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ブリテン島の先史時代にも人々の移動は頻繁にあったが,いつどのような民族がやってきて,いかにして先住民を征服したか,あるいは共存したかについて,詳細はわかっていない.アングロ・サクソン時代の直前のブリテン島民であった「ケルト人」についても,いつどのように渡来したのかについて諸説あり,論争の的となっている.以下では,君塚 (3--5),川北 (17--22),指 (7--9) に依拠して,教科書的な記述を施しておきたい.
人類が現在のブリテン島に相当するユーラシア大陸西端に居住していた最古の痕跡は,81万年前のものとされている.紀元前1万年頃の旧石器時代末期には,前時代におけるネアンデルタール人の文化をもった旧人に代わり,新人が狩猟採集の生活を営みつつ住み着いていた.紀元前7000--6000年になると,この地は大陸と完全に切り離された.ブリテン島の誕生である.次いで紀元前4000年頃からは農耕や牧畜も始まり,新石器時代に入る.この頃には,イベリア半島あるいは北アフリカ沿岸より人々が渡来していたようだ.新石器時代の末期,紀元前22--20世紀には大陸からビーカー人(埋葬品として用いられた口広型の土器にちなむ)と呼ばれる戦士集団がやってきて,青銅器文化をもたらした.ビーカー人は,おそらく印欧語を話していたと考えられる.ストーンヘンジに代表される巨石文化は紀元前18世紀頃に栄えたが,この頃までには大小様々な集団が生まれていたようだ.
ちょうどその頃,紀元前2千年紀には,大陸のアルプス山脈北部に,後にケルト人と呼ばれる冒険的戦士集団が生まれていた.彼らは千年ほどかけて北西ヨーロッパ,特に中欧,東欧にかけて拡張し,紀元前6世紀頃にはブリテン島にも渡来し,青銅器文化の担い手を追い出して,鉄器文化をもたらしつつ,この島に住み着くようになった.なお,ケルト人といっても均一の文化をもっていたわけではなく,彼らに征服された多様な先住民が征服者の文化と言語を共有する緩やかな文化的集合体をなしていたととらえるのが適切だろう(征服というよりは緩やかな同化だった可能性もある).さて,ブリテン島に次々に渡来してきたケルト人のなかでも中心的な役割を果たしたとされる最後の分派がベルガエ人であり,紀元前2世紀末までに高度な鉄器文化を発達させていた.数十の部族が分立していたが,このケルト人こそが,紀元前1世紀半ばよりローマ軍団に狙われることになるブリテン島民だった.
・ 君塚 直隆 『物語 イギリスの歴史(上)』 中央公論新社〈中公新書〉,2015年.
・ 川北 稔(編) 『イギリス史』 山川出版社,1998年.
・ 指 昭博 『図説イギリスの歴史』 河出書房新社,2002年.
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最終更新時間: 2024-10-26 09:48
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