デイヴィスとレヴィット (168--69) は,ノルマン征服 (norman_conquest) が地名(史)に及ぼしたインパクトについて次のように述べている.
英語圏内にみられる様々な方言への分岐が加速されたことであった.このため,英語は統治のための手段ではなくなり,全国どこでも通じる意志〔ママ〕伝達の均一の手段ではなくなってしまった.また,以前とは違って,教育や文学のための言語でもなくなった.その結果,どんな言語にでも常に息づいている,方言として周囲に拡散する傾向が自由を得て,これまで英語に存在していた保守的な勢力が消滅していった.従って,英語は豊かな方言形式を発達させ,方言は地名に大きな影響を与えた.地名の成立にではなく,時代を経ての地名継承のあり方に大きな影響を及ぼした.
この点はなるほどと思った.標準語が存在する言語においては,一般語彙に関して,広く通用する「標準形」と各地で行なわれる種々の「方言形」がありうる.しかし,地名語彙には,通常「標準形」と「方言形」という区別はない.地名は広く参照される語なので,機能的には標準的でなければならないが,形式的には標準的とされるものが採用される必要はない.それは,地名が何かを意味している必要はなく,その場所を参照していればよいという記号論的に特殊な性質を持ち合わせていることと関係しているだろう(この点については,「#2212. 固有名詞はシニフィエなきシニフィアンである」 ([2015-05-18-1]),「#2397. 固有名詞の性質と人名・地名」 ([2015-11-19-1]) を参照).
中英語期の方言分化と地名の関係がよく見える形で表われている例の1つが,hill や mill の母音の変異である.「#1812. 6単語の変異で見る中英語方言」 ([2014-04-13-1]) でみたように,この母音は南東部では e として,西部では u として,それ以外では i として実現される.それぞれの分布について,デイヴィッドとレヴィット (216--17) に次のように記述がある.
e を用いていた地域(主にケント)からはヘルステッド (Helsted),ワームズヒル(Wormshill, 1232年の記録では Wodnesell, 意味はおそらく Woden's Hill 「ウォドンの丘」),ミルトン (Milton, カンタベリーの近く.tun by a mill 「粉引き場の近くの町」の意味で,1242年の記録では Meleton).
u を用いていた地域からはスタッフォードシャーのペンクハル (Penkhull, ブリトン語の人名 Pencet に英語の hill が付け加えられている),グロスターシャーのラッジ(Rudge, ridge 「山の尾根」),ランカシャーのハルトン (Hulton, tun on a hill 「丘の上にある町」),スタッフォードシャーのミルトン (Milton) は以前 (1227年)は Mulneton だった.
i を用いていた地域からの例は多数あり,最初期の頃にしばしば u が用いられ,その起源はイースト・ミッドランド及び北部の方言形 i が別個に発展する以前に遡る.
地名学,方言学,音変化の研究は,ともに手を携えて進むべき仲間である.
・ デイヴィス,C. S.・J. レヴィット(著),三輪 伸春(監訳),福元 広二・松元 浩一(訳) 『英語史でわかるイギリスの地名』 英光社,2005年.
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