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父王 Henry II のアンジュー帝国を引き継いだ獅子心王 (Coeur de Lion or Lion-Heart) こと Richard I (1157--99,在位 1189--99) は,世間には人気の高い歴代イングランド王の1人である.第3回十字軍に参加してイェルサレムを目指し,善戦してサラディンとの和平を結ぶも,帰路に捕虜として捕えられ,莫大な身代金によりようやく釈放されて帰国し,戴冠した.この波瀾万丈なキャリアが,人々の関心を集めるのだろう.
しかし,イングランドの統治者としては,相当にひどいタイプである.何しろ在位10年ほどの間のほとんどを,遠征などのために大陸で費やしており,イングランドへの訪問は2回のみ,しかも総滞在期間はわずか6か月という始末である.当然ながら,「#1204. 12世紀のイングランド王たちの「英語力」」 ([2012-08-13-1]) で述べたように,英語には一切関心がなかった.ちなみに,王妃ベレンガリアに至っては,一度もイングランドの地を踏んでいないというから,さらに上手だ.
遠征にかかる費用や身代金のために借金地獄に陥った Richard I は,税収を確保するために国璽 (Great Seal) の改訂という驚くべき手段に訴えた.王家や王国の収支証明書は,国璽がないと無効になる.この国璽を改訂することによって,それまでに発行していた証明書を無効にする,つまり借金を反故にするという狙いである.おもしろいのは,図案の改訂の仕方である.改訂前の国璽に描かれている楯には,立ち上がったライオンが見え,おそらく見えない部分も合わせてライオン2頭が向かい合う図案だったと思われる.ところが,改訂後の国璽の楯には,歩き姿のライオン3頭が描かれている.この新図案は,後にイングランド王家に受け継がれていく紋章の図案であり,実際に現在でも用いられている(cf. 「#433. Law French と英国王の大紋章」 ([2010-07-04-1])).
この改訂について,森 (67--68) は次のように述べている.
ヨーロッパの紋章は,十字軍遠征に参加した騎士たちの間で,既に紋章を持ち始めたドイツ騎士たちのものに,各国の騎士が異常なほど関心を示して,これが一挙といえるほどに,各国への紋章の普及に貢献した.私見ではあるが,リチャード一世の最初の玉璽に見える楯のデザインは,決してスマートなものとは思えないし,リチャードも聖地で目にした他国の進んだ紋章デザインに刺激されて,二度目のシールにみるような楯に変えたのではなかろうか.
国璽の改訂は,いわば国王 Richard I の財政的愚行を象徴するできごとだったわけだが,それが現イギリス女王にまで引き継がれているというのが,なんとも皮肉である.なお,現行の大紋章の下部にある Dieu et mon droit (神とわが権利)というフランス語のモットーは,Richard I の戦場での雄叫びに由来するという.Richard I は,イギリスの紋章史においては絶大な影響力を誇った王といえるだろう.
英語史の観点からは,Richard I がそれほどまでにイングランド統治を無視してきたという事実に注目したい.これは英語に対する無関心ということでもあった.この言語的無関心により,英語は内外から締めつけられることなく,自由闊達に,ありのままの変化と変異を謳歌しつつ,豊かな言語へと成長していったのである.
・ 森 護 『英国王室史話』16版 大修館,2000年.
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最終更新時間: 2024-10-26 09:48
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