昨日の記事「#1237. 標準英語のイデオロギーと英語の標準化」 ([2012-09-15-1]) で参照した Milroy の論文で,Skeat の発言に端を発する "the myth of the Anglo-Norman scribe" が,近現代的な標準英語のイデオロギーを持ち込んで歴史英語を解釈した例として槍玉に挙げられている.
Skeat は,The Proverb of Alfred についての論文 ("The Proverbs of Alfred." Transactions of the Philological Society. 1897.) のなかで,写本に現われる奇妙な綴字は,古英語で書かれた exemplar を読み解けなかった写字生に帰せられるべきと論じた.そこまではよいのだが,Skeat はさらに,その写字生は英語を第1言語としないアングロ・ノルマン人だったのだろうと結論づけた.しかし,Milroy (21) の批判するように,"Unfamiliarity with an older writing system does not necessarily mean that the scribe could not speak English" である.
しかし,Skeat の校訂による Havelok the Dane を改訂した Sisam (Sisam, K. and Skeat, W. W. The Lay of Havelok the Dane. Oxford: Clarendon, 1915.) で,この神話は強化される.
The manuscript spelling appears . . . to be of a very lawless character, but is easily understood in the light of Professor Skeat's discovery (in 1897) that many of our early MSS . . . abound with spellings which can only be understood rightly when we observe that the scribe was of Norman birth and more accustomed to the spelling of Anglo-French than to that of the native language of the country, which he had acquired with some difficulty and could not always correctly pronounce. (cited in Milroy, p. 26 from Sisam and Skeat, xxxvii--xxxviii)
アングロ・ノルマン写字生によるとされる「奇妙な綴字」には,(1) 語頭の <h> の省略や,逆に非歴史的な <h> の挿入,(2) <wh> の代用としての <w> (ex. wat) ,(3) <sh> の代用としての <s> (ex. sal) ,(4) <ht> の代用としての <th>, <cht>, <cth>, <ct>, <t> (ex. rith, ricth) ,(5) <t> の代用としての <th> (ex. with) ,(6) <th> の代用としての <t> (ex. herknet) ,(7) <u>, <wu> の代用としての <w> (ex. wl, hw) ,(8) 語末の <t>, <d> などの不注意による脱落 (ex. lan for land) などがある.
標準英語のイデオロギーに浸かっている目には,中英語の綴字にも uniformity があってしかるべきであり,そこから逸脱しているものは正統でない,したがって正統でない写字生の手によるものに違いないと映るだろう.しかし,現在では,中英語の綴字の研究が進展し,上記のような綴字の変異には体系性のあることがわかっている.
現在,中英語の綴字の研究は,LALME や LAEME を生み出した Edinburgh 学派を中心に,盛んになされている.言語にとって variation が常態であり不可欠であるということは,案外と,近代以前の言語状況を眺めることによってこそ,容易に理解できるのではないだろうか.関連して,[2012-08-08-1]の記事「#1199. なぜ英語史を学ぶか (2)」も参照.
・ Milroy, Jim. "Historical Description and the Ideology of the Standard Language." The Development of Standard English, 1300--1800. Ed. Laura Wright. Cambridge: CUP, 2000. 11--28.
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