昨日の記事「#3949. 津波が現代英語の音素体系に及ぼした影響」 ([2020-02-18-1]) に引き続き,似たような話題を Minkova (148--149) より提供したい.昨日の記事で,現代的な現象として語頭に [ts-] という子音群が立つ借用語の例を紹介したが,さらに最近の注目すべき語頭の子音群として [ʃm-, ʃl-, ʃt-] を挙げる.これらも借用語に起源をもつという点で非英語的な子音連鎖ではあるが,様々な言語をソースとする [ts-] とは異なり,ソースがほぼ特定される.世界中のユダヤ系の人々が用いているイディッシュ語 (yiddish) である.イディッシュ語は,「#182. ゲルマン語派の特徴」 ([2009-10-26-1]) のゲルマン語派の系統図で示したように,歴とした西ゲルマン語群に属する言語である.
第2次世界大戦後,アメリカ合衆国をはじめとする英語圏に広く移住したイディッシュ語話者が,自言語の語彙とともに,上記の特徴的な子音連鎖を英語に持ち込んだ.そして,その話者集団の文化的な影響力ゆえに,問題の子音連鎖が英語のなかで「市民権」を獲得してきたという次第である.しかし,その「市民権」たるや,何かさげすむような,おどけたような独特の含蓄をもちつつ,生産的な魅力を放っているのである.例として schmaltz (過度の感傷主義), schmooze (おしゃべり), schmuck (男性器), shtetl (小さなユダヤ人町), shtick (こっけいな場面), shtum (黙った), shtup (セックス)など.schm- [ʃm-] に至っては,独特の音感覚性 (phonaesthesia) を示す生産的な要素となっている.
Minkova (148--149) の解説を引用しよう.
After World War II, Yiddish is spoken by more people in English-speaking countries --- US, Canada, Australia and Great Britain together --- than in Continental Europe or Israel. Large Yiddish communities in New York, Los Angeles, Melbourne and Montreal have contributed to the recognition and integration of new vocabulary and new consonant clusters: [ʃm-, ʃl-, ʃt-], which have become productive phonaesthemes in PDE. With at least a quarter of a million Yiddish speakers in North America, and a strong presence of Yiddish culture in film, TV and literature, familiarity with these clusters is to be expected and there is no attempt to assimilate them to some native sequence. What is more, the onset <schm-> [ʃm-], treated as a 'combining form' since 1929 by the OED, is clearly productive in playful reduplication, generating mildly disparaging or comic attention-getters: madam-shmadam, able-shmable, holy-shmoly, the Libros Shmibros lending library in Los Angeles.
昨日取り上げた [ts-] にしても,今回の [ʃm-, ʃl-, ʃt-] にしても,英語が様々な言語と接触し,語彙を取り込むと同時に,そこに付随する独特な音素配列をも取り込んできた経緯がよく分かる.言語接触 (contact) の機会が多ければ,間接的な形で音素体系にもその影響が及ぶことを示す好例といえるだろう.
・ Minkova, Donka. A Historical Phonology of English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2014.
言語接触に伴う借用 (borrowing) は,音韻,語彙,形態,統語,意味の各部門で生じており,様々に研究されてきた.しかし,「#1988. 借用語研究の to-do list (2)」 ([2014-10-06-1]) で触れたように語用論的借用についてはいまだ研究が蓄積されていない.「#1989. 機能的な観点からみる借用の尺度」 ([2014-10-07-1]) で論じたように,談話標識 (discourse_marker) や態度を表わす小辞の借用などはあり得るし,むしろ生じやすくすらあるかもしれないと言われるが,具体的な研究事例は少ない.
少ないケーススタディの1つとして,Prince の論文を読んだ.Yiddish の背景をもつ英語変種 (Yiddish English) において,目的語や補語などを文頭にもってくる 語順が標準英語における焦点化の機能とは異なる機能で利用されている事実があり,それは Yiddish において対応する語順のもつ談話機能が借用されたものではないかという.
標準英語では,目的語や補語を頭に出す Focus-Movement は文法的である.例えば,
(1) Let's assume there's a device which can do it --- a parser let's call it.
では,let's call it の部分が旧情報として前提とされており,情報構造の観点から新情報 a parser が文頭に移動されて,焦点を得ている.
Yiddish English でみられる対応する移動 (Yiddish-Movement) でも,似たような前提と焦点化は確認されるが,少し様子が異なっている.例えば,Yiddish English から次のような例文を挙げてみよう.
(2) "Look who's here,' his wife shouted at him the moment he entered the door, the day's dirt still under his fingernails. "Sol's boy." The soldier popped up from his chair and extended his hand. "How do you do, Uncle Louis?" "A Gregory Peck," Epstein's wife said, "a Montgomery Clift your brother has. He's been here only 3 hours, already he has a date."
ここで a Montgomery Clift your brother has と移動が起こっているが,標準英語の (1) の場合と異なるところがある.両例文ともに,程度の差はあれ前提や焦点化の機能が働いていると解釈できるが,(1) では前提部分が聞き手の意識の中にある,すなわち顕著 (salient) であるのに対して,(2) では前提部分が顕著でない.したがって,標準英語の使い手にとって,(2) は語順文法として違反はしていないが,なぜ顕著でない文脈において目的語をわざわざ頭に出すのだろうと,話者の意図を理解しにくいのである.標準的な Focus-Movement と Yiddish English に特有の Yiddish-Movement では,その談話機能が若干異なっているのである.
Yiddish-Movement の談話機能の特徴は,前提部分が salient でなくても,とにかく焦点化として用いられる点にある.では,この Yiddish-Movement の談話機能はどこから来ているのかといえば,いうまでもなく Yiddish であるという.Prince (515) 曰く,". . . Yiddish-English bilinguals presumably found English Focus-Movement to be syntactically analogous to Yiddish Focus-Movement and associated with the former the discourse function of the latter."
このような談話機能の借用を定式化すると,次のようになるだろう (Prince 517) .
Given S1, a syntactic construction in one language, L1, and S2, a syntactic construction in another language, L2, the discourse function DF1 associated with S1 may be borrowed into L2 and associated with S2, just in case S1 and S2 can be construed as syntactically 'analogous' in terms of string order.
これは統語・語用的な借用とでもいうべきものだが,単語における意味借用 (semantic_borrowing) と似ていなくもない.言語において後者が広く観察されるように,前者の例も少なくないのかもしれない.
・ Prince, E. F. "On Pragmatic Change: The Borrowing of Discourse Functions." Journal of Pragmatics 12 (1988): 505--18.
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