昨日の記事[2010-11-10-1]で,中英語の方言事情に由来する綴字と発音の乖離を話題にした.結果としてみれば,busy や bury などは綴字と発音が標準化の際に別々に振る舞ってしまった不運な例であり,merry などは綴字と発音がセットで行動した幸運な例であったことになる.
これはあくまで偶然の結果である.ロンドンのような方言のるつぼでは,実際には綴字と発音のあらゆる組み合わせが試されたと想像べきだろう.busy でいえば,ロンドンでは /ɪ/, /y/, /ɛ/ の発音がいずれも聞かれたろうし,<i>, <u>, <e> の綴字のいずれも見られたろう.3×3=9通りの組み合わせのいずれもあり得たと想像される.標準化に際しての最終的な決定は,理性,慣用,ランダム性といった要素が複雑に作用した結果だったろう.標準化は短期間で起こったわけではなく,産みの苦しみとして多大な時間がかかったので,その間に後世からみれば妙に思われることが一つや二つ起こったとしても不思議ではない.busy や bury はそのような例と考えられる.
14世紀後半のロンドンでは,書き言葉の標準化が緩やかに始動していたが,そのロンドン英語をおよそ代表しているのが Chaucer である.先日 The Canterbury Tales の "The Nun's Priest's Tale" を読んでいて,merry に何度か出会ったので,異なる綴字を記録しながら読み進めてみた.以下,引用は The Riverside Chaucer より.
<myrie>
Be myrie, housbonde, for youre fader kyn! (l. 2968)
That stood ful myrie upon an haven-syde; (l. 3071)
Ther as he was ful myrie and wel at ese. (l. 3259)
Faire in the soond, to bathe hire myrily, (l. 3267; [:by])
How that they syngen wel and myrily). (l. 3272; [:sikerly])
For trewely, ye have as myrie a stevene (l. 3291)
<mery>
Of herbe yve, growyng in oure yeerd, ther mery is; (l. 2966)
And after that he, with ful merie chere, (l. 3461 in Epilogue to NPT)
<murie>
His voys was murier than the murie orgon (l. 2851)
Soong murier than the mermayde in the see (l. 3270)
This was a murie tale of Chauntecleer. (l. 3449 in Epilogue to NPT)
Chaucer にも予想通り,3通りの綴字があったことが分かる.このテキストに関する限り相対的に優勢なのは <myrie> だが,私たち後世が知っているとおり,後に標準化したのは最も少数派である <mery> の母音(字)をもつ形態である.書き言葉の標準化が徐々に進行したものであり,それゆえに標準化の過程には複雑な事情があったようだということがよく分かるのではないか.
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