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hellog〜英語史ブログ / 2014-09-29

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2014-09-29 Mon

#1981. 間主観化 [subjectification][intersubjectification][semantic_change][unidirectionality][face][t/v_distinction][terminology][discourse_marker]

 今日は,昨日の記事「#1980. 主観化」 ([2014-09-28-1]) を発展させた話題として間主観化 (intersubjectification) について取り上げる.Traugott は,"nonsubjective > subjective" という意味変化の延長線上に "subjective > intersubjective" というもう1つの段階があり得ることを提案している.まず,間主観化 (intersubjectification) の行き着く先である間主観性 (intersubjectivity) について,Traugott (128) の説明をみてみよう.

[I]ntersubjectivity is the explicit expression of the SP/W's attention to the 'self' of addressee/reader in both an epistemic sense (paying attention to their presumed attitudes to the content of what is said), and in a more social sense (paying attention to their 'face' or 'image needs' associated with social stance and identity). (128)


 そして,間主観化 (intersubjectification) とは,"the development of meanings that encode speaker/writers' attention to the cognitive stances and social identities of addressees" (124) と説明される.
 英語から間主観的な表現の例を挙げよう.Actually, I will drive you to the dentist. の "Actually" が間主観的な役割を果たしているという.この "Actually" は,「あなたはこの提案を断るかもしれないことを承知であえて言いますが」ほどの意味を含んでおり,聞き手の face に対してある種の配慮を表わす話し手の態度を表わしている.また,かつての英語における2人称代名詞 youthou の使い分け (cf. t/v_distinction) も,典型的な間主観的表現である.
 間主観化を示す例を挙げると,Let's take our pills now, Roger. における let's がある.本来 let's は,let us (allow us) という命令文からの発達であり,let's へ短縮しながら "I propose" ほどの奨励・勧告の意を表わすようになった.これが,さらに親が子になだめるように動作を促す "care-giver register" での用法へと発展したのである.奨励・勧告の発達は主観化とみてよいだろうが,その次の発展段階は,話し手(親)の聞き手(子)への「なだめて促す」思いやりの態度をコード化しているという点で間主観化ととらえることができる.命令文に先行する pleasepray などの用法の発達も,同様に間主観化の例とみることができる.さらに,「まあ,そういうことであれば同意します」ほどを意味する談話標識 well の発達ももう1つの例とみてよい.
 聞き手の face を重んじる話し手の態度を埋め込むのが間主観性あるいは間主観化だとすれば,英語というよりはむしろ日本語の出番だろう.実際,間主観性や間主観化の研究では,日本語は引っ張りだこである.各種の敬譲表現に始まり,終助詞,談話標識としての「さて」など,多くの表現に間主観性がみられる.Traugott の "nonsubjective > subjective > intersubjective" という変化の方向性を仮定するのであれば,日本語は,そのどん詰まりにまで行き切った表現が数多く存在する,比較的珍しい言語ということになる.では,どん詰まりにまで行き切った表現のその後はどうなるのか.次の発展段階がないということになれば,どん詰まりには次々と表現が蓄積されることになりそうだが,一方で廃用となっていく表現も多いだろう.Traugott (136) は,次のように想像している.

. . . by hypothesis, intersubjectification is a semasiological end-point for a particular form-meaning pair; onomasiologically, however, an intersubjective category will over time come to have more or fewer members, depending on cultural preference, register, etc.


 ・ Traugott, Elizabeth Closs. "From Subjectification to Intersubjectification." Motives for Language Change. Ed. Raymond Hickey. Cambridge: CUP, 2003. 124--39.

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