ヒトの発音器官が二次的な派生物であることについて,「#544. ヒトの発音器官の進化と前適応理論」 ([2010-10-23-1]) でみた.この結果としてヒトの言語は様々な特徴,あるいは制限をもつに至ったと思われるが,音声変化や,さらには言語変化の普遍性も,ヒトの発音器官の生理的な特質と関連しているという見方がある.三輪 (15) は,マルティネの見解を次のように紹介している.
言語は常に均整のとれた体系へと変化する.しかし,人間の発音器官は,発音を第一次機能としてもつのではない.口,歯,舌,唇は食べ物を摂取し,咀嚼し,飲み込むためにできており,発音器官は,消化機能の上に,いわば,副次的機能としてあるにすぎない.したがって,口の中の器官は,食べ物の消化には都合よくできていても,発音に必ずしも都合よくできていない.発音器官としてみると不均衡にできており,均衡のとれた体系を目指す言語体系,特に母音・子音の体系とそれを実現に移す発音器官とは整合していない.そのことが普遍的な言語変化の要因であり,実際にしばしば発音の変化,言語の変化の原因となる.
調音音声学や生理学の視点に立てば,例えば母音をみれば分かるように,前舌系列と後舌系列は非対称的で不均衡である.「#19. 母音四辺形」 ([2009-05-17-1]) や「#118. 母音四辺形ならぬ母音六面体」 ([2009-08-23-1]) の図をみれば,口腔を横からみたときに,正方形や長方形ではなく台形(それすらも理想的な図示)である.ところが,音韻論的にいえば,例えば日本語のような5母音体系において,/i, e, a, o, u/ の各音素は左右対称の優美な三角形(あるいはV字形)の辺の上に配置されるのが普通である.理想は対称的,しかし現実は非対称的,という構図がここにある.
上の引用で主張されていることは,この理想と現実のズレこそが現実を変化させる原動力である,という説だ.この「理想」には,言語は対立の体系であるとするソシュール以来の構造主義的な言語観が色濃く反映されている.
・ 三輪 伸春 『ソシュールとサピアの言語思想 現代言語学を理解するために』 開拓社,2014年.
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