緊張状態だったウクライナ情勢が一線を越えていまい,たいへん憂えています.今朝アップした Voicy の「英語の語源が身につくラジオ」 では,平和を祈りつつ,そして今回の情勢の歴史的背景の理解に資するべく,謹んで「ウクライナ(語)について」という話題をお届けしています.どうぞお聴きください.関連する hellog 記事セットも合わせてどうぞ.
話は変わりますが,「#4672. 知識共有サービス「Mond」で英語に関する素朴な疑問に回答しています」 ([2022-02-10-1]) で触れた通り,この3週間ほど「Mond」に寄せられてくる英語史,英語学,言語学の質問に回答しています.手に負えないほどの難問が多くすでにアップアップなのですが,これまで以下の10点に回答してきました.「回答」とはおこがましい限りで,質問をトリガーとして私が考えたことを書いてみた,という点で本ブログの活動の延長線なのですが,おもしろがってもらえればと思います.新着順に列挙します.
・ 各言語の発声法と声の高さには関係があるのでしょうか
・ 英語は他言語との言語接触により屈折や曲用などが無くなっていったとのことですが,こと音声についてはそのような傾向が見られないのはどうしてでしょうか?
・ 言語によって音素の数が大きく異なるのはなぜでしょうか?
・ 今現在たくさんのことわざや故事成語がありますが,今はまだ生まれていないことわざや故事成語が今後数百年で生まれる可能性はありますか?
・ 同じ発音なのにまったく意味の違う言葉が存在するのはなぜでしょうか?
・ 「日本語ならSOV型,英語ならSVO型,アラビア語ならVSO型,など言語によって語順が異なりますが,これはどのような原因から生じる違いなのでしょうか?」
・ 「アメリカ英語とイギリス英語,オーストラリア英語の関係は,日本で言う方言とは異なるものなのでしょうか?」
・ 「音韻論と音声学の違いがよく分からないのですが,具体例を用いて教えてください.」
・ 「ドイツ語やフランス語は「女性名詞」と「男性名詞」という分類がありますが,どのような理屈で性が決まっているのでしょうか?」
・ 「言語が文化を作るのでしょうか?それとも文化が言語を作るのでしょうか?」
言語音にはピッチ (pitch) という属性がある.高い声の人,低い声の人もいれば,同じ人でも高い声で話すとき,低い声で話すときがある.話者個人の問題というよりも,言語的な特徴としてのピッチもある.抑揚 (intonation),高低アクセント (pitch accent),声調 (tone) などがそれである.
ピッチは周波数 (frequency) と関連が深い.両者は同一視されることも多いが,厳密にいえば周波数は音の高低に対応する物理的な指標であり,ピッチはそのような音の高低に対する心理的な指標である.前者は音響音声学的な指標,後者は聴覚音声学的な指標といってもよいだろう.この点について,言語学百科辞典の PITCH の項より2カ所ほど引用する.
When an object vibrates, its movement produces changes in air pressure that radiate like waves from the source. If the frequencies of the vibrations are roughly between 20 and 20,000 cycles per second, or Hertz (Hz), ideally they can be heard by a young, healthy human listener. The range of hearing frequencies declines with age. The physical characteristic of the vibrating body, frequency, produces a psychological experience called pitch. In general, a low frequency produces the sensation of a low pitch (for example, the 60 Hz hum produced by electrical power in a poorly grounded radio), with the pitch increasing as the frequency increases (a male voice at 100 Hz, a female voice at 200 Hz, a child's voice at 300 Hz). Because there is a close correspondence between frequency and pitch, people frequently use the terms interchangeably. However, in addition to frequency, the sensation of pitch is influenced by an interaction between the amplitude of the vibration and the range of the frequency. Pitch is also influenced by the complexity of the vibration and its corresponding wave form. (623)
Pitch is closely related to the physical stimulus frequency, but as a psychological event, it is influenced by the complexity, frequency range, and loudness of the tone. (624)
要点は,音響装置が機械的に感知する言語音の高さ(周波数)と人間が感知する言語音の高さ(ピッチ)は,確かに密接な関係はあるもののイコールではないということだ.ピッチは,言語音の音響学的な要因のほかにも,他の様々な要因の影響を受けて決まる.関連して「#2687. 言語音の周波数と音圧レベル」 ([2016-09-04-1]) も参照.
・ Hogan, Patrick Colm, ed. The Cambridge Encylopedia of the Language Sciences. Cambridge :CUP, 2011.
言語音は音の一種である.音は弾性体の中を伝わる縦波であり,典型的には空気などの媒質が進行方向に沿って往復運動し,伝搬されてゆく.人間を含め多くの動物が音を利用してコミュニケーションを取っている.言語音に関して,音響学的な基礎をさらっておこう.以下,数値の出典は,Crystal (34) および戸井 (26--28, 34) .
音(波)の振動の属性には,周波数と音圧レベルがある.周波数とは,1秒間の音波の振動数,すなわち音の高さを表わす.単位には Hz (ヘルツ)を用いる.20Hzより低い音は超低周波 (infrasonics) と呼ばれ,人間は揺れとして感じることはあるが,耳では感じ取れない.また,20000Hzより高い音は超音波 (supersonics) といい,やはり耳では感じ取ることができない.人間が音として感知できるのは20--20000Hzということになる.また,老化とともに聞き取れる音の範囲が狭くなり,特に周波数の高い音が聞き取りにくくなるとされる.
だが,言語としては,人間の聞き取れるこの広い帯域の隅から隅までを使いこなしているわけではない.発音する側の制約もあり,通常の発話では100--4000Hzが用いられる.通常,成人男性の発声は90--130Hzであり成人女性の発声は250--330Hzである.生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声は400Hzと高い.NHKの時報は440--880Hz,救急車のサイレンは770--960Hzである.
ちなみに,動物が聞き取れる音の範囲は人間と異なっている.鳥類は200--8000Hz,ゾウは10--12000Hz,イヌは15--50000Hz,ネコは60--65000Hz,イルカは150--150000Hz,コウモリは1000--120000Hzとまちまちである.それぞれが聞き取り能力を活用して種独自のコミュニケーションに役立てていることはよく知られている.
次に,音圧レベルに移ろう.こちらは音波の振幅に関する属性であり,音の大きさを表わす.単位には dB (デシベル)を用いる.人間の通常の会話は60dBほどであり,ささやき声は30dB,聞き取れる最も小さな音は0dBである.比較として,近くで聞く蝉の鳴き声は70dB,近くで聞く救急車のサイレンは80dB,ガード下で聞く列車の音は100dB,近くで聞く飛行機のエンジン音は120dBである.
・ Crystal, David. How Language Works. London: Penguin, 2005.
・ 戸井 武司(監修) 『音の大研究 性質・役割から意外な活用法まで』 2016年.
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