英語史の時代区分について,本ブログでは periodisation のいくつかの記事で論じてきた.この問題は,英語史に限らず一般に○○史を扱う際には,最重要の問題だと思っている.歴史家にとって,時代の区分数,区分名,区分幅,区分点,区分法は,自らの歴史観を最も端的に提示する機会であり手段であるからだ.また,時代区分を下手に理解してしまうと,「#2640. 英語史の時代区分が招く誤解」 ([2016-07-19-1]) で論じたように,得るところよりも失うところが多いことにもなりかねない.この問題については,一度ゼミなどで議論してみたいと思っていたが,先日,1コマ時間を割いて,それを実践してみた.英語史や○○史の時代区分について一般的にいわれていることを概説した上で,時代区分を設けることの長所と短所を自由に議論してもらった.その結果のいくつかを簡単に箇条書きしておこう.
[ 時代区分の良い点 ]
・ 学習者にとっては,区分ごとに学んでいけばよいので学びやすい
・ ある時点や時期を参照するのに名前がついていると便利
・ 複数の時期を比較するのに便利
・ 時代につけられた名前により時代の典型的なイメージが喚起される
・ 適切な区分数で区切られていると何かと扱いやすい
[ 時代区分の問題点 ]
・ 時代間の連続性がつかみにくくなる
・ 区分数,区分幅,区分名などに恣意性が感じられる
・ 区切りの年だけが注目され,その他の年は平凡で平穏なものとしてとらえられる傾向が生じる
・ ある区分の時代の内部では,何も変化が起こっていないような印象を与えてしまう
・ 時代につけられた名前により喚起されるイメージとは異なる歴史的事件が起こった場合,それをその時代に典型的でない不自然な出来事ととらえる視点が形成されてしまう
他にもいろいろあったが,とりあえず重要なものを列挙してみた.時代区分の便利な点を一言でいえば,特定の時点・時期を参照するのにたいへん優れているということだ.しかも,その時代に,その時代を象徴・代表する適切な名前をつけることによって,典型的なイメージが喚起されやすい.この点では,単に「○○世紀」や「紀元前○○年」というような数字による参照よりも,格段に優れている(ただし,そのかわりに参照の時間的正確さは少々犠牲となる).
時代区分の問題点について最も重要なのは,ある時代区分により各時代に幅と名前が与えられると,各時代の内部に生じているはずの諸々の出来事が一緒くたにまとめられてしまい,あたかも変化の乏しい平坦な時間が流れているかのような錯覚が引き起こされることだ.逆に,時代区分の境目の年代には,突如として大きな変化が生じたかのような錯覚が生じがちだ.だが,実際には,歴史における変化は,程度の差こそあれ緩やかなスロープであることが多いのである.本来はスロープなのに,時代区分を設けることで,あたかも階段であるかのように錯覚してしまうという点で,問題である (「#2628. Hockett による英語の書き言葉と話し言葉の関係を表わす直線」 ([2016-07-07-1]) を参照).歴史記述の観点からいえば,歴史的断続を主張したいときには,時代区分とそれに与える名前を工夫することでその目的を達成できるということであり,歴史的連続性を強調したいときには,時代区分はむしろ邪魔となることすらあるということである.
この問題については,今後も考察していきたい.
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