01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
英語史の授業にて尋ねられた質問.まさに直球.答えるのが難しい.
まず英語史的にいえることは,古英語や中英語では,現代的な使い方での「冠詞」 (article) は未発達だったということです.the や a(n) という素材そのものは古英語からあったのですが,それぞれ現代風の定冠詞や不定冠詞としては用いられていませんでした.つまり,古英語にも the や a(n) という単語のご先祖様は確かにいたけれども,当時はまだ名詞に添えるべき必須の項目というステータスは獲得していなかったということです.
ということは,日々私たちが使い分けに苦労している現代英語の「冠詞」という項目は,英語の歴史の歩みのなかで,徐々に獲得されてきたものということになります.冠詞は英語の歴史の最初からあったわけではない.まず,この事実を押さえておく必要があります.
冠詞なるものが歴史のなかで獲得されてきたというのは,なにも英語に限りません.そもそも英語を含めたヨーロッパからインドに及ぶ多くの言語のルーツである印欧祖語には冠詞はありませんでした.しかし,印欧語族に属する古典ギリシア語,アルメニア語,アイルランド語という個別の言語をはじめ,ロマンス語派,ゲルマン語派,ケルト語派の諸言語やバルカン言語連合でも冠詞がみられることから,いずれも歴史の過程で冠詞を発達させてきたことがわかります(「#2855. 世界の諸言語における冠詞の分布 (1)」 ([2017-02-19-1]) を参照).
また,印欧語族から離れて世界の諸言語に目を向けてみても,冠詞という言語項目は世界各地に確認されます(全体としては少数派ではありますが).ただし,地理的にはヨーロッパ,アフリカ,南西太平洋などにある程度偏在しているようで,類型論や地理言語学の立場からは興味深い話題となっています.
さて,英語に話しを戻しましょう.古英語にも冠詞の種となるものはあったにせよ,なぜその後それが現代風の冠詞的な機能を発達させることになったのでしょうか.1つには,英語が中英語以降に語順を固定化させてきたという事実が関係しているように思われます.「#2856. 世界の諸言語における冠詞の分布 (2)」 ([2017-02-20-1]) でも述べたように「語順が厳しく定まっている言語では一般的に名詞的要素の置き場所を利用して定・不定を標示するのが難しいために,冠詞という手段が採用されやすいという事情がある」のではないかと考えられます.
定・不定とは,その表現の指しているものが文脈上話し手や聞き手にとって既知か未知か,特定されるかされないかといった区別のことです.談話の典型的なパターンは,定の要素をアンカーとし,それに不定の要素を引っかけながら新情報を導入していくというものですが,このような情報の流れは情報構造 (information_structure) と呼ばれます.言語は情報構造を標示するための手段をもっていると考えられますが,語順や冠詞もそのような手段の候補となります.語順が自由であれば,定の要素を先頭にもってきたり,不定の要素を後置するなどの方法を利用できるでしょう(cf. 「#3211. 統語と談話構造」 ([2018-02-10-1])).しかし,語順の自由度が低くなると別の手段に訴える必要が生じてきます.英語は中英語期にかけて語順の自由度を失っていった結果,情報構造を標示するための新たな道具として,素材として手近にあった the や a(n) などを利用したのではないかと考えられます.
ただし,これも1つの仮説にすぎません.標題の質問にズバリ答えているわけではなく,我ながらもどかしいところです.
冠詞の発生に関する統語理論上の扱いは,「#2144. 冠詞の発達と機能範疇の創発」 ([2015-03-11-1]) を参照してください.関連して,英語史における語順の固定化について「#3131. 連載第11回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(前編)」」 ([2017-11-22-1]),「#3160. 連載第12回「なぜ英語はSVOの語順なのか?(後編)」」 ([2017-12-21-1]),「#3733.『英語教育』の連載第5回「なぜ英語は語順が厳格に決まっているのか」」 ([2019-07-17-1]) をご覧ください.
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2022 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2021 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2020 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2018 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2014 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2013 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2012 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2011 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2010 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2009 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
最終更新時間: 2024-10-26 09:48
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow