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「#5221. 「祈り」とは何だろうか? (2)」 ([2023-08-13-1]) で触れた『宗教学事典』をパラパラと読み続けている.「言葉・言霊」の項目下に「宗教の言葉」 (346--47) という小見出しの興味深い解説があった.宗教言語と日常言語は何がどう異なっているのだろうか.
●宗教の言葉 宗教の場において生起する言葉,あるいはそこで使用される言葉の総体は,一般に「宗教言語」と呼ばれている.例えば,「神の愛」や「仏国土」が語られる場合,その神の「愛」や仏「国土」は,日常会話で言われる意味合いとは次元を異にした,人間の概念的把握を超えた一種の絶対性を示すものである.語彙としては日常言語と同じでも,それが宗教の場に現れると,完全に異次元の意味を帯びうるのである.このように,日常言語で流通している意味を遮断し,それとは断絶した超越的次元を指し示す働きが,宗教言語にはある.
宗教の場とは,具体的には,宗教経験が成立する場であり,また儀礼や祭祀が行われる場である.そこでは,「絶対が相対となる」逆説,反対方向から見れば,「相対が絶対となる」逆説が生じている.超越的霊異が言葉として現れるとき,神の言や仏説(仏が説いた教え,仏典)として受容されるが,その言葉は日常生活で使用される言葉と同じ言語体系に属するものである.さもなければ,神の言や仏説は,それとして理解されえない.つまり,宗教の場では,絶対が相対となる現象として,まさに日常の言葉(相対)が絶対性を獲得する事態が生じるのである.超越的次元が開示されたり,超越的次元を指示したりするほどに,言葉が変成を遂げるのである.こうした宗教の場では,何らかの仕方で,日常生活の流れが断ち切られて超越的次元との統一に向かう一方,その統一から再び日常生活に復帰するという不断の往復運動が見られる.この「日常からの超脱→(絶対との統一)→日常への復帰」という逆方向の二重の運動が,宗教経験や宗教儀礼の全振幅をなしている.
ところで,変成した言葉,つまり宗教言語にはいくつかの次元や位相が折り込まれていると想定される.超越的霊異が現れた絶対的真理は,直観・象徴・概念の形で把握されるのが普通である.それゆえ,宗教言語が孕む次元や位相の相違は,それを受け取る側での認識様態の相違として理解することができる.神自身が物語る神話・神託・啓示,仏による法身説法・仏説そのもの(いわば第一次の宗教言語)は,まず直観的に感得され,覚醒や救済の自覚・再認が深められてゆく.次いで,信仰告白や信解の言葉(第二次の宗教言語)が信仰集団に共有され,象徴的な意匠を纏って儀礼の内に取り込まれる.そして,概念的な精錬を経ながら聖典・経典が編纂され,ついには神学・教学など学問的地平で体系的な論議の言葉(第三次の宗教言語)が産出される.
宗教の場において宗教言語が発生するとともに,逆に宗教言語によって宗教の場それ自体が磁化され,根源的な生命力で再構成されるという側面がある.とりわけ,祈りの言葉や瞑想の言葉は,宗教言語の本質的特性が最も凝縮されたものといえる.祈りや冥想において生じるのは,自我意識の我執が否定的に解体されて無となり,そこに絶対の次元が開かれて透入するという事態である.イエスの祈り,ディクル(スーフィーの称名),念仏,題目,マントラ(真言),祝詞,神呪などの祈りや冥想の定型句は,よく知られている.その種の定型句を称えることは,そのつど「日常からの超脱(→絶対との統一)→日常への復帰」が端的に実現されることに他ならない.古来,聖句・聖音の口誦が伝統的に重視され,宗教的行法の一環として組み込まれてきた所以である.
いろいろと疑問が湧いてきた.宗教の場においては「愛」や「国土」の意味が変わるということだが,これは果たして意味論 (semantics) の考察対象になるのだろうか.日常言語と宗教言語の間に,多義性 (polysemy) や意味変化 (semantic_change) が生じていると考えてよいのだろうか.辞書などでは,宗教的な語義に関して【宗教(学)】や【キリスト教】などのレーベルが付加されることもあるだろうから,レジスターの問題としてとらえられているのだろうか.
一方,上の引用では「受け取る側での認識様態の相違」という表現が用いられている.受け取る側で意味を創造したり選択したりしているのだとすれば,意味変化・変異の主体をめぐる問題とも関わってくるだろう.これについては「#1936. 聞き手主体で生じる言語変化」 ([2014-08-15-1]) などを参照.
祈りの言語については「#3908. 「祈り」とは何だろうか?」 ([2020-01-08-1]) と「#5221. 「祈り」とは何だろうか? (2)」 ([2023-08-13-1]) も参照.「#753. なぜ宗教の言語は古めかしいか」 ([2011-05-20-1]) も関係してくるだろう.
・ 星野 英紀・池上 良正・氣田 雅子・島薗 進・鶴岡 賀雄(編) 『宗教学事典』 丸善株式会社,2010年.
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最終更新時間: 2024-09-24 08:28
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