高校の世界史資料集『タペストリー』を眺めていたら,世界の言語と文字についての情報がまとまった見開きページ (pp. 52--53) を見つけた.日本の教科書や資料集は非常によくできており,感心することが多いが,p. 53 の「古代文字の解読」なども実によく整理されている.以下に再現しよう.
古代文字 | 解読者 | 解読年 | 解読資料・関連事項 | |
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神聖文字(ヒエログリフ) | シャンポリオン(仏) | 1822 | ロゼッタストーン | |
楔形文字 | グローテフェント(独) | 1802 | ペルセポリスの碑文 | |
ローリンソン(英) | 1847 | ベヒストゥーン碑文 | ||
インダス文字 | (未解読) | |||
甲骨文字 | 劉鶚・羅振玉・王国維(清),白川静(日) | 1903 | 殷墟卜辞.白川は独自の再解釈を示したが,内容には異論も多い. | |
クレタ文字 | 聖刻文字(絵文字) | (未解読) | ||
線文字A | (未解読) | |||
線文字B(ミケーネ文字) | ヴェントリス(英),チャドウィック(英) | 1952 (1953) | ギリシア古語を表わす音節文字と判明 | |
ヒッタイト楔形文字 | ブロズニー(チェコ) | 1915 | ボアズキョイ出土の粘土板 | |
原カナーン/原シナイ文字 | オルブライト(米) | 1966 | アルファベットの祖 | |
ブラーフミー文字 | プリンセプ(英) | 1840ごろ | アショーカ王碑文 | |
突厥文字 | トムセン(デンマーク) | 1893 | オルホン碑文 | |
マヤ絵文字 | トンプソン(英)など | 一部解読 |
「#2701. 暗号としての文字」 ([2016-09-18-1]) で考察したように,文字の発明は,それ自体が暗号の誕生と密接に関係する出来事だが,秘匿することを主目的とした暗号コミュニケーションが本格的に発展するまでには,多少なりとも時間がかかったようである.今回は,『暗号解読事典』の pp. 2--6 を参照して,原始・古代の暗号のあけぼのを概略する.
暗号そのものではないが,文字の変形と秘匿性という特性をもった暗号の原型といえるものは,紀元前2000年ほど古代エジプト聖刻文字の使用にすでに見られる.例えば,王族を表わす文字には,権威と神秘性を付すために,そして俗人に容易に読めないように,変形が施された.しかし,このような文字の変形が軍事・外交的に体系的に使われた証拠はなく,これをもって本格的な暗号の登場とすることはできない.しかし,その走りではあったと思われる.
一方,紀元前1500年頃のメソポタミアには,明確に秘匿の意図が読み取れる真の暗号が用いられていたようだ.釉薬の製法が記された楔形文字の書字板において,正しい材料を表わす文字列が意図的に乱されているのだ.これは,人類最古の暗号の1つといってよい.
紀元前500年頃では,インドでも書法秘匿の証拠が見つかる.その手法もすでに多様化しており,換字式暗号から,文字反転,配置の攪乱に至るまで様々だ.これは,当時のインドで暗号コミュニケーションがある程度広く認知されていた状況を物語っている.人間の悦楽についての書『カーマ・スートラ』では,書法秘匿は女性が習得すべき技術の1つであると述べられている.
聖書にも,暗号の原型を垣間見ることができる.旧約聖書では,「アタシュ」と呼ばれるヘブライ語アルファベットに基づく換字式暗号の原初の事例がみられる.アタシュでは,最初の文字と最後の文字を入れ替え,次に2番目の文字と最後から2番目の文字を入れ替えるといったように,すべてのアルファベットを入れ替えるものである.これにより,『エレミヤ書』25章26節と51章41節で Babel が Sheshach と換字されている.しかし,ここには特別な秘匿の意図は感じられず,あくまで後の時代の本格的な暗号に連なることになる暗号の原型という程度のものだった.
古代ギリシアでは,ペルシアとの戦争に関わる軍事的な目的で,すでに単純ではあるが体系的な暗号技術が発達していた.紀元前5世紀,ギリシアの歴史家トゥキュイディデスは,スパルタ人がスキュタレーという暗号器具を発明したことに言及している.これは特定の大きさの棒で,そこに紙を巻き付けて棒の上から下へ文字を書いていった後で紙を解くと,無意味な文字列が並んでいるというものである.また,紀元前2世紀には暗号学者ポリュビオスが「ポリュビオスのチェッカー盤」と呼ばれる5×5のアルファベット表に基づく暗号技術を確立し,後の暗号発展の基礎となった.
ローマ帝国においては,「#2704. カエサル暗号」 ([2016-09-21-1]) で触れた換字式暗号が考案され,後に改良されながらも中世を通じて広く使われることになった.
このように,暗号史は世界史と連動して発達してきたのである.
・ フレッド・B・リクソン(著),松田 和也(訳) 『暗号解読事典』 創元社,2013年.
「#2448. 書字方向 (1)」 ([2016-01-09-1]),「#2449. 書字方向 (2)」 ([2016-01-10-1]) に引き続いての話題.矢島(著)『文字学のたのしみ』の第11章「アルファベット文字体系と書字方向」 (pp. 189--200) を読んだ.今回はアルファベットに限定するが,その書字方向の変遷を簡単に追ってみたい.
アルファベット文字体系の起源については,「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]),「#490. アルファベットの起源は North Semitic よりも前に遡る?」 ([2010-08-30-1]),「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1]),「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]),「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1]),「#1853. 文字の系統 (2)」 ([2014-05-24-1]),「#2398. 文字の系統 (3)」 ([2015-11-20-1]) などで見てきたが,今なお謎が多い.しかし,エジプト聖刻文字 (hieroglyph) が直接・間接の刺激を与えたらしいことは多くの論者の間で一致している.
エジプト聖刻文字の書字方向は,右書きあり,左書きあり,縦書きありと必ずしも一定していなかったが,普通には右書きが圧倒的に多かったことは事実である.左書きでは,右書きの際の文字が鏡写しのように左右逆転しており,対称性の美しさを狙ったものと考えられる.聖刻文字の右書きについて,矢島 (193) は「なぜ右書きが優勢であったかについては容易に答えられないが,一般的に言えば,右ききが多いこの世で,右手に持った筆記具で右から左へ記号をしるすことはきわめて自然な行為ではなかったかと思える.メソポタミアの楔形文字体系で左書きが行なわれたのは,はじめ縦書きだった書字方向が左に九十度回転した形で書かれるようになったためであり,はじめから左書きが生じたのではない」と述べている.ただし,人間の右利き優勢の事実は,左書きを支持する要因として持ち出す論者もいることから,どこまで説得力を持ちうるかはわからない.
さて,このエジプト聖刻文字と後のアルファベットを結びつける鍵となるかもしれない文字体系として,ビブロス文字がある.これは音節文字であり,書字方向は右書きだった.一方,アルファベットの元祖の1つではないかと目される原シナイ文字は,縦書きか左書きが多い,ななめ書きなどもあり,全般として書字方向は一定していない.
これらの後に続いたフェニキア文字では,エジプト聖刻文字やビブロス文字と同様に,右書きが実践された.これがギリシア人の手に渡り,そこで母音文字が付け加えられ,ギリシア文字が生じた.したがって,初期ギリシア語でも右書きが行われたが,その後どうやらヒッタイト象形文字に見られるような牛耕式 (boustrophedon) の段階を経て,左書きへ移行したらしい.この左右転換の契機について,矢島 (195--96) は次のように推測している.
フェニキア文字がギリシア語の表記のために借用された時期(前九世紀頃?)には,このギリシア文字の書字方向は多くは右書きであり,時にはブストロフェドンのような中間的な形式もあったが,その後の数世紀のあゆみのうちに左書きに定着した.その理由ははっきりしないが,フェニキア文字では母音を記さない方式であったから一単語の字数が少なく(平均三?四文字),左右どちらから書いても判読にあまり困難がなかったと考えられるのに対し,ギリシア文字では母音を表記するようになった単語の字数がずっと増えているので,ブストロフェドン方式をやめて左書き方式になったと言えるのではなかろうか.
ギリシア文字からアルファベットを受け取って改良したエトルリア人も,右書きを標準としながらも,例外的に牛耕式や左書きも見られることから,ギリシア人の混乱を受け継いだように思われる.さらに,ローマン・アルファベットでも多少の混乱が見られたが,紀元前5世紀以降は,ギリシアでもローマでも左書きが定着した.その後,ヨーロッパの種々の文字体系が,この書字方向を維持してきたことは周知の通りである.
一方,フェニキア文字までの西セム系文字の「由緒正しい」右書きは,その後もヘブライ語,アラビア語,アラム=シリア語などへ継承され,現代に至る.アラム文字経由で中央アジアへ展開したウイグル文字,モンゴル文字,満州文字も,右書きの系統を受け継いだ.ただし,南や東方面へ展開したエチオピア文字,インド系諸文字,カフカス諸文字(アルメニア文字,グルジア文字)など多くは左書きで定着した.
これまで触れてこなかった変わった書字方向として,「ファイストスの円盤」に認められる「渦巻き方向」もあることを触れておこう.この未解読の文字は,どうやら渦巻きの外から内へ読まれたらしい.具象詩などにも,渦巻き方向の例がありそうだ.ほかに,日本語の色紙や短冊のうえの「散らし書き」も例外的な書字方向といえるだろう.もっとも,このような妙な書字方向は,実用性というよりは美的効果を狙ったものと思われる.
・ 矢島 文夫 『文字学のたのしみ』 大修館,1977年.
未解読文字の解読への夢は,人々のロマンを誘わずにいられない.Jean-François Champollion (1790--1832) によるロゼッタ石 (Rosetta stone) に記されたエジプト聖刻文字(ヒエログリフ)の解読,Sir Henry Creswicke Rawlinson (1810--95) による楔形文字の解読,Michael George Francis Ventris によるクレタ島の線文字Bの解読,西田龍雄による西夏文字の解読の過程などを読むと,一級のミステリー小説よりもなおワクワクする.現在解読作業が進んでおり,本格的な解読が時間の問題と目されているものに,マヤ文字がある.こちらの謎解きの経過にも目が離せない.
世界中の遺跡などから発掘される遺物に記されている文字(体系)は,それが既知の文字でない限り,発見当初はすべて未解読文字として扱われる.後に,天才の出現や時の運により首尾よく解読が進んでゆくものもあれば,まったく手の出ないものもある.だが,エジプト聖刻文字や線文字Bのように「解読に成功した」文字と呼ばれてはいても,すべてが解読されているわけではなく,未解読の部分が残っているというのが普通である.未解読と既解読は,あくまで程度の問題ととらえる必要があろう.
上記の但し書きを加えた上でも,完全に,あるいはほぼ未解読といってよい文字体系が,今なお多く存在する.ロビンソン (175) にまとめられている未解読文字一覧を再現しよう.表中の「*」の印は,学者の間で意見が一致していないことを示す.
文字の呼び名 | 発見された場所 | 最古とされるものの年代 | 文字:既知/未知 | 言語:既知/未知 |
---|---|---|---|---|
原エラム文字 | イラン/イラク | 紀元前3000年頃 | 未知 | 未知 |
インダス文字 | パキスタン/北西インド | 紀元前2500年頃 | 未知 | * |
「疑似ヒエログリフ」 | ビブロス(レバノン) | 紀元前第2千年紀 | 未知 | 未知 |
線文字A | クレタ島 | 紀元前18世紀 | 一部は既知 | 未知 |
ファイストスの円盤 | ファイストス(クレタ島) | 紀元前18世紀 | 未知 | 未知 |
エトルリア文字 | 北イタリア | 紀元前8世紀 | 既知 | 一部は既知 |
メロエ文字 | メロエ(スーダン) | 紀元前200年頃 | 既知 | 一部は既知 |
ラモハーラ文字 | 中央アメリカ | 紀元150年頃 | * | * |
ロンゴロンゴ | イースター島 | 紀元19世紀以前 | 未知 | 未知 |
文字を利用する書き言葉という媒体は,話し言葉に対して保守的である.このことは,これまでの文字や書き言葉に関する記事において前提としてきた.これについては,例えば「#15. Bernard Shaw が言ったかどうかは "ghotiy" ?」 ([2009-05-13-1]),「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1]),「#2292. 綴字と発音はロープでつながれた2艘のボート」 ([2015-08-06-1]),「#2405. 綴字と発音の乖離 --- 英語綴字の不規則性の種類と歴史的要因の整理」 ([2015-11-27-1]) を参照されたい.
文字には,保守性に加えて,特に古代においては秘匿性があった.文字の読み書き能力は,特権階級にのみ習得の認められた秘密の技能であり,それは権力や威信の保持にもあずかって大きかった.また,世俗的な権力と宗教的な威信も分かち難いものであったから,それらと強く結びつく文字もまた「守り」に入る傾向が顕著だった.秘匿するくらい大事に守る文字であるから,権力者や宗教人がやすやすとそれを変化させるはずもない.文字の保守性と秘匿性は密接に関係している.
文字のこの性質を示す歴史的な事例は豊富にある.「#2408. エジプト聖刻文字にみられる字形の変異と字体の不変化」 ([2015-11-30-1]) でも触れたように,王=神が字形の変化を許さなかったと考えられる聖刻文字(ヒエログリフ)の事例があるし,同じようなケースが中国の漢字(篆書)にもみられる.加藤 (172) は,アルファベットを発明したフェニキア人の秘匿性について,次のように述べている.
これほどアルファベットの発明と普及に貢献したフェニキア人であったが,かれら自身は自分たちのもとめた文字の「実用性」ということを活用しただけで,この新しい文字をもちいて実用以上のもの,つまり文学とか哲学を記すということはあまりしなかったようである.そればかりでなく,かれらはこの文字でしるした商業上・行政上の文書もあまりのこしていない.その理由は,かれらの都市国家内では,特権階級を構成していた大商人たちが寡頭政治をしき,なにごとにも秘密主義をモットーにしていたからと考えられている.
なお,この引用の次の段落で,加藤 (172) は「それゆえ,ギリシア人がアルファベットによせた貢献は,単に母音の記号を加え,左ヨコ書きをはじめたという形式的なものよりも,この実用の文字ですぐれた学芸の文書をしるしたこと,つまりはじめてアルファベットに学芸の魂を吹きこんだことであったといってよいであろう」とも述べており,興味深い.ギリシア文字は,それほど秘密主義に陥らなかったということか.
文字の保守性に関わるもう1つの要因として,文字体系は言語以上に特定の言語社会を越えて広く伝播しうるという事情があるかもしれない.広く種が蒔かれて,別の言語にも適用されやすいことになるから,どこかしらで生き延びる確率も高い.場所は移れども長く生き残り得るから,その分「保守的」に見えるという要因があるかもしれない.例えば,中国語で漢字が滅びたとしても,日本語で残りさえすれば,漢字という文字体系は存続することになり,長生きで「保守的」と見えるだろう.ロビンソン (77) は,言語の滅びやすさに対する文字の生存率の高さについて,次のように表現している.
いつの時代にも,言語の数は文字の数をはるかに上回る.しかし言語は文字よりもずっと簡単に消滅してしまう.一方,文字のほうは,新しい言語に応用されたおかげで,より広く使われるようになることがめずらしくない.文字によってはそうしたことが一度ならず起きる.楔形文字や漢字,ギリシアのアルファベットがそうだった.ところがエジプトやマヤのヒエログリフは,そうはいかなかった.文字がなぜ生き残ったり消滅したりするのか,その理由は定かではない.記号の単純さや,音声をうまく表記できるかどうかだけが,生き残りの決め手になるのでないことは確かだろう.もしそうだったら,中国から漢字は消え,アルファベットに取って代わられただろうし,日本人が漢字を借用することもなかったにちがいない.政治や経済の力,宗教や文化の威信,そして重要な文献の存在.そうしたことのすべてが文字の歴史的な運命を担うのだ.
・ 加藤 一郎 『象形文字入門』 講談社〈講談社学術文庫〉,2012年.
・ ロビンソン,アンドルー(著),片山 陽子(訳) 『文字の起源と歴史 ヒエログリフ,アルファベット,漢字』 創元社,2006年.
英語や日本語の字体や字形について,共時的な変異と通時的な変化に関心をもっている.ここでいう字体とは emic な単位,字形とは etic な単位を指し,それぞれ音韻論でいう音素 (phoneme) と異音 (allophone) に相当するものである.「#2401. 音素と文字素」 ([2015-11-23-1]) の用語を用いれば,文字素 (grapheme) と異文字体 (allograph) といってもよい.
歴史的にみて,ローマン・アルファベット,漢字,仮名などの文字体系における字形や字体の変異や変化は少なくなかった.文字単位の出入りは激しくみられたし,新たな書体や書風の分化や発達もしばしば生じてきた,ところが,加藤一郎(著)『象形文字入門』を読んでいて,エジプト聖刻文字 (hieroglyph) の変異と変化の様式(変化についてはその欠如の様式というべきか)に驚いた.
まず,字形の変異の様式について.ローマン・アルファベットや日本の文字においては,通常,字形の変異は,筆記具の種類,行草体の別,個人の筆記の癖などに依存する変異であり,ある程度幾何学的に記述されうるだろう.しかし,エジプト聖刻文字では,幾何学的というよりは美術的に記述されるもののようである.加藤 (142) によると,
このヒエログリフは諸民族の象形文字のなかでももっとも絵に近いもので,どの程度くわしく実物を写すべきであるかという規準がない.誰にでも読めるように,人物,鳥,獣を写す一定の方式があり,その輪郭はきまっていた.しかしこの輪郭のなかで,思いきりこまかに実物を写すことも,また簡単に仕上げることも自由であった.そこで美術家たちは,ちょうど南画の賛のように,同じ画面の浮彫りや絵に似つかわしい文字の製作をすることになった.
これは,字形の輪郭は一定だが,その中に描く要素の精緻さで字形を変異させているというに等しい.絵画的な要素を多分に含む象形文字ならではの,特異な字形の変異のさせ方である.
次に字体の不変化について.エジプト聖刻文字は,そこから実用的な行草書体の神官文字(ヒエラティック,hieratic)や民用文字(デモティック,demotic) という新たな文字体系を派生させたことは事実であるが,それ自身は独自の文字体系として3000年以上もの長きにわたって,基本的な字体を変化させることなく存続し続けた.これは,気の遠くなるような,驚くべき保守性である.同様の長い歴史を誇る漢字を比較してみれば,漢字という文字体系は3500年以上のあいだアイデンティティを連綿と継いできたものの,各字体については原初の甲骨文字や金石文から,篆書,隷書,楷書に至るまで相当な変化を遂げてきた.だが,エジプト聖刻文字ではそのような変化がなかったというのである.この点について,加藤 (52--53) は次のように述べている.
なぜこの型がくずれなかったのであろうか.もともと美術は神である王に奉仕するものであったので,一度型がきまると,後代の美術家は神を冒瀆することを恐れて変更しようとしなかったのか,それとも神である王自身が変更を許さなかったのであろうか.
宗教的権威(及び古代においてそれと分かち難い世俗的権威)が付されたがゆえに,字体の変化を許されなかったということは確かにあるだろう.まさに「聖なる象形文字」である.
中国でも秦の始皇帝の制定した篆書は,神の字体,王の字体として長らく威信を誇り,官職の印を経て現代の印鑑にまで,ある種の権威を保ち続けている.エジプト聖刻文字と篆書には,彫る文字だったという共通点も指摘されよう.アルファベットや仮名には,そこまで権威が付される機会がなかったために,字体も自由闊達に変化してきたのではないか.
関連して,「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1]) も参照.
・ 加藤 一郎 『象形文字入門』 講談社〈講談社学術文庫〉,2012年.
象形文字 (hieroglyph) は,前段階の絵文字 (pictogram) から発達したと考えられる,真の文字の名に値する原初の文字である.絵文字は特定の言語単位に対応しておらず,厳密にいえば真の文字とはいえない.したがって,「絵文字」という呼称そのものがある種の自己矛盾を含んでいる.一方,象形文字は特定の言語単位(最初期の文字においては典型的に語)に対応している,換言すれば特定の音声上の「読み」をもっている,とみられるものである.象形文字も,(多少なりとも簡略化されているとはいえ)事物をかたどった絵であるという点で,見栄えこそ絵文字と共通するが,その記号論上の機能は絵文字と決定的に異なることに注意したい.
典型的な象形文字として,ヒエログリフ (hieroglyph) と称されるエジプト聖刻文字がよく知られている.その詳細で繊細な字形はまさに絵というにふさわしく,その形態も3000年の長きにわたってほとんど変化していないことから,一般に「絵文字」と称されるが,上記の定義からすると絵文字ではなく正真正銘の文字,象形文字と称するべきである.聖刻文字はこのように典型的な象形文字であることから,英語で hieroglyph はエジプト聖刻文字に限らず,シュメール楔形文字や甲骨文字なども含めて,広義に象形文字を意味する語ともなっている.
以下,加藤 (250--51) の年表をもとに,象形文字 (hieroglyph) の盛衰を示そう.
エジプト・エーゲ海 | 西アジア | インド・東アジア | 新大陸 | |
---|---|---|---|---|
都市国家の成立(前3300頃) | ||||
エジプト統一王朝の始まり,ヒエログリフの始まり(前3100頃) | シュメール象形文字の始まり(前3100頃) | |||
前3000 | ||||
エジプト古王国(前2700頃--前2200頃) | ||||
楔形文字の始まり(前2600頃) | ||||
インダス文明,インダス文字の使用(前2500頃--前1500頃) | ||||
アッカド王国(前2350頃--前2150頃) | ||||
前2000 | エジプト中王国(前2000頃--前1800頃),クレタ文字(前2000頃--前1450頃) | |||
殷王朝(前18世紀頃--前1050頃) | ||||
エーゲ線状文字A型(前1700頃--前1450頃),ファイストス円盤(前17世紀) | バビロニア王国(前1830頃--前1530頃) | |||
エジプト新王国(前1570頃--前1090頃) | 原シナイ文字(前16世紀頃) | |||
ヒッタイト象形文字(前1500頃--前700頃),ヒッタイト帝国(前1460頃--前1200頃) | ||||
アクエンアテンの宗教改革(前1370頃),エーゲ線状文字B型(前14世紀頃--前12世紀) | 甲骨文字(前14世紀--前11世紀) | |||
アヒラム王碑文(前13世紀頃) | ||||
周王朝(西周・東周時代,前1120頃--前256)のもとに金文の使用 | ||||
前1000 | アッシリア帝国(前1000頃--前612) | |||
デモティックの始まり(前700頃),エジプト・サイス王朝時代(前663--前525) | ||||
ペルシア帝国(前6世紀中頃--前330) | ||||
エジプト・プトレマイオス王朝時代(前323--前30) | ||||
秦時代(前221--前206)に小篆(ふつうにいう篆書)と隷書の始まり | ||||
前1 | 楔形文字の終わり(前1世紀末) | |||
紀元後 | ||||
コプト文字の始まり(200頃) | 楷書(今日の漢字)の始まり(後漢末,200頃),中国文字が日本につたわる(200頃) | |||
ヒエログリフの最後の例(394) | ||||
デモティックの最後の例(452) | ||||
マヤ文化,マヤ文字の使用(6世紀頃--10世紀頃) | ||||
1000 | ||||
アステカ文化,アステカ文字の使用(1220頃--1521) | ||||
インカ帝国の盛時(1400頃--1533) | ||||
シャンポリオンがヒエログリフを解読(1822) | グローテフェントが楔形文字を解読(1802),ローリンソンが楔形文字を解読(1835) | 甲骨文字の発見(1899) | ||
原シナイ文字の発見(1904--05),ヴェントリスがエーゲ線状文字B型を解読 | ||||
2000 |
「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]),「#1822. 文字の系統」 ([2014-04-23-1]),「#1834. 文字史年表」 ([2014-05-05-1]),「#1849. アルファベットの系統図」 ([2014-05-20-1]) に引き続き,もう1組の文字の系統図を示したい.先の記事でも述べたように,比較言語学の成果として描かれる言語の系統図と同様に,比較文字学の成果としての文字の系統図も,一つの仮説である.もちろん大筋で合意されている部分などはあるが,極端に言ってしまえば,論者の数だけ系統図があるということにもなる.したがって,系統図のようなものは複数見比べる必要がある.今回は,西田 (232--34) による1組の系統図を参照する.以下の4つの系統が区別されている.年代は暫定的なものである.
(1) エジプト象形文字が表音字形として発展した系統
(2) シュメール象形文字が象形字形を保存した系統
(3) シュメール楔形文字の系統
(4) 東アジアの象形文字の系統
・ 西田 龍雄(編) 『言語学を学ぶ人のために』 世界思想社,1986年.
本ブログで,これまで文字論や文字の歴史に関する話題として,「#41. 言語と文字の歴史は浅い」 ([2009-06-08-1]),「#422. 文字の種類」 ([2010-06-23-1]),「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]),「#490. アルファベットの起源は North Semitic よりも前に遡る?」 ([2010-08-30-1]),「#1006. ルーン文字の変種」 ([2012-01-28-1]) などを取り上げてきた.ほかにも,文字論について grammatology,アルファベットについて alphabet,ルーン文字について runic,漢字,ひらがな,カタカナについてそれぞれ kanji, hiragana, katakana で話題にした.
言語の発生 (origin_of_language) については,現在,単一起源説が優勢だが,文字の発生については多起源説を主張する論者が多い.古今東西で行われてきた種々の文字体系は,発生と進化の歴史によりいくつかの系統に分類することができるが,確かにそれらの祖先が単一の原初文字に遡るということはありそうにない.メソポタミア,エジプト,中国,アメリカなどで,それぞれの文字体系が独立して発生したと考えるのが妥当だろう.
最も古い文字体系は,メソポタミアに居住していたシュメール人による楔形文字である.紀元前4千年紀,おそらく紀元前3500年頃に,楔形文字の体系が整い始めた.楔形文字は,紀元前8000年頃にすでに見られたとされる,帳簿に数量を記録するのためのマークがその原型であるといわれ,数千年の時間をかけてゆっくりと文字体系へと成長していったものである.
同じ紀元前4千年紀,あるいはもう少し遅れて,比較的近いエジプトでもヒエログリフ (hieroglyphic) やそこから派生したヒエラティック (hieratic) が現れる.これらは初めて文証された段階で,すでにほぼ完全な文字体系として機能しており,メソポタミアの楔形文字のような漸次的発展の前史が確認されない.
アルファベットの発生については,「#423. アルファベットの歴史」 ([2010-06-24-1]) で概説したとおりなので記述は省略する.
漢字は,紀元前2000年頃に現れ,紀元前1500年頃に文字としての体裁を整えた.文字体系として完成したのは,漢王朝 (BC202--220AD) の時代である.
文字体系の系統としては,以上の4つ,(1) 楔形文字体系,(2) ヒエログリフ文字体系,(3) アルファベット体系,(4) 漢字体系が区別されることになる.ジョルジュ・ジャン (136--37) の図を参照して作った文字の系統図を示そう.実線矢印は直接的影響を,点線矢印は間接的影響を示す.
(1) 楔形文字体系
(2) ヒエログリフ文字体系
(3) アルファベット体系(図をクリックして拡大)
(4) 漢字体系
以上の4系統に収らないその他の文字体系もある.未解読文字を含むが,朝鮮文字(ハングル),ロロ文字,モソ文字,バヌム文字,インダス文字(紀元前3000年頃),マヤ・アステカ文字,イースター島文字などである.
古今東西の文字体系については,次のサイトが有用.
・ Omniglot: Writing Systems & Language of the World
・ A Compendium of World-Wide Writing Systems from Prehistory to Today
・ 世界の文字(各国文字)
・ ジョルジュ・ジャン 著,矢島 文夫 監修,高橋 啓 訳 『文字の歴史』 創元社,1990年.
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