「#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由」 ([2016-11-15-1]) で,Swift のアカデミー設立の提案に意義を唱えた John Oldmixon について触れた.そこでは,Oldmixon が Swift への唯一の反対者であるとする Baugh and Cable の主張を引用したが,実際には Swift の英語蔑視に近い英語観に不快感を示す同時代人は他にも確かにいた.Swift は,英語の単音節性などを指摘しつつ,英語を卑俗言語と軽んじていたが,16世紀以来実績を積んでいたアングロサクソン学の世界からは,そのような Swift の英語観に対する反発の声が上がっていた.その代表者の1人が先の John Oldmixon (1673--1742) だったが,もう1人注目すべき研究者――女性研究者――として Elizabeth Elstob (1683--1756) の名前を挙げないわけにはいかない.
Swift の英語蔑視の根拠は,上にも述べたように,単音節性というような表面的な特徴にあった(「#1947. Swift の clipping 批判」([2014-08-26-1]) を参照).これは明らかに偏見に満ちた視点であり,Swift のなかでは英語のみならずゲルマン諸語全般への蔑視とロマンス諸語の称揚が密接に結びついたかたちで存在していた.要するに,言語に対する偏見と無理解があったのである.アングロサクソン学者に対しても「低能で勤勉」という侮蔑的な評価を与えており,学者たちの怒りを買う始末となった.
Elstob は,そんな怒れるアングロサクソン学者の1人だった.予想されるように,当時,女性のアングロサクソン研究者というのは稀である.女性は同時代の英語の読み書きができれば十分という時代に,古英語の文献を読みこなすばかりか,編集し,出版してしまうほどであるから,その才気煥発ぶりは推して知るべしである.1715年には古英語の本格的な文法書 The Rudiments of Grammar for the English Saxon Tongue を出版したが,その序文こそが,アングロサクソン学を軽視する Swift への反論という体裁をとっていたのである.
Elstob は,その序文で,Swift の個人名こそ挙げていないが「教養ある人たち」という表現で暗に Swift を指し,彼の無知蒙昧さを批判した.単音節性の問題については,ラテン単語の多くが単音節語であると返しつつも,単音節性はむしろ美徳であると反駁した.Elstob は,Swift を相手取ってアングロサクソン学界の思いを代弁したともいえる.
Elstob の批判が決定的に利いたからというわけではないが,Swift のアカデミー設立の提案は,Elstob の古英語文法書の出版時までには,事実上,成功の見込みを失っていた.1714年に,提案の理解者であった Anne 女王が亡くなっていたからである.しかし,Elstob や Oldmixon のような「政敵」がいなければ,Swift は順調にことを進めることができたという可能性はある.いまだに英語圏に英語を統制するアカデミーが良くも悪くも存在しないのは,18世紀初頭に Elstob のようなアングロサクソン学者が地味ながらも地道な研究を続けていたことが,いくらか関わっているのかもしれない.
以上,武内著の第13章「国語浄化大論争:スウィフト vs. エルストッブ」を参照して執筆した.
・ 武内 信一 『英語文化史を知るための15章』 研究社,2009年.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow