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deixis - hellog〜英語史ブログ

最終更新時間: 2024-11-22 17:50

2023-07-23 Sun

#5200. 場所の表現法 [onomastics][toponymy][deixis][conversation_analysis][pragmatics]

 場所を表現する方法 (place formulations) には,いくつかある.De Stefani (60) は,先行研究に言及する形で5つを提示している.それぞれについて思いついた例を添える.

 1. geographical formulations: 住所,緯度・経度,方角,距離
 2. relation to members formulations: 「鈴木君の家」「私の学校」
 3. relation to landmarks formulations: 「駅の前」「橋の近く」
 4. course of action places: 「私が初めて彼女と出会った駅」「このチーズを買ったスーパー」
 5. place names: 「慶應義塾大学三田キャンパス」「ロンドン」

 ほかに,「ここ」 (here) や「そこ」 (there) などの直示表現もあるだろう.
 おもしろいのは,同一の場所を指すにしても複数の表現方法があり得ることである.例えば,私にとって「ここ」は「東京都○○市○○町○○丁目○○番地○○号」であり,「私の家」でもあり,「この記事を書いている部屋」でもある.いずれの表現を選択するかは,私がどのくらいの解像度でその場所を指し示したいのか,聞き手がどの程度の事前知識を持ち合わせていると予想されるか,など複数のパラメータに依存する.
 例えば,観光客に駅への道を尋ねられた場合に,「あそこに見える2つ目の信号を右に曲がって150メートルくらいです」のようにランドマークや距離などの情報を与えつつ答えるということはよくあるが,決して「私が初めて彼女と出会った駅」や「鈴木君の家から見えるところ」とは答えないだろう.相互行為において様々なパラメータを考慮した上で最も適切に選ばれた回答が,良い回答となるのである.
 場所のみならず人を表現する方法についても同じようなことが言えそうである.では,(5) のように地名,そして人名を直接用いるケースというのは,どのような場合なのだろうか.cここにおいて,地名と人名などの名前を研究対象とする固有名詞学 (onomastics) は,語用論 (pragmatics) や会話分析 (conversation_analysis) などの分野と交わりをもつことになる.

 ・ De Stefani, Elwys. "Names and Discourse." Chapter 4 of The Oxford Handbook of Names and Naming. Ed. Carole Hough. Oxford: OUP, 2016. 52--66.

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2022-09-23 Fri

#4897. this apple の驚くべき多義性 [polysemy][semantics][pragmatics][demonstrative][deixis]

 ある人が,果物屋でリンゴを1つ取り上げながら,I like this apple. という英文を発話している場面を想像してください.私たちはこの英文を「私はこのリンゴが好きです」と容易に和訳できますし,その意味を完全に理解できていると思い込んでいますが,本当にそうでしょうか? この文がきわめて多義的となり得ることに気づいたことがあるでしょうか? とりわけ this apple の部分が意外と難しいのです.
 まず,this apple が unit の読みか type の読みかという多義性があります.「隣のリンゴではなく,今取り上げているこのリンゴ」というつもりであれば unit の読みとなりますが,「隣の箱の別品種のリンゴではなく,今取り上げているものが代表している品種のリンゴ(例えば「ふじ」)」であれば type の読みとなります.
 しかし,本当は type の読みにも様々な可能性があります.上記ではたまたま「品種」という観点から type 分けをしたのですが,type 分けには他の観点もあり得ます.国内産か否かという観点からの区分もあり得ますし,収穫された農園ごとの区分もあり得ます.大きさ,色,成熟度,値段という観点もあり得ます.実際の文脈では,いずれの観点からの type か,聞き手が高い確率で推測できるケースがほとんどだろうとは思いますが,this apple という表現に少なくとも潜在的な多義性があることは分かってきたのではないでしょうか.
 指示詞 this のもつ直示性に由来する意味論的・語用論的多義性,および名詞 apple の指示対象である「りんご」の意味論的・語用論的多義性が合わさって,一見すると何も難しいところのなさそうな this apple という表現の意味内容が,驚くほど複雑かつ多様であり得ることが分かったかと思います.
 以上,Cruse (50) の議論を参照して執筆しました.

 ・ Cruse, D. A. Lexical Semantics. Cambridge: CUP, 1986.

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2018-11-06 Tue

#3480. 人称とは何か? (3) [person][category][personal_pronoun][deixis][title][pidgin][fetishism]

 標題は,[2018-10-20-1], [2018-10-25-1]の記事の続編.『新英語学辞典』と The Oxford Companion to the English Language より, (人称)という用語を引くと,興味深い情報が得られた.英語の人称代名詞の用法の詳細についての話題が主となるが「人称」というフェチ的世界観の奥深さが垣間見える.いくつかを挙げよう.

 ・ Well, and how are we today? などにおける「親身の we」 (paternal we) は,1人称(複数)というよりも「総称人称」 (generic person) あるいは「共通人称」というべき.as we know なども同様.
 ・ 人称の指示対象と人称の文法上の振る舞いは異なる:たとえば the (present) writer, the author, the speaker などは,指示対象は1人称だが,文法上は3人称である.同様に your Majesty, your Excellency なども指示対象は2人称だが,文法上は3人称である.Does His Majesty wish to leave?Does Madam wish to look at some other hats? などを参照.関連して「#440. 現代に残る敬称の you」 ([2010-07-11-1]) も.
・ 逆に,Mother, where are you? のような呼びかけでは,3人称的な名詞を用いながらも,2人称的色彩が濃厚.
・ 各種の Pidgin English では "inclusive" な1人称複数 yumi (< "you-me") と,"exclusive" な1人称複数 mipela (< "me-fellow") が区別される (cf. 「#1313. どのくらい古い時代まで言語を遡ることができるか」 ([2012-11-30-1])) .
・ royal we という,きわめてイギリスらしい慣習.Victoria 女王による We are not amused. (← 一生に1度でも言ってみたい)を参照.
 ・ 日本語「こそあ(ど)」は各々1,2,3人称に対応すると考えられる.(← なるほど)

 ・ 大塚 高信,中島 文雄 監修 『新英語学辞典』 研究社,1987年.
 ・ McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992.

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2018-10-25 Thu

#3468. 人称とは何か? (2) [person][category][personal_pronoun][agreement][t/v_distinction][deixis][sobokunagimon]

 人称 (person) について,先日「#3463. 人称とは何か?」 ([2018-10-20-1]) で私見を述べた.より客観的に言語における人称を考えていくに当たって,まずは言語学用語辞典で person を引いてみよう.以下,Crystal (358--59) の記述より.

person (n.) (per, PER) A category used in grammatical description to indicate the number and nature of the participants in a situation. The contrasts are deictic, i.e. refer directly to features of the situation of utterance. Distinctions of person are usually marked in the verb and/or in the associated pronouns (personal pronouns). Usually a three-way contrast is found: first person, in which speakers refer to themselves, or to a group usually including themselves (e.g. I, we); second person, in which speakers typically refer to the person they are addressing (e.g. you); and third person, in which other people, animals, things, etc are referred to (e.g. he, she, it, they). Other formal distinctions may be made in languages, such as 'inclusive' v. 'exclusive' we (e.g. speaker, hearer and others v. speaker and others, but no hearer); formal (or 'honorific') v. informal (or 'intimate'), e.g. French vous v. tu; male v. female; definite v. indefinite (cf. one in English); and so on. There are also several stylistically restricted uses, as in the 'royal' and authorial uses of we. Other word-classes than personal pronouns may show person distinction, as with the reflexive and possessive pronouns in English (myself, etc., my, etc.). Verb constructions which lack person contrast, usually appearing in the third person, are called impersonal. An obviative contrast may also be recognized.


 なるほど,一口に人称といっても考慮すべき点はいろいろあるようだ.意味論・語用論的な観点からの人称の捉え方もあれば,文体的な問題としての人称もある.
 最後に触れられている obviative という3人称と区別される弁別的な人称の発想はおもしろい.いわば「4人称」である.Crystal (338) の同じ用語辞典より,説明を聞いてみよう.

obviative (adj./n.) A term used in linguistics to refer to a fourth-person form used in some languages (e.g. some North American Indian languages). The obviative form ('the obviative') of a pronoun, verb, etc. usually contrasts with the third person, in that it is used to refer to an entity distinct from that already referred to by the third-person form --- the general sense of 'someone/something else'.


 「オレ」「オマエ」「それ以外」という3区分に従えば obviative も3人称であるには違いなく,「4人称」とは不適切な呼称かもしれない.しかし,「4人称」という発想は,人称というフェチな世界観が(いくつかの言語においては)すでに言及されているか否かという談話の観点までも考慮しつつ,どこまでもフェチになりうる文法範疇であることを教えてくれる.

 ・ Crystal, David, ed. A Dictionary of Linguistics and Phonetics. 6th ed. Malden, MA: Blackwell, 2008. 295--96.

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2016-11-24 Thu

#2768. 移動動詞 come の直示性 [verb][deixis][pragmatics]

 多くの言語に,方向に関わる直示性 (deixis) がある.直示的方向表現には,hitherthither などを意味する接辞や形態素や小辞で表わされるものもあれば,comego のように移動動詞 (motion verb) などで表わされるものもある.
 よく知られているように,英語の go/come の使い分けは,日本語の「行く/来る」の使い分けとは若干異なる.話し手が聞き手に近づく動作は,日本語では「私はあなたのところへ行きます」と表現するのに対して,英語では I'll come to you と表現する.これは,英語 come と日本語「来る」の方向に関する直示性が異なっていることを示している.
 英語 come は,Fillmore の著名な研究によれば,少なくとも以下の5つの条件のもとで用いられるとされる(以下,Huang 161 より).

 (i) movement towards the speaker's location at CT [= coding time]
 (ii) movement towards the speaker's location at arrival time
 (iii) movement towards the addressee's location at CT
 (iv) movement towards the addressee's location at arrival time
 (v) movement towards the home-base maintained at CT by either the speaker or the addressee.

 具体的に John will come to the library next week. という文で考えてみよう.この文を発することができるのは,まず話し手が今図書館にいる場合である (= (i)) .次に,これは話し手が来週 John がやってくる時間に図書館にいる場合にも成立する (= (ii)) .さらに,聞き手が今図書館にいる場合 (= (iii)),あるいは来週の John がやってくる時間に図書館にいる場合 (= (iv)) にも使える.最後に,話し手や聞き手が実際に今あるいは来週に図書館にいるかどうかにかかわらず,図書館が話し手や聞き手の名目上の "home-base" (例えば,職場)である場合には,この文は成立する.例えば,話し手と聞き手がともにその図書館の司書であると仮定すると,次の文は問題なく成立する.John will come to the library next week, but both of us will be on holiday then.
 通言語的に come におよそ相当する移動動詞の直示性の条件が異なっているように,ある言語に限っても,通時的にその条件が変化してきたという可能性はある.後者は歴史語用論の話題となるが,そのような研究はすでにあるのだろうか.英語史でこの問題を探ってみるのもおもしろそうだ.
 deixis 一般については「#2680. deixis」 ([2016-08-28-1]) を参照.

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

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2016-11-03 Thu

#2747. Reichenbach の時制・相の理論 [tense][aspect][deixis][perfect][preterite][future][semantics]

 言語における時制・相を理論化する有名な試みに,Reichenbach のものがある.3つの参照時点を用いることで,主たる時制・相を統一的に説明しようとするものだ.その3つの参照時点とは,以下の通り(Saeed (128) より引用).

S = the speech point, the time of utterance;
R = the reference point, the viewpoint or psychological vantage point adopted by the speaker;
E = event point, the described action's location in time.


 この S, R, E の時間軸上の相対的な位置関係を,先行する場合には "<",同時の場合には "=",後続する場合には ">" の記号で表現することにする.例えば,過去の文 "I saw Helen", 過去完了の文 "I had seen Helen",未来の文 "I will see Helen" のそれぞれの時制は,以下のように表わすことができるだろう.

                                           
"I saw Helen"        ───┴───────┴───>
(R = E < S)               R, E             S
                                           
"I had seen Helen"   ───┴───┴───┴───>
(E < R < S)                E       R       S
                                           
"I will see Helen"   ───┴───────┴───>
(S < R = E)                S              R, E

 この SRE の分析によると,英語の時制体系は以下の7つに区分される (Saeed 132) .

Simple past(R = E < S)"I saw Helen"
Present perfect(E < S = R)"I have seen Helen"
Past perfect(E < R < S)"I had seen Helen"
Simple present(S = R = E)"I see Helen"
Simple future(S < R = E)"I will see Helen"
Proximate future(S = R < E)"I'm going to see Helen"
Future perfect(S < E < R)"I will have seen Helen"


 SRE の3時点の関係は様々だが,S = R となるのが現在完了,単純現在,近接未来の3つの場合のみであることは注目に値する.非英語母語話者には理解しにくい現在完了の「現在への関与」 (relevance to "now") という側面は,Reichenbach の理論では「S = R」として表現されるのである.

 ・ Reichenbach, Hans. Elements of Symbolic Logic. London: Macmillan, 1947.
 ・ Saeed, John I. Semantics. 3rd ed. Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2009.

Referrer (Inside): [2022-01-24-1] [2019-06-07-1]

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2016-08-30 Tue

#2682. 3人称代名詞を欠く言語 [japanese][personal_pronoun][person][deixis][category][cognitive_linguistics][pragmatics]

 「#2680. deixis」 ([2016-08-28-1]) に関わる文法範疇 (category) の1つに,人称 (person) がある.ただし,直接 deixis に関係するのは,1人称(話し手)と2人称(聞き手)のみであり,いわゆる3人称とはそれ以外の一切の事物として否定的に定義されるものである.「私」と「あなた」の指示対象は,会話の参与者が変わればそれに応じて当然変わるものであり,コミュニケーションにとって,このように相対的な指示機能を果たす1・2人称代名詞が是非とも必要だが,3人称については,絶対的にそれを指し示す名詞(句)だけを使っても用を足すことはできる.例えば代名詞「彼」や「彼女」を用いる代わりに,「鈴木」や「山田」と名前を繰り返し用いて済ませることも可能である.したがって,諸言語の人称代名詞体系において最も本質的なものは1,2人称であり,3人称は場合によってなしでも可である.
 Huang (137) は,3人称代名詞を欠く言語がありうる理由について,次のように述べている.

Third person is the grammaticalization of reference to persons or entities which are neither speakers nor addressees in the situation of utterance, that is, the 'participant-role' with speaker and addressee exclusion [-S, -A] . . . . Notice that third person is unlike first or second person in that it does not necessarily refer to any specific participant-role in the speech event . . . . Therefore, it can be regarded as the grammatical form of a residual non-deictic category, given that it is closer to non-person than either first or second person . . . . This is why all of the world's languages seem to have first- and second-person pronouns, but some appear to have no third-person pronouns.


 具体的に Huang が3人称代名詞を欠く言語として言及しているのは,Dyirbal, Hopi, Yéli Dnye, Yidiɲ, 及びコーカサス諸語である.
 実は,日本語にしても,人称代名詞をどのように考えるかという議論はあるが,3人称代名詞については古来指示代名詞の転用が一般的であり,独自のものはなかったといってよい.1人称はア・アレ,ワ・ワレ,2人称ではナ・ナレが固有の語幹としてあったのに対し,3人称は少なくとも独自の語幹をもつほどには発達していなかったからだ.
 ところで,日本語でも英語でも小さい子供が自分のことを1人称代名詞ではなく固有名詞で呼ぶ現象があるが,あれは相対的なものの見方や自我の発達と関係があるのだろうか.deixis は,その時々の立ち位置を定めた上での相対的な指示機能であるから,認知能力の発達と関係しそうではある.これは絶対敬語の問題とも関係し,広い意味で語用論の話題,deixis の話題といえる.

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

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2016-08-28 Sun

#2680. deixis [pragmatics][deixis][demonstrative][personal_pronoun][tense][adverb]

 語用論の基本的な話題の1つに deixis (ダイクシス,直示性)がある.この用語は,ギリシア語で「示す,指し示す」を意味する deikunúnai に由来する.Huang (132) の定義によれば,deixis とは "the phenomenon whereby features of context of utterance or speech event are encoded by lexical and/or grammatical means in a language" である.直示表現 (deictic (expression)) には,指示詞 (demonstrative),1・2人称代名詞 (1st and 2nd personal_pronoun),時制標識 (tense marker),時や場所の副詞 (adverb of time and place),移動動詞 (motion verb) が含まれる.
 何らかの deixis をもたない言語は存在しない.それは,deixis を標示する手段がないと,人間の通常のコミュニケーション上の要求を満たすことができないからだ.確かに「私」「ここ」「今」のような直示的概念なしでは,いかなる言語も役に立たないだろう.海辺で拾った瓶のメモに "Meet me here a month from now with a magic wand about this long." と書かれていても,誰に,どこで,いつ,どのくらいの長さの杖をもって会えばよいのか不明である.これは読み手が書き手の意図した deixis を解決できないために生じるコミュニケーション障害である.
 英語の直示表現の典型例として you を挙げよう.通常,話し相手を指して you が用いられ,時と場合によって you の指示対象は変わるものであるから,これは典型的な直示表現といえる.しかし,If you travel on a train without a valid ticket, you will be liable to pay a penalty fare. のように一般人称として用いられる you では,本来の直示的な性質はなりをひそめており,2人称代名詞 you の非直示的用法の例というべきだろう.
 直示表現のもう1つの典型例として,this を挙げよう.指さしや視線などの物理的なジェスチャーを伴って this table と言うとき,この this はすぐれて直示的な用法といえるが,物理的な行動を伴わずに this town と言うときには,この this は直示的ではあるがより象徴的な用法といえる.後者は前者からの発展的,派生的用法と考えられ,実際,ジェスチャー用法 (gestural) でしか用いられず,象徴的 (symbolic) な用法を欠いているフランス語の voici, voilà のような直示表現もある.言い換えれば,象徴的用法のみをもつ直示表現というのはありそうにない.
 以上より,直示表現の用法は以下のように分類される (Huang 135 の図を改変).

                                                    ┌─── Gestural
                                                    │
                         ┌─── Deictic use ───┤
                         │                         │
Deictic expression ───┤                         └─── Symbolic
                         │
                         └─── Non-deictic use

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007.

Referrer (Inside): [2016-11-24-1] [2016-08-30-1]

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2015-05-20 Wed

#2214. this, that が単独で人を指しにくい歴史的理由 [gender][deixis][gender][demonstrative][personal_pronoun][semantics]

 現代英語では,指示代名詞である this, that, these, those は各々単独で,人を指示することができる.しかし,単数系列にはある特徴がある.単数の this, that が単独で人を指す場合には,原則として軽蔑的な含意がこめられるというのだ(本記事では,This is John. のような人を紹介する文脈での用法は除くものとする).この用法に関心を示した Poussa (401) は,that のこの用法の初例として OED から1905年の例文を引いている.

'Would you like to marry Malcolm?' I asked. 'Fancy being owned by that! Fancy seeing it every day!' (Eleanor Glynn, Vicissitudes of Evangeline: 127).


 Poussa は,このような that(や this)の用法を,英語史上,比較的最近になって現われたものとし,社会的直示性を示す "comic-dishonourific" な用法と呼んだ.20世紀初頭ではこの用法はまだほとんど気づかれていなかったようで,例えば Jespersen (406) は,thisthat がそもそも単独で人を表わす用法はないと述べている.

While in the adjunctal function the plural forms these and those correspond exactly to the singulars this and that, the same cannot be said with regard to the same forms used as principals, for here this and that can no longer be used in speaking of persons, while these and those can. The sg of those who is not that who (which is not used), but he who (she who); similarly there is no sg that present corresponding to the pl those present


 元来 this, that が単独で人を指示することができなかったことと,新しい用法として人を指せるようにはなったものの,そこに否定的な社会的直示性が含意されていることとは,無関係ではないだろう.this, that が単独で人を指すのには,いまだ何らかの抵抗感があるものと思われる.
 しかし,さらに古く歴史を遡ると,古英語でも中英語でも,this, that は,確かに頻繁ではないものの,複数形の these, those とともに単独で人を指すことができたのである (Jespersen 409--10) .ここで,単独で人を指す this, that のかつての用法が,なぜ現代英語の直前期までに一旦消えることになったのかという,別の問題が持ち上がることになる.
 Poussa は,gender という意外な観点を持ち出して,この問題に迫った.3人称代名詞が単数系列では he, she と男女を区別し,複数系列では区別せずに共通して they を用いる事実と,指示代名詞の分布を関係づけたのである.

Choices in the PE 3rd Person Pronoun System (Poussa)

 上の図 (Poussa 405) に示したように,もとより性を区別しない複数系列では,人称代名詞の they はもちろん,指示代名詞 these, those も単独で人を指すことができるが,単数系列では性を区別できる人称代名詞 he, she のみが可能で,性を区別できない指示代名詞 this, that を用いることはできない.単数系列では,this, that は性を区別することができないがゆえに,その生起がブロックされるというわけだ.このことは,文法性として男性と女性を区別していた古英語の分布図 (Poussa 407) と比較すると,より明らかになる.

Choices in the OE 3rd Person Pronoun System (Poussa)

 古英語では,単数系列で指示代名詞が男性と女性を区別しえたために,単独で人を指すことも問題なく許容されたと解釈できる.後世の観点からすると,いまだ [-HUMAN] の意味特性を獲得していないということができる.
 Poussa は,近現代英語につらなる "HUMAN" という意味特性の発生は,古英語から中英語にかけての文法性の体系の崩壊と関連して生じたものであり,指示体系の新たな原理の創出の反映であるとみている.初期近代英語における his に代わる its の発展や,関係代名詞 whichwho の先行詞選択の発達も,同じ新しい原理に依拠しているといえるだろう (cf. 「#198. its の起源」 ([2009-11-11-1]),「#1418. 17世紀中の its の受容」 ([2013-03-15-1])) .
 Poussa の議論を受け入れるとすれば,後期古英語からの音声変化によって文法性の体系が崩れ,中英語期に形態論と統語論を劇的に変化させることとなったが,さらに近代英語期以降に,その余波が意味論や語用論にも及んできたということになる.英語史の壮大なドラマを感じざるを得ない.

 ・ Poussa, Patricia. "Pragmatics of this and that." History of Englishes: New Methods and Interpretations in Historical Linguistics. Ed. Matti Rissanen, Ossi Ihalainen, Terttu Nevalainen, and Irma Taavitsainen. Berlin: Mouton de Gruyter, 1992. 401--17.
 ・ Jespersen, Otto. A Modern English Grammar on Historical Principles. Part 2. Vol. 1. 2nd ed. Heidelberg: C. Winter's Universitätsbuchhandlung, 1922.

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2015-02-17 Tue

#2122. コンテクストの種類 [context][pragmatics][terminology][deixis][cooperative_principle][discourse_marker][demonstrative]

 言語使用の現場において,聞き手は話し手の発した発話に伴う意味論的な意味の上に,コンテクスト (context) などを参照して得られる語用論的な意味を付加して,全体としての意味を把握すると考えられている.コンテクスト参照のほかにも協調の原則,前提,含意など種々の語用論的演算に依拠して意味全体をとらえているものと想定されるが,ここではコンテクストに的を絞って,その種類を分類しておこう.
 東森 (13--15) によれば,発話に伴うコンテクスト (context) あるいは状況 (situation) には4つが区別されるという.

 (1) 発話状況 (utterance situation) あるいは物理的状況 (physical environment) .発話が行われている時間,場所.話者の動作や目配せなどのノンバーバル・コミュニケーション.例えば,発話しているのが朝か晩かにより Good morning.Good evening. かで挨拶を代える必要があるだろうし,発話している場所に応じて herethere の指示対象も変異する.また,ある飲み物を注ぎながら I'll pour. と言うとき,物理的状況から明らかなので,動詞の目的語を省略することが可能である.
 (2) 談話状況 (discourse situation) .談話は前後する発話の連続体であり,その流れのなかで理解されるべき事項がある.前の発話を参照して代名詞の内容を復元したり,省略された語句を補うようなこと.また,談話標識 (discourse marker) は前後の談話を何らかの関係で結ぶ働きをする点で,談話状況に敏感である.
 (3) 認知状況 (cognitive environment) .「世界についての話し手,聞き手の情報,そしてその情報のどれだけの部分がお互いの間で共有されているかといったことに関する認知状況」(東森,p. 14).皮肉や推論などの高度な語用論的言語使用では,しばしば聞き手には百科事典的な知識が豊富に求められる.例えば,談話のなかで一見指示対象のなさそうな she が突然用いられた場合,それは世間で今話題をさらっている女性を指している可能性がある.
 (4) 社会的状況 (social environment) .呼称語 (address term) や敬語を含むポライトネス (politeness) 表現は,話し手と聞き手の社会的な関係がわかっていなければ,正しく理解することができない.

 発話はそれだけで意味論的に理解されて終わっているわけではなく,多様で豊富なコンテクストからの入力を参照して語用論的にも解析されている.上にも示唆したが,この語用論的解析がとりわけ直接に関与するのが直示性 (deixis) の表現だ.人称詞や指示詞が典型だが,例えば this という指示詞の内容は,発話状況,談話状況,認知状況のいずれかを参照しなければ理解できないだろうし,後期中英語の thou は,発話状況や社会的状況を考慮せずには正しく理解できないだろう.

 ・ 東森 勲 「意味のコンテキスト依存性」 『語用論』(中島信夫(編)) 朝倉書店,2012年,13--32頁.

Referrer (Inside): [2016-12-20-1] [2016-12-19-1]

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2014-06-08 Sun

#1868. 英語の様々な「群れ」 [sapir-whorf_hypothesis][linguistic_relativism][language_myth][deixis][category][fetishism]

 サピア=ウォーフの仮説 (sapir-whorf_hypothesis) と関連して,ある文化において注目される事象(顕点)の語彙は細分化される傾向がある,といわれる.例えば,英語の rice に対し,日本語では「こめ」「めし」「白米」「ごはん」「ライス」「もみ」など複数の語が対応するという例がよく引き合いに出される.日本語では魚の名前が細分化されており,魚偏の漢字が多数あることも,日本の魚文化についてを物語っているともいわれる.
 しかし,語彙の細分化がその言語文化の顕点を表わす傾向があるということは否定しないが,一方で「#1337. 「一単語文化論に要注意」」 ([2012-12-24-1]) で取り上げたように,語彙の細分化のすべての例が同様に文化上の重要性を直接に体現しているかというと,そうはならない.文化的に顕著とは特に感じられないにもかかわらず,語彙が細分化されているというケースはある.指示詞について,1単語レベルでいえば,日本語では「これ」「それ」「あれ」の3種類が区別されるが,英語では thisthat の2種類のみであり,フランス語では ce 1種類のみである.また,4種類以上を区別する言語も世の中には存在する.この細分化の精度の違いはそれぞれの言語と関連づけらるる文化のなにがしかを反映している,と結論づけることは果たして可能なのだろうか.日本語の米や魚に関する語彙の多さは,日本文化と関連づけることが比較的容易のように思えるが,ものを数える際の「一本」「二足」「三艘」のような助数詞については,どうだろうか.言語と文化の関連性という問題は,単純には処理できない.
 私は,どの言語も,その文化に支えられているか否かは別として,何らかの点でフェティシズムをもっていると考えている.言語学の術語を使えば,言語ごとに特定のカテゴリー (「#1449. 言語における「範疇」」 ([2013-04-15-1]) を参照)が設定されているともいえる.例えば,多種多様な助数詞や敬語体系をもっている日本語は「数え方フェチ」「敬意フェチ」であり,単数か複数かを明示的に区別する英語(や多くの印欧諸語及びその他の言語)は(少なくとも日本語母語話者から見ると)「数フェチ」である.「かぶる」「着る」「履く」「つける」を区別する日本語は,wearput on で事足りると感じる英語母語話者からみれば「着衣フェチ」とも映るだろう.もう一度繰り返すが,これらの言語上のフェチが,それぞれ文化上の対応物によって規定されているのかどうかを知ることは,案外と難しい.文化的な支えのない,ただのフェチという可能性も十分にあるのだ.
 上に挙げた例はいずれも,英語では1単位だが日本語では複数の単位に対応するというものばかりだった.これでは英語にとって不公平なので,逆の例として日本語の「(人・動物の)群れ」に対応する,英語の多様な表現を挙げてみよう.

a bevy of quails, a cluster of stars, a covey of partridges, a crowd of people, a drove of oxen, a flight of birds, a flock of sheep, a gang of robbers, a group of islands, a herd of deer, a horde of savages, a pack of wolves, a pride of lions, a school of whales, a shoal of fish, a swarm of bees, a throng of ants, a troop of children


 他にも和英辞典や類義語辞典を繰れば,多様な表現が見出せるだろう.日本語でも類義語辞典を引けば,「群がり」「公衆」「群衆」「人群れ」「人波」「一群れ」「会衆」「衆人」「人山」「モッブ」「マス」「大衆」などが挙るが,動物の群れについて表現の多様性はない.
 語彙細分化の精度の違いは,文化に根ざしているものもあるだろうが,そうでないものもある.それらをひっくるめて,言語とはフェチである,そのようなものであると捉えるのが正確ではないだろうか.

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2012-01-26 Thu

#1004. this Sunday は前の日曜日か今度の日曜日か [demonstrative][deixis][determiner][japanese]

 [2012-01-24-1]の記事「#1002. this の不定指示形容詞としての用法」で取り上げた this の用法に関する質問とは別に,this について,もう一つ違う観点から質問が寄せられていた.this は非過去指向という理解でよいか,という質問である.
 this の中心的な語義として「目の前にある」が想定できそうだが,そうすると確かに時間的には現在か未来を指示すると考えるのが自然だ.that time に対する this time など,thatthis の対比表現によっても,「that = 過去」「this = 非過去」という等式の想定が容易になっている.
 しかし,this が過去を指示することは皆無ではない.標題の this Sunday は,単独では「来たる日曜日」と未来を指すものと解釈する向きが強いが,月曜日に直前の週末の出来事を語っているという文脈では,普通に用いられる.this weekend, this summer なども同様である.要するに,話者がより近いと感じている方の端点に this の矢印が向くのであり,その限りでは this が過去を指示することもある.同じ未来の一点を指す場合でも,this Sunday のほうが next Sunday より近接感があるとされるから,this の選択は時間軸上の向きにもまして,心理的な距離の近さが効いていることがわかる.上記の点では,日本語の「この日曜日」「この週末」「この夏」もまったく同じ使い方である.
 さて,日英の 近称指示代名詞「この」と this は,いずれの言語の deixis 体系においても,歴史的に比較的用法が安定している.一方,近称 this に対応する遠称 that は,[2009-09-30-1]の記事「#156. 古英語の se の品詞は何か」で触れたように,古英語決定詞 se からの分化であり,形態と機能の歴史はやや複雑だ.同様に,古代日本語でも,近称コ系列に対して中称ソ系列や遠称ア系列(あるいはカ系列)の位置づけは安定していない.奈良時代にはカ系列がほとんど例証されないことから,コとソの2系列だったとする説もあるし,ソ系列に現場指示(指さし)用法が発達したのは中古,本格的には中世だったことから,古代にソ系列を想定しない説もある(高山・青木,pp. 151--52).付け加えれば,フランス語の指示代名詞の deixis 体系 (遠近で区別のない ce のみ)も,ラテン語要素から歴史的に発展してきたものである.各言語の deixis の歴史的発展を対照的に研究するのもおもしろそうだ.

 ・ 高山 善行,青木 博史 編 『ガイドブック日本語文法史』 ひつじ書房,2010年.

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2012-01-25 Wed

#1003. Chaucer の特殊な this の用法,2種 [demonstrative][pragmatics][chaucer][deixis]

 昨日の記事「#1002. this の不定指示形容詞としての用法」 ([2012-01-24-1]) に関連して,this の読みひとつをとっても奥が深いことを実感した.日本語の「こそあど」もそうだが,deixis の関与する語句の語用論は実に複雑だ.
 指示形容詞としての this には,現代英語でも様々な用法がある.中英語ともなれば,語用論的な含意は,ますます直感的にはとらえにくくなるし,そもそも含意があることに気付くことすら難しい.今回は,Horobin (94--96) より,Chaucer に見られる語用論的に興味深い this の用法,2種をのぞいてみたい.
 一つ目は,人物名詞や名前に先行して this が用いられる場合で,「例の,くだんの」ほどの意を表わし,機能としては定冠詞に近い.Mustanoja (174) によれば,定冠詞に近い this の用法は古英語から見られるもので,"mainly a feature of vivid, colloquial, and often chatty style" として Chaucer や Gower でよく見られるとしている(口語的であるという点が,昨日の this の特殊用法と比べられる).確かに,口語色の強い The Miller's Tale で,"This Absolon", "This parissh clerk, this amorous Absolon", "this joly lovere Absolon" など,登場人物の名前に添えて使われる例が目立つ.ほかには,The Knight's Tale で,2人の騎士 Palamon と Arcite の描写が節ごとに交互に繰り返される部分では,各節の冒頭に "This Palamon", "This Arcite" などと this を添えることで,当該の節がどちらの騎士についての描写なのかを明示する談話上の役割が確認される.いずれの場合にも,this は単に定 (definiteness) を表わすだけの機能にとどまらず,追加的に談話上の役割を担っている.
 二つ目として,話者の "a contemptuous or patronizing attitude" (Horobin 96) を含意するという this の用法がある.以下は,語り手である Franklin が,主人公 Dorigen が夫の留守を嘆き悲しむ激しさを評して,「女というものは・・・」と,軽蔑交じりに述べている箇所である.

For his absence wepeth she and siketh,
As doon this noble wyves whan hem liketh. (F817--18)


 類例として,同じく The Franklin's Tale より.

'Go we thanne soupe,' quod he, 'as for the beste.
Thise amorous folk somtyme moote han hir reste.' (F1217--18)


 あたかも,いったん対象との心理的距離を縮め,身近に引きつけておいてから,突き放す(軽蔑する)という感じだろうか.両方の例で,this が共通して総称的に使われているのが気になるところだ.
 Chaucer の上記の2用法と,昨日取り上げた現代英語の this の用法との関連は不明だが,口語性,話者の心理的な引きつけという点では漠然とつながりそうだ.広い意味で,this の deictic な働きは,中英語より連綿と受け継がれているといえるだろう.

 ・ Horobin, Simon. Chaucer's Language. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2007. (esp. pp. 105--07.)
 ・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.

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2012-01-24 Tue

#1002. this の不定指示形容詞としての用法 [demonstrative][pragmatics][deixis]

 this の用法についての質問が寄せられた.NHKラジオ講座で,Tetsu と Joyce の次の会話が現われたという(赤字は引用者).

T: You're grinning from ear to ear, Joyce.
J: Tetsu, things are looking up!
T: Really? What's going on?
J: Remember that guy I was telling you about?
T: The new guy who works in your office?
J: Yes! He asked me out to dinner!
T: Excellent! Where's he taking you?
J: We're going to this unique hamburger joint.
T: But aren't you a pescetarian?
J: Not anymore!


 8行目の Joyce の発話にある this がここでの問題である.ここでの文脈を考えても,ハンバーガー店は近辺にないようだ.また,かつてこの2人が行ったことがある店であるという様子でもない.また,このスキットは1回読み切りで,前後の回との関連もない.
 結論からいえば,この this は,Joyce が念頭にある特定の「すごいハンバーガー屋さん」を内面化し,心理的距離が近いものとしてとらえているために発せられた this だろう.聞き手の Tetsu にとっては,具体的にどの店を指しているのかはわからないはずである.不定冠詞 a や,もっといえば a certain に近い用法だが,話者の内面化の事実が強調されている点で,勢いが感じられる.(この趣旨の読みで間違いないことは,英語母語話者の同僚に確認を取った.)
 この用法は,通常,辞書にも記載されており,珍しくはないが,日本語母語話者には感覚がつかみにくい.各学習者英英辞書の記載を,用例とともに比べてみよう.

OALD8:
6 (informal) used when you are telling a story or telling sb about sth
 ・ There was this strange man sitting next to me on the plane.
 ・ I've been getting these pains in my chest.

LDOCE5:
(SPOKEN PHRASES)
6. used in stories, jokes etc when you mention a person or thing for the first time:
 ・ I met this really weird guy last night.
 ・ Suddenly, there was this tremendous bang.

LAAD2:
4. spoken used in conversation to mean a particular person or thing, especially when you do not know their name:
 ・ Then this girl came up and kissed him on the lips.
 ・ When am I going to meet this boyfriend of yours?

Macmillan English Dictionary for Advanced Learners, 2nd ed.:
9 used for referring to a particular person or thing SPOKEN used in a story or a joke when you mention a person or thing without giving a name
 There was this big guy standing in the doorway.

MWALED:
5 --- used to introduce someone or something that has not been mentioned yet
<We both had this sudden urge to go shopping.>
笳?This sense of this is often used to produce excitement when telling a story.
<I was walking down the street when this dog starts chasing me. [=when a dog started chasing me]>
<Then these two guys come/came in and start asking her questions.>


 最後の MWALED の記述がほかよりも丁寧だろうか.全体的に言えることは,口語のくだけた文脈で,いきいきした表現を生み出すために,この this が使われているようだ.「物語風の描写」「具体的な名前は挙げずに」「興奮して」という要素を取り出すことができるが,これは,話し手のよく知っている(内面化している)ことを,聞き手には半ば謎めいたままに提示するという結果を生み出している.以上より,当面,この用法を「話し手の一方的な内面化」用法と呼んでおきたい.一般の英英辞書の記述も参考までに挙げておこう.

Web3:
1. f : being one not previously mentioned <I was waiting for the bus and this old man came along and asked me for a dime> <gave me a light from this big lighter off the table---J. D. Salinger>

American Heritage, 4th ed.
4. Informal Used as an emphatic substitute for the indefinite article: looking for this book of recipes.

SOED:
B. 1. d (In narrative) designating a person or thing not previously mentioned or implied, a certain. colloq. E20.


 最後の SOED の記述によると,20世紀前期からの口語用法ということになり,かなり新しい.もう少し歴史を調べようと,OED を引いてみると,II. Demonstrative Adjective. の 1. d. の語義が SOED のものに近そうだが,厳密に対応しているわけではない.したがって,歴史的な詳細は不明のままだ.中英語まで遡りうるかどうかと思い,MED"this" (adj.) を参照したが,対応する例はなさそうだ.

Referrer (Inside): [2012-01-26-1] [2012-01-25-1]

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2010-02-12 Fri

#291. 二人称代名詞 thou の消失の動詞語尾への影響 [pragmatics][personal_pronoun][conjugation][paradigm][deixis][t/v_distinction]

 英語史では,二人称代名詞の形態と機能の変遷はよく取りあげられるテーマの一つである.古英語では þūȝē はそれぞれ二人称の単数と複数を表し,単純に数カテゴリーに基づく区別をなしていた(屈折表は[2009-10-24-1]).
 中英語になると,thouye は,古英語からの数カテゴリーの基準に加え,[2009-10-29-1][2009-10-11-1]で触れたように,親称・敬称の区別を考慮に入れるようになった(屈折表は[2009-10-25-1]).T/V distinction と呼ばれる,語用論でいうところの社会的直示性 ( social deixis ) の機能が,単複の区別のうえに覆いかぶさってきたことになる.
 近代英語期には,thou が犠牲となり T/V distinction が解消されたが,同時に古英語以来の単複の区別も解消されてしまい,一般に二人称代名詞としては you だけが残った(屈折表は[2009-11-09-1]).
 中英語の T/V distinction やその対立解消の過程などは,語用論的な関心から英語史でもよく取りあげられるが,しばしば見落とされているのは thou の消失によって,単純化へ向かっていた動詞の屈折体系がさらに単純化したことである.thou が現役だった中英語期の動詞屈折をみてみよう.強変化動詞の代表として binde(n),弱変化動詞の代表として loue(n) の屈折表を掲げる.

ME Verb Conjugation

 中英語の段階では,数・人称による屈折語尾の種類は現在系列で -e(n), -est, -eth の3通りがあったが,これでも古英語に比べれば単純化している.過去系列にあってはさらに種類が少なく,事実上,弱変化二人称単数で -est が他と区別されるのみである.近代英語期に入ると,-e(n) も消失したので,動詞屈折の単純化はいっそう進むことになった.
 そして,近代英語期にもう一つだめ押しが加えられた.上に述べたように,語用論的な原因により thou が消失すると,thou に対応する二人称単数の屈折語尾 -est は現れる機会がなくなり,廃れていった.結果として,三人称単数の -eth (後に -s で置換される)のみが生き残り,現在に至っている.
 thou の消失が,英語の屈折衰退の流れに一押しを加えたという点は覚えておきたい.
 中英語期の動詞屈折については,以下のサイトも参照.

 ・ Horobin, Simon and Jeremy Smith. An Introduction to Middle English. Edinburgh: Edinburgh UP, 2002. 115--16.
 ・ Middle English Verb Morphology
 ・ ME Strong Verbs
 ・ ME Weak Verbs

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2009-10-11 Sun

#167. 世界の言語の T/V distinction [pragmatics][personal_pronoun][japanese][typology][deixis][t/v_distinction]

 日本語に呼びかけや指示のために用いる適切な二人称単数代名詞が欠けていることは,多くの日本語話者が,意識するにせよしないにせよ,日常的に体験していることである.「あなた」ではよそよそしく,「君」ではきざっぽく,「おまえ」では角が立つ,「そちら」や「お宅」もどうもふさわしくない.日本語話者は,日々,判断の難しいケースに遭遇し,何とか乗り切るということを繰り返している.多くの場合にとる戦略は,二人称代単数名詞を使わないですませる,という逃げの手である.その点,現代英語は,you 一語でことが足りる.なので,この問題に関する限り,日本語母語話者にとって英語は楽だな,便利だなと感じる.
 だが,英語も中英語にさかのぼると,二種類の二人称単数代名詞があった.自分より下位・同位の者に対して用いる thou と,自分よりも上位の者に対して用いる you である.もっとさかのぼって古英語では,両者の使い分けは単純に数の問題であり,前者は二人称単数(あなた一人),後者は二人称複数(あなたがた複数)を指した.しかし,中英語になって,二人称代名詞には話し手と聞き手の社会的直示性 ( social deixis ) の情報が埋め込まれることになった.その後,近代英語では thou がほぼなくなってしまい,社会的直示性の対立も解消され,現代英語に至っている.
 中英語の時代にあった thouyou に相当する社会的直示性の対立は,現代の多くのヨーロッパ語に見られ,フランス語の tu / vous の例から,一般に T/V distinction と呼ばれる.T が下位,V が上位の二人称代名詞を指す.
 さて,二人称表現における日本語と現代英語の差は,世界の言語の類型から考えても,確かに大きいようである.Helmbrecht によると,世界の言語は二人称単数代名詞の社会的直示性の観点から大きく4タイプに分けられる.

 (1) 現代英語のような T/V distinction のない言語
 (2) フランス語や中英語のような T/V distinction の二分法をもつ言語
 (3) ヒンディー語のような T と V の間に複数の段階が認められる多分法をもつ言語
 (4) 日本語のような,二人称単数代名詞の使用をできるだけ避けようとする言語

 (1)?(3) は social deixis の区別が粗いか細かいかという程度の問題だが,(4) は (3) のように多分法のリソースをもっているにもかかわらず,その区別を利用しないようにするという超越的なカテゴリーである.類型論的にみても,現代英語と日本語の差は相当に大きいといえる.

 ・ Huang, Yan. Pragmatics. Oxford: OUP, 2007. 166--68.
 ・ Helmbrecht, Johannes. "Politeness Distinctions in Second Person Pronouns." Deictic Conceptualisation of Space, Time and Person. Ed. Friedrich Lenz. 2003. 185--221.

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