本ブログでは英単語の語源を多く話題にしている.実際にタグの数で見ると,今まで最も多く話題にしているカテゴリーということがわかる ( see etymology ) .英語にしても日本語にしても,語源というのは本質的に人を引きつける魅力があるもので,雑学の対象にもなりやすい.
だが,語源辞典を引き比べていると,ある単語の語源について記述に食い違いがあったり,記述に「?」が付いていたりと,語源の不確かさが目立ってくるようになる.ある段階までは文献学的な証拠に基づいて過去の意味や形態を断定できるが,それより古い段階になると情報がもやもやとしてきて何が確かな起源なのか分からなくなってくる.そこで,語源学者は自らの文献学的な知識,歴史文化的な知識,そして教養に裏付けられた鋭い直感によって,語源を暫定的に決定することになる.決定の段階では各語源学者の個性が出ることになり,この意味である種の「技芸」と捉えられるかもしれない.ブランショ (5) 曰く,
ここ1世紀以上前から,この学問分野は著しく進歩したが,現代の言語学者には,やや疑わしい学問,言語研究の領域の厳密な類型の中に組みいれることの難しい学問と考えている者もいる.古くからある文献学と明らかに親族関係にあるために,これをむしろ教養人の技芸と認めてしまうのである.
しかし,語源学と「学」をつけて呼ばれうるためには,技芸と言い切ってしまうわけにはいかない.語源学は自らの科学性と自立性を外に向けて示さなければならない立場に立たされている.ここでブランショは,内的語源と外的語源の2つを認め,両者の観点の組み合わせこそが,言語学の他分野にはない語源学の独自の特徴であると説いている.
内的語源学とは,ある語について文献学的に例証される,あるいは比較言語学的に再建される,意味や形態の最古形態を求める作業である.確信度は語によってまちまちで,仮定に留まる場合もある.言語学的な色彩の強い語源学といえるだろう.
一方で外的語源学とは,内的語源で求められた最古形態やそこからの派生形態を,社会や文化などの言語の外側の実在に照らして評価する作業である.換言すれば,仮定された最古形態や派生形態が,その語の用いられた社会的文脈においてどのように機能したかを究明するものである.こちらは,歴史学的な色彩の強い語源学といえるだろう.
ブランショは,この2者の融合を以下のように説いた (21--22) .
これらの手続きは確かに異なってはいるが,必然的に相補的であり,それは語源学者に多様な能力を強く求めるものである.すなわち片や通時的音韻論と通時的形態論であり,片や文化的かつ歴史的文脈に深く通じていることである.これが語源学の特殊性であり,その自立的地位を正当化することなのである.
語源学は自らを科学として独立させるために頑張っている.ブランショの趣旨に賛同するが,本記事を書くのに毎回「語衒学」と誤変換されるのが気になった・・・.
・ ジャン=ジャック・ブランショ著,森本 英夫・大泉 昭夫 訳 『英語語源学』 〈文庫クセジュ〉 白水社,1999年. ( Blanchot, Jean-Jacques. L'Étymologie Anglaise. Paris: Presses Universitaires de France, 1995. )
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