目下,New Zealand に来ている.持参した書籍の1つが,本ブログでも最近たびたび取り上げている A History of the English Language in 100 Places である.
NZ 関係の記述としては「#5974. New Zealand English のメイキング」 ([2025-09-04-1]) で紹介した第52節があったが,意外なところにもう1節あった.それは第66節 "GISBORNE --- English slang (1894)" である.
Gisborne は NZ 北島東岸の港町である.この町で英語辞書編纂界の巨人 Eric Partridge (1894--1979) が生まれたという理由で,この節にて英語の slang の話しが展開されることになるのだ.Partridge の業績のなかでもとりわけ名高いのが,A Dictionary of Slang and Unconventional English (1937) である.この初版以来,現在まで改版が続いている影響力のある英語俗語辞書だ.
1ページ半ほどの短い節だが,ここに slang の捉えどころのなさ,怪しさ,魅力が詰め込まれている.slang の役割についての記述も,さりげなくではありながらも本質を突いている.ここでは最後の1節を引こう.
The aim of people using and creating slang is to make up words that are not in the dictionary in order to shock, delight, amaze, intrigue and mystify. Friends and enemies alike can be the objects of this verbal gaming, but slang users have to contend with the online glossaries that are being constantly updated. The best of these is Urban Dictionary; it boasts over 6 million definitions. Hard copy slang dictionaries are far behind; the Oxford Dictionary of Slang (2003) can boast no more than 10,000 slang words and phrases. Moreover, as a word moves from speech to print and from print to dictionary, its slanginess must steadily decrease.
今後,英語の slang 辞書編纂は,一般の辞書編纂に比べても,はるかに早く紙から遠ざかっていくだろうことが確信される.紙の辞書に捕捉された時点で,slang はその本質的な性質を半ば失っているということになるからだ.語彙変化や意味変化の領域における slang の影響力は思いのほか大きい.slang は言語変化の現場である.
・ Lucas, Bill and Christopher Mulvey. A History of the English Language in 100 Places. London: Robert Hale, 2013.
「英語語源辞典通読ノート」でおなじみの lacolaco さんが,9月23日付けで興味深い note 記事を公開された.「2025年ロンドン」 と題するその記事は,単なるロンドン旅行記ではない.「英語史」というレンズを通してロンドンとカンタベリーをめぐるという,体を張った知的なhel活 (helkatsu) の記録である.
同記事によれば,lacolaco さんは今月半ばのロンドン滞在の折に,A History of the English Language in 100 Places をガイドブックとして,英語史にゆかりのある数々の場所を訪ね歩いたという.この本については hellog でも以下の記事などで取り上げてきた.
- 「#5956. 100の場所で英語史を学ぶ本 --- A History of the English Language in 100 Places」 ([2025-08-17-1])
- 「#5968. 「あなたが選ぶ英語史ゆかりの場所100選」はおもしろい企画になりそう --- HEL in 100 Places の序文より」 ([2025-08-29-1])
今回の lacolaco さんの旅は,まさにこの本を実践に移した旅といえる.Geoffrey Chaucer (1340?--1400) が The Canterbury Tales の構想を練ったとされる Aldgate, Cockney (cockney) の語源となった鐘の音で知られる St Mary-le-Bow,そして Samuel Johnson が英語史上初の本格的な辞書を編纂した Dr Johnson's House など,訪問地はいずれも英語史を学ぶ者にとって胸が熱くなる場所ばかりだ.極めつけは,巡礼の最終目的地である Canterbury への日帰り旅.Chaucer の像や,大聖堂に鎮座する St. Augustine's Chair --- すなわちカンタベリー大聖堂の cathedra (司教座) そのもの --- を目の当たりにした感動が伝わってくる.
この記事でとりわけ私の心を捉えたのは,lacolaco さんが自らを helgrim (英語史聖地巡礼者)と称していることだ.これは HEL (= History of the English Language) と pilgrim (巡礼者)を掛け合わせた混成語 (blend)である.このネーミングセンスには脱帽する.
この素晴らしいアイデアに乗っかり,英語史の巡礼行為そのものを helgrimage (英語史旅,あるいはhel旅)と呼びたい.英語史を学び,その歴史が刻まれた土地を訪ね歩く.これは,書物と向き合うだけでは得られない,身体的な学びの形である.言語が実際に使用され,変容を遂げてきた現場の空気を吸うことで,英語史年表の各項目が,単なる知識ではなく,生きた実感として立ち上がってくるはずだ.
英語史研究は,基本的には文献学であり,書斎にこもって写本や刊本を読んだり,PCの前で電子コーパスを分析するのが一般的だ.しかし,本来,言語は常に特定の場所と結びついている.歴史言語学が,地理学,社会学,人類学などの分野と密接に関わるのはそのためだ.helgrimage は,英語史という学問にフィールドワークの側面を与え,その魅力をさらに深めてくれる可能性を秘めている.
これまで本ブログでは様々なhel活を提案してきたが,この helgrimage はきわめて能動的な活動といえるだろう.ロンドンやカンタベリーに限らず,ヴァイキングが足跡を残したイングランド北部,古英語の写本が眠る図書館,さらには英語が世界に展開していく拠点となった要衝など,helgrimage の目的地は世界中に存在する.
lacolaco さんの今回の実践は,英語史の楽しみ方に新たな地平を切り開くものである.多くの helgrims がこれに続くことを願ってやまない.私も helgrimage に出かけることにしよう.
・ Lucas, Bill and Christopher Mulvey. A History of the English Language in 100 Places. London: Robert Hale, 2013.
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