hellog〜英語史ブログ

#2028. 日本とイングランドにおける方言の将来[dialect][japanese][dialectology]

2014-11-15

 日本でもイングランドでも,方言の水平化 (dialect levelling) が起こっているといわれる (cf. 「#1671. dialect contact, dialect mixture, dialect levelling, koineization」 ([2013-11-23-1])) .教育の普及,交通や交流の円滑化,メディアの発達などにより,伝統的な方言の共通語化や標準語化が急速に進んでいるとされる.このような状況下で,方言の縮小を憂える向きがある一方で,いやむしろ方言は以前と同じように活況を呈しているとする見解もある.伝統的な方言は確かに衰退してきているが,一方,新方言や Modern Dialects などと呼ばれる新種の方言が各地で現われており,方言の再編成が進んでいるといわれるからだ.方言学者の見解によれば,日本でもイングランドでも方言は何らかの形で生き続けており,活力をもって次世代へ存続してゆくことは確かであり,近い将来に消滅するおそれはない.
 『日本の方言』を著わした柴田 (72--73) は1958年の時点で,日本の方言の未来について的確な予想を示した.

語源意識・語の借用・同音衝突・混線といった内的な理由で、語が新しくできたり、消えたりする。これらは、結局、人間の心理的な働きによるものである。方言のちがいは、このような、外的・内的な理由によってできた単語(およびそれの使い方)の集積である。だから、すべての単語は、ある一つの文化的中心地に生まれて、それが集へと広まる、といった公式では成り立たない。たしかに、ある単語はそうであった。しかし、ある単語はそうではない。だから、すべての単語は、全国各地で、バラバラにつくられた、という公式も、もちろん成り立たない。やはり、地方にも中心地があって、そこで生まれた単語がまわりの地域へ広がったということもある。中心地は全国に一つではなく、いくつも小さな中心地があった。
 将来コミュニケーションの濃さが全国一様になり、語源意識や同音衝突などが全国一律に行われる時代が来れば別であるが、それまでは、ある面でなくなり、ある面で発生するという形をとって、方言のちがいは残るものと思われる。
 もちろん、いわば「外国語」としての共通語が広まり、それが方言の平均化をうながすことはある。あるどころか、現に、うながしつつある。しかし、それも、方言のある面だけであって、地域社会の生活に深く根ざす部分や、宇宙観の骨組みを支える部分はなかなか影響を受けないだろうと思う。


 イングランドの方言についても,Trudgill (84) が同趣旨のコメントを述べている.イングランドの現代方言がある面で共通語化の方向を示しているのは確かだが,方言そのものがなくなることはないだろうと予言している.

Happily, however, it is certain that, whatever the exact form of future developments will be, there will never be total uniformity across the country, because innovations will always continue to spread and recede and thus continue to produce the rich mosaic of regional variation in pronunciation which has characterized England ever since English first became its language.


 21世紀前半の現在,日本でもイングランドでも,方言が縮小しているという言い方よりも方言が再編成されていると表現するのが適切かもしれない.そして,それと平行して全国的に共通語化・標準語化という潮流も,急ピッチに進行しているのである.

 ・ 柴田 武 『日本の方言』 岩波書店〈岩波新書〉,1958年.
 ・ Trudgill, Peter. The Dialects of England. 2nd ed. Oxford: Blackwell, 2000.

Referrer (Inside): [2018-01-08-1] [2014-12-30-1]

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