昨日の記事 ([2016-11-28-1]) の続編.今回は,英語史における標準化と規範化の試みが語彙→文法→発音の順序で進んでいったのはなぜか,という問いについて考えてみたい.この順番に関する議論はあまり読んだ記憶がないが,考察してみる価値はありそうだ.
まず,歴史的事実を改めて確認しておくが,昨日説明したように,およそ語彙→文法→発音の順で進んだということは言えそうだ.しかし,注意しなければならないのは,それぞれの部門の標準化・規範化の期間には当然ながらオーバーラップする部分があることだ.語彙が終わってから文法が始まり,文法が終わってから発音が始まった,というような人工的な区切りのよさが確認されるわけではない.規範主義者たちが,最初から問題を3部門に切り分け,数世紀の時間をかけて "divide and conquer" しようと計画していたわけでもなさそうだ.
1つ考えられるのは,この順序は標準化・規範化の取り組みやすさと関連しているのではないかということだ.言語を標準化・規範化するというときに対象となるのは,たいてい話し言葉よりも書き言葉が先である.それは,書き言葉に関する規則ほうが制定・公表・普及しやすいという事情があったろう.その効果も,書き言葉という持続的な媒体に残るほうが,評価しやすい.言語の標準化・規範化の目的が国家の威信を内外に示すという点にあったとすれば,その効果はまさに目に見える形で現われ,残ってくれないと困るのである.そうだとすれば,語彙および綴字が,最も見えやすく,具体的に,手っ取り早く片付けられる部門ということになりそうだ.
次に,語彙よりも抽象的ではあるが,やはり「正しい書き言葉」と強く結びつけられる部門である文法がターゲットとなる.こうして書き言葉の肉(=語彙)と骨(=文法)が完成すれば,初期近代英語からの標準化・規範化の課題は最低限のところ達成されたことになるだろう.
さらにもう一歩進めるとなれば,ターゲットを書き言葉から話し言葉へ移すよりほか残されていない.しかし,人々の話し言葉を統制するということは,古今東西,著しく困難である.実際,「#1456. John Walker の A Critical Pronouncing Dictionary (1791)」 ([2013-04-22-1]) の衝撃は,後に容認発音 (rp) が発達する契機となりはしたが,実際に容認発音を採用するようになった人は,現在に至るまで少数派であり,大多数の一般大衆の発音は「統制」されていない.つまり,発音の標準化・規範化は,語彙や文法に比べて「成功している」とは言い難い(もっとも,語彙や文法とて,どこまで「成功している」のかは怪しいが,相対的にいえばより「成功している」ように思われる).
英語史における言語の標準化・規範化は,上記のように,規制とその効果の見えやすさ,換言すれば取り組みやすさの順で進んだということができるのではないか.
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