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2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
Grimm's Law については,[2009-08-08-1]の記事「グリムの法則とは何か」やその他で様々に扱ってきた.この法則は,印欧祖語の閉鎖音系列のそれぞれが調音特徴の1項目をシフトさせてゆく過程として説明される.例えば,*bh > *b の変化は,調音点と声の有無はそのままに,調音様式のみを変化させた(aspiration を失った)ものとして説明される.また,*b > *p の変化は,調音点と調音様式はそのままに,無声化したものとして説明される.
ところが,*p > *f の変化は調音に関する2項目が変化している.無声である点は変わっていないが,調音様式が閉鎖から摩擦へ変化しているばかりでなく,調音点も両唇から唇歯へと変化している.歯茎音系列も同様で,*dh > *d, *d > *t の変化は1項目のシフトで説明されるが,*t > *þ の変化は「閉鎖から摩擦へ」と「歯茎から歯へ」の2項目のシフトが関与している.確かに,両唇と唇歯,歯茎と歯はそれぞれ調音点としては極めて近く,問題にするほどのことではないかもしれないが,これではグリムの法則の売りともいえる「見るも美しい体系的変化」に傷が入りそうだ.
この疑問を長らく漠然と抱いていた.*p > *f を想定するのは,後の印欧諸語の証拠や理論的再建の手続きからは受け入れられるが,無声両唇閉鎖音の *p は対応する摩擦音 *ɸ へ変化するのが自然のはずではないか.[ɸ] は日本語の「ふ」に現われる子音としても馴染みがあり不自然な音とは思えないし,グリムの法則が *ɸ ではなく最初から *f への推移を前提としているのにはやや違和感を感じていた.
しかし,調音音声学に関して Martinet の「歯の隙間」についての説明を読んだときに,この問題が解決したように思った.無声両唇摩擦音 [ɸ] は確かに日本語に存在するが,一般的にいって摩擦音としては不安定な調音のようだ.一方,日本語にない無声唇歯摩擦音 [f] は,摩擦音としては安定した調音だという.その理屈はこうである.調音器官には本来的に閉鎖音向きのものと摩擦音向きのものがある.両唇は互いの密着度が高く,呼気のストッパーとしてよく機能し,まさに閉鎖音向きの調音器官だ.両唇を摩擦音に用いたとしても,その性質にそぐわないために,調音が不安定にならざるをえない.逆に,歯は隙間があるために呼気のストッパーとなりにくい.歯は本来的に摩擦音向きの調音器官なのである.
Du fait des interstices entre les dents, une occlusion labio-dentale est difficilement réalisable. On constate donc que la position des organes qui est la plus recommandée pour l'articulation fricative, ne vaut rien pour l'occlusion et, vice cersa, que la position favorable à l'occlusion ne permet pas de produits fricatifs satisfaisnts. Cette situation se retrouvera ailleurs. (Martinet 67)
歯と歯の間に隙間があるために,唇歯閉鎖は実現するのが難しい.したがって,摩擦音の調音に最もふさわしい器官の位置は閉鎖にはまるで役に立たず,逆も同様で,閉鎖に都合のよい位置は適切な摩擦音の産出を許さないということが分かる.この状況は,他の場合にも見いだされる.
以上の調音器官の物理的特性を考えると,グリムの法則の無声閉鎖音系列の摩擦音化の効果は,調音器官を歯茎から歯の方向に少しシフトしてやることで最大となる.*p は摩擦音化するにあたって *ɸ へ変化するよりも,歯を用いた *f へシフトするほうが,摩擦音として存続しやすい.同様に,*t は摩擦音化するにあたって *s へ変化するよりも,歯を用いた *θ へシフトするほうが,摩擦音として存続しやすい.また,*s がすでに印欧祖語に存在していたという事実から,*θ へのシフトは融合を回避する効果があったのかもしれない.
グリムの法則が関与するもう1つの無声閉鎖音 *k については,*x への変化はストレートだが,結果的に *h へ変化したことを考えると,ここでも [x] の摩擦音としての不安定さが関与しているのかもしれない.軟口蓋と舌との組み合わせもどちらかというとストッパー仕様であり,摩擦音向きではない.反対に,[h] の調音に用いられる声門はどちらかというと摩擦音向きのように思える.
摩擦音と歯は相性がよいという発見は新鮮だった.「安定的な摩擦音系列への移行」がグリムの法則の表わす音変化の重要な特性の1つだったとすれば,両唇の *p や歯茎の *t がそれぞれ歯茎摩擦音ではなく歯摩擦音へと変化した理由が理解しやすくなる.
・ Martinet, André. Éléments de linguistique générale. 5th ed. Armand Colin: Paris, 2008.
昨日の記事[2011-06-28-1]に引き続き she の話題.昨日は古い英語には she に相当する形態が様々にあったことを述べたが,現代英語でも方言を調べれば3人称女性単数代名詞の異形は複数存在する.以下の地図は,20世紀半ばの時点でのイングランドにおける she の異形の方言分布である( Upton and Widdowson, p. 80 の地図に基づいて作成).
中英語の West Midlands 方言では,古英語の West-Saxon 方言の hēo に対応する形態として ha や ho が行なわれていた.後者が語頭の /h/ を脱落させ,現代まで継承したのが,地図上の緑で表わした oo という形態である.歴史的にはもっとも古い形態といってよい.
中西部や南西部に分布する er は her から /h/ が脱落した形態で,her 自体は所有格形・目的格形として標準英語でもおなじみである.しかし,この方言では er が主格として she の代わりに用いられていることに注意すべきである.ほかに斜格形が主格形を置きかえた例としては,[2011-06-17-1], [2009-10-24-1], [2009-10-25-1]などの記事で見たように,you が典型である.本来は対格だった you が主格の ye を置きかえた.現在,you は主格と目的格を区別できないばかりか,数も区別できないが,用は足している.
・ Upton, Clive and J. D. A. Widdowson. An Atlas of English Dialects. 2nd ed. Abingdon: Routledge, 2006.
[2009-12-28-1]の記事「西暦2000年紀の英語流行語大賞」で見たとおり,American Dialect Society の選んだ西暦2000年紀のキーワードは she だった.12世紀半ばに初めて英語に現われ,2000年世紀の後期にかけて,語そのものばかりでなくその referent たる女性の存在感が世界的に増してきた事実を踏まえての受賞だろう.その英語での初出は The Peterborough Chronicle の1140年の記録部分で,scæ という綴字で現われる.この scæ の指示対象が,Henry I の娘で王位継承を巡って Stephen とやりあった,あの男勝りの Matilda であるのが何ともおもしろい.結局 Matilda は後に息子を Henry II としてイングランド王位につけることに成功し,事実上の Plantagenet 朝創始の立役者ともいえる,歴史的にも重要な scæ だったことになる.該当箇所を Earle and Plummer 版より引用.
Þer efter com þe kynges dohter Henries þe hefde ben Emperice in Alamanie. 7 nu wæs cuntesse in Angou. 7 com to Lundene 7 te Lundenissce folc hire wolde tæcen. 7 scæ fleh 7 for les þar micel.
ところが,この she という語は,英語史では有名なことに,語源不詳である.[2010-03-02-1]の記事「現代英語の基本語彙100語の起源と割合」で she を古ノルド語からの借用語として触れたのだが,これは一つの説にすぎない.英語語彙のなかでは最も頻度の高い語源不詳の語といってよいだろう.
提案されている各説ともに,理屈は複雑である.諸説の詳細はいずれ紹介したいと思うが,ここではある前提が共有されていることを指摘しておきたい.古英語の3人称女性単数代名詞 hēo やその異形は,中英語までに母音部を滑化させ,古英語の3人称男性単数代名詞 hē や3人称複数代名詞 hīe の諸発達形と同じ形態になってしまった.この同音異義衝突 ( homonymic clash ) の圧力は,起源のよく分からない she を含めた数々の異形が3人称女性単数代名詞のスロットに入り込む流れを促した.後の3人称複数代名詞 they の受容も,同音異義衝突によって始動した人称代名詞の再編成の結果として理解できる.
she の起源を探る研究は,数々の異形の方言分布,初出年代,音声的特徴,類推作用などの関連知識を総動員しての超難関パズルである.hēo, hīe, sēo, sīo, hjō, sho, yo, ha, ho, ȝho, scæ, etc. これらの中からなぜ,どのようにして she が選択され,定着してきたのか.英語語源学の最大の難問の1つである.
・ Earle, John and Charles Plummer, eds. Two of the Saxon Chronicles Parallel with Supplementary Extracts from the Others. London: OUP, 1892. 2 vols.
詩行の韻律分析 (scansion) は,規則適用能力というよりも美的センスが必要と言われることもある通り,一筋縄ではいかない.複数の scansion が可能な「問題のある」詩行も少なくなく,決め手に欠くという例もある.しかし,もっとも典型的とされるような詩行ではきれいに規則が当てはまるのも確かであり,少なくともこのような場合には規則の知識が報われる.
Chaucer の iambic pentameter を例に,scansion の実際を手取り足取り教えてくれる教本に Glowka がある.Glowka に従い,iambic 詩行の scansion の手順を大まかに並べると以下のようになる.
(1) 脚韻語に強勢を振る
(2) 多音節語について強勢音節を仮に定め,その強勢音節を含む iamb を作る
- 本来語では接頭辞でない限り第1音節に強勢が落ちることを念頭に
(3) その他の詩脚で明らかに iamb となるものを見つける
- 強勢が句の主要部(右側)に置かれるという Nuclear Stress Rule を念頭に
- 強勢が複合語の第1要素(左側)に置かれるという Compound Stress Rule を念頭に
(4) 無強勢の e の処理
- 後続母音に呑み込まれて脱落する elision の可能性を念頭に
- 前後の流音などに呑み込まれて脱落する syncopation の可能性を念頭に
(5) その他の考慮
- 特に第1,第3詩脚で trochaic substitution の可能性を念頭に ([2011-06-25-1])
- 無強勢音節が連続して現われる anapest の可能性を念頭に
- 第1音節を欠く headless line の可能性を念頭に
もっとも典型的な詩行では,(1), (2), (3) の手順でおよそ scansion が完了する.上記の抽象的な手順では意味不明と思われるので,Glowka (31--35) で解説されている通りに,GP (ll. 19--20) の couplet をスキャンしてみる.
(1) 脚韻語に強勢を振る
/ Befil that in that seson on a day, / In Southwerk at the Tabard as I lay
x / | | x /| / Befil that in that seson on a day, x / | | x /| / In Southwerk at the Tabard as I lay
x / | x / | x /|x / |x / Befil that in that seson on a day, x / | x / | x /|x / |x / In Southwerk at the Tabard as I lay
中英語の方言差を特徴づける形態素は数多くあるが,顕著なものの1つに現在分詞語尾がある.現代英語の -ing に相当する語尾だが,大きく分けて -ing, -ande, -ende, -inde の4種類があり,それぞれ特徴的な分布を示す.以下は,LALME の Dot Map 345--51 を参照して,およその分布を再現したものである.
-ing はすでに England の全域に分布しており,方言特徴と呼ぶのはふさわしくないかもしれないが,その異形態として現われる -nd(e) 形の母音部分の差が方言をよく弁別する.-ande の分布は Northern から East Midlands にかけての地域(かつての Danelaw )に一致する.-ende は East Midlands ,-inde は South-West Midlands に集中する.ロンドン付近で複数の異形態が観察されるのは,その地がまさに諸方言の境であることを示している.
現在分詞語尾の他には,直説法3人称単数現在語尾と直説法複数現在語尾が,方言特徴をよく表わすものとして知られている.この2項目の分布は残念ながら直接 LALME の Dot Map には与えられていない.いきおい図式的ではあるが,Burrow and Turville-Petre (31--32) の記述を参考に,地図化してみた.
この3つの動詞屈折語尾に注目するだけでも,ある程度,中英語の方言の絞り込みができるだろう.
・ McIntosh, Angus, M. L. Samuels, and M. Benskin. A Linguistic Atlas of Late Mediaeval English. 4 vols. Aberdeen: Aberdeen UP, 1986.
・ Burrow, J. A. and Thorlac Turville-Petre, eds. A Book of Middle English. 3rd ed. Malden, MA: Blackwell, 2005.
中英語の韻文形式の典型といえば,13世紀後半に始まる The Poema Morale や The Owl and the Nightingale などの iambic tetrameter や,Chaucer に代表される iambic pentameter が挙げられる.この形式は弱強格 ( iamb ) の強勢交替を特徴とするが,あまりに規則正しい弱強格の繰り返しは単調さを招くために,時にこの規則が破られ強弱格 ( trochee ) の現われることがある.これは trochaic substitution と呼ばれ,中英語詩では珍しくない.
例えば,次の Chaucer の詩行 (GP 105) では,第1詩脚で trochaic substitution が生じている.
trochaic substitution により「強弱弱」という3拍子が生じることになるが,この3拍子自体は口語英語では普通のことだったし,Ormulum などの早い段階での中英語詩にも確認される.また,イタリア語詩など大陸の詩では2拍子と3拍子の繰り返しの形式が見られ,中英語の3拍子が突飛な形式なわけではない.
詩行のどの位置(詩脚)で substitution が生じやすいかを調査した研究がある.以下は,Li (1995) の数値に基づいて Minkova (191) が提示している,Chaucer の韻文コーパス全体における substitution の比率である.
一般に詩行は頭部で自由度が高く,尾部で自由度が低い.尾部で融通が利かないのは,脚韻位置であり,脚韻を担う音節は必ず強勢を伴わなければならないという制約があるためである.一方で,頭部は気楽に始められるために,融通が利きやすい.CT でとりわけ substitution 比率が高いのは,同作品における会話体の豊富さを示しているように思われる
Minkova (191) より,各詩脚からの substitution の例を挙げよう.
- Redy to wenden on my pilgrimage (GP 21)
- Of his offryng and eek of his substaunce. (GP 489)
- Ful semely after hir mete she raughte. (GP 136)
- The smylere with the knyf under the cloke (KnT 1999)
・ Minkova, Donka. "The Forms of Verse" A Companion to Medieval English Literature and Culture: c.1350--c.1500. Ed. Peter Brown. Malden, MA: Blackwell, 2007. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009. 176--95.
・ Li, Xingzhong. "Chaucer's Metres." Diss. U of Missouri, Columbia. 1995.
「30分」は half an hour と表現されるが,特に米語や形容詞で修飾される環境では a (good) half hour とも用いられる.しかし,冠詞の前に数量形容詞が置かれる例は,他にも all the boys, both the books, many a time などがあり共通の統語的特徴を示している.この統語的特徴の背後には,韻律的な要因が働いているように思われる.上記の例のいずれも,この語順を取ることで強弱格 ( trochee ) となり,英語の一般的なリズムによく適合する.このように語順を整序したり,意味統語的に必要のない冠詞などの無強勢の音節を挿入することによって韻律を整えるという例は,英語では少なくない.
Bolinger (151--53) は韻律の都合によって説明されうる代替構文をペア(ただし一部非文も含む)で掲げている.右側がより韻律的な代替表現である.
an aloof person vs. an aloof kind of person It's a compact book. vs. It's a compact little book. a half hour vs. half an hour without doubt vs. without a doubt mother mine vs. pal o' mine Outside these I have no preference. vs. Outside of these I have no preference. Beware the Ides of March vs. Beware of Brutus a little bread vs. a bit of bread a dozen eggs vs. a gross of eggs a morsel bread vs. a piece of bread I dare not tell her. vs. We dare to judge. He dared adventure himself. vs. The players dared to satirise. the lessons these things have taught us vs. the lessons these things have taught to all of us He's gone fishing. vs. He's gone a-fishing. Why did you have to go tell her? vs. Why did you have to go and tell her? Who was it that told you? vs. Who was it told you? a quite long report vs. quite a long report *very a long report vs. a very long report *a so pretty girl vs. so pretty a girl so pretty a girl vs. such a pretty girl *a that pretty girl vs. that pretty a girl *a too remote place vs. too remote a place *an enough good reason vs. a good enough reason a good enough reason vs. a reason good enough
[2011-04-09-1]の記事「独立した音節として発音される -ed 語尾をもつ過去分詞形容詞 (2)」や[2011-06-12-1]の記事「過去分詞形容詞 -ed の非音節化」などでも触れたように,韻律は多くの場合,積極的に語順の変更を促す要因というよりは,別の要因によって引き起こされている一般的な変化の方向に多少なりとも抗い,ともすれば消えていく可能性のある代替的な語順を保持させる要因として作用していると考えられる.韻律による説明は,例外が多く「規則」と呼ぶには弱すぎるが,おそらく英語に限らず言語に普遍的に作用していると考えられるほどに応用範囲が広く「傾向」以上の説明力は有しているのではないか.
a Jàpanese stúdent などにおける強勢の back shifting や,Amelia's love makes the burning sand grow green beneath him and the stunted shrubs to blossom. における最後の不定詞標示 to の挿入など,韻律の関わると目される事例は数多い.
・ Bolinger, Dwight L. "Pitch Accent and Sentence Rhythm." Forms of English: Accent, Morpheme, Order. Ed. Isamu Abe and Tetsuya Kanekiyo. Tokyo: Hakuou, 1965. 139--80.
[2009-06-17-1]の記事「インドヨーロッパ語族の系統図をお遊びで」に掲げた印欧語系統図や,[2009-05-08-1]の記事「ゴート語(Gothic)と英語史」に掲げたゲルマン語派の系統図から分かるように,系統的に英語に最も近い言語はフリジア語 (Frisian) である.一般にはほとんど認知されていないこの言語が世界的な言語たる英語に最も近いと言われてもピンと来ないと思われる.今回はこの Frisian という言語について概説する.
Frisian は,Proto-Indo European -> Germanic -> West Germanic -> Low Germanic -> Anglo-Frisian という発達経路を英語と共有している.最後の Anglo-Frisian という分類は,後述するいくつかの音声特徴が両言語で共有されていることに基づく仮説だが,この分類を否定する見解もある.その場合には,Old Frisian と Old English が,Low Germanic 直下にフラットに位置づけられることになる.
現在の Frisian の分布を地図上で確認したい.およそ青で囲った部分が,現在 Frisian の行なわれている地域である.(オランダ部分の詳細については,Ethnologue より オランダの言語分布地図も参照.)
Ethnologue: Frisian in Family Tree にあるとおり,Frisian は伝統的に3つの方言群へと区分される.方言間あるいは方言内の差異はまちまちで,相互理解が可能でないことも多い.この3種類のなかで主要な方言は Western Frisian である.Ethnologue: Western Frisian が公開している2001年の調査によると,オランダ北部の北海に臨む Friesland 州(島嶼部を含む)を中心として約47万人の話者が存在する.同州の人口の70%が Western Frisian を話すが,ほとんどがオランダ語との二言語使用者である.20世紀の "Frisian movement" により West Frisian の公的な地位は上昇してきており,オランダの公用語の1つとしてその振興運動は進んできている.
Friesland の東に広がるドイツの沿岸地域からデンマーク南部の島嶼部にかけて行なわれているのが,Frisian の東や北の諸方言である.ドイツの Saterland で5000人程度に話される Saterfriesisch (東の方言)や,ドイツの Schleswig-Holstein の沿岸部や向かい合う島嶼部で1万人程度の話者によって使用されている Northern Frisian (北の方言)がある(ただし内部での方言差は著しい).同じくドイツの Ostfriesland, Lower Saxony などに2000人程度の話者を有する Eastern Frisian と呼ばれる言語があるが,名称からは紛らわしいことに,厳密には Frisian の1変種というよりは Low German の1変種というほうが適切とされる.
Frisian の最古の文献は,部分的に11世紀に遡る法律文書で,13世紀の写本で現存している.ここに表わされている Old Frisian の段階は16世紀後半まで続いたが,1573年のものとされる文献を最後に,以降3世紀の間 Frisian で残された文書はほとんどみつかっていない.19世紀になると,Romanticism により民族言語としての Frisian が注目され,1938年に Frisian Academy が設立され,1943年には聖書の翻訳が出版された.ただし,これらの Frisian 復興運動は上にも述べたとおり,主にオランダという国家によって支持されている Western Frisian における話しであり,それ以外の諸方言には標準形式がないために今後の存続の可能性は薄いと考えられている.
Frisian と英語に共通する音声特徴としては,(1) Germanic *f, *þ, *s に先行する鼻音の消失 ( ex. OFr fīf "five" ( < Germanic *fimf ), OFr mūth "mouth" ( < Germanic *munþ- ), OFr ūs "us" ( < Germanic *uns ) ) や,(2) 前舌母音に先行する Germanic *g の口蓋化 ( ex. OFr tzin "chin" ( < Germanic *kinn ), OFr lētza "leech, physician" ( < Germanic *lēkj- ) ) などがある.
の記事で,willy-nilly の語形成を説明するのに,前接的(語) (enclitic) と後接的(語) (proclitic) という術語を導入した.今回は,これについてもう少し解説する.
接語 (clitic) とは,本来は語(自由形態素)だが,隣接する語に依存して強勢を失い,しばしば音の脱落を伴う,語と接辞の中間的な形式を指す.もとはギリシア語文法の用語だが,他言語の比較される形態を指し示すのにも用いられる.前接語は直前の語に寄生する種類の接語であり,以下のように現代英語の口語表現では頻繁にみられる.
I'm, you're, it's, she'll, we've, they'd, don't, wanna, He is a tough'un., That's more'n I know.
上記のように,人称代名詞の関わる例が多く,名詞に前接語が付加される例は少ない.ただし,My mother's late. や Peter'd been there. などの例がみられる.
一方,後接語は直後の語に寄生する種類の接語で,現代英語の例は比較的少ないが,以下のような表現にみられる.
How d'ye do? ([2011-06-17-1]), 'Tis fine today., Go an' see it.
最初の2例がやや古風な表現であることから推測されるかもしれないが,歴史的には後接の過程は少なくなかった.例えば,歴史的過程の結果としての前接語には,o'clock ( < "of the clock" ), alive ( < "on live" ), そして willy-nilly の記事 で紹介した nill や nam などがある.
[2009-11-04-1]の記事「古英語,中英語,近代英語は互いにどれくらい異なるか」で,ゲルマン諸語の「ゲルマン度」の比較を見た.比較の基準は,主として形態的な観点から Lass が選び出した10個の項目による.この10項目がゲルマン度の指標としてどのくらい客観的で妥当なのか,どのように選び出されたのかなどの問題点はあるが,類似した比較研究を行なう際のたたき台としては非常に参考になる.Lass (26) より,10項目を挙げておく.
(1) root-initial accent
(2) at least three distinct vowel qualities in weak inflectional syllables
(3) a dual
(4) grammatical gender
(5) four vowel-grades in (certain) strong verbs
(6) distinct dative in at least some nouns
(7) inflected definite article (or proto-article)
(8) adjective inflection
(9) infinitive suffix
(10) person and number marking on the verb
この基準は,ゲルマン諸語どうしの比較に限らず,例えば中英語の方言どうしの比較,さらには中英語の個々のテキストの言語の比較にも応用できる.実際のところ,多くの中英語テキストの刊本のイントロ部にあるような言語学的記述は,上記10項目のすべてでなくとも数項目を取り上げるのが普通である.
中英語テキストの比較に限るのであれば,個人的には "nominal plural formation" を加えたいところである.
・Lass, Roger. "Language Periodization and the Concept of 'middle'." Placing Middle English in Context. Eds. Irma Taavitsainen, Terttu Nevalainen, Päivi Pahta and Matti Rissanen. Berlin and New York: Mouton de Gruyter, 2000. 7--41.
[2011-04-24-1]の記事「語源学の自律性」で触れた abduction(仮説形成)という推論は,語源学ばかりでなく歴史言語学全体に当てはまる.言語変化の「なぜ」の問題に対する歴史言語学者の態度は,とりわけ abductive にならざるをえない.多くの場合,その解はおそらく複合的である.すべての要因を網羅することはできないし,要因間の関係や各要因の重みを明らかにすることもしばしば困難である.それでも,あえて最重要と思われるいくつかの要因を取り出し,それに焦点を当て,合理的な説明を試みるのが歴史言語学の役目である.
以下の一節を書いたことがある.
It is to be admitted that any answers to the "how" and "why" will only be plausible or provisional because historical linguistics is an abductive discipline (Andersen; Anttila 196--98, 285--86). This means that the suggested description and explanation of the language change is a reasoned inference made with reference to universals such as human experience, human nature, and culture, and to observed facts. The number of possible inferences made in this way is theoretically infinite, and therefore the best that historical linguists can offer is a subset of the theoretically possible descriptions and explanations. Being methodologically abductive, historical linguistics is different from natural science; it is no less tempting, however, to make such inferences in historical linguistics since it allows for different interpretations for a phenomenon. (Hotta 3)
そもそもすべての言語変化に原因・理由があるのか,あるとすればその原因・理由のレベルは生理的か,社会的か,その他か.歴史言語学として,どこまで明らかにできるのか.この問い自体が茫洋としており,心許ない.しかし,ある言語変化の原因・理由を巡って様々な論が提出されること,abductive に議論が進められることこそが,歴史に関わる分野の魅力である.歴史言語学の発展は,演繹 (deduction) でも帰納 (induction) でもなく,かつ恣意的でもない推論としての abduction にかかっている.改めて,abduction の推論の形式は以下の通り(米森, p. 54).
驚くべき事実Cが観察される,
しかしもしHが真であれば,Cは当然の事柄であろう,
よって,Hが真であると考えるべき理由がある.
・ Andersen, Henning. "Abductive and deductive change." Language 49 (1873): 765-93.
・ Anttila, Raimo. Historical and Comparative Linguistics. Rev. ed. Amsterdam: Benjamins, 1989.
・ Hotta, Ryuichi. The Development of the Nominal Plural Forms in Early Middle English. Hituzi Linguistics in English 10. Tokyo: Hituzi Syobo, 2009.
・ 米森 裕二 『アブダクション 仮説と発見の論理』 勁草書房,2009年.
現代英語の名詞には副詞的目的格という用法がある.目的格は歴史的な対格を指すので,この用法は副詞的対格 (adverbial accusative) とも呼ばれる.名詞(句)が副詞(句)として用いられる副詞的目的格の使用例は枚挙にいとまがないが,典型的な例を少数挙げると以下のようなものがある(赤字が副詞的目的格におかれている名詞(句)).
- It's fine today.
- Come this way.
- They walked ten miles.
- We are united to each other heart and soul.
- What the hell is all this?
現代英語で当たり前のように副詞的に使われている go home も起源をたどれば名詞 home の目的格にすぎない.古英語 hām は男性強変化名詞であり,単数主格と単数対格が同形のために形態上は区別がつけられないが,And hiȝ cyrdon ealle ham "And they all returned home" などにおいて,明らかに方向を示す対格として用いられている.
このような home が副詞として解釈され,近代期には「家へ(帰る)」という方向の意味から「家に(いる)」という位置の意味へと拡大していった.さらに,「本拠地へ,納まるべき所へ」から「ねらった所へ,まともに」の意味が生じ,drive a nail home や The spear struck home to the lion's heart. などの表現が生み出された.現代の成句 bring sth home to sb や come home to sb における「痛切に」の含意もこの延長線上にある.
- It suddenly came home to him that he was never going to see Julie again.
- The sight of his pale face brought home to me how ill he really was.
上に挙げた一つ目の成句 came home to him を統語分析すると,一方では home が副詞として,他方では to him が前置詞句としてそれぞれ came を修飾するとして解されるかもしれない.しかし,成句の意味と home の歴史的な意味と用法を考慮すると,むしろ to him が home という名詞に与格として「彼(にとって)の(理解の)核心」ほどの意でかかってゆき,home が方向を表わす副詞的対格として came にかかってゆくと解釈するほうが,成句の表わす意味を理解しやすい.
willy-nilly は「行き当たりばったりに(の);いやおうなしに(の)」を意味する語で,強弱格で脚韻を踏む語呂のよい表現である.will I [he, ye] nill I [he, ye] という表現がベースになっており,意志を表わす動詞 will とその否定形 nill ( < ne + will ) をそれぞれ主語代名詞と倒置させた譲歩表現である.OED によると初出は1608年で,次の例文が挙げられている.
Thou shalt trust me spite of thy teeth, furnish me with some money wille nille.
中英語以前では否定副詞 ne を動詞に前置して否定を形成するのが主流であり,しばしば動詞と一体になって発音されることが多かった.問題の nill ( ne + will ) を始め nam ( ne + am ), nas ( ne + was ) などの例があり,これを後接的 (proclitic) な ne という.一方,中英語以降に発達した否定の副詞に,動詞に後置される not,そしてその短縮形である n't がある.こちらは前接的 (enclitic) な否定辞と言われ,isn't, haven't, won't ( < wonnot < wol not ) など,現代英語でおなじみである.
will の否定としての won't の起源については[2009-07-25-1]の記事「one の発音は訛った発音」で取り上げたが,この否定形は17世紀に英語に現われた.もし従来の後接的な nill がより早い段階で新しい前節的な won't に置換されていたのであれば,標記の表現は willy-nilly ではなく,*willy-wonty なとどなっていたかもしれない.いや,euphony という観点からすればやはり willy-nilly のほうが語呂がよいから,いずれにせよこの表現が選択され定着していたと考えるのが妥当かもしれない
主語代名詞を表わす y はそれ自体が弱形として前接しているので,nilly の部分は will を中心として後接辞 n- と前接辞 -y が同時に付加された複雑な語形成を表わしていることになる.現代英語としては何気ない表現だが,形態素分析をすると will-y-n-ill-y と実に5つの形態素からなっている.総合的な (synthetic) 振る舞いを超越した多総合的な (polysynthetic) な振る舞いと言ってしかるべきだろう.「(多)総合的」という術語については,[2010-10-01-1]の記事「形態論による言語類型」を参照.
古英語や中英語には2人称代名詞に数の区別が存在した.中英語形で示せば,単数は thou,複数 は ye である.ye と you は本来それぞれ主格と対格・与格を表わしたが,近代英語期以降,相互に混同が生じた.(2人称代名詞に関連する話題は,[2009-10-11-1], [2009-10-24-1], [2009-10-25-1], [2009-10-29-1], [2010-02-12-1], [2010-03-26-1], [2010-07-11-1], [2010-10-08-1], [2011-03-01-1]を参照.)
thou も ye は現在では《古風》あるいは《方言》だが,特殊な文脈や慣用表現で用いられることがある.ここでは ye について見てみよう.この語は強形では /ˈjiː/, 弱形では /ji/ と発音され,視覚方言として <ee> のように綴られることもある.現在では,次のような表現で用いられることがある.
Abandon hope, all ye who enter here. ( Dante, The Divine Comedy )
Do ye not know me? 「私をご存じないのですか」
Hark ye. 「聞け」
Hear ye, hear ye! 「(民衆に向かって)聞け,聞け」
How d'ye do? 「初めまして」
I tell ye. 「おまえに言っておく」
Look ye. 「見よ」
Thank ye. 「ありがとう」
What d'ye think? 「どう思うかい」
Ye are the salt of the earth. 「汝らは地の塩なり」 ( Matt. 5:13 )
Ye gods! 「いやはや」
Ye hills and brooks 「汝ら山と川よ」
How d'ye do? などの主語としての ye は you の弱形と解されることがあるが,かつての2人称代名詞(敬称) ye の方言的・口語的な生き残りと考えるべきである.
同綴字だが定冠詞 the を表わすもう1つの ye については,[2009-05-11-2]の記事「英国のパブから ye が消えていくゆゆしき問題」を参照.
昨日の記事「Cornish と Manx」 ([2011-06-15-1]) で Cornish pasty に軽く言及した.LDOCE5 により "a folded piece of pastry, baked with meat and potatoes in it, for one person to eat" と定義される大きな D 形のコーニッシュ・パイは,英国内はもちろんのこと欧米で広く食されており,その生産は Cornwall の主要産業の1つともなっている.ロンドンなどの街角では Cornish pasty shop はよく目にする.
このパイと Cornwall との結びつきの由来は定かではないようだが,17,18世紀の Cornwall のスズ坑夫の手軽な弁当として発展してきたものといわれる.ボリュームがあり,冷めにくく,手で食べられるのが魅力だったのではないか(ボリュームがありすぎてビールのお供にというつもりで夜中に食べると胃がもたれるので注意).詳しい蘊蓄と写真は Wikipedia: Pasty を参照.
パイにも様々な種類があるが,特にクリスマスに食される mince pie というパイがある.LDOCE5 によると "a pie filled with mincemeat, especially one that people eat at Christmas" とある.甘い菓子パイで,Google 画像で写真をみれば,あれのことかと思い当たるのではないだろうか.
この mince pie の詰め物のことを mincemeat という.mincemeat の定義を CALD3 でみると,"a sweet, spicy mixture of small pieces of apple, dried fruit and nuts, (but not meat), which is often eaten at Christmas in mince pies" とある.ここから mincemeat には意外なことに肉が入っておらず,それを詰め物にした mince pie がベジタリアン食であることが分かる.
meat の本来の意味と意味変化について知っていれば,これは不思議なことではない.meat は古英語では「食物;食事」の意であり,「肉」の意に限定されてきたのは13世紀以降のことである.ここでは意味の特殊化 ( specialisation ) が生じていることになる(意味の特殊化の他の例は,[2009-09-01-1], [2010-08-13-1], [2010-12-14-1], [2010-12-15-1], [2011-02-15-1]の記事を参照).
The Authorized Version of the Bible では meat は「食物;食事」の意でしか用いられていないが,それを除けば,現代英語では上記の mincemeat や下記の少数の慣用表現・諺に古い語義が認められるのみである.
- before [after] meat 「食前[食後]に」
- green meat 「青物」
- meat and drink 「飲食物」 cf. meat and drink to sb 「?にとって何よりの楽しみ」
- One man's meat is another man's poison. 「甲の薬は乙の毒(=人の好みはさまざま)」
- sit down to meat 「食卓につく」
- sweetmeat 「砂糖菓子」
[2011-06-10-1], [2011-06-14-1]の記事でケルト諸語の話題を取りあげた.今回は,ケルト諸語のなかで事実上の死語となっているコーンウォール語 (Cornish) とマン島語 (Manx) を紹介する.
Cornish は,ミートパイの一種 Cornish pasty でも知られているイングランドの最南西部 Cornwall 地方で話されていた Brythonic (P-Celtic) 系の言語である.Cornish の古い文献は多くは現存していないが,14世紀後半のものとされる8000行を超える韻文が残っている.16世紀,宗教改革の時代に Cornish の衰退と英語の浸透が始まり,1777年に,記録されている最後の話者 Dolly Pentreath が亡くなったことで死語となった.[2011-06-10-1]のケルト語派の系統図で示されるとおり,現在フランスのブルターニュで話されているブルトン語 (Breton) と最も近い言語である.
しかし,"revived Cornish", "pseudo-Cornish", "Cornic" とも称される復活した Cornish が現代でも聞かれる. これは,20世紀にコーンウォールの郷土愛を共有する人々が Cornish を人為的に復活させたもので,実際的な言語ではなく象徴的な言語というべきだろう.文法書や辞書が発行されており,兄弟言語である Breton や Welsh からの類推で語彙を増強するなどの試みがなされている.Price の評価は手厳しい(McArthur 265 より孫引き).
It is rather as if one were to attempt in our present state of knowledge to create a form of spoken English on the basis of the fifteenth-century York mystery plays and very little else.
Ethnologue: Cornish によれば,2003年の推計で数百人の話者がいるとされるが,ここでの Cornish はもちろん "revived Cornish" を指している.
次に,Manx はアイリッシュ海 (the Irish Sea) に浮かぶマン島 (the Isle of Man) で話されていた Goidelic (Q-Celtic) 系の言語である.最古の文献は,1610年頃の祈祷書 (The Book of Common Prayer) の翻訳である.Manx は4世紀にアイルランドからの移住者によって持ち込まれたと考えられ,10--13世紀にはヴァイキングの言語 Old Norse により特に語彙的に影響を受けた.18世紀まではマン島の主要な言語だったが,それ以降は英語の浸透が進んだ.最後の話者 Ned Mandrell が1974年に亡くなり,現在では第1言語としては死語となっている.Cornish の場合と同じように,Manx の人為的な保存・復活の営みはなされているが,象徴的な意味合いを超えるものではない.
言語名は「マン島の言語」を意味する ON manskr が ME Manisk(e) として入ったもので,その語末子音群が音位転換 ( metathesis ) を起こして Manx となった.Ethnologue: Manx を参照.
・ Fennell, Barbara A. A History of English: A Sociolinguistic Approach. Malden, MA: Blackwell, 2001.
・ Price, Glanville. The Languages of Britain. London: Arnold, 1984.
・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.
[2011-06-10-1]の記事「ケルト語の分布」でケルト諸語の歴史分布地図と系統図を示した.その系統図では詳細な区分が採用されていたが,[2009-06-17-1]の印欧語系統図に示されている伝統的な区分によれば,イギリス諸島を中心とするケルト諸語は大きく Brythonic と Goidelic 語群とに分かれる(下図参照).
Brythonic 語群と Goidelic 語群は,それぞれ別名で P-Celtic と Q-Celtic とも呼ばれる.この区分は,印欧祖語の *kw が,前者では /p/ へ発展し,後者ではそのまま受け継がれた(ただし後に非円唇化して /k/ へ発展した)事実に基づく./kw/ の /p/ への変化は一見すると飛躍に思えるが,調音音声学的には /w/ の円唇性が逆行同化で閉鎖音 /k/ に作用し,両唇閉鎖音 /p/ へ帰着したと説明される.
無声音と有声音との違いはあるが,これと同種の音声変化は印欧語族の他の語派でも生じている.例えば,印欧祖語で「牛」を表わす *gwōus の語頭子音はゲルマン語派へは /k/ として伝わり,英語 cow, ドイツ語 Kuh などに残っているが,他の語派では両唇音 /b/ へと変化し,その効果はラテン語 bōs, ギリシア語 boûs などに確認される.フランス語やラテン語から英語へ借用された beef や bovine は,究極的に cow と同根である.(『英語語源辞典』(pp. 1666--67) の「真の語源と見せかけの語源」を参照.)
P-Celtic を代表する Welsh と Q-Celtic を代表する Irish の同根語 ( cognate ) で語形を比較してみよう.以下の表は,Price (17) に基づいて Fennell (30) がまとめた比較を再現したものである.
Welsh (Brythonic = P-Celtic) | Irish (Goidelic = Q-Celtic) | meaning |
---|---|---|
pwy | cé | "who" |
pedwar | ceathair | "four" |
pen | ceann | "head" |
pair | ċoire | "cauldron" |
pryd | cruth | "appearance" |
英語史年表は,どの概説書にも記載があるしオンラインでも見つけられる(例えば英語の歴史年表―前史・古英語期)が,本ブログとしての版も作成してゆこうと考えている.たたき台として,Crystal (298--300) の略年表を再現したものを掲げておく.その他,直接間接に英語史に関連する年表は timeline を参照.
449 | Invasion by Angles, Saxons, and Jutes | |
450--480 | Earliest runic inscriptions in Old English | |
597 | Augustine brings Christianity to Kent | |
680 | Approximate earliest date for the composition of Beowulf | |
700 | Approximate dating of earliest Old English manuscripts | |
735 | Death of the Venerable Bede | |
787 | Viking raids begin | |
871 | Alfred becomes King of Wessex | |
886 | Danelaw boundaries settled | |
950--1000 | Approximate dates of the main Old English poetry collections | |
1016--1042 | Cnut and his sons reign | |
1066 | Norman Conquest | |
1150--1200 | Earliest texts in Middle English | |
1171 | Henry II's invasion of Ireland | |
1204 | France reconquers Normandy | |
1250--1300 | Edward I's campaigns against the Welsh and Scots | |
1362 | English first used at the opening of Parliament | |
1375--1400 | Chaucer's main works written | |
1384 | Wyclif's translation of the Bible | |
1400--1450 | The Great Vowel Shift | |
1400--1600 | Main period of older Scots literature | |
1476 | Introduction of printing | |
1475--1650 | Renaissance loan words into English | |
1549 | Book of Common Prayer written | |
1560--1620 | English plantation settlements in Ireland | |
1584 | Roanoke settlement in America | |
1590--1616 | Shakespeare's main works written | |
1600 | East India Company established trading posts in India | |
1603 | Act of Union of the crowns of England and Scotland | |
1604 | Publication of Robert Cawdrey's A Table Alphabeticall | |
1607 | First permanent English settlement in America | |
1609 | First English settlement in the Caribbean | |
1611 | Authorized Version of the Bible | |
1619 | Arrival of first African slaves in North America | |
1620 | Arrival of the Pilgrim Fathers in America | |
1623 | First Folio of Shakespeare's plays published | |
1627 | British established in Barbados | |
1655 | British acquire Jamaica from Spain | |
1707 | Union of the Parliaments of England and Scotland | |
1712 | Jonathan Swift's proposal for an English Academy | |
1713 | British control in eastern Canada recognized | |
1721 | Publication of Nathaniel Bailey's Universal Etymological English Dictionary | |
1755 | Publication of Samuel Johnson's Dictionary of the English Language | |
1762 | Publication of Robert Lowth's Short Introduction to English Grammar | |
1765--1947 | British Raj in India | |
1776 | American independence declared | |
1780--1800 | First wave of emigration to Canada from the USA | |
1783 | Loss of American colonies of Britain | |
1788 | Establishment of first penal colony in Australia | |
1791 | Establishment of Upper and Lower Canada | |
1794 | Publication of Lindley Murray's English Grammar | |
1800--1910 | Main period of European emigration to the USA | |
1802 | Ceylon and Trinidad ceded to Britain | |
1803 | Act of Union between Britain and Ireland | |
1806 | British control established in South Africa | |
1808 | Sierra Leone made colony | |
1814 | Tobago, Mauritius, St Lucia and Malta ceded to Britain | |
1816 | Colony of Bathurst (Gambia) established | |
1819 | British established Singapore | |
1828 | Publication of Noah Webster's American Dictionary of the English Language | |
1840 | Official colony established in New Zealand | |
1842 | Hong Kong ceded to Britain | |
1861 | Lagos (Nigeria) established as colony | |
1865--1900 | Movement of blacks to northern parts of the USA after the American Civil War | |
1867 | Independence of Canada | |
1874 | Gold Coast (Ghana) established as colony | |
1884--1928 | Publication of the Oxford English Dictionary | |
1888--1894 | British protectorates established in Kenya, Zanzibar, Uganda | |
1901 | Independence of Australia | |
1907 | Independence of New Zealand | |
1910 | Union of South Africa established | |
1919 | Tanganyika ceded to Britain | |
1922 | Partition of Northern Ireland and Eire | |
1922 | Establishment of the BBC | |
1925 | Afrikaans given official status in South Africa | |
1931 | British Commonwealth recognized | |
1947 | Independence of India | |
1948 | Independence of Ceylon (Sri Lanka) | |
1957 | Independence of Ghana | |
1957--63 | Independence of Malaysia | |
1960 | Independence of Nigeria | |
1940--1975 | Main period of immigration to Britain from Europe, Caribbean and Asia | |
1961 | Independence of Sierra Leone and Cyprus | |
1962 | Independence of Jamaica, Trinidad and Tobago, Uganda | |
1963 | Independence of Kenya | |
1964 | Independence of Tanzania, Malawi, Malta, Zambia | |
1965 | Independence of The Gambia, Singapore | |
1966 | Independence of Guyana, Botswana, Lesotho, Barbados | |
1968 | Independence of Mauritius, Swaziland, Nauru | |
1970--1984 | Independence of possessions in Caribbean and Pacific | |
1972 | Independence of Bangladesh | |
1972 | First network e-mail sent | |
1975 | Independence of Papua New Guinea | |
1977 | Voyager spacecraft leaves with English message | |
1984 | Independence of Brunei | |
1986 | Independence of Marshall Islands | |
1988 | CD-ROM of the Oxford English Dictionary | |
1990 | Independence of Namibia | |
1991 | Independence of the Federated States of Micronesia | |
1991 | Implementation of the World Wide Web | |
1994 | Independence of Palau | |
2000 | Oxford English Dictionary goes online |
[2011-01-30-1]の記事「独立した音節として発音される -ed 語尾をもつ過去分詞形容詞」と[2011-04-09-1]の記事「独立した音節として発音される -ed 語尾をもつ過去分詞形容詞 (2)」で,aged, jagged などが2音節として発音され得る事実について論じた.aged については被修飾名詞によって揺れがあることに言及したが,aged に代表される過去分詞形容詞 -ed の発音の揺れは,通時的変化が現在進行中であることを示唆しているものと考えられる.その変化の方向は,過去に無数の -ed に生じてきたとおり,非音節化の方向である.Bolinger (148fn) は,-ed の非音節化を,19世紀から20世紀にかけて進行してきた最も印象的な音韻変化であると評している.
The reduction of -ed has been perhaps the most striking phonological change in English in the past century and a half. Poutsma (Part II, 則2, p. 569) quotes Bradley to the effect that "Within the memory of living persons it was still usual in the reading of the Bible or the Liturgy to make two syllables of such words as loved or changed, which are now pronounced in one syllable." As a child I gave striped and streaked two syllables each. The disintegration continues; I have heard jagged pronounced as one syllable by a-twelve-year old.
屈折語尾としての -ed の運命が非音節化にあることは,英語史の流れから明らかである.その大きな潮流に抗う小さな潮流として,2音節を保持し強弱のリズムを堅守するという韻律的な要因がある.換言すれば,この小さな潮流は大きな潮流をせき止めることはできなくとも,進行を遅らせるくらいには作用していると考えられる.だが,その作用も徐々に限界に達しつつあるということだろうか.aged, beloved, naked, wicked などは頻度が比較的高いが,これらの -ed が独立した音節でなくなる日は遠くないのかもしれない.
・ Bolinger, Dwight L. "Pitch Accent and Sentence Rhythm." Forms of English: Accent, Morpheme, Order. Ed. Isamu Abe and Tetsuya Kanekiyo. Tokyo: Hakuou, 1965. 139--80.
現代英語の発音と綴字の対応関係が理想的な1対1から大きく逸脱している事実については,spelling_pronunciation_gap の諸記事で話題にしてきた.この状況の歴史的な背景については[2009-06-28-2]の記事「なぜ綴りと発音は乖離してゆくのか」で述べたが,とりわけ大母音推移 ( Great Vowel Shift; see [2009-11-18-1] ) が綴字と発音の不一致をもたらした最大の元凶であと,多くの英語史概説書で主張されている.
しかし,この主張の真の意味を理解するには,もう少し深く少し考えなければならない.というのは,例えば name の発音が /nɑːm/ から /neɪm/ ( GVS の直接の出力は /nɛːm/ )へ変化したということ自体が発音と綴字の乖離を生み出したとは考えられないからだ.[2009-11-19-1], [2009-11-20-1], [2011-05-13-1]の記事などで見たように GVS には例外はあるものの,原則として強勢のある長母音に対して一律に働いた.であるとすれば,発音と綴字の関係の変化も一律だったはずである.<a> は /ɑː/ への対応を失ったが,新しく /eɪ/ への対応を得たわけであり,この得失は一貫していた.<a> = /eɪ/ の新しい関係が一貫して守られている以上,特に不一致はないとも議論できる.GVS を発音と綴字の乖離をもたらした最大の元凶とみなしてよいのだろうか.
だが,責任の程度が最大かどうかは別として,相当の責任があると考える理由はある.第一に,GVS は長母音のみに作用したという点を思い起こす必要がある.短母音を表わす <a> の綴字は /a/ (後には /æ/ )の音に対応したままだった.英語の書記体系は直接に母音の長短を標示するものではなく,その意味では古英語期より <a> の1文字が少なくとも長短の低母音2音に対応していたわけで,すでに理想の1対1の関係は崩れていた.だが,質的には類似した低母音の長短ほどの差だけであれば,「乖離」と呼ぶほどの深刻な問題とはならない.それが,長母音のみに作用した GVS により,現代英語では <a> が短母音としては /æ/ に,長母音としては /eɪ/ に対応することになってしまった.もはや単純な音の長短の問題ではなく,<a> という1文字が質の異なる2音に対応することになってしまったのである.この意味で,GVS は確かに「元凶」と呼べるだろう.
第二に,GVS により <a> が二重母音として /eɪ/ に対応するようになると,別の /eɪ/ に対応する綴字(の組み合わせ)との間に役割の重複が生じることになる.aim や say などの <ai> や <ay> は現代英語では典型的な /eɪ/ への対応綴字だが,ここに <a> も参入してくるとなると,理想の1対1どころではない.ここでも,GVS に責任の一端が認められる.
GVS が発音と綴字の乖離の元凶であるという主張は結果としては受け入れられるが,直接的な元凶というよりは,上で議論したようにやや間接的な元凶というべきだろう.
[2011-04-12-1]の記事「Britannica Online で参照できる言語地図」で紹介した印欧語族の諸語派の分布地図では,ケルト語派のものが欠けていた.探しても見あたらなかったので,原 (19) を参考に,おおまかなケルト語の歴史分布地図を作成してみた.
*
ケルト語の歴史分布地図と呼んだのは,Man 島の Manx と Cornwall 地方の Cornish は事実上すでに死語となっているからである.紀元前1千年紀にヨーロッパ大陸の各地に分布していたとされるケルト諸語は,現代ではヨーロッパの北西の辺境である the British Isles と Brittany (see [2011-05-01-1]) で細々と存続している.
原 (148) を参照し,ケルト語派の系統図も作成してみた.この系統図は,[2009-06-17-1]で掲げた印欧語系統図の一部をなすケルト語派の図(従来の分類法)とは若干異なる.これは,近年の研究の進展を反映した結果である.
イギリス諸島のケルト諸語使用については,Ethnologue より Languages of Ireland の地図も参照.
・ 原 聖 『ケルトの水脈』 講談社,2007年.
本ブログでも何度か取り上げている2つの歴史英語コーパス PPCMBE ( Penn Parsed Corpus of Modern British English; see [2010-03-03-1]. ) と COHA ( Corpus of Historical American English; see [2010-09-19-1]. ) について,塚本氏が『英語コーパス研究』の最新号に研究ノートを発表している.両者とも2010年に公開された近代英語後期のコーパスだが,それぞれ英米変種であること,また編纂目的が異なることから細かな比較の対象には適さない.しかし,代表性をはじめとするコーパスの一般的な特徴を比べることは意味があるだろう.
PPCMBE は1700--1914年のイギリス英語テキスト約949,000語で構成されており,Parsed Corpora of Historical English の1部をなす.同様に構文解析されたより古い時代の対応するコーパスとの接続を意識した作りである.有料でデータを入手する必要がある.一方,COHA は1810--2009年のアメリカ英語テキスト4億語を収録した巨大コーパスである.こちらは,構文解析はされていない.COHA は無料でオンラインアクセスできるため使いやすいが,インターフェースが固定されているので柔軟なデータ検索ができないという難点がある.
コーパスの規模とも関係するが,PPCMBE は代表性 (representativeness) の点で難がある.PPCMBE のコーパステキストを18ジャンルへ細かく分類し,テキスト年代を10年刻みでとると,サイズがゼロとなるマス目が多く現われる.これは,区分を細かくしすぎると有意義な分析結果が出ないということであり,使用に際して注意を要する.
一方,COHA のコーパステキストは Fiction, Popular Magazines, Newspapers, Non-Fiction Books の4ジャンルへ大雑把に区分されている.細かいジャンル分けの研究には利用できないが,10年刻みでも各マス目に適切なサイズのテキストが配されており,代表性はよく確保されている.ただし,Fiction の構成比率がどの時代も約50%を占めており,Fiction の言語の特徴(特に語彙)がコーパス全体の言語の特徴に影響を与えていると考えられ,分析の際にはこの点に注意を要する.
塚本氏は,両コーパスの以上の特徴を,後期近代英語における形容詞の比較級・最上級の問題によって示している.CONCE (Corpus of Nineteenth-Century English) を用いた Kytö and Romaine の先行研究によれば,19世紀の間,比較級の迂言形に対する屈折形の割合は,30年刻みで世紀初頭の57.1%から世紀末の67.8%へと増加しているという.同様の調査を COHA と PPCMBE で10年刻みに施したところ,前者では1810年の64.7%から1910年の74.3%へ着実に増加していることが確かめられたが,後者では1810年の79.4%から1910年の78.0%まで増減の揺れが激しかったという(塚本,p. 56).しかし,CONCEと同様の30年刻みで分析し直すと,PPCMBE でも有意な変化をほぼ観察できるほどの結果がでるという.
コーパスはそれぞれ独自の特徴をもっている.よく把握して利用する必要があることを確認した.関連して,[2010-06-04-1]の記事「流れに逆らっている比較級形成の歴史」を参照.
・ 塚本 聡 「2つの指摘コーパス---その代表性と類似性」『英語コーパス研究』第18号,英語コーパス学会,2011年,49--59頁.
・ Kytö, M. and S. Romaine. "Adjective Comparison in Nineteenth-Century English." Nineteenth-Century English: Stability and Change. Ed. M. Kytö, M. Rydén, and E. Smitterberg. Cambridge: CUP, 2006. 194--214.
英国は成文憲法を持たない.その代わりを務めるのが,Magna Carta 「大憲章」(1215年,The Great Charter),「権利請願」(1628年,The Petition of Right),「権利章典」(1689年,The Bill of Rights)の3つの基本法典だ.後者2つは近代期17世紀の産物だが,最初の大憲章は中世期13世紀とかなり早い.もっとも大憲章が基本法典として高い評価を与えられるのは17世紀のことであり,当時の「歴史の掘り起こし」の結果というべきである.それでも,13世紀イングランド国制史が Magna Carta をめぐって繰り広げられていたことは確かである.
当時王位にあった John は,父王 Henry II,兄王 Richard I の保有していたフランスの広大な領土を戦争によって失った.1204年のノルマンディの喪失は特に手痛く,イングランドが大陸に足場をもつ帝国の一部から一島国へと回帰する歴史的契機となった(この出来事は,向こう2世紀にわたるイングランドでのフランス語の衰退と英語の復権の間接的な契機ともなっており,英語史にとっても大きい).その後も John はフランス王 Philip II へ領地奪還のための戦いを挑むが,1214年,ブーヴィーヌの戦いで大敗を喫する.兄王 Richard I から続く戦乱と戦費確保のための重税に苦しんでいた諸侯にとって,John の内外の失策は耐え難いものとなり,ついに1215年,貴族の一部が John を主君とみなさない旨を公言する.王はやむなく代理人を立てて不満分子と話し合い,協約文書を作成した.ラテン語で書かれたこの協約文書は,テムズ河畔 Runnymede の草原にて1215年6月15日に調印・発布された.
「諸侯たちの要求事項」 (The Articles of the Barons) と呼ばれたこの協約の内容は63条からなる雑多な要求の羅列であり,全体的な統一や整備は感じられない.John への具体的で直接的な要求項目であり,後代に理解されたような立憲政治の礎という意図はなかった.したがって,近現代の大憲章の高い評価はある意味で過大であり時代錯誤的でもあるのだが,この文書によって被治者が王権に制限を加えようとしたこと,既得権や慣習が強調されたことの歴史的意義は大きい.
John はこの協約文書に調印こそしたが,はなから遵守する意図はなく,直後にローマ教皇 Innocent III に頼み無効としてしまった.翌1216年には John が病死したため,貴族たちは継いだ Henry III のもとで協約文書を修正したうえで再発行した.1217年,1225年にも修正版が再発行され,以降,1225年版がたびたび確認されてゆくことになる.特に1297年の Edward I による確認は重要で,Magna Carta は制定法記録簿に収められることになった.しかし,この文書が中世期と初期近代期を通じて現実政治の場で大きな役割を果たしたということは,実はない.17世紀に忘却の淵から呼び覚まされ,新たな意義を付されたということである.
さて,英語 The Great Charter,日本語「大憲章」はそれぞれラテン語 Magna Carta の訳語で,いかにも偉大な文書らしい響きだが,この Magna あるいは Great は,本来,質としての偉大さを表わすものではなく,量的な大きさを記述する形容詞にすぎなかった.1217年の修正版で,御料林に関する条項が切り離されて独立し「御料林憲章」 (The Charter of the Forest) とされたので,残る部分が「大憲章」という通称で呼ばれることになったにすぎない.この点では,[2011-05-01-1]の記事「panda と Britain」で指摘した giant panda や Great Britain とまったく同種の来歴である.
Magna Carta については,The British Library の Treasures in Full: Magna Carta が詳しい.Magna Carta をマルチメディアで学べる.
(後記 2013/03/28(Thu):同じ BL よりこちらの画像もすばらしい.)
・ 今井 宏 『ヒストリカル・ガイド イギリス 改訂新版』 山川,2000年.47--52頁.
Biber et al. (Section 4.5.6 [pp. 291--22]) に,一般名詞の単数形と複数形の頻度に関する記述がある.現代英語における大雑把な分布ではあるが,LSWE Corpus の500万語サブコーパスを用いた信頼できる数値なので参考までにメモしておく.まず,各サブコーパスで100万語当たりの生起数に換算してのグラフの再現から(数値データは与えられていなかったのでグラフから概数を読み取っての再現).
(1) conversation transcription (CONV), fiction text (FICT), newspaper text (NEWS), academic text (ACAD) の4サブコーパス間の差が激しい.
- 原則として複数形をとらない不可算名詞も含めているとはいえ,すべてのサブコーパスで単数形が複数形よりも頻度が高い.
- 会話では単数形の頻度が比較的高い.
- 書き言葉では話し言葉よりも複数形の頻度が3--4倍も高い.
(2) 個々の名詞でみると,多くの名詞が単数形あるいは複数形のいずれかへの強い偏りを示す.
(3) 例えば,次の名詞は75%以上の割合で単数形をとる.ex. car, god, government, grandmother, head, house, theory.
(4) 例えば,次の名詞は75%以上の割合で複数形をとる.ex. grandchildren, parents, socks, circumstances, eyebrows, onlookers, employees, perks.
(1) に関して,単数形が圧倒的に多いこと自体はまったく不思議ではない.上述のように不可算名詞は原則として単数形しかあり得ない.また,ほとんどの可算名詞では単数形が lemma そのものであるし無標の形態でもある.ほかには,数の概念が中立化される場合,例えば hand in hand, from time to time などの慣用表現においては,単数形が用いられるのが普通である.
(2)--(4) に関して,名詞によって単数形か複数形への偏りを示すというのも驚くに当たらない.それぞれの語群を眺めれば,そこに "the communicative needs of the language user" (291) が反映されていることがはっきりと分かるだろう.名詞全体をならせば,「コミュニケーション上の必要性」が単数形に偏りそうだということも直感される.
では,会話で単数形の使用が多いというのは,どういうわけだろうか.Biber et al. (291--92) は次のように述べている.
In general, the high frequency of singular nouns in conversation probably follows from the concern of speakers with individuals: a person, a thing, an event. Writers of academic prose, on the other hand, are more preoccupied with generalizations that are valid more widely (for people, things, events, etc.). This same tendency applies not only to nouns, but also to determiners and pronouns (4.4.3.1, 4.12.1, 4.14.1, 4.15.2.1).
コーパス全体としては,複数形は一般名詞の2割程度しか占めないことになる.複数形の研究を専門とする(つまり複数形の例をなるべく多く集めなければならない)私にとっては,なかなか厳しい数値だなあ・・・.
・ Biber, Douglas, Stig Johansson, Geoffrey Leech, Susan Conrad, and Edward Finegan. Longman Grammar of Spoken and Written English. Harlow: Pearson Education, 1999.
目下 Martinet の Éléments de linguistique générale (邦題『一般言語学要理』)を少しずつ読み,一般言語学の諸概念について勉強し直している([2011-05-14-1], [2011-05-15-1], [2011-06-02-1], [2011-06-03-1]の各記事で Martinet の言葉を引用してきた).ようやくイントロ部のピークにさしかかったところだが,Martinet にとっての「言語 (langue) とは何か」 (43--44) を紹介しないわけにはいかない.拙訳つきで引用する.
1-14. Qu'est-ce qu'une langue?
Nous pouvons maintenant tenter de formuler ce que nous entendons par «langue». Une langue est un instrument de communication selon lequel l'expérience humaine s'analyse, différemment dans chaque communauté, en unités douées d'un contenu sémantique et d'une expression phonique, les monèmes : cette expression phonique s'articule à son tour en unités distinctives et successives, les phonèmes, en nombre déterminé dans chaque langue, dont la nature et les rapports mutuels diffèrent eux aussi d'une langue à une autre. Ceci implique 1o que nous réservons le terme de langue pour désigner un instrument de communication doublement articulé et de manifestation vocale, 2o que, hors cette base commune, comme le marquent les termes «différemment» et «diffèrent» dans la formulation ci-dessus, rien n'est proprement linguistique qui ne puisse différer d'une langue à une autre : c'est dans ce sens qu'il faut comprendre l'affirmation que les faits de langue sont «arbitraires» ou «conventionnels».
1-14. 言語 (langue) とは何か
我々はいま,「言語」で理解しているところのものを定義づけようと試みることができる.言語とは,人間の経験が,各共同体において異なるやり方で,意味内容と音声表現の付与された単位 (monème) へと分析される方法を表わすコミュニケーション手段である.この音声表現は,今度は弁別的で連続的な単位 (phonème) へと分節され,その数は各言語で決まっており,その性質と相互関係はそれ自身が言語ごとに異なっている.このことは二つのことを含意する.(1) 「言語」という用語は,二重に分節された,音声によって表現されるコミュニケーション手段を指すためにとっておくということ.(2) この共通基盤の枠外では,「異なるやり方で」や「異なっている」という語が示している通り,言語ごとに異なり得ない如何なるものも厳密には言語的ではない.言語の事実が「恣意的」あるいは「慣習的」であるという主張は,この意味において理解すべきである.
これほど明確に言語を相対化する視点はないだろう.人間は,母語や学んだことのある言語に自然と適応し,肩入れするものである.しかし,世界に約7000個あるとされる言語のそれぞれが恣意的で慣習的に定められた体系を体現しており,また限られた共同体で使用されているにすぎないことを知るとき,自らの知っている言語の存在の小ささに気付く.一方で,各言語は,慣習的な道具にすぎないといえども,信じられないほどに複雑な体系を表わしている.言語の不思議さを感じざるを得ない.
・ Martinet, André. Éléments de linguistique générale. 5th ed. Armand Colin: Paris, 2008.
[2010-08-28-1]の記事「発音の揺れを示す語の一覧」で,Longman Pronunciation Dictionary に取り上げられている揺れの例をリストしたが,今回は 1981年の BBC 発音ガイド( Robert Burchfield 編)で取り上げられているという発音の揺れの一部を示す( Crystal (62) に掲載されているものを持ってきただけ).BBC 推奨発音を左に,代替発音を右に示した.LPD で Preference Poll の結果が与えられている語についてはイギリス発音での使用比率もパーセントで示した.
Word | BBC recommended | Variant |
---|---|---|
adversary | /ˈædvəsəri/ | /ədˈvəːsəri/ |
apartheid | /əˈpɑːtheɪt/ | /əˈpɑːthaɪt/ |
apparatus | /ˌæpəˈreɪtəs/ | /ˌæpəˈrɑːtəs/ |
applicable | /ˈæplɪkəbl/ (15%) | /əˈplɪkəbl/ (85%) |
ate | /ɛt/ (55%) | /eɪt/ (45%) |
centenary | /ˌsɛnˈtiːnəri/ | /ˌsɛnˈtɛnəri/ |
centrifugal | /ˌsɛnˈtrɪfjʊgəl/ | /ˌsɛntrɪˈfjuːgəl/ |
comparable | /ˈkɒmpərəbl/ | /kəmˈpærəbl/ |
contribute | /kənˈtrɪbjuːt/ (41%) | /ˈkɑntrɪbjuːt/ (59%) |
controversy | /ˈkɒntrəvəːsi/ (40%) | /kənˈtrɒvəsi/ (60%) |
deity | /ˈdiːəti/ (20%) | /ˈdeɪəti/ (80%) |
derisive | /diˈraɪsɪv/ | /diˈraɪzɪv/ |
dilemma | /dɪˈlɛmə/ | /daɪˈlɛmə/ |
diphtheria | /dɪfˈθɪəriə/ | /dɪpˈθɪəriə/ |
dispute | /dɪsˈpjuːt/ (62%) | /ˈdɪspjuːt/ (38%) |
economic | /ˌiːkəˈnɒmɪk/ (62%) or /ˌɛkəˈnɒmɪk/ (38%) | <- both accepted |
envelope | /ˈɛnvələup/ (78%) | /ˈɒnvələup/ (22%) |
furore | /fjuˈrɔːri/ | /ˈfjʊərɔː/ |
homosexual | /ˌhɒməˈsɛksjuəl/ (59%) | /ˌhəʊməˈsɛksjuəl/ (41%) |
inherent | /ɪnˈhɪərənt/ (34%) | /ɪnˈhɛrənt/ (66%) |
kilometre | /ˈkɪləˌmiːtə/ | /kɪˈlɒmɪtə/ |
longitude | /ˈlɒnʤɪtjuːd/ (15%) | /ˈlɒŋgɪtjuːd/ (85%) |
medicine | /ˈmɛdsən/ | /ˈmɛdɪsən/ |
migraine | /ˈmiːgreɪn/ (61%) | /ˈmaɪgreɪn/ (39%) |
pejorative | /pɪˈʤɒrətɪv/ | /ˈpiːʤərətɪv/ |
plastic | /ˈplæstɪk/ (91%) | /ˈplɑːstɪk/ (9%) |
primarily | /ˈpraɪmərəri/ (49%) | /praɪˈmɛrəli/ (51%) |
privacy | /ˈprɪvəsi/ (88%) | /ˈpraɪvəsi/ (12%) |
sheikh | /ʃeɪk/ | /ʃiːk/ |
Soviet | /ˈsɒviɛt/ (27%) | /ˈsəʊviɛt/ (73%) |
status | /ˈsteɪtəs/ | /ˈstætəs/ |
subsidence | /səbˈsaɪdəns/ (47%) | /ˈsʌbsɪdəns/ (53%) |
trait | /treɪ/ | /treɪt/ |
RP ( = Received Pronunciation ) 「容認発音」の成立過程について,[2009-11-21-1]の記事「産業革命・農業革命と英語史」で簡単に触れた.RP は,18世紀後半,産業革命・農業革命の間接的な結果として生じた.19世紀には Eton, Harrow, Winchester などのパブリックスクールの発音と結びつけられ,やがて教養層の発音として広く認められるようになった.高い教育を受け RP を身につけた人々は大英帝国の政府官庁や軍隊のなかで権力を占め,RP は権威の言語となった.RP は社会的な変種であり地域的な訛りを含んでいないことから,1920年代,BBC 放送の立ち上げに際して規範的な発音として採用され,ますます人々の耳に触れるようになった.第2次世界大戦中には,BBC を通じて多くの人々に「 RP =自由の声」という印象が植えつけられ,その権威が広まった.
RP が200年にわたって英国内外に築き上げてきた地位は現在でも随所に感じられる.例えば,法廷,議会,英国国教会や他の国家的機関では広く聞かれる.また,イギリス英語をモデルとする EFL 学習者にとっては,事実上,唯一のイギリス発音といってよい.実際に,英国人の RP 話者よりも外国人の RP 話者のほうが多いだろう.さらに,英語研究上,最も注目を浴びてきた変種でもある.
しかし,現代の教養層からは,RP が古い価値観を体現する発音,posh な発音という評価も現われ始めており,かつての RP の絶対的価値は揺らいできている.メディアの発達により地域変種が広く人々の耳に入るようになって,以前よりも抵抗感や不寛容が和らいできたという理由もあろう.[2010-08-04-1]の記事「Estuary English」で見たとおり,他の変種がライバルとして影響力を高めてきているという事情もあるだろう.
Crystal (68) も述べている通り,現在,RP の歴史は下降期に入っているようである.
For the first time since the eighteenth century, the 'prestige accent' has begun to pick up some of the negative aura which traditionally would have been associated only with some kinds of regional speech.
・ Crystal, David. The English Language. 2nd ed. London: Penguin, 2002.
昨日の記事「言語の線状性」[2011-06-02-1]に引き続き,ヒトの言語の特徴について.すべての言語は二重に分節されている.言語のこの重要な特性は二重分節 ( double articulation ) と呼ばれる.
第一の分節は,言語化して伝達すべき物事を,Martinet が monème と呼ぶところの音形と意味がペアでカプセル化された記号(典型的には語)へ分節する過程である.拙訳とともに Martinet から引用する.
La première articulation du langage est celle selon laquelle tout fait d'expérience à transmettre, tout besoin qu'on désire faire connaître à autrui s'analysent en une suite d'unités douées chacune d'une forme vocale et d'un sens. (Martinet 37)
言語の第一分節は,伝達すべきすべての経験的事実や他人に知らせたいと望むすべての要求が,それぞれ音形と意味を付与された単位の連続へと分析される過程である.
La première articulation est la façon dont s'ordonne l'expérience commune à tous les membres d'une communauté linguistique déterminée. Ce n'est que dans le cadre de cette expérience, nécessairement limitée à ce quie est commun à un nombre considérable d'individus, qu'on communique linguistiquement. (Martinet 38)
第一分節は,規定の言語共同体の全成員に共通する経験を秩序づける方法である.数多くの個人にとって共通の物事に必然的に限られるこの経験の範囲内においてのみ,人は言語的にコミュニケーションをとることができるのである.
この第一分節により幾多の monème が切り出されるが,あくまで人間の記憶に耐えられるほどの有限個に抑えられる.monème は有限個だが,その組み合わせにより無限の表現を産することが可能であり,言語の経済性と効率性が確保される.ただし,上にも述べられているとおり,この経済性と効率性はあくまで分節の仕方を共有している限られた共同体内でのみ確保される点に注意すべきである.
第一分節により音形と意味からなる単位 monème が数多く切り出されるが,音形に関してはさらに小さな単位,弁別的な単位へと分析することができる.この第二分節によって,phonème 「音素」と呼ばれる単位が切り出される.例えば,フランス語の tête /tet/ は,/t/, /e/, /t/ の3つの分節音の結合として捉えられる.
Chacune de ces unités de première articulation présente, nous l'avons vu, un sens et une forme vocale (ou phonique). Elle ne saurait être analysée en unités successives plus petites douées de sens : l'ensemble tête veut dire «tête» et l'on ne peut attribuer à tê- et à-te des sens distincts dont la somme serait équivalence à «tête». Mais la forme vocale est, elle, analysable en une succession d'unités dont chacune contribue à distinguer tête, par exemple, d'autres unités comme bête, tante ou terre. C'est ce qu'on désignera comme la deuxième articulation du langage. (Martine 38--39)
上で見たように,第一分節による単位のそれぞれは,意味と音形を表わしている.その単位は,意味を付与されたより小さな連続する単位へと分析することはできない.tête 全体として「頭」を意味するのであり,tê- と -te に,合わせて「頭」を表わすことになるような区別された意味を付与することはできない.しかし,音形のほうは,一連の単位へと,すなわちそのそれぞれが例えば tête を bête, tante, terre のような他の単位と区別するのに貢献するような単位へと分析することができる.これが,言語の第二分節といわれるものである.
第二分節によって切り出された各音素はそれより小さい単位へは分解できないので,ここで分節の作業は終了する.この二つ目にして最後の分節により,せいぜい数十個に納まる数少ない phonème 音素を活用することによって,無数ともいえる monème を生み出すことができるのである.
言語における両分節の経済性と効率性ははかりしれない.
・ Martinet, André. Éléments de linguistique générale. 5th ed. Armand Colin: Paris, 2008.
ヒトの言語の顕著な特徴の1つに線状性 ( linearity ) がある.発話において自然界における重力のように重くのしかかる根本的な条件であり,これによって言語の構造が大きく制約されている.
言語の線状性とは,発話は時間に沿って継起するという原則である.発音器官の制限上,ヒトは同じ瞬間に異なる複数の音を発することができない.複数の音を出すには,時間に沿って順番につなぎ合わせるしかない.聞き手にとっても同様で,複数の言語音を同時に聞き分けるというのは,特殊な能力をもっていない限り不可能とはいわずとも難しい.ここから,各音の並び順が重要性を帯びることになる.例えば,英語で /t/, /ɒ/, /p/ はそれぞれ区別される音素だが,並び順によっては top, pot, opt などと異なる語が形成される.線状性は意味を違える機能を含んでいると言える.
線状性は音素の並びだけに適用されるわけではない.形態素,語,句,節,文といったより大きな単位も,線状に並べることでしか発話され得ない.現代英語のような語順重視の言語においては,Dog bites man. と Man bites dog. は大きな意味の差を示すが,これは線状性が論理的意味の弁別に大きく作用している例である.一方,格標示の発達した言語では,語句の並び順は必ずしも論理的な意味の差を生じさせない.日本語では「犬が人をかむ」の語順を変えて「人を犬がかむ」と表現することができる.ここから,音素より大きなレベルにおいては,線状性は意味を違える機能を含んでいることもあれば,必ずしもそうでないこともある,ということが分かる.しかし,上掲の日本語の例のように,語順の違いは強調や対比といった情緒的・文体的効果として現われることが多く,このレベルにも線状性が部分的に作用しているらしいことが分かる.
言語は,特に音素レベルにおいて,線状性という重力に制限されて存在する体系だといえるだろう.言語の線状性について,Martinet (40--41) の原文を拙訳つきで引用する.
1-10. Forme linéaire et caractère vocal
Toute langue se manifeste donc sous la forme linéaire d'énoncés qui représentent ce qu'on appelle souvent la chaîne parlée. Cette forme linéaire du langage humain dérive en dernière analyse de son caractère vocal : les énoncés vocaux se déroulent nécessairement dans le temps et sont nécessairement perçus par l'ouïe comme une succession.
1-10. 線状的形式と発声の特徴
すべての言語は,発話の連鎖としばしば呼ばれるものに相当する表現の線状的形式のもとで表出する.ヒトの言語のこの線状的形式は,結局のところ,ヒトの発声の特徴に由来する.音声表現は必ず時間に沿って展開するのであり,聴覚によって必ず一続きのものとして認識されるのである.
関連して,[2009-08-18-1]の記事「言語は世界を写し出す --- iconicity」の (3) も参照.
・ Martinet, André. Éléments de linguistique générale. 5th ed. Armand Colin: Paris, 2008.
昨日の記事「現代英語動詞活用の3つの分類法」([2011-05-31-1]) で参照した小林論文は補充法に関する考察だが,speculative ながらその結論がたいへん興味深い.ゲルマン諸語と古典語からの補充法の例を考察したあとで,小林 (47--48) は次のように述べている(原文の圏点は,ここでは太字にしてある).
このやうな現象は,それでは一體如何なる心理的事情に基いて發生したものであらうか.
以上引照した諸例は,それらが最も日常茶版的な,從つて使用されることの最も頻繁な語に屬するといふことを示してゐる.言換へれば,補充法によつて表現される觀念は,我々に最も親しいものばかりである.このとが我々の心理的解釋に對して鍵を與へる.
「人間は肉眼を以て物を見るときは,いつも空間的に手近な物が特に細かく眼に映るものであるが,それと同じく,心眼を以て物を見るときも――言語はその鏡であるが――表象界の事物を,それが話手の感覺と思惟に近ければ近い程一層細かく一層個別的に把握するものである」(オストホフ四二頁).
原始人にあつては,見るということと見たといふことと見るだらうといふこととは,質的に異つた三つの樣相であつたのであつて,それらは實踐的價値を異にしてゐた.見たといふことは,單に見るといふ行爲が過去に行はれたことを囘想するものではなくて,見たことは知得したことである.見たは即ち今知つてゐることを意味するのである.また善いこととより善いこととは,單に善さの量的段階ではなかつた.他人がより善いとは,彼が我に優ることである.それは我の存立を或は脅かし或は助けたであらう.また行動主を示す名格と,他者の行動を被る者を示す所の對格,與格等,いはゆる斜格とは,同一類に屬すべきものではなかつた.なかんづく代名詞の第一人稱に於てこの區別が必須であつた.我がなすときと我をなすときとでは,話手の關心の度合は全然別であつたのである.直系親族に於て異根的表現が用ひられ,傍系親族にあつては同根的表現が用ひられるやうな事例も(參考,vater : mutter. これに對して neffe : nichte )同樣にして説明が付く.或は又,數詞に於て,「三――第三」以上は大體に於て純正資料的に算へられてをりながら,「一――第一」,「二――第二」の二つのみは補充的に算へられる.なぜであるか.第一は物の始めである.一切の先端に位するものである.かくして「最も始め」(最上級)を意味する語形が要求される( first, prôtus, prīmus ).第二は第一に續くものである.或はそれから隔るものである.かくして比較級形が要求される( deúteros, secundus ).
之を要するに,原始人は物を質的に,個別的に,そして實踐的價値に基いて見たのである.之に反して文明人は物を量的に,總括的に,そして論物的價値に基いて見るのを特徴とする.言語の發展は具體的表象の世界から抽象的概念の世界への移行を如實に示してゐる.イェスペルセンは彼らは「これらの觀念に共通なるものを表現する力を缺いてゐた」(「言語」四二六)と見てゐるが,力を缺いてゐたのではなくて,恐らく興味を缺いていたのではあるまいか,サピアなどもさう見てゐるやうである.つまりは遠近法の相違である.
古代人の実相的・質的・単一的な発想という論題は speculative であり,実証はできないものの,文明史的な含蓄をもつ話題としておもしろい.
・ 小林 英夫 「補充法について」 『英語英文学論叢』7巻(廣島文理科大學英語英文學論叢編輯室編),1935年,39--49頁,1935年.
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