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speed_of_change - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-11-22 17:50

2024-01-28 Sun

#5389. 語用論的な if you like 「こう言ってよければ」の発展 (2) [pragmatics][discourse_marker][lmode][construction_grammar][politeness][comment_clause][syntax][constructionalisation][corpus][speed_of_change]

 先日 Voicy heldio にて「#961. 評言節 if you like 「そう呼びたければ」と題して,口語の頻出フレーズ if you like の話題をお届けした.



 実は私自身も忘れていたのだが,この問題については hellog で「#4593. 語用論的な if you like 「こう言ってよければ」の発展」 ([2021-11-23-1]) として取り上げていた.その過去の記事でも参照・引用した Brinton の論文を改めて読み直し,if you like および類義表現について興味深い歴史的事実を知ったので,ここに記しておきたい.
 Brinton は挿入的に用いられる if you choose/like/prefer/want/wish の類いを "if-ellipitical clauses" (= "if-ECs") と名付けている (273) .意味論・語用論の観点から,2種類の if-ECs が区別される.1つめは省略されている目的語が前後のテキストから統語的に補えるタイプである ("elliptical form") .2つめは目的語を前後のテキストから補うことはできず,もっぱらメタ言語的な挿入説として用いられるタイプである ("metalinguistic parenthetical") .各タイプについて,Brinton (281) が歴史コーパスから拾った例を1つずつ挙げてみよう.

 1. I said no, they are copper, but if you choose, you shall have them (1763 John Routh, Violent Theft; OBP)
 2. I ought to occupy the foreground of the picture; that being the hero of the piece, or (if you choose) the criminal at the bar, my body should be had into court. (1822 De Quincy, Confessions of an English Opium Eater; CLMETEV)

 いずれも choose という動詞を用いた例である.前者は if you choose to have them のようにテキストに基づいて目的語を補うことができるが,後者はそのようには補えない.あくまでメタ言語的に if you choose to say so ほどが含意されている用法だ.
 歴史的には,前者のタイプの用例が,動詞を取り替えつつ18--19世紀に初出している.そして,おもしろいことに,後者のタイプの用例がその後数十年から100年ほど遅れて初出している.全体としては,類義の動詞が束になって,ゆっくりと似たような用法の拡張を遂げていることになる.Brinton (282) の "Dating of if-ECs" と題する表を掲げよう.近代英語期の様々なコーパスを用いた初出年調査の結果である.

 Earliest elliptical formEarliest metalinguistic parenthetical
if you choose17631822
if you like17231823
if you wish18191902/PDE
if you prefer18481900
if you want1677/18241934



 さらにおもしろいのは,メタ言語的な用法の初例を誇る if you choose は,現在までに人気を失っていることだ.一方,最も新しい if you want もメタ言語的な用法としての頻度は目立たない.安定感のあるのはその他の3種,like, wish, prefer 辺りのである.類義の動詞が束になって当該表現と用法を発展させてきたとしても,後の安定感に差が出たのはなぜなのだろうか.とても興味深い.

 ・ Brinton, Laurel J. "If you choose/like/prefer/want/wish: The Origin of Metalinguistic and Politeness Functions." Late Modern English Syntax. Ed. Marianne Hundt. Cambridge: CUP, 2014.

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2023-09-18 Mon

#5257. 最近の Mond での回答,5件 [mond][sobokunagimon][politeness][simplification][contact][heldio][youtube][hel_education][phonetics][prestige][speed_of_change][language_myth][link]

 ここ数日間で,知識共有サービス Mond に寄せられてきた言語系の質問に5件ほど回答しました.こちらでもリンクを共有します.

 (1) 敬語の表現が少ない英語の話者には,日本人よりも敬意を示す機会が少ないのでしょうか?
 (2) 歴史的に見て「言語の変化=簡略化」なのでしょうか?
 (3) ブログ,ラジオ,YouTubeなど,様々なメディアを通じて英語の歴史や語源に関する情報を発信していらっしゃいますが,これらのメディアごとにアプローチやコンセプトを変えて情報を提供していますか?
 (4) なぜ人々は(もちろん個人差はあれど)イギリスやフランスなどのアクセントを“魅力的”とし,アジアやインドのアクセントを“魅力がない”とするのでしょうか?
 (5) 言語の変化は,どの程度の速度で起こりますか? 例えば,新しい言葉や表現は,どのくらいの頻度で生まれるものなのでしょうか?

 Mond に寄せられる言語系の質問は多様ですが,日本語と諸外国語との比較というジャンルの質問が目立ちます.今回も (1) や (4) がそのジャンルに属するかと思います.母語は万人にとって特別な存在であり,あまりに思い入れが強いために,他の言語と比べてきわめて特異な性質をもっているものと錯覚してしまうことがしばしば起こります.とりわけ語学を通じて理解の深まった他言語と比較するときに,母語の際立った言語特徴が目に付くことが多く,母語の特別視に拍車がかかります.
 長年言語学に触れてきた経験から感じることは,母語の特別視は往々にして行き過ぎる傾向があるということです.確かに各々の言語には固有の特徴があるもので,その点では日本語も例外ではないのですが,日本語のみに観察される言語特徴というのは,さほど多くあるわけではなく,広く古今東西の諸言語を見渡せば類例はおおよそ見つかるものです.言語の素朴な疑問に関する直感は,当たることもありますが,割と外れることも多いのです.
 今回の5件の質問のうちの3つ,(1), (2), (4) は,振り返ってみれば,言語にまつわる神話 (language_myth) に関わる質問だったように思います.言語学的な考察を通じて,言語の化けの皮を一枚一枚剥いでいくのが,何ともエキサイティングですね.

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2022-08-07 Sun

#4850. アフリカの語族と遺伝子 [africa][language_family][anthropology][origin_of_language][genetics][evolution][speed_of_change][world_languages][map]

 アフリカの4つの語族について「#3811. アフリカの語族と諸言語の概要」 ([2019-10-03-1]) で紹介した.先日「#4846. 遺伝と言語の関係」 ([2022-08-03-1]) で参照した篠田に,言語と遺伝子の関係に触れつつアフリカの語族について論じられている節があった.そちらから引用する (87--88) .

 突然変異は世代を経るごとに蓄積しますから,同じ地域に長く暮らすほど個体間の遺伝的な違いは大きくなります.ホモ・サピエンスは他のどの地域よりも長くアフリカ大陸で生活していますから,アフリカ人同士は,他の大陸の人びとよりも大きな遺伝的変異を持っています.実際,人類の持つ遺伝的な多様性のうち,実に八五パーセントまではアフリカ人が持っていると推定されています.一方,言語もDNA同様,時間とともに変化していきます.そのスピードはDNAの変化よりもはるかに早く,一万年もさかのぼると言語間の系統関係を追えないほど変化するといわれていますが,同じような変化をすることから,言語の分布と集団の歴史のあいだには密接な関係があることが予想されます.
 アフリカには,世界中に存在する言語の三分の一に当たる,およそ二〇〇〇の言語が存在します.それは,アフリカ大陸に長期にわたって人びとが暮らしていることの証拠でもあります.アフリカで話されている言語は大きく四つのグループに分かれており,北から,アフロ・アジア言語,ナイル・サハラ言語,ニジェール・コンゴ言語,コイ・サン言語が分布します.ただし,コイ・サン言語はさらに五つのグループに分かれており,互いの共通性はほとんどないといわれています.遠い昔に分岐した一群の言語族の総称と捉えるべきものです.ともあれ,言語グループの分布の様子と集団の遺伝的な構成には密接な関係があることがわかっています〔後略〕.


 また,アフリカの人々の語族,遺伝子,地理的分布が互いに関係することに加え,彼らの生業も相関関係に組み込まれていくるという.アフロ・アジア語族は牧畜民や牧畜農耕民と関連づけられ,ナイル・サハラ語族は牧畜民と,ニジェール・コンゴ語族は農耕民と,コイ・サン語族は狩猟採集民とそれぞれ関連づけられる.  *
 篠田 (89) は「言語や生業,地理的分布の違いは,過去における集団の移動や融合の結果と考えられるので,化石やDNA,さらには考古学的な証拠や言語の系統を調べることで,現代のアフリカ集団の成立のシナリオを多角的に描くことができます」と同節を締めくくっている.
 関連して「#3807. アフリカにおける言語の多様性 (1)」 ([2019-09-29-1]),「#3808. アフリカにおける言語の多様性 (2)」 ([2019-09-30-1]),「#3814. アフリカの様々な超民族語」 ([2019-10-06-1]) ほか africa の各記事を参照.

 ・ 篠田 謙一 『人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』 中公新書,2022年.

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2022-05-04 Wed

#4755. アポストロフィはいずれ使われなくなる? [apostrophe][punctuation][orthography][netspeak][speed_of_change]

 英語史の授業の受講生からのおもしろい質問を紹介させていただきます.

 アポストロフィー (apostrophe) は将来的に使われなくなる可能性はあると思いますか?
 ネイティブでも誤用が多いようで,なければタイピングも楽になると思います.
 "I'm" は "Im" となると見た目なんとなく気持ちが悪いですが,"dont", "Whats", "Whos" などはなくてもよいかなと思ってしまいます.所有格 's はないと紛らわしい場合があるかもしれませんが.
 * 参考記事:"Have we murdered the apostrophe?" By Hélène Schumacher, 24th February 2020


 私は英語の歴史を研究していますが,将来の英語がどうなっていくかに答える英語の予言者ではありませんので(笑),アポストロフィ (apostrophe) の行く末は分かりません.しかし,この数世紀間の英語の句読法 (punctuation) の流れを踏まえつつ,近年の Netspeak における動向を眺めていると,これからは次のようなことが起こるのかもしれないなぁと感じることはあります.

 興味深い記事の紹介,ありがとうございます.アポストロフィ問題については,私もいろいろと考えてきましたが,記事中程で Laurel MacKenzie が述べている通り,"the apostrophe is subject to whims of fashion, just like other things in culture and society are" だと考えています.現在の規範的な用法は歴史的には半ばアドホックに定まってきたもので,私も英語を書くときには原則としてそれに従って書いています.しかし,今後も英語の書き手の慣用は時代とともに変わっていきますし,それに応じて規範も変わっていくものだということを,英語史研究を通じて繰り返しみてきました.言語に対しては,ある種の無常観を抱いています.
 中世から現代までの英語の句読法 (punctuation) の歴史を眺めると,句読記号の種類は整理されて減ってきているという流れがあります.近代から現代にかけても,句読記号の使用は確かに減ってきています.20世紀後半からデジタル時代に入り,この流れは続くばかりか,多少なりとも加速しているという可能性は十分にあります.ただし,SNS を始めとする比較的「インフォーマル」なメディアと,新聞や本などの比較的「フォーマル」なメディアとでは,変化のスピードに差があります.前者の影響を受けながら,後者はあくまでゆっくりと変化していくということになるだろうと予想しています.
 アポストロフィについてはいろいろと hellog 記事を書いてきました.アポストロフィの各種の用法が,ある種のカオスとして生まれてきた経緯と結果については,とりわけ「#3656. kings' のような複数所有格のアポストロフィの後には何が省略されているのですか?」 ([2019-05-01-1])を読んでみてください.
 関心があれば,サイモン・ホロビン(著),堀田 隆一(訳) 『スペリングの英語史』 早川書房,2017年.もどうぞ.アポストロフィについても突っ込んだ議論があります.


 質問者の予想通り,アポストロフィは,おそらくゆっくりとしたペースだとは思いますが,だんだん失われてはいくのかなと思っています.

Referrer (Inside): [2022-08-06-1]

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2022-03-06 Sun

#4696. エリザベス1世による3単現 -th と -s が入り乱れた散文 [3sp][emode][monarch][speed_of_change][language_change]

 初期近代英語期に3単現の語尾が -th から -s へと推移していった変化は,英語史でよく研究されている.本ブログでも「#2141. 3単現の -th → -s の変化の概要」 ([2015-03-08-1]),「#1857. 3単現の -th → -s の変化の原動力」 ([2014-05-28-1]),「#1856. 動詞の直説法現在形語尾 -eth は17世紀前半には -s と発音されていた」 ([2014-05-27-1]),「#1855. アメリカ英語で先に進んでいた3単現の -th → -s」 ([2014-05-26-1]) などで取り上げてきた.
 エリザベス1世 (1533--1603) の時代は -th から -s への推移のまっただなかにあり,女王自身も両語尾を併用しているが,明確な使い分けの基準があったわけではない.当時は,すでに話し言葉では -s が普通に用いられ,韻文(書き言葉)であれば -th が好まれるという段階にはあったが,では,その中間的なレジスターともいえる散文(書き言葉)ではどうだったのかというと,事情は複雑だ.Lass (163) に引用されている,エリザベス1世が Boethius を英訳した The Consolation of Philosophy より1節を覗いてみよう (Book 0, Prose IX) .

He that seekith riches by shunning penury, nothing carith for powre, he chosith rather to be meane & base, and withdrawes him from many naturall delytes. . . But that waye, he hath not ynogh, who leues to haue, & greues in woe, whom neerenes ouerthrowes & obscurenes hydes. He that only desyres to be able, he throwes away riches, despisith pleasures, nought esteems honour nor glory that powre wantith.


 Lass (163) によると,同英訳書のサンプルで調査したところ,-th と -s の比はおよそ 1:2 だったという.すでに -s が上回っていたようだが,まだ推移のまっただなかだったと言ってよいだろう.

 ・ Lass, Roger. "Phonology and Morphology." The Cambridge History of the English Language. Vol. 3. Cambridge: CUP, 1999. 56--186.

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2022-01-29 Sat

#4660. 言語の「世代変化」と「共同変化」 [language_change][schedule_of_language_change][sociolinguistics][do-periphrasis][methodology][progressive][speed_of_change]

 通常,言語共同体には様々な世代が一緒に住んでいる.言語変化はそのなかで生じ,広がり,定着する.新しい言語項は時間とともに使用頻度を増していくが,その頻度増加のパターンは世代間で異なっているのか,同じなのか.
 理論的にも実際的にも,相反する2つのパターンが認められるようである.1つは「世代変化」 (generational change),もう1つは「共同変化」 (communal change) だ.Nevalainen (573) が,Janda を参考にして次のような図式を示している.


(a) Generational change
┌──────────────────┐
│                                    │
│  frequency                         │
│  ↑                  ________ G6   │
│                  ________ G5       │
│              ________ G4           │
│          ________ G3               │
│      ________ G2                   │
│  ________ G1             time →   │
│                                    │
└──────────────────┘
                                        
(b) Communal change
┌──────────────────┐
│                                    │
│  frequency                  |      │
│  ↑                    |    | G6   │
│                   |    | G5        │
│              |    | G4             │
│         |    | G3                  │
│    |    | G2                       │
│    | G1                    time → │
│                                    │
└──────────────────┘


 世代変化の図式の基盤にあるのは,各世代は生涯を通じて新言語項の使用頻度を一定に保つという仮説である.古い世代の使用頻度はいつまでたっても低いままであり,新しい世代の使用頻度はいつまでたっても高いまま,ということだ.一方,共同変化の図式が仮定しているのは,全世代が同じタイミングで新言語項の使用頻度を上げるということだ(ただし,どこまで上がるかは世代間で異なる).2つが対立する図式であることは理解しやすいだろう.
 音変化や形態変化は世代変化のパターンに当てはまり,語彙変化や統語変化は共同変化に当てはまる,という傾向が指摘されることもあるが,実際には必ずしもそのようにきれいにはいかない.Nevalainen (573--74) で触れられている統語変化の事例を見渡してみると,16世紀における do 迂言法 (do-periphrasis) の肯定・否定平叙文での発達は,予想されるとおりの世代変化だったものの,17世紀の肯定文での衰退は世代変化と共同変化の両パターンで進んだとされる.また,19世紀の進行形 (progressive) の増加も統語変化の1つではあるが,むしろ共同変化のパターンに沿っているという.
 具体的な事例に照らすと難しい問題は多々ありそうだが,理論上2つのパターンを区別しておくことは有用だろう.

 ・ Nevalainen, Terttu. "Historical Sociolinguistics and Language Change." Chapter 22 of The Handbook of the History of English. Ed. Ans van Kemenade and Bettelou Los. Malden, MA: Blackwell, 2006. 558--88.
 ・ Janda, R. D. "Beyond 'Pathways' and 'Unidirectionality': On the Discontinuity of Language Transmission and the Counterability of Grammaticalization''. Language Sciences 23.2--3 (2001): 265--340.

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2021-01-12 Tue

#4278. クブラーの『時のかたち』からのインスピレーション [historiography][periodisation][speed_of_change][language_change][teleology]

 ある言語の体系や正書法を「本来非同期的な複数の時のかたちが一瞬出会った断面」ととらえる見解について,美学者・考古学者のクブラー (George Kubler [1912--96]) を引用・参照しながら「#3911. 言語体系は,本来非同期的な複数の時のかたちが一瞬出会った断面である」 ([2020-01-11-1]) の記事で論じた.また,クブラー流の歴史観・時間観に触発されて,他にも「#3083. 「英語のスペリングは大聖堂のようである」」 ([2017-10-05-1]),「#3874. 「英語の正書法はパリのような大都会である」」 ([2019-12-05-1]),「#3912. (偽の)語源的綴字を肯定的に評価する (1)」 ([2020-01-12-1]),「#3913. (偽の)語源的綴字を肯定的に評価する (2)」 ([2020-01-13-1]) の記事を書いてきた.
 今回,クブラーの『時のかたち』を読了し,言語がそのなかで変化していく「時間」について,改めて考えを巡らせた.言語変化の速度 (speed_of_change) や言語史における時代区分 (periodisation) に関してインスピレーションを得た部分が大きいので,関連する部分を備忘録的に引用しておきたい.

 物質の空間の占め方がそうであるように,事物の時間の占め方は無限にあるわけではない.時間の占め方の種類を分類することが難しいのは,持続する期間に見合った記述方法を見つけ出すことが難しかったからである.持続を記述しようとしても,出来事を,あらかじめ定められた尺度で計測しているうちに,その記述は出来事の推移とともに変化してしまう.歴史学には定められた周期表もなく,型や種の分類もない.ただ太陽時と,出来事を区分けする旧来の方法が二,三あるのみで,時間の構造についての理論は一切なかったのである.
 出来事はすべて独自なのだから分類は不可能だとするような非現実的な考え方をとらず,出来事にはその分類を可能とする原理があると考えれば,そこで分類された出来事は,疎密に変化する秩序を持った時間の一部として群生していることがわかる.この集合体のなかには,後続する個々の出来事によってその要件が変化していくような諸問題に対して,漸進的な解決として結びつく出来事が含まれている.その際,出来事が急速に連続すればそれは密な配列となり,多くの中断を伴う緩慢な連続であれば配列は疎となる.美術史ではときおり,一世代,ときには一個人が,ひとつのシークエンスにとどまらず,一連のシークエンス全体のなかで,多くの新しい地位を獲得することがある.その対極として,目前の課題が,解決されないまま数世代,ときには何世紀にもわたって存続することもある.(189--90)


時代とその長さ
こうして,あらゆる事物はそれぞれに異なった系統年代に起因する特徴を持つだけでなく,事物の置かれた時代がもたらす特徴や外観としてのまとまりをも持った複合体となる.それは生物組織も同様である.哺乳類の場合であれば,その血液と神経は生物史(絶対年代)的な見地での歴史が異なっているし,眼と皮膚というそれぞれの組織はその系統年代と異なっている.
 事物の持続期間は絶対年代と系統年代というふたつの基準で計測が可能である.そのために歴史的時間は未来から現在を通過して過去へと続く単純な絶対年代の流れに加えて,系統年代という多数の包皮から構成されているとみなすことができる.この包皮は,いずれも,それが包んでいるその内容によって持続時間が決定されるために,その輪郭は多様なものとなるが,大小の異なった形状の系に容易に分類することができる.誰しも自身の生活のなかの同じ行為の初期のやり方と後期のやり方からなるこのようなパターンの存在を見出すことができるが,ここで,個人の時間における微細な形式にまで立ち入るつもりはない.それらは,ほんの数秒の持続から生涯にわたるものまで,個人のあらゆる経験に見出すことができる.しかし,私たちがここで注目したいのは,人の一生より長く,集合的に持続して複数の人数分の時間を生きている形や形式についてである.そのなかで最小の系は入念につくり上げられた毎年の服装の流行である.それは,現代の商業化された生活では服飾産業によるものであり,産業革命以前には宮廷の儀礼によるものであった.そこではこの流行を着こなすことが外見的に最も確かな上流階級の証しだったのである.一方,全宇宙のような大規模な形のまとめ方はごくわずかである.それらは人類の時間を巨視的にとらえた場合にかすかに思い浮かぶ程度のものである.すなわち,西洋文明,アジア文化,あるいは先史,未開,原始の社会などである.そして最大と最小の中間には,太陽暦や十進法にもとづく慣習的な時間がある.世紀という単位の本当の優位性は,おそらく自然現象にも,またそれが何であれ,人為的な出来事のリズムにも対応していないことになるのかもしれない.その例外は,西暦千年紀が近づいたときに終末論的な雰囲気が人々を襲ったことや,フランス革命中に恐怖政治が行われた一七九〇年代との単なる数値の類似が一八九〇年以降に世紀末の無気力感を引き起こしたことぐらいである.(193--95)


私たちは,〔中略〕時間の流れを繊維の束と想定することができる.それぞれの繊維は,活動のための特定の場として必要に応え,繊維の長さは必要とその問題に対する解決の持続に応じてさまざまである.したがって,文化の束は,出来事という繊維状のさまざまな長さの期間で構成される.その長さはたいてい長いのだが,短いものも多数ある.それらはほとんど偶然によって並べられ,意識的な将来への展望や緻密な計画によって並べられることはめったにないのである.(228)


 最後の引用にある比喩を言語に当てはめれば,言語体系とは異なる長さからなる繊維の束の断面であるという見方になる.「言語体系」を,その部分集合である「正書法」「音韻体系」「語彙体系」などと置き換えてもよい.これと関連する最も理解しやすい卑近な例として,数語からなる短い1つの英文を考えてみるとよい.その構成要素である各語の語源(由来や初出年代)は互いに異なっており,体現される音形・綴字や,それらを結びつけている文法規則も,各々歴史的に発展してきたものである.この短文は,異なる長さの時間を歩んできた個々の部品から成り立っており,偶然にこの瞬間に組み合わされて,ある一定の意味を創出しているのである.

 ・ クブラー,ジョージ(著),中谷 礼仁・田中 伸幸(訳) 『時のかたち 事物の歴史をめぐって』 鹿島出版会,2018年.

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2019-03-19 Tue

#3613. 今後の言語変化論の課題 --- 通時的タイポロジーという可能性 [language_change][methodology][typology][diachrony][contact][speed_of_change][hisopra][contrastive_language_history]

 『言語の事典』をパラパラめくっていて「言語変化」の章の最後に「通時的タイポロジー」という節があった.英語でいえば,"diachronic typology" ということだが,あまり聞き慣れないといえば聞き慣れない用語である.読み進めていくと,今後の言語変化論にとっての課題が「通時的タイポロジー」の名の下にいくつか列挙されていた.主旨を取り出すと,以下の4点になろうか.

 (1) 19世紀以来の歴史言語学(特に比較言語学)は,分岐的変化に注目しすぎるあまり,収束的変化を軽視してきたきらいがある
 (2) 斉一論を採用するならば,共時態におけるタイポロジーを追究することによって通時態におけるタイポロジーの理解へと進むはずである
 (3) 言語変化の速度という観点が重要
 (4) 言語変化しにくい特徴に注目してタイポロジーを論じる視点が重要

 いずれも時間的・空間的に広い視野をもった歴史言語学の方法論の提案である.それぞれを我流に解釈すれば,(1) は歴史言語学における言語接触の意義をもっと評価せよ,ということだろう.
 (2) の斉一論 (uniformitarian_principle) に基づく主張は「通時タイポロジー」の理論的基盤となり得る強い主張だが,言語変化の様式の普遍性を目指すと同時に,そこではすくい取れない個別性に意識的に目を向ければ,それは「通時対照言語学」に接近するだろう.こちらも可能性が開けている.
 (3) と (4) は関連するが,言語変化しやすい(あるいは,一旦変化し始めたら素早く進行するもの)か否かという観点から,言語項や諸言語を分類してみるという視点である.これは確かに新しい視点である.本ブログでも,言語変化の速度については speed_of_changeschedule_of_language_change で様々に論じてきたが,おおいに可能性のある方向性ではないかと考えている.
 タイポロジー(類型論)と対照言語学という2分野は,力点の置き方の違いがあるだけで実質的な関心は近いと見ているが,そうすると「通時的タイポロジー」と「通時的対照言語学」も互いに近いことになる.これらは,近々に開催される HiSoPra* の研究会でこれまで提起されてきた「対照言語史」の考え方にも近い.

 ・ 乾 秀行 「言語変化」『言語の事典』 中島 平三(編),朝倉書店,2005年.560--82頁.

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2018-12-24 Mon

#3528. 法助動詞を重ねられた時代 [auxiliary_verb][grammaticalisation][speed_of_change][syntax]

 現代英語では,will, shall, can, may などの法助動詞を重ねて用いることはできない.法助動詞は1つのみで用いられ,その後に本動詞の原形が続くという形式しか許容されない.しかし,かつて法助動詞を2つ重ねることができた時代があった.
 中尾 (350) を参照した縄田 (89--90) より,中英語からの例を示そう.

a. Shall 「未来」 + Will 「意志」
   whase wilenn shall þiss boc efft oþerr sitþe written
   'whoever shall wish to write this book afterwards another time' (?c1200 Orm D. 95)
b. Shall 「未来」 + Can 「能力」
   I shal not konne answere.
   'I shall not be able to answer.' (c1386 Chaucer, C. T. B 2902)
c. Shall 「未来」 + May 「能力」
   Hu sal ani man ðe mugen deren?
   'How shall any man be able to injure thee?' (c1250 Gen & Ex 1818)
d. May 「可能性」 + Can 「能力」
   it may not kon worche þis work bot ȝif it be illuminid by grace
   'it may not be able to do this work unless it be illumined by grace' (?a1400 Cloud 116, 14)


 現在の法助動詞はもともとは一般動詞にすぎなかったが,歴史的に法助動詞へと文法化 (grammaticalisation) してきた経緯がある.しかし,一般動詞から法助動詞への範疇の移行は,一夜にして切り替えが生じたわけではなく,グラジュアルな過程だったために,その移行期においては上記のように両範疇の特性を合わせもったような「2つ重ね」が許容されたということだろう.しかし,近代英語以降,この構造は廃れていく.
 縄田論文では,この2重法助動詞を巡る問題について,個々の助動詞間で法助動詞化の速度が異なっていたことが背景にあると議論されている.異なる立場からの関連する議論としては,「#1406. 束となって急速に生じる文法変化」 ([2013-03-03-1]),「#1670. 法助動詞の発達と V-to-I movement」 ([2013-11-22-1]) を参照.

  ・ 中尾 俊夫 『英語史 II』 英語学大系第9巻,大修館書店,1972年.
  ・ 縄田 裕幸 「第4章 分散形態論による文法化の分析 --- 法助動詞の発達を中心に ---」『文法化 --- 新たな展開 ---』秋元 実治・保坂 道雄(編) 英潮社,2005年.75--108頁.

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2018-07-20 Fri

#3371. 初期近代英語の社会変化は英語の語彙と文法にどのような影響を及ぼしたか? [emode][renaissance][printing][speed_of_change][lexicology][grammar][reading][historiography]

 近代英語期の始まる16世紀には,その後の英語の歴史に影響を与える数々の社会変化が生じた.「#1407. 初期近代英語期の3つの問題」 ([2013-03-04-1]) で紹介したとおり,Baugh and Cable (§156)は以下の5点を挙げている.

 1. the printing press
 2. the rapid spread of popular education
 3. the increased communication and means of communication
 4. the growth of specialized knowledge
 5. the emergence of various forms of self-consciousness about language

 これらの要因は,しばしば相重なって,英語の文法と語彙に間接的ながらも遠大な影響を及ぼすことになった.Baugh and Cable (§157, pp. 200--01) によれば,この影響力は急進的でもあり,同時に保守的でもあったという.どういうことかといえば,語彙については急進的であり,文法については保守的であったということだ.

A radical force is defined as anything that promotes change in language; conservative forces tend to preserve the existing status. Now it is obvious that the printing press, the reading habit, the advances of learning and science, and all forms of communication are favorable to the spread of ideas and stimulating to the growth of the vocabulary, while these same agencies, together with social consciousness . . . work actively toward the promotion and maintenance of a standard, especially in grammar and usage. . . . We shall accordingly be prepared to find that in modern times, changes in grammar have been relatively slight and changes in vocabulary extensive. This is just the reverse of what was true in the Middle English period. Then the changes in grammar were revolutionary, but, apart from the special effects of the Norman Conquest, those in vocabulary were not so great.


 なるほど,近代的な社会条件は,開かれた部門である語彙に対しては,むしろ増加を促すものだろうし,閉じた部門である文法に対しては規範的な圧力を加える方向に作用するだろう(「近代的な」を「現代的な」と読み替えてもそのまま当てはまりそうなので,私たちには分かりやすい).
 この引用でおもしろいのは,最後に近代英語期を中英語期と対比しているところだ.中英語では,上記のような諸条件がなかったために,むしろ語彙に関して保守的であり,文法に関して急進的だったと述べられている.「ノルマン征服によるフランス語の特別な影響を除いては」というところが鋭い.中英語の語彙事情としては,すぐにフランス語からの大量の借用語が思い浮かび,決して「保守的」とはいえないはずだが,それはあまりに特殊な事情であるとして脇に置いておけば,確かに上記の観察はおよそ当たっているように思われる.Baugh and Cable は,具体的・個別的な歴史記述・分析に定評があるが,ところどろこに今回のように説明の一般化を試みるケースもあり,何度読んでも発見がある.

 ・ Baugh, Albert C. and Thomas Cable. A History of the English Language. 6th ed. London: Routledge, 2013.

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2018-07-01 Sun

#3352. scarveshooves [plural][lmode][speed_of_change]

「#3300. なぜ wolf の複数形が wolves なのか? (3)」 ([2018-05-10-1]) で,/f/ で終わる名詞をいくつか挙げ,その複数形が -f か -ves かのいずれを取るか,あるいは両者の示す揺れについて簡単にまとめた.
 先日 Mondorf による後期近代英語期の形態論に関する文章を読んでいて,この時期の間に「不規則形」の scarves, hooves が拡張し,「規則形」の scarfs, hoofs が相対的に減少してきているという記述に出会った.特に scarves は,18世紀には20%ほどの生起率だったが,20世紀中に80%近くまで大きく躍進した.hooves は18世紀の0%から19世紀の1桁台の比率を経て,20世紀中には30%強まで数値を延ばしてきたようだ.
 語幹を変形させずに単純に -s を付すことを「規則的」と見るのであれば,これらの名詞で起こっていることは「不規則化」となるが,語幹末の -f を -v とした上で -es というパターンは「小規則」として確かに存在するともいえる.つまり,この現象は見方によっては「不規則化」とも「小規則化」とも,場合によっては「規則化」とも解しうることになる.このような視点の問題は,分析者が共時・通時のいずれの観点をとるかによっても微妙な影響を受けるので,取り扱いが難しい.
 しかし,言語変化はこのような過程の繰り返しではある.1つの大規則に収められる方向で進んでいるかと思いきや,気づけば複数の小規則が林立している.ところが,だからといって言語体系が著しく無秩序になるかといえばそうもならず,むしろ互いの分布がある程度整理され,別の秩序が生み出される,等々.大規則と小規則の関係については,「#1596. 分極の仮説」 ([2013-09-09-1]) を参照されたい.

 ・ Mondorf, Britta. "Late Modern English: Morphology." Chapter 53 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 843--69.

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2018-05-23 Wed

#3313. 言語変化の速度について再再考 [speed_of_change][prescriptivism][causation][sociolinguistics][japanese][link][monitoring]

 昨日の記事「#3312. 言語における基層と表層」 ([2018-05-22-1]) で,言語の「基層」を構成する要素として,文法,音声・音韻,基礎語彙を挙げた.言語変化の速度を考察する際に,考察対象を基層における言語変化に限定するならば,一般に時代がくだるほど速度が鈍くなるということはあるかもしれない.日本語史の事情から敷衍して,野村 (14--15) が次のように述べている.

 一般に近代化の進んだ社会では,特別な外部的要因がない限り,言語の変化は,近代やそれに近い時代において鈍いと筆者は考えている.なぜか.近代では書き言葉の(文字の)普及が進んでいるからである.
 すでに述べたように,話し言葉は話した瞬間に消えてしまう.言葉をとどめる手段がない.話し言葉だけの社会では,歌謡などの暗誦でもない限り,過去の言葉は全く残らない.言葉を振り返ることは不可能なのである.これに対して,書き言葉は長期にわたって残存する.それを真似し続けることによって次第に文語体が生じるのだが,口語体であっても繰り返し筆記が行なわれれば,それは話し言葉の変化をおしとどめる方向の力として働くだろう.日本社会でも,古代よりは中世,中世よりは近世,近世よりは近代の方が読み書き能力が広く普及しているに違いない.そこで,より近代に近い社会の方が言語の基層における変化は乏しいのである.もちろん細かな言語変化はより近代に近い時代においてもたくさん生じているし,また,方言はふつう書きとどめられない.だから,地域地域で大きな変異が生ずるということも,大いにありうる.


 時代が下るにつれて,基層における言語変化が乏しくなるという説は,間に2段階くらいの論理のクッションを入れるとわかりやすいだろう.つまり,一般に時代が下るにつれて識字率が上がる,識字率が上がるにつれて言語の規範意識が育つ,言語の規範意識が育つにつれて話し言葉の変化も抑制される,ということだ.これは妥当といえば妥当な見解だが,引用でも示唆されているとおり,主に標準変種についての説である.非標準変種において同じ議論が成り立つのかはわからないし,考察対象を基層でなく表層まで広げるとどうなるのかも検討してみる必要がある.
 言語変化の速度 (speed_of_change) の問題や規範主義 (prescriptivism) が言語変化を遅らせるという議論については,以下を含む多くの記事で取り上げてきたので,ご参照ください.monitoring の各記事も参照.

 ・ 「#386. 現代英語に起こっている変化は大きいか小さいか」 ([2010-05-18-1])
 ・ 「#430. 言語変化を阻害する要因」 ([2010-07-01-1])
 ・ 「#622. 現代英語の文法変化は統計的・文体的な問題」 ([2011-01-09-1])
 ・ 「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1])
 ・ 「#795. インターネット時代は言語変化の回転率の最も速い時代」 ([2011-07-01-1])
 ・ 「#1430. 英語史が近代英語期で止まってしまったかのように見える理由 (2)」 ([2013-03-27-1])
 ・ 「#1874. 高頻度語の語義の保守性」 ([2014-06-14-1])
 ・ 「#2417. 文字の保守性と秘匿性」 ([2015-12-09-1])
 ・ 「#2631. Curzan 曰く「言語は川であり,規範主義は堤防である」」 ([2016-07-10-1])
 ・ 「#2641. 言語変化の速度について再考」 ([2016-07-20-1])
 ・ 「#2670. 書き言葉の保守性について」 ([2016-08-18-1])
 ・ 「#2756. 読み書き能力は言語変化の速度を緩めるか?」 ([2016-11-12-1])
 ・ 「#3002. 英語史が近代英語期で止まってしまったかのように見える理由 (3)」 ([2017-07-16-1])

 ・ 野村 剛史 『話し言葉の日本史』 吉川弘文館,2011年.

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2018-04-08 Sun

#3268. 談話標識のライフサイクルは短い [discourse_marker][pragmatics][historical_pragmatics][language_change][intensifier][euphemism][sociolinguistics][speed_of_change]

 言語には変化の回転が速い領域というものがある.「#992. 強意語と「限界効用逓減の法則」」 ([2012-01-14-1]) や「#1219. 強意語はなぜ種類が豊富か」 ([2012-08-28-1]) で述べたように,強意語 (intensifier) や,タブー表現 (taboo) の響きをやわらげる婉曲表現 (euphemism) が次々と生まれては消えることは,よく知られている.視点を変えれば,これらの表現はライフサイクルが短いということになろう.
 同様に,昨日の記事「#3267. 談話標識とその形成経路」 ([2018-04-07-1]) で取り上げた談話標識も,比較的ライフサイクルが短いとされている.実際,談話標識は歴史的に新しい表現が生まれては消える過程を繰り返してきた.昨日の記事でも示したように,談話標識は特に話し言葉において頻度が高いこと,そして種々の源から形成されうることが,背景にあるのだろう.この点について Lewis (909) が次のように述べている.

Discourse markers are known for their frequent renewal. Particularly subject to sociolinguistic factors and fashion, they tend to be "caught" easily, spreading quickly among social networks. Choice of markers therefore can reflect age, social position, and so on. Discourse markers date quickly: many of the most frequent discourse markers and connectives of the 20th century arose only in the 18th or 19th century, including of course, after all, still, I say.


 ライフサイクルが速いといっても数世代以上の時間がかかるようであり,強意語や婉曲語法に見られるライフサイクルほど速いわけではなさそうだ.しかし,そのうちにきっと変わるにちがいないと言わしめるほどには「規則的な」言語変化の一種とみなせそうだ.また,引用の最初にあるように,談話標識に話者の世代を特徴づける性質があるというのも興味深い.歴史社会言語学的な観察対象になり得ることを意味するからだ.談話標識の流行としての側面は,もっと注目してもよいだろう.

 ・ Lewis, Diana M. "Late Modern English: Pragmatics and Discourse" Chapter 56 of English Historical Linguistics: An International Handbook. 2 vols. Ed. Alexander Bergs and Laurel J. Brinton. Berlin: Mouton de Gruyter, 2012. 901--15.

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2018-02-15 Thu

#3216. ドーキンスと言語変化論 (2) [glottochronology][evolution][biology][language_change][comparative_linguistics][history_of_linguistics][speed_of_change][statistics]

 昨日の記事 ([2018-02-14-1]) に引き続き,ドーキンスの『盲目の時計職人』で言語について言及している箇所に注目する.今回は,ドーキンスが,言語の分岐と分類について,生物の場合との異同を指摘しながら論じている部分を取りあげよう (348--49) .

言語は何らかの傾向を示し,分岐し,そして分岐してから何世紀か経つにつれて,だんだんと相互に理解できなくなってしまうので,あきらかに進化すると言える.太平洋に浮かぶ多くの島々は,言語進化の研究のための格好の材料を提供している.異なる島の言語はあきらかに似通っており,島のあいだで違っている単語の数によってそれらがどれだけ違っているかを正確に測ることができよう.この物差しは,〔中略〕分子分類学の物差しとたいへんよく似ている.分岐した単語の数で測られる言語間の違いは,マイル数で測られる島間の距離に対してグラフ上のプロットされうる.グラフ上にプロットされた点はある曲線を描き,その曲線が数学的にどんな形をしているかによって,島から島へ(単語)が拡散していく速度について何ごとかがわかるはずだ.単語はカヌーによって移動し,当の島と島とがどの程度離れているかによってそれに比例した間隔で島に跳び移っていくだろう.一つの島のなかでは,遺伝子がときおり突然変異を起こすのとほとんと同じようにして,単語は一定の速度で変化する.もしある島が完全に隔離されていれば,その島の言語は時間が経つにつれて何らかの進化的な変化を示し,したがって他の島の言語からなにがしか分岐していくだろう.近くにある島どうしは,遠くにある島どうしに比べて,カヌーによる単語の交流速度があきらかに速い.またそれらの島の言語は,遠く離れた島の言語よりも新しい共通の祖先をもっている.こうした現象は,あちこちの島のあいだで観察される類似性のパターンを説明するものであり,もとはと言えばチャールズ・ダーウィンにインスピレーションを与えた,ガラパゴス諸島の異なった島にいるフィンチに関する事実と密接なアナロジーが成り立つ.ちょうど単語がカヌーによって島から島へ跳び移っていくように,遺伝子は鳥の体によって島から島へ跳び移っていく.


 実際,太平洋の島々の諸言語間の関係を探るのに,統計的な手法を用いる研究は盛んである.太平洋から離れて印欧語族の研究を覗いても,ときに数学的な手法が適用されてきた(「#1129. 印欧祖語の分岐は紀元前5800--7800年?」 ([2012-05-30-1]) を参照).Swadesh による言語年代学も,おおいに批判を受けてきたものの,その洞察の魅力は完全には失われていないように見受けられる(「#1128. glottochronology」 ([2012-05-29-1]) や glottochronology の各記事を参照).近年のコーパス言語学の発展やコンピュータの計算力の向上により,語彙統計学 (lexicostatistics) という分野も育ってきている.生物学の方法論を言語学にも応用するというドーキンスの発想は,素直でもあるし,実際にいくつかの方法で応用されてきてもいるのである.
 関連して,もう1箇所,ドーキンスが同著内で言語の分岐を生物の分岐になぞらえている箇所がある.しかしそこでは,言語は分岐するだけではなく混合することもあるという点で,生物と著しく相違すると指摘している (412) .

言語は分岐するだけではなく,混じり合ってしまうこともある.英語は,はるか以前に分岐したゲルマン語とロマンス語の雑種であり,したがってどのような階層的な入れ子の図式にもきっちり収まってくれない.英語を囲む輪はどこかで交差したり,部分的に重複したりすることがわかるだろう.生物学的分類の輪の方は,絶対にそのように交差したりしない.主のレベル以上の生物進化はつねに分岐する一方だからである.


 生物には混合はあり得ないという主張だが,生物進化において,もともと原核細胞だったミトコンドリアや葉緑体が共生化して真核細胞が生じたとする共生説が唱えられていることに注意しておきたい.これは諸言語の混合に比較される現象かもしれない.

 ・ ドーキンス,リチャード(著),中嶋 康裕・遠藤 彰・遠藤 知二・疋田 努(訳),日高 敏隆(監修) 『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』 早川書房,2004年.

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2018-01-01 Mon

#3171. 1/f 繧?繧峨℃ [language_change][variation][chaos_theory][invisible_hand][complex_system][lexical_diffusion][speed_of_change][1/f][dynamic_equilibrium]

 2018年となりました.本年も hellog を続けていきます.よろしくお願い致します.
 新年最初の話題は「ゆらぎ」について.自然界に存在するゆらぎには規則的といえるものもあれば,まったく予想不可能なものもあるが,多くの現象においては,完全とはいえずとももある程度予測できるゆらぎが確認される.なかでも「1/f ゆらぎ」として知られているものは,身の回りにも数多く確認され,とりわけ人間が快を感じるもののなかにしばしば含まれていると言われる.そよ風,小川のせせらぎ,木漏れ日,木目や年輪,虫の羽音,岩塩の旨み,電車の揺れ,古い町並み,日本庭園,畳の目,手拍子,太鼓のリズム,噺家の声,バッハやモーツァルトの楽曲などにみられるほか,宇宙線強度,細胞構造,心拍周期にも認められるという.「1/f ゆらぎ」という呼称は,対象のゆらぎの周波数 (frequency) を成分分析し,各成分の強さを数学的操作を加えてグラフ化すると,右下がりの相関直線が得られることによる.1/f2 や 1/f-1 でもなく 1/f であるところが,どうやら人間にとっての快のポイントらしい(武者,pp. 24--39).
 1/f ゆらぎが人間の生活に密接なところに多いというのは,言語(体系)にもみられる可能性があることを示唆する.ここで言語にとってゆらぎとは何かが問題になる.形式的な variation を想定することもできそうだし,言語変化 (language_change) の頻度 (frequency) や速度 (speed_of_language_change) などにも見られるかもしれない.例えば,1/f ゆらぎが語彙拡散 (lexical_diffusion) と関わっていたらおもしろそうだ.
 1/f ゆらぎは,複雑系 (complex_system) やカオス理論 (chaos_theory) とも深く関係する.言語体系が複雑系であり,言語変化がカオス理論の適用の対象となりうることは,「#3112. カオス理論と言語変化 (2)」 ([2017-11-03-1]),「#3122. 言語体系は「カオスの辺縁」にある」 ([2017-11-13-1]),「#3142. ホメオカオス (1)」 ([2017-12-03-1]),「#3143. ホメオカオス (2)」 ([2017-12-04-1]) などで触れてきた.そうだとすれば,1/f ゆらぎもまた言語に関与している可能性が高い.いずれの考え方にも共通しているのは,常に動いていて不安定なシステムこそ,周囲の予期できない変動に適応しやすいという点だ.不安定から安定が,混沌から秩序が生まれるようなシステムである.逆説的な言い方だが,そこには「動的な安定感」があるといってよい.あるいは最近の科学のキーワードでいえば「動的平衡」 (dynamic_equilibrium) である.「遊び」にも通じるものがある.
 この点と関連して,武者 (127--28) は 1/f ゆらぎを示す,目の焦点についての興味深い事例を紹介している.

目は物体の後ろ側に焦点を合わせています.そして焦点は,ピタッと一定のところに止まっているのではなく,いつも前後にふらふらと動いているのだそうです.
 この動きが,1/f ゆらぎに非常に近いのです.
 焦点が前にいったり後ろにいったり,ちょこちょこと絶えず動いているのは,動いているほうが,ものの位置が変わったときにすぐ焦点を合わせ直しやすいからです.テニスの選手がサーブを受けるときに,足を少し開いて上体を左右に揺すっていますが,あれは止まっていると,ボールが飛んできたときに体がすぐに動かないからでしょう.目の焦点も同じことです.
 また焦点は,見ようとするものよりも遠方に合わせられているのが普通のようです.見ているものが動くと,焦点がズレて画像がぼやけますが,もし焦点が物体に合っていると,ものが手前に来ても遠方に行っても,像がぼやけるという点では同じことになります.しかし,これでは焦点を合わせ直すのに,前後どちらに焦点を移動させればよいのか,とっさの判断ができません.見ているものよりも,少し遠方に焦点が定まっていれば,ものが焦点からズレて遠方に動くとものの像がはっきりしてきますし,その逆に手前に動けば,ぼやけかたが激しくなります.それと同時に,焦点は少し遠くに合わせられているのではないでしょうか.だから焦点が前後にゆらいでいるほうが,ものごとの変化に対応しやすいということでしょう.


 言語体系も常にゆらいでいるからこそ,人間のコミュニケーション欲求の絶えざる変化に即応できる柔軟なシステムとなっているのかもしれない.1/f ゆらぎの言語への応用は未知数だが,今後関心を寄せていきたい.

 ・ 武者 利光 『ゆらぎの発想 1/f ゆらぎの謎にせまる』 日本放送出版協会,1994年.

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2017-08-30 Wed

#3047. 言語学者と規範主義者の対話が必要 [prescriptive_grammar][prescriptivism][speed_of_change]

 言語に対してとる態度に関して,しばしばプロの言語学者とポピュラーな言語コメンテーターは対立する.言語学者は,記述主義的な立場を取り,言語の変化や変異は言語の本質であり,それを人為的にコントロールすることなどできないと考えている.一方,規範主義的なコメンテーターは,伝統的で正統的な語法や文法の項目から逸脱する例を取りあげ,それを誤用として断罪し,代わりに正用を主張する.
 このように両者はしばしば対立するが,実際に火花を散らすということは意外とない.論争に発展するとか,社会的な現象になるということは,あまりないのだ.日本でも英語圏でもそのようなケースは皆無ではないものの,国民的な話題になることは少ない.言語の諸問題を巡って平和が維持されているといえばそうなのかもしれないが,その理由が互いの無関心や無接触にあるというのが寂しい.言語学者が規範主義的言語観とどう向き合うかをしっかり考えた上で,ポピュラーな言語論に参加していくことは,もっとあってよいし,規範主義のコメンテーターも言語の専門家に耳を傾けることが必要だと思う.そうすれば,論争がある用法を巡っての正誤という比較的小さな問題から始まったにせよ,徐々に言語とは何か,どうあるべきかといった核心の議論に迫っていける可能性が高い.結果として,関与者みなが言語について真剣に考えられる機会となる.これは素晴らしいことだ.
 Horobin (165--66) も,昨年出版された英語史概説書の締めくくりの章で,次のように述べている.

The dismissive manner in which professional linguists have typically ignored prescriptivist approaches has also contributed to the lack of dialogue and continued misinformation. Since prescriptivist approaches are widely held and have a demonstrable impact upon the use of English and its future, it is clearly incumbent upon professional linguists to accord its proponents due attention and to engage in public debate.


 記述言語学と規範主義の関係については,以下の記事も参照されたい.「#1229. 規範主義の4つの流れ」 ([2012-09-07-1]),「#1684. 規範文法と記述文法」 ([2013-12-06-1]),「#1929. 言語学の立場から規範主義的言語観をどう見るべきか」 ([2014-08-08-1]),「#2630. 規範主義を英語史(記述)に統合することについて」 ([2016-07-09-1]),「#2631. Curzan 曰く「言語は川であり,規範主義は堤防である」」 ([2016-07-10-1]) .

 ・ Horobin, Simon. How English Became English: A Short History of a Global Language. Oxford: OUP, 2016.

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2017-07-17 Mon

#3003. 英語史が近代英語期で止まってしまったかのように見える理由 (4) [lmode][historiography][language_change][speed_of_change][phonetics][sound_change][variety][contact]

 昨日の記事 ([2017-07-16-1]) に引き続き,標題の第4弾.後期近代英語期に対する関心と注目が本格的に増してきたのは,「#2993. 後期近代英語への関心の高まり」 ([2017-07-07-1]) で見たとおり,今世紀に入ってからといっても過言ではない.しかし,それ以前にもこの時代に関心を寄せる個々の研究者はいた.早いところでは,英語史の名著の1つを著わした Strang も,少なからぬ関心をもって後期近代英語期を記述した.Strang は,この時代に体系的な音変化が生じていない点を指摘し,同時代が軽視されてきた一因だとしながらも,だからといって語るべき変化がないということにはならないと論じている.

Some short histories of English give the impression that changes in pronunciation stopped dead in the 18c, a development which would be quite inexplicable for a language in everyday use. It is true that the sweeping systematic changes we can detect in earlier periods are missing, but the amount of change is no less. Rather, its location has changed: in the past two hundred years changes in pronunciation are predominantly due, not, as in the past, to evolution of the system, but to what, in a very broad sense, we may call the interplay of different varieties, and to the complex analogical relationship between different parts of the language. (78--79)


 (音)変化の現場が変わった,という言い方がおもしろい.では,現場はどこに移動したかといえば,変種間の接触という社会言語学的な領域であり,体系内の複雑な類推作用という領域だという.
 ここで Strang に質問できるならば,では,中世や初期近代における言語変化は,このような領域と無縁だったのか,と問いたい.おそらく無縁ということはなく,かつても後期近代と同様に,変種間の相互作用や体系内の類推作用はおおいに関与していただろう.ただ異なるのは,かつての時代の言語を巡る情報は後期近代英語期よりもアクセスしにくく,本来の複雑さも見えにくいということではないか.後期近代英語期は,ある程度の社会言語学的な状況も復元することができてしまうがゆえに,問題の複雑さも実感しやすいということだろう.解像度が高いだけに汚れが目立つ,とでも言おうか.つまり,変化の現場が変わったというよりは,最初からあったにもかかわらず見えにくかった現場が,よく見えるようになってきたと表現するのが妥当かもしれない.もちろん,現代英語期については,なおさらよく見えることは言うまでもない.

 ・ Strang, Barbara M. H. A History of English. London: Methuen, 1970.

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2017-07-16 Sun

#3002. 英語史が近代英語期で止まってしまったかのように見える理由 (3) [lmode][historiography][language_change][speed_of_change]

 標題に関して「#319. 英語話者人口の銀杏の葉モデル」 ([2010-03-12-1]),「#339. 英語史が近代英語期で止まってしまったかのように見える理由」 ([2010-04-01-1]),「#386. 現代英語に起こっている変化は大きいか小さいか」 ([2010-05-18-1]),「#622. 現代英語の文法変化は統計的・文体的な問題」 ([2011-01-09-1]),「#1430. 英語史が近代英語期で止まってしまったかのように見える理由 (2)」 ([2013-03-27-1]) で取り上げてきたが,もう1つ議論の材料を追加したい.
 近代英語末期から現代英語期にかけての時代を扱った Cambridge 英語史シリーズ第4巻の編者 Romaine は,序章でこの時代を次のように特徴づけている (1) .

The final decades of the eighteenth century provide the starting point for this volume --- a time when arguably less was happening to shape the structure of the English language than to shape attitudes towards it in a social climate that became increasingly prescriptive. . . . The most radical changes to English grammar had already taken place over the roughly one thousand years preceding the starting year of this volume.


 この時期には,言語体系に影響するような変化はさほど起こっておらず,むしろ話者の態度における変化(主として規範主義的言語観の定着)が顕著に見られるのだという.言い換えれば,言語学的な変化というよりは社会言語学的な変化に特徴づけられる時代ということであり,歴史社会言語学的な側面がクローズアップされる時代ということになる.
 この時期,特に文法の分野で大規模な変化として見るべきものがないことは,「#622. 現代英語の文法変化は統計的・文体的な問題」 ([2011-01-09-1]) で触れた通りだが,Romaine (2) も同じ趣旨で次のように論じている.

The immediately preceding period dealt with in Volume III (1476--1776) of this series, the Early Modern Period, has often been described as the formative period in the history of Modern Standard English. By the end of the seventeenth century what we might call the present-day 'core' grammar of Standard English was already firmly established. As pointed out by Denison in his chapter on syntax, relatively few categorical innovations or losses occurred. The syntactic changes during the period covered in this volume have been mainly statistical in nature, with certain construction types becoming more frequent.


 もちろん,(後期)近代英語期に英語史の流れが本当に止まったわけではない.言語内的な変化は,先行する時代に比して確かに目立たないと言えそうだが,言語外的な変化は激しく生じている.英語史が内的な歴史(内面史)と外的な歴史(外面史)の和である以上,その流れが止まることは決してない.

 ・ Romaine, Suzanne. "Introduction." The Cambridge History of the English Language. Vol. 4. Cambridge: CUP, 1998. 1--56.

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2017-03-10 Fri

#2874. 淘汰圧 [evolution][language_change][speed_of_change][functional_load][schedule_of_language_change][entropy]

 進化生物学では,自然淘汰 (natural selection) と関連して淘汰圧 (selective pressure or evolutionary pressure) という概念がある.伊勢 (23) の説明を見てみよう.

 自然淘汰の強さの度合いを表わすときに,淘汰圧 (selective pressure または evolutionary pressure) という言葉を使います.形質による適応度の違いが大きいとき,淘汰圧は高くなります.たとえば,環境が悪化して多くの個体が子孫を残さずに死に絶え,適応度の高いごく一部の個体だけが子孫を残して繁栄するような状況では,淘汰圧は高くなります.
 淘汰圧が高いとき,進化は猛スピードで進みます.適応度は形質によって大きく異なるので,高い適応度を生む形質が自然淘汰で選ばれていき,適応度を下げる形質は急速に失われていきます.逆に,淘汰圧が低い状況では,形質が違ってもそれほど適応度に差が見られません.よって,世代を経ても形質の変化はあまり見られません.


 伊勢は,例としてアルビノ化を挙げている.アルビノ化した個体はカモフラージュが苦手なので,一般に生存確率が下がる.つまり適応度を下げる形質なので,通常の淘汰圧の高い状況下では,失われていくことがほとんどである.ところが,真っ暗な洞窟など,カモフラージュすることが意味をもたない環境においては,淘汰圧は低いため,アルビノ化した個体が適応度の点で特に劣ることにはならない.洞窟においては,アルビノ化(の有無)は重要性をもたないのである.
 さて,ここで言語の話題に移ろう.言語変化を,広い意味で言語をとりまく環境の変化に適応するための自然淘汰であると捉えるのであれば,言語における淘汰圧というものを考えることは有用だろう.淘汰圧が高い状況では,ちょっとした言語項の変異でも重要性を帯び,より適応度の高い変異体が選択される可能性が高い.一方,淘汰圧が低い状況では,それなりに目立つ変異であってもさほど重要性をもたないため,特定の変異体が勝ったり負けたりというような淘汰のプロセスへ進んでいかない.
 では,言語において淘汰圧の高い状態や低い環境とは何だろうか.言語体系内での圧力と言語体系外の圧力に分けて考えることができる.前者については,構造言語学的な観点から機能負担量 (functional_load),対立の効率性,体系の対称性など,様々な考え方がある.後者については,社会言語学や語用論で取り上げられる話者間の相互作用や言語接触などが,特定の言語環境を用意する要素となる.
 生物における淘汰圧が進化の速度にも関係するということは,言語についても当てはまりそうである.淘汰圧が高ければ,おそらく言語変化はスピーディに進むだろう.この点に関しては,エントロピー (entropy) という,もう1つの興味深い話題も想起される.「#1810. 変異のエントロピー」 ([2014-04-11-1]),「#1811. "The later a change begins, the sharper its slope becomes."」 ([2014-04-12-1]) の議論を参照されたい.

 ・ 伊勢 武史 『生物進化とはなにか?』 ベレ出版,2016年.

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2017-02-27 Mon

#2863. 種分化における「断続平衡説」と「系統漸進説」 [evolution][punctuated_equilibrium][origin_of_language][language_change][speed_of_change]

 言語進化論や言語起源論は,しばしば進化生物学の仮説を参照する.言語の分化を説明するモデルとして生物の種分化に関するモデルが参考とされるが,後者では2種類の対立する仮説が立てられている.断続平衡説 (punctuated_equilibrium) と系統漸進説 (phyletic gradualism) である.バーナード・ウッドの人類進化の概説書より,種分化に関する解説を引用する (60--61).

ある研究者は,新しい種の誕生は集団全体がゆっくり変化することと考える.この解釈は「系統漸進説 (phyletic gradualism)」とよばれ,種分化は「アナゲネシス,漸進進化 (anagenesis)」によって起こると見なされる.ほかの研究者は,新しい種の誕生は地理的に隔離された一部の集団が急速に変化することと考える.この解釈は「断続平衡説 (punctuated equilibrium)」とよばれ,急速な変化と変化の間の期間には,特定の方向への変化は起こらず,無方向的な散歩(ふらつき (random walk))しか起こらないと見なされる.断続平衡説における種形成は「分岐進化 (cladogenesis)」とよばれ,種形成と種形成との間の形態的に安定した期間は停滞期 (stasis) と考える.ほぼすべての研究者は,進化における形態変化は種分化のときに起こると認識している.


 これを図示すると,以下のようになる(ウッド,p. 61 を参考に).

Phyletic Gradualism and Punctuated Equilibrium

 いずれのモデルにおいても,種の誕生や分化がとりわけ盛んな時期があると想定されている.これは適応放散 (adaptative radiation) と呼ばれ,新環境が生じたときに起こることが多いとされる.
 生物進化の比喩がどこまで言語進化に通用するものなのか,議論の余地はあるが,比較対照すると興味深い.関連して,「#807. 言語系統図と生物系統図の類似点と相違点」 ([2011-07-13-1]) も参照.とりわけ,言語の起源,進化,変化速度に関する断続平衡説の応用については,「#1397. 断続平衡モデル」 ([2013-02-22-1]),「#1749. 初期言語の進化と伝播のスピード」 ([2014-02-09-1]),「#1755. 初期言語の進化と伝播のスピード (2)」 ([2014-02-15-1]),「#2641. 言語変化の速度について再考」 ([2016-07-20-1]) を参照されたい.

 ・ バーナード・ウッド(著),馬場 悠男(訳) 『人類の進化――拡散と絶滅の歴史を探る』 丸善出版,2014年.

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