「歴史上の大事件と英語」

2018年10月27日 大阪慶友会(ドーンセンター)

堀田 隆一

「hellog〜英語史ブログ」 url: http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/

はじめに

言語は,それを話す人々とその社会によって形作られてきた歴史的な産物である.英語も日本語も例外ではない.

英語は,イングランドへのキリスト教伝来,ヴァイキングの侵攻,ノルマン征服,黒死病,印刷術の発明,宗教改革,ルネサンス,アメリカ独立戦争,大英帝国の拡張などの大事件や,その他無数の日々の営みの積み重ねによって形成されてきた.歴史的事件と現在の英語の姿との間にいかに深い関係があるか,探っていこう.

英語史の魅力

  1. 歴史的・通時的なモノの見方が身につく!(cf. 堀田による連載「現代英語を英語史の視点から考える」第1回「『ことばを通時的に見る』とは?」
  2. 英語の見方が180度変わる!
  3. 英語と歴史(社会科)がミックスした不思議な感覚の科目!
  4. 素朴な疑問こそがおもしろい!
  5. 必ず現代英語に戻ってくる英語史!

取り上げる話題

  1. キリスト教伝来と英語
  2. ノルマン征服と英語
  3. アメリカ独立戦争と英語

I. キリスト教伝来と英語

Undley Bracteate

「キリスト教伝来と英語」の要点

  1. ローマン・アルファベットの導入
  2. ラテン語の英語語彙への影響
  3. 聖書翻訳の伝統の開始

ブリテン諸島へのキリスト教伝来 (#2871)

c405ラテン語訳聖書 (The Vulgate) 翻訳完成
432St. Patrick がアイルランドで布教開始
449Angle, Saxon, Jute の英国侵入開始
c563St. Columba がスコットランドで布教開始(北から南下するアイリッシュ・キリスト教)
597St. Augustine ケントで布教開始(南から北上するローマ・カトリック教)
635Aidan がリンディスファーンへアイリッシュ・キリスト教を導入
664Whitby 宗教会議(キリスト教2派の対立を収拾するための宗教会議)
731Bede が『英国民教会史』をラテン語で著わす
782Alcuin がシャルルマーニュの宮廷に入る

1. ローマン・アルファベットの導入

  1. ゲルマン人はもともと「ルーン文字」を使用
  2. 文字文化は限定的だった
  3. しかし,597年のキリスト教伝来とともにローマン・アルファベットが導入
  4. 文字文化が本格的に開始

ルーン文字とは?

Anglo-Saxon Runic Script

ルーン文字の起源

  1. ルーン文字とローマン・アルファベットの関係 (#1822)
  2. アングロサクソンの fuþorc (#1006)
  3. ルーン文字の文字文化 (#1009, #2991)

知られざる真実 現存する最古の英文はルーン文字で書かれていた!

  1. Undley bracteate (#572)
  2. The Caistor rune (#1435)
  3. Franks Casket (#1453)

古英語アルファベットは27文字 (#3038)

古英語:   a æ b c d e f g h i (k) l m n o p (q) r s t þ ð u ƿ (x) y (z)

現代英語: a   b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z

2. ラテン語の英語語彙への影響

abbot 「修道院長」, altar 「祭壇」, angel 「天使」, anthem 「聖歌」, candle 「ろうそく」, canon 「法規」, cleric 「聖職者」, deacon 「助祭」, demon 「悪魔」, disciple 「使徒」, gloss 「注解」, grammar 「文法」, hymn 「賛美歌」, martyr 「殉教者」, mass 「ミサ」, master 「先生」, minster 「大寺院,大聖堂」, monk 「修道士」, noon 「九つの時(の礼拝)」, nun 「修道女」, palm 「しゅろ」, pope 「ローマ教皇」, priest 「司祭」, prophet 「預言者」, psalm 「賛美歌」, psalter 「詩篇」, school 「学校」, shrive 「告解する」, temple 「神殿」, verse 「韻文」

ラテン語からの借用語の種類と謎

  1. キリスト教徒ともにもたらされたラテン借用語 (#32)
  2. それ以前のラテン借用語と合わせて500語以上が流入 (#1437)
  3. 意味借用の事例 (#2149)
  4. なぜラテン語 deus が借用されず英語 God が保たれたのか (#1619)

外来宗教が英語と日本語に与えた言語的影響の比較 (#206)

 英語(イングランド)日本語(日本)
地勢大陸の西の島国大陸の東の島国
外来宗教キリスト教仏教
伝来の時期6世紀末6世紀半ば
文字の導入ローマン・アルファベット漢字
借用語彙キリスト教関連用語仏教関連用語 (#1869)

3. 聖書翻訳の伝統の開始

  1. 英語の聖書翻訳の歴史 (#1709, #1427)
  2. 各時代の英語での「主の祈り」
  3. 聖書にまつわる多数の慣用表現

各時代の英語での「主の祈り」の冒頭 (#1803)

  1. 天におられるわたしたちの父よ,御名が崇められますように。(新共同訳より)
  2. Our Father in heaven, hallowed be your name. (1989年の The New Revised Standard Version より)
  3. Our father which art in heauen, hallowed be thy name. (1611年の The Authorised Version (The King James Version)より)
  4. Oure fadir that art in heuenes, halewid be thi name; (1388--95年の Wycliffite Bible (Later Version) より)
  5. Fæder ūre þū þe eart on heofonum, Sī þīn nama gehālgod. (1000年頃の古英語訳 West-Saxon Gospels より)

聖書に由来する表現 (#1439)

Adam and Eve, add fuel to the fire, Alpha and Omega, apple of [one's] eye, Babel, build a house on sand, camel through the eye of a needle, cast pearls before swine, flies in amber, forbidden fruit, good Samaritan, in the beginning was the Word, laugh [one] to scorn, leading the blind, leopard changing his spots, lost sheep, many are called, money is the root of all evil, my name is Legion, nothing new under the sun, old serpent, sabbath was made for man, salt of the earth, scales fall from [one's] eyes, scapegoat, serve two masters, shibboleth, stony ground, ten commandments, thief in the night, thou shalt not, threescore years and ten, tomorrow will take care of itself, tree of knowledge, turn the other cheek, two heads are better than one, two-edged sword, vanity of vanities, weeping and wailing, woe is me

「キリスト教伝来と英語」のまとめ

キリスト教伝来は英語に

  1. ローマン・アルファベットによる本格的な文字文化を導入し,
  2. ラテン語からの借用語を多くもたらし,
  3. 聖書翻訳の伝統を開始した

点で,英語史上に計り知れない意義をもつ.

II. ノルマン征服と英語

Halley's Comet in Bayeux Tapestry

「ノルマン征服と英語」の要点

  1. ノルマン征服とは?
  2. 英語への言語的影響は?
  3. 英語への社会的影響は?

1. ノルマン征服とは? (Norman Conquest)

  1. 1066年に起こった英国史上最大の事件
  2. ノルマン人によるアングロサクソン王国の征服 (cf. 征服の多い島国 (#159))
  3. ウィリアム1世「征服王」 (William I the Conqueror) によるノルマン王朝の開始
  4. イングランドの政治,社会,文化が一変
  5. 英語にも多大な影響を及ぼした

ノルマン人の起源

  1. "Norman", "Normandy", "Norse" (#1568)
  2. 「ノルマン」 (= Norman) は古代北欧語の "Norðmaðr" (= Northman) から
  3. 8世紀後半からイングランドを苦しめていたヴァイキングの一派
  4. ウィリアム1世の家系 (#2685)
  5. したがって,ノルマン征服は,ある意味で2度目のヴァイキングによる侵略とも

ノルマン人の流入とイングランドの言語状況

  1. ノルマン・フランス語 (Norman French) を母語とする話者がイングランドへ移住(主として王侯貴族や高位聖職者)
  2. しかし,全体としてはイングランド人口のわずか5%ほど (#338)
  3. 95%のイングランド人の母語は英語のまま
  4. 一方,やがて英仏語のバイリンガルも現われるように (#661)
  5. 「フランス語=上位」「英語=下位」の社会 (#1203)
  6. 12世紀のイングランド王たちの「英語力」 (#1204)
  7. Cf. 英国君主の大紋章 (#433) とその変遷の歴史

2. 英語への言語的影響は?

  1. 語彙:フランス借用語(句)が大量に流入し,語彙体系が大幅に再編成
  2. 語形成:フランス接辞の導入と混成語の誕生
  3. 綴字:フランス式綴字習慣の導入
  4. 発音と文法:直接的な影響は少ない

語彙への影響

  1. 中英語期 (1100--1500) を中心に1万語が流入
  2. 特に1250--1400年に多く借用された (#117, #1205, #2349)
  3. 現代英語には7500語ほどが残る
  4. Cf. 現代英語の語種比率(#1225, 及び#1645のリンク先)

英語語彙におけるフランス借用語の位置づけ

  1. 政治,法律,軍事,文化を含む様々なジャンルの語句 (#1210)
  2. 基本語から専門語までの広い守備範囲をカバー
  3. 動物と肉の語彙 (#331)
  4. 本来語とフランス借用語のなす「2層構造」 (cf. #2977)
  5. ノルマン征服後の英語人名のフランス語かぶれ (#2364)
  6. 句の借用 (#2351)

語形成への影響 (#96)

混種語 (hybrid) の形成

  1. フランス語の語幹に本来語の接辞がついたもの
    colourless, commonly, courtship, dukedom, faintness, faithful, noblest, peacefully, preaching
  2. 本来語の語幹にフランス語の接辞がついたもの
    enlightenment, fishery, goddess, hindrance, loveable, mileage, murderous, oddity

綴字への影響

  1. OE hus → ME house
  2. OE cild → ME child
  3. OE cwic → ME quick
  4. OE lufu → ME love (#374)

3. 英語への社会的影響は? (#2047)

ノルマン征服の英語史上の最大の貢献は,英語を社会的下位の言語へと貶めることにより,英語から書記規範を奪い去って,英語を話し言葉のみの世界へ解き放ち,自由闊達で天衣無縫な言語の変化と多様化の条件を整えたこと.結果として,前代から生じていた言語変化は遮られることなく円滑に進行することができたし,無数の方言が花咲くことになった.

堀田,『英語史』 p. 74 より

「英語はこうして地下に潜ったが,この事実は英語の言語変化が進行してゆくのに絶好の条件を与えた。現代の状況を考えれば想像できるだろうが,書き言葉の標準があり,そこに社会的な権威が付随している限り,言語はそう簡単には変わらない。書き言葉の標準は言語を固定化させる方向に働き,変化に対する抑止力となるからである。しかしいまや英語は庶民の言語として自然状態に置かれ,チェック機能不在のなか,自然の赴くままに変化を遂げることが許された。どんな方向にどれだけ変化しても誰からも文句を言われない,いや,そもそも誰も関心を寄せることのない土着の弱小言語へと転落したのだから,変わろうが変わるまいがおかまいなしとなったのである。」
 → つまり,英語はフランス語のくびきの下にあったのではなく,むしろ繁栄していた? (#577)

「ノルマン征服と英語」のまとめ

  1. ノルマン征服は(英国史のみならず)英語史における一大事件.
  2. 以降,英語は語彙を中心にフランス語から多大な言語的影響を受け,
  3. フランス語のくびきの下にあって,かえって生き生きと変化し,多様化することができた.

III. アメリカ独立戦争と英語

Noah Webster

「アメリカ独立戦争と英語」の要点

  1. アメリカ英語の特徴
  2. アメリカ独立戦争
  3. ノア・ウェブスターの綴字改革

1. アメリカ英語の特徴

  1. 英語の英米差のクイズに挑戦 (#357)
  2. 答えはこちら (#359)
  3. いかにもイギリス英語,いかにもアメリカ英語の単語 (#880)
  4. イギリス英語との違いは? (cf. [ame_bre] の記事)

綴字発音 (spelling pronunciation)

単語従来の発音綴字発音
clothes[ˈkləʊz][ˈkləʊðz]
forehead[ˈfɒrɪd][ˈfɔ:hɛd]
often[ˈɔ:fn][ˈɔ:ftən]
suggest[səˈdʒɛst][səgˈdʒɛst]
towards[ˈtɔ:dz][təˈwɔ:dz]
assume[əˈʃu:m][əˈsju:m]
ate[ˈɛt][ˈeɪt]
単語従来の発音綴字発音
clerk[ˈklɑ:k][ˈclə:rk]
constable[ˈkʌnstəbl][ˈkɑ:nstəbl]
nephew[ˈnevju:][ˈnefju:]
Derby[ˈdɑ:bi][ˈdə:rbi]
Eltham[ˈɛltəm][ˈɛlθəm]
Greenwich[ˈgrɪnɪdʒ][ˈgri:nwɪtʃ]
Thames[ˈtɛmz][ˈθeɪmz]

 → 綴字と発音の乖離を埋めようとする合理的な改変

アメリカ綴字

アメリカ綴字イギリス綴字
colorcolour
favorfavour
honorhonour
centercentre
theatertheatre
judgmentjudgement
acknowledgmentacknowledgement
アメリカ綴字イギリス綴字
analyzeanalyse
realizerealise
travelertraveller
chilichilli
licenselicence
pajamaspyjamas
plowplough

 → ノア・ウェブスターの綴字改革(後述

アメリカ英語の社会言語学的特徴

  1. イギリス英語の諸方言を基礎とした混交言語
  2. 広い国土ながらも方言差が僅少で,言語的に一様 (#457, #591, #3088)
  3. 外部・内部要素による旺盛な造語力
  4. 伝統的な規範にとらわれず,合理性を追求する傾向

2. アメリカ独立戦争(あるいは「アメリカ革命」 "American Revolution")

  1. 革命前夜 (1763--1775)
  2. 独立戦争 (1775--1781)
  3. 革命の収束 (1781--1789)

アメリカ英語の時代区分 (#158)

形成期 (1607--1790)
イギリス英語の諸方言が大西洋岸の諸州に持ち込まれ,アメリカ英語の基盤が作られた.
成長期 (1790--1920)
アメリカの独立意識の高まり,領土の拡大,西部開拓,大量の移民の流入などによって特徴づけられ,アメリカ英語が以前よりも明確に独自路線を歩み出した時期.
拡大期 (1920--)
第一次大戦後のアメリカは政治,経済,文化など多くの分野で世界をリードする役割を担うようになり,それに伴ってアメリカ英語が世界に拡散した.

独立戦争とアメリカ英語

  1. 独立に伴う愛国心により「英語」ならぬ「アメリカ語」が意識されるように (#3086)
  2. 以降,独自の発展を遂げ,世界へ拡散してゆく変種へと成長
  3. 「アメリカ語」を育んだ最大の功労者,ノア・ウェブスター (1758--1843)

3. ノア・ウェブスターの綴字改革 (#3087)

  1. 1758年,Connecticut 州は West Hartford に生まれる
  2. Yale 大学在学中に独立戦争が勃発
  3. 教員,弁護士,そして綴字教材の執筆へ
  4. 100年間で8000万部売れた The American Spelling Book,通称 "Blue-Backed Speller"
  5. 1828年に約7万項目からなる2巻ものの大辞典 An American Dictionary of the English Language を出版
  6. 性格は傲岸不遜だったが,アメリカ合衆国の独立を支えるべく「アメリカ語」の独立に一生を捧げた人生

ウェブスター語録 (1)

The question now occurs; ought the Americans to retain these faults which produce innumerable inconveniences in the acquisition and use of the language, or ought they at once to reform these abuses, and introduce order and regularity into the orthography of the American tongue? . . . . a capital advantage of this reform . . . would be, that it would make a difference between the English orthography and the American. . . . a national language is a band of national union. . . . Let us seize the present moment, and establish a national language as well as a national government. (Webster, Appendix to Dissertations on the English Language, with Notes Historical and Critical (1789) as qtd. in Graddol 6; #468)

ウェブスター語録 (2)

It is not only important, but, in a degree necessary, that the people of this country, should have an American Dictionary of the English Language; for, although the body of the language is the same as in England, and it is desirable to perpetuate that sameness, yet some difference must exist. (Webster, Preface to An American Dictionary of the English Language (1828) as qtd. in Baugh and Cable 358)

ウェブスターの綴字改革の本当の動機

  1. ウェブスターは表向きには合理性の追求を掲げて,
  2. 穏健な綴字改革を成功させたが,
  3. 内心は,イギリスからの政治的独立と合わせて,
  4. イギリス英語からの言語的独立を目指した.

「アメリカ独立戦争と英語」のまとめ

  1. アメリカ英語の特徴:混交,一様,造語力,合理性
  2. アメリカ英語はアメリカ独立とともに独自色を強め始めた
  3. 特に綴字改革の成功はウェブスターの愛国心のたまもの

おわりに

英語は,イングランドへのキリスト教伝来,ヴァイキングの侵攻,ノルマン征服,黒死病,印刷術の発明,宗教改革,ルネサンス,アメリカ独立戦争,大英帝国の拡張などの大事件や,その他無数の日々の営みの積み重ねによって形成されてきた.

言語は,それを話す人々とその社会によって形作られてきた歴史的な産物である.英語も日本語も例外ではない.

歴史的・通時的なモノの見方のクセをつければ,常にオリジナルな発想を得ることができる.

参考文献