]


 新著『World Englishes 入門』は,本ブログでもすでに何度か取り上げてきました.その第2章「アメリカとカナダの英語」を執筆された今村洋美先生(中部大学)と,Voicy heldio にて対談させていただきました.「#883. 著者と語る『World Englishes 入門』(昭和堂,2023年) --- 今村洋美先生とのアメリカ・カナダ英語をめぐる対談」です.本編とアフタートークを合わせて20分ほどの音声コンテンツです.ぜひお聴きください.
 以下,第2章の内部の小見出し等を紹介します.



1 アメリカ英語の歴史と現状
   (1) 初期のアメリカ英語
   (2) イギリス人以外の入植者たち
   (3) アメリカ独立宣言から19世紀にかけて
   (4) 「アメリカ語」から「アメリカ英語」へ
   コラム ニューヨークはオランダの香り
   コラム イングリッシュ・オンリー vs. イングリッシュ・プラス
2 アメリカ英語の言語的特徴
   (1) アメリカ英語の特徴
   (2) 地域方言
   (3) 黒人英語 (African-American English)
   (4) チカノ英語からアメリカ先住民の英語まで
3 カナダ英語の歴史と現状
   (1) フランス人入植者からイギリス人入植者へ
   (2) 一般カナダ英語とカナダ英語の誕生
   (3) イギリス人/フランス人以外の入植者たち
   コラム 英語とフランス語の公用2言語主義
4 カナダ英語の言語的特徴
   (1) 一般カナダ英語
   (2) カナダ英語の話し方と発音
   (3) カナダ英語の辞書と語彙




 図表や地図も豊富で,章末には「研究テーマ」と題する演習問題,そして信頼できる参考文献も付されています.アメリカ英語,カナダ英語について学びたい方は必読です!


大石 晴美(編) 『World Englishes 入門』 昭和堂,2023年.



 ・ 大石 晴美(編) 『World Englishes 入門』 昭和堂,2023年.

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2023-08-31 Thu

#5239. t の弾音化はいつから? --- Mond の質問 [mond][sobokunagimon][phonetics][r][ame]

 先日,知識共有サービス Mond でいただいた質問に回答しました.


[t] の弾音化はいつから? --- Mond の質問



 結論としては,t の弾音化 (flapping or tapping) は遅くとも中英語以降に生じていた,ということになります.イングランドで異音として行なわれていたものが,17世紀以降にアメリカを含む世界各地に移植・継承されたものと思われます.t の弾音化はアメリカ英語に典型的な特徴であるという印象が強いですが,その他の多くのアメリカ英語の特徴とともに,実際の起源は中世イングランドに求められそうです.
 回答記事では今回の調査に際して当たった典拠を記していませんでしたが,主に Dobson (Vol. 2, p. 956) と Minkova (147--48) に拠りました.Dobson の記述をメモとして残しておきます.

          (4) Intervocalic [t] becomes [r]
385. From early in the sixteenth century there appear the forms porridge, porringer, &c. for earlier pottage, potager (see OED, s.vv.), though the older forms also survived (thus Salesbury has potanger and Bullokar potage). Coles gives porridg and porringer as 'phonetic' spellings of pottage and pottinger, from which it appears that written forms with t may sometimes conceal spoken forms with [r].


 関連して「#61. porridge は愛情をこめて煮込むべし」 ([2009-06-28-1]),および rrhotic の記事群も参照.

 ・ Dobson, E. J. English Pronunciation 1500--1700. 2nd ed. 2 vols. Oxford: OUP, 1968.
 ・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.

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2023-06-21 Wed

#5168. なぜアメリカで "spelling bee" が大人気なのか? [sobokunagimon][ame][spelling][spelling_bee][webster]

 「#3082. "spelling bee" の起源と発達」 ([2017-10-04-1]) で,アメリカでは "spelling bee" というスペリング競技会が国民的人気を誇っている.正式には Scripps National Spelling Bee と呼ばれる.イギリスなどその他の英語国でも対応する競技会はあるが,アメリカの熱狂的な人気には及ばないようだ.Horobin (199--200) より,spelling_bee の沿革を説明する箇所を引用する.

The spelling bee began in the 1700s, forming a key part of a child's education. By 1800 spelling bees came to be viewed more as social entertainment; such frivolous pleasures were frowned upon by the Puritans who rebranded them as spelling 'schools' in an attempt to re-assert their educational focus. Spelling bees gradually fell out of favour in New England society, but were preserved within a frontier culture for whom correct spelling was still considered an index of education and social status. The publication of The Hoosier Schoolmaster (1871) led to a craze in spelling contests, following which the term spelling bee was introduced. The use of the word bee to refer to a social gathering of this kind, often with a specific purpose in mind, such as apple-bee, husking bee, or the more sinister lynching-bee, is based upon an allusion to the social character of bees themselves. But while these gatherings were social, they were also highly competitive, as the alternative name 'spelling fight' makes clear. The first national spelling bee was introduced in 1925, subsequently rebranded the Scripps bee in 1941, and is still going strong today. . . . The popularity of the spelling bee is far greater in America than it is in Britain. The British equivalent, the BBC's Hard Spell, was a short-lived innovation, while British schools rarely engage in the spelling bees that are such an integral part of American society.


 では,なぜアメリカで spelling bee がここまで人気なのか.イギリス綴字と一線を画するアメリカ独自の綴字が,綴字改革者であり愛国者でもある Noah Webster (1758--1843) によって導入され推進されたことは,英語史ではよく知られている.独立前後から独自の綴字を作り上げてきたという国民的記憶と自負が,アメリカでのスペリング競技会人気の背景にあるのではないかと私は睨んでいる.さらにいえば,合衆国憲法がまさにそうであるように,spelling bee は多民族国家アメリカにとって,いわば「国民統合の象徴」に近いものなのではないか.アメリカは,Webster から spelling bee に至るまで,綴字という目に見えるものを国民の遵守すべき規範として掲げることによって,国民どうしの結束を固め,保とうとしているのではないか.イギリスで spelling bee への熱狂が見られないことと対比して,このように考えてみた次第である.

 ・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
 ・ サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.

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2022-09-29 Thu

#4903. 世界英語は伝統的英米諸方言の延長線上にある [world_englishes][dialectology][bre][ame][variety][map][ewave]

 昨今,世界英語 (World Englishes) について考察したり議論したりする機会が多くなってきた.私は英語史の立場から,世界英語現象を伝統的英米諸方言の話題の延長線上にあるものとしてとらえている.平たくいえば,世界英語は英語方言という広いテーマの1つであり,その点では英語史上のイギリス方言やアメリカ方言の話題と異ならない,という立場だ.単に方言展開の舞台が数カ国という狭い空間から世界という広い空間に拡大しただけで質的な違いはない,とみている.
 もちろんこれは見方の問題であるし,すべてが見方次第である.世界英語の多様性と,例えばイギリス英語の多様性を比べるとき,相違点を列挙していくことはたやすい.

 1. 世界英語にあっては,諸方言が展開する舞台は世界全体であり,狭いブリテン諸島のみとはわけが違う.
 2. 世界英語にあっては,諸方言がいかにして発達してきたか,その方法や経路が明らかに多様である.
 3. 世界英語にあっては,言語接触の果たす役割が段違いに大きい.
 4. 世界英語にあっては,母語方言のみならず非母語方言も考慮に入れる必要がある.
 5. 世界英語は20世紀後半から21世紀にかけての現代的な話題である.

 5点のみ挙げたが,他にもいろいろと指摘することができるだろう.上記5点はそれぞれ興味深い論点ではあるが,異議を唱える(あるいは少なくとも議論の再考を促す)ことも同じくらい容易である.

 1'. イギリス英語にあっては,諸方言が展開する舞台はブリテン諸島全体であり,狭いイングランドのみとはわけが違う.
 2'. イギリスにあっては,諸方言がいかにして発達してきたか,その方法や経路が明らかに多様である.(古英語から現代英語に至るまでイングランド諸方言の発達を巡って未解決の問題が山積している.方言発達の方法や経路は十分に複雑で多様である.)
 3'. イギリス英語にあっては,言語接触の果たす役割が大きい.(世界英語における言語接触の果たす役割が本当に「段違いに」大きいかどうかは慎重な議論を要する.というのは,そもそも英語史は言語接触の歴史といってもよいほどだからだ.)
 4'. イギリス英語にあっては,母語方言のみならず非母語方言も考慮に入れる必要がある.(ウェールズやアイルランドの英語方言は,非母語方言として始まり発展してきた.)
 5'. イギリス英語は20世紀後半から21世紀にかけての現代的な話題で「も」ある.(もちろん,それ以前の話題でもあったが.)

 議論する上で2つの問題を切り分ける必要がない,と主張しているわけではない.見方を変えれば切り分けずに議論することもできるということを,英語史の立場から述べておきたい次第.

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2022-09-01 Thu

#4875. 朝カル講座の第3回「英語の歴史と世界英語 --- 英米の英語方言」のご案内 [asacul][notice][world_englishes][link][voicy][heldio][variety][ame][bre][me_dialect][dialectology]

 ちょうど1ヶ月後のことになりますが,2022年10月1日(土)15:30--18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて全4回のシリーズ「英語の歴史と世界英語」の第3回講座「英米の英語方言」を開講します.対面・オンラインのハイブリッド講座として開講される予定です.ご関心のある方は,ぜひ参加をご検討ください.シリーズ講座ではありますが,毎回独立した講座となっていますので,第1回,第2回に参加されていない方もご安心ください.詳細とお申し込みはこちらの公式ページよりどうぞ.第3回講座の概要は以下の通りです.

現代の「世界英語」を構成するさまざまな変種は,英語の諸方言とみることができます.実際,英語の歴史において方言は常に多様な形で存在し続けてきており,決して現代に特有の現象ではありません.アメリカ英語にも多くの方言が,イギリス英語にはさらに多くの方言がありましたし,今もあります.つまり「世界英語」は,歴史的な英語諸方言の延長線上にある現象なのです.英米方言,および諸方言の対極にある標準語の役割にも注目します.


 21世紀の世界英語 (World Englishes) も,英語史を通じて存在し続けてきた英語諸方言も,様々な英語の集合体という点では変わりありません.多様性が展開する舞台こそ,狭いブリテン島から広い地球へと拡がってきましたが,本質的に新しいことが生じているわけではありません.現代世界で英語に生じている出来事は,歴史的には必ずしも特別なものではないのです.
 とはいえ,もちろんすべてが同じわけでもありません.そのような異同を考えることで,現代の世界英語現象の特殊性をも浮き彫りにしていきたいと思います.かつての英語の多様性を振り返るに当たって,2大英語国である英米の諸方言に焦点を当てます.
 第3回講座についてもう少し詳しく知りたい方は,予告編として Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」を通じて「#454. 朝カル講座の第3回「英語の歴史と世界英語 --- 英米の英語方言」」を配信していますので,そちらをお聴きください.



 シリーズ講座の第1回,第2回については,以下の hellog や heldio でも取り上げています.こちらも参考までにどうぞ.

 ・ hellog 「#4775. 講座「英語の歴史と世界英語 --- 世界英語入門」のシリーズが始まります」 ([2022-05-24-1])
 ・ heldio 「#356. 世界英語入門 --- 朝カル新宿教室で「英語の歴史と世界英語」のシリーズが始まります」 (2022/05/22)
 ・ heldio 「#378. 朝カルで「世界英語入門」を開講しました!」 (2022/06/13)

 ・ hellog 「#4813. 朝カル講座の第2回「英語の歴史と世界英語 --- いかにして英語は拡大したのか」のご案内」 ([2022-07-01-1])
 ・ heldio 「#393. 朝カル講座の第2回「英語の歴史と世界英語 --- いかにして英語は拡大したのか」」 (2022/06/28)

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2022-04-14 Thu

#4735. なぜ Webster は綴字改革をなし得たか? [webster][spelling_reform][sociolinguistics][linguistic_ideology][ame][spelling][orthography][american_revolution]

 一般的にいって綴字改革 (spelling_reform) は成功しないものである.実際,英語の歴史で見る限り成功例はほとんどない.その理由については「#606. 英語の綴字改革が失敗する理由」 ([2010-12-24-1]),「#2087. 綴字改革への心理的抵抗」 ([2015-01-13-1]),「#634. 近年の綴字改革論争 (1)」 ([2011-01-21-1]),「#635. 近年の綴字改革論争 (2)」 ([2011-01-22-1]) などで触れてきた.
 英語史において綴字改革がそれなりに成功したとみなすことのできるほぼ唯一の事例が,Noah Webster によるアメリカ英語における綴字改革である(改革の対象となった単語例は「#3087. Noah Webster」 ([2017-10-09-1]) を参照).
 では,なぜ Webster の綴字改革は類い希なる成功を収め得たのか.この問題については「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1]),「#3086. アメリカの独立とアメリカ英語への思い」 ([2017-10-08-1]) でも取り上げてきた.端的にいえば,ウェブスターの綴字改革は,反イギリス(綴字)という時代の勢いを得たということである.アメリカ独立革命とそれに伴うアメリカの人々の新生国家に対する愛国心に支えられて,通常では実現の難しい綴字改革が奏功したのである.もちろん,Webster 自身も強い愛国者だった.
 Webster の愛国心の強さについては上記の過去の記事でも言及してきたが,それをさらに雄弁に語る解説を見つけたので紹介したい.昨日の記事でも触れた Coulmas (267) が,アメリカ英語の歴史を著わした Mencken を適宜引用しながら,愛国者 Webster の綴字イデオロギーについて印象的な記述を施している.

   Webster was an ardent nationalist who had an intuitive understanding of the symbolic significance of the written language as a national emblem. Like many of his contemporaries in England and in the colonies, Webster promoted a reformed mode of spelling; however, what distinguished him from others is that he realised the political significance of claiming an independent standard for American English. Spelling to him was a way to write history. Webster's various publications on the English language were intended to further America's intellectual independence and to prove political nationalism with a manifest appearance for all to see and identify with. 'As an independent nation, our honor requires us to have a system of our own, language as well as government' (Webster 1789: 20).
   Reducing the number of letters, weeding out silent letters, and making the spelling more regular were general principles of reform in line with the Enlightenment's call for more rationality. While Webster subscribed to these ideals, to him the 'greatest argument', as Mencken put it, 'was the patriotic one: "A capital advantage of his reform in these States would be that it would make a difference between the English orthography and the American"' (quoted from Mencken 1945 [1919]: 382). Regulating spelling conventions since the Renaissance had been intended to advance homogeneity, but Webster's new spelling was, on the contrary, designed to bring about a schism. Reversing the printers' plea for as wide a distribution of print products as possible, he argued that 'the English would never copy our orthography for their own use' and that the alteration would thus 'render it necessary that all books should be printed in America' (Mencken 1945 [1919]: 382). The assumed economic advantages of a simpler spelling system that would accrue from savings in the cost of teaching as well as publishing books at home rather than buying them from England were an important part of his reasoning.
   Self-interest and nationalism thus prevailed over rationalism. Webster's new spelling could succeed because it was supported by a strong political ideology, because it was not so sweeping as to burn all the bridges and make literature in the conventional orthography unintelligible, and because the population concerned was favourably disposed to novelty and not strongly tied to a literary tradition, hailing to a large part from less-educated strata of society. If any generalisation can be drawn from this example, it would seem to be that in spelling reforms ideological motives are more important than correcting system-intrinsic flaws of the extant norm, although it is usually properties of this kind --- irregularity, redundancy, polyvalence --- that are first put forth by reform proponents.


 私が興味を引かれたのは,第2段落後半に言及がある印刷と本作りに関するくだりである.アメリカ綴字で印刷された本はイギリスでは売れない.それは結構なことである.アメリカ国内で印刷産業が育つことになり,イギリスから本を輸入する必要もなくなるからだ.この綴字改革の政治経済的インパクトを予見していたとすれば,Webster,まさに恐るべしである.

 ・ Coulmas, Florian. "Sociolinguistics and the English Writing System." The Routledge Handbook of the English Writing System. Ed. Vivian Cook and Des Ryan. London: Routledge, 2016. 261--74.
 ・ Webster, Noah. Dissertation on the English language. Boston, MA: Isaiah Thomas and Co., 1789. Available online at https://archive.org/stream/dissertationsone00webs#page/20/mode/2up.
 ・ Mencken, H. L. The American Language: An Inquiry into the Development of English in the United States. 4th ed. New York: Alfred A. Knopf, 1945 [1919].

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2021-11-28 Sun

#4598. 北米英語とかけてバスク語ととく,そのこころは? [ame][canadian_english][spanish][french][basque][map]

 日曜日ということで,ちょっとした謎掛けを.北米英語とかけてバスク語ととく,そのこころは? 答えは,北はフランス語,南はスペイン語に迫られています?♪
 バスク語 (Basque) は,印欧語族に属していないヨーロッパの孤立した言語の1つである.フランス(北側)とスペイン(南側)の国境付近の一角で約100万人の母語話者により話されている言語だ.話者の大多数はおよそバイリンガルであり,スペイン側のバスク州に居住している.周囲ではスペイン語やフランス語といった世界的大言語が幅をきかせているため,バスク語は相対的な意味で小数民族の話す小言語とみなされている.

Map of the Basqeu-Spealing areas

 では,なぜこのようなバスク語が北米英語と引っかけられるのか.北米(アメリカ合衆国とカナダ)で主として話されている言語は,世界語たる英語である.話者人口の点ではバスク語とは比べようもないが,北米英語は,その植民史と地理に照らすと,カナダのケベックに代表されるフランス語圏(北側)と,メキシコをはじめとする中南米のスペイン語圏(南側)に挟まれている.現在でも,この言語地理学的環境は北米英語に少なからぬインパクトを与え続けており,カナダ英語はフランス語から,アメリカ英語はスペイン語から少なからぬ言語的影響を被っている(cf. 「#4529. 英語とメキシコの接点」 ([2021-09-20-1])).
 この他愛もないインスピレーションは,Hall-Lew (373) を読んでいて出会った次の1文からヒントを得たものである.

Today, Spanish influence, versus French influence, is one major historical difference between Englishes in the Unite States and in Canada.


 上記の共通点を除けば,(北米)英語とバスク語の関係はむしろほとんどないといってよいだろう.

 ・ Hall-Lew, Lauren. "English in North America." Chapter 18 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 371--88.

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2021-09-20 Mon

#4529. 英語とメキシコの接点 [mexico][contact][ame][spanish][world_englishes][map]

 普通,英語史においてメキシコが注目されることはないだろう.メキシコが北米史において重要な役割を果たしていることは分かっていても,スペイン語を主たる言語とするメキシコが(アメリカ)英語に対して語彙の分野である程度の影響を与えていることはあるにせよ,それ以上にどう深く関与しているのかは自明ではない.英語学・英語史の文脈での「北米」とは,アメリカ合衆国とカナダのことであり,メキシコは事実上含まれないというのが実情だろう.
 私も基本的に上記の理解に甘んじてはいるのだが,英語の文脈でメキシコも忘れてもらっては困る,という珍しい論考に出会ったので紹介しておきたい.Hall-Lew (377--78) から引用する.

English use in Mexico is important to a discussion of English in North America not only for descriptive comprehensiveness but also because of its influence on U.S. Englishes. English is the primary language of at least one community in Mexico, the Mormon colonies in Casas Grandes Valley, Chihuahua . . . . English is also widely spoken in the communities on the U.S. border and in towns frequented by U.S.-based tourists. English is the most widely taught non-Spanish language in Mexico, having "an important role to play in formal education, equipping persons to participate in various occupational and professional activities such as tourism, industry, government, media, science, and technology, among others" . . . . Given that much of the U.S. was previously property of Mexico, the features of Mexican English are both historically relevant and increasingly representative of growing communities of Mexican Americans across the United States.


 上記の通り,メキシコにも実は英語コミュニティがある.しかし,それは少数派で肩身狭く暮らす英語コミュニティである.まさか「世界の英語」が肩身狭く用いられているコミュニティがあるとは驚きかもしれないが,メキシコ以外にもカリブ地域にはそのような社会がちょこちょこ存在するのである.これについては「#1731. English as a Basal Language」 ([2014-01-22-1]) を参照.
 世界英語 (world_englishes) の観点から,大国メキシコを改めて位置づけてみるのもよいだろう(以下は (C)ROOTS/Heibonsha.C.P.C によるメキシコの地図).

Map of Mexico

 ・ Hall-Lew, Lauren. "English in North America." Chapter 18 of The Oxford Handbook of World Englishes. Ed. by Markku Filppula, Juhani Klemola, and Devyani Sharma. New York: OUP, 2017. 371--88.

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2021-07-09 Fri

#4456. 黒人英語 (= AAVE) を巡る6つの立場 [aave][creole][ame][sociolinguistics][variety][historiography]

 African American Vernacular English (= AAVE),いわゆる黒人英語の話題について aave の各記事で取り上げてきた.AAVE の起源と発達を巡っては激しい論争が繰り広げられてきたし,現在も続いている.つまり決定的な解答は与えられていないといってよい.
 よく知られているのは,クレオール語起源説 (creolist hypothesis) かイギリス変種起源説 (Anglicist hypothesis) かを巡る対立である.これについては「#1885. AAVE の文法的特徴と起源を巡る問題」 ([2014-06-25-1]),「#2739. AAVE の Creolist Hypothesis と Anglicist Hypothesis 再訪」 ([2016-10-26-1]) などで紹介した.
 しかし,AAVE を巡る学史は,この2つの派閥の間の論争の歴史として単純にくくることはできない.ほかにもいくつかの立場があるのだ.Lanehart (1826--27) が,ハンドブックにて6つの立場を端的に解説してくれている.箇条書きで引用しよう(なお,Lanehart は African American Language (= AAL) という呼称を用いている).

(1) Anglicist (aka Dialectologist), which purports that Africans in American (sic) learned regional varieties of British English dialects from British overseers with little to no influence from their own native African languages and cultures;

(2) Creolist, which purports that AAL developed from a prior US creole developed by slaves that was widespread across the colonies and slave-holding areas (though Neo-Creolists acknowledge there likely was not a widespread creole but one that emerged in conditions favorable to creole development);

(3) Substratist, which purports that distinctive patterns of AAL are those that occur in Niger-Congo languages such as Kikongo, Mande, and Kwa;

(4) Ecological and Restructuralist, which is a perspective within the Anglicist position that acknowledges the difficulty of knowing the origins of AAL but proposes that we can say something useful about Earlier AAL (not nascent AAL) given settlement and migration patterns as well as socio-ecological issues;

(5) Divergence/Convergence, which purports that AAL diverges and converges to white varieties over the course of its history with respect to changes in and degrees of racism, segregation, inequalities, and inequities that fluctuate across time and differs (sic) regionally; and

(6) Deficit, which purports that AAL is based on the assumption that Africans in America and their culture are inferior to whites and their language learning as a result was imperfect and bastardized.


 各々の仮説には,純粋に言語学的な知見が反映されている部分もあれば,提唱者や支持者のイデオロギーや認識論的な立場が色濃く反映されている部分もある.後者が入り込むからこそ議論がややこしくなる,というのがこの問題の抱える深い悩みである.

 ・ Lanehart, Sonja L. "Varieties of English: Re-viewing the Origins and History of African American Language." Chapter 117 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1826--39.

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2020-12-30 Wed

#4265. なぜアメリカでは英語が主たる言語として話されているのですか? --- hellog ラジオ版 [hellog-radio][sobokunagimon][sociolinguistics][history][ame][official_language][history][koine][dialect_levelling][sociolinguistics]

 標題は,問うまでもないと思われるような疑問かもしれませんが,当たり前の事実こそ,その背景を探ることに意味がある,というケースは少なくありません.現在では,英語といえば英国よりも先に米国のことを思い浮かべる人が多いと思いますが,歴史的には米国は後発の英語国です.17世紀初頭にイギリスの植民地としてスタートした,英語を用いる地域としては歴史の浅い国です.
 米国が著しい移民の国であることはよく知られています.アイルランドを含むイギリス諸島からの移民にとどまらず,17世紀後半からはドイツなどヨーロッパ諸国からの移民も多くやってきましたし,19世紀後半からはアジアやアフリカ,そして20世紀には世界中から人々が押し寄せました.世界中の異なる言語を話す人々が,アメリカンドリームを抱いて米国を目指したのです.
 とすると,英語を筆頭としつつも複数の異なる言語が並び立ち,名実ともに多言語国家となる可能性もあったはずです.事実,米国では多言語使用は認められていますし行なわれてもいますが,現実的にいえば,英語が圧倒的に有力な唯一の言語であるといえるでしょう.これはなぜなのでしょうか.歴史的に考えてみましょう.



 様々な言語の話者が次々と米国に移民としてやってきたことは確かですが,最初期に移民文化の下敷きを作ったのは,何といってもイングランド,スコットランド,アイルランドなどイギリス諸島出身の人々,つまり英語話者でした.最初に敷かれた英語インフラが,後々まで影響を及ぼしたということです.まず第一に,この事実が効いています.
 もう1つ,西部開拓に代表されるパイオニア精神に裏付けられた移民たちの移動性・可動性 (mobility) も効いています.社会のなかで広く動く人々というのは,言語を含む文化を平準化する人々でもあります.そのような社会では,各々の土地に固有の言語や方言が発達しにくく,むしろ全体として平板化していきます.もともと多くのシェアをもっていた英語はそのような平板化のマグネットとして機能し,対する他の諸言語は拡散する機会を得られなかったのです.
 さらにいえば,他の諸言語の存在感が薄められつつ英語一辺倒の社会へ収斂していく過程において,英語内部の方言差すら平板化していきました (dialect_levelling) .イギリス英語に比べてアメリカ英語に地域による方言差が少ないのも,移民社会という事情が関与しています.
 この辺りは,歴史社会言語学的にたいへんおもしろい話題です.関心をもった方は,##2784,158,591の記事セットをご覧ください.

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2020-11-28 Sat

#4233. なぜ quite a few が「かなりの,相当数の」の意味になるのか? [sobokunagimon][phrase][ame][pragmatics][intensifier]

 quite という副詞は,用法が難しく厄介な語である.基本的には形容詞等の表わす程度を強調する副詞ととらえてよいが,コロケーション次第で様々な意味の陰影が生まれる.そのなかでも何とも理解しがたいフレーズが,標題の quite a few である.quite が程度の強調ということであれば「とても少ない」の意となりそうだが,実際には口語において「かなりの,相当数の」と予想外の意となる.quite a lot (of) が予想通り「とても多く(の)」を意味することを考えると,どうにも理解に困る.
 OED を開いてみよう,quite a few は,few, adj., pron., and n. の見出しのもとで Phrases の1つとして立てられている.

d. Originally U.S. quite a few.

(a) Used adjectivally: a considerable number of.

   1833 Nolan County (Sweetwater, Texas) News 26 Jan. Quite a few White Flat people attended the singing at Trent.
   1939 L. Hughes Let. 9 Dec. in Remember me to Harlem (2001) 159 That phase of Harlem's rise to culture and neo-culture seems to be of historical importance and interest to quite a few people.
   2014 Providence (Rhode Island) Jrnl. (Nexis) 22 July (News section) 1 I went fishing yesterday afternoon and caught quite a few spotted trout.
(Hide quotations)

(b) Used as noun: a considerable number; also with of-phrase as complement.

   1844 Christian Advocate Apr. 139/5 We were glad to find 'honorable brethren', quite a few 'tis true, prepared to go with us.
   1883 P. Robinson in Harper's Mag. Oct. 706/1 There's quite a few about among the rocks.
   1933 L. Bloomfield Language xi. 172 Quite a few of the present-day Indo-European languages agree with English in using an actor-action form as a favorite sentence-type.
   2006 S. M. Stirling Sky People ix. 204 Cries of welcome greeted them; quite a few had observed the shot from a distance, and fresh meat was always welcome.


 これによると,19世紀前半にアメリカ英語で生まれた比較的新しい表現であることが分かる.しかし,なぜ予想外の意味が生じたかについては,特に解説はない.
 考えられるのは,quite の語用論的な用法,たとえば緩和や皮肉を込めた言い方に由来する可能性である.日本語の「ちょっと(した)」を例にとろう.文字通りには「少量」を意味するが,「ちょっとマズい状況になってるなぁ」とか「それはちょっと値が張りますよ」という場合には「少量」では済まなさそうな含みがある.実質的に「多量」を意味するのに,表面上は「少量」の表現を用いる例だ.
 quite a bit, quite a little などの表現も,原義が反転して「多い」を表わすという点で,quite a few と同じグループに入るだろう.quite a little については,OED では little, adj., pron., and n., and adv. のもとに "10. Used as an (ironic) intensifier in various constructions, as quite a little ---, quite the little ---, a nice little ---, etc." と言及があり,初出が1763年となっている.何とも厄介な表現である.

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2020-10-26 Mon

#4200. Hoosier --- インディアナ州民のニックネーム [onomastics][personal_name][ame][slang][etymology][oed][etymology][pc][coha]

 本年度の後期もオンライン授業が続いているが,先月のゼミ合宿で行なった即興英語史コンテンツ作成のイベント(cf. 「#4162. taboo --- 南太平洋発,人類史上最強のパスワード」 ([2020-09-18-1]))が苦しくも楽しかったので,学生と一緒にもう一度やってみた.その場で英単語を1つランダムに割り当てられ,それについて OED を用いて90分間で「何か」を書くという苦行.今回は,標題の未知の単語を振られ,見た瞬間に茫然自失.死にものぐるいの90分だった.その成果を,こちらに掲載.




 古今東西,ある国や地域の住民に軽蔑(ときに愛情)をこめたニックネームを付けるということは,広く行なわれてきた.とりわけ付き合いの多い近隣の者たちが,茶化して名前を付けるケースが多い.しかし,たとえ当初は侮蔑的なニュアンスを伴うネーミングだったとしても,言われた側も反骨と寛容とユーモアの精神でそれを受け入れ,自他ともに用いる呼称として定着することも少なくない.
 最も有名なのはアメリカ人を指す Yankee だろう.語源は諸説あるが,John に相当するオランダ語に指小辞を付した Janke が起源ではではないかといわれている.ニューヨーク(かつてオランダ植民地で「ニューアムステルダム」と称された)のオランダ移民たちが,コネチカットのイギリス移民を「ジョン坊主」と呼んで嘲ったことにちなむという説だ.
 Yankee ほど有名でもなく,由来もはっきりしない類例の1つとして,米国インディアナ州の住民につけられたニックネームがある.標題の Hoosier だ.OED によると,Hoosier, n. /huːʒiə/ と見出しが立てられており,(予想される通り)アメリカ英語で使用される名詞である.語義が2つみつかる.いくつかの例文とともに示そう.

1. A nickname for: a native or inhabitant of the state of Indiana.

 ・ 1826 in Chicago Tribune (1949) 2 June 20/3 The Indiana hoosiers that came out last fall is settled from 2 to 4 milds of us.
 ・ 1834 Knickerbocker 3 441 They smiled at my inquiry, and said it was among the 'hoosiers' of Indiana.
 ・ . . . .

2. An inexperienced, awkward, or unsophisticated person.

 ・ 1846 J. Gregg Diary 22 Aug. (1941) I. 212 Old King is one of the most perfect samples of a Hoosier Texan I have met with. Fat, chubby, ignorant, and loquacious as Sancho Panza..we could believe nothing he said.
 ・ 1857 E. L. Godkin in R. Ogden Life & Lett. E. L. Godkin (1907) I. 157 The mere 'cracker' or 'hoosier', as the poor [southern] whites are termed.
 ・ . . . .


 第1語義は「インディアナ州の住民」,第2語義は「世間知らずの垢抜けない田舎者」ほどである.上述の通り,軽蔑の色彩のこもった小馬鹿にするような呼称であることが感じられるだろう.初出は19世紀の前半とみられる.
 語源に関しては OED に "Origin unknown" (語源不詳)とあり,残念な限りなのだが,ここで諦めるわけにはいかない.米国のことであれば,OED よりも情報量の豊富なはずの,百科辞典的な特色を備える The American Heritage Dictionary of the English Language に頼ればよい.早速当たってみると,しめしめ,1つの説が紹介されていた.その概要を解説しよう.
 語源は闇に包まれているが,イングランドのカンバーランド方言で19世紀に「とてつもなく大きいもの」を意味する hoozer という訛語が文証される.これが変形した形で米国に持ち込まれたのが Hoosier ではないかという説だ.一方,後者の初出年である1826年よりも後のことではあるが,Dictionary of Americanisms には "a big, burly, uncouth specimen or individual; a frontiersman, countryman, rustic",要するに「田舎者の大男」の語義で現われていることが確認され,OED の第2語義にぴったり通じる.
 実際,19世紀前半は Hoosier を含め米国各州の住民に次々と侮蔑的なニックネームがつけられた時代である.インディアナ州についても,おそらく近隣州の住民などが名付けの奇想を練っていたのだろう.詳しいルートこそ分からないが,そこへ Hoosier (田舎者の大男)がスルッと入り込んだようだ.テキサス州民の Beetheads (ビート頭),アラバマ州民の Lizards (トカゲ),ネブラスカ州民の Bugeaters (虫食い野郎),そしてミズーリ州民の Pukes (へど)などの名(迷)悪言が生まれたが,これらに比べれば Hoosier はひどい方ではない.
 昨今は PC (= political correctness) の時代である.特定の国であれ地域であれ,そこの住民を侮蔑的なニュアンスを帯びた名前で呼ぶ慣習は,下火になりつつある.地域のスポーツチームのニックネームとして,ノースカロライナ州の Tarheels (ヤニの踵)やオハイオ州の Buckeyes (トチノキ)などに残る以外には用いられなくなってきている.
 試しに Corpus of Historical American English により "[Hoosier]" として検索してみると,1870年代から1920年代にかけて浮き沈みはありつつも相対的に多く用いられていたようだが,20世紀後半にかけては低調である.

Hoosier by COHA

 ただし,国民・地域住民への侮蔑的なあだ名が忌避されるようになってきているとはいえ,「公には」という限定つきである.実際には,そこいらの街角で,日々のおしゃべりのなかで,からかいの言葉は使われ続けるものである.憎まれっ子が世にはばかるように,憎まれ語も実はアンダーグラウンドで世にはばかっているのである.

 ・ The American Heritage Dictionary of the English Language. 4th ed. Boston: Houghton Mifflin, 2006.
 ・ Corpus of Historical American English. Available online at https://www.english-corpora.org/coha/. Accessed 20 October 2020.
 ・ The Oxford English Dictionary Online. Oxford: Oxford University Press, 2020. Available online at http://www.oed.com/. Accessed 20 October 2020.

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2020-09-08 Tue

#4152. アメリカ英語の -our から -or へのシフト --- Webster の影響は限定的? [webster][ame][spelling_reform][spelling][standardisation][prescriptivism][language_change]

 昨日の記事「#4151. 標準化と規範化の関係」 ([2020-09-07-1]) で引用した文章のなかに,Anson からの引用が埋め込まれていた.Anson 論文は,アメリカ英語における color, humor, valor, honor などの -or 綴字の発展と定着の歴史を実証的に調査した研究である.1740--1840年にアメリカ北東部で発行された新聞からのランダムサンプルを用いた調査の結果が特に信頼に値する.イギリス英語綴字 -our に対するアメリカ英語綴字 -or の定着は,一般に Noah Webster (1758--1843) の功績とされることが多いが,事はそれほど簡単ではない.以下が,Anson (47) による調査報告のまとめの部分である.
 

Most obvious is the appearance of both -or and -our through the century, but gradual change can be detected from the -our extreme in 1740 to the -or extreme in 1840. Only small and sporadic change occurred around the time of Webster's strongest influence, which suggests that if he did contribute to the dropping of -u, his contribution was slow to take effect.
    A key year appears to be 1830 --- after the appearance of Worcester's dictionary and the public attention, during the previous decade, to Webster's and Worcester's battle of dictionaries and spellers. . . .
    On the whole, then, the American usage chart shows a slow but steady movement toward the -or spelling. No doubt the movement spilled at least into the first quarter of the twentieth century, when sporadic cases of -our were still to be seen. Aided by later dictionaries, which have looked to usage or other American authorities, the shift to -or is now virtually complete.


 この調査報告を読むと,Webster (および彼と辞書編纂で争った Worcester)の当該語の綴字への影響は1830年以降に少し感じられはするが,決定的な影響というほどではなかったという.しかも -our から -or へのシフトの完成は,それから優に数十年も待たなければならなかったのである.Webster の役割は,せいぜいシフトの触媒としての役割にとどまっていたといえそうだ.
 この事例研究から,Anson (48) は言語変化の標準化と規範化の関係に関する次の一般論を導き出そうとしている.
 

. . . usage and authority work mutually and each tends to influence the other and be influenced by it. A highly respected dictionary may influence the way an educated public spells debated words; on the other hand, no authority --- even Webster --- can hope to change a firmly entrenched spelling habit among the general public. The chances are good that, had the public not been moving steadily toward -or forms, we might still be spelling in favor of -our, despite Webster. While Webster may have served as a catalyst for some spelling changes, he was not, for spelling reform, the cause celebre many have assumed. Most of his reforms never caught on. Curiously, spelling reform on a large scale, like Esperanto and other synthetic languages, has never appealed to the public as have changes introduced organically and from within. Proponents of spelling reform argue quite convincingly that their proposals meet a real public need for simplicity, precision, and uniformity; yet often the public allows linguistic changes that work in just the opposite direction. Usage, then, is a highly resistant strain when it comes to 'curing the ills' of the language, and it ultimately determines its own future.


  昨日の記事の趣旨に照らせば,この引用冒頭の "usage" を標準化と,"authority" を規範化と読み替えてもよいだろう.

 ・ Anson, Chris M. "Errours and Endeavors: A Case Study in American Orthography." International Journal of Lexicography 3 (1990): 35--63.

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2020-05-26 Tue

#4047. 「英語の英米差」のまとめ --- hellog 記事リンク集 [ame_bre][link][hel_education][ame][bre][webster]

 何年も英語史のレポートや卒論を見てきましたが,英語の英米差に関する話題は常に人気のあるテーマです.英語史の授業でも,英米差の話題となると学生の反応が明らかに異なります.多くの英語学習者にとって,英語の英米差はそれくらい身近で興味を引かれるトピックなのだろうと思います.
 本ブログでも英語の英米差に注目した多数の記事を書いてきました.以下にサブテーマごとに記事をグループ化し整理しましたので,順に読んでいけば英語の英米差を巡る様々な視点を体系的に学習することができます.そこから,ぜひ英語の英米差についての新しい問題を提起し,調査していってもらえればと思います.なお筆者一押しの記事は,英語史連載企画の一環として執筆した「イギリス英語の autumn とアメリカ英語の fall --- 複線的思考のすすめ」です.
 その他,アメリカ英語やイギリス英語の個別の話題について,amebre の多くの記事もご参照ください.

[まず英語の英米差クイズで腕試し]

 ・ 「#357. American English or British English?」
 ・ 「#359. American English or British English? の解答」

[英語の英米差の概論]

 ・ 「#1343. 英語の英米差を整理(主として発音と語彙)」
 ・ 「#3948. 『英語教育』の連載第12回「なぜアメリカ英語はイギリス英語と異なっているのか」」
 ・ 「#3472. 慶友会講演 (1) --- 「歴史上の大事件と英語」」

[発音の英米差]

 ・ 「#211. spelling pronunciation
 ・ 「#406. Labov の New York City /r/」
 ・ 「#419. A Mid-Atlantic variety of English」
 ・ 「#945. either の2つの発音」
 ・ 「#964. z の文字の発音 (1)」
 ・ 「#965. z の文字の発音 (2)」
 ・ 「#3573. accomplishone の強勢母音の変異」

[スペリング・表記の英米差]

 ・ 「#240. 綴字の英米差は大きいか小さいか?」
 ・ 「#244. 綴字の英米差のリスト」
 ・ 「#305. -ise か -ize か」
 ・ 「#1097. quotation marks」
 ・ 「#2093. <gauge> vs <gage>」
 ・ 「#2437. 3文字規則に屈したイギリス英語の <axe>」
 ・ 「#3182. ARCHER で colourcolor の通時的英米差を調査」
 ・ 「#3247. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第5回「color か colour か? --- アメリカのスペリング」」
 ・ 「#3934. イギリスの er とアメリカの uh

[文法の英米差]

 ・ 「#312. 文法の英米差」
 ・ 「#325. mandative subjunctiveshould
 ・ 「#3351. アメリカ英語での "mandative subjunctive" の使用は "colonial lag" ではなく「復活」か?」

[語彙・語法の英米差]

 ・ 「#510. アメリカ英語における whilst の消失」
 ・ 「#880. いかにもイギリス英語,いかにもアメリカ英語の単語」
 ・ 「#1754. queue
 ・ 「#2916. 連載第4回「イギリス英語の autumn とアメリカ英語の fall --- 複線的思考のすすめ」」
 ・ 「#2925. autumn vs fall, zed vs zee
 ・ 「#3448. autumn vs fall --- Johnson と Pickering より」
 ・ 「#982. アメリカ英語の口語に頻出する flat adverb
 ・ 「#1346. 付加疑問はどのくらいよく使われるか?」
 ・ 「#4036. stay at homestay home か --- コーパス調査」

[英語の英米差の類型]

 ・ 「#627. 2変種間の通時比較によって得られる言語的差異の類型論」
 ・ 「#628. 2変種間の通時比較によって得られる言語的差異の類型論 (2)」
 ・ 「#1331. 語彙の英米差を整理するための術語」
 ・ 「#2268. 「なまり」の異なり方に関する共時的な類型論」

[英語の英米差に関する歴史的背景]

 ・ 「#3087. Noah Webster」
 ・ 「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」
 ・ 「#3086. アメリカの独立とアメリカ英語への思い」
 ・ 「#851. イギリス英語に対するアメリカ英語の影響は第2次世界大戦から」
 ・ 「#1855. アメリカ英語で先に進んでいた3単現の -th → -s
 ・ 「#2261. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (1)」
 ・ 「#2262. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (2)」
 ・ 「#2270. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (3)」
 ・ 「#3089. 「アメリカ独立戦争と英語」のまとめスライド」
 ・ 「#3953. アメリカ英語の non-rhotic 変種の起源を巡る問題」

[英語の英米差を巡る社会言語学とイデオロギー問題]

 ・ 「#315. イギリス英語はアメリカ英語に比べて保守的か」
 ・ 「#1266. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (1)」
 ・ 「#1267. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (2)」
 ・ 「#1268. アメリカ英語に "colonial lag" はあるか (3)」
 ・ 「#1304. アメリカ英語の「保守性」」
 ・ 「#1318. 言語において保守的とは何か?」
 ・ 「#2926. アメリカとアメリカ英語の「保守性」」
 ・ 「#3201. アメリカ英語の「保守性」について --- Algeo and Pyles の見解」
 ・ 「#2672. イギリス英語は発音に,アメリカ英語は文法に社会言語学的な価値を置く?」
 ・ 「#3280. アメリカにおける民族・言語的不寛容さの歴史的背景」
 ・ 「#1010. 英語の英米差について Martinet からの一言」

[英語の英米差を調査するためのツールやその他の情報]

 ・ 「#428. The Brown family of corpora の利用上の注意」
 ・ 「#607. Google Books Ngram Viewer」
 ・ 「#1305. 統語タグのついた Google Books Ngram Corpus」
 ・ 「#1730. AmE-BrE 2006 Frequency Comparer」
 ・ 「#1739. AmE-BrE Diachronic Frequency Comparer」
 ・ 「#2186. 研究社Webマガジンの記事「コーパスで探る英語の英米差 ―― 基礎編 ――」」
 ・ 「#2216. 研究社Webマガジンの記事「コーパスで探る英語の英米差 ―― 実践編 ――」」
 ・ 「#1321. BNC Frequency Extractor」
 ・ 「#1322. ANC Frequency Extractor」
 ・ 「#773. PPCMBE と COHA の比較」

[英語の英米差を超えた諸変種間の比較]

 ・ 「#2388. 世界の主要な英語変種の音韻的分類」
 ・ 「#2668. 現代世界の英語変種を理解するための英語方言史と英語比較社会言語学」
 ・ 「#1743. ICE Frequency Comparer」

Referrer (Inside): [2021-01-01-1]

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2020-02-22 Sat

#3953. アメリカ英語の non-rhotic 変種の起源を巡る問題 [ame][ame_bre][rhotic]

 母音が後続しない環境の r は,典型的にアメリカ英語では巻き舌で発音され (rhotic),イギリス英語では発音されない (non-rhotic) .これは英語の英米差のなかでも最もよく知られている違いである.伝統的な英語史では,この差異の起源は17世紀以降のイギリスからアメリカへの移民の出身地にあると説明される.ここでは説明を繰り返さないが,地図とともに「#2261. イギリスからアメリカへの移民の出身地 (1)」 ([2015-07-06-1]),および「#452. イングランド英語の諸方言における r」 ([2010-07-23-1]) と「#453. アメリカ英語の諸方言における r」 ([2010-07-24-1]) を参照されたい.ほぼ同じ解説は拙著の『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』(中央大学出版部,2011年)や『英語の「なぜ?」に答えるはじめての英語史』(研究社,2016年)でも繰り返してきた.
 しかし,イングランド南部の non-rhotic な発音が移民とともにアメリカの一部地域に持ち越されたという上記の伝統的な解説は,実はかなり単純化したものであり,実情はもっと複雑である.実際,ロンドン付近で non-rhotic な発音が流行ってきたのは18世紀半ばのことであり,アメリカ移民初期の17世紀には,いまだ non-rhotic は一般的ではなかった.したがって,上記の説にはアナクロ感が漂うのだ.この問題について Minkova (281) の解説を聞こう.

The development of North American rhotic accents is to a considerable extent a function of settlement patterns in colonial times. Though the original settlers on the East coast were mostly from the south and east of England, which are now non-rhotic, they arrived in the colonies long before 'dropping the -r' had become fashionable and codified there. The problem is not explaining where American rhoticity came from, --- it came from Southern and East Midland England originally, and later waves of settlers from Scotland and Ireland vigorously reinforced it --- but rather why non-rhoticity shows up anywhere in America. Since it only shows up in centres of education along the East Coast, not including Philadelphia, which has always been, and continues to be, rhotic, it may be that in the major political and trading centres, namely Boston, New York, Norfolk, Savannah, Alexandria and Charleston, the newly fashionable British r-less accent took root and was reinforced by regular travel to Britain. The Civil War is a watershed in the perception of rhoticity as prestigious: prior to it r-lessness was associated with the Bostonian and Virginian elite, but after 1870 New York was increasingly rhotic, the British model was much less important and rhoticity grained prestige.


 アメリカ英語で rhotic な発音が広く分布することは,多くの説明を要しない.移民初期の時代には,イングランドのどの地方でも(南部や東部でも)まだ rhotic が一般的であり,それがアメリカにそのまま持ち越されたと考えればよいからだ.むしろ non-rhotic な発音がいかにしてアメリカの一部地域に現われているのかというのが問題となる.移民当初より,non-rhotic な発音がイングランド南部・東部からアメリカにもたらされたとするのは,先にも述べたようにアナクロである.むしろ,ロンドンと結びつきの強い Boston, New York, Virginia などが,その後もロンドンとの不断の接触を続け,やがてロンドンで定着してきた non-rhotic な発音を大西洋の逆側でも真似ることになった,と考えるほうが妥当なのかもしれない.

 ・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.

Referrer (Inside): [2020-06-14-1]

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2020-02-20 Thu

#3951. 現代英語において /h/ の分布はむしろ拡がっている? [h][consonant][phonotactics][spanish][link][ame]

 英語の歴史において /h/ という子音音素の位置づけが不安定だったことについて,最近では「#3936. h-dropping 批判とギリシア借用語」 ([2020-02-05-1]),「#3938. 語頭における母音の前の h ばかりが問題視され,子音の前の h は問題にもされなかった」 ([2020-02-07-1]),「#3945. "<h> second" の2重字の起源と発達」 ([2020-02-14-1]) で触れてきた.過去にも以下の記事をはじめとして h の記事で話題にしてきた.

 ・ 「#214. 不安定な子音 /h/」 ([2009-11-27-1])
 ・ 「#459. 不安定な子音 /h/ (2)」 ([2010-07-30-1])
 ・ 「#1677. 語頭の <h> の歴史についての諸説」 ([2013-11-29-1])
 ・ 「#1292. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ」 ([2012-11-09-1])
 ・ 「#1675. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ (2)」 ([2013-11-27-1])
 ・ 「#1899. 中英語から近代英語にかけての h の位置づけ (3)」 ([2014-07-09-1])

 では,現代英語において問題の /h/ はどのくらい不安定なのか.標準英語から一歩離れれば Cockney を含む多くの変種で /h/ の存在が危ういという現実を知れば,不安定さは昔も今もさほど変わっていないだろうと想像されるが,そうでもないらしい.Minkova (115) は,むしろ /h/ が生起する音環境は拡がっているという事実があるという.歴史的には /h/ は原則として強勢のある語幹頭にしか現われなかったが,今やそれ以外の環境でも現われるようになっているという.しかも,この分布の拡大に貢献している要因の1つが,なんと /h/ をもたないはずのスペイン語だというのだから驚く.しかし,解説を読めば納得できる.

The overall picture is clear: in native words /h-/ remains stable only if it forms the single onset of a stressed syllable, which is tantamount to saying that in the native vocabulary this consonant is historically restricted to stem-initial position. The distribution of /h-/ is broadening, however. In the last century, Spanish-English bilingualism in the American Southwest has resulted in the formation of new varieties of Latino Englishes, which in their turn influence AmE. One such influence results in the acceptability of stem-internal /h-/, as in jojoba, mojo, fajita. Also ... /h-/ is retained in borrowings in the onset of unstressed syllables: rioha (1611), alóha (1825), mája (1832), fáham 'an orchid native to Mauritius' (1850), an it is formed natively as in Soho (1818), colloquial AmE doohickey [ˈduːhɪkɪ], yeehaw [ˈjiːhɑ], most recently the blend WeHo [ˈwiːhoʊ] 'West Hollywood' (2006).


 英語がスペイン語の <j> ≡ /x/ を取り込むときに,英語の音素として存在しない /x/ の代わりに,聴覚印象の近い /h/ で取り込む習慣があるから,というのが答えだ.英語は /h/ 音素をもたない(しかし綴字としては <h> をもつ)ラテン語やロマンス諸語から多大な影響を受けながら,やれ綴字発音 (spelling_pronunciation) だ,やれスペイン語の /x/ の代用だといいつつ,意外と /h/ の地位を補強してきたのかもしれない.
 引用中にある Latino English については「#2610. ラテンアメリカ系英語変種」 ([2016-06-19-1]) を参照.

 ・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.

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2019-11-27 Wed

#3866. Lumbee English [variety][world_englishes][ethnic_group][ame]

 アメリカ英語の民族変種の1つとして "Lumbee English" と呼ばれる変種があることを Smith and Kim (296--97) によって知った.
 ミシシッピ川の東側における最大のアメリカ先住民とされるラムビー族 (Lumbee) の中心地は,失われた植民地として有名な Roanoke からさほど遠くない,North Carolina の Robeson 郡である.彼らの話す言語は,先住民族固有の土着の言語ではなく,あくまでアメリカ英語である.しかし,それは同民族と結びつけられている独特なアメリカ英語であり,Lumbee English と称されるものである.Robeson 郡の人口構成は複合的であり,40%はアメリカ先住民,35%はヨーロッパ系アメリカ人,25%はアフリカ系アメリカ人とされる.この3者が3様のアメリカ英語変種を話しており,その1つが Lumbee English というわけだ.
 同郡の他の変種と重なる言語特徴も少なくないが,Lumbee English には標準英語とは異なる次のような項目が観察される.

 ・ be 動詞の was/is の規則化(were/are は用いられない): they was dancin' all night.
 ・ 現在分詞に接頭辞 a- を付す語法: my head was just a'boilin.
 ・ 否定の were の規則化: she weren't here.
 ・ 完了の beI'm been there.
 ・ 語彙: ellick (クリーム入りコーヒー)

 若い世代の話者による Lumbee English は,同郡で話されているアフリカ系アメリカ人の英語変種と重なる部分も多いようだが,それでも十分な独立性を保っているために,独自の変種とみなされている.複数の民族の交わる複合的な言語接触から生まれた,独特のアメリカ英語変種として興味深い.

 ・ Smith, K. Aaron and Susan M. Kim. This Language, A River: A History of English. Peterborough: Broadview P, 2018.

Referrer (Inside): [2021-08-12-1]

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2019-02-12 Tue

#3578. 黒人英語 (= AAVE) の言語的特徴 --- 語彙,語法,その他 [aave][variation][variety][slang][lexicon][ame]

 「#3576. 黒人英語 (= AAVE) の言語的特徴 --- 発音」 ([2019-02-10-1]),「#3577. 黒人英語 (= AAVE) の言語的特徴 --- 文法」 ([2019-02-11-1]) に続き,McArthur より AAVE の言語的特徴を紹介する.今回は語彙,語法,その他について.

 (1) goober (peanut), yam (sweet potato), tote (to carry), buckra (white man) などは西アフリカの語彙に遡る.

 (2) 内集団で homeboy / homegirl (自分の近所出身の囚人),homies (homegirls) などが用いられる.

 (3) ある集団を軽蔑して呼ぶ名称として honkie / whitey (白人),redneck / peckerwood (田舎の貧しい(南部の)白人)などが用いられる.

 (4) 俗語として bad / cool / hot (良い),crib (家,住居),short / ride (車)などが用いられる.

 (5) 日常的な語法として,stepped-to ((喧嘩で)有利な),upside the head (頭のところで(殴られる)),ashy ((皮膚が)脱色して)などが用いられる.

 (6) 多くの AAVE 表現が,アメリカ英語の口語にも拡がっている.hip / hep (ポピュラーカルチャーに通じている人),dude (男)

 (7) アフリカの口頭伝統に由来する様々な表現が,やはりアメリカ英語の口語に拡がっている.the dozens (相手の母親に対する侮辱発言),rapping (雄弁で巧みな言葉遣い),shucking / jiving (白人を言葉巧みにからかったり,だましたりすること),sounding (言葉による対決)など.

 とりわけ語彙や表現の領域で顕著なのは,上にも述べたように,一般のアメリカ英語の口語・俗語にも多く入り込んでいることだ.アメリカ英語を論じる上で(ということは,ある程度は標準英語を論じる上でも),AAVE は無視できないくらいの存在感をもっているのである.とりわけ AAVE のポップカルチャーの言語への影響力は大きい.

 ・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.

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2018-04-20 Fri

#3280. アメリカにおける民族・言語的不寛容さの歴史的背景 [sociolinguistics][aave][ame_bre][ame][linguistic_ideology][ethnic_group]

 英語を主たる言語としてもつ英米両国では,言語における標準 (standard) のあり方,捉え方が異なる.イギリスでは標準的な発音である RP が存在するが,アメリカでは RP に相当する威信をもった唯一の発音は存在しない.また,標準と非標準を区別する軸は,イギリスでは階級 (class) といえるが,アメリカでは民族 (ethnic group) にあるというべきだろう.この違いは両国の歴史と社会を反映している.以下,18世紀以降のアメリカの状況を Milroy and Milroy (157--58) に従って略述しよう.
 アメリカが民族という観点から,例えば AAVE のような英語変種に対する寛容さを欠いているのには歴史的な背景がある.18世紀までは,アメリカにも言語的寛容さが相当に存在した.国家としても話者個人としても多言語使用は日常の事実だったのだ.まず第1に,18世紀のアメリカには,植民地支配の伝統を有する支配的な言語として,英語のほかにスペイン語やフランス語も存在していた.南西部やフロリダでは,むしろ英語よりもスペイン語を使用する伝統のほうが長かったし,フランス語の伝統を受け継ぐ地域もあった.第2に,初期の植民者たちはアメリカ先住民の諸言語に触れてきた経緯があり,ほかにドイツ人植民者のコミュニティなどもあった.アメリカにおける全体的な英語の優勢は疑い得なかったとしても,多言語使用は社会的に忌避される対象などではなかった.
 ところが,19世紀が進むにつれ多言語使用に対する寛容さが失われ,英語偏重思想が表出してきた.これには,世紀半ばのゴールド・ラッシュが1つの契機となっている.中国人移民が金を求めて西部に大量に入ったことにより,強烈な排外思想が生まれた.1848年のアメリカによる南西部メキシコ領の併合も,スペイン語話者に対する英語話者の優勢思想を惹起し,民族・言語的不寛容を増長させるのに一役買った.そして,1878年にはカリフォルニアが初の「英語オンリー」の州となった.このような不寛容な社会風潮のなかで,先住民の諸言語も軽視されるようになった.最後に,奴隷貿易や南北戦争の歴史も,当然ながらこの民族・言語的不寛容の重要な背景をなしている.その後,この風潮は,20世紀,そして21世紀にも受け継がれている.
 Milroy and Milroy (160) のまとめに耳を傾けよう.

In the US, bitter divisions created by slavery and the Civil War shaped a language ideology focused on racial discrimination rather than on the class distinctions characteristic of an older monarchical society like Britain which continue to shape language attitudes. Also salient in the US was perceived pressure from large numbers of non-English speakers, from both long-established communities (such as Spanish speakers in the South-West) and successive waves of immigrants. This gave rise in the nineteenth and twentieth centuries to policies and attitudes which promoted Anglo-conformity. To this day these are embodied in a version of the standard language ideology which has the effect of discriminating against speakers of languages other than English --- again an ideology quite different from that characteristic of Britain.


 ・ Milroy, Lesley and James Milroy. Authority in Language: Investigating Language Prescription and Standardisation. 4th ed. London and New York: Routledge, 2012.

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