次の各文の赤字の部分をみてください.いずれもその形態だけみれば名詞(句)ですが,文中での働き(統語)をみれば副詞として機能しています.前置詞 (preposition) がついていれば分かりやすい気もしますが,ついていません.形式は名詞(句)なのに機能は副詞というのは何か食い違っているように思えますが,このような例は英語では日常茶飯で枚挙にいとまがありません.
・ I got up at five this morning.
・ Every day they run ten kilometers.
・ He repeated the phrase twice.
・ She lives just three doors from a supermarket.
・ We cook French style.
・ You are all twenty years old.
・ They travelled first-class.
上記のような副詞的に用いられる名詞句は,歴史的には副詞的対格 (adverbial_accusative),副詞的与格 (adverbial dative),副詞的属格 (adverbial_genitive) などと呼ばれます.本ブログでも歴史的な観点から様々に取り上げてきた話題です.
昨日大学院生により公表された「英語史導入企画2021」のためのコンテンツ「先生,ここに前置詞いらないんですか?」は,この問題に英語史の観点から迫った,読みやすい導入的コンテンツです.古英語の事例を提示しながら,最後は「名詞が副詞の働きをするというのは,格変化が豊かであった古英語時代の用法が現代にかすかに生き残ったものなのである」と締めくくっています.
古英語期に名詞(句)が格変化して副詞的に用いられていたものが,中英語期以降に格変化を失った後も化石的に生き残ってきたという説明は,およそその通りだと考えています.一方で,それだけではないとも思っています.とりわけ時間,空間,様態に関わる副詞が,名詞(句)から発達するということは,歴史的な格変化を念頭におかずとも,通言語的にありふれているように思われるからです.日本語の,「昨日」「今日」「明日」「先週」「来年」はもとより「短時間」「半世紀」「未来永劫」や「突然」「畢竟」「誠心誠意」も形態的には典型的な名詞句のようにみえますが,機能的には副詞で用いられることも多いでしょう.
上記コンテンツで例示されているように,古英語には名詞が対格・与格・属格に屈折して副詞として用いられている例は多々あります.しかし,例えば hwīlum ("sometimes, once"; > PDE whilom) などは,語源・形態的には語尾の -um は複数与格を表わすとはいえ,すでに古英語の時点で語彙化していると考えられます.名詞 hwīl (> PDE while) が格屈折したものであるという意識は,古英語話者にすら稀薄だったのではないかと想像されるのです.屈折の衰退を待たずして,古英語期にも名詞由来の hwīlum がすでに副詞として認識されていた(もし仮に認識されることがあったとして)のではないかと思われます.
中英語期以降の格変化の衰退が,現代につながる「副詞的名詞(句)」の拡大に貢献したことは認めつつも,歴史的経緯とは無関係に,時間,空間,様態などを表わす名詞(句)が副詞化する傾向は一般的にあるのではないでしょうか.
大学院生より標記の指摘を受けた(←ナイスな指摘をありがとう).副詞としての「この頃」は前置詞なしの these days が普通なのに対して,「その頃,あの頃」は in those days と前置詞 in を伴う.今までまったく意識したことがなかったが,確かにと唸らされた.このチグハグは何なのだろう.
OED で these days を調べてみると,前置詞を伴わないこの形式は,かなり新しいようだ.初例が1936年となっている.その1世紀足らずの歩みを OED からの4つの例文で示すと次のようになる.
1936 R. Lehmann Weather in Streets i. v. 97 An estate like this must be a terrible problem these days.
1948 M. Dickens Joy & Josephine i. iv. 132 'Play golf?' Mr. Gray asked George, who answered: 'Not these days,' as if he ever had.
1960 S. Barstow Kind of Loving ii. iii. 181 He looks as though he's walked out of an American picture. It's all Yankeeland these days.
1981 Woman 5 Dec. 5/1 These days women are educated to expect some choice in how they spend their lives.
それより前の時代には in these days という前置詞付きの表現が普通だったようだ.後期近代英語コーパス CLMET3.0 でざっと検索してみたところ,次のような結果となった.
Period (subcorpus size) | in these days | these days |
---|---|---|
1710--1780 (10,480,431 words) | 10 | 0 |
1780--1850 (11,285,587) | 56 | 1 |
1850--1920 (12,620,207) | 93 | 9 |
・ (from 1780--1850): Mr. Williams has been here both these days, as usual;
・ (from 1850--1920): SHAWN. Aren't we after making a good bargain, the way we're only waiting these days on Father Reilly's dispensation from the bishops, or the Court of Rome.
・ (from 1850--1920): PEGEEN. If they are itself, you've heard it these days, I'm thinking, and you walking the world telling out your story to young girls or old.
・ (from 1850--1920): "I'm as busy as Trap's wife these days;
・ (from 1850--1920): "My predecessor," said the parson, "played rather havoc with the house. The poor fellow had a dreadful struggle, I was told. You can, unfortunately, expect nothing else these days, when livings have come down so terribly in value! He was a married man--large family!"
・ (from 1850--1920): "He has no right!" Father Wolf began angrily--"By the Law of the Jungle he has no right to change his quarters without due warning. He will frighten every head of game within ten miles, and I--I have to kill for two, these days."
・ (from 1850--1920): "That is because we make you fisherman, these days. If I was you, when I come to Gloucester I would give two, three big candles for my good luck."
・ (from 1850--1920): I have literally not had time to write a line of my diary all these days.
・ (from 1850--1920): "One gets to know that birds have shadows these days. This is a bit open. Let us crawl under those bushes and talk."
・ (from 1850--1920): I do not love to think of my countrymen these days; nor to remember myself.
both や all が先行していると前置詞が不要となる等の要因はあったかもしれない.全体的には,口語的な文脈が多いようだ.in が脱落して現在の形式が現われ始めたのは19世紀後半のこととみてよさそうだ.
現代英語の go home における home は,辞書や文法書では副詞とされているが,歴史的には「#783. 副詞 home は名詞の副詞的対格から」 ([2011-06-19-1]) でみたように「家」を表わす名詞の対格である.古英語では移動や方向を表わす対格の用法があり,対格が単独で副詞的機能を果たすことができた.古英語の hām は男性強変化名詞で対格と主格が同形だったために,後に名詞がそのまま副詞的に用いられているかのように捉えられ,ついに副詞として再解釈されるに至った.
しかし,be home や stay home という表現における home についてはどうだろうか.歴史的に副詞として再解釈されたのは,移動や方向を表わす対格としての hām である.「在宅して,家に」のという静的な意味で用いられるようになったのは,home が副詞として捉えられるようになった後の,意味の静的な方向への拡張ということだろうか.一方で,「ただいま」に相当する I'm home. は,「今帰ってきた」 (= I've come home.) ほどを意味し,静的というよりも動的な移動の含みが強く,古英語の対格用法との連続性が感じられなくもない.深く調査したわけではないのだが,この問題について OED の home, adv. が興味深い示唆を与えてくれているので,紹介しよう.
OED の例文などから総合すると,静的な副詞としての home の発達には,2つの経路が考えられる.1つは,本来,動的な副詞であるから go や come などの移動動詞と共起するのが普通だが,「行く」に近い動的な意味で用いられた be と共起することは近代英語でもあった.I'll be home. や Now I'm home to bed. は be と共起しているが,be にせよ home にせよ動的な意味で用いられている.このような構文が契機となり,home が状態動詞と共起するようになり,静的な意味が発展した可能性がある.あるいは,しばしば移動動詞は特に助動詞の後で省略されたために,I'm (gone) home. のような完了形における移動動詞の省略に端を発するものとする見方もある.
もう1つの経路は,古英語(以前)の位格形に由来するというものだ.古英語までに位格は与格に吸収されていたが,この語の与格形には男性強変化名詞として予想される hāme と並んで,古い位格形の反映と思われる hām (ex. æt hām) も文証される.静的な副詞の起源を,この hām(e) に求めることができるのではないか.実際,Old High German, Middle Low German, Old Icelandic などの同系言語では,対格と与格(位格)の用法と形態の区別が文証されており,古英語に平行性を認めることは不可能ではないかもしれない.
しかし,この第2のルートは,静的な意味の発生時期を考慮すると,受け入れがたいように思われる.静的な用法の初例は OED では16世紀となっており,MED hōm (adv.) の用例からも静的用法は確認されない.近代以降の発生であるならば,古英語(以前)の位格に由来するという第2のルートは想定しにくくなる.有力なのは,第1のルートだろう.
なお,「ただいま」としての I'm home. を除けば,状態動詞とともに用いられる静的な home は,アメリカ英語での使用が多く,イギリス英語では at home を用いることが多いようだ.
現代英語の名詞には副詞的目的格という用法がある.目的格は歴史的な対格を指すので,この用法は副詞的対格 (adverbial accusative) とも呼ばれる.名詞(句)が副詞(句)として用いられる副詞的目的格の使用例は枚挙にいとまがないが,典型的な例を少数挙げると以下のようなものがある(赤字が副詞的目的格におかれている名詞(句)).
- It's fine today.
- Come this way.
- They walked ten miles.
- We are united to each other heart and soul.
- What the hell is all this?
現代英語で当たり前のように副詞的に使われている go home も起源をたどれば名詞 home の目的格にすぎない.古英語 hām は男性強変化名詞であり,単数主格と単数対格が同形のために形態上は区別がつけられないが,And hiȝ cyrdon ealle ham "And they all returned home" などにおいて,明らかに方向を示す対格として用いられている.
このような home が副詞として解釈され,近代期には「家へ(帰る)」という方向の意味から「家に(いる)」という位置の意味へと拡大していった.さらに,「本拠地へ,納まるべき所へ」から「ねらった所へ,まともに」の意味が生じ,drive a nail home や The spear struck home to the lion's heart. などの表現が生み出された.現代の成句 bring sth home to sb や come home to sb における「痛切に」の含意もこの延長線上にある.
- It suddenly came home to him that he was never going to see Julie again.
- The sight of his pale face brought home to me how ill he really was.
上に挙げた一つ目の成句 came home to him を統語分析すると,一方では home が副詞として,他方では to him が前置詞句としてそれぞれ came を修飾するとして解されるかもしれない.しかし,成句の意味と home の歴史的な意味と用法を考慮すると,むしろ to him が home という名詞に与格として「彼(にとって)の(理解の)核心」ほどの意でかかってゆき,home が方向を表わす副詞的対格として came にかかってゆくと解釈するほうが,成句の表わす意味を理解しやすい.
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