Ray Jackendoff の提唱している概念意味論 (conceptual semantics) においては,意味とは人間が頭のなかでコード化した情報構造である.以下の原理は "the Mentalist Postulate" と呼ばれている.
Meaning in natural language is an information structure that is mentally encoded by human beings. (qtd. in Saeed 278)
Jackendoff は,文の意味は構成要素たる各語の意味からなると考えているため,概念意味論では語の意味に特別の注意が払われることになる.名詞の意味の分析を通じて,概念意味論の一端を覗いてみよう.以下,Saeed (283--84) を参照する.
Jackendoff は,名詞の意味特徴として [±BOUNDED] と [±INTERNAL STRUCTURE] を提案している.[±BOUNDED] は,典型的には可算名詞 (count noun) と質量名詞 (mass noun) を区別するのに用いられる.可算名詞は明確な境界をもつ単位を指示する.例えば,a car や a banana の指示対象を物理的に切断したとき,切断された各々のモノはもはや a car や a banana とは呼べない.それに対して,water や oxygen のような質量名詞は,複数の部分に分割したとしても,各々の部分は water や oxygen と呼び続けることができる.したがって,可算名詞は [+b] として,質量名詞は [-b] として記述することができる.
次に [±INTERNAL STRUCTURE] について見てみよう.可算名詞の複数,例えば cars や bananas は,内部に構造があるとみなし,[+i] と表わす.対して,water や oxygen のような質量名詞は内部構造なしとみなし,[-i] となる.
2つの意味特徴 [±BOUNDED], [±INTERNAL STRUCTURE] を掛け合わせると,4通りの組み合わせができるだろう.そして,この4通りの各々に相当する名詞が存在することが期待される.実際,英語にはそれがある.これを図示してみよう.
[ Material Entity ] │ ┌──────────┬────┴────┬─────────┐ │ │ │ │ individuals groups substances aggregates (count nouns) (collective nouns) (mass nouns) (plural nouns) │ │ │ │ │ │ │ │ [+b, -i] [+b, +i] [-b, -i] [-b, +i] │ │ │ │ │ │ │ │ a banana, a government, water, bananas, a car a committee oxygen cars
"colloquial" というレジスター (register) について考えている.訳語としては「口語(体)の, 話し言葉の;日常会話の,会話体の;形式張らない」ほどが与えられ,関連語としては "conversational", "spoken", "vulgar", "slangy", "informal" などが挙げられる.一方,対比的に "literary" という用語が想定されていることが多い.無教育な人の言葉遣いを表現する形容詞ではなく,むしろ教育のある人が日常会話で使う言葉という含意が強い.いくつかの学習者英英辞書から定義を引用しよう.
・ (of words and language) used in conversation but not in formal speech or writing (OALD8)
・ language or words that are colloquial are used mainly in informal conversations rather than in writing or formal speech (LDOCE5)
・ (of words and expressions) informal and more suitable for use in speech than in writing (CALD3)
・ Colloquial words and phrases are informal and are used mainly in conversation (COBUILD)
・ used in informal conversation rather than in writing or formal language (MED2)
共起表現としては a colloquial expression, the colloquial style, a colloquial knowledge of Japanese, colloquial speech などが参考になる.
上記から,"colloquial" は典型的に,媒体 (mode of discourse) としては話し言葉(音声言語)に属し,スタイル (style (tenor) of discourse) としては形式張らないものに属するといえる (cf. 「#839. register」 ([2011-08-14-1])) .しかし,"colloquial" は原則として段階的形容詞 (gradable adjective) であり,ある表現が "colloquial" であるか否かを二者択一的に決定することは難しい.確かに話し言葉か書き言葉かという媒体の属性はデジタルではあるが,書き言葉を指して "colloquial" と表現することは不可能ではない (ex. The passage is written in a colloquial way.) .また,スタイルについては形式張りの度合いはアナログであるから,"colloquial" と "uncolloquial" の境の線引きはもとより困難である.畢竟,"colloquial" の意味自体が,媒体とスタイルという2項の属性の特定の組み合わせによって成分分析 (componential_analysis) 的に定義されるというよりは,プロトタイプ (prototype) として定義されるのがふさわしいように思われる.
プロトタイプとしての解釈が妥当であることは,「#611. Murray の語彙星雲」 ([2010-12-29-1]),「#1958. Hughes の語彙星雲」 ([2014-09-06-1]) で示した語彙星雲(「レジスター星雲」と読み替えてもよさそうだ)によっても示唆される.そこに挙げられている "colloquial" ほか "dialectal", "literary", "formal" などのレジスター用語の意味も,すべてプロトタイプ的にとらえておくのがよさそうだ.
昨日の記事「#1968. 語の意味の成分分析」 ([2014-09-16-1]) で導入した componential_analysis には,語彙的関係や統語的・形態的な選択制限をスマートかつ経済的に記述できるという利点があるが,理論的には問題も多い.以下,厳しい批判を加えている Bolinger に主として依拠しながら,問題点を挙げる.
(1) 理想的な成分分析が可能な意味場は限られており,大部分の語彙にはうまく適用できないのではないかという疑問がある.昨日の bachelor, spinster, woman, wife などに関する意味場において相互の概念的関係を表現するには,[MALE], [FEMALE], [UNMARRIED], [MARRIED] (より経済的には [±MALE], [±MARRIED])など比較的少数の成分を用いれば済む.同様に,親族名称 (kinship terms) など閉じられた意味場では,一般に効力を発揮するだろう.しかし,たいていの意味場はもっと開かれているし,そのなかの語彙関係を少数の成分で(否,実際には多数の成分をもってしても)的確に分析するのは極めて困難である.例えば,bird の意味場において,sparrow, penguin, ostrich は,それぞれどのように成分分析すれば互いの関係をスマートに示せるだろうか.上位語の bird に [+CAN FLY] を認めるならば,下位語の penguin はその成分をキャンセルして [-CAN FLY] としなければならないだろう.また,別の下位語 ostrich のために [±CAN RUN FAST] などという成分を認めるべきかなどという問題も生じるかもしれない.
(2) 1つの語の多義をどのように表現するかという問題がある.bachelor には「独身男子」のほかにも,「若い騎士」「学士」「相手のいないオットセイ」の語義もある.これらを統一的に記述する方法はあるだろうか.Bolinger (557) は,Katz and Fodor の分析を引いて示している.
Katz and Fodor は,(Human), (Animal) などのかっこ付きで示される意味成分を "marker" と呼び,[who has never married] などの角かっこ付きで示される,その語義に固有の意味成分を "distinguisher" と呼んで区別した(distinguisher は,固有で特異であるとしてそれ以上分析することのできない要素とされているので,結局のところ,成分分析で押し切ることはできないことを認めてしまっていることになる!).しかし,どのレベルまでが marker で,どのレベルからが distinguisher かについて客観的に定めることは難しい.例えば,「若い騎士」と「相手のいないオットセイ」は,ともに「若い」という意味成分を共有していると考えられるので,(Young) という marker をくくり出すことも可能である.実際,Katz and Fodor は次のような成分分析を新提案として出している (Bolinger 559) .
だが,そうなると,どこまでも marker を増やしていき,distinguisher を下へ下へと追いやることも可能となってくる.例えば,「若い騎士」と「学士」はそれぞれ騎士制度と学位制度のなかで「低い階位」の意味成分を共有しているので,(Hierarchic), (Inferior) などの marker を設定することができるともいえる.半ば強引に marker を増やしていくと,例えば Bolinger (563) が批判混じりに示しているように,次のようなばかげた分析が可能となってくる.
distinguisher の領分を広げれば成分分析の手法そのものの価値が問われるし,marker を増やしていけば,このようにばかげた結果になってしまう.
(3) "Henry became a bachelor in 1965." という文の bachelor の語義は「学士」以外にはありえないことを,話者は知っている.「(一度も結婚したことのない)独身男子」になる(ステータスを変える)ことはできないし,1965年には騎士制度はなかったし,Henry は人間だから,他の語義は自動的に排除される.しかし,とりわけ1965年に騎士制度はなかったという百科事典的な知識は,意味成分として埋め込むことは不適当のように思われる.semantics と pragmatics の境目,辞書的知識と百科事典的知識の境目という問題になってくるが,Katz and Fodor など成分分析を支持する生成意味論者はこの問題に正面から取り組んでいない.
(4) 成分分析では,成分の有無,プラスかマイナスかという二項対立を基盤にしており,程度,連続体,中心と周辺,プロトタイプ (prototype) といった概念を取り込むことができない.また,成分分析はあくまで静的な分析なので,比喩など意味生成の動的な過程を扱うことができない.(それなのに,Katz and Fodor は「生成」意味論を標榜することができるのか?)
上記の問題点は,新しく登場した認知意味論によって解決の糸口を与えられてゆく.とはいえ,成分分析のもつ記述のスマートさと経済性は,大きな魅力であり続けている.語の意味のすべてを成分の束として表現することは困難だとしても,特定の意味場において関連する語彙との異同関係を明示するという目的においては,威力を発揮する分析であることは間違いない.
・ Bolinger, D. "The Atomization of Meaning." Language 41 (1965): 555--73.
伝統的な意味論では,語の意味を,意味の成分あるいは意味の原子要素 (semantic components or primitives) へと分解する成分分析 (componential_analysis) の手法が採られてきた.これは,音素論における「音素は弁別素性の束である」という考え方を語の意味にも応用したものである.
意味成分は,音素における弁別素性と同様に,角括弧にくくって表現される(しばしば + か - かを付した二項対立として表わされるが,以下の例では符号はつけていない).例として,独身男子を表わす bachelor の成分分析を示そう.
bachelor [MALE] [ADULT] [HUMAN] [UNMARRIED]
ここでは,bachelor の概念的意味が4つの成分の組み合わせとして示されている.ただし,この組み合わせがすなわち bachelor の定義そのものであると解釈するのは早計である.むしろ,この組み合わせによって関連する他の語との語彙的・意味的関係が明確になるという点で,成分分析が有用なのである.例えば,独身女性を表わす spinster は,次のように成分分析されるだろう.
spinster [FEMALE] [ADULT] [HUMAN] [UNMARRIED]
この4つの成分の組み合わせが spinster の定義そのものであるというよりは,bachelor の成分分析と比較したときに相互関係が明確になるという利点が大きい.すなわち,bachelor と spinster はともに [ADULT] [HUMAN] [UNMARRIED] という点では共通するが,[MALE] か [FEMALE] かの1点における違いによって,全体として対義関係となることが明示されている.spinster と関連して,woman と wife の成分分析も示そう.
woman [FEMALE] [ADULT] [HUMAN]
wife [FEMALE] [ADULT] [HUMAN] [MARRIED]
spinster と woman は,後者が [UNMARRIED] という成分が関与しないという1点において異なっており,このことから後者は前者の上位語 (hypernym) であることが判明する.また,spinster と wife の関係については,[UNMARRIED] か [MARRIED] かという1点において対立を示す対義語ということになる.さらに,*The man is a wife. の意味的な矛盾も,主語が [MALE] の成分を含んでいるのに,述語は相容れない [FEMALE] の成分を含んでいることにより説明できる.改めて成分分析の最大の利点を指摘すると,語彙における反対関係 (antonymy),包摂関係 (hyponymy),矛盾関係など各種の関係が明示的に表現できるようになったことである.ほかにも,成分分析は,統語的・形態的な選択制限 (selection restriction) の記述にも力を発揮するなど,有用性が認められている.
Katz や Fodor などの生成意味論者は,成分分析の考え方を発展させて,例えば「#1801. homonymy と polysemy の境」 ([2014-04-02-1]) で覗いたような分析を進めた.どこまでもアリストテレス的な二分法で意味を扱おうとする彼らの成分分析の手法には,疑念と批判が向けられてきたし,理論的に難しい課題が指摘されてもいるが,意味分析の有力な方法の1つとして,いまだに影響力を失っていない.
以上,Saeed (259--66) を参照して執筆した.
・ Saeed, John I. Semantics. 3rd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009.
先日の「#1961. 基本レベル範疇」 ([2014-09-09-1]) の記事で,基本語彙あるいは基礎語彙の話題を取り上げたときに,Swadesh の提案した基礎語彙に言及した.これは「#1128. glottochronology」 ([2012-05-29-1]) で挙げた100語からなる basic vocabulary のことであり,通言語的に普遍的な基礎語彙であると唱えられている.批判も多いが,比較言語学や歴史言語学では core vocabulary に関する影響力のある提案の1つと認識されている.
core vocabulary を同定するもう1つの試みとして,Wierzbicka や Goddard の提案がある.Swadesh の提案が比較言語学を基盤としているのに対し,Wierzbicka らの提案は意味論を基盤としている.意味論には,ちょうど音韻論において普遍的な弁別素性が仮定されるのと同様に,普遍的な意味の原子要素 (semantic primes) があるはずだと考え,それを同定しようとする伝統がある.これは,意味の成分分析 (componential_analysis) の伝統の延長線上にある.決して成功しているとはいえないが,意味のプリミティヴを追求するというこの魅力的な計画には,これまでも多くの研究者が参加してきた.Goddard もこの計画に魅せられた1人であり,使命感をもって次のように述べている(Cliff Goddard ("Lexico-Semantic Universals: A Critical overview." Linguistic Typology 5.1 (2001): 1--65. p. 3) から引用した Saeed (78) より).
Natural Semantic Metalanguage
. . . a 'meaning' of an expression will be regarded as a paraphrase, framed in semantically simpler terms than the original expression, which is substitutable without change of meaning into all contexts in which the original expression can be used . . . The postulate implies the existence, in all languages, of a finite set of indefinable expressions (words, bound morphemes, phrasemes). The meanings of these indefinable expressions, which represent the terminal elements of language-internal semantic analysis, are known as 'semantic primes'.
具体的には,Wierzbicka と Goddard により,次の60語が "universal semantic primes" として提案されている(Saeed 79).諸言語の語彙を比較調査した上でより抜かれた精鋭の語彙素だといわれる.
Substantives: | I, you, someone/person, something, body |
Determiners: | this, the same, other |
Quantifiers: | one, two, some, all, many/much |
Evaluators: | good, bad |
Descriptors: | big, small |
Mental predicates: | think, know, want, feel, see, hear |
Speech: | say, word, true |
Actions, events, movement: | do, happen, move, touch |
Existence and possession: | is, have |
Life and death: | live, die |
Time: | when/time, now, before, after, a long time, a short time, for some time, moment |
Space: | where/place, here, above, below |
'Logical' concepts: | not, maybe, can, because, if |
Intensifier, augmentor: | very, more |
Taxonomy: | kind (of), part (of) |
Similarity: | like |
homonymy (同義)と polysemy (多義)の区別が難しいことについては,「#286. homonymy, homophony, homography, polysemy」 ([2010-02-07-1]) や「#815. polysemic clash?」 ([2011-07-21-1]) の記事で話題にした.同形態の2つの語彙素が2つの同義語であるのか,あるいは1つの多義語であるのかは,一方は通時的な意味の変遷を参考にして,他方では話者の共時的な直感を参考にして判断するというのが通常の態度だろう.しかし,2つの視点が食い違うこともある.
例えば,(トランプの)組札,(衣服の)スーツ,訴訟の3つの語義をもつ suit という語を考えよう.3者は語源的には関連があり,核となる意味として "a following or natural sequence of things or events" ほどをもつ.「組札」と「スーツ」は一組・一続きという共通項でくくられそうだが,「訴訟」は原義からが逸脱しているように思われる.「訴訟」は「不正をただす目的で自然な流れとして法廷に訴える」に由来し,本来的には原義とつながりは保っているのだが,共時的な感覚としては逸脱としているといってよいだろう.Voyles (121--22) は,生成意味論の立場から,3つの語義が1つの語として共存しえた段階の意味規則を (1) として,2つの語に分かれたというに近い現代の段階の意味規則を (2) として定式化した.
(1) が polysemous,(2) が homonymous ということになるが,(2) も全体をひとくくりにしているという点では,必ずしも2つの別の語とみなしているわけではないのかもしれない.ポイントは,homonymy か polysemy かの区別は程度の問題ということである.Voyles (122) 曰く,
We are suggesting that for most contemporary speakers the meaning of suit as a set of cards or a set of clothes is an instance of polysemy: these two meanings share certain semantic markers in common. The other meaning of 'legal action' has become completely divorced from the meaning of 'collection' in that it has virtually no features in common with this meaning. This is then an instance of homonymy. The question of whether two or more different sense of a word should be considered the same or separate lexical items is, we believe, a function of the number of semantic features shared by the two (or more) senses. Often such a question does not admit of a simple yes or no; rather, the answer is one of degree.
生成意味論での意味変化の考え方について,一言述べておこう.Voyles によれば,意味素性の束から成る語の意味表示に対して,ある意味素性を加えたり,脱落させたりする規則を適用することによって,その語の意味が変化すると考えた.生成文法が意味を扱う際に常にアキレス腱となるのは,どの意味素性を普遍的な意味素性として設定するかという問題である.Voyles (122) も,結局,同じ問題にぶつかっているようだ.Williams (462) による Voyles の論文に対する評は,否定的だ.
A formal system for representing semantic structure is no less a prerequisite to describing most patterns in change of meaning. Voyles 1973 has attempted to represent change of meaning, building on the formal semantic theory of features and markers first proposed by Katz & Fodor 1963. He tries to demonstrate that semantic change can be systematically explained by changes in rules that generate semantic representations, much as phonological change can be represented as rule change. But a great deal of investigation is still necessary before we understand what should go into a semantic representation, much less what one should look like and how it might change.
生成意味論は理論的には過去のものといってよいだろう.しかし,homonymy と polysemy のような個別の問題については,どんな理論も何らかのヒントは与えてくれるものである.
・ Voyles, Joseph. "Accounting for Semantic Change." Lingua 31 (1973): 95--124.
・ Williams, Joseph M. "Synaesthetic Adjectives: A Possible Law of Semantic Change." Language 52 (1976): 461--78.
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