数詞 ten は /tɛn/ のように短母音を示す.発音と綴字の関係もストレートだし,その発音に慣れてしまっているので疑問すら抱かないが,歴史的にはこの短母音は妙である.
この語はゲルマン祖語 *teχɑn, *teχun に遡る.この語中の摩擦音が失われ,代償長化 (compensatory_lengthening) を経たことにより,後のゲルマン諸語では長母音を示すことが多い.古ノルド語 tíu,ドイツ語 zehn のごとくである.実際,古英語でもウェストサクソン方言で tīen(e),アングリア方言で tēne といずれも長母音を示し,そこから予想される現代の発達形は *teen */tiːn/ などとなるはずだった.しかし,実際には歴史の途中で問題の母音に短化が生じ /tɛn/ となった.
ドイツ語では10の zehn はもとより,複合語となる13?19でも dreizehn, vierzehn, fünfzehn のように長母音で一貫している.ところが,英語では10は ten で短母音を示すものの,thirteen, fourteen, fifteen などの複合語では語源的な長母音を示す.むしろ複合語の一部要素が短化するということであれば,古今東西の言語において日常茶飯であり驚きもしないが,どういうわけか英語では分布が逆なのである.
ten にみられる歴史的な母音の短化は説明が難しいようで,Jespersen (243; §8.412) も "The difference between ten and thirteen, etc., is not easily accounted for." と匙を投げている.
数詞は閉じた体系的な語彙を形成しているので,内部で種々の類推作用が働くものなのかもしれない.綴字上 ten は seven, eleven と eye rhyme を踏んでおり,後者からの影響があったということも考えてみた.また,nine, ninth はともに長母音を示すが,後者の綴字は典型的に短母音を想起させ,ten の短母音化とも関係があるかもしれない,とも考えてみた(cf. 「#3104. なぜ「ninth(ナインス)に e はないんす」かね?」 ([2017-10-26-1])).
数詞は閉じた体系的な語彙であるとともに,特に小さい数や切りのよい数については頻度が高いという特徴もある.類推による形態的秩序化の方向と高頻度による形態的無秩序化の方向が共存する,独自の世界を作り上げているといえるかもしれない.
ten と関連して「#3105. tithe と tenth」 ([2017-10-27-1]) も参照.
・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 1. Sounds and Spellings. London: Allen and Unwin, 1909.
昨日の記事 ([2019-02-05-1]) に続き,ain't について.今回はその起源に関するいくつかの説を紹介しよう.
昨日も述べたように ain't は,am not, isn't, aren't のいずれの代用としても用いられることから,これらのいずれかに起源をもつと考えるのが自然だろう.しかし,これら標準的な3つのいずれかからの発達と仮定する場合,n の前に来る子音の消失に関する問題と,第1音節の母音 /eɪ/ に関する問題を解決しなければならない.これが,なかなか難しい.
1人称単数 I に対応する ain't に関しては,Crystal (35) は,歴史的な amn't, amna, amnae, ammot, am't などからの子音脱落によるものとみている.
. . . from the sixteenth century on, we see forms dropping the m appear---first an't, then ain't, again with many regional variants such as een't in Suffolk, yunt in Worcestershire, yent in Berkshire, ant in New England, and ent in African-American usage.
次に,OED の be, v. を引いてみると,語源解説の2.1に詳しい記述がある.それによると,ain't は,amn't からの発達という可能性もあるが,aren't からも,そして isn't からも同様に発達し得たことが示唆されている.
The forms an't and ain't, when functioning as 1st singular, perhaps represent a contraction of am with the negative particle rather than levelling from the 2nd singular and plural (i.e. corresponding to aren't with simplification of final consonant group; compare discussion of ain't below and see discussions in E. J. Dobson Eng. Pronunc. 1500-1700 (ed. 2, 1968) II. 則238, W. N. Francis in Focus on: Eng. & Wales (1985) 141-151; a third possible source (for ain't) is by compensatory lengthening after loss of s from isn't; compare discussion of en't at Forms 2c(iv)龍). However, if so, an't and ain't were subsequently reanalysed as equivalent to are not, and the spelling aren't superseded an't in standard English, leading to avoidance not only of I aren't but also of aren't I by some speakers of current English. A similar problem arises with the early modern English form wan't, which when used for the singular, may represent either a contraction of was with not or show levelling of a variant of weren't. Compare also the concurrent development of similar contracted forms shan't (contracted form of SHALL v.) and han't, hain't, ain't (contracted forms of HAVE v.).
数・人称ごとに場合分けして発達を探るということが必要かもしれない.また,子音の問題は,いずれの場合にも「脱落」で片付けることができるかもしれないが,母音の問題については積極的なコメントはない.方言形であるとか,単に異形であるとか,そのような説明で済ませている場合が多いようだ.やはり,ain't は歴史的に謎である.
・ Crystal, David. The Story of Be. Oxford: OUP, 2017.
初期中英語のテキスト The Owl and the Nightingale を Cartlidge 版で読んでいる.868行にこのテキストからの唯一例として,1人称代名詞主格として ih の綴字が現われる.梟が歌のさえずり方について議論しているシーンで,Ne singe ih hom no foliot! として用いられている.この綴字はC写本のものであり,対するJ写本ではこの箇所に一般的な綴字 ich が用いられている.
この事実から,初期中英語における1人称代名詞主格の異形態の分布に関心をもった.そこで,LAEME で分布をさっと調べてみることにした.特に気になっているのは語末の子音の有無,およびその子音の種類である.母音を無視して典型的な綴字タイプを取り出してみると,ich, ik, ih, i 辺りが挙がる.細かく見ればほかにもありうるが,当面,この4系列の綴字について出現分布を大雑把にみておきたい.
LAEME のプログラムはよくできているので,私の行なったことといえば,該当する形態に関して地図を表示させることのみだ.以下に4枚の方言分布図をつなぎ合わせたものを掲載する.キャンプションが小さくて読みにくいが,位置関係は次の表に示した通り(画像をクリックすれば拡大版が現われる).
以下の合成地図での位置 | Map No. | 説明 |
---|---|---|
左上 | 00001302 | I: '(h)ich' and 'ych' incl iich and ichs |
右上 | 00001305 | I: 'ik', all k forms, incl icke. |
左下 | 00001312 | I: Ih, ih and yh |
右下 | 00001308 | I: I. |
標題の think の活用のみならず,bring, buy, seek, teach などの活用では,過去(分詞)形に原形とは異なる母音が現われる.異なる母音に加えて,綴字の上で ght なる子音字連続が現われ,「不規則」との印象は決定的である.しかし,歴史的には規則的な動詞であり,-ed を付して過去(分詞)形を作る大多数の動詞の仲間である.ただ,大多数のものよりも多くの音変化を歴史的に経験してきたために,結果として,不規則きわまりない見栄えのする活用を示すことになっている.
Mitchell and Robinson (48--49) に従って,歴史的経緯を解説しよう.まず,think 型の動詞の古英語での形を表に示す.現在までに廃語となったもの,純粋な規則変化へと移行したものも含まれている.
Inf. | Pret. Sg. | Past Ptc. |
---|---|---|
brenġan 'bring' | brōhte | brōht |
bycgan 'buy' | bohte | boht |
cwellan 'kill' | cwealde | cweald |
reċċan 'tell' | rōhte | rōht |
sēċan 'seek' | sōhte | sōht |
sellan 'give' | sealde | seald |
streċċan 'stretch' | strōhte | strōht |
tǣċan 'teach' | tǣhte, tāhte | tǣt, tāht |
þenċan 'think' | þōhte | þōht |
þynċan 'seem' | þūhte | þūht |
wyrċan 'work' | worhte | worht |
現代英語の1人称複数代名詞目的格の形態は us である.発音は,LDP によると強形が /ʌs, §ʌz/,弱形が /əs, §əz/ である(語尾子音に /z/ を示すものは "BrE non-RP").古英語では長母音をもつ ūs であり,この長母音が後に短化し,続けて中舌化 (centralisation) したものが,現代の強形であり,さらに曖昧母音化したものが現代の弱形である.と,これまでは単純に考えていた.この発展の軌跡は大筋としては間違っていないと思われるが,直線的にとらえすぎている可能性があると気づいた.
人称代名詞のような語類は,機能上,常に強い形と弱い形を持ち合わせてきた.通常の文脈では旧情報を担う語として無強勢だが,ときに単体で用いられたり対比的に使われるなど強調される機会もあるからだ.強形から新しい弱形が生まれることもあれば,弱形から新しい強形が作り出されることもあり,そのたびに若干異なる音形が誕生してきた.例えば「#1198. ic → I」 ([2012-08-07-1]) の記事でみたように,古英語の1人称単数代名詞主格形態 ic が後に I へ発展したのも,子音脱落とそれに続く代償延長 (compensatory_lengthening) の結果ではなく,機能語にしばしば見られる強形と弱形との競合を反映している可能性が高い.この仮説については,岩崎 (66) も「OE iċ は,ME になって,stress を受けない場合に /ʧ/ が脱落して /i/ となり,この弱形から強形の /íː/ が生じたと考えられる」との見解を示している.
岩崎 (67) は続けて1人称複数代名詞対格・与格形態の発音にも言い及んでいる.古英語 ūs がいかにして現代英語の us の発音へと発達したかについて,ic → I と平行的な考え方を提示している.
OE ūs は,ME になって強形 /ús/ が生じ,これが Mod E /ʌ́s/ になったものであろう.ME /uːs/ は,正常な音変化を辿れば,Great Vowel Shift によって /áus/ になはずのものである.事実,ME /üːr/ は ModE /áuə/ となっている.
まず /uːs/ から短母音化した弱形 us が生じ,そこから曖昧母音化した次なる弱形 /əs/ が生まれた.ここで短母音化した us はおそらく弱形として現われたのだから強勢をおびていないはずであり,そのままでは通常の音変化のルートに乗って /ʌs/ へ発展することはないはずである.というのは,/u/ > /ʌ/ の中舌化は強勢を有する場合にのみ生じたからである.逆にいえば,現代英語の /ʌs/ を得るためには,そのための入力として強勢をもつ /ús/ が先行していなければならない.それは,弱化しきった /əs/ 辺りの形態から改めて強化したものと考えるのが妥当だろう.
したがって,古英語 ūs から現代英語の強形 /əs/ への発展は,直線的なものではなく多少の紆余曲折を経たものと考えたい.なお,現代英語の非標準形 /ʌz, əz/ は有声子音 /z/ を示すが,この有声化も音声的な弱化の現れだろう (cf. 「#858. Verner's Law と子音の有声化」 ([2011-09-02-1])) .
OED に挙げられている us の異形態一覧を眺めれば,強形,弱形,様々な形態が英語史上に行われてきたことがよく理解できる.
留. OE-16 vs, OE- us, eME uss (Ormulum), ME oos, ME os, ME ows, ME vsse, ME vus, ME ws, ME wus, ME-15 ous, 16 vss; Eng. regional 18 as (Yorks.), 18 ehz (Yorks.), 18 ust (Norfolk), 18- az (Yorks.), 18- es (chiefly south-west.), 18- ess (Devon), 18- ez (Yorks. and south-west.), 18- uz (chiefly north. and north midl.), 19 is (north-east.), 19 ous (Yorks.); Sc. pre-17 os, pre-17 us, pre-17 uss, pre-17 usz, pre-17 vs, pre-17 ws, pre-17 wsz, pre-17 17 ous, 17 ows, 18 wes (Orkney), 18 wez (Orkney), 18 wus (Orkney), 18- 'is, 18- iz, 18- wis (Shetland), 18- wiz (Shetland), 19- is, 19- 'iz, 19- oos, 19- uz; Irish English 17 yus (north.), 18 ouse (Wexford), 18- iz (north.); N.E.D. (1926) also records a form 18 ous (regional).
硫. eME hous, ME hus, ME husse, ME hvse, ME hws, 15 huse; Eng. regional 18- hess (Devon), 18- hiz (Cumberland), 18- hus (Northumberland), 18- huz (north. and midl.); Sc. 15 18- his, 17-18 hus, 18 hooz (south.), 18 huzz, 18- hiz, 18- huss, 18- huz, 19- hes, 19- hez; Irish English (north.) 18- hiz, 19- his, 19- hus, 19- huz.
粒. Enclitic (chiefly in let's: cf. LET v.1 14a) 15- -s (now regional and nonstandard), 16- -'s, 18- -'z (chiefly Sc.), 19- -z (chiefly Sc.).
・ 岩崎 春雄 『英語史』第3版,慶應義塾大学通信教育部,2013年.
西ゲルマン語の時代から古英語,中英語を経て近代英語に至るまでの英語の母音の歴史をざっとまとめた一覧が欲しいと思ったので,主要な質的・量的変化をまとめてみた.以下の表は,Görlach (48--49) の母音の質と量に関する変化の略年表をドッキングしたものである.
Period | Quantity | Quality | ||
Rule | Examples | Rule | Examples | |
WGmc--OE | ai > ā, au > ēa, ā > ǣ/ē, a > æ | stān, ēage, dǣd, dæg cf. Ge Stein, Auge, Tat, Tag | ||
7--9th c. | compensatory lengthening | *sehan > sēon "see", mearh, gen. mēares "mare" | ||
9--10th c. | lengthening of before esp. [-ld, -mb, -nd] | fēld, gōld, wāmb, fīnd, but ealdrum | ||
shortening before double (long) consonants | wĭsdom, clæ̆nsian, cĭdde, mĕtton | |||
shortening in the first syllable of trisyllabic words | hăligdæg, hæ̆ringas, wĭtega | |||
OE--ME | shortening in unstressed syllables | wisdŏm, stigrăp | monophthongization of all OE diphthongs | OE dēad, heard, frēond, heorte, giefan > ME [dɛːd, hard, frœːnd, hœrtə, jivən] |
12th c. | [ɣ > w] and vocalization of [w] and [j]; emergence of new diphthongs | OE dagas, boga, dæg, weg > ME [dauəs, bouə, dai, wei] | ||
southern rounding of [aː > ɔː] | OE hāl(ig) > ME hool(y) [ɔː] | |||
12--14th c. | unrounding of œ(ː), y(ː) progressing from east to west | ME [frɛːnd, hertə, miːs, fillen] | ||
13th c. | lengthening in open syllables of bisyllabic words | nāme, nōse, mēte (week, door) | ||
15th c. GVS and 16--17th century consequences | ||||
esp. 15--16th c. | shortening in monosyllabic words | dead, death, deaf, hot, cloth, flood, good | ||
18th c. | lengthening before voiceless fricatives and [r] | glass, bath, car, servant, before |
古英語の1人称単数代名詞 ic は,どのような経緯で現代英語の I へと発展したのか.教科書的な説明としては,中英語で語尾子音 /ʧ/ が脱落し,残った母音が長母音化し,それが近代英語の大母音推移を経て /aɪ/ となったとされる.基本的にはこの理解でよいが,なぜ子音が脱落したのか,なぜ母音が長化したのかという問題は残る.音韻消失とそれに伴う代償延長 (compensatory_lengthening) という可能性が浮かぶかもしれないが,それよりも人称代名詞に典型的にみられる強形と弱形の交替として考えるのがよさそうだ.
機能語全般にいえることだが,人称代名詞には強形と弱形の区別が発達しやすい.例えば,現代標準英語における人称代名詞の強弱の対立として,強形 them に対する弱形の 'hem (ただし両者は直接的な語源関係にはない),同じく you に対する ye などが挙げられる.非標準や方言に目を移せば,人称代名詞における(そして指示代名詞でも)強弱の対立はあちらこちらに見られるし,歴史的にも類例は多く確認される (Yokota 9--11) .フランス語の1人称単数代名詞 me に対して,強調形 moi が別に用いられるのも似た現象だろう.
この傾向に照らせば,ic → I の発達は,語尾子音の脱落と,それに続く代償延長であると説明づけるよりは,語尾子音の脱落により弱形として機能していた /i/ から,改めて長化によって強められた強形 /iː/ が発達し,これが後に標準化したと説明づけるほうが説得力があるのではないか.語尾子音 /ʧ/ の脱落は,軒並み生じたわけではなく,一般的な音韻変化の名のもとに説明づけようとすることはできない.むしろ,機能語の強弱両形の対立として説明するほうが説得力がある.
Yokota (8) は,Brook を参照しながら次のように述べている.
As we know, variation of stress has greatly influenced the development of pronouns. Strongly-stressed and lightly-stressed forms coexist for a time with only one form eventually becoming generally accepted by the majority of people. This general acceptance, however, does not lead to permanent fixation. Minor forms can at anytime gain popularity, a process that is repeated in history. For instance, the regular ME development of the OE first person singular ic was ich. Along with this strongly stressed ich, all dialects of ME has the lightly stressed i /i/ (later written I). When ich disappeared, i started to be used in all positions, developing a strong-stressed pronunciation /i:/ for the stressed positions. From this lengthened /i:/, through the Great Vowel Shift, the present-day pronunciation /ai/ was created (Brook 1965: 104).
・ Yokota, Yumi. "Some Thoughts on the Origin of They, Them and Their." 『外国語外国文化研究』(国士舘大学外国語外国文化研究会編),第20巻,5--13頁.
授業などで,グリムの法則 (Grimm's Law; [2009-08-08-1]) や大母音推移 (Great Vowel Shift; [2009-11-18-1]) などの体系的(とみられる)音韻変化を概説すると,なぜそのような変化が生じたのかという素朴な疑問が多く寄せられる.音韻変化の原因については諸家の意見が対立しており,はっきりしたことは言えないのが現状である.しかし,英語でも日本語でも,その他のあらゆる言語でも,話者の気付かぬところで音韻変化は現在もゆっくりと進行中である.ゲルマン語史や英語史に限っても,多数の音韻変化が理論的あるいは文献的に認められており,グリムの法則や大母音推移は,とりわけ著名ではあるが,多数のうちの2つにすぎない.したがって,グリムの法則についての「なぜ」を問うのであれば,同じように無数の音韻変化の「なぜ」も問わなければならなくなる.音韻変化の原因論はおくとしても,音韻変化がいかに日常的であり,豊富であるかということは気に留めておく必要がある.
例えば,現代英語 Welsh の発音を,ゲルマン祖語の再建形から歴史的に説明するには複数の音韻変化を前提としなければならない.そればかりか,ゲルマン祖語から古英語の West-Saxon 標準形である Wīelisc にたどり着くまでにも,5つもの音韻変化が関与しているのである (Hamer 34--35) .ゲルマン祖語形としては,語根 *walh に形容詞接尾辞 *-isk を付加した *walhisk が再建されている(対応する英語の接尾辞 -ish については,[2009-09-07-1]の記事「#133. 形容詞をつくる接尾辞 -ish の拡大の経路」を参照).
この図でいう "raising", "breaking", "sk > sc", "i-mutation", "loss of h and compensatory lengthening" が,それぞれの音韻変化に付けられた名称である.グリムの法則などと大仰な名前は付いていないが,それぞれが立派な1つの音韻変化である.
話しはここで終わらない.古英語 West-Saxon 標準形の Wīelisc にたどり着いたが,この語形は中英語以降には伝わらなかった.現在の標準形 Welsh に連なるのは,この West-Saxon 形ではなく,Anglian や Kentish 形である.古英語 Anglia 方言では,breaking が起こらず,むしろ第1母音は æ から a へ回帰した.これが,後に i-mutation により再び æ へ上がり,中英語ではそこから発展した e, a などの異形が並立した.16世紀以降は,e の母音で固まり,現在の Welsh が一般的な語形として定着した.
第2母音 i の消失については,古英語期に始まったらしいが,i の有無の揺れは中英語期にも激しかったようだ(MED の Welsh (adj.) を参照).なお,French も接頭辞 -ish の母音の省略された形態を伝えている([2009-10-09-1]の記事「#165. 民族形容詞と i-mutation」を参照).また,人名 Wallace, Wallis は Welsh の歴史的異形である.
このように,ある語のある時代における発音を歴史的に説明するには,数多くの音韻変化の跡を追うことが必要となる.類例として,近代英語の father が印欧祖語よりどのように音声的に発展してきたかを示した[2010-08-20-1]の記事「#480. father とヴェルネルの法則」も参照.
・ Hamer, R. F. S. Old English Sound Changes for Beginners. Oxford: Blackwell, 1967.
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