お知らせ 「いのほた言語学チャンネル」より2種類の再生リストを作りました.井上回と堀田回です.どうぞご利用ください.
同僚の井上逸兵さんと運営している YouTube 「いのほた言語学チャンネル」の最新回は,日曜日に公開された「#251. 辞書編纂者で知られるウェブスターのイギリス綴り colour からアメリカ color への綴り字改革の背後にあるものは?」です.アメリカ英語の辞書編纂者として知られる Noah Webster (1758--1843) に,英語史の観点から迫った入門動画です.
この動画では,辞書編纂者としてのみならず,ウェブスターのもう1つの側面,綴字改革者としてのウェブスターを紹介しています.彼は colour の綴字を color に, centre を center に改める運動を先導し,アメリカ英語のイギリス英語からの独立を主張しました.
ウェブスターはもともと教育者として活動しており,英語の教科書を自作するなどして教育に貢献していました.彼の初期の著作であり,後に Blue-Backed Speller として知られるようになった綴字教本は飛ぶように売れ,その後の100年間で8000万部も売れる大ベストセラーとなりました.
また,ウェブスターは愛国心の強い人物で,アメリカ独立戦争にも参戦しています.実際,その綴字改革論にも,反イギリスの反骨精神が宿っていました.彼の改革のすべてが成功したわけではありませんが,上記のように一部の改革提案は受け入れられ,アメリカ英語の綴字として定着しました.ウェブスターの名声と成功は,彼の教育に対する情熱とアメリカ独立の精神に支えられていたといえます.
ウェブスターについては hellog でも webster の各記事で書いてきました.とりわけ以下をご参照ください.
・ 「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1])
・ 「#2905. Benjamin Franklin に影響を受けた Noah Webster」 ([2017-04-10-1])
・ 「#3087. Noah Webster」 ([2017-10-09-1])
・ 「#3247. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第5回「color か colour か? --- アメリカのスペリング」」 ([2018-03-18-1])
・ 「#4152. アメリカ英語の -our から -or へのシフト --- Webster の影響は限定的?」 ([2020-09-08-1])
・ 「#4735. なぜ Webster は綴字改革をなし得たか?」 ([2022-04-14-1])
表音文字は音声を表わす.表意文字は意味を表わす.表語文字は語を表わす.定義そのものを述べているだけで,当たり前のように思われるかもしれない.しかし,実際にはそれぞれの文字種は,機能的に互いに乗り入れることも多く,さまざまな言語学的情報を伝えている.
音声学の観点から文字をみると,文字は発話の流れ,音声,異音を表わすことができる.音韻論的には,文字は音節,モーラ,子音や母音の分節音,そして超分節音を表わせる.形態論的には,文字は語,屈折,派生,形態音韻論的単位に対応し得る.統語論的には,文字は構成素構造や談話構造を伝える.語用論的には,文字は強調やポライトネスを表わすこともあり得る.文字が背負い得る言語学的情報は,ほかにも考えられるだろう.
Daniels (69) は,「言語学史としての文字史」と題する論考の結論で,今後の文字論においては,文字が表わし得る言語学的情報の種類に注目することが必要であると説く.
What emerges from this survey is the unsurprising conclusion that aspects of linguistic structure that are most salient to the language user---the most accessible to conscious control: words, syllables, discourse, emphasis---are the most likely to be taken into account in their orthographies. Other features have emerged more or less incidentally over the centuries, and have either been incorporated into common usage or have dropped out of fashion. Needed is investigation of the origin and persistence of all these features in all the world's orthographies (vs the prevailing concentration on the evolution of the shapes of characters and beyond the recent attention to the acquisition of orthographies). It may show that imposition of script reform outside the context of adoption or adaptation of a script to a new language is an otiose and even futile exercise. The twin examples of Sassanian conservatism and Turkish innovation reveal that only in extraordinary circumstances can either of these extremes succeed. In every case, a writing system must be understood through the pens of those who write it.
これからの文字論のあり方に示唆を与えてくれる重要な洞察だ.
・ Daniels, Peter T. "The History of Writing as a History of Linguistics." Chapter 2 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 53--69.
3週間後の2月24日(土)の 15:30--18:45 に,朝日カルチャーセンター新宿教室にてシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第4回となる「近代英語の綴字 --- 標準化を目指して」が開講されます.
今回の講座は,全4回のシリーズの第4回となります.シリーズのラインナップは以下の通りです.
・ 第1回 文字の起源と発達 --- アルファベットの拡がり(春・4月29日)
・ 第2回 古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ(夏・7月29日)
・ 第3回 中英語の綴字 --- 標準なき繁栄(秋・10月7日)
・ 第4回 近代英語の綴字 --- 標準化を目指して(冬・2月24日)
今度の第4回については,先日 Voicy heldio にて「#971. 近代英語の綴字 --- 2月24日(土)の朝カルのシリーズ講座第4回に向けて」として概要を紹介していますので,お聴きいただければ幸いです.
これまでの3回の講座では,英語綴字の標準化の前史を眺めてきました.今回はいよいよ近現代における標準化の実態に迫ります.まず,15世紀の Chancery Standard に始まり,16世紀末から17世紀にかけての Shakespeare,『欽定訳聖書』,初期の英語辞書の時代を経て,18--19世紀の辞書完成に至るまでの時期に注目し,英単語の綴字の揺れと変遷を追います.その後,アメリカ英語の綴字,そして現代の綴字改革の動きまでをフォローして,現代英語の綴字の課題について論じる予定です.各時代の英単語の綴字の具体例を示しながら解説しますので,迷子になることはありません.
本講座にご関心のある方は,ぜひこちらのページよりお申し込みください.講座当日は,対面のほかオンラインでの参加も可能です.また,参加登録されますと,開講後1週間「見逃し配信」を視聴できます.ご都合のよい方法でご参加いただければと思います.シリーズ講座ではありますが,各回の内容は独立していますので,今回のみの単発のご参加でもまったく問題ありません.なお,講座で用いる資料は,当日,参加者の皆様に電子的に配布される予定です.
本シリーズと関連して,以下の hellog 記事,および Voicy heldio 配信回もご参照ください.
[ 第1回 文字の起源と発達 --- アルファベットの拡がり ]
・ heldio 「#668. 朝カル講座の新シリーズ「文字と綴字の英語史」が4月29日より始まります」(2023年3月30日)
・ hellog 「#5088. 朝カル講座の新シリーズ「文字と綴字の英語史」が4月29日より始まります」 ([2023-04-02-1])
・ hellog 「#5119. 朝カル講座の新シリーズ「文字と綴字の英語史」の第1回を終えました」 ([2023-05-03-1])
[ 第2回 古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ ]
・ hellog 「#5194. 7月29日(土),朝カルのシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第2回「古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ」」 ([2023-07-17-1])
・ heldio 「#778. 古英語の文字 --- 7月29日(土)の朝カルのシリーズ講座第2回に向けて」(2023年7月18日)
・ hellog 「#5207. 朝カルのシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第2回「古英語の綴字 --- ローマ字の手なずけ」を終えました」 ([2023-07-30-1])
[ 第3回 中英語の綴字 --- 標準なき繁栄 ]
・ hellog 「#5263. 10月7日(土),朝カルのシリーズ講座「文字と綴字の英語史」の第3回「中英語の綴字 --- 標準なき繁栄」」 ([2023-09-24-1])
・ heldio 「#848. 中英語の標準なき綴字 --- 10月7日(土)の朝カルのシリーズ講座第3回に向けて」(2023年9月26日)
[ 第4回 近代英語の綴字 --- 標準化を目指して ]
・ heldio 「#971. 近代英語の綴字 --- 2月24日(土)の朝カルのシリーズ講座第4回に向けて」(2024年1月27日)
多くの方々のご参加をお待ちしております.
英語綴字の改革や標準化への関心は,英語史の長きにわたって断続的に観察されてきた.古英語の "West-Saxon Schriftsprache" は正書法の策定の1例だし,初期中英語期にも "AB-language" の綴字や Ormulum, Laȝamon などの綴り手が個人レベルで正書法に関心を寄せた.16世紀以降には正音学 (orthoepy) への関心が高まり,それに伴って個性的な綴字改革者が立て続けに現われた.18世紀以降には Samuel Johnson や Noah Webster が各々正書法の確立に寄与してきたし,現代にかけても数々の新しい綴字改革の運動が旗揚げされてきた.hellog でも spelling_reform の多くの記事で触れてきた通りである.
Crystal (288) によると,伝統的な正書法 (TO = traditional orthography) に対する歴史上の改革は数多く挙げられるが,4種類に分けられるという.
・ Standardizing approaches, such as New Spelling . . . , uses familiar letters more regularly (typically, by adding new digraphs . . .); no new symbols are invented.
・ Augmenting approaches, such as Phonotypy . . . add new symbols; diacritics and invented letters have both been used.
・ Supplanting approaches replace all TO letters by new symbols, as in Shavian . . . .
・ Regularizing approaches apply existing rules more consistently or focus on restricted areas of the writing system, as in Noah Webster's changes to US English . . . or those approaches which drop silent or redundant letters, such as Cut Spelling . . . .
穏健路線から急進路線への順に並べ替えれば Regularizing, Standardizing, Augmenting, Supplanting となるだろう.これまで本格的に成功した綴字改革はなく,せいぜい限定的に痕跡を残した Hart や Webster の名前が挙がるくらいである.そして,限定的に成功した改革提案は常に穏健なものだった.英語史において綴字改革はそれほど難しいものだったのであり,今後もそうあり続ける可能性が高い.
・ Crystal, D. The Cambridge Encyclopedia of the English Language. 3rd ed. CUP, 2018.
一般的にいって綴字改革 (spelling_reform) は成功しないものである.実際,英語の歴史で見る限り成功例はほとんどない.その理由については「#606. 英語の綴字改革が失敗する理由」 ([2010-12-24-1]),「#2087. 綴字改革への心理的抵抗」 ([2015-01-13-1]),「#634. 近年の綴字改革論争 (1)」 ([2011-01-21-1]),「#635. 近年の綴字改革論争 (2)」 ([2011-01-22-1]) などで触れてきた.
英語史において綴字改革がそれなりに成功したとみなすことのできるほぼ唯一の事例が,Noah Webster によるアメリカ英語における綴字改革である(改革の対象となった単語例は「#3087. Noah Webster」 ([2017-10-09-1]) を参照).
では,なぜ Webster の綴字改革は類い希なる成功を収め得たのか.この問題については「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1]),「#3086. アメリカの独立とアメリカ英語への思い」 ([2017-10-08-1]) でも取り上げてきた.端的にいえば,ウェブスターの綴字改革は,反イギリス(綴字)という時代の勢いを得たということである.アメリカ独立革命とそれに伴うアメリカの人々の新生国家に対する愛国心に支えられて,通常では実現の難しい綴字改革が奏功したのである.もちろん,Webster 自身も強い愛国者だった.
Webster の愛国心の強さについては上記の過去の記事でも言及してきたが,それをさらに雄弁に語る解説を見つけたので紹介したい.昨日の記事でも触れた Coulmas (267) が,アメリカ英語の歴史を著わした Mencken を適宜引用しながら,愛国者 Webster の綴字イデオロギーについて印象的な記述を施している.
Webster was an ardent nationalist who had an intuitive understanding of the symbolic significance of the written language as a national emblem. Like many of his contemporaries in England and in the colonies, Webster promoted a reformed mode of spelling; however, what distinguished him from others is that he realised the political significance of claiming an independent standard for American English. Spelling to him was a way to write history. Webster's various publications on the English language were intended to further America's intellectual independence and to prove political nationalism with a manifest appearance for all to see and identify with. 'As an independent nation, our honor requires us to have a system of our own, language as well as government' (Webster 1789: 20).
Reducing the number of letters, weeding out silent letters, and making the spelling more regular were general principles of reform in line with the Enlightenment's call for more rationality. While Webster subscribed to these ideals, to him the 'greatest argument', as Mencken put it, 'was the patriotic one: "A capital advantage of his reform in these States would be that it would make a difference between the English orthography and the American"' (quoted from Mencken 1945 [1919]: 382). Regulating spelling conventions since the Renaissance had been intended to advance homogeneity, but Webster's new spelling was, on the contrary, designed to bring about a schism. Reversing the printers' plea for as wide a distribution of print products as possible, he argued that 'the English would never copy our orthography for their own use' and that the alteration would thus 'render it necessary that all books should be printed in America' (Mencken 1945 [1919]: 382). The assumed economic advantages of a simpler spelling system that would accrue from savings in the cost of teaching as well as publishing books at home rather than buying them from England were an important part of his reasoning.
Self-interest and nationalism thus prevailed over rationalism. Webster's new spelling could succeed because it was supported by a strong political ideology, because it was not so sweeping as to burn all the bridges and make literature in the conventional orthography unintelligible, and because the population concerned was favourably disposed to novelty and not strongly tied to a literary tradition, hailing to a large part from less-educated strata of society. If any generalisation can be drawn from this example, it would seem to be that in spelling reforms ideological motives are more important than correcting system-intrinsic flaws of the extant norm, although it is usually properties of this kind --- irregularity, redundancy, polyvalence --- that are first put forth by reform proponents.
私が興味を引かれたのは,第2段落後半に言及がある印刷と本作りに関するくだりである.アメリカ綴字で印刷された本はイギリスでは売れない.それは結構なことである.アメリカ国内で印刷産業が育つことになり,イギリスから本を輸入する必要もなくなるからだ.この綴字改革の政治経済的インパクトを予見していたとすれば,Webster,まさに恐るべしである.
・ Coulmas, Florian. "Sociolinguistics and the English Writing System." The Routledge Handbook of the English Writing System. Ed. Vivian Cook and Des Ryan. London: Routledge, 2016. 261--74.
・ Webster, Noah. Dissertation on the English language. Boston, MA: Isaiah Thomas and Co., 1789. Available online at https://archive.org/stream/dissertationsone00webs#page/20/mode/2up.
・ Mencken, H. L. The American Language: An Inquiry into the Development of English in the United States. 4th ed. New York: Alfred A. Knopf, 1945 [1919].
英語史における最初の綴字改革 (spelling_reform) はいつだったか,という問いには答えにくい.「改革」と呼ぶからには意図的な営為でなければならないが,その点でいえば例えば「#2712. 初期中英語の個性的な綴り手たち」 ([2016-09-29-1]) でみたように,初期中英語期の Ormulum の綴字も綴字改革の産物ということになるだろう.
しかし,綴字改革とは,普通の理解によれば,個人による運動というよりは集団的な社会運動を指すのではないか.この理解に従えば,綴字改革の最初の契機は,16世紀後半から17世紀にかけての一連の正音学 (orthoepy) の論者たちの活動にあったといってよい.彼らこそが,英語史上初の本格的綴字改革者たちだったのだ.これについて Carney (467) が次のように正当に評価を加えている.
The first concerted movement for the reform of English spelling gathered pace in the second half of the sixteenth century and continued into the seventeenth as part of a great debate about how to cope with the flood of technical and scholarly terms coming into the language as loans from Latin, Greek and French. It was a succession of educationalists and early phoneticians, including William Mulcaster, John Hart, William Bullokar and Alexander Gil, that helped to bring about the consensus that took the form of our traditional orthography. They are generally known as 'orthoepists'; their work has been reviewed and interpreted by Dobson (1968). Standardization was only indirectly the work of printers.
この点について Carney は,基本的に Brengelman の1980年の重要な論文に依拠しているといってよい.Brengelman の論文については,以下の記事でも触れてきたので,合わせて読んでいただきたい.
・ 「#1383. ラテン単語を英語化する形態規則」 ([2013-02-08-1])
・ 「#1384. 綴字の標準化に貢献したのは17世紀の理論言語学者と教師」 ([2013-02-09-1])
・ 「#1385. Caxton が綴字標準化に貢献しなかったと考えられる根拠」 ([2013-02-10-1])
・ 「#1386. 近代英語以降に確立してきた標準綴字体系の特徴」 ([2013-02-11-1])
・ 「#1387. 語源的綴字の採用は17世紀」 ([2013-02-12-1])
・ 「#2377. 先行する長母音を表わす <e> の先駆け (1)」 ([2015-10-30-1])
・ 「#2378. 先行する長母音を表わす <e> の先駆け (2)」 ([2015-10-31-1])
・ 「#3564. 17世紀正音学者による綴字標準化への貢献」 ([2019-01-29-1])
・ Carney, Edward. A Survey of English Spelling. Abingdon: Routledge, 1994.
・ Dobson, E. J. English Pronunciation 1500--1700. 2nd ed. 2 vols. Oxford: OUP, 1968.
・ Brengelman, F. H. "Orthoepists, Printers, and the Rationalization of English Spelling." JEGP 79 (1980): 332--54.
フランス語研究者であり正音学者だった16世紀前半に活躍したイギリス人 John Palsgrave は,英語(学)史上も重要である.フランス語研究者として1530年に英語でフランス語文典 Lesclarcissement de la Langue Francoyse を著わし,当時もっともよく知られたフランス語文典となった.「#3836. フランス語史の年表」 ([2019-10-28-1]) に名を挙げられるくらいであるから,その影響力はただものではない.
Palsgrave はロンドンに生まれ,ケンブリッジ大学に学び,パリで修士号を取得した.帰国してフランス語教師となり Thomas More などとも親交を深めた.彼の英語学史上の最大の業績は,外国語であるフランス語を「音声表記」した点にあるといってよい.他言語の発音を客観的に記述するという,現代の音声学の基本的な姿勢の伝統を創始した人物である(渡部,p. 38).
16世紀は,Palsgrave のような正音学者が多数輩出した時代である.大母音推移 (gvs) 等の音変化が進行し,発音と綴字のギャップ (spelling_pronunciation_gap) が開きつつあるなかで,綴字改革 (spelling_reform) の訴えが様々な陣営よりなされていた.外国語研究者は発音の問題に敏感である.Palsgrave も,例外ではなく英語の発音と綴字の問題に並々ならぬ関心を示す正音学 (orthoepy) の徒だったのである.なお,外国語研究の立場から英語の発音と綴字の問題に関心を示した初期近代英語期の「同志」としては,ほかに De pronunciation Graecae (1555) を著わした J. Cheke や Grammatica Linguae Anglicanae (1653) を著わした J. Wallis もいる(石橋,p. 616).
Palsgrave のもう1つの注目すべき点は,OED の引用文の常連であることだ.OED は,かの Lesclarcissement から5418個もの用例を引いてきており,この時期の語彙記述に多大な貢献をなしている(cf. 「#642. OED の引用データをコーパスとして使えるか (4)」 ([2011-01-29-1])).この著書は語学書であるから,フィロロジストもである OED 編纂者にとって,当然ながら「大好物」である.編纂者が,このような垂涎ものの著書から(とりわけ文法用語などの)語彙を集めてこないわけがない.
以上,Palsgrave が英語(学)史上ひとかどの人物とされている背景を簡単に紹介した.
・ 渡部 昇一 『英語学史』 英語学大系第13巻,大修館書店,1975年.
・ 石橋 幸太郎(編) 『現代英語学辞典』 成美堂,1973年.
color (AmE) vs colour (BrE) に代表される,アメリカ式 -or に対してイギリス式 -our の綴字上の対立は広く知られている.本ブログでも「#240. 綴字の英米差は大きいか小さいか?」 ([2009-12-23-1]),「#244. 綴字の英米差のリスト」 ([2009-12-27-1]),「#3182. ARCHER で colour と color の通時的英米差を調査」 ([2018-01-12-1]),「#3247. 講座「スペリングでたどる英語の歴史」の第5回「color か colour か? --- アメリカのスペリング」」 ([2018-03-18-1]),「#4152. アメリカ英語の -our から -or へのシフト --- Webster の影響は限定的?」 ([2020-09-08-1]) などで取り上げてきた.
Anson もよく知られたこの問題に迫っているのだが,アメリカの綴字改革者 Noah Webster (1758--1843) が現われる以前の時代にも注意を払い,広い英語史の視点から問題を眺めている点が素晴らしい.主としてラテン語に由来し,フランス語を経由してきた語群が初出する中英語期から話しを説き起こしているのだ.このズームアウトした視点から得られる洞察は,非常に深い (Anson 36--38) .
ラテン語に由来する語の場合,同言語の綴字としては,厳格な正書法に則って -or- が原則だった.colorem, ardorem, dolorem, favorem, flavorem, honorem, (h)umorem, laborem, rumorem, vigorem のごとくである.古フランス語では,これらのラテン語の -or- が受け継がれるとともに,異綴字として -our- も現われ,両者併用状況が生じた.そして,この併用状況が中英語期にもそのまま持ち込まれることになった.実際,中英語では両綴字が確認される.
とはいえ,中英語では,これらフランス借用語についてはフランス語にならって問題の語尾を担う部分にアクセントが落ちるのが普通であり,アクセントをもつ長母音であることを示すのに,-or よりも視覚的に大きさの感じられる -our のほうが好まれる傾向があった.以降(イギリス)英語では,フランス語的な -our が主たる綴字として優勢となっていく.
しかし,ラテン語的な -or も存続はしていた.16世紀になると,ルネサンスの古典語への回帰の風潮,いわゆる語源的綴字 (etymological_respelling) の慣習が知識人の間にみられるようになり,-or が勢力を盛り返した.こうして -or と -our の競合が再び生じたが,いずれかを規範的な綴字として採用しようとする標準化の動きは鈍く,時間が過ぎ去った.
17世紀後半の王政復古期には,2音節語においては -our が,それよりも長い語においては -or が好まれる傾向が生じた.そして,理性の世紀である18世紀には,合理的な綴字として再び -or に焦点が当てられるようになった.一方,1755年に辞書を世に出した Johnson は,直前の語源の綴字を重視する姿勢から,フランス語的な -our を支持することになり,後のイギリス式綴字の方向性を決定づけた.その後のアメリカ英語での -or の再度の復活については,「#4152. アメリカ英語の -our から -or へのシフト --- Webster の影響は限定的?」 ([2020-09-08-1]) で述べた通りである.
つまり,中英語期にこれらの語が借用されてきた当初より,-or vs -our の競合はシーソーのように上下を繰り返してきたのだ.アメリカ式 -or を支持する原理としては,ルネサンス期のラテン語回帰もあったし,18世紀の合理性重視の思想もあったし,Webster の愛国心もあった.イギリス式 -our を支持する原理としては,中英語期のフランス語式への恭順もあったし,18世紀半ばの Johnson の語源観もあった.
ルネサンスと Webster を結びつけるなど考えたこともなかったが,Anson の優れたズームアウトによって,それが可能となった.
・ Anson, Chris M. "Errours and Endeavors: A Case Study in American Orthography." International Journal of Lexicography 3 (1990): 35--63.
昨日の記事「#4151. 標準化と規範化の関係」 ([2020-09-07-1]) で引用した文章のなかに,Anson からの引用が埋め込まれていた.Anson 論文は,アメリカ英語における color, humor, valor, honor などの -or 綴字の発展と定着の歴史を実証的に調査した研究である.1740--1840年にアメリカ北東部で発行された新聞からのランダムサンプルを用いた調査の結果が特に信頼に値する.イギリス英語綴字 -our に対するアメリカ英語綴字 -or の定着は,一般に Noah Webster (1758--1843) の功績とされることが多いが,事はそれほど簡単ではない.以下が,Anson (47) による調査報告のまとめの部分である.
Most obvious is the appearance of both -or and -our through the century, but gradual change can be detected from the -our extreme in 1740 to the -or extreme in 1840. Only small and sporadic change occurred around the time of Webster's strongest influence, which suggests that if he did contribute to the dropping of -u, his contribution was slow to take effect.
A key year appears to be 1830 --- after the appearance of Worcester's dictionary and the public attention, during the previous decade, to Webster's and Worcester's battle of dictionaries and spellers. . . .
On the whole, then, the American usage chart shows a slow but steady movement toward the -or spelling. No doubt the movement spilled at least into the first quarter of the twentieth century, when sporadic cases of -our were still to be seen. Aided by later dictionaries, which have looked to usage or other American authorities, the shift to -or is now virtually complete.
この調査報告を読むと,Webster (および彼と辞書編纂で争った Worcester)の当該語の綴字への影響は1830年以降に少し感じられはするが,決定的な影響というほどではなかったという.しかも -our から -or へのシフトの完成は,それから優に数十年も待たなければならなかったのである.Webster の役割は,せいぜいシフトの触媒としての役割にとどまっていたといえそうだ.
この事例研究から,Anson (48) は言語変化の標準化と規範化の関係に関する次の一般論を導き出そうとしている.
. . . usage and authority work mutually and each tends to influence the other and be influenced by it. A highly respected dictionary may influence the way an educated public spells debated words; on the other hand, no authority --- even Webster --- can hope to change a firmly entrenched spelling habit among the general public. The chances are good that, had the public not been moving steadily toward -or forms, we might still be spelling in favor of -our, despite Webster. While Webster may have served as a catalyst for some spelling changes, he was not, for spelling reform, the cause celebre many have assumed. Most of his reforms never caught on. Curiously, spelling reform on a large scale, like Esperanto and other synthetic languages, has never appealed to the public as have changes introduced organically and from within. Proponents of spelling reform argue quite convincingly that their proposals meet a real public need for simplicity, precision, and uniformity; yet often the public allows linguistic changes that work in just the opposite direction. Usage, then, is a highly resistant strain when it comes to 'curing the ills' of the language, and it ultimately determines its own future.
昨日の記事の趣旨に照らせば,この引用冒頭の "usage" を標準化と,"authority" を規範化と読み替えてもよいだろう.
・ Anson, Chris M. "Errours and Endeavors: A Case Study in American Orthography." International Journal of Lexicography 3 (1990): 35--63.
日英語を歴史的に比較するとき,書き言葉に関して両言語は意外と大きく異なる.日本語のほうが,人為的な関与が強かったという特徴がある.もちろん「書き言葉」であるから,一般的にいって「話し言葉」に比べれば意識的であり,したがって人為的な関与がみられるのも当然なのだが,それを考慮しても日本語史のほうが英語史よりも関与の度合いが強い.とりわけ明治以降,つまり近現代にその傾向は如実である.清水は「日本語史概観」で,次の2点に触れている.
明治期の後半には,また特筆すべき出来事がある.二葉亭四迷や坪内逍遥によって言文一致という大事業が完遂されたことである.旧来の言語意識を打破した「ことばの文明開化」ともいうべきこの言文一致の完成は,〔中略〕日本語の歴史において最も優れた言語改革といえよう.これによって新しい文学表現が誕生することとなった.(14)
第2次世界大戦以降,日本は大きく変貌した.外的要因によって社会的変革が行われたからである.これによって日本語も大きく変化した.それまで行われてきた歴史的仮名遣が,現代仮名遣へと変更されたのである.規範の更改である.日本語史上,規範の更改が外的要因によってなされたことの意義はきわめて大きいといわざるをえない.改革という大きな力が加わらなければ,規範自らは動かないのが常である.外的な強い要請に基づいて制定されたこの期の現代仮名遣の施行は,日本語史上きわめて大きな出来事として注目される (14--15)
英語史において,このような文体やスペリングの更改が短期間で著しく生じたことは,ノルマン征服による規範的書き言葉の瓦解という劇的な契機を除けば,ほとんどないといってよい.書き言葉において「自然体の変化」というのは厳密にいえば矛盾した言い方ではあるが,日本語史に比べれば英語史での変化は,より「自然体」だったとはいえるだろう.言語計画や言語政策という概念や用語は,概して英語史よりも日本語史のほうにふさわしい.
・ 清水 史 「第1章 日本語史概観」服部 義弘・児馬 修(編)『歴史言語学』朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3 朝倉書店,2018年.1--21頁.
言語の標準化の問題を考えるに当たって,1つ枠組みを紹介しておきたい.Milroy and Milroy (27) にとって,standardisation とは言語において任意の変異可能性が抑制されることにほかならず,その過程には7つの段階が認められるという.selection, acceptance, diffusion, maintenance, elaboration of function, codification, prescription である.これは古典的な「#2745. Haugen の言語標準化の4段階 (2)」 ([2016-11-01-1]) に基づいて,さらに精密化したものとみることができる.Haugen は,selection, codification, elaboration, acceptance の4段階を区別していた.
Milroy and Milroy の7段階という枠組みを用いて標準英語の形成を歴史的に分析・解説したものとしては,Nevalainen and Tieken-Boon van Ostade の論考が優れている.そこではもっぱら現代標準英語の発達の歴史が扱われているが,同じ方法で英語史における大小様々な「標準化」を切ることができるだろうと述べている.かぎ括弧つきの「標準化」は,何らかの意味で個人や集団による人為的な要素が認められる言語改革風の営みを指している.具体的には,10世紀のアルフレッド大王による土着語たる古英語の公的な採用(ラテン語に代わって)や,Chaucer 以降の書き言葉としての英語の採用(フランス語やラテン語に代わって)や,12世紀末の Orm の綴字改革や,19世紀の William Barnes による母方言たる Dorset dialect を重用する試みや,アメリカ独立革命期以降の Noah Webster による「アメリカ語」普及の努力などを含む (Nevalainen and Tieken-Boon van Ostade 273) .互いに質や規模は異なるものの,これらのちょっとした言語計画 (language_planning) というべきものを,「標準化」の試みの事例として Milroy and Milroy 流の枠組みで切ってしまおうという発想は,斬新である.
日本語史でいえば,現代標準語の形成という中心的な話題のみならず,仮名遣いの変遷,言文一致運動,常用漢字問題,ローマ字問題などの様々な事例も,広い意味での標準化の問題としてカテゴライズされ得るということになろう.
・ Milroy, Lesley and James Milroy. Authority in Language: Investigating Language Prescription and Standardisation. 2nd ed. London and New York: Routledge, 1991.
・ Nevalainen, Terttu and Ingrid Tieken-Boon van Ostade. "Standardisation." Chapter 5 of A History of the English Language. Ed. Richard Hogg and David Denison. Cambridge: CUP, 2006. 271--311.
象徴的な意味でアメリカ英語を作った Noah Webster (1758--1843) について,主として『英語学人名辞典』 (376--77) に拠り,伝記的に紹介する. *
Noah Webster は,1758年,Connecticut 州は West Hartford で生まれた.学校時代に学業で頭角を表わし,1778年,Yale 大学へ進学する.在学中に独立戦争が勃発し,新生国家への愛国精神を育んだ.
大学卒業後,教員そして弁護士となったが,教員として務めていたときに,従来の Dilworth による英語綴字教本に物足りなさを感じ,自ら教本を執筆するに至った.A Grammatical Institute of the English Language と題された教本は,第1部が綴字,第2部が文法,第3部が読本からなるもので,この種の教材としては合衆国初のものだった.全体として愛国的な内容となっており,国内のほぼすべての学校で採用された.第1部の綴字教本は,後に The American Spelling Book として独立し,100年間で8000万部売れたというから大ベストセラーである.表紙が青かったので "Blue-Backed Speller" と俗称された.この本からの収入だけで,Webster は一生の生計を支えられたという.
Webster は,言論を通じて政治にも関与した.1793年,New York で日刊新聞 American Minerva (後の Commercial Advertiser)および半週刊誌 Herald (後の New York Spectator)を発刊し,Washington 大統領の政策を支えた.後半生は,Connecticut 州の New Haven と Massachusetts 州の Amherst で過ごした.
言語方面では,1806年に A Compendious Dictionary of the English Language を著わし,1807年に A Philosophical and Practical Grammar of the English Language を著わした.Compendious Dictionary では,すでに綴字の簡易化が実践されており,favor, honor, savior; logic, music, physic; cat-cal, etiquet, farewel, foretel; ax, disciplin, examin, libertin; benum, crum, thum (v.) / ake, checker, kalender, skreen; croop, soop, troop; fether, lether, wether; cloke, mold, wo; spunge, tun, tung などが見出しとして立てられている.
1807年からは大辞典の編纂に着手し,途中,作業のはかどらない時期はあったものの,1828年についに約7万項目からなる2巻ものの大辞典 An American Dictionary of the English Language が出版された.これは,Johnson の辞書の1818年の改訂版よりも約1万2千項目も多いものだった.Compendious Dictionary に採用されていた簡易化綴字の多くは,今回は不採用となったが,いくつかは残っており,それらは現代にまで続くアメリカ綴字となった.語源記述に関しては,Webster は当時ヨーロッパで勃興していた比較言語学にインスピレーションを受け,多くの単語に独自の語源説を与えたが,実際には比較言語学をよく理解しておらず,同辞典を無価値な記述で満たすことになった.
性格としては傲岸不遜な一面があり,人々に慕われる人物ではなかったようだが,アメリカ合衆国の独立を支えるべく「アメリカ語」の独立に一生を捧げた人生であった.
以下,Webster の主要な英語関係の著作を挙げておく.
・ A Grammatical Institute of the English Language: Part I (1783) [and its later editions: The American Spelling Book (1788) aka "Blue-Backed Speller"; The Elementary Spelling Book (1843)]: 綴字教本
・ A Grammatical Institute of the English Language: Part II (1784): 文法教本
・ A Grammatical Institute of the English Language: Part III (1785): 読本
・ Dissertations on the English Language, with Notes Historical and Critical (1789): 綴字改革の実行可能性と必要性を説く
・ A Collection of Essays and Fugitive Writings (1790): 独自の新綴字法で書かれた
・ A Compendious Dictionary of the English Language (1806): 独自の新綴字法で書かれた
・ A Philosophical and Practical Grammar of the English Language (1807)
・ An American Dictionary of the English Language, 2 vols. (1828)
・ An Improved Grammar of the English Language (1831)
・ Mistakes and Corrections (1837)
その他,Webster については webster の各記事,とりわけ「#468. アメリカ語を作ろうとした Webster」 ([2010-08-08-1]) と「#3086. アメリカの独立とアメリカ英語への思い」 ([2017-10-08-1]) を参照されたい.
・ 佐々木 達,木原 研三 編 『英語学人名辞典』 研究社,1995年.
・ Kendall, Joshua. The Forgotten Founding Father. New York: Berkeley, 2012.
昨日の記事「#3063. Sir John Cheke の英語贔屓」 ([2017-09-15-1]) で Cheke の言語的純粋主義に焦点を当てた.英語史上,Cheke はこのほか正書法と綴字問題にも関わっていることで知られている(cf. 「#1940. 16世紀の綴字論者の系譜」 ([2014-08-19-1]),「#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論」 ([2014-08-18-1])).そしてもう1つ,Cheke はギリシア語の発音について,社会的な意義をもつ論争を引き起こしたことで有名である.
ギリシア語の発音を巡っては,オランダの人文主義者 Desiderius Erasmus (1466?--1536) が先駆けて議論を提示していた.従来のギリシア語の音読では,異なる母音字で綴られていても同じように発音するという慣習があった.しかし,Erasmus はそれがかつては異なる母音を表わしていたに違いないと推測し,本来の発音がいかなるものだったかを Dialogus de recta latini graecique sermonis pronuntiatione (1528) で提示した.
Cheke も徹底的に古典ギリシア語の発音を研究していた.Cheke は,1540年にケンブリッジ大学のギリシア語教授となってから,慣習的なギリシア語の発音は誤りであるとして改革の必要性を説いたが,ケンブリッジ大学総長の Stephen Gardiner がそれを遮った.1542年に改革発音を禁じたのである.パリでも Erasmus の改革発音が「文法上の異端」として禁止された.従来の発音を維持することで権威を守りたい体制側のカトリックが,原語に忠実な発音へ改革しようとする反体制的なプロテスタントを押さえつけるという構図である.
Gardiner は何を恐れていたのだろうか.Knowles (68) より引用する.
It is difficult to believe that Gardiner was threatened by sounds and the study of pronunciation. What did present a threat, and a serious one, was the precise study of texts. This point had been understood by the Lollard translators. The Bible was at this time increasingly proclaimed by reformers as the ultimate authority, and, the more scholarly and accurate the written text, the more effectively it could be used to challenge the traditional oral authority of the church.
Gardiner was extremely conservative not only in language but also in politics and religion. When, after 1553, Queen Mary sought to return the English church to Rome, Gardiner was her lord chancellor; and in this capacity he played a role in the burning of heretics, and one of his potential victims --- had he not recanted --- was Sir John Cheke. After Gardiner's death in 1555, Cheke published the correspondence between himself and Gardiner under the title Disputationes de pronuntiatione graecae linguae. What is important and perhaps surprising in this story is that the study of pronunciation could be regarded as a political issue.
引用の最後で指摘されているとおり,この事件でおもしろいのは,外国語の発音の仕方という些細な問題が政治と宗教の論争にまで発展したことだ.言語においては,1音あるいは1字のうえに命が懸かっているという状況が,実際にありうる.非常におもしろいが,非常におそろしい.
colour から1文字だけ削除して color とすることを訴えて綴字改革に邁進した Noah Webster も,独立したアメリカへの愛国心に駆られて,ある意味で命を懸けていたのではなかったか.
・ Knowles, Gerry. A Cultural History of the English Language. London: Arnold, 1997.
昨日の記事「#2904. 英語史における Benjamin Franklin の役割」 ([2017-04-09-1]) に引き続き,Benjamin Franklin の話題.Franklin が綴字改革運動に関連して Noah Webster に影響を及ぼした旨にを述べたが,これについては Baugh and Cable (359--60) の記述が優れている.
Spelling reform was one of the innumerable things that Franklin took an interest in. In 1768, he devised A Scheme for a New Alphabet and a Reformed Mode of Spelling and went so far as to have a special font of type cut for the purpose of putting it into effect. Years later, he tried to interest Webster in his plan but without success. According to the latter, "Dr. Franklin never pretended to be a man of erudition---he was self-educated; and he wished to reform the orthography of our language, by introducing new characters. He invited me to Philadelphia to aid in the work; but I differed from him in opinion. I think the introduction of new characters neither practicable, necessary nor expedient." Indeed, Webster was not in the beginning sympathetic to spelling reform. . . . But, by 1789, Franklin's influence had begun to have its effect. In the Dissertations on the English Language, published in that year, Webster admitted: "I once believed that a reformation of our orthography would be unnecessary and impracticable. This opinion was hasty; being the result of a slight examination of the subject. I now believe with Dr. Franklin that such a reformation is practicable and highly necessary."
結果としてみれば,Webster の心変わりは,英語史上非常に稀な綴字改革の成功をもたらした.成功とはいっても,綴字体系が大きく変化したわけではなく,せいぜいマイナーチェンジと呼ぶべきものだったわけだが,その水準での改革ですら,それまではほとんど達成されたことがなかったのである.こうして,Webster は(英語教育史上のみならず)英語史上にも名前を残すことになった.Franklin の「親父の小言」が,冷酒のように後から利いてきたという経緯に,当時の若きアメリカとそこに生きた Webster のエネルギーを感じざるを得ない.
・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.
昨日の記事「#2903. Benjamin Franklin の13徳における drink not to elevation の解釈」 ([2017-04-08-1]) で取り上げたついでに,Benjamin Franklin (1706--90) の英語史上の貢献について紹介する.Franklin はアメリカの啓蒙思想家として数々の偉業を成し遂げてきた人物だが,英語史においても重要な役割を果たしている.2点を指摘しておきたい.
1つは綴字改革者としての顔である.Franklin は若い頃印刷屋に奉公しており,英語の綴字と発音の問題には並々ならぬ関心を寄せていた.綴字改革を志し,1768年には A Scheme for a New Alphabet and a Reformed Mode of Spelling を書いた.これは新文字の導入を含めた表音主義の原理に則った改革案だったが,イギリスにおける16世紀の William Bullokar や17世紀の Charles Butler の試みが,18世紀にアメリカの地で繰り返されたかのような代物であり,前例にならって失敗する運命だった(「#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論」 ([2014-08-18-1]) を参照).渡部 (271) は「手にかけたことは大抵成功した Franklin が失敗した珍しい例であるが,英語の綴字の体質には合理主義を拒絶する何かがあるのである」と評している.Franklin は Webster を誘って綴字改革への支援を求めたが,そのとき Webster は真に受けなかった.ところが,歴史が示しているように,後に Webster は綴字改革に多大な関心を示し,穏やかながらも綴字改革案のいくつかの項目を実現させることに成功した.このように,Franklin はアメリカ英語の綴字の形成に,間接的ながらも重要な役割を果たしたのである.
もう1つは,Franklin がアメリカにおける英文法教育の事実上の創始者となったことである.Franklin は1750年に Pennsylvania に English Academy (後の University of Pennsylvania)を設立し,そこで古典語文法と同列に英文法の教育を授けることを主張した.そこでの試みは必ずしも期待通りに成功しなかったが,国語教育の指導理念は他校や他州にも拡がっていき,やがてアメリカに定着するようになる.1756年の入学生に Lindley Murray がいるが,彼の1795年の著書 English Grammar がアメリカのみならず英語圏の統一的文法書になってゆくという後の歴史も興味深い(「#2592. Lindley Murray, English Grammar」 ([2016-06-01-1])).ここにも Franklin から流れる系譜があったのだ(渡部,pp. 491--92).
ちなみに,若い頃の Franklin は文法,修辞学,論理学を独習するのに James Greenwood の An Essay Towards a Practical English Grammar, Describing the Genius and Nature of the English Tongue. Giving Rational and Plain Account of GRAMMAR in General, with a familiar Explanation of its Terms (1711) を用いていたことが,自伝に書かれている(同文法書の1753年版はこちら).そのほか,Franklin は,上記と同年に出版されている John Brightland の A Grammar of the English Tongue, with Notes, Giving the Grounds and Reason of Grammar in General. To which is added, A New Prosodia; Or, The Art of English Numbers. All adapted to the Use of Gentlemen and Ladies, as well as of the Schools of Great Britain も英文法の推薦図書として挙げている.
このように,Franklin は啓蒙的な教育家として英語(学)史に名前を残しているのである.
・ 渡部 昇一 『英語学史』 英語学大系第13巻,大修館書店,1975年.
英語の綴字標準化の歴史は,後期ウェストサクソン方言で標準的なものが現われるが,ノルマン征服後の初期中英語にはそれが無に帰し,後期中英語になって徐々に再標準化の兆しが芽生え,初期近代英語期中に標準化が進み,17--18世紀に標準綴字が確立した,と大雑把に要約できる.この概観によれば,初期中英語期は綴字の標準がまるでなかった時代ということになる.それはそれで間違ってはいないが,綴字標準とはいわずとも,ある程度一貫した綴字慣習ということであれば,この時代にも個人や小集団のレベルで実践されていた形跡が少数見つかる.よく知られているのは,(1) "AB language" の綴字, (2) Ormulum の作者 Orm の綴字,(3) ブリテン史 Brut をアングロ・フレンチ版から翻訳した Laȝamon の綴字である.
(1) "AB language" の名前は,修道女のための指南書 Ancrene Wisse を含む Cambridge, Corpus Christi College 402 という写本 (= A) と,関連する聖女伝や宗教論を含む Oxford, Bodleian Library, Bodley 34 の写本 (=B) に由来する.この2写本(及び関連するいくつかの写本)には,かなり一貫した綴字体系が採用されており,しかも複数の写字生によってそれが用いられていることから,おそらく13世紀前半に,ある南西中部の修道院か写本室が中心となって,標準綴字を作り上げる試みがなされていたのだろうと推測されている.
(2) Orm は,Lincolnshire のアウグスティノ修道士で,1200年頃に,聖書を分かりやすく言い換えた書物 Ormulum を著わした.現存する唯一のテキストは2万行を超す韻文の大作であり,それが驚くほど一貫した綴字で書かれている.Orm は,母音の量にしたがって後続する子音を重ねるなどの合理性を追究した独特な綴字体系を編みだし,それを自分の作品で実践したのである.この Orm の綴字は,他の写本にも類するものが発見されておらず,きわめて個人的な綴字標準化の事例だが,これは後の16世紀の個性的な綴字改革論者の先駆けといってよい.
(3) Laȝamon は,Worcestershire の司祭で,13世紀初頭に韻文の年代記を韻文で英語へ翻訳した.当時すでに古めかしくなっていたとおぼしき頭韻 (alliteration) や,古風な語彙・綴字を復活させ,ノスタルジックな雰囲気をかもすことに成功した.Laȝamon は,実際に古英語にあった綴字かどうかは別として,いかにも古英語風な綴字を意識的に用いた点で特異であり,これをある種の個人的な綴字標準化の試みとみることも可能だろう.
以上,Horobin (98--102) を参照して執筆した.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
本ブログで何度も取り上げてきた英語綴字の歴史を著わした Horobin は,著書の最終章の終わりにかけて,綴字改革への反対論を繰り広げている.綴字史を総括しながら著者が到達するのは,まさに学者的な保守主義である.Horobin はつくづく中世英語研究者であり(言語の)歴史研究者なのだなと感じ入った.とりわけ,それがよく読み取れる部分を2箇所引こう.
Etymological relicts like these have a further function in making visible the linguistic richness of the language and its varied history, thereby maintaining a closer relationship with texts of the past. While silent letters like those in knight are unhelpful for modern learners of English, they do enable us to retain a link with the language used by Chaucer, and before him by the Anglo-Saxons. When English speakers turn to Chaucer they may find much unfamiliar, but they will not be thrown by the line 'A knyght ther was, and that a worthy man' thanks to our preservation of the medieval spelling. Historical spellings like this preserve that link with the past, as well as standing as a monument to the language's history.
The English language has come into contact with numerous other languages throughout its history, all of which have left their mark, to a greater or lesser degree, on the language's structure, spelling, and vocabulary. To remove the idiosyncrasies that they have contributed to our spelling system would be to erase the evidence of that history. Our spelling system could be likened to a cathedral church, whose origins lie in the Anglo-Saxon period, but whose structure now includes a Gothic portico added in the Middle Ages, a domed tower added in the Early Modern period, and a gift shop and café introduced in the 1960s. The end result is an awkward mixture of architectural styles which no longer reflects the builders' original plan, nor is it the ideal building for the bishop and his clergy to carry out their diocesan duties. But, in spite of these practical limitations, it would be hard to imagine anyone suggesting that the cathedral be demolished to allow the rebuilding of a more functional and architecturally harmonious modern construction. Quite apart from the practical and financial costs of such a project, the demolition and reconstruction of the cathedral would erase the rich historical record that such a building represents. (Horobin 249)
Finally, there seems to me another reason for resisting any attempts to reform English spelling, and retaining traditional spellings, silent letters and all: such spellings are a testimony to the richness of our language and its history. This argument is harder to defend as it has no practical purpose, although it does help to maintain a connection between our present-day language and that of the past. Modern English speakers would surely find it more difficult to read the works of Chaucer and Shakespeare if our spelling system was to be radically reformed. Silent letters are silent witnesses to pronunciations that have since been lost, but which continue to be preserved in a spelling system that boasts a long and rich heritage. (Horobin 251--52)
1つめの引用で,現代英語の綴字を大聖堂になぞらえている比喩が秀逸である.両引用に共通するのは,現代英語に対する保守的な態度が,著者のイギリスの歴史と文学遺産に対する敬意と愛慕に基づいていることだ.著者本人も認めるように,この議論には確かに実用的な長所はないように思われる.しかし,なにか著者の強い使命感のようなものが感じられる.英国でも,日本でも,そして世界中で教養科目の軽視が叫ばれるなか,著者のこの主張は傾聴すべきと考える.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
現代英語について,標準的な正書法にこだわる人々は多い.英語綴字の歴史を著わし,本ブログでたびたび取り上げてきた Horobin は,このように綴字に対する保守的な態度が蔓延している現状について論じている.だが,標題に挙げたように,そもそもなぜそのような人々は正しい綴字にこだわるのだろうか.この問題に関する Horobin の見解が凝縮されているのが,次の箇所である (pp. 228--29) .
Why is correct spelling so important? Throughout this book I have tried to show that standard English spelling comprises a variety of different forms that have developed in an erratic and inconsistent manner over a substantial period of time. We must therefore discard any attempt to impose a teleological narrative upon the development of English spelling which would argue that our standard spelling system is the result of a kind of Darwinian survival of the fittest, producing a system that has been refined over centuries. We have also seen that the concept of a standard spelling system is a relatively modern one; earlier periods in the history of English were able to manage without a rigidly imposed standard perfectly well. What is more, informal writing, as in the letters and diaries of earlier periods, has often allowed more relaxed rules for spelling and punctuation. So why should it be different for us? I suspect that one reason is that spelling is the area of language use that is easiest to regulate and monitor, and thus the area where users come under the strongest pressure to conform to a standard. Older generations of spellers have considerable personal investment in maintaining these standards, given that they themselves were compelled to learn them. As David Mitchell confesses in his Soapbox rant against poor spellers, 'I'm certainly happy to admit that I do have a huge vested interest in upholding these rules because I did take the trouble to learn them and, having put that effort in, I am abundantly incentivized to make sure that everyone else follows suit. The very last thing I want is for us to return to a society where some other arbitrary code is taken as the measure of a man, like how many press-ups you can do or what's the largest mammal you can kill'. But is correct spelling more than simply a way of providing puny men with a means of asserting themselves over their physically more developed peers?
綴字は言語について人々が最も保守的になりがちな領域であるという主張には,おおいに賛成する.この事実は書き言葉の特徴と不可分である.書き言葉は話し言葉と違って,「見える」し,いつまでも「残る」媒体である.水掛け論がそうであるように,話し言葉であれば言った言わないのごまかしが利くかもしれないが,書き言葉では物理的な動かぬ証拠が残ってしまうだけにごまかせない.書き言葉でも,文法や語法などは語の綴字よりも評価のターゲットとするには大きく抽象的な単位であり,槍玉に挙げる(あるいは賞賛する)には語の綴字というのが手っ取り早い単位なのだ.良きにつけ悪しきにつけ,綴字は評価に対して無防備なのだ.
もう1つ,「オレは学校で苦労して綴字を覚えた,だから息子よ,オマエも苦労して覚えよ」論も,わからないではない.理解できる側面がある.だが,これは Horobin にとっては,肉体的マッチョ論ならぬ,同じくらい馬鹿げた知的マッチョ論と見えるようだ.この辺りの問題は世代間・時代間の不一致という普遍的な現象と関わっており,全面的な解決はなかなか難しそうだ.この問題と関連して,慣れた正書法から離れることへの心理的抵抗という要因もあることは間違いない.「#2087. 綴字改革への心理的抵抗」 ([2015-01-13-1]) や「#2094. 「綴字改革への心理的抵抗」の比較体験」 ([2015-01-20-1]) も参照されたい.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
初期近代英語期の綴字改革者 John Hart (c. 1501--74) について,「#1994. John Hart による語源的綴字への批判」 ([2014-10-12-1]),「#1942. 語源的綴字の初例をめぐって」 ([2014-08-21-1]),「#1940. 16世紀の綴字論者の系譜」 ([2014-08-19-1]),「#1939. 16世紀の正書法をめぐる議論」 ([2014-08-18-1]),「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1]),「#583. ドイツ語式の名詞語頭の大文字使用は英語にもあった」 ([2010-12-01-1]),「#441. Richard Mulcaster」 ([2010-07-12-1]) の記事で言及してきた.
Hart は,当時,表音主義の立場にたつ綴字改革の急先鋒であり,「1文字=1音」の理想へと邁進していた.しかし,後続の William Bullokar (fl. 1586) とともに,あまりに提案が急進的だったために,当時の人々にまともに取り上げられることはなかった.それでも,Hart の提案のなかで,後に結果として標準綴字に採用された重要な項目が2つある.<u> と <v> の分化,そして <i> と <j> の分化である.それぞれの分化の概要については,「#373. <u> と <v> の分化 (1)」 ([2010-05-05-1]),「#374. <u> と <v> の分化 (2)」 ([2010-05-06-1]),「#1650. 文字素としての j の独立」 ([2013-11-02-1]) で触れた通りだが,これを意図的に強く推進しようとした人物が Hart その人だった.Horobin (120--21) は,この Hart の貢献について,次のように評価している.
In many ways Hart's is a sensible, if slightly over-idealized, view of the spelling system. Some of the reforms introduced by him have in fact been adopted. Before Hart the letter <j> was not a separate letter in its own right; in origin it is simply a variant form of the Roman letter <I>. In Middle English it was used exclusively as a variant of the letter <i> where instances appear written together, as in lijf 'life', and is common in Roman numerals, such as iiij for the number 4. . . . Hart advocated using the letter <j> as a separate consonant to represent the sound /dʒ/, as we still do today. A similar situation surrounds the letters <u> and <v>, which have their origins in the single Roman letter <V>. In the Middle English period they were positional variants, so that <v> appeared at the beginning of words and <u> in the middle of words, irrespective of whether they represented the vowel or consonant sound. Thus we find Middle English spellings like vntil, very, loue, and much. Hart's innovation was to make <u> the vowel and <v> the consonant, so that their appearance was dependent upon use, rather than position in the word.
現代の正書法につらなる2対の文字素の分化について,Hart のみの貢献と断じるわけにはいかない.しかし,彼のラディカルな提案のすべてが水泡に帰したわけではなかったということは銘記してよい.
・ Horobin, Simon. Does Spelling Matter? Oxford: OUP, 2013.
「#2018. <nacio(u)n> → <nation> の綴字変化」 ([2014-11-05-1]) に引き続いての話題.ただし,nation という1単語にとどまらず,一般にラテン語の -tiō に遡る語尾をもつ語彙の綴字が,中英語の -<cion> から近代英語の -<tion> へと変化した事情に注目する.
先の記事で示唆したように,この <c> → <t> の変化は語源的綴字 (etymological_respelling) と考えられる.語源的綴字は,ある程度は類型化できるものの,たいていはいくつかの語において単発的に生じるものであり,体系的な現象ではない.しかし,そのなかでもラテン語 -tiō を参照した <c> → <t> の変化はおよそ規則的に生じたようであり,その程度において意識的だったといえる.規則的で意識的だったということは,見方によればこの変化は綴字改革 (spelling_reform) の成果だったと言えなくもない.英語の綴字改革の歴史において,多少なりとも成功した試みは Noah Webster のものくらいしかない(それとてあくまで部分的)と言われるが,初期近代英語の <c> → <t> はもう1つの例外的な成功例とみることができるかもしれない.
Venezky (38) は,-<tion> のみならず -<tial> も含めて,この変化について以下のように触れている.
. . . a number of graphemic substitutions, introduced mostly between the times of Chaucer and Shakespeare, must be treated separately. One of these is the substitution of t for c in suffixes like tion and tial, e.g., nation, essential (cf. ME, nacion, essenciall). Early Modern English scribes, instilled with the fervor of classical learning, brought about in these substitutions one of the few true spelling reforms in English orthographic history.
・ Venezky, Richard L. The Structure of English Orthography. The Hague: Mouton, 1970.
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