標題と関連する話題を「#2980. 30万年前の最古のホモサピエンス」 ([2017-06-24-1]),「#1544. 言語の起源と進化の年表」 ([2013-07-19-1]) で取り上げてきた.ホモ・サピエンスに最も近い兄弟であるネアンデルタール人は,はたして言語をもっていたのかどうか.
言語を使いこなすためには,(1) 言語を処理できる脳内機構をもっていること,(2) 言語音を発するための運動機構をもっていること,の2つの条件が満たされなければならない.この2点に関して,人骨化石や考古学的な証拠をもとに様々な検討が加えられているが,なかなか推測の域を出ないようだ.[2013-07-19-1]では次のように述べたが,これとて1つの見解にすぎない.
ネアンデルタール人は喉頭がいまだ高い位置にとどまっており,舌の動きが制限されていたため,発することのできる音域が限られていたと考えられている.しかし,老人や虚弱者の世話,死者の埋葬などの複雑な社会行動を示す考古学的な証拠があることから,そのような社会を成立させる必須要素として初歩的な言語形式が存在したことが示唆される.
更科 (204--05) も,上記とある点で類似した結論に達しているが,言語の進化についても新たな示唆を加えている.ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の両方の母体となったホモ・ハイデルベルゲンシス,及びその母体だった可能性のあるさらに古いホモ・エレクトゥスと比較しながら,ネアンデルタール人の言語能力についてコメントしている.
ホモ・エレクトゥスでは脳の形から,ブローカ野が識別できるようになった.ホモ・ハイデルベルゲンシスでは舌骨が,声を出せる形になった.ネアンデルタール人では脊椎骨の穴が広がり,FOXP2 遺伝子も言語に適したタイプになった.言葉はいきなり現われたのではなく,段階的に少しずつ発展してきたのだろう.
したがって,ネアンデルタール人がまったく話せなかったとは考えにくい.石器と枝を組み合わせて槍を作ったり,仲間と協力して狩りをしたりするためには,ある程度は言葉を話せることが必要だ.これはホモ・ハイデルベルゲンシスにも言えることだが,舌骨の形から,かなり自由に声は出せたと考えられる.
しかし,どの程度の文法を使った言葉を話していたのかは,わからない.おそらく目の前で起きている現在のことについては話せただろうが,過去のことについてはどうだったのだろうか.仮定法を使って,現実には起きていないことまで話せたのだろうか.さらに,言語は象徴化行動の最たるものである.ヒトとネアンデルタール人のあいだで象徴化行動に大きな差があったとすれば,言葉についても同様に,大きな差があったと考えるのが自然である.抽象的なこと,たとえば「平和」を,言葉を使わずに考えることはかなり難しい.ネアンデルタール人の辞書には,「私」や「肉」はあっても,「平和」はなかったのではないだろうか.
・ 更科 功 『絶滅の人類史』 NHK出版〈NHK出版新書〉,2018年.
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