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2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
「#4254. 講座「英語の歴史と語源」の第8回「ジョン失地王とマグナカルタ」のご案内」 ([2020-12-19-1]) でお知らせしたように,12月26日(土)の15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・8 ジョン失地王とマグナカルタ」と題して話しました.ゆっくりと続けているシリーズですが,毎回,参加者の皆さんから熱心な質問やコメントをいただきながら,楽しく進めています.ありがとうございます.
今回は英語史としてもイングランド史としても地味な13世紀に注目してみました.歴代イングランド王のなかで最も不人気なジョン王と,ジョンが諸侯らに呑まされたマグナカルタを軸に,続くヘンリー3世までの時代背景を概観した上で,当時の英語を位置づけてみようと試みました.そして最後には,同世紀の初期と後期を代表する中英語の原文を堪能しました.難しかったでしょうか,どうだったでしょうか.私自身も,資料を作成しながら,地味な13世紀も見方を変えてみれば英語史的に非常におもしろい時代となることを確認できました.
講座で用いたスライドをこちらに公開しておきます.以下にスライドの各ページへのリンクも張っておきます.
1. 英語の歴史と語源・8 「ジョン失地王とマグナカルタ」
2. 第8回 ジョン失地王とマグナカルタ
3. 目次
4. 1. ジョン失地王
5. 関連略年表
6. 2. マグナカルタ
7. マグナカルタの当時および後世の評価
8. Carta or Charter
9. Magna or Great
10. ヘンリー3世
11. 3. 国家と言語の方向づけの13世紀
12. 4. 13世紀の英語
13. The Owl and the Nightingale 『梟とナイチンゲール』の冒頭12行
14. "The Proclamation of Henry III" 「ヘンリー3世の宣言書」
15. まとめ
16. 参考文献
次回のシリーズ第9回は2021年3月20日(土)の15:30?18:45を予定しています.話題は,不運にもタイムリーとなってしまった「百年戦争と黒死病」です.戦争や疫病が,いかにして言語の運命を変えるか,じっくり議論していきたいと思います.詳細はこちらからどうぞ.
標題は,問うまでもないと思われるような疑問かもしれませんが,当たり前の事実こそ,その背景を探ることに意味がある,というケースは少なくありません.現在では,英語といえば英国よりも先に米国のことを思い浮かべる人が多いと思いますが,歴史的には米国は後発の英語国です.17世紀初頭にイギリスの植民地としてスタートした,英語を用いる地域としては歴史の浅い国です.
米国が著しい移民の国であることはよく知られています.アイルランドを含むイギリス諸島からの移民にとどまらず,17世紀後半からはドイツなどヨーロッパ諸国からの移民も多くやってきましたし,19世紀後半からはアジアやアフリカ,そして20世紀には世界中から人々が押し寄せました.世界中の異なる言語を話す人々が,アメリカンドリームを抱いて米国を目指したのです.
とすると,英語を筆頭としつつも複数の異なる言語が並び立ち,名実ともに多言語国家となる可能性もあったはずです.事実,米国では多言語使用は認められていますし行なわれてもいますが,現実的にいえば,英語が圧倒的に有力な唯一の言語であるといえるでしょう.これはなぜなのでしょうか.歴史的に考えてみましょう.
様々な言語の話者が次々と米国に移民としてやってきたことは確かですが,最初期に移民文化の下敷きを作ったのは,何といってもイングランド,スコットランド,アイルランドなどイギリス諸島出身の人々,つまり英語話者でした.最初に敷かれた英語インフラが,後々まで影響を及ぼしたということです.まず第一に,この事実が効いています.
もう1つ,西部開拓に代表されるパイオニア精神に裏付けられた移民たちの移動性・可動性 (mobility) も効いています.社会のなかで広く動く人々というのは,言語を含む文化を平準化する人々でもあります.そのような社会では,各々の土地に固有の言語や方言が発達しにくく,むしろ全体として平板化していきます.もともと多くのシェアをもっていた英語はそのような平板化のマグネットとして機能し,対する他の諸言語は拡散する機会を得られなかったのです.
さらにいえば,他の諸言語の存在感が薄められつつ英語一辺倒の社会へ収斂していく過程において,英語内部の方言差すら平板化していきました (dialect_levelling) .イギリス英語に比べてアメリカ英語に地域による方言差が少ないのも,移民社会という事情が関与しています.
この辺りは,歴史社会言語学的にたいへんおもしろい話題です.関心をもった方は,##2784,158,591の記事セットをご覧ください.
昨日の記事 ([2020-12-28-1]) に引き続き続き,入門書などのタイトルに用いられる標記の表現について.昨今の本では定番文句となっているが,その走りがいつだったのか気になってきた.いくつかの歴史コーパスでざっと調べてみたが,そのうち2つを紹介.
まず現代にほど近い時期から.後期近代英語のコーパス CLMET3.0 で検索してみると,第3期 (1850--1929) から "Atheism made easy" が挙がってきた.さらにさかのぼって第1期 (1710--1780) からも Farriery made Easy なる例が得られた.
となれば,もっと早い時期の例を求めて初期近代英語期の EEBO corpus に当たってみたくなる.そこで探し出したのが,Thomas Edwards (1599--1647) なる著者が1644年に出した "Antapologia, or, A full answer to the Apologeticall narration of Mr. Goodwin, Mr. Nye, Mr. Sympson, Mr. Burroughs, Mr. Bridge, members of the Assembly of Divines wherein is handled many of the controversies of these times, viz. ... : humbly also submitted to the honourable Houses of Parliament" という本だ.(当時の本は,タイトルというよりは説明書きというべき,このように長いものが多い).その一部を引用する.
dialling made easy: or, tables calculated [.] # for the latitude of oxford, (but will serve without sensible difference for most parts of england:) by the help of which, and a line of chords, the hour-lines may quickly and exactly be described upon most sorts of useful dials: [.] # with some brief directions for making two sorts of spot-dials:
EEBO から取り出したこの文脈は完全なものではなく,明確には分からないところもあるのだが,dialling は日時計・羅針盤による時間測量の技術のことのようだ.すでに当時より XXX Made Easy が現代のような定番文句になっていたかどうかは怪しいにせよ,その走りの1例とみることはできるのかもしれない.
さらに中英語までさかのぼってみようと思ったが,ここで時間切れ.ここまででも十分にさかのぼった感あり.
数週間前にゼミ生の間で盛り上がった話題を紹介したい.Time 誌 の The Best Inventions of 2020 に,圧力釜調理器 Chef iQ Smart Cooker という商品が取り上げられていたという.こちらのページでフィーチャーされているが,問題はそのタイトル "Meals Made Easy" である.これはどのような構文であり,どのような意味なのだろうか.
数日間,学生のあいだで様々に議論がなされ,大変おもしろかった.小さなことではあれ,日々の生活のなかで抱いた疑問を披露し,皆で議論するというのは,とても贅沢で大事な体験.素晴らしい!
では,改めて本題に.話し合いの結果,出された意見は様々だった.「簡単に作られた食事」という意味で easy は実は単純副詞 (flat_adverb) なのでないかという見解が出された一方,使役の make の受け身構文であり easy はあくまで形容詞として用いられており「簡単にされた食事」ほどであるという見方もあった.全体として「楽ちんご飯」ほどのニュアンスだろうということは皆わかっているけれども,文法的に納得のいく説明は難しい,といったところで議論が打ち止めとなった.
結論からいえば,これは使役の make の受け身構文である.伝統文法でいえば第5文型 SVOC がベースとなっている.(This cooker) makes meals easy. ほどを念頭におくとよい.これを受け身にすると "Meals are made easy (by this cooker)." となる.タイトルとして全体を名詞句にすべく,meals を主要部として "Meals Made Easy" というわけだ.
しかし,これではちょっと意味が分からないといえば確かにそうだ.make は「?を作る」の語義ではなく,あくまで使役の「?を…にさせる」の語義で用いられていることになるからだ.make meals 「食事を作る」ならば話しは分かりやすい(ただし,この collocation もあまりないようだ).だが,そうではなく make meals easy = cause meals to be easy という関係,つまり「食事を簡単にさせる」ということなのである.別の言い方をすれば meals = easy という関係になる.「食事」=「簡単」というのはどういうことだろうか.「食事の用意」=「簡単」というのであれば,とてもよく分かる.この点は引っかからないだろうか.
実は XXX Made Easy という表現は,入門書や宣伝・広告などのタイトルに常用される一種の定型句である.日本語でいえば『○○入門』『誰でもわかる○○』『単純明快○○』といったところだ.XXX や○○には,スキル,趣味,科目,注目の話題など様々な語句が入る.BNCweb にて "made easy" を単純検索するだけでも,冗談めいたものから不穏なものまで,いろいろと挙がってくる.
・ Harvesting and storing made easy
・ MIDDLE EAST DISTRIBUTION MADE EASY
・ Suicide made easy
・ FLOOR TILING MADE EASY
・ COSMETICS MADE EASY
・ Sheep counting made easy
・ Financial Analysis Made Easy
・ Mechanics Made Easy
実際に出版されている本のタイトルでいえば,ボキャビルのための Word Power Made Easy もあれば,Math Made Easy などの学科ものも定番だし,Japanese cookbook for beginners: 100 Classic and Modern Recipes Made Easy のような料理ものも多い.AUSTRALIAN COOKBOOK: BOOK1, FOR BEGINNERS MADE EASY STEP BY STEP 辺りは構文が取りやすいのではないか.XXX Made Simple や XXX Simplified も探せば見つかる.
上記より XXX や○○は「作る」 (make) 対象である必要はまったくない.むしろ何らかの意味で習得・克服すべき対象であれば何でもよい.ということで,"Meals Made Easy" も「お食事入門」≒「楽ちんご飯」ほどとなるわけである.
動詞としても助動詞としても超高頻度語である have .超高頻度語であれば不規則なことが起こりやすいということは,皆さんもよく知っていることと思います.ですが,have の周辺にはあまりに不規則なことが多いですね.
まず,<have> と綴って /hæv/ と読むことからして妙です.gave /geɪv/, save /seɪv/, cave /keɪv/ と似たような綴字ですから */heɪv/ となりそうなものですが,そうはなりません.have の仲間で接頭辞 be- をつけただけの behave が予想通り /biˈheɪv/ となることを考えると,ますます不思議です.
次に,3単現形が *haves ではなく has となるのも妙です.さらに,過去(分詞)形が *haved ではなく had となるのも,同様に理解できません.なぜ普通に *haves や *haved となってくれないのでしょうか.では,この3つの疑問について,英語史の立場から答えてみましょう.音声解説をどうぞ.
そうです,実は中英語期には /hɑːvə/ など長い母音をもつ have の発音も普通にあったのです.これが続いていれば,大母音推移 (gvs) を経由して現代までに */heɪv/ となっていたはずです.しかし,あまりに頻度が高い語であるために,途中で短母音化してしまったというわけです.
同様に,3単現形や過去(分詞)形としても,中英語期には今ではダメな haves や haved も用いられていました.しかし,13世紀以降に語中の /v/ は消失する傾向を示し,とりわけ超高頻度語ということもあってこの傾向が顕著に表われ,結果として has や had になってしまったのです./v/ の消失は,head, lord, lady, lark, poor 等の語形にも関わっています(逆にいえば,これらの語には本来 /v/ が含まれていたわけです).
一見不規則にみえる形の背景には,高頻度語であること,そして音変化という過程が存在したのです.ちゃんと歴史的な理由があるわけですね.この問題に関心をもった方は,##4065,2200,1348の記事セットにて詳しい解説をお読みください.
梟とナイチンゲールが討論を繰り広げる The Owl and the Nightingale は,初期中英語期を代表する英語文学作品の1つとして受容されている.文学のみならず英語史・文献学の観点からも重要なテキストである.1200年前後(1189?1216年辺りとされる)に南部系の方言で書かれた脚韻詩で,London, British Library, Cotton Caligula A ix と Oxford, Jesus College 29 という2つの写本により現代に伝わっている.主たる校訂本,研究書,オンラインリソースは「#2532. The Owl and the Nightingale の書誌」 ([2016-04-02-1]) で挙げているので,そちらを参照.
今回は,この作品の雰囲気を示すために冒頭の12行について,Cotton 写本をベースとした Cartlidge 版の校訂本からテキストとおよび現代英語訳を掲げよう.Cotton 写本のイメージはこちらから閲覧できる. *
Ich was in one sumere dale, I was in a summer-valley, in a In one suþe diȝele hale: really out-of-the-way retreat, when I Iherde ich holde grete tale heard an owl and a nightingale having An hule and one niȝtingale. a huge dispute. This controversy was 5 Þat plait was stif & starc & strong, fierce and ferocious and furious, some- Sumwile softe & lud among; times calm and sometimes noisy; and An aiþer aȝen oþer sval, each of them swelled up against the & let þat vole mod ut al; other and vented all her malicious feel- & eiþer seide of oþeres custe ings, saying the very worst thing they 10 Þat alre worste þat hi wuste; could think of about their antagonist's & hure & hure of oþeres songe character; and about their songs, espec- Hi holde plaiding suþe stronge. ially, they had a vehement debate.
・ Cartlidge, Neil, ed. The Owl and the Nightingale. Exeter: U of Exeter P, 2001.
言葉使いに関して「正しい」「正しくない」と評価することは日常茶飯である.ら抜き言葉は正しくない.雰囲気の発音は「ふいんき」ではなく「ふんいき」が正しい.こんにち「わ」ではなく,こんにち「は」の書き方が正しい,等々.一般に言葉使いには規範的に正しい答えがあると信じられており,それに照らして正誤を判断するわけだ.
しかし,言語学的にいえば --- 記述主義的にいえば --- 言葉使いに「正誤」の問題は存在しない.「正しくない」とおぼしきケースがあったとしても,それは「正しくない」というよりは,むしろ「通じない」や「ふさわしくない」に近いことが多い.
Hughes et al. (16) は言葉使いの "correctness" について,3種類を区別している.
The first type is elements which are new to the language. Resistance to these by many speakers seems inevitable, but almost as inevitable, as long as these elements prove useful, is their eventual acceptance into the language. The learner needs to recognize these and understand them. It is interesting to note that resistance seems weakest to change in pronunciation. There are linguistic reasons for this but, in the case of the RP accent, the fact that innovation is introduced by the social elite must play a part.
The second type is features of informal speech. This, we have argued, is a matter of style, not correctness. It is like wearing clothes. Most people reading this book will see nothing wrong in wearing a bikini, but such an outfit would seem a little out of place in an office (no more out of place, however, than a business suit would be for lying on the beach). In the same way, there are words one would not normally use when making a speech at a conference which would be perfectly acceptable in bed, and vice versa.
The third type is features of regional speech. We have said little about correctness in relation to these, because we think that once they are recognized for what they are, and not thought debased or deviant forms of the prestige dialect or accent, the irrelevance of the notion of correctness will be obvious.
第1のものは,言語変化によってもたらされた新表現の類いである.純粋主義者を含めた言語について保守的な陣営から,しばしば「正しくない」とレッテルを貼られる語法などである.多くは時間とともに言語共同体のなかで広く受け入れられ,「正しい」語法へと格上げされていく.
第2のものは,語法そのものの正誤の問題というよりは,用いる場面を間違えてしまうという,register の観点からの「ふさわしさ」の問題といえば分かりやすいだろうか.ビキニを着ることそれ自体は問題ないが,会社で着るのは問題だ,という比喩がとても分かりやすい.
第3のものは,地域方言に関する誤解である.標準語使用が予期される文脈で地域方言の語法が用いられるとき誤解が生じることがあるが,後に単に地域方言の語法だったと分かり,誤解が解けさえすれば,言葉使いの正誤の問題とはみなさなくなるだろう.
日常生活である言葉使いが「正しくない」と思ったとき,それが記述主義的な立場からどのように解釈できるか,冷静に考えてみるとおもしろい.
・ Hughes, Arthur, Peter Trudgill, and Dominic Watt. English Accents and Dialects: An Introduction to Social and Regional Varieties of English in the British Isles. 4th ed. London: Hodder Education, 2005.
クリスマスイブですね.クリスマスに関連する話題を5本お届けします.
(1) Christmas は,Christ + mass (キリストのミサ)という成り立ちです.英語 mass は低母音,フランス語 messe は中母音,語源の(後期)ラテン語 missa は高母音となり,言語ごとにチグハグ.ということは,日本語「ミサ」はラテン語系統(スペイン語やポルトガル語も同様に高母音)とみてよいですね.
(2) クリスマスにお似合いの「雪だるま」は,単数形 snowman [ˈsnəʊ mæn] に対して複数形 snowmen [-men].何の問題もなさそうですね.ところが,クリスマスカードを配達してくれる「郵便集配人」は,単数形 postman [ˈpoʊst mən] に対して複数形 postmen [-mən].-man 複合語の単複形の母音は厄介です.
(3) 性に関する PC (= political_correctness) により,chairman は chair(person) に,そして salesman は salesperson になったりしたけれど,さすがに snowman は *snowperson にならなかったですね.しかし,『ジーニアス英和大辞典』には snow figure という見出し語があり驚いた!
(4) at は時間的にも空間的にも狭い場合に,それに対して on は相対的に広い場合に用いると習うことが多いと思います.しかし,at Christmas は広く「クリスマスシーズンに」(12月24日から1月1日くらいまで)を指し,on Christmas は狭く「12月25日に」を指します.前者 at Christmastide (cf. 「#4246. Christmastide」 ([2020-12-11-1])) のことで,後者は on Christmas Day のことだからですが,何だかチグハグです.
(5) クリスマスの挨拶といえば Merry Christmas.しかし,イギリス英語ではしばしば Happy Christmas とも.また,キリスト教色を避けて Happy Holidays もあります.
皆さん,よいクリスマスを!
今回の hellog ラジオ版は,いきなり皆さんに質問です.英単語 harass(ment) のアクセントはどこに置きますか? 第1音節の hárass(ment) でしょうか,あるいは第2音節の haráss(ment) でしょうか.答えは,音声解説をどうぞ.実はここに英語史の魅力が隠されています.
さあ,いかがでしたでしょうか.いずれの音節に強勢を置くかというのは,英米差という空間的な問題のようにも見え,それはそれで間違っていないのですが,一方で時間的な問題でもあるという興味深い側面があるのです.アメリカ英語では haráss(ment) が優勢で,イギリス英語では hárass(ment) が優勢であるという大きな傾向は確かに見られます.しかし,それよりもおもしろいのは,いずれの英語でも若年層で haráss(ment) の発音が顕著であることです.このことが示唆するのは,現世代から次世代にかけて,ますます haráss(ment) が増えていくのではないかということです.私たちは1つの言語変化をリアルタイムで目の当たりにしているのです.
英語史といっても,常に古英語から現代英語にかけての1500年というスケールで起こっている言語変化を話題にしているわけではありません.ここ数十年という短期間の変化も,立派な英語史の話題です.今回のような単語の強勢位置の揺れなど,いま観察できる variation というものは,まさに言語変化が起こっていることを示唆しているのです.こう考えると,英語史が生きた分野であるということが分かるかと思います.古い歴史を扱うだけが英語史ではないのです!
今回の話題を通じて単語の強勢位置の揺れに関心をもった方は,ぜひ##342,321,366,488の記事セットをご覧ください.
我が国の学校文法における Jespersen の文法の影響力は,現在に至るまで続いている.20--21世紀の新しい言語学の興隆により,Jespersen の影も徐々に薄くなっているようにも感じられるが,実際の支持はまだ根強いのではないだろうか.
Jespersen の貢献は数多あるが,統語論に関していえば標題の "nexus" と "junction" の区別はとりわけ重要である.この用語を知らずとも,多くの人が英語の構文の解釈においてこの区別を重視しているはずである.まずは Jespersen 自身の説明を引用しよう.
1.41. C. Nexus, i. e. a combination implying predication and as a rule containing a subject and either a verb or a predicative or both. Besides these a nexus may contain one or more objects, often a direct and an indirect object.
1.31. B. Junction, i. e. a combination of words which does not denote predication, but which serves to make what we are speaking about more precise. Here we meet with the distinction of ranks. A very poor widow contains a tertiary (very), a secondary (poor) and a primary (widow); corresponding examples are extremely cold weather, a furiously barking dog. In other combinations we may have quaternaries or quinaries, e. g. a not (5) particularly (4) well (3) constructed (2) plot (1).
具体的に示せば,I found a dog barking. において a dog barking は "nexus" を体現している.およそ I found that a dog was barking. とパラフレーズできるように,主語と述語に相当する要素をもった構造とみることができる.一方,I found a barking dog. では a barking dog は "junction" を体現している.I found it. とまとめ上げられることから分かるように,そこに主述の関係は含意されているとはいえ that a dog was barking という節に展開され得る統語関係ではない.
理論的にも実践的にも,この2つの関係を峻別しておくことの意義は大きい.以下の例文において斜体部分は,一見すると "junction" にみえるかもしれないが,実際には "nexus" と理解すべきものである.
・ The difficulties overcome makes the rest easy. (こうした困難が克服されたので後は容易である.)
・ That's a great load off my mind. (それでほっとした.)
・ I sat with all the windows and the door wide open. (窓も戸も開け放して坐っていた.)
・ He being rich and I poor, everybody took his side against me. (彼が金持ちで私が貧しいため,みんな彼の肩を持って私に反対した.)
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 5. Copenhagen: Munksgaard, 1954.
社会言語学の授業等で「言語の死」 (language_death) の話題に触れると,関心をもつ学生が多い.目下,世界中で12日に1言語というハイペースで言語が失われているという事実を知ると,当然ながらショックを受けるのだろう.今のところ安泰な立場にある日本語という大言語を常用しており,さらに世界第一の通用度を誇る超大言語である英語を義務教育のなかで学習してきた者にとって,絶滅危機に瀕した言語が世界にそれほど多く存在するということは,容易に想像もできないにちがいない.平均的日本人にとって「言語の死」とはある意味で遠い国の話しだろう.
しかし,日本国内にも危機に瀕する言語は複数ある.また,言語を方言と言い換えれば,方言の死,少なくとも方言の衰退という話題は聞いたことがあるだろう.
英語を筆頭とする世界的な影響力をもつ超強大な言語は,多くの弱小言語の死を招いているのか否か,という問題もある.もしそうだとすれば,英語のような言語は殺人的な言語であり,悪者とみなすべきなのか.もし弱小言語を救うというのであれば,誰がどのように救うのか.そもそも救う必要があるのか,ないのか.一方,自らが用いる言語を選ぶ「権利」(言語権)を個人に認めるとするならば,その個人に課せられる「義務」は何になるだろうか.
このように「言語の死」を考え始めると,議論すべき点が続々と挙がってくる.社会言語学の論点として第一級のテーマである.議論に資する参考記事として「言語の死」の記事セットをどうぞ.
これは私も初学者のときに疑問に思っていたような気がします.中高生に英語を教えている関係者にきいてみますと,よく出される「あるある」疑問だということで,今回の話題に取り上げようと思った次第です.s は名詞だと複数マーカーなのに,動詞だとむしろ単数マーカー.これは一体どうなっているのか,という質問は無理もありません.答えとしては,通時的に英語をみる英語史の立場からいえば完全なる偶然です.音声解説をお聴きください.
古英語にさかのぼると,名詞の複数形の s の起源として -as という語尾があったことが分かります.確かに s と複数性は結びついていたようにも見えますが,あくまで名詞全体の1/3程度の「男性強変化名詞」に限定しての結びつきです.その他の2/3の名詞は,実は複数形で s など取らなかったのです.つまり「s = 名詞複数」の発想は,現代英語ほど強くはありませんでした.しかし,中英語以降に,この2/3を占めていた非 s 複数名詞が,次々に s 複数へと乗り換えていったのです.結果として,現在では99%の名詞が s 複数を作るに至り,「s = 名詞複数」の関係が定着しました.この s 複数の歴史的拡大にはいろいろな原因があり本格的に論じたいのもやまやまですが(←私の博士論文のテーマなのです!),半分くらいは歴史的偶然であるということで議論を止めておきたいと思います.
一方,動詞の3単現の s についてですが,古英語や中英語ではそもそも s という語尾は一般的でなく,むしろ似て非なる子音 th をもつ -eth などが普通でした.この th が近代英語期にかけて s に置き換えられていきました.両音が音声的に近いからマージしたということでは決してなく,あくまで「置き換え」です.この変化の原因についても諸説ありますが,いずれにせよ,もともと th だったものが歴史の過程で半ば偶然に s に置換されたのです.それが現在の3単現の s となります.
ということで,名詞の複数形語尾の s も,動詞の3単現在語尾の s も,たまたま現代では一致しているだけで,歴史的にみれば起源が異なりますし,各々の事情で変化してきた結果にすぎません.顔は似ているけれども実は血縁関係にはない,という「あるある」なのです.
しかし,まったくの偶然ではないかもしれないという別の見方もあり得ます.「#1576. 初期近代英語の3複現の -s (3)」 ([2013-08-20-1]) の記事をどうぞ.これはこれで,なかなか鋭い視点です.
来週12月26日(土)の15:30?18:45に,朝日カルチャーセンター新宿教室にて「英語の歴史と語源・8 ジョン失地王とマグナカルタ」と題する講演を行ないます.関心のある方は是非お申し込みください.趣旨は以下の通りです.
1204年,ジョン王は父祖の地ノルマンディを喪失し,さらに1215年には,貴族たちにより王権を制限するマグナカルタを呑まされます.英語史的にみれば,この事件は (1) 英語がフランス語から独立する契機を作り,(2) フランス話者である王侯貴族の権力をそぎ,英語話者である庶民の立場を持ち上げた,という点で重要でした.この後2世紀ほどをかけて英語はフランス語のくびきから脱していきます.本講座では,この英語の復活劇を活写します.
イングランドの歴代君主のなかでも最も人気のないジョン王.フランスに大敗し,ウィリアム征服王以来の故地ともいえるノルマンディを1204年に失ってしまいました.さらに,1215年には,後に英国の憲法に相当するものとして神聖視されることになるマグナカルタを承認せざるを得なくなりました.この13世紀の歴史的状況は,英語の行く末にも大きな影響を及ぼしました.この後,英語はゆっくりとではありますが着実に「復権」していくことになります.
関連する当時の英語(中英語)の原文も紹介しながら,ゆかりの英単語の語源も味わっていく予定です.
標記の2つの分野はよく間違えられるが,まったく異なる分野であることを指摘しておきたい.英語では対照言語学は contrastive linguistics と呼ばれ,比較言語学は comparative linguistics と呼ばれる.いずれも2つ以上の言語を比較・対照する言語学の下位分野であるには違いなく,ややこしい名称であることは確かである.
分かりやすさを重視して,ざっくりと区別するならば,対照言語学は系統的に無関係の言語どうし(例えば日本語と英語)を比べて,言語現象の異同を明らかにする分野である.基本的には共時的な観点に立ち,語学教育,翻訳論,言語普遍性,言語タイポロジーなどと近しい関係にある.
一方,比較言語学は系統的に関係がある言語や方言どうし(例えば英語とドイツ語)を比べて,その歴史的な類縁関係を明らかにしようとする分野である.原則として通時的な視点をもっており,言語変化論と相性がよい.
このように,2つの分野は,ある意味で立場が180度異なる分野といってよい.英語史は本質的に通時的な分野なので,本ブログも相当程度に比較言語学寄りのスタンスを取っているといえる.
上記の説明ではあまりに大雑把なので,McArthur の用語辞典からしっかりした解説を引用しておこう.まずは対照言語学から.
CONTRASTIVE LINGUISTICS, ALSO contrastive analysis [Mid-20c]. A branch of linguistics that describes similarities and difference among two or more languages at such levels as phonology, grammar, and semantics, especially in order to improve language teaching and translation. The study began in Central Europe before the Second World War and developed afterwards in North America. In the US in the later 1950s, Robert Lado proposed contrastive analysis as a means of identifying areas of difficulty for language learners that could then be managed with suitable exercises. Critics have pointed out that such areas of difficulty are already widely known and discussed by experienced professionals, and that, while headway has been made in analysing English, few other languages have been sufficiently studied to allow balanced comparison. Teachers, however, generally agree that mother tongue and target language merit comparison, many courses incorporate the results of contrastive study, and linguists involved in the area consider that the study is still in its infancy and continued research is likely to bear fruit.
次に比較言語学について.見出しでは "comparative philology" となっており,こちらの用語ほうが誤解を招かないようにも思うが,昨今は上記の通り "comparative linguistics" のほうが普通である.
COMPARATIVE PHILOLOGY. The branch of philology that deals with the relations between languages descended from a common original, now generally known as comparative linguistics.
ということで,間違いなきよう.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: Oxford University Press, 1992.
アメリカ式綴字 color とイギリス式綴字 colour をめぐる問題について,本ブログでは何度も取り上げてきた.綴字の米英差の代表例としてよく知られており,分かりやすい問題であるということもあるが,英語史的には意外と深掘りできる魅力的な問題だからでもある.
しかし,最も基本的な事実確認 --- 現代のアメリカ英語とイギリス英語で color と colour の各々の分布はどうなっているのかの調査 --- を行なわずいたことに気づいた.ということで,今回は現代アメリカ英語の代表的コーパス COCA と,イギリス英語の BNCweb で調べてみることにした.colo(u)r の屈折形,派生語,複合語を含めて網羅的に行なうのが理想だが,今回はレンマ検索を利用して,colo(u)r, colo(u)rs, colo(u)red (以上は屈折形として), colo(u)rful, colo(u)rless, discolo(u)r の6種類の語形の取り出しにとどめた.
COCA による <color> と <colour> の頻度 | |||
語形 | <or> | <our> | <or> 比率 |
COLOR | 124,778 | 4,792 | 0.9630 |
COLORS | 33,225 | 1,886 | 0.9463 |
COLORED | 5,553 | 179 | 0.9688 |
COLORFUL | 10,871 | 412 | 0.9635 |
COLORLESS | 1,000 | 57 | 0.9461 |
DISCOLOR | 110 | 0 | 1.0000 |
BNCweb による <color> と <colour> の頻度 | |||
語形 | <or> | <our> | <our> 比率 |
COLOR | 115 | 11,332 | 0.9900 |
COLORS | 24 | 4,396 | 0.9946 |
COLORED | 14 | 2,432 | 0.9943 |
COLORFUL | 6 | 1,093 | 0.9945 |
COLORLESS | 4 | 166 | 0.9765 |
DISCOLOR | 1 | 19 | 0.9500 |
英語の姓 (last name) には,標題のように -son のつくものが多いですね.この -son を取り除いても,名 (first name) として通用するものが多いので,この -son には何かありそうです.皆さんすでにお気づきのように,この -son は「息子」の son と同語源です.これはどういうことかといえば,例えばいまだ姓をもたない身分だった John 氏が,あるとき,独自の姓を設けて新しい家系を築こうと思ったとき,自分の息子や孫息子へと男系で継いでいくべき家柄の名前をつけるにあたって,自分の名前を冠して Johnson などとすることは,ありそうなことです.このような名付けを父称 (patronymy) といいます.
しかし,驚くことに -son による父称は英語本来のものではありませんでした.また,英語以外でも父称は中世ヨーロッパ社会(そしてそれ以外でも)の諸言語で広く行なわれていました.では,音声解説をお聴きください.
父称の話題については,##1673,1937の記事セットをどうぞ.人名 (personal_name) の言語学は,その言語文化の歴史をみごとに映し出します.実におもしろい話題です.
私自身は Shakespeare の言語を本格的に研究したことはないが,英語史の記述研究においては避けることのできない大きな対象であることは間違いない.言語研究という観点からの Shakespeare への注目は19世紀後半に始まり,現在までに多くの成果が蓄積されてきた.文法書,語彙目録,コーパス,コンコーダンス,データベースも整備されてきたし,論著の数もはかりしれない.現在も主としてコーパスを用いた研究に様々な動きがあるようで,Shakespeare 人気は相変わらずである.
Busse and Busse (811) に,他の論著に依拠したものではあるが,Shakespeare の言語の研究について,3つの側面と4つの目的を区別する必要があるとして,それぞれ箇条書きされている.まずは3つの側面から.
1. English as it was about 1600
2. Shakespeare's interest in his language
3. Shakespeare's unique use of English
「Shakespeare の言語」を狭く解釈すれば3のみとなるだろうが,当時の初期近代英語全体のなかにそれを位置づけ,そこからさらに Shakespeare の言葉使いの特徴をあぶり出すという趣旨を含めれば1も重要である.そして,Shakespeare の言語に対する関心や態度という2の側面も当然ながら探りたい.
次に Shakespeare の言語の研究の4つの目的について.
1. to enable the speaker of Present-day English to share as far as possible in the responses of the original audience;
2. to draw attention to the manner in which Shakespeare handles the language of his time for artistic purposes;
3. to use the language of Shakespearean drama as data on which to base conclusions about Elizabethan English in general; and
4. to provide illuminating information about various aspects of Shakespeare's linguistic background, in particular, the attitude to the language of his time.
いずれも現代的な言語研究の目的であるとともに,実は多分に philological な目的である.
関連して 「#195. Shakespeare に関する Web resources」 ([2009-11-08-1]),「#1763. Shakespeare の作品と言語に関する雑多な情報」 ([2014-02-23-1]) を参照.その他 shakespeare の数々の記事もどうぞ.
・ Busse, Ulrich and Beatrix Busse. "Early Modern English: The Language of Shakespeare." Chapter 51 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 808--26.
固有名詞学 (onomastics) と関連して,本ブログでは地名 (toponym) や人名 (personal_name) の話題を様々に取り上げてきた.一般語と異なり,固有名詞には特有の性質があり,言語体系においても言語研究においてもその位置づけは特殊である.
特徴のいくつかについて「#2212. 固有名詞はシニフィエなきシニフィアンである」 ([2015-05-18-1]) や「#2397. 固有名詞の性質と人名・地名」 ([2015-11-19-1]) で論じた.そこで指摘したとりわけ重要な特徴は,固有名詞は意味をもたないということだ.指示対象 (referent) はもつが,意味はもたない.シニフィエなきシニフィアンと述べた所以だ.言語の内部にありながら外部性を体現しているという特徴も,言語学で扱う際に注意を要する.
ほかに固有名詞には,一般語にはみられない音変化や形態変化をしばしばたどるという性質がある.逆もまた然りで,一般語において生じた形式上の変化から免れていることも多い.この辺りの話題については,「#1184. 固有名詞化 (1)」 ([2012-07-24-1]),「#1185. 固有名詞化 (2)」 ([2012-07-25-1]) を参照されたい.
固有名詞学の分野をわかりやすく導入してくれているのが,Hough である.とりわけそのイントロが固有名詞(学)の諸特徴をみごとに要約していてすばらしい (213) .
Onomastics is the study of names, its two main branches being toponymy (the study of place-names) and anthroponymy (the study of people's names). Traditionally regarded as a sub-class of nouns having reference but no sense, names occupy a special position within language in that they can be used without understanding of semantic content. Partly for this reason, they tend to have a high survival rate, outlasting changes and developments in the lexicon, and easily being taken over by new groups of speakers in situations of language contact. Since most names originate as descriptive phrases, they preserve evidence for early lexis, often within areas of vocabulary sparsely represented in other sources. Many place-names, and some surnames, are still associated with their place of origin, so the data also contribute to the identification of dialectal isoglosses. Moreover, since names are generally coined in speech rather than in writing, they testify to a colloquial register of language as opposed to the more formal registers characteristic of documentary records and literary texts. Much research has been directed towards establishing the etymologies of names whose origins are no longer transparent, using a standard methodology whereby a comprehensive collection of early spellings is assembled for each name in order to trace its historical development. These spellings themselves can then be used to reveal morphological and phonological changes over the course of time, often illustrating trends in non-onomastic as well as onomastic language. The relationship between the two is not always straightforward, however, since the factors pertaining to the formation and transmission of names are in some respects unique.
固有名詞は,書き言葉ではなく話し言葉(特に口語)の要素を多分に含んでいるという指摘は,なるほどと思った.一方,幾層もの言語接触や言語変化の歴史をくぐりぬけ,古形を残存させていることがあるというのも,固有名詞の一筋縄ではいかない性質を物語っている.方言区分に貢献することがあるとも述べられているが,これについては「#3453. ノルマン征服がイングランドの地名に与えた影響」 ([2018-10-10-1]) で取り上げたケースが具体例となろう.
・ Hough, Carole. "Linguistic Levels: Onomastics." Chapter 14 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 212--23.
語源的に明らかに関連していると思われる語なのに,発音や綴字が微妙に異なっているというのは,よくある話しです.three 「3」を基本として,thirteen 「13」,thirty 「30」,third 「第3の」はそこから派生した語であることは間違いなさそうですが,r の位置が異なっています.基本の three では「th + r + 母音」となっていますが,派生語では「th + 母音 + r」となっています.これはどういうわけでしょうか.音声解説をお聴きください.
古英語では「3」は þrēo,「13」は þrēo-tīene,「30」は þrī-tiġ,「第3の」は þridda という綴字でした(<þ> は古英語の文字で th を表わします).つまり,すべて「th + r + 母音」だったのです.ところが,中英語期から近代英語期にかけて,派生語における「r + 母音」が位置を逆転させて「母音 + r」に変化していったのです.
これは「ろれつ」が回らず,発音し損ねたという一種の言い間違いから生じたもので,古今東西でしばしば観察される音位転換 (metathesis) という現象です.通常であれば一過性の言い間違いで終わるところですが,どういうわけか間違った発音のほうが正しい発音として定着してしまうこともあるのです.
英語の場合,とりわけ r と母音の関与する例が圧倒的に多く,ほかにも bird, grass, horse などが挙げられます.これらは古英語では各々 brid, gærs, hros というように,r と母音の位置が逆転した綴字で現われていました.
日本語からも例は豊富に挙がります.「さんざか」(山茶花)が「さざんか」となったり,「したづつみ」(舌鼓)が「したつづみ」となったり,昨今「ふんいき」(雰囲気)が「ふいんき」と発音されることが多くなってきているのも,音位転換のなせる技です.
音位転換という興味深い話題については,##60,92,93,2809の記事セットをご覧ください.多くの例が挙げられています.
quite が意味論的に厄介な副詞であることについて,「#4233. なぜ quite a few が「かなりの,相当数の」の意味になるのか?」 ([2020-11-28-1]),「#4235. quite a few は,下げて和らげおきながら最後に皮肉で逆転?」 ([2020-11-30-1]),「#4236. intensifier の分類」 ([2020-12-01-1]) で取り上げてきた.ある場合には「完全に」 (fully, absolutely) の意味で,別の場合には「そこそこ」 (fairly, rather) の意味で用いられるからだ.強意語の類型でいえば,Maximizer としても Compromizer としても用いられることになり,混乱は必至である.
本来 quite は Maximizer として「完全に」のみを意味していたが,19世紀に Compromizer としての「そこそこ」の語義が発達した.OED で quite, adv., adj., and int. を引いてみると,大区分の第III項に後者が取り上げられており,初出は1805年となっている.
Room の辞典に,この意味変化とその機微について次のような解説があったので,引用する.
quite (fully, absolutely; fairly, rather)
This word is notoriously tricky for foreign learners of English, who find it difficult to decide which sense to use, or which is meant. 'I was quite alone' means that I was absolutely alone, but 'I am quite tired' means that I am fairly tired, not very. And if she is 'quite ill', is she very ill or only slightly indisposed? The original meaning of 'quite' in English was the 'absolutely' one, which dates from the fourteenth century. As John Skelton wrote in his charming poem Phyllyp Sparowe (1529):
Comfort had he none
For she was quyte gone.
And as Robert K. Douglas wrote in his Non-Christian Religious Systems (1879): 'A man should be quite certain what he knows and what he does not know'. Quite. Yet it was in the nineteenth century that the now common sense of 'fairly' for 'quite' arose. It developed out of a special usage of the word, from the eighteenth century, that meant 'actually', 'really', implying that what the writer or speaker said was really so. For example, Fielding, in Tom Jones (1749), wrote that a certain widow was 'quite charmed with her new lodger', meaning that she really was charmed (not simply satisfied), and in one of his essays (1848), the astronomer Sir John Herschel wrote that: 'A ship sailing northwards passes quite suddenly from cold into hot water', meaning that the change really was sudden, not gradual, as one might expect. So when Thoreau, in his narrative account Walden (1854), wrote: 'Perhaps I have owed to this employment and to hunting, when quite young, my closest acquaintance with Nature', which did he mean, 'surprisingly young' (as in the earlier sense) or 'fairly young' (as in the new sense)? It is not always so easy! What has actually happened is that the earlier use of 'quite' (meaning 'really') has come to be associated with certain adjectives, such as 'different', 'separate', 'right', 'wrong', 'sure' and so on, while with other, less 'definite' adjectives the modern sense is the commoner. But it is still quite difficult to determine on occasions, and one needs to be quite certain which of the two senses is meant.
先日から問題になっている quite a few も19世紀前半の初出だった.quite の上記の意味変化と関係しているのだろうか,いないのだろうか.
・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.
年末年始,そしてクリスマスの季節が近づいてきた.後者は英語では Christmastime というが,少々古風ながら Christmastide も用いられる.後者の複合語の第2要素としてみえる tide は,通常は「潮の干満」を意味するが (cf. tidal wave 「津波,高潮」),キリスト教の暦と関連して「季節」の意味でも用いられる (ex. Yuletide, Eastertide) .
tide の本来の意味は,事実,「時」だった.古英語 tīd は「時,潮時」を意味する普通の語だったし,ゲルマン諸語にも同根語が確認される (cf. オランダ語 tijd, ドイツ語 Zeit, 古ノルド語 tíð) .もっとさかのぼればゲルマン祖語 *tīðiz に,さらには印欧祖語の語根 *dā- (to divide, cut up) にたどり着く.印欧祖語の話者にとって,時間とは,切り分け,区分する対象だったのだろう (cf. 「#70. second には「秒」の意味もある」 ([2009-07-07-1])) .
古英語 tīd は,やがて一般的な「時」の語義を time に明け渡し,「潮」の語義に限定されていくこととなった.ちなみに time 自身も tide と同じ印欧祖語の語根に遡り,古英語では tīma としてやはり「時間;時刻」の語義で用いられていた.つまり,tide と time はもとより類義語だったのである.
現在では「時」に近い意味の tide は,上記の Christmastide, Eastertide などの少数の表現に化石的に残るにすぎないが,もう1つ重要な化石として,よく知られた諺を挙げておこう.Time and tide wait for no man. (歳月人を待たず)である.日本語でも英語でもそうだが,諺 (proverb) というものには異なるバージョンがあるものだ.Robert Green (1560--92) の A Disputation Betweene a Hee Conny-catcher and a Shee Conny-catcher (1592) からのバージョンを示すと,Tyde nor tyme tairieth no man. とある.wait for の代わりに同義の tarry を用いることで,t による頭韻が強化されていて,標準版よりも印象的である.
・ Editors of the American Heritage Dictionaries, eds. Word Histories and Mysteries from Abracadabra to Zeus. Boston and New York: Houghton Mifflin, 2004.
variationist の立場を高度に押し進めた言語(変化)観を提案する,Kretzschmar and Tamasi の論考を読んだ."A-curve", "asymptotic hyperbolic distribution", "power law", "S-curve" などの用語が連発し思わず身構えてしまう論文だが,言わんとしていることは Zipf's Law (cf. zipfs_law) の発展版のように思われる.低頻度の言語項は多く,高頻度の言語項は少ないということだ.
ある英語コーパスにおいて,1度しか現われない語は相当数ある.一方,the, of, have などは超高頻度で現われるが,主として機能語であり種類数でいえば相当に限定される.例えば,1回しか現われない語 ( x = 1 ) は1000個 ( y = 1000 ) あるが,1000回も現われる語 ( x = 1000 ) は the の1語しかない ( y = 1 ) とすると,これを座標上にプロットしてみれば第1象限の左上と右下に点が打たれることになる.この2点を両端として,その間の点を次々と埋めていくと,y = 1/x で表わせるような漸近双曲線 (asymptotic hyperbolic curve) の片割れに近づくだろう.これを Kretzschmar and Tamasi は "A-curve" と呼んでおり,背後にある法則を "power law" (べき乗則)と呼んでいる.後者は "few realizations that occur very frequently and many realizations that occur infrequently" (384) ということである.
Kretzschmar and Tamasi は,アメリカ方言における訛語や調音の variants を調査し,各種の変異形について頻度の分布を取った.結果として,いずれのケースについても "A-curve" が観察されることを示した.
また,Kretzschmar and Tamasi は,語彙拡散 (lexical_diffusion) との関連でしばしば言及される "S-curve" と,彼らの "A-curve" との関係についても議論している.同一の言語変化を異なる軸に着目してプロットすると "S-curve" にも "A-curve" にもなり,両者は矛盾しないどころか,親和性が高いという.
私の拙い言葉使いでは上手く解説することができないのだが,言語体系や言語変化を徹底的に variationist に眺めようとすると,このような言語観あるいは言語理論になるのかと感心した.Kretzschmar and Tamasi (394) より,とりわけ重要と思われる箇所を引用する.
Our second observation, about the distribution of variants according to Zipf's Law, has the strongest set of implications for historical study of language. If we take the A-curve as the model for the frequency distribution of variants for any linguistic feature of interest to us at any moment in time, then we should expect that any particular variant of interest to us will have a particular rank along the A-curve. Therefore, one of the things that we should try to do for any given moment in time is to determine the place of our variant of interest on the curve; we need to know whether it is the most frequent variant in the set of possible realizations (at the top of the curve), or an infrequent variant (in the tail of the curve). Then, for any subsequent moment in time, we can again try to determine the location of our variant of interest along the curve, and so try to make a statement about whether the location of the variant has changed in the intervening time (see Figure 14). Since we hypothesize that an A-curve will exist for every feature at any moment in time (i.e., that language will not suddenly become invariant), we can define the notion "linguistic change" itself as the change in the location of the target variant at different heights along the curve. If a particular variant occurs at a higher place on the curve than it did before, it has become more frequent and so we can say that the direction of change for that variant is positive; if a variant occurs at a lower place on the curve than it did before, it has become less frequent and the direction of change is negative.
・ Kretzschmar, Jr.,William A and Susan Tamasi. "Distributional Foundations for a Theory of Language Change." World Englishes 22 (2003): 377--401.
皆さん,タコの足は何本かといわれたら,当然8本と答えますよね.では,英語では何と尋ねて,何と答えますか? How many ○○ does an octopus have? の○○には何が入るでしょうか? feet? legs? あるいは・・・? 答えは・・・? 音声をお聴きください.
OALD8 の octopus の定義によると,答えはなんと "arm(s)" です.その定義は,"a sea creature with a soft round body and eight long arms, that is sometimes used for food." となっています.へえ,明らかに頭ぽく見える下に生えているアレが英語では「腕」ですか,と受け入れるしかなさそうです.
ちなみに,イカはどうでしょうか.squid は10本の「腕」なのでしょうねと高をくくるわけです.ここで OALD の7版を引いてみると,"a sea creature that has a long soft body and ten short arms around its mouth, and that is sometimes used for food" とありました.やはり arm(s) ですよね.いろいろな意味で忠実でヨロシイように思います.
しかし,同じ OALD の8版を引いてみたら,なんと "a sea creature that has a long soft body, eight arms and two tentacles (= long thin parts like arms) around its mouth, and that is sometimes used for food." と意表をつく説明が.へぇ,残りの2本は生物学的には別モノだったのですね,とたいへん勉強になりました.8本にせよ10本にせよ,呼び名にいろいろ問題はありそうですが,どうやら英語の世界では arm(s) だということが分かりました.
しかし,語源を探れば octopus の -pus はギリシア語の「足」を意味する poús に由来します(ちなみに,この語はグリムの法則 (grimms_law) を介して英単語 foot と同根です).
結局のところ「足」じゃん,ということになりそうですが,これは重要な酒の肴だけに酒場で議論を呼びそうです.ゲソを「足」ではなく「腕」として賞味すると,ちょっと味わい方が変わるかも.
あまり知られていないと思われる NTC's Dictionary of Changes in Meanings を紹介します.英単語の意味変化に特化した辞典です.これを手元に置いておくと便利なことが多いです.単語ごとにその意味変化を調べようと思えば,まずは OED に当たるのが普通です.しかし,OED はあまりに情報量が多すぎて,ちょっと調べたい場合には適さないことも多いですね.鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん,ということになりかねません.そんなときに手近に置いておくと便利な辞典の1つが,この Room (編)の辞書です.意味変化に焦点を絞って編まれています.ありがたや.
先日,院生からのインプットで passion という語の起源について関心をもちました.その意味は,「情熱」はもちろん「(キリスト教徒の)受難」もありますし「受動」 (cf. passive) もあります.互いにどう関係するのでしょうか.もともとの語源はラテン語 patī (to suffer) です.堪え忍ぶからこそ「受難」なのであり,受難を堪え忍ばせるだけの「情熱」ともなるわけです.「受動,受け身」の語義も納得できるでしょう.宗教的な強い感情を表わすのに相応しい語源ですね.
しかし,その強い情熱的感情を表わした語が,常用されるうちに「強意逓減の法則」により,単なる「あこがれ」へと弱まっていきます.現在では He has a passion for golf. のように薄められた意味で用いられるようになっています.
では,上記の意味変化の辞書で passion (200--01) に当たってみましょう.以下のようにありました.
passion (strong feeling, especially of sexual love; outbreak of anger)
The earliest 'passion' was recorded in English in the twelfth century, and was the suffering of pain, and in particular the sufferings of Christ (as which today it is usually spelt with a capital letter). This is therefore the meaning in the Bible in Acts 1:3, where the word was retained from Wyclif's translation of 1382 down to later versions of the sixteenth and seventeenth centuries (in the Authorized Version of 1611: 'To whom also he shewed himself alive after his passion'). In the fourteenth century, the sense expanded from physical suffering to mental, and entered the emotional fields of strongly experienced hope, fear, love, hate, joy, ambition, desire, grief and much else that can be keenly felt. In the sixteenth century, there was a kind of polarization of meaning into 'angry outburst' on the one hand, and 'amorous feeling' on the other, with the latter sense of 'passion' acquiring a more specifically sexual connotation in the seventeenth century Finally, and also in the seventeenth century, 'passion' gained its inevitably weakened sense (after so much strength) as merely 'great liking for' (as a 'passion' for riding or growing azaleas).
「強意逓減の法則」を体現している好例といってよさそうです.
・ Room, Adrian, ed. NTC's Dictionary of Changes in Meanings. Lincolnwood: NTC, 1991.
ソシュール (Ferdinand de Saussure; 1857--1913) は,言語の共時態 (synchrony) と通時態 (diachrony) を区別したことで知られる (2つの態についてはこちらの記事セットを参照).ソシュールは通時的次元を「諸価値の変動のことであり,それは有意単位の変動ということにほかならない」(丸山,p. 310)と定義している.この「変動」は,フランス語 déplacement (英語の displacement)の訳語だが,むしろ「置換」と理解したほうが分かりやすい.ソシュールは,シニフィエ (signifié) とシニフィアン (signifiant) の結合から成る記号 (signe) の変化は,両者の「ずれ」というよりも,別の記号による「置換」と考えている節があるからだ.
同じ丸山『ソシュール小事典』より déplacement の項 (284) を繰ってみると訳語としてこそ「ずれ,変動」と記されているが,内容をよく読んでみると実際には「置換」にほかならない.以下,引用する.
déplacement [ずれ,変動]
ラングなる体系内での辞項 (terme) の布置が変り,その結果として価値 (valeur) の変動が起こること.「辞項と諸価値のグローバルな関係のずれ (frag. 1279) .動詞形の déplacer (ずらす)も用いられた「いかなるラングも(…)変容 (altération) の諸要因に抗するすべはない.その結果,時とともにシニフィエ (signifie) に対するシニフィアン (signifiant) のトータルな関係 (rapport) がずらされる」 (frag. 1259) .このずれは,シーニュ (signe) 内での不可分離な二項がずれるという意味ではなく,シーニュの輪郭を決定する分節線そのものがずれて新しいシーニュが誕生することを意味するが,古いシーニュと新しいシーニュを比較する際,語る主体 (sujet parlant) にとってはシニフィアンとシニフィエがずれたように錯覚されるのである.
つまり,"déplacement" という用語を,記号内のシニフィエとシニフィアンの関係の「ずれ,変動」を指すものであるかのように使っているが,実際にソシュールが意図していたのは「ずれ」ではなく「置換」なのである(「再生」ですらない).とすると,語の音声変化や意味変化も,シニフィエかシニフィアンの片方は固定していたが他方がずれたのである,とはみなせなくなる.古いシーニュが新しいシーニュに置き換えられたのだと,みなすことになろう.
・ 丸山 圭三郎 『ソシュール小事典』 大修館,1985年.
英語の動詞には接頭辞 en- をもつものが多くあります.encourage, enable, enrich, empower, entangle などです.一方,接尾辞 -en をもつ動詞も少なくありません.strengthen, deepen, soften, harden, fasten などです.さらに,語頭と語末の両方に en の付いた enlighten, embolden, engladden のような動詞すらあります.接頭辞にも接尾辞にもなる,この en とはいったい何者なのでしょうか.では,音声の解説をどうぞ.
意外や意外,接頭辞 en- と接尾辞 -en はまったく別語源なのですね.接頭辞 en- は,ラテン語の接頭辞 in- に由来し,フランス語を経由して少しだけ変形しつつ,英語に入ってきたものです.究極的には英語の前置詞 in と同語源で,意味は「中へ」です.この接頭辞を付けると「中へ入る」「中へ入れる」という運動が感じられるので,動詞を形成する能力を得たのでしょう.名詞や形容詞,すでに動詞である基体に付いて,数々の新たな動詞を生み出してきました.
一方,接尾辞 -en はラテン語由来ではなく本来の英語的要素です.古英語で他動詞を作る接尾辞として -nian がありましたが,その最初の n の部分が現代の接尾辞 -en の起源です.形容詞や名詞の基体に付いて新たな動詞を作りました.
このように接頭辞 en- と接尾辞 -en は語源的には無関係なのですが,形式の点でも,動詞を作る機能の点でも,明らかに類似しており,関係づけたくなるのが人情です.比較的珍しいものの,enlighten のように頭とお尻の両方に en の付く動詞があるのも分かるような気がします.
英語史や英単語の語源を学習していると,一見関係するようにみえる2つのものが,実はまったくの別物だったと分かり目から鱗が落ちる経験をすることが多々あります.今回の話題は,その典型例ですね.
今回取り上げた接頭辞 en- と接尾辞 -en について,詳しくは##1877,3510の記事セットをご覧ください.
連日の記事 ([2020-12-03-1], [2020-12-04-1]) で扱っている話題だが,この表現に関する解説が Quirk et al. にあった.その §8.127 で,副詞が enough で修飾される件の表現を,価値判断を表わす "disjuncts" の一種として位置づけている.以下のすべてが enough により後置修飾され得るわけではないが,価値判断の "disjuncts" の副詞として一覧しておこう.
・ 驚き・奇妙タイプ(しばしば enough を伴う): amazingly, astonishingly, curiously, funnily, incredibly, ironically, oddly, remarkably, strangely, suspiciously, unexpectedly
・ 適切・予期タイプ: appropriately, inevitably, naturally, not unnaturally, predictably, understandably
・ 満足・不満タイプ: annoyingly, delightfully, disappointingly, disturbingly, pleasingly, refreshingly, regrettably
・ 幸運・不運タイプ: fortunately, unfortunately, happily, unhappily, luckily, unluckily, sadly, tragically
・ その他: amusingly, conveniently, hopefully, mercifully, preferably, significantly, thankfully
驚き・奇妙タイプが enough を取る典型的なタイプということになるが,このタイプには bizarrely, eerily などの類義語も含めることができるだろう.
また Quirk et al. (§8.131) の注では enough の意味が稀薄であることが言及されている.
Enough as a modifier of disjuncts does not so much intensify as draw attention to the meaning of the item. Thus, oddly enough is paraphrasable by 'odd though it may seem'.
先の記事でも示唆したように,この enough にはそれ自体での意味論的な意味はほとんどないといってよく,あくまで前置された副詞が文修飾として用いられていることを補助的に示す統語意味論的な役割を担っているとみておくのが妥当だろう.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
昨日の記事 ([2020-12-03-1]) に引き続き,文副詞となる oddly enough などの表現について.OED によると1704年に whimsically enough として初出したことが確認されるので,およそ後期近代英語期にかけて生まれ,育まれた表現である可能性が高い.とすれば,まず当たるべきコーパスは CLMET3.0 である.約3,400万語からなる,1710--1920年のイギリス英語のバランスコーパスだ.第1期 (1710--1780),第2期 (1780--1850),第3期 (1850--1929) と3期に分けて,関連する例を収集してみた.コンコーダンスラインはこちらからどうぞ(ただし,今回注目している用法ではなく「十分に?に」を意味する通常の用法の例も多く混じっているので精査する必要がある).
コンコーダンスラインをざっと眺めて気づくことは,18世紀の大半を含む第1期から,そこそこの数の例が挙がってくることだ.enough に前置される副詞として generously, gracefully, humorously などが散見される.いくつかランダムに例を示そう.
・ Generously enough, indeed, were I to be his; and had given him to believe that I would.--But that I have not done.
・ gracefully enough, I cannot but say; an advantage which travelled gentlemen have over other people.
・ These my father, humorously enough, called his beds of justice;
・ Footnote 82: Philelphus, absurdly enough, derives this Greek or Oriental jealousy from the manners of ancient Rome.
・ This was hastened by a temporary coalition between Fox and Pitt, which was occasioned, naturally enough, by the ill-treatment they had both received from the Duke of Newcastle.
第2期,第3期からも続々と例が挙がってくるが,現代的な oddly, strangely, curiously といった副詞との共起が目立ってくる.
・ Oddly enough, it happened. Mine honest friend Hector came in before dinner to ask a copy of my seal of Arms, with a sly kindliness of intimation that it was for some agreeable purpose.
・ Ha, ha, ha! [Taking Roope's arm.] Oddly enough---oddly enough, the story deals with the very subject we've been discussing.
・ His name was Agostino Mosti; and, strangely enough, he was the person who had raised a monument to Ariosto, of whom he was an enthusiastic admirer.
・ Strangely enough, Rogers was at first dissatisfied with the offer, holding that the sum should be paid for the new volumes alone.
・ Curiously enough, although Adam Smith was immersed in abstract speculations, his "homely sagacity" led him to the most practical results;
・ Curiously enough, this novel consists of two perfectly distinct narratives;
このようにコーパスによる調査結果を概観してみるだけでも,18世紀以降,共起する副詞の種類においても頻度においても,順調に分布を拡げ定着してきた表現といってよさそうである.enough を付加することでリズムがよくなるという効果 (eurhythmy) のほか,文副詞であることを明示する機能があるのかもしれない.
以前より不思議に思っていた表現がある.enough という卑近な副詞を用いた表現なのだが,典型的に -ly 副詞に enough が後置され,文頭位置あるいは挿入句として生起するものだ.例をみるのが早い.BNCweb より挙げてみよう(問題の句はイタリック体にしてある).なお,検索窓には "*ly_{ADV} enough" と入力した.
・ Oddly enough, many parliaments expect to modify government plans, which takes time.
・ Her large grin and knotted black curls were, strangely enough, more memorable.
・ I had a dream last night funnily enough about Leeds (I dont normally --- honest!).
・ Interestingly enough, even hens and rats have been found to consume more calories when they are offered a varied diet than when they are fed `the same old thing' all the time.
・ Naturally enough, those who commit crimes will tend to conceal their actions and protect themselves.
それぞれ「妙なことに」「奇妙なことに」「滑稽なことに」「興味深いことに」「当然のことに」を意味する,いわゆる文修飾の副詞句である.文修飾であるから,統語的には文頭に現われたり,挿入的に用いられたりすることは不思議ではない.理解しかねるのは,enough の役割である.なぜ「十分に」が添えられているのだろうか.enough が省略されたところで,前置されている副詞単体でも文修飾として同じように機能するのだ.副詞単体ではやや寂しく感じられ,たいした強調ともならない enough を添えることでリズムを良くする程度の効果 (eurhythmy) はありそうだが.
enough に前置されることの多い副詞の種類としては,ヒット数の多い順に20個を挙げると oddly, quickly, strangely, funnily, interestingly, early, easily, naturally, curiously, clearly, appropriately, only, seriously, barely, ironically, nearly, surprisingly, badly, reasonably, hardly となる.しかし,quickly, early, easily などは,今回注目する用法としてではない例(つまり「十分に素早く」などの通常の用法)によって頻度が高くなっているにすぎない.注目する用法で現われる最も典型的な10語を選べば,oddly, strangely, funnily, interestingly, naturally, curiously, appropriately, ironically, surprisingly, reasonably あたりとなる.
この用法が生起する分布に注意すると,書き言葉にも話し言葉にも現われており,メディアによる違いはないといってよい(いずれも 18 wpm 程度).使用者の男女差や世代差でみても,特に目立った分布上の特徴ははない.テキストタイプとしては Fiction and verse で相対的に高い値 (27.01 wpm) を示すが,際立っているわけでもない.多くの異なるレジスターで用いられているのが実態である.
改めて enough の意味の問題に立ち戻ろう.この enough は意味論的にはかなり薄いものと言わざるを得ない.実際『ジーニアス英和大辞典』によれば,この enough には「十分に」の意味はほどんどない旨,言及がある.また,OED の enough, adj., pron., and n., and adv. の C. adv. 2 にも "With the idea of satisfying a requirement reduced or absent." とあり,何のために「十分な」のかについて「何」の前提が薄くなってしまった語義が立てられている.その下位区分 (b) として与えられているのが,まさに今問題にしている用法で,次のように説明がある.
(b) With a sentence adverb, as in aptly enough.
See also funnily enough at FUNNILY adv. 2, oddly enough at ODDLY adv. 5b.
1704 W. Nicolson Diary 22 Nov. in London Diaries (1985) 231 The Text of the Book (whimsically enough) in Vermilion-Letters, instead of an Italic Character.
1783 Ld. Hailes Disquis. Antiq. Christian Church ii. 15 Which, aptly enough, might be denominated the journals of the senate.
1912 E. V. Baxter & L. J. Rintoul Rep. Sc. Ornithol. 3 Curiously enough, both the Common Nightingale .. and the Northern Nightingale .. were added in spring to the Scottish list.
2015 H. Scales Spirals in Time ix. 249 A mollusc named, appropriately enough, the Windowpane Oyster.
この用法での初例が1704年となっているので,はるばる古英語 geōg にさかのぼる古参の副詞とはいえ,別の副詞に前置される問題の表現は,なかなかモダンらしい.
3単現の -s というのは,英語の初学者が最初につまずく文法事項の代表格です.主語が3人称かつ単数であり,文の時制が現在のときに,動詞には -(e)s を付けなければならないという,一見すると何の意味があるのか分からない,厄介な決まりです.ただでさえ厄介な代物ですが,さらにひどいことに,3単現 (3sp) の条件を満たしているにもかかわらず -s を付け(てはいけ)ない動詞というのがあります.can, may, shall のような助動詞 (auxiliary_verb) です.He can swim., She may say so., The truth shall be told. などでは,3単現を満たしているようにみえますが,決して *cans, *mays, *shalls のような形を用いません.英語では,そのような形は存在しないのです.いったい,なぜでしょうか.音声の解説をお聴きください.
そう,驚くべきことに問題の助動詞は,起源が過去形なのです! can, may, shall などが表わしている意味は確かに現在(少なくとも過去ではない)というべきですが,いずれも語源的には過去形です.もともと過去形なのですから,3単「現」に特有の -s 語尾が付くなどということは歴史上一度もなかったのです.
では,なぜ起源としては過去形なのに意味は現在となっているのでしょうか.これはなかなか難しい問題ですが,助動詞においては過去形が現在の意味を帯びるという意味変化が歴史的に繰り返し起こってきたようなのです.もともとの過去形 can, may, shall が本来の過去の意味を失い,現在の意味を帯びるようになると,新たに過去を表わす形が必要となり,-t/d 語尾を付して could, might, should という新過去形が生み出されました.確かにこれらは現代英語でも助動詞の過去形と称されますが,実際には Could it be true?, She might be in London by now., We should apologize. のように,意味的には現在として用いられることが多いのです.助動詞の過去形には,このように現在の意味を帯びるようになる傾向がみられます.
今回取り上げたような助動詞は,専門的には「過去現在動詞」 (preterite-present_verb) という妙な名前がついています.この不思議な問題については##3648,58,66,3504の記事セットをご覧ください.
intensifier は通常「強意語」と訳されるが,専門的に広義には,意味の緩和,つまりマイナス方向の「強意」をも含む用語としてとらえておく必要がある.Quirk et al. (§§8.104--115) によると,intensifier は意味論の観点から以下のように下位区分される.
INTENSIFIERS
・ AMPLIFIERS
・ Maximizers: absolutely, altogether, completely, entirely, extremely, fully, perfectly, quite, thoroughly, totally, utterly, in all respects, most
・ Boosters: badly, bitterly, deeply, enormously, far, greatly, heartily, highly, intensely, much, severely, so, strongly, terribly, violently, well, a great deal, a good deal, a lot, by far, very much
・ DOWNTONERS
・ Approximators: almost, nearly, practically, virtually, as good as, all but
・ Compromisers: kind of, sort of, quite, rather, enough, sufficiently, more or less
・ Diminishers: mildly, partially, partly, quite, slightly, somewhat, in part, in some respects, to some extent, a bit, a little, least (of all), only, merely, simply, just, but
・ Minimizers: barely, hardly, little, scarcely, in the least, in the slightest, at all, a bit
この数日間に「#4233. なぜ quite a few が「かなりの,相当数の」の意味になるのか?」 ([2020-11-28-1]),「#4235. quite a few は,下げて和らげおきながら最後に皮肉で逆転?」 ([2020-11-30-1]) の記事で副詞 quite の用法に注目してきたが,上の分類によると quite は Maximizers と Compromizers の2つのリストのなかに現われる.一般に,程度の概念を伴わない語句と共起する場合には Maximizer として機能し,程度を有する語句と共起する場合には Compromiser として機能するとされる.それぞれ例文を挙げておこう.
[ Maximizer として ]
・ Flying is quite the best way to travel.
・ I quite forgot about her birthday.
・ I quite understand.
・ The bottle is quite empty.
・ You're quite right.
[ Compromizer として ]
・ He plays quite well.
・ I quite enjoyed the party, but I've been to better ones.
・ It is quite cold, isn't it?
・ She quite likes him, but not enough to marry him.
・ The food in the cafeteria is usually quite good.
頻度の高い副詞だが,案外使い方は難しい.
・ Quirk, Randolph, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik. A Comprehensive Grammar of the English Language. London: Longman, 1985.
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最終更新時間: 2024-10-26 09:48
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