標記の開拓社からの新刊書をご献本いただきました,ありがとうございます!
開拓社による「最新英語学・言語学シリーズ」の第20巻という位置づけで,「生成文法×英語史」の最新の専門的な知見がまとめられています.300頁ほどの著書で,量的にも本格派です.英語の統語変化を理論的に考察したい研究者・学生にとって,必携の参考書です.
以下,目次を取り出してみましょう.魅力的な話題と高度な専門用語が並んでいます.
第I部 生成文法理論における言語変化
第1章 生成文法の理論的枠組みと言語変化
1. はじめに:英語史の時代区分
2. 生成文法の理論的枠組み
3. 文法変化としての言語変化
第2章 言語変化のタイプ
1. 再分析とパラメター変化
2. 文法化:不定詞標識 to を例として
3. 語順変化
4. 項構造の変化:心理動詞を例として
第II部 英語の節構造の変化
第3章 初期英語の節構造と動詞移動の消失
1. はじめに
2. 古英語・初期中英語の基本語順
3. 古英語・初期中英語の節構造
4. 動詞移動と豊かな一致の仮説
5. 屈折接辞の衰退と動詞移動の消失
6. 文法化による語彙動詞から助動詞への変化
7. まとめ
第4章 主語位置の変遷と各種構文の変化
1. はじめに
2. 空主語構文
3. 奇態格経験者主語構文
4. 他動詞虚辞構文
5. that 痕跡効果
6. まとめ
第III部 英語名詞句の構造と分布
第5章 非構造格の消失と格による名詞句の認可方法の変化
1. はじめに
2. 格に関する経験的事実と理論的仮定
3. 与格名詞をともなう構文の歴史的変遷
4. 与格名詞の認可と認可方法の変化
5. まとめ
第6章 数量詞の分布と遊離可能性の通時的変遷
1. はじめに
2. 初期英語における数量詞の分布
3. 理論的仮定
4. 遊離数量詞の分布に関する通時的変化
5. 代名詞と数量詞の語順
6. まとめ
本書については,12月11日に Voicy heldio にて「#1291. 田中 智之・縄田 裕幸・柳 朋宏(著)『生成文法と言語変化』(開拓社,2024年)」の配信回でもご紹介しています.本記事と合わせてお聴きいただければ.
本書と関連して,開拓社の「最新英語学・言語学シリーズ」の第21巻,家入 葉子・堀田 隆一(著)『文献学と英語史研究』(開拓社,2022年)もどうぞよろしくお願い致します.
・ 田中 智之・縄田 裕幸・柳 朋宏 『生成文法と言語変化』 開拓社,2024年.
9月8日(日)に khelf(慶應英語史フォーラム)主催で開かれた「英語史ライヴ2024」の1セッションとして,『文法化する英語』(開拓社,2014年)の著者である保坂道雄先生(日本大学教授)と初の heldio 対談が実現しました.
文法化 (grammaticalisation) の入門となる音声コンテンツとなっていますが,そればかりでなく保坂先生の言語(変化)観をお聴きする貴重な機会ともなっています.対談の際,私の収録態勢が不十分だったために,途中部分を録音できなかったという痛恨のミスを犯してしまいましたが,全体としては一貫したコンテンツとなっております.ぜひお聴きいただければと思います.「#1245. 保坂道雄先生との「文法化入門」対談 --- 「英語史ライヴ2024」より」です(本編は20分弱です).
第2チャプターでは,言語変化における文法化の位置づけ,および迂言的 do (do-periphrasis) の文法化のイントロについてお話ししていただきました.続く第3チャプターでは,完了形 (perfect) の文法化を導入していただきました.(収録に失敗してしまった do 迂言形の話題につきましては,後日,改めて保坂先生にじっくりお話しいただきたいと思っています.)
今回の対談でご紹介した『文法化する英語』や,そこで扱われている個々の文法化の事例については,これまでも hellog および heldio で様々に取り上げてきました.文法化に関わるとりわけ重要なコンテンツを以下に一覧しておきます.
【 hellog 記事 】
・ 「#1972. Meillet の文法化」 ([2014-09-20-1])
・ 「#1974. 文法化研究の発展と拡大 (1)」 ([2014-09-22-1])
・ 「#1975. 文法化研究の発展と拡大 (2)」 ([2014-09-23-1])
・ 「#2144. 冠詞の発達と機能範疇の創発」 ([2015-03-11-1])
・ 「#2146. 英語史の統語変化は,語彙投射構造の機能投射構造への外適応である」 ([2015-03-13-1])
・ 「#2490. 完了構文「have + 過去分詞」の起源と発達」 ([2016-02-20-1])
・ 「#2575. 言語変化の一方向性」 ([2016-05-15-1])
・ 「#2576. 脱文法化と語彙化」 ([2016-05-16-1])
・ 「#3272. 文法化の2つのメカニズム」 ([2018-04-12-1])
・ 「#3273. Lehman による文法化の尺度,6点」 ([2018-04-13-1])
・ 「#3281. Hopper and Traugott による文法化の定義と本質」 ([2018-04-21-1])
・ 「#3669. ゼミのグループ研究のための取っ掛かり書誌」 ([2019-05-14-1])
・ 「#5124. Oxford Bibliographies による文法化研究の概要」 ([2023-05-08-1])
・ 「#5132. なぜ be going to は未来を意味するの? --- 「文法化」という観点から素朴な疑問に迫る」 ([2023-05-16-1])
・ 「#5411. heldio で「文法化」を導入するシリーズをお届けしました」 ([2024-02-19-1])
・ 「#5420. 保坂道雄(著)『文法化する英語』(開拓社,2014年) --- 英語の文法化の入門書」 ([2024-02-28-1])
【 heldio コンテンツ 】
・ 「#988. ぎゅうぎゅうの単語とすかすかの単語 --- 内容語と機能語」
・ 「#989. 内容語と機能語のそれぞれの特徴を比較する」
・ 「#990. 文法化とは何か?」
・ 「#991. while の文法化」
・ 「#992. while の文法化(続き)」
・ 「#1001. 英語の文法化について知りたいなら --- 保坂道雄(著)『文法化する英語』(開拓社,2014年)」
・ 「#1003. There is an apple on the table. --- 主語はどれ?」
英語史の視点からの文法化の入門書として,改めて保坂先生著『文法化する英語』を推します.
・ 保坂 道雄 『文法化する英語』 開拓社,2014年.
5月に開拓社より出版された一般向けの英語史書,宗宮喜代子(著)『歴史をたどれば英語がわかる --- ノルマン征服からの復権と新生』(開拓社,2024年)を紹介します.外面史と内面史の均衡の取れた7章からなる英語史書で,内面史については文法の話題が多いものの,標準的な内容はしっかり押さえられています.以下,章節のレベルまで目次を掲載します.
はじめに
第1章 紀元前7世紀からノルマン征服まで
ケルト人のブリテン島
ローマ人による支配
ゲルマン民族の大移動
七王国時代
English (英語)と England (イングランド)
アングロ・サクソン社会
ケルト人の無念
キリスト教の浸透
デーン人の襲撃
アルフレッド大王の善政
ノルマン征服
第2章 古英語
インド・ヨーロッパ語族
文献の始まり
名詞
代名詞・数詞
形容詞・副詞
動詞
前置詞
文の構造
本来語と借用語
古英語はどんな言語だったのか
第3章 百年戦争と英語の復権
英語の没落
無関心が招いた衰退
百年戦争
黒死病と庶民
英語の復権
英国王室の系譜
第4章 中英語
屈折の単純化
名詞
代名詞・冠詞・数詞
形容詞・副詞
動詞
前置詞
文の構造
本来語と借用語
分析的言語への道
第5章 ルネサンスから1900年まで
社会の変化
知的なラテン語と粗野な英語
ルネセンスと言語
シェイクスピアの演劇
清教徒革命
王立学会とフランシス・ベーコン
科学革命の波
ジョン・ロックの世界観
規範主義の時代
アメリカ大陸の植民地
第6章 近代英語
大母音推移
名詞
代名詞・冠詞・数詞
形容詞・副詞
動詞
助動詞
前置詞
文の構造
本来語と借用語
アメリカの英語
近代英語はどこまで来たか
第7章 現代英語
800年の歩み
捨てたもの・残したもの
冠詞
法助動詞
名詞
内と外の論理
人称化という事件
文型
直線の論理
必要十分の美学
時制と相の体系
共感指向
イギリス英語とアメリカ英語
現代英語はどんな言語になったのか
おわりに
参考文献
索引
本書の最大の魅力は,最終第7章の節タイトルから示唆されるように,結局,千数百年の変化の結果,英語はどんなタイプの言語になったのか,という問いに対する著者なりの答えが与えられていることです.現代英語は主に近代英語期に生じた言語変化の結果として出力されたものですが,その言語変化の背景に何があったがのが重要な問いとなります.
英語史書は多々出版されていますが,それぞれに独自性があります.いろいろ読み比べてみることをお薦めします.ぜひ「#5462. 英語史概説書等の書誌(2024年度版)」 ([2024-04-10-1]) をご参照ください.
なお,今回紹介した本については,Voicy heldio にて「#1131. 宗宮喜代子(著)『歴史をたどれば英語がわかる』(開拓社,2024年)」でも取り上げています.そちらもぜひお聴きいただければ.
・ 宗宮 喜代子 『歴史をたどれば英語がわかる --- ノルマン征服からの復権と新生』 開拓社,2024年.
昨日の記事「#5549. Sturtevant's Paradox --- 音変化は規則的だが不規則性を生み出し,類推は不規則だが規則性を生み出す」 ([2024-07-06-1]) の最後で,Fertig が "Sturtevant's Paradox" に批判的な立場であることを示唆した.Fertig (97--98) の議論が見事なので,まるまる引用したい.
Like a lot of memorable sayings, Sturtevant's Paradox is really more of a clever play on words than a paradox, kind of like 'Isn't it funny how you drive on a parkway and park on a driveway.' There is nothing paradoxical about the fact that phonetically regular change gives rise to morphological irregularities. Similarly, it is no surprise that morphologically motivated change tends to result in increased morphological regularity. 'Analogic creation' would be even more effective in this regard if it were regular, i.e. if it always applied across the board in all candidate forms, but even the most sporadic morphologically motivated change is bound to eliminate a few morphological idiosyncrasies from the system.
If we consider analogical change from the perspective of its effects on phonotactic patterns, it is sometimes disruptive in just the way that one would expect . . . . At one point in the history of Latin, for example, it was completely predictable that s would not occur between vowels. Analogical change destroyed this phonological regularity, as it has countless others. Carstairs-McCarthy (2010: 52--5) points out that analogical change in English has been known to restore 'bad' prosodic structures, such as syllable codas consisting of a long vowel followed by two voiced obstruents. Although Carstairs-McCarthy's examples are all flawed, there are real instances, such as believed < beleft, of the kind of development he is talking about (§5.3.1).
What the continuing popularity of Sturtevant's formulation really reveals is that one old Neogrammarian bias is still very much with us: When Sturtevant talks about changes resulting in 'regularity' and 'irregularities', present-day historical linguists still share his tacit assumption that these terms can only refer to morphology. If we were to revise the 'paradox' to accurately reflect the interaction between sound change and analogy, we would wind up with something not very paradoxical at all:
Sound change, being phonetically/phonologically motivated, tends to maintain phonological regularity and produce morphological irregularity. Analogic creation, being morphologically motivated, tends to produce phonological irregularity and morphological regularity. Incidentally, the former tends to proceed 'regularly' (i.e. across the board with no lexical exceptions) while the latter is more likely to proceed 'irregularly' (word-by-word).
I realize that this version is not likely to go viral.
一言でいえば,言語学者は,言語体系の規則性を論じるに当たって,音韻論の規則性よりも形態論の規則性を重視してきたのではないか,要するに形態論偏重の前提があったのではないか,という指摘だ.これまで "Sturtevant's Paradox" の金言を無批判に受け入れてきた私にとって,これは目が覚めるような指摘だった.
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
・ Carstairs-McCarthy, Andrew. The Evolution of Morphology. Oxford: OUP, 2010.
標題は,さまざまに言い換えることができる.「音法則は規則的だが不規則性を生み出し,類推による創造は不規則だが規則性を生み出す」ともいえるし,「形態論において規則的な音声変化はエントロピーを増大させ,不規則的な類推作用はエントロピーを減少させる」ともいえる.音変化 (sound_change) と類推 (analogy) の各々の特徴をうまく言い表したものである(昨日の記事「#5548. 音変化と類推の峻別を改めて考える」 ([2024-07-05-1]) を参照).この謂いについては,以下の関連する記事を書いてきた.
・ 「#1693. 規則的な音韻変化と不規則的な形態変化」 ([2013-12-15-1])
・ 「#838. 言語体系とエントロピー」 ([2011-08-13-1])
・ 「#1674. 音韻変化と屈折語尾の水平化についての理論的考察」 ([2013-11-26-1])
この金言を最初に述べたのは誰だったかを思い出そうとしていたが,Fertig を読んでいて,それは Sturtevant であると教えられた.Fertig (96) より,関連する部分を引用する.
Long before there was a Philosoraptor, historical linguists had 'Sturtevant's Paradox': 'Phonetic laws are regular but produce irregularities. Analogic creation is irregular but produces regularity' (Sturtevant 1947: 109). It is catchy and memorable. It has undoubtedly helped generations of linguistics students remember the battle between sound change and analogy, and, on the tiny scale of our subdiscipline, it is no exaggeration to say that it has 'gone viral', making appearances in numerous textbooks . . . and other works . . . .
確かにキャッチーな金言である.しかし,Fertig はこのキャッチーさゆえに見えなくなっている部分があるのではないかと警鐘を鳴らしている.
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
・ Sturtevant, Edgar H. An Introduction to Linguistic Science. New Haven: Yale UP, 1947.
比較言語学 (comparative_linguistics) の金字塔というべき,青年文法学派 (neogrammarian) による「音韻変化に例外なし」の原則 (Ausnahmslose Lautgesetze) は,音変化 (sound_change) と類推 (analogy) を峻別したところに成立した.以来,この言語変化の2つの原理は,相容れないもの,交わらないものとして解釈されてきた.この2種類を一緒にしたり,ごっちゃにしたら伝統的な言語変化論の根幹が崩れてしまう,というほどの厳しい区別である.
しかし,この伝統的なテーゼに対する反論も,断続的に提出されてきた.例外なしとされる音変化も,視点を変えれば一律に適用された類推として解釈できるのではないか,という意見だ.実のところ,私自身も語彙拡散 (lexical_diffusion) をめぐる議論のなかで,この2種類の言語変化の原理は,互いに接近し得るのではないかと考えたことがあった.
この重要な問題について,Fertig (99--100) が議論を展開している.Fertig は2種類を峻別すべきだという伝統的な見解に立ってはいるが,その議論はエキサイティングだ.今回は,Fertig がそのような立場に立つ根拠を述べている1節を引用する (95) .単語の発音には強形や弱形など数々の異形 (variants) があるという事例紹介の後にくる段落である.
The restriction of the term 'analogical' to processes based on morpho(phono)logical and syntactic patterns has long since outlived its original rationale, but the distinction between changes motivated by grammatical relations among different wordforms and those motivated by phonetic relations among different realizations of the same wordform remains a valid and important one. The essence of the Neogrammarian 'regularity' hypothesis is that these two systems are separate and that they interface only through the mental representation of a single, citation pronunciation of each wordform. The representations of non-citation realizations are invisible to the morphological and morphophonological systems, and relations among different wordforms are invisible to the phonetic system. If we keep in mind that this is really what we are talking about when we distinguish analogical change from sound change, these traditional terms can continue to serve us well.
言語変化を論じる際には,一度じっくりこの問題に向き合う必要があると考えている.
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
言語変化 (language_change) の基本的な原動力の1つである類推作用 (analogy) に関する本格的な研究書,Fertig の Analogy and Morphological Change についてはこちらの記事群で取り上げてきた.
今回は Fertig を参照し,contamination (混成)と呼ばれるタイプの類推作用について考えてみたい.「混成」とその周辺の現象が明確に分けられるかどうかについては議論があり,「#5419. blending と contamination」 ([2024-02-27-1]) でも関連する話題を取り上げたが,ひとまず contamination を区別できるものと理解し,そのなかに2つのタイプがあるという議論を導入したい.syntagmatic contamination と paradigmatic contamination である.具体例とともに Fertig からの関連箇所を引用する (64) .
Paul's initial conception of contamination (1886) involved influence attributable exclusively to paradigmatic (semantic) relations between forms, but he later (1920) recognized that lexical contamination often involves items that are not only semantically related but also frequently occur in close proximity in utterances. The importance of these syntagmatic relationships is emphasized in almost all modern accounts of contamination (Campbell 2004: 118--20 being the only exception that I am aware of). The most frequently cited examples involve adjacent numerals, which often influence each other's phonetic make-up: English eleven < Proto-Gmc. *ainlif under the influence of ten; Latin novem 'nine' instead of expected *noven under the influence of decem 'ten'; Greek dialectal hoktō 'eight' under the influence of hepta 'seven' (Osthoff 1878b; Trask 1996: 111--12; Hock and Joseph 2009: 163). Similar effects are attested in a number of languages among days of the week and months of the year, e.g. post-classical Latin Octember < Octōber under the influence of November and December.
Such contamination attributable to syntagmatic proximity of the affecting and affected items is often characterized as distant assimilation. Some scholars characterize contamination as a kind of assimilation even when it is purely paradigmatically motivated. Anttila calls it 'assimilation . . . toward another word in the semantic field' (1989: 76). Andersen (1980: 16--17) explicitly distinguishes such 'paradigmatic assimilation' from the more familiar 'syntagmatic assimilation'. As an unambiguous example of the latter, he mentions the influence of one word on another within a formulaic expression, such as French au fur et à mesure 'as, in due course' < Old French au feur et mesure (Wackernagel 1926: 49--50). Contamination involving antonyms, such as Late Latin sinexter < sinister 'left' under the influence of dexter 'right' or Vulgar Latin grevis < gravis 'heavy' under the influence of levis 'light', could be both paradigmatically and syntagmatically motivated since antonyms frequently co-occur in close proximity within an utterance, especially in questions: Is that thing heavy or light? Should I turn right or left? Wundt's view of paradigm leveling as a type of assimilation should also be mentioned in this context (Paul 1920: 116n 1).
syntagmatic contamination と paradigmatic contamination の2種類を区別しておくことは,理論的には重要だろう.しかし,実際的には両者は互いに乗り入れており,分別は難しいのではないかと思われる.paradigmatic な関係にある2者は syntagmatic には and などの等位接続詞で結ばれることも多いし,逆に syntagmatic に共起しやすい2者は paradigmatic にも意味論的に強固に結びつけられているのが普通だろう.
個々の事例が,いずれかのタイプの contamination であると明言することができるのかどうか,あるいはできるとしても,そう判断してよい条件は何か,という問題が残っているように思われる.
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
長らく名詞複数形の歴史を研究してきた身だが,古英語で見られる「不規則」な複数形を作る屈折接尾辞 -ru や -n がそれぞれ印欧祖語の段階では派生接尾辞だったとは知らなかった.前者は ċildru "children" などにみられるが,動作名詞を作る派生接尾辞だったという.後者は ēagan "eyes" などにみられるが,個別化の意味を担う派生接尾辞だったようだ.
この点について,Fertig (38) がゲルマン諸語の複数接辞の略史を交えながら興味深く語っている.
There are a couple of cases in Germanic where an originally derivational suffix acquired a new inflectional function after regular phonetic attrition at the ends of words resulted in a situation where the suffix only remained in certain forms in the paradigm. The derivational suffix *-es-/-os- was used in proto-Indo-European to form action nouns . . . . In West Germanic languages, this suffix was regularly lost in some forms of the inflectional paradigm, and where it survived it eventually took on the form -er (s > r is a regular conditioned sound change known as rhotacism). The only relic of this suffix in Modern English can be seen in the doubly-marked plural form children. It played a more important role in noun inflection in Old English, as it still does in modern German, where it functions as the plural ending for a fairly large class of nouns, e.g. Kind--Kinder 'child(ren)'; Rind--Rinder 'cattle'; Mann--Männer 'man--men'; Lamm--Lämmer 'labm(s)', etc. The evolution of this morpheme from a derivational suffix to a plural marker involved a complex interaction of sound change, reanalysis (exaptation) and overt analogical changes (partial paradigm leveling and extension to new lexical items). A similar story can be told about the -en suffix, which survives in modern standard English only in oxen and children, but is one of the most important plural endings in modern German and Dutch and also marks a case distinction (nominative vs. non-nominative) in one class of German nouns. It was originally a derivational suffix with an individualizing function . . . .
child(ren), eye(s), ox(en) に関する話題は,これまでも様々に取り上げてきた.以下のコンテンツ等を参照.
・ hellog 「#946. 名詞複数形の歴史の概要」 ([2011-11-29-1])
・ hellog 「#146. child の複数形が children なわけ」 ([2009-09-20-1])
・ hellog 「#145. child と children の母音の長さ」 ([2009-09-19-1])
・ hellog 「#218. 二重複数」 ([2009-12-01-1])
・ hellog 「#219. eyes を表す172通りの綴字」 ([2009-12-02-1])
・ hellog 「#2284. eye の発音の歴史」 ([2015-07-29-1])
・ hellog-radio (← heldio の前身) 「#31. なぜ child の複数形は children なのですか?」
・ heldio 「#202. child と children の母音の長さ」
・ heldio 「#291. 雄牛 ox の複数形は oxen」
・ heldio 「#396. なぜ I と eye が同じ発音になるの?」
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
英語史では,指示詞 that が定冠詞 the から分岐して独立した語であることが知られている.古英語の定冠詞(起源的には指示詞であり,まだ現代の定冠詞としての用法が強固に確立してはいなかったが,便宜上このように呼んでおく)の se は性・数・格に応じて屈折し,様々な形態を取った.そのなかで中性,単数,主格・対格の形態が þæt だった.これが現代英語の指示詞 that の形態上の祖先である.この古英語の事情に鑑みると,that は the の1形態にすぎないということになる.
では,なぜその後 that は the の仲間グループから抜け出し,独立した指示詞として発達したのだろうか.古英語から中英語にかけて,定冠詞の様々な屈折形態は the という同一形態へと水平化していいった.この流れが続けば,the の1屈折形にすぎない that もやがて消えゆく運命ではあった.ところが,that は指示詞という別の機能を獲得し,消えゆく運命から脱することができたのである.正確にいえば,もとの the 自身にも指示詞の機能はあったところに,その指示詞の機能を the から奪うようにして that が独立した,ということだ.つまり,指示詞 that の機能上の祖先は the に内在していたことになる.その後,既存の「近称」の指示詞 this との棲み分けが順調に進み,that は「遠称」の指示詞として確立するに至った.
Fertig (37--38) は,この一連の言語変化を外適応 (exaptation) の事例として紹介している.
A simple example can be seen in the modern survival of two singular forms from the Old English demonstrative paradigm: the and that. The contrast between these two forms originally reflected a gender distinction; that (OE þæt) was an exclusively neuter form, while the predecessors of the were non-neuter. One would expect one of these forms to have been lost with the collapse of grammatical gender. They survived by being redeployed for the distinction between definite article (the) and demonstrative (that).
指示詞 that の発達と関連して,以下の heldio と hellog のコンテンツを参照.
・ heldio 「#493. 指示詞 this, that, these, those の語源」
・ hellog 「#154. 古英語の決定詞 se の屈折」 ([2009-09-28-1])
・ hellog 「#156. 古英語の se の品詞は何か」 ([2009-09-30-1])
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
言語学史のハンドブックを読んでいる.Mufwene の言語の起源・進化に関する章では,これまでに提案されてきた様々な言語起源・進化論が紹介されており,一読の価値がある.
私もよく問われる素朴な疑問の1つに,原初の言語は複雑だったのか,あるいは単純だったのか,という言語の起源に関するものがある.一方,言語進化の観点からは,原初の段階から現代まで言語は単純化してきたのか,複雑化してきたのか,という関連する疑問が生じてくる.
真の答えは分からない.いずれの立場についても論者がいる.例えば,前者を採る Jespersen と,後者の論客 Bickerton は好対照をなす.Mufwene (31) の解説を引用しよう.
His [= Jespersen's] conclusion is that the initial language must have had forms that were more complex and non-analytic; modern languages reflect evolution toward perfection which must presumably be found in languages without inflections and tones. It is not clear what Jespersen's position on derivational morphology is. In any case, his views are at odds with Bickerton's . . . hypothesis that the protolanguage, which allegedly emerged by the late Homo erectus, was much simpler and had minimal syntax, if any. While Bickerton sees in pidgins fossils of that protolanguage and in creoles the earliest forms of complex grammar that could putatively evolve from them, Jespersen would perhaps see in them the ultimate stage of the evolution of language to date. Many of us today find it difficult to side with one or the other position.
両陣営ともに独自の前提に基づいており,その前提がそもそも正しいのかどうかを確認する手段がないので,議論は平行線をたどらざるを得ない.また,言語の複雑性と単純性とは何かという別の難題も立ちはだかる.最後の問題については「#1839. 言語の単純化とは何か」 ([2014-05-10-1]),「#4165. 言語の複雑さについて再考」 ([2020-09-21-1]) などを参照.
・ Mufwene, Salikoko S. "The Origins and the Evolution of Language." Chapter 1 of The Oxford Handbook of the History of Linguistics. Ed. Keith Allan. Oxford: OUP, 2013. 13--52.
毎朝6時に,本ブログの姉妹版ともいえる音声ブログ Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」を配信しています.2024年の heldio のテーマは言語変化 (language_change) です.大きなテーマなので取り上げていく話題も多岐にわたりますが,避けて通れないものの1つに文法化 (grammaticalisation) があります.本ブログでも「#417. 文法化とは?」 ([2010-06-18-1]) を始めとして,多くの記事で注目してきました.
先週,heldio にて5日連続で文法化の超入門となる話題をお届けしました.結果的に文法化の導入シリーズとなりました.こちらにリンクをまとめておきます.
・ 「#988. ぎゅうぎゅうの単語とすかすかの単語 --- 内容語と機能語」
・ 「#989. 内容語と機能語のそれぞれの特徴を比較する」
・ 「#990. 文法化とは何か?」
・ 「#991. while の文法化」
・ 「#992. while の文法化(続き)」
(以下,後記)
・ 「#1001. 英語の文法化について知りたいなら --- 保坂道雄(著)『文法化する英語』(開拓社,2014年)」
・ 「#1003. There is an apple on the table. --- 主語はどれ?」
(後記,ここまで)
5回の話しはスムーズにつながっているので,順に聴いていただくとよいと思います.手っ取り早く聴きたいという方は,中心回となる「#990. 文法化とは何か?」だけでもシリーズの大枠はつかめると思います.
もっと本格的に文法化を学びたいという方は,本ブログの grammaticalisation の各記事をご覧ください.特に重要な記事をいくつか挙げておきます.
・ 「#1972. Meillet の文法化」 ([2014-09-20-1])
・ 「#1974. 文法化研究の発展と拡大 (1)」 ([2014-09-22-1])
・ 「#1975. 文法化研究の発展と拡大 (2)」 ([2014-09-23-1])
・ 「#2575. 言語変化の一方向性」 ([2016-05-15-1])
・ 「#2576. 脱文法化と語彙化」 ([2016-05-16-1])
・ 「#3273. Lehman による文法化の尺度,6点」 ([2018-04-13-1])
・ 「#3272. 文法化の2つのメカニズム」 ([2018-04-12-1])
・ 「#3281. Hopper and Traugott による文法化の定義と本質」 ([2018-04-21-1])
・ 「#5124. Oxford Bibliographies による文法化研究の概要」 ([2023-05-08-1])
昨日の記事「#5381. 文法化の道筋と文法化の程度を図るパラメータ」 ([2024-01-20-1]) で,Wischer を参照して文法化の道筋と,それと関連するパラメータを紹介した.もともと文法化 (grammaticalisation) という場合には,昨日示した統語的単位から形態的単位への変化過程がその基本的なパターンとして認識されてきた.つまり,あくまで命題内部での文法的変化としてとらえられてきたのである.
しかし,命題よりスコープの広いテキスト (text) や談話 (discourse) というレベルに関わる,もう1つのタイプの文法化があることがわかってきた.Wischer (356) は Traugott を参照して一方向性 (unidirectionality) を含意する次の経路を示している.
proposition → text → discourse
この談話化ともいうべきタイプの文法化は,昨日示したタイプの文法化とは多くの点で異なっている.実際,昨日挙げたパラメータは,今回のタイプにはあまり当てはまらない.(1) attrition については,確かに音形の縮小や意味の漂白化(とりわけ主観化)が生じやすいとはいえる.しかし,(2) paradigmaticization はまったくあてはまらない.(3) obligatorification については,文法化された項の頻度は高まるものの,文法規則のような義務化は起こらない.(4) condensation に関してはスコープは狭まるのではなく,むしろ拡がるし,(5) coalescence も生じない.(6) fixation については,生起する統語的位置には傾向が見られるが,必ずしも厳密に固定されるわけではない.
文法化の議論では,このように2つのタイプが論じられてきたものの,それぞれが独自の特徴をもっているため,区別して理解しておくべきだろう.
・ Wischer, Ilse. "Grammaticalization versus Lexicalization: 'Methinks' there is some confusion." Pathways of Change: Grammaticalization in English. Ed. Olga Fischer, Anette Rosenbach, and Dieter Stein. Amsterdam: John Benjamins, 2000. 355--70.
・ Traugott, E. C. "From Propositional to Textual and Expressive Meanings: Some Semantic-Pragmatic Aspects of Grammaticalization." Perspectives on Historical Linguistics. Ed. W. P. Lehmann and Y. Malkiel. Amsterdam: Benjamins, 1982. 245--71.
言語変化のメカニズムとして研究が深まってきている文法化 (grammaticalisation) については「#417. 文法化とは?」 ([2010-06-18-1]) をはじめ多くの記事で取り上げてきた.今回は,多くの先行研究を参照した Wischer 論文の冒頭部分を参考に,文法化の典型的な道筋と文法化の程度を図るパラメータを紹介する.
まず Wischer (356) は Givón (1979: 209) を参照しつつ,文法化の1つの典型的な経路として以下のパターンを導入する.
discourse → syntax → morphology → morphophonemics → zero
文法化の理論では,ここの矢印に示される言語変化の一方向性 (unidirectionality) がしばしば問題となる.
続けて Wischer (356) は,Lehmann (1985: 307--08) を参照しつつ,文法化の程度を図るパラメータを示す.
1. "attrition": the gradual loss of semantic and phonological substance;
2. "paradigmaticization": the increasing integration of a syntactic element into a morphological paradigm;
3. "obligatorification": the choice of the linguistic item becomes rule-governed;
4. "condensation": the shrinking of scope;
5. "coalescence": once a syntactic unit has become morphological, it gains in bondedness and may even fuse with the constituent it governs;
6. "fixation": the item loses its syntagmatic variability and becomes a slot filler.
要約していえば,文法化とは,拘束されない統語的単位が高度に制限された文法的形態素へ変容していく過程ととらえることができる.
・ Wischer, Ilse. "Grammaticalization versus Lexicalization: 'Methinks' there is some confusion." Pathways of Change: Grammaticalization in English. Ed. Olga Fischer, Anette Rosenbach, and Dieter Stein. Amsterdam: John Benjamins, 2000. 355--70.
・ Givón, Talmy. On Understanding Grammar. New York: Academic P, 1979.
・ Lehmann, Chr. "Grammaticalisation: Synchronic Variation and Diachronic Change." Lingua e stile 20 (1985): 303--18.
Fertig (76) は "Analogical non-change" と題する節のなかで,英語の規則的な複数形を作る -s を題材にして,類推作用 (analogy) の役割について独特な視点から論じている.
. . . stasis over time can be just as interesting a historical phenomenon as change (Janda and Joseph 2003: 83, 86). Although accounts of analogy rarely call attention to the fact, there are a number of examples in the literature where the mechanisms of morphological change are invoked to account for an absence of overt change, i.e. for the survival of an element, construction or distinction. Saussure (1995 [1916]: 236--7) reminds us that analogy2 is just as much responsible for the lack of change in the inflection of most forms that have always belonged to dominant, regular classes as it is for change in other, primarily irregular items. English speakers, for example, form the plural of dozens of nouns such as stone, eel, oath, comb, stool, etc. essentially the same way they were formed in Old English, not because each of these plurals has been transmitted perfectly across all the generations, but rather primarily because analogy2 yields exactly the same results as if the forms had been transmitted perfectly. These nouns all belong to the dominant class that formed their plurals with -as in Old English so even if English speakers never memorize any of them and always rely on analogy2 to recreate them, they continue to come up with the same forms that were used in the past.
Fertig は,言語の変化のみならず言語の無変化の背景にも関心を寄せる論者である.「#4228. 歴史言語学は「なぜ変化したか」だけでなく「なぜ変化しなかったか」をも問う」 ([2020-11-23-1]) でも,Fertig からの重要な指摘を引用している.言語の無変化にも意義があるという議論については「#2115. 言語維持と言語変化への抵抗」 ([2015-02-10-1]),「#2208. 英語の動詞に未来形の屈折がないのはなぜか?」 ([2015-05-14-1]),「#2220. 中英語の中部・北部方言で語頭摩擦音有声化が起こらなかった理由」 ([2015-05-26-1]),「#2574. 「常に変異があり,常に変化が起こっている」」 ([2016-05-14-1]) も参照されたい.
今年の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の主題は言語変化 (language) だが,同様に言語無変化も取り上げていきたい.新年の2回の配信回もぜひお聴きください.
・ 「#945. なぜ言語は変化するのか?」 (2024/01/01)
・ 「#947. なぜ言語は変化しないのか?」 (2024/01/03)
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
一昨日の heldio で「#955. 妙な英文で味わうアナロジー(および関連する過程)」を配信した.本ブログでも同じ話題をカバーしておきたい.
「#4229. Fertig による analogy の定義」 ([2020-11-24-1]) や「#5336. Fertig による analogy の本格的研究書の目次」 ([2023-12-06-1]) で紹介した Fertig の analogy に関する研究書の冒頭は,次のような英文の例示で飾られる.
A book about analogy and morphological change? That is so not what I was expecting. I never imaginated there'd ever be such a book. I guess I had another thing coming. Who'd of thunk it?
この英文には類推 (analogy) およびそれと関連する言語革新の過程を示す事例が4つ(あるいは5つ)含まれている.すべてが類推の事例,あるいは類推に似ている事例である.それぞれを解説する1節も引用しておきたい.
The short paragraph above contains at least four recognizable examples of some of the different kinds of innovations that we will be exploring in this book. That is so not . . . is an example of analogical change in syntax. Until recently, the intensifier so could only be used directly before an adjective or adverb. Now some speakers regularly use it in other syntactic contexts, such as before the negative particle not. This change can be attributed to the analogy of other intensifiers such as really . . . . The next sentence contains the verb imaginate, which sounds very odd to many English speakers today but has been around since 1541. It means the same thing as the much more common and older verb imagine and may have been created by backformation from the noun imagination, on the analogical model of pairs like speculation--speculate, dedication--dedicate, etc. The fourth sentence contains an altered version of the familiar expression to have another think coming, meaning 'to be seriously mistaken about something'. For at least a century, English speakers/learners have sometimes mistaken the word think in this expression for thing. This kind of change is called folk etymology. It occurs when speakers identify one element in an expression with a different, often historically unrelated element. The word of (for 've) in the final sentence of the paragraph could also be considered folk etymology. Finally, thunk is obviously an innovative past-participle form corresponding to standard thought. It is based on analogical models such as sink--sank--sunk or stick--stuck.
ここから太字表記のものも含めいくつかキーワードと拾うと,innovations, analogical change, backformation, analogical model, folk_etymology などが挙がってくる.Fertig の本では,これらの用語や概念が丁寧に議論されていく.言語における類推(作用)の研究の必読書である.
・ Fertig, David. Analogy and Morphological Change. Edinburgh: Edinburgh UP, 2013.
毎朝6時にお届けしている Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」の2024年の大テーマは「言語変化」 (language_change) です.この「hellog~英語史ブログ」でも長きにわたって注目してきたトピックですが,音声メディア heldio も用いて,より広く「なぜコトバは変化するのか」という魅力的な話題をお届けしていきたいと思います.よろしくお願いいたします.
heldio チャンネルは2021年6月2日に開設し,2年7ヶ月ほどの間,毎朝英語史に関するお話しをお届けしてきました.heldio 開設2周年に当たる2023年6月2日には,有料版となるプレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪 (helwa)」もオープンしました(こちらは毎週火木土の午後6時に配信しています).
私はブログや Voicy 等のメディアを通じて「英語史をお茶の間に」広げていくことをモットーとしていますが,「hel活」(英語史活動)を推進してゆく「助っ人」にも囲まれるようになりました.感謝に堪えません.そのhel活助っ人のごく一部にすぎませんが,以下にご紹介します.
・ khelf(慶應英語史フォーラム)のメンバー:「hel活」の最大の応援団体です.『英語史新聞』を季刊で刊行しています.HP での広報のほか,X(旧ツイッター)アカウント @khelf_keio からも日々元気にhel活中.
・ heldio/helwa のリスナーの皆さん:日々の配信回へのコメント,SNS を通じての広報,企画回や生放送への参加,その他のhel活でお世話になっています.とりわけ最近注目すべきSNS上での活動としては:
- リスナーの umisio さんによる「2024年「英語史の輪#77」英語語源辞典を読む.ノート完成.」,および「英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む(34)のノートを取ったどー」等
- リスナーの kitako さんによる「heldio瓦版2024年1号」
- 同じく kitako さんによるインスタグラムでの日々の heldio 配信回の紹介
が目を見張ります
・ heldio/helwa 対談出演者の研究者や学生の皆さんにもお世話になっています.特に出演回数の多い方々の一覧は,いずれ整理したいと思っています.当面は以下のお二方が独自にまとめられているものをどうぞ.
- 菊地翔太先生(専修大学)の HP
- 矢冨弘先生(熊本学園大学)の HP
・ そしてもちろん本ブログを毎日お読みいただいている皆さんにも感謝いたします.私の公式 X アカウント @chariderryu からも情報を発信していますので,ぜひフォローをお願い致します.
皆さんのhel活支援に感謝いたします.引き続き「英語史をお茶の間に」の応援をよろしくお願いします.今回と同趣旨の記事として「#5256. heldio/hel活応援リンク集」 ([2023-09-17-1]) もご覧いただければ.
昨日の記事「#5265. 今井むつみ・秋田喜美著『言語の本質』(中公新書,2023年)」 ([2023-09-26-1]) で紹介した,爆発的に話題を集めている新刊書『言語の本質』より.
本書のメインの議論が味読に値することは間違いないが,何よりも驚いたのは本書の最後で野心的な今井・秋田版「言語の大原則」が挙げられていることだ.「ホケットの向こうを張って,筆者たちの考える「言語の大原則」を述べて,本書を締めくくりたい」 (257) と述べられている.
各項目の各箇条書きについて検討していくとおもしろそうだし,これをたたき台として複数人で議論していくのもエキサイティングだろう.そのために,今回は7箇条をそのまま引用しておこう (257--61) .
言語の本質的特徴
(1) 意味を伝えること
・ 言語は意味を表現する
・ 言語の形式は意味に,意味は形式に結びついていて,両者は双方向の関係にある
・ 言語はイマ・ココを超越した情報伝達を可能にする
・ 言語は意図を持って発話され,発話は受け取り手によって解釈される
・ 意味は推論によって作り出され,推論によって解釈される
・ よって話し手の発話意図と聞き手の解釈が一致するとは限らない
(2) 変化すること
・ 慣習を守る力と,新たな形式と意味を創造して慣習から逸脱しようとする力の間の戦いである
・ 典型的な形式・意味からの一般化としては完全に合っていても,慣習に従わなければ「誤り」あるいは「不自然」と見なされる
・ ただし,言語コミュニティの大半が新たな形式や意味,使い方を好めば,それが既存の形式,意味,使い方を凌駕する
・ 変化は不可避である
(3) 選択的であること
・ 言語は情報を選択して,デジタル的に記号化する
・ 記号化のための選択はコミュニティの文化に依存する.つまり,言語の意味は文化に依存する
・ 文化は多様であるので,言語は必然的に多用途なり,恣意性が強くなっていく
(4) システムであること
・ 言語の要素(単語や接辞など)は,単独では意味を持たない
・ 言語は要素が対比され,差異化されることで意味を持つシステムである
・ 単語の意味の範囲は,システムの中の当該の概念分野における他の単語群との関係性によって決まる.つまり,単語の意味は当該概念分野がどのように切り分けられ,構造化されていて,その単語がその中でどの位置を占めるかによって決まる.とくに,意味が隣接する単語との差異によってその単語の意味が決まる
・ したがって,「アカ」や「アルク」のようにもっとも知覚的で具体的な概念を指し示す単語でさえ,その意味は抽象的である
(5) 拡張的であること
・ 言語は生産的である.塊から要素を取り出し,要素を自在に組み合わせることで拡張する
・ 語句の意味は換喩・隠喩によって広がる
・ システムの中での意味の隙間があれば,新しい単語が作られる
・ 言語は知識を拡張し,観察を超えた因果メカニズムの説明を可能にする
・ 言語は自己生成的に成長・拡張し,進化していく
(6) 身体的であること
・ 言語は複数の感覚モダリティにおいて身体に接地している
・ その意味では言語はマルチモーダルな存在である
・ 言語はつねにその使い手である人間の情報処理の制約に沿い,情報処理がしやすいように自らの形を整える
・ 言語はマルチモーダルに身体に接地したあと,推論によって拡張され,体系化される
・ その過程によってヒトはことばに身体とのつながりを感じ,自然だと感じる.本来的に似ていないもの同士にも類似性を感じるようになり,もともとの知覚的類似性と区別がつかなくなる(二次的類似性の創発とアイコン性の輪)
・ 文化に根ざした二次的類似性は,言語の多様性と恣意性を生む.しかし,それらは身体的なつながりに発し,そこから拡張されて実現されている.このことにより,言語は,人間が情報処理できないような拡張の仕方はしない.また,言語習得可能性も担保されている
(7) 均衡の上に立っていること
・ 言語は身体的であるが,同時に恣意的であり,抽象的である
・ 慣習に制約されながらつねに変化する(慣習を守ろうとする力と新たに創造しようとする力の均衡)
・ 多様でありながら,同時に普遍的側面を包含する
・ 言語は,特定のコミュニティにおいて,共時的←→通時的,慣習の保守←→習慣からの逸脱,アイコン性←→恣意性,多様性←→普遍性,身体性←→抽象性など,複数の次元における二つの相反する方向に向かうベクトルの均衡点に立つ
・ 今井 むつみ・秋田 喜美 『言語の本質 --- ことばはどう生まれ,進化したか』 中公新書,2023年.
中公新書の新刊書『言語の本質』.言語学界隈ではすでに多くのメディアで取り上げられ,話題となっている.中央公論新社のサイトでは特設サイトが設けられており,盛り上がりの様子がわかる.
私が同僚の井上逸兵氏とともに運営している YouTube の「井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル」でも「#141. ベストセラー本,今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』を語ってみました.」を2ヶ月ほど前に紹介している.また,人気 YouTube/Podcast チャンネル「ゆる言語学ラジオ」でも,本書の著者の1人である今井むつみ氏の出演回を含め多くの関連回が配信されている.
本書では,(1) 従来の言語学研究では周辺的な扱いを受けてきたオノマトペ (onomatopoeia) が,言語進化・言語習得の初期段階においてきわめて大きな役割を演じており,(2) その基盤の上に,仮説形成推論 (abduction) というヒト固有の推論に駆動される形で,言語能力が雪だるま式に発展・向上していく(=ブートストラッピング)モデルが提案されている.仮説モデルではあるものの,豊富な先行研究に基づきつつ発達心理学の実証実験に裏打ちされた議論には,強い知的興奮を感じる.
本書は,言語変化や言語変異を考える上でも示唆的な指摘に富む.終章では7点の「言語の大原則」が提案されているが,その2点目に「変化すること」が掲げられている.そちらを引用する (258) .
・ 慣習を守る力と,新たな形式と意味を創造して慣習から逸脱しようとする力の間の戦いである
・ 典型的な形式・意味からの一般化としては完全に合っていても,慣習に従わなければ「誤り」あるいは「不自然」と見なされる
・ ただし,言語コミュニティの大半が新たな形式や意味,使い方を好めば,それが既存の形式,意味,使い方を凌駕する
・ 変化は不可避である
言語は,維持しようとする力と変化しようとする力の拮抗と均衡により,結局は変化していくとはいえ体系としては維持されていくという,まさに動的平衡 (dynamic_equilibrium) を体現する不思議な存在であることが,ここでは謳われている.
『言語の本質』,ぜひご一読を.
・ 今井 むつみ・秋田 喜美 『言語の本質 --- ことばはどう生まれ,進化したか』 中公新書,2023年.
昨日の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」にて,「#844. 他動性とは何か? --- 秋元実治先生との対談」を配信しました.30分ほどの濃密な transitivity 談義です.秋元先生のご著書「#5184. 秋元実治『イギリス哲学者の英語』(開拓社,2023年)」 ([2023-07-07-1]) の議論に基づいた談義となっていますので,そちらもご覧いただければと思います.
対談でも論じている通り,他動性とは絶対的な指標というよりは,相対的で連続的でプロトタイプ的な指標です.他動性を決定するパラメータは様々ありますし,言語によっ具現化の仕方は異なります.それくらい抽象度の高い概念ではありますが,だからこそ広く一般的な言語の諸現象に関わってくるのであり,理論的にも興味深い視点となるわけです.主体性 (agentivity) や主観化 (subjectification) という概念とも複雑に関連してくるようで,合わせて言語変化の潮流を記述する有望な道具立てとなりそうです.
他動性については,本ブログでも次の記事を書いてきました.参考まで.
・ 「#5202. 他動性 (transitivity) とは何か?」 ([2023-07-25-1])
・ 「#5204. 他動性 (transitivity) とは何か? (2)」 ([2023-07-27-1])
・ 「#5209. 他動性 (transitivity) とは何か? (3)」 ([2023-08-01-1])
連日,固有名詞に関する話題をお届けしている.
地名や水域名によくみられるが,同一指示対象でありながら,時代によって異なる名前で呼ばれるケースがある.通時的な名前変化 (name change) の例である.一方,同じ時代に,同一指示対象に対して複数の名前が与えられているケースがある.共時的な多名性 (polynymy) の例である.固有名ではなく普通名でいえば,それぞれ「語の置き換え」 (onomasiological change) と「同義性・類義性」 (synonymy) に対応するだろうか.
昨日の記事「#5246. hydronymy --- 水域名を研究する分野」 ([2023-09-07-1]) で参照・引用した Strandberg (111) では,水域名の name change と polynymy について,実例とともに導入がなされている.
Name change is a common phenomenon in the history of hydronyms. In England, Blyth was replaced by Ryton, Granta by Cam, Hail by Kym, Writtle by Wid, etc. During a transitional stage of polynymy, there must often have existed both an older name and a new one. Trent (< Terente) is an alternative name for the river Piddle in Dorset. In Denmark, an older Guden and a younger Storå(en) were for a long time used in parallel for the same river.
Polynymy may also involve the simultaneous existence of different names for different parts of a (long) river. There are, for example, cases where the upper and lower reaches of a river have different names. The upper part of the Wylye in Wiltshire, England is called the Deverill, and the source of the French river Marne has the name Marnotte. A present-day name for a long river may have replaced several old ones denoting different stretches of it. The Nyköpingsån is a long and large river in Sweden; its name is formally secondary, containing the town name Nyköping. Two lost partial names of the Nyköpingsån (Blakka, Sølnoa) are recorded in medieval sources, while others, like *Sledh and *Vrena, may be or probably are preserved in names denoting settlements on the river; the current partial name Morjanån most likely goes back to an OSwed. *Morgha.
人名でいえば,同一人物が人生の節目に改名したり (name change),ニックネームやあだ名が複数ある (polynymy) ことに相当するだろう.固有名の最大の意義は,指示対象の同一性が固定名により恒久的に確保される点にあるはずと考えていたが,名前変化と多名性は,むしろその逆を行くものである.興味をそそられる現象だ.
・ Strandberg, Svante. "River Names." Chapter 7 of The Oxford Handbook of Names and Naming. Ed. Carole Hough. Oxford: OUP, 2016. 104--14.
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