行為者接尾辞については,「#1748. -er or -or」 ([2014-02-08-1]) をはじめとして agentive_suffix のいくつかの記事で取り上げてきた.しかし,-ar についてはあまり注目してこなかったので,一昨日の記事「#4300. サッポロ LAGAR が発売されました」 ([2021-02-03-1]) とも関連して,ここで触れておきたい.
英語の行為者接尾辞 -ar は,-or (< L -ōrem, -or) と比較されるように,ラテン語の行為者接尾辞 -ārius, -āris にさかのぼる.しかし,-āris はラテン語では形容詞を作る接尾辞でもあり,少々ややこしい事情がある.
形容詞を作る接尾辞としての -āris は,「#3940. 形容詞を作る接尾辞 -al と -ar」 ([2020-02-09-1]) でみたように,基体に l が含まれる場合に,異化 (dissimilation) のため -ālis に代わって用いられたものである.scholar もその例となるが,もともとこの語は,名詞 sc(h)ola (学校)に当該の接尾辞 -āris を加えたものであり,「学校に属する」ほどの意だった.この形容詞が「学校に属する者」ほどの意味で名詞化したものが,scholar として現代まで伝わっているというわけだ.この由来を知らない後世の人々が,scholar の末尾にみえる -ar を,何らかの人・ものを表わす接尾辞として再解釈したのだろう.
英語では -er や -or が行為者接尾辞として併存してきたので,なおのこと -ar もその1変種にすぎないという理解が広まったようだ.そこから,数は多くないものの beggar, burglar, liar, pedlar のように自由に行為者名詞が作られることとなった.名詞 burglar から動詞 burgle が逆成 (back_formation) されたというのは英語史上よく知られた話題だが,これも -ar が行為者接尾辞として意識されているからこそ可能となった語形成である(cf. 「#107. 逆成と接辞変形」 ([2009-08-12-1])).
これらの -ar 行為者名詞の語幹に l が含まれているものが多いことは,上述のラテン語の異化と平行的であり興味深い.意味的にも「よからぬ行ないをする者」というネガティヴな含蓄をもっているものが多く,語形成あるいは綴字選択にあたっての相互作用を疑いたくなる.もっとも scholar, vicar, pillar にそのような含蓄はなく,あったとしても緩い傾向にすぎないと思われるが.
parasynthesis(並置総合)は語形成 (word_formation) の1種で,複合 (compounding) と派生 (derivation) を一度に行なうものである.この語形成によって作られた語は,"parasynthetic compound" あるいは "parasyntheton" (並置総合語)と呼ばれる.その具体例を挙げれば,warm-hearted, demoralize, getatable, baby-sitter, extraterritorial などがある.
extraterritorial で考えてみると,この語は extra-(territori-al) とも (extra-territory)-al とも分析するよりも,extra-, territory, -al の3つの形態素が同時に結合したものと考えるのが妥当である.結合の論理的順序についてどれが先でどれが後かということを決めるのが難しいということだ.この点では,「#418. bracketing paradox」 ([2010-06-19-1]),「#498. bracketing paradox の日本語からの例」 ([2010-09-07-1]),「#499. bracketing paradox の英語からの例をもっと」 ([2010-09-08-1]) の議論を参照されたい.そこで挙げた数々の例はいずれも並置総合語である.
品詞転換 (conversion) あるいはゼロ派生 (zero-derivation) を派生の1種と考えるならば,pickpocket や blockhead のような (subordinative) exocentric compound も,複合と派生が同時に起こっているという点で並置総合語といってよいだろう.
石橋(編)『現代英語学辞典』 (p. 630) では並置総合語を要素別に5種類に分類しているので,参考までに挙げておこう.
(1) 「形容詞+名詞+接尾辞」 hot-tempered, old-maidish. (2) 「名詞+名詞+接尾辞」 house-wifely, newspaperdom. (3) 「副詞+動詞+接尾辞」 oncoming, half-boiled. (4) 「名詞+動詞+接尾辞」 shopkeeper, typewriting. (5) そのほか,matter-of-factness, come-at-able (近づきやすい)など.
・ 大塚 高信,中島 文雄(監修) 『新英語学辞典』 研究社,1982年.
・ 石橋 幸太郎(編) 『現代英語学辞典』 成美堂,1973年.
この2日間の記事「#2708. morn, morning, morrow, tomorrow」 ([2016-09-25-1]),「#2709. tomorrow, today」 ([2016-09-26-1]) で,tomorrow と today の語源を扱ったので,今回は関連して yesterday を取り上げたい.
tomorrow, today が「前置詞+名詞」の句から発達したのとは異なり,yesterday は,それ自体が「昨日(の)」の意味をもつ古英語の連結形 ġeostran (< Gmc *ȝestra; cf. G gestern, Du. gisteren) に名詞 dæġ の付いた複合語的な ġeostran dæġ に由来する.yesterday は古英語より副詞・名詞兼用だった.
他のゲルマン諸語でも類似した語形成が見られるが,古ノルド語やゴート語では同類の表現が「昨日」ではなく「明日」を意味する例もあり,部分的には,前後の方向にかかわらず「今日から1日ずれている日」ほどを指す表現として発達していた可能性もある.OED によれば,英語でも yesterday が「明日」を意味する例が,以下のように1つだけ確認されるという.不思議な例である.
1533 T. More Apologye 201, I geue them all playn peremptory warnynge now, that they dreue yt of no lenger. For yf they tarye tyll yesterday..I purpose to purchace suche a proteccyon for them [etc.].
yester(n) が「昨…」の意味をもつ接頭辞として生産的に用いられると,yestereve, yestermorning, yesternight, yesternoon, yesteryear のような語が生まれることになった.さらに,これらの語から yester の部分が独立して形容詞として逆成 (back_formation) され,16世紀以降「昨日の」の意味で用いられるようになった.
tomorrow, today, yesterday は基本単語といってよいが,各々がたどってきた歴史はそれほど単純ではないことが分かる.
ノルマン・コンクェスト (the Norman Conquest) は,フランス北西部の英仏海峡に面したノルマンディー (Normandy) に住み着いたノルマン人 (the Normans) の首領 William によるイングランド征服である(上の地図参照).1066年に起こったこの出来事は英国史上最大の事件といってよいが,ヨーロッパ史としては,8世紀より続いていたヴァイキングのヨーロッパ荒しの一幕である.ノルマン人が北欧出身のヴァイキングの一派であることは,Norman の語源からわかる.
Norman という語は,上記のようにイングランド征服に従事した北欧ヴァイキングを指示する民族名で,1200年頃の作とされる Laȝamon's Brut に初出する.これは OF Normant (F Normand)の最終子音が脱落した形態の借用であり,OF Normant 自体は ON Norðmaðr (northman) からの借用である.最終子音の脱落は,OF の複数形 Normans, Normanz から単数形が逆成 (back-formation) された結果であるかもしれない.一方,語中子音 ð の消失は,Du. Noorman, G Normanne などゲルマン諸語の形態にも反映されている.
後期中英語から初期近代英語にかけては,OF や AN のNormand に基づいた,語尾に d をもつ形態も用いられていたが,現在まで標準的に用いられているのは d なしの Norman である.ただし,地名として接尾辞を付加した Normandy では,OF で現われていた d が保持されている.MED の Normandī(e (n. & adj.) によると14世紀が初出だが,OED では11世紀に Normandig として例があるという.地名のほうが民族名よりも文証が早かったということになる.
関連して,古代スカンディナヴィア人やその言語を表わす Norse という語は,16世紀末が初出である.こちらは,Du. noorsch (noord + -sch) からの借用であり,語形成としては north + -ish のような構造ということになる.参考までに,英語の接尾辞 -ish が原形をとどめていない例として French, Welsh などがある.この接尾辞については,「#1157. Welsh にみる音韻変化の豊富さ」 ([2012-06-27-1]) も「#133. 形容詞をつくる接尾辞 -ish の拡大の経路」 ([2009-09-07-1]) の記事を参照.
[2010-06-19-1], [2010-09-07-1]で扱った bracketing paradox について,Spencer を参照して英語からの例をもっと挙げてみたい.形態論上,語彙論上いろいろな種類の例があるようだが,ここでは分類せずにフラットに例を挙げる.
word | morphological analysis | semantic analysis |
---|---|---|
atomic scientist | [atomic [scient ist]] | [[atomic science] ist] |
cross-sectional | [cross [section al]] | [[cross section] al] |
Gödel numbering | [Gödel [number ing]] | [[Gödel number] ing] |
hydroelectricity | [hydro [electric ity]] | [[hydro electric] ity] |
macro-economic | [macro [econom ic]] | [[macro economy] ic] |
set theorist | [set [theory ist]] | [[set theory] ist] |
transformational grammarian | [transformational [grammar ian]] | [[transformational grammar] ian] |
ungrammaticality | [un [grammatical ity]] | [[un grammatical] ity] |
unhappier | [un [happi er]] | [[un happy] er] |
derivative | base |
---|---|
baroque flautist | baroque flute |
Broca's aphasic | Broca's aphasia |
civil servant | civil service |
electrical engineer | electrical engineering |
general practitioner | general practice |
medieval sinologue | medieval China |
modern hispanist | modern Spain/Spanish |
moral philosopher | moral philosophy |
nuclear physicist | nuclear physics |
serial composer | serial composition |
Southern Dane | Southern Denmark |
theoretical linguist | theoretical linguistics |
urban sociologist | urban sociology |
東京は桜が満開である.散り始めているものもあり,花見の興は増すばかりである.言うまでもなく桜は散るからよいわけだが,スコットランド留学中,フラットのそばにあった桜は,あの寒々しい冬のうちから季節感もなく咲き,風の吹きすさぶなか,散らずに屹立していた.はかなさも何もなく,かわいげがないなと思ったものである.桜の種類が異なるのだろう.
「さくら」はイギリスでも古くから知られている.合成語の一部としては cirisbēam 「桜の木」として古英語から存在していたし,現在の cherry につながる形態も早く1300年くらいにはフランス語から借用されていた.われわれも何かと親しみ深いこの単語,実は英語史では数の異分析 ( numerical metanalysis ) の例として話題にのぼることが多い.借用元の Old Norman French の形態は cherise であり,<s> はもともと語幹の中に含まれている.ところが,借り入れた英語の側がこの <s> を複数語尾の <s> と誤って分析してしまい,<s> を取り除いた形を基底形として定着させてしまった.これが,cherry のメイキングである.ちなみに,フランス語 cerise が「さくらんぼ色(の)」の意味で19世紀に英語に入ったので,cherry と cerise は二重語 ( doublet ) の関係にあることになる.
語幹末尾の <s> を複数形の <s> と取り違えて新しい単数形を作り出す例は他にもある.pea 「エンドウマメ」の歴史的な単数形は本来 pease ( < OE pise < LL pīsa ) だが,<s> が複数語尾と間違えられた結果,pea が新しい単数形として生み出された.同様に,sherry 「シェリー酒」はスペイン語の Xeres に由来し,英語へは16世紀に sherris として入ったが,17世紀には異分析されて生じた sherry が使われ出した.(シェリー酒はお酒を覚えたての頃に大飲みしてひどい目にあったので,いまだにあの匂いにはトラウマ的抵抗がある.)
上の述べた類の numerical metanalysis は,元の語幹の一部を切り取る語形成であるから,逆成 ( back-formation ) の一種ともいえる.逆成については back_formation の各記事を参照.
・ 児馬 修 『ファンダメンタル英語史』 ひつじ書房,1996年.111--12頁.
[2009-08-11-1], [2009-08-12-1]と逆成 ( back-formation ) の話題を取りあげた.逆成のタイプは数種類あるが,editor や burglar などのように,行為者接辞 -er, -ar, -or が差し引かれるタイプをいくつか挙げてみよう.語源辞典より初出年も添えておく.
動詞 | 初出年 | 行為者名詞 | 初出年 | 備考 |
---|---|---|---|---|
baby-sit | 1947 | baby-sitter | 1937 | |
beg | ?a1200 | beggar | ?a1200 | |
bulldoze | 1876 | bulldozer | 1876 | |
burgle | 1872 | burglar | 1541 | |
commute | 1889 | commuter | 1865 | 「定期券で通勤する」の意で |
edit | 1793 | editor | 1712 | 「編集する」の意で |
peddle | 1532 | pedlar | c1378 | |
scavenge | a1644 | scavenger | 1530 | |
sight-see | 1835 | sight-seeing | 1824 | |
swindle | 1782 | swindler | 1774 | |
type-write | 1887 | type-writer | 1868 |
昨日の記事[2009-08-11-1]で,「エロ」は「エロチック」からの逆成 ( back-formation ) の例かもしれないと述べた.逆成とは,ある語の語尾を接尾辞や屈折語尾と混同し,それを除去することで語を形成する作用である.多くの場合,異分析 ( metanalysis ) と類推 ( analogy ) も同時に起こっており,過程を説明しようとすると複雑なのだが,例を見ればすぐに理解できるし,実際に頻繁に起こっている語形成 ( word formation ) である.
[2009-08-11-1]では editor > edit の例をみたが,今日は説明に burglar > burgle を取りあげてみる.burglar 「強盗」は,ラテン語に語源をもつが,直接的にはアングロ・フレンチ ( Anglo-French ) から burgler という形で16世紀に英語に借用された.その後19世紀に,語尾の -ar は行為者を示す語尾であると異分析され,それを差し引けば動詞ができるはずだとの発想から burgle 「強盗する」という動詞が逆成された.もっとも,-ar が行為者の接尾辞であるとした部分は,語源的には必ずしも誤解ではないかもしれない.直前の l も含め,語源的にはよく分からない語尾なのである.だが,それを全体から差し引くという発想が革新的だった.この発想の背後には,動詞 + -ar として行為者名詞が派生される例が英語に存在するという事実に基づく類推 ( analogy ) の作用があったと考えてよい.ex. beggar, liar, pedlar.
比例式で表現すると次のようになる.
lie : liar = X : burglar ゆえに
X = burgle
lie > liar というごく自然な順序の派生は接辞変形 ( affixation ) と呼ぶが,back-formation はその反転の作用といっていいだろう.
ちなみに,back-formation という用語自体は OED の編集主幹 J. A. H. Murray の造語で,上記の burgle の語源説明に用いたのが最初である(1889年).ただし,back-formation から逆成されてしかるべき back-form という動詞は,いまだ OED にも登録されていない・・・.
昨日の記事[2009-08-10-1]で,日本語に入った「チック」語を『広辞苑』から列挙してみたが,そのなかで,語形成 ( word formation ) について気になる語が二つあった.「エロチック」 erotic と「エステティック」 Ästhetik (German) である.後者はもちろん英語にも aesthetic という対応語がある.
erotic はギリシャ神話の恋愛の神 Eros 「エロス」に接尾辞 -ic を付加して派生させた形容詞である.ところが,日本語では -ic ではなく「チック」「ティック」を接尾辞として異分析して切り出した([2009-08-02-1], [2009-08-03-1], [2009-08-10-1]).この異分析を「エロティック」「エステティック」に当てはめると,基体はそれぞれ「エロ」と「エステ」となる.そして,この基体はいずれも英語には存在しないため,結果として和製英語となっている.数式風に表現すると次のようになる.
・「エロティック」 - 「ティック」 = 「エロ」
・「エステティック」 - 「ティック」 = 「エステ」
この引き算の部分は,語形成の立場からは二通りの考え方があるように思われる.一つは,逆成 ( back-formation ) である.普通は,基体が先にあって,その基体に -ic などの派生接辞を付加して新しく語を形成するという順序になるが,こうした派生パターンがいったん確立すると,先に派生語とおぼしき語が現れ,そこから逆の順序で基体が復元的に形成されるという事態が生じる.英語の有名な逆成の例に editor > edit がある.この名詞と動詞のペアについては,行為者を表す接尾辞 -or が付加された editor が先に生じ,そこから -or を差し引いて動詞 edit が作られた.普通からすると順序が逆の語形成なので,逆成というわけである.この考え方でいけば,「エロ」「エステ」は日本語において異分析と逆成の両過程を経た結果の語ということになる.
もう一つの考え方は,切り株 ( clipping ) と呼ばれる省略が起こっているとするものである.切り株とは,語の一部を切り取るタイプの省略のことである.「エロティック」「エステティック」では長いので,後半部分は省略してしまおうということで,「エロ」「エステ」という省略語ができたとする考え方である.日本語は切り株が得意なので,十分にこの解釈もとりうる.
上記の二つの考え方のいずれか,あるいは両方が掛け合わされたという説明もありうるが,いずれにせよ,借用語の「エロティック」「エステティック」から日本語の語形成過程を経て「エロ」「エステ」が生まれた.だが,話しはそこで止まらない.「エロ」「エステ」は一人前の語として一人歩きをはじめ,各種の複合語を生み出し続けている.「エロ小説」「エロ本」「エロ漫画」「エログロ」「韓国エステ」「花嫁エステ」「耳かきエステ」等々.
そして,「エロ」に至っては,なんと日本語では珍しい外来語を基体にもつ形容詞「エロい」が生まれた!快挙である.(ちなみに「グロい」も.)
日本語話者の性と美 (←エロスの世界)を追及する心のなせるわざか,日本語の語形成力のなせるわざか,こうして日本語の語彙は豊かになってゆく・・・.
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