「#5452. 英語人名史における by-name と family name の違い」 ([2024-03-31-1]) などで取り上げてきた,英語人名を構成する by-name の歴史研究について.初期中英語期に by-name を付ける慣習が徐々に発達していたとき,典型的な名付けのパターンの1つが職業名 (occupational terms) を利用するものだった.この方面の研究は,尽くされてはいないものの,それなりに知見の蓄積がある.Clark (294--95) は,カンタベリーにおける by-name を調査した論文のなかで,文証された by-name の解釈にまつわる難題に触れている.証拠をそのまま信じることは必ずしもできない理由が多々あるという.
The simplest of these Canterbury surnames offer supplementary records, mainly antedatings, of straightforward occupational terms. Yet all is not wholly straightforward. To begin with, we cannot be sure whether the occupational terms used in administrative documents were in fact all current as surnames, that is, in daily use among neighbours, or whether some were supplied by the scribes as formal specifiers, just as occupations and addresses are in legal documents of the present day. Nor can we be sure in what form neighbours would have used such terms as they did. With those examples that are latinized --- a proportion varying in the present material from three-quarters to nine-tenths --- scribal intervention is patent, although sometimes reconstruction of the vernacular base seems easy (such forms, and other speculative cases, are cited in square brackets). With those given in a French form matters are more complex. On the one hand, scribes had a general bias away from English and towards French, as though the latter were, as has been said, 'a sort of ignoble substitute for Latin'; therefore, use of a French occupational term guarantees neither its currency in the English speech of the time nor, alternatively, any currency of French outside the scriptorium: in so far as such terms appear neither in literary sources nor as modern surnames MED is justified in excluding them. On the other hand, many 'French' terms were adopted into English very early; use of these would by no means imply currency of French as such, either in the community at large or in the scriptorium itself.
証拠解釈が難題である背景は多様だが,とりわけラテン語やフランス語が関わってくる状況が厄介である.この時代の税金名簿などに記されている人名はラテン語化されているものが多く,英語名はその陰に隠されてしまっている.また,フランス語で書かれていることも多く,問題の職業名そのものがフランス語由来の場合,それがすでに英語に同化している単語なのか,それともフランス単語のままなのかの判断も難しい.
職業を表わす by-name は,そもそも文献学的に扱いにくい素材なのである.そして,これは職業を表わす by-name に限らず,中英語の固有名全般に関わる厄介な事情でもある.
・ Clark, Cecily. "Some Early Canterbury Surnames." English Studies 57.4 (1976): 204--309.
昨日の記事「#5366. England と English の語源を深掘りする回」 ([2024-01-05-1]) で触れた England について,歴史的な異形態(あるいは異綴字)を OED に従って列挙してみたい.OED によると,この語の異形態は大きく3つの系列に分けられる.
α. OE Ænglaland, Anglaland (rare), Englalond, OE-eME Ængleland, Englaland, lOE Englæland, lOE-eME Engleland, eME Aenglelond, Englalande, Englelond, Englelonde.
β. eME Anglenelonde, Engleneloande, Englenelond, Englenelonde.
γ. ME Ægeland, Eangelond, Engelande, Engelond, Engelonde, Enguelonde, Enkelonde, Ingelond, Ingelonde, Inglond, Inglonde, Yngelond, ME-15 Englond, Englonde, Ingeland, Ynglond, ME-16 Englande, Ingland, ME- England, 15 Eingland, Eyngland, Yngellond, 16 Inglant (Irish English), 17 Englone (Irish English); Sc. pre-17 Engelande, Englande, Englonde, Ingland, Inglande, Yngland, Ynglande, Ynglond, pre-17 17- England.
α系列の綴字は本来の語源形に最も近いもので,Angle (アングル人)の複数属格形である Angla に land (土地,国)が接続した複合語である.綴字上 <l> の文字が2度,典型的には <lala> のような繋がりで現われるのがポイントである.
β系列は,複数属格語尾に本来強変化名詞で予想される -a ではなく,弱変化名詞屈折から借りてきたとおぼしき -ena が用いられる系列である.これについては,A. Campbell Old Eng. Gram. (1959) §610 (7) を参照するようにとあったので参照してみると,「マーシア人たちの」を意味する Mierċcna (-ena) の形態を念頭に置きつつ次のように述べている.
The adoption of g.p. -ena, -na is obscure; once adopted it caused further confusion with the weak nouns (Seaxan, Englan, &c.).
βγ系列は,α系列の <lala> の連続を嫌って重音脱落 (haplology) を経た綴字である.現代標準の England に連なる系列と理解してよい.「#2362. haplology」 ([2015-10-15-1]) を参照.
ちなみに MED の Engelōnd n.[/sic] によると, "Also Eng(e)land, (early) Engle(ne lond, (late) Ing(e)lond." と異形態が与えられていた.
このように England という重要な国号の形態・綴字とて歴史的には長らく揺れを示してきたのである.関連して以下の記事や放送回を参照.
・ hellog 「#1145. English と England の名称」 ([2012-06-15-1])
・ hellog 「#1436. English と England の名称 (2)」 ([2013-04-02-1])
・ hellog 「#2250. English の語頭母音(字)」 ([2015-06-25-1])
・ heldio 「#16. そもそも English という単語はナゾだらけ!」
・ heldio 「#251. 複数形 Englishes の出現」
・ Campbell, A. Old English Grammar. Oxford: OUP, 1959.
ソーシャルメディアの書き言葉は,省略やタイポが多い.英語でいえば単語の省略の仕方は一通りではなく,いずれの省略綴字が用いられるかは予測できない.自然言語処理 (nlp) においては,このような省略綴字を正規化するなどの前処理が必要となり,なかなか厄介な問題のようだ.
一方,中英語の綴字のヴァリエーションも豊富である.綴り方は一通りではなく,いずれの綴字が用いられるかは,方言ごとに緩い傾向はあるものの,完全には予測できない.中英語を読んだり分析する際には,多様な綴字を「正規化」する必要があり,かなり厄介な問題だ.
両者は,このようにとても似ている."tomorrow" という単語の綴字ヴァリエーションを例に取り,比較してみよう.ソーシャルメディアの例は Vajjala 他 (p. 295) から,中英語の例は MED から取った.
[ ソーシャルメディアからの "tomorrow" の綴字 ]
tmw, tomarrow, 2mrw, tommorw, 2moz, tomorro, tommarrow, tomarro, 2m, tomorrw, tmmrw, tomoz, tommorow, tmrrw, tommarow, 2maro, tmrow, tommoro, tomolo, 2mor, 2moro, 2mara, 2mw, tomaro, tomarow, tomoro, 2morr, 2mro, tmoz, tomo, 2morro, 2mar, 2marrow, tmr, tomz, tmorrow, 2mr, tmo, tmro, tommorrow, tmrw, tmrrow, 2mora, tommrow, tmoro, 2ma, 2morrow, tomrw, tomm, tmrww, 2morow, 2mrrw, tomorow
[ MED からの "tomorrow" の綴字 ]
tōmōrn, tomorne, -moroun(e, -morwen, -morwin, -morewen, -morgen, tomor3en, -moregan, -moreuin, -marewene, -marwen, -marhen, -mar3an, -mar3en, -mær3en, temarwen; tōmōrwe, tomorewe, -moreu, -mor(r)owe, -mor(r)ou, -morou, -moru(e, -mor3e, -marewe, temorwe, tomoruwe, -more3e, -mar3e, -mær3e
もう主旨はお分かりだろう.ソーシャルメディアを対象とする自然言語処理技術の発展は,中英語研究にも有用にちがいない! 笑い話のようでありながら,いや,なかなかおもしろい比較ではないか.
・ Vajjala, Sowmya, Bodhisattwa Majumder, Anuj Gupta, Harshit Surana (著),中山 光樹(訳) 『実践 自然言語処理 --- 実世界 NLP アプリケーション開発のベストプラクティス』 オライリー・ジャパン,2022年.
昨年2月26日に,同僚の井上逸兵さんと YouTube チャンネル「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」を開始しました.以降,毎週レギュラーで水・日の午後6時に配信しています.最新動画は,一昨日公開された第91弾の「ゆる~い中世の英語の世界では綴りはマイルール?!through のスペリングは515通り!堀田的ゆるさベスト10!」です.
英語史上,前置詞・副詞の through はどのように綴られてきたのでしょうか? 後期中英語期(1300--1500年)を中心に私が調査して数え上げた結果,515通りの異なる綴字が確認されています.OED や MED のような歴史英語辞書,Helsinki Corpus, LAEME, LALME のような歴史英語コーパスや歴史英語方言地図など,ありとあらゆるリソースを漁ってみた結果です.探せばもっとあるだろうと思います.
標準英語が不在だった中英語期には,写字生 (scribe) と呼ばれる書き手は,自らの方言発音に従って,自らの書き方の癖に応じて,様々な綴字で単語を書き落としました.同一写字生が,同じ単語を異なる機会に異なる綴字で綴ることも日常茶飯事でした.とりわけ through という語は方言によって発音も様々だったため,子音字や母音字の組み合わせ方が豊富で,515通りという途方もない種類の綴字が生じてしまったのです.
関連する話題は hellog でもしばしば取り上げてきました.以下をご参照ください.
・ 「#53. 後期中英語期の through の綴りは515通り」 ([2009-06-20-1])
・ 「#54. through 異綴りベスト10(ワースト10?)」 ([2009-06-21-1])
・ 「#3397. 後期中英語期の through のワースト綴字」 ([2018-08-15-1])
・ 「#193. 15世紀 Chancery Standard の through の異綴りは14通り」 ([2009-11-06-1])
・ 「#219. eyes を表す172通りの綴字」 ([2009-12-02-1])
・ 「#2520. 後期中英語の134種類の "such" の異綴字」 ([2016-03-21-1])
・ 「#1720. Shakespeare の綴り方」 ([2014-01-11-1])
今回,515通りの through の話題を YouTube でお届けした次第ですが,その収録に当たって「小道具」を用意しました.せっかくですので,以下に PDF で公開しておきます.
・ 横置きA4用紙10枚に515通りの through の綴字を敷き詰めた資料 (PDF)
・ 横置きA4用紙1枚に1通りの through の綴字を大きく印字した全515ページの資料 (PDF)
・ 堀田の選ぶ「ベスト(ワースト)10」の through の綴字を印字した10ページの資料 (PDF)
ユルユル綴字の話題と関連して,同じ YouTube チャンネルより比較的最近アップされた第83弾「ロバート・コードリー(Robert Cawdrey)の英英辞書はゆるい辞書」もご覧いただければと(cf. 「#4978. 脱力系辞書のススメ --- Cawdrey さんによる英語史上初の英英辞書はアルファベット順がユルユルでした」 ([2022-12-13-1])).
一昨日の「#4945. なぜ推奨を表わす動詞の that 節中で shall?」 ([2022-11-10-1]) および昨日の「#4946. 推奨を表わす動詞の that 節中における shall の歴史的用例」 ([2022-11-11-1]) の記事に引き続き,従属節内で接続法(仮定法)現在でもなく should でもなく,意外な shall が用いられている歴史的用例を歴史的辞書からもっと集めてみました.
OED を調べると,問題の用法は shall, v. の語義11aに相当します.
11. In clauses expressing the purposed result of some action, or the object of a desire, intention, command, or request. (Often admitting of being replaced by may; in Old English, and occasionally as late as the 17th cent., the present subjunctive was used as in Latin.)
a. in clause of purpose usually introduced by that.
In this use modern idiom prefers should (22a): see quot. 1611 below, and the appended remarks.
c1175 Ormulum (Burchfield transcript) l. 7640, 1 Þiss child iss borenn her to þann Þatt fele shulenn fallenn. & fele sHulenn risenn upp.
c1250 Owl & Night. 445 Bit me þat ich shulle singe vor hire luue one skentinge.
1390 J. Gower Confessio Amantis II. 213 Thei gon under proteccioun, That love and his affeccioun Ne schal noght take hem be the slieve.
c1450 Mirk's Festial 289 I wil..schew ȝow what þis sacrament is, þat ȝe schullon in tyme comyng drede God þe more.
1470--85 T. Malory Morte d'Arthur xiii. xv. 633 What wille ye that I shalle doo sayd Galahad.
1489 (a1380) J. Barbour Bruce (Adv.) i. 156 I sall do swa thow sall be king.
1558 in J. M. Stone Hist. Mary I App. 518 My mynd and will ys, that the said Codicell shall be accepted.
1611 Bible (King James) Luke xviii. 41 What wilt thou that I shall doe vnto thee? View more context for this quotation
a1648 Ld. Herbert Life (1976) 70 Were it not better you shall cast away a few words, than I loose my Life.
1698 in J. O. Payne Rec. Eng. Catholics 1715 (1889) 111 To the intent they shall see my will executed.
1829 T. B. Macaulay Mill on Govt. in Edinb. Rev. Mar. 177 Mr. Mill recommends that all males of mature age..shall have votes.
1847 W. M. Thackeray Vanity Fair (1848) xxiv. 199 We shall have the first of the fight, Sir; and depend on it Boney will take care that it shall be a hard one.
1879 M. Pattison Milton xiii. 167 At the age of nine and twenty, Milton has already determined that this lifework shall be..an epic poem.
とりわけ1829年と1847年の例は,推奨を表わす今回の問題の用法に近似します.
MED の shulen v.(1) の語義4a(b)と21b(ab)辺りにも,完全にピッタリの例ではないにせよ類例が挙げられています.
歴史的な観点からすると,推奨を表わす動詞の that 節中における shall の用法の「源泉」は,緩く中英語まではたどれるといえそうです.これを受けて,改めて「物議を醸す日本ハム新球場「ファウルゾーンの広さ」問題を考えていただければと思います.
この3日間の hellog 記事のまとめとして,今朝の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」で「#530. 日本ハム新球場問題の背後にある英語版公認野球規則の shall の用法について」を取り上げました.そちらもぜひお聴きください.
主に中英語期に入ってきたフランス借用語について,ラテン借用語と見分けがつかないという語源学上の頭の痛い問題がある.これについては以下の記事で取り上げてきた.
・ 「#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」 ([2011-02-09-1])
・ 「#848. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別 (2)」 ([2011-08-23-1])
・ 「#3581. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (1)」 ([2019-02-15-1])
・ 「#3582. 中英語期のフランス借用語,ラテン借用語,"mots savants" (2)」 ([2019-02-16-1])
では,フランス語か英語かの見分けがつかない語というものはあるだろうか.フランス語と英語は属している語派も異なり,語形は明確に区別されるはずなので,そのような例は考えられないと思われるかもしれない.
しかし,先のフランス借用語とラテン借用語の場合とは異なる意味合いではあるが,しかと判断できないことが少なくない.語形が似ている云々という問題ではない.語形からすれば明らかにフランス単語なのだ.ただ,その語が現われているテキストが英語テキストなのかフランス語テキストなのか見分けがつかない場合に,異なる種類の問題が生じてくる.もし完全なる英語テキストであればその語はフランス語から入ってきた借用語と認定されるだろうし,完全なるフランス語テキストであればその語は純然たるフランス語の単語であり,英語とは無関係と判断されるだろう.これは難しいことではない.
ところが,現実には英仏要素が混じり合い,いずれの言語がベースとなっているのかが判然としない "macaronic" な2言語テキストなるものがある.いわば,書かれた code-switching の例だ.そのなかに出てくる,語形としては明らかにフランス語に属する単語は,すでに英語に借用されて英語語彙の一部を構成しているものなのか,あるいは純然たるフランス単語として用いられているにすぎないのか.明確な基準がない限り,判断は恣意的になるだろう.英仏語のほかラテン語も関わってきて,事情がさらにややこしくなる場合もある.この問題について,Trotter (1790) の解説を聞こう.
Quantities of medieval documents survive in (often heavily abbreviated) medieval British Latin, into which have been inserted substantial numbers of Anglo-French or Middle English terms, usually of course substantives; analysis of this material is complicated by the abbreviation system, which may even have been designed to ensure that the language of the documents was flexible, and that words could have been read in more than one language . . ., but also by the fact that in the later period (that is, after around 1350) the distinction between Middle English and Anglo-French is increasingly hard to draw. As is apparent from even a cursory perusal of the Middle English Dictionary (MED, Kurath et al. 1952--2001) it is by no means always clear whether a given word, listed as Middle English but first attested in an Anglo-French context, actually is Middle English, or is perceived as an Anglo-French borrowing.
2言語テキストに現われる単語がいずれの言語に属するのかを決定することは,必ずしも簡単ではない.ある言語の語彙とは何なのか,改めて考えさせられる.関連して以下の話題も参照されたい.
・ 「#2426. York Memorandum Book にみられる英仏羅語の多種多様な混合」 ([2015-12-18-1])
・ 「#1470. macaronic lyric」 ([2013-05-06-1])
・ 「#1625. 中英語期の書き言葉における code-switching」 ([2013-10-08-1])
・ 「#1941. macaronic code-switching としての語源的綴字?」 ([2014-08-20-1])
・ 「#2271. 後期中英語の macaronic な会計文書」 ([2015-07-16-1])
・ 「#2348. 英語史における code-switching 研究」 ([2015-10-01-1])
・ Trotter, David. "English in Contact: Middle English Creolization." Chapter 114 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1781--93.
昨日の記事「#4076. Dictionary of Old English と Dictionary of Old English Corpus」 ([2020-06-24-1]) に引き続き,英語史研究にはなくてはならないツールについて.中英語研究といえば,何をおいても MED を挙げなければならない (Kurath, Hans, Sherman M. Kuhn, John Reidy, and Robert E. Lewis. Middle English Dictionary. Ann Arbor: U of Michigan P, 1952--2001. Available online at http://quod.lib.umich.edu/m/med/) .昨日の DOE と DOEC の関係と同様に,MED にも関連する MEC というコーパスがあり,こちらもたいへん有用である (MEC = McSparran, Frances, ed. Middle English Compendium. Ann Arbor: U of Michigan P, 2006. Available online at http://quod.lib.umich.edu/m/mec/) .
MED は1952年に最初の小冊が出版され,1991年に最後の小冊が出版されて完成した.その後,2000年にオンライン版の Middle English Compendium に組み込まれ,使い勝手が大幅に向上した.細かな検索ができることはもちろん,hyperbibliography の充実振りが嬉しい.56,000件ほどの見出し語を誇る中英語最大の辞書であることはいうにおよばず,中英語研究史上の最大の成果物といえる.2018年にはほぼ20年振りの改訂版が公開され,現在も中英語研究の第一線を走っている.
MED には,使用に当たって知っておくべきいくつかの特徴がある.Durkin (1150--52) に拠って指摘しておこう.まず,MED は,語義に多くの注意を払う辞書だということだ.OED ではある語の語形を大きな基準として記述を仕分けているが,MED のエントリーの最大の構成原理は語義である.ある意味では語形の違いなどは方言差と割り切って,LALME や LAEME に委ねているといった風である.しかし,この語義優先という特徴により,語学的な研究のみならず,文化的,歴史的な研究にも資するツールとなっているという側面がある.
語義の重視と関連して,MED は該当語の固有名詞としての使用にも意を払っている.たいてい最後の語義として言及されるが,これは固有名詞研究や歴史研究に有用である.多言語テキストに記されている英語の地名なども拾い上げられており,他言語文献や言語接触の研究にも資する情報である.
MED で惜しむらく点は,語源記述が少ないことだ.直前の古英語形や借用語であればソース言語での形態などを挙げているにとどまり,深みがない.
最後に指摘しておくべきは,例文に付されている年代について,(1) 写本(証拠)そのものの年代と,(2) テキストが作成されたとおぼしき年代とが,分けて記されている点である(後者はカッコでくくられている).両年代を念頭におけば,例えば異写本間での語形の比較に際して貴重な判断材料となるだろう.この重要な情報は,diplomatic な読みを追求する文献学的な関心に答えてくれる可能性を秘めている.
関連して「#4016. 中英語研究のための基本的なオンライン・リソース」 ([2020-04-25-1]) も参照.
・ Durkin, Philip. "Resources: Lexicographic Resources." Chapter 73 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 1149--63.
標記について,Smith (47--48) の参考文献表よりいくつか抜き出し,整理し,リンクを張ってみた(現時点で生きたリンクであることを確認済み).本ブログでは,その他各種のオンライン・リソースも紹介してきたが,まとめきれないので link を参照.とりわけ Chaucer 関連のリンクは「#290. Chaucer に関する Web resources」 ([2010-02-11-1]) をどうぞ.
英国は,議会の国である.イングランド政治史は,国王と議会の勢力争いの歴史という見方が可能であり,parliament という単語のもつ意義は大きい.英語史においてもイングランド議会史は重要であり,このことは昨日の記事「#2334. 英語の復権と議会の発展」 ([2015-09-17-1]) で触れた通りである.また,「#880. いかにもイギリス英語,いかにもアメリカ英語の単語」 ([2011-09-24-1]) でみたように,parliament は,アメリカ英語に対してイギリス英語を特徴づけるキーワードの1つともなっている.
parliament という語は,Anglo-Norman の parlement, parliment, parliament や Old French, Middle French の parlement が,13世紀に英語へ借用されたものであり,原義は「話し合い,会議」である (cf. ModF parler (to speak); PDE parley) .これらの源となるラテン語では parlamentum という形が用いられたが,イギリスの文献のラテン語においては,しばしば parliamentum の綴字が行われていた.ただし,英語では借用当初は -e- などの綴字が一般的であり,-ia- の綴字が用いられるようになるのは15世紀である.MED の parlement(e (n.) により,多様な綴字を確認されたい.
-ia- 形の発展については,確かなことはわかっていないが,ラテン語の動詞語尾 -iare や,それに対応するフランス語の -ier の影響があったともされる (cf. post-classical L maniamentum (manyment), merciamentum (merciament)) .現代英語では,-ia- は発音上 /ə/ に対応することに注意.
parliament という語とその指示対象が歴史的役割を担い始めたのは,Henry III (在位 1216--72) の治世においてである.OALD8 の parliament の項の文化欄に以下の記述があった.この1語に,いかに英国史のエッセンスが詰まっていることか.
The word 'parliament' was first used in the 13th century, when Henry III held meetings with his noblemen to raise money from them for government and wars. Several kings found that they did not have enough money, and so they called together representatives from counties and towns in England to ask them to approve taxes. Over time, the noblemen became the House of Lords and the representatives became the House of Commons. The rise of political parties in the 18th century led to less control and involvement of the sovereign, leaving government in the hands of the cabinet led by the prime minister. Although the UK is still officially governed by Her Majesty's Government, the Queen does not have any real control over what happens in Parliament. Both the House of Lords and the House of Commons meet in the Palace of Westminster, also called the Houses of Parliament, in chambers with several rows of seats facing each other where members of the government sit on one side and members of the Opposition sit on the other. Each period of government, also called a parliament, lasts a maximum of five years and is divided into one-year periods called sessions.
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