##887,889,890の記事で acronym について話題にしてきた.特に「#889. acronym の20世紀」 ([2011-10-03-1]) では,現代英語の流れは acronym にあり,と強調した.単語として発音する acronym と平行して,アルファベットを1文字ずつ発音する initialism も同時に栄えていることは,CPU, EU, FBI, USB など枚挙にいとまがないことからも実感されるだろう.
しかし,不思議なことに,現代英語には一度折りたたんだ initialism を再び展開するという,流れに逆行するような傾向も散見されるのである.ただし,展開するといっても,元の長い句をそのまま復元するわけではなく,アルファベット読みを文字で展開するということである.
例を見るのが早い.Baum によると,そのプロトタイプは O.K. を okay と展開する (expand) 例であるという.他には,M.C. を emcee, D.J. を deejay, TV を teevee とする例が見られる.female emcee を縮めた femcee という語まである.acronym と同様,initialism の最大の効果が情報の高密度化 (densification) にあるものだとすれば([2011-01-12-1]の記事「#625. 現代英語の文法変化に見られる傾向」を参照),initialism の展開は不可解である.無論,これは綴字上の展開であって,発音上は何ら展開していない.また,ある種の書き言葉レジスターにしか見られないとも指摘されている ("limited for the most part to areas of colloquial writing where one might least expect formality of expression" [Baum 74]) .したがって,あくまで限られた領域に行なわれている視覚的な贅沢にすぎないとも言えるが,一種の間延び,情報の希釈化という印象は免れない.
大きな流れのなかに見られるこの小さな抵抗の原動力は,一体何だろうか.Baum (73) は,initialism の与える荒涼とした陰気くささを和らげるためではないかと指摘している.
Alongside this tendency toward condensation there is a slowly growing counterimpulse toward reestablishing the full dignity of the initial word by expansion. Perhaps this countermovement is stimulated by the notion that the initial word is too stark in appearance.
Baum (75) はまた,この小さな抵抗に同情と理解を示してもいる.
This counterimpulse to abbreviation, as indicated in these few examples, is obviously a weak one, still relegated to the periphery of the language. But a sizable proportion of these expanded initial words---okay, Seabee, emcee---has by now gained lexicographical acceptance, certainly an indication that the neologism is finding approval.
言語変化において,大きな潮流のなかの小さな抵抗という話題は常に妙趣がある.次の話題も参考までに.
・ [2010-06-04-1]: #403. 流れに逆らっている比較級形成の歴史
・ [2010-08-31-1]: #491. Stuart 朝に衰退した肯定平叙文における迂言的 do
・ [2011-06-12-1]: #776. 過去分詞形容詞 -ed の非音節化
・ Baum, S. V. "Formal Dress for Initial Words." American Speech 32 (1957): 73--75.
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