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昨日の記事「#904. 借用語を共時的に同定することはできるか」 ([2011-10-18-1]) の続編.ここ数日で取り上げてきた Haugen の論文中で,Fries and Pike による興味深い題名の論文が参照されていたので,入手して読んでみた.借用語の音韻論は本来語の音韻論と異なっていることがあり,その差が借用語の同定に貢献しうるか否かという議論が,標題の問題と関わってくるからだ.
メキシコ南部 Oaxaca 州のマサテコ族によって話される Mazateco 語では,原則としてすべての無声閉鎖音が鼻音の後で有声化する.例えば,音素 /t/ は鼻音の後では異音 [d] として現われる.ところが,少数の例外が存在する.スペイン借用語 siento (百)では,上記の原則が破られ鼻音の後に [t] が現われるという.この語は高頻度語で,本来語に代替語がないために,上記の原則の重要な反例となる.これにより,[nd] と [nt] がもはや相補分布をなさなくなるため,構造言語学の方法論に従えば,/d/ の音素としての地位を認めざるを得ない.phonemicisation (音素化)の例ということになろう.
しかし,話者の反応を調査すると,siento のような僅かな例外があるからといって,/d/ を /t/ と区別される音素として一般的に認めていることを示す証拠は強くないという.理論的な minimal pair テストが明らかにするところと,話者の意識とは異なるということだろうか.この矛盾を解消すべく,Fries and Pike は次のような結論に至る.
The Mazateco evidence points to the conclusion, then, that two or more phonemic systems may coexist within a single dialect, even though one or more of these systems may be highly fragmentary. (31)
siento などの少数の予期せぬ例は,既存の音韻体系内の周辺部に位置づけられるわけではなく,その外側に並び立つもう1つの音韻体系に位置づけられ,両音韻体系が話者の中で共存しているのではいかという結論である.個人における複数の音韻体系の共存は,何も借用語のもたらす異質な音韻を説明するためだけに持ち出した考え方ではなく,通常の発話の音韻体系とささやき声の音韻体系は異なるし,歌声の音韻体系とも異なるといったように,様々な次元で見られる現象だというのが,Fries and Pike の主張である.
では,逆に言うと,音韻分布を詳細に調べることによって,周辺的な音韻体系を主たる音韻体系から区別できるということであれば,前者を特徴づけていると考えられる借用語彙を共時的に同定できるということになるのだろうか.だが,そう間単に行かない.昨日の記事でも述べたように,上に仮定した両音韻体系を分ける線を引くという作業はあくまで確率の問題であり,音韻分布を詳しく調べたところで明確な線引きはできそうにないからだ.siento が借用語であるということが,先に別の証拠により分かっているがゆえに音韻上の問題として提起できるという事情があるのであり,逆の方向の問題提起,もっぱら共時的な観察をもとに,ある語が借用語であるに違いないと提案する議論はやはり難しいようだ.
Fries and Pike は,以下を議論の結論としてではなく前提として明言している.
In a purely descriptive analysis of the dialect of a monolingual speaker there are no loans discoverable or describable. An element can be proved to be a loan word only when two dialects are compared. The description of a word as a loan is a mixture of approaches: the mixing of purely descriptive analysis with dialect study, comparative work, or historical study. Dialect mixture cannot be studied or legitimately affirmed to exist unless two systems have previously been studied separately. It follows that in a purely descriptive analysis of one particular language as spoken by a bilingual, no loans are discoverable. (31)
一般に,借用語は受け入れ側の言語の音韻論に吸収されやすい.あるいは,当初は元の言語の音韻論を保持したとしても,時間とともに nativise されやすい.はたまた,元の言語の音韻論そのものが受け入れ側の言語に導入され,それに基づいて作られた本来語の新語が,借用語と区別できなくなるという場合もある.
昨日の議論と合わせて,一般論として,標題の問いに対する答えは No と言わざるを得ないだろう.
・ Fries, Charles C. and Kenneth L. Pike. "Coexistent Phonemic Systems." Language 25 (1949): 29--50.
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最終更新時間: 2024-11-26 08:10
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