紀元前1千年紀の後半(前5世紀?前1世紀),先行するハルシュタット文化を引き継ぐ形で,ラ・テーヌ文化がヨーロッパ中央部に広く展開した.その名前は,多くの鉄器が出土したスイスの La Tène 遺跡にちなむ.カエサルの『ガリア戦記』に登場するケルト人の文化とされる.
ラ・テーヌ文化の地理的広がりには驚くべきものがある.前4世紀以降,その担い手はガリアから南下してイタリアへ侵入した.前3世紀にはドナウ河上中流域からその北側にかけて展開し,さらに周辺地域へと拡大した.同時期にバルカン半島を南下してギリシアにも侵入した.遠く小アジア(ガラテヤ)への拡大も著しい.これらが紀元前1千年紀後半の「ケルト人の大遠征」だ.原 (119) より,当時の大遠征の地図を示そう.
ラ・テーヌ文化は,前1世紀には北進するローマ勢力と西進するゲルマン勢力に追われて消滅する.その系譜をかろうじて引き継いだのが,イギリス諸島を中心とする現代の「ケルト世界」である.これについては「#774. ケルト語の分布」 ([2011-06-10-1]) で地図などを確認されたい.その他の関連するケルト諸語の地図や系統図は,以下の記事も参照.
・ 「#778. P-Celtic と Q-Celtic」 ([2011-06-14-1])
・ 「#779. Cornish と Manx」 ([2011-06-15-1])
・ 「#2803. アイルランド語の話者人口と使用地域」 ([2016-12-29-1])
・ 原 聖 『ケルトの水脈』 講談社,2007年.
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